246食目 メルシェ・アス・ドゥーフル 後編
遠目でも綺麗だとわかる二人が目の前までやってきた。
ルドルフさんは白いタキシードに身を包み、
とても凛々しい表情で奥さんをエスコートしている。
普通なら先に式場で待っているのだが、奥さんには父親がいないらしく、
それならば少し形式を変えてしまおうという運びになったらしい。
その奥さんが私の目の前を通過してゆく。
薄っすらと青みがかった透き通るような髪は肩にかかる程度の長さ、
白く美しい肌は雪に負けないほどに穢れがない。
細く長い眉に切れ長の目にはサファイアのような瞳が収まっている。
形のいい整った鼻にふっくらとしたピンク色の唇。
出るところは出て無駄なお肉がまったくないその体は、
純白のウェディングドレスの魅力を十二分に引き出していた。
溜め息が出るほどの完璧な美しさ、とはこのことだろう。
今……私の目の前を、生きた芸術品が通り過ぎていったのだ。
気になるのは、その後ろを付いて歩く小さな子犬だ。
奥さんと同じ青みがかった綺麗な毛並みをしている。
「ひゃん、ひゃん!」
この子はなんなのだろうか? 野良犬かなぁ? 凄く可愛い。
誰も気にしない様子だから、私もそれに倣うことにしたけど……気になる。
終着点の祭壇に立っているのはエルティナさんだ。
普段の彼女とは別人と錯覚するほどに凛々しく新郎新婦に向かい合う。
その姿はまさに聖女エルティナだった。
普段もこんな感じなら、聖女だということを忘れられなくて済むのに。
でも、どちらの姿が本当の彼女の姿なのだろうか?
普段は私達に合わせるために、わざと変な行動をしているのでは?
そう錯覚させるほど彼女は神々しく厳粛に式を執りおこなっていった。
「それでは、誓いの口付けを」
ドクンと私の胸が高鳴る。
いよいよ、式の最大の見せ場がやってきたのだ。
私は当事者ではないのだけども、興奮を隠すことはできない。
これほどの美男美女が口付けを交わすのだ、興奮しないわけがない。
その口付けは神秘的だった。
今日は晴天、雲など一つもない。
にもかかわらず、雪が降ってきたのだ……新郎新婦の周りだけに。
それは日に照らされてキラキラと輝く宝石。
雪達の祝福だと誰しもが理解し、その幻想的な光景に心を奪われた。
見つめ合う若き夫婦の顔がゆっくりと近付き、二人の唇が重なり合った。
途端に大歓声が上がる。
町民達はもう我慢できなかったらしい。
この二人の厳粛な結婚式に。
この幻想的で幸福に包まれた二人の新しい人生に。
「お幸せにー!!」
「綺麗よー!」
そう言った声は女性が大半だ。
それに比べて……。
「ちくしょう! 本当にちくしょう!」
「爆ぜろ! 色男!!」
「呪われろー!!」
祝福半分、やっかみ半分の声をルドルフさんに投げかける男性達。
でも、そんな言葉を堂々と受け止めるルドルフさん。
彼はこれ以上ないほどの素敵な笑顔を彼らに返した。
「やれやれ、これで一安心だな」
黒いタキシードに身を包んだスキンヘッドの男性が、
目に涙を溜めてルドルフさんを見つめていた。
ルドルフさんの親友ハマーさんだ。
その傍らには、彼の奥さんと思われる金髪の女性が寄り添っている。
とても綺麗な方だった。
こうして結婚式は全て無事に終了した。
結婚式を式場にて見守っていた国王陛下が式の終了を宣言する。
「皆の者! この新しき『夫婦』に祝福を!
さぁ、式は終わった! 彼らの幸せを分けてもらうがいい!」
フィリミシアの町民全てを巻き込む大宴会が始まった。
そこには身分も何もなかった。
ただ、ただ……新郎新婦の門出を祝う者達が大いにはしゃぎ、
貴族も、一般市民も、肩を組み合ってお酒を飲みながら二人を祝っている。
それはあり得ない光景だった。
「これこそ、王様がもっとも狙っていたことだ。
フィリミシアに充満していた重苦しく暗い雰囲気は、
二人の式で吹き飛んでいる。
後は活力が戻れば、フィリミシアはもう大丈夫だろう。
王様も悪よのぅ……ふっきゅんきゅんきゅん!」
そうエルティナさんが話していたのを聞いたのか、
国王陛下がエルティナさんの下にやってきた。
「ふぉっふぉっふぉ、国王は悪じゃないと務まらんのじゃよ。
あの二人は良くやってくれた。
その幸せを以って、フィリミシアの『明日』を救ってくれたのじゃ。
これで民も希望を持って生きて行けるじゃろうて」
国王陛下の二人を見る目は、まるで我が子を見るそれと同じだった。
私にはわかる。
だって、その目は私のお父様とお母様の目と同じだったのだから。
その時、どよめきが起こった。
その理由はすぐにわかった……いや、わからない方がおかしい。
いつ接近してきたのか、
天にも届くような巨大な狼が私達を見下ろしていたのだ。
灰色の長い獣毛。瞳は黄金に輝き眼球は黒く染まっている。
凛々しいと感じるその顔には多くの古傷が刻まれていた。
「大老様! まさかお越しになられるとは!」
「ふふ……娘のともいえる其方の結婚式じゃ。
来ぬわけにもいかぬだろう?」
その巨大な灰色の狼が、人の言葉を使い話しかけてきたのだ。
その光景に驚く町民達。
私も驚きを隠せてはいない。
その巨大な灰色狼はルドルフさんを見て表情を強張らせた。
何か慌てているようにも見える。
どうしたというのだろうか?
