249食目 ライオット・デイル
◆◆◆ ライオット ◆◆◆
自宅庭に突き立っている一本の丸太。
それは親父が俺の稽古用に、どこからともなく調達してきたものだ。
「はっ! せいっ!」
朝早く日が昇る前から、この丸太に拳を打ち込むのが俺の日課になっていた。
それは一家がミリタナス神聖国からフィリミシアに移住してきた次の日から、
毎日欠かさずにおこなってきたことだ。
「やっ! ふんっ!」
全力で丸太に拳を延々と打ち込む、それを八歳になるまで続けてきた。
これからも続ける予定ではあるが。
ただ、ただ……親父の背中に追いつこうと、
見よう見まねで親父の真似事を始めたのがきっかけだった。
本当にそれだけだった。
崇高な目的も、誇り高い意志も在りはしない。
子供によくある思い付きからだ。
「はぁっ! せいやっ!!」
渾身の拳を丸太に打ち込む。
その丸太は俺の拳を受け止め、僅かにその体を震わせた。
俺の拳の全てを受けきっても、
何事もなかったかのように悠然とそびえ立つ彼に一礼し、
日課である朝の鍛錬を終了する。
その頃には朝日が昇り、ほのかに世界が明るくなってくる時間であった。
今日は十二月三十一日。
年越し前の非常に忙しい日だ。
そのように忙しい日ではあるのだが、俺は朝稽古の後、
母さんの手伝いを終わらせた上で道場の清掃も終わってしまい、
本当にすることがなくなってしまった。
当てもなく、ぶらぶらと町の中を歩いていると……ちらほらと雪が降ってきた。
今年は本当に雪が多い。
ミリタナス神聖国に居た時は雪自体が降らなかったから、
初めて雪に触った時は感動したものだが、
今ではそこまでの感動を覚えない。
「雪か……」
「ひゃん、ひゃん!」
足元を見ると俺に纏わり付いてくる、
薄っすらと青みがかった毛並みの子犬が居た。
こいつの名前は『ユキ』だったはず。
俺の呟きを聞いて、自分が呼ばれたものだと勘違いしたのだろう。
「おいぃ、あんまり遠くに行くんじゃないぞぉ! って、ライか。
こんなところで会うとは奇遇だな」
『いもっ!』
ユキを抱き上げた俺に、エルといもいも坊やが声をかけてきた。
エルはいもいも坊やの上に乗って行動を共にしている。
大きな体のホビーゴーレム、チゲも一緒だ。
彼は喋れないので、大袈裟な挨拶を以って存在感をアピールしている。
竜巻の一件で命を落とした、いもいも坊や。
その後、エルとの身魂融合により一心同体となった彼は、
ここ最近の桃使いとして成長が著しいエルティナの、
増大する桃力によって、彼女の魂から出れるようになったらしい。
桃力とは万能エネルギーだと桃先輩は言った。
あらゆる性質に変化をし、更には物質化も可能だというのだ。
エルが桃力を使いこなせるようになったならば、
最終的にいもいも坊やは『肉体』を取り戻して蘇るのではないのか?
……とも思う。
現在はそこにまで至ってはいないようで、
モルティーナの地下作業場で作ったという、
ゴーレムの体の中に入り込んで行動をしているようだ。
自由に行動できるといっても、エルから離れ過ぎることはできない。
いもいも坊やが、エルから離れて行動できる距離は精々三メートル程度だ。
それ以上離れると、いもいも坊やの魂はエルに強制収容されてしまうらしい。
それはやはり、エルといもいも坊やの魂が、
一つに繋がっている証拠なのだそうだ。
それでも、いもいも坊やは嬉しそうにしていた。
再びその目で、世界を見ることができるようになったのだから。
「このクソ忙しい日に、こんなところで散歩とはいい身分だぁ……!
俺に見つかった己の不幸を呪うがいい! 逮捕だぁ!」
『いもっ!』
大量の荷物を持っていたエルとチゲ。
俺はその荷物の半分を持つはめになってしまう。
ユキはいもいも坊やの頭に乗って、
キョロキョロと辺りを興味深そうに眺めていた。
「なぁ……『フリースペース』に、しまえばいいんじゃないのか?」
「それだと買い込んだ食材が行方不明になってしまうんだ。
そろそろ、『フリースペース』の中も整頓せんとなぁ……」
最近は何かと忙しいエルは、自分のことを後回しにしている。
カサレイムに赴きヒーラー達の再教育に力を注いでいるようだ。
更にはゴーレムギルドにて何かを手伝っているとも聞く。
そう言えば、ミカエル達もフィリミシアにちょくちょく来るようになった。
彼らもまた、ゴーレムギルドで何かをおこなっているようだ。
「よぉ……こんなところでどうした?」
「ふきゅん! レイヴィ先輩! こんにちは!」
『いもっ!』
「うっす! 先輩! ご無沙汰です!」
そこに肩に赤いホビーゴーレムを載せた黒髪の少年が姿を現した。
レイヴィ・ネクスト。
去年のグランドゴーレムマスターズに参加していた俺達の二年上の先輩だ。
直接戦うことは叶わなかったが、
ギュンターとの戦いで協力をしてくれた頼もしい先輩である。
少し近寄り難いピリピリとした雰囲気を持っているが、
付き合ってみれば、それほど気にするようなものでもなくなってくる。
彼もまた、ゴーレムギルドで何かしら手伝っているらしい。
レイヴィ先輩に荷物を持つのを手伝ってもらい、
俺達が向かった先はスラム地区だった。
そこの今では誰も住んでいないデイモンド爺さんの家前に、
大勢の人だかりができていた。
スラム地区に住む貧しい住人達だ。
その中にクラスメイトが混じっている。
黒エルフのヒュリティアだ。
「おいぃ! またせたなぁ!」
「おぉ……エルティナ様だ! エルティナ様がいらっしゃったぞ!」
エルの登場に住人達が騒めき始める。
その表情は往々にして笑顔だ。
「ヒーちゃん、支度はできてるか?」
「……えぇ、できているわ。さぁ、始めましょう」
二人の白黒エルフ達は大きな寸胴を五個も使い、炊き出しを開始した。
俺達が持ってきた荷物は、全てこのためだったのだ。
彼女達が作っているのは豚汁だった。
色々な野菜や肉が入っている味噌仕立ての汁物である。
やがて、ふぅわりと鼻に流れ込んでくる味噌の香りに、
俺の腹は音を立て始めた。
「ふっきゅんきゅんきゅん! ライはお預けだぁ。
おまえに食べられたら、豚汁が一網打尽にされちまうからなっ!」
「……私達は後で別のところに食べに行く予定よ。
それまで我慢してちょうだい」
そう二人に窘められてしまう。
二人の作った豚汁に興味があったのだが……
確かに歯止めが効かなくなりそうだ。
エルの料理は美味いことで有名だ。
しかし、ここ最近はヒュリティアの料理も、にわかに騒がれ始めていた。
いまだに家に戻れない人々のために、
フィリミシア中央公園にて炊き出しを配っていた時のことだ。
作っていたのは鶏の肉団子が入った醤油ベースのスープ。
エルはカサレイムに赴くため、
ヒュリティアにレシピを書いた紙を渡して後を任せたのだそうだ。
俺は料理を手伝うと酷いことになってしまうので雑用担当だったのだが、
完成したスープを配っている最中のことだ。
一人の住人が泣き出してしまったのだ。
こんなに美味しいスープを食べたのは生まれて初めてだと。
空腹による思い込みだとは思ったが、
彼女の作るスープは確かに美味しかった。
……摘み食いじゃないぞ? 味見を頼まれたから仕方なくなんだぞ?
エルのレシピがあったとはいえ、
ここまで美味しく仕上げる力量には感服する。
エルと一緒に料理をしている内に、
ヒュリティアの才能が開花していったのだろう。
その日を境に、彼女の名はちょっとしたものになっていった。
今では料理人達に目を付けられているようだ。
でも、本人は料理人ではなく、踊り子になると言って憚らない。
つい最近、ここで披露された彼女の踊りに心が痺れたのを記憶している。
逆にエルの踊りには恐怖と狂気を感じた。
あれは絶対に世界に公開してはいけない。死人が出る。
「はぁぁ……美味しい、温かい。
これで今年も生き延びることができそうじゃわい」
スラム地区のお年寄りが幸せそうにそう漏らした。
スラム地区再生計画も、今年の大雪で大幅に遅れが出ている。
資金は十分だが、肝心の作業ができなければまったく意味がない。
そこで、エルはなんとか耐え忍んでもらおうと、
積極的に炊き出しをおこない、スラム地区の住人達に元気を与えているのだ。
「聖女エルティナ……か。
俺の後輩達には、とんでもない連中がゴロゴロいるな」
「そういう先輩だって、十分とんでもないですよ」
彼はホビーゴーレムを愛する少年。
初めて出会った時はそう感じたのだが、
学校の武闘大会四年生の部において、
他者を寄せ付けないほどの圧倒的な強さで優勝している。
彼はドロバンス帝国製の大型魔導銃のみで優勝を果たした。
その魔力量で他者を圧倒したのだ。
身体能力だって俺を上回る。
俺には超えるべき先輩達がゴロゴロといるのだ。
そう考えるとワクワクが止まらなくなってくる。
俺は弱い、だから……まだまだ強くなれる!
強くなったその先に、きっと親父の背中が見えてくるはずだ。
思い付きで始めた武術。
でもそれは、いつの間にか俺を語るに外せないものになっていた。
武術を極めれば、きっと見えてくる。
俺の生まれた意味が、親父の背中が、スラストさんの言った意味が。
『拳は嘘を吐かない』
今は彼から送られたこの言葉を信じて、日々の鍛錬を続けている。
そう、俺にとってスラストさんも越えなくてはならない一人だ。
『鉄拳スラスト』……かつて彼はそう呼ばれていた。
彼はその名を捨ててでもヒーラーの道を選んだ。
そうだ、きっと拳が答えてくれたのだ。
彼の進むべき道を。
ならば俺も、今はただ……拳を信じて前に進むのみだ。
拳を握りしめ空を見上げると……またしてもちらほらと、
白い雪達が舞い降りてきた。
このままだと、次の日は雪かきから一日が始まりそうだ。
「ふきゅん、豚汁も全員に行き渡ったようだぁ。
ライ、レイヴィ先輩、片づけを手伝ってくれ。
パパッと終わらせて昼飯を食べにいくぞ~」
「おう、片づけなら任せておけ」
「俺らは、そんなことくらいしかできんからな」
俺は彼女の下に歩き出す。護るべき人の下へ。
この拳が俺に応えてくれた時、
俺は必ずやエルを護れる男になっていることだろう。
今はまだ弱く彼女を護りきれないこともある。
……でも、俺は誓ったのだ。
彼女は俺が護ると。
ぶんぶんと手を振り、屈託のない笑顔を見せる白エルフの少女の下へ、
俺は急いだのであった。
追伸。
昼飯は親子丼。
ジューシーで柔らかい鶏肉と、とろ~り、ふわふわの玉子が絶品だ。
流石、親子丼が好物のプルルが薦めるだけのある店だった。
五回ほどお代わりして、今年の小遣いはその姿を消した。
◆ライオット・デイル◆
獅子の獣人の男性。
黄金の髪からは、ぴょこんと獅子の耳が覗く。顔は人間寄り。
太い眉毛にやんちゃそうな目。瞳の色は金色。
もちろん獅子の尻尾がある。父親が道場を開いている。
ホビーゴーレム、ツツオウのゴーレムマスター。
魔法全般が苦手で身体能力が高い。
基本的に武器は使わないが、武器はそれなりに扱える。
一人称は「俺」
エルティナは「エル」