「こ、これ! ルリや! 同性で結婚などワシは許さんぞっ!?」
「すみません、自分は男です」
いつものやり取りに、大爆笑する町民と困惑する巨大な灰色狼。
やがて灰色狼は人型に身を変え私達と同じ大きさまで縮んでいった。
灰色の長い髪を持つ、若い男性の姿へと変身したのだ。
その美しい顔付はルリさんによく似ていた。
彼は両腕を広げルリさんを招き入れると、彼女はその胸に飛び込んだ。
「大きくなったものだ。
ワシがカーンテヒルを離れて十年か。
最後に会ったのはおまえがまだ、こんな時じゃったかのぅ?」
「ひゃん、ひゃん!」
「この子はユキ。私達の子です
フェンリル様、私が最後に会ったのは十歳です。
この子よりも大きかったですよ?」
二人の足下にじゃれついてきた、
毛玉のような子犬を抱き上げるフェンリルと呼ばれた男性。
「ほっほっほ、そうじゃったか?
この子もルリに似て、美人になりそうじゃ」
フェンリルは水の上位精霊の名称だと教えられたのだけど、
この人はいったい何者なのだろうか?
雰囲気的に精霊でないことはわかる。
そして、この息苦しいくらいの圧倒的な存在感。
巨大な灰色狼の姿から、人型に変身した方がより一層に感じ取れる。
この方は……私達では到底届かない存在だ。
「フェンリル様、このような場所まで、わざわざ来られたのですか?
ソウル・フュージョン・リンクシステムを使えばよろしかったでしょうに」
この声は桃先輩だ。
どうやら、桃先輩もエルティナさんと
身魂融合をして式に出席していたようだ。
言われないと居るかどうかわからない人だからなぁ。
「その声はトウヤか。
この世界のフェンリル達はワシの戯れで残していった者じゃ。
五千年も前のことじゃが、この世界の水の精霊に惚れてしまってのう。
若気の至りというやつじゃ」
フェンリルさんは昔を懐かしむような顔をした。
そしてルリさんの頬を撫でる。
「ルリにそっくりじゃったよ……ワシが愛した女は。
それからじゃ、この世界のフェンリルの歴史が始まったのは。
ワシがあるプロジェクトに参加するまでは、
ずっとこの世界を見守っておった。
今でも長期休暇の際には赴いているんじゃよ?
最近は忙しくてそれどころではないがの」
フェンリルさんは、本当に我が子のようにルリさんを慈しんでいる。
ルリさんもまた、フェンリルさんを親のように慕っているようだった。
「特にこの子は可愛くてなぁ、来ずにはいられなかったのじゃ。
じゃが……これで、もう思い残すことはない。
ワシは、ワシの役目をまっとうすることにしよう」
ルリさんをキュッと抱きしめたフェンリルさんは、
そっと彼女をルドルフさんに託した。
「良い目をしている。
人の子、ルドルフよ……ルリティティスを任せたぞ」
「はい、お任せください。フェンリル様」
そう言い残したフェンリルさんは空に浮かび上がり、
再び巨大な灰色狼へと姿を変えて天に駆けていった。
「このためだけに、地球から駆けてこられたのか。
なんと情に厚いことか……」
桃先輩がポツリと呟く。
それに答えたのはエルティナさんだった。
「狼は家族を大切にするからな。当然のことだと思うんだぜっ」
彼女の言葉に「そうだったな」と一人納得する桃先輩。
そう、フェンリルさんは彼女を祝うためだけに、
抱きしめてあげるためだけに『地球』という場所から駆け付けたらしいのだ。
桃先輩に地球の場所を聞いてみたら、物凄い答えが返ってきた。
カーンテヒルから約五百億光年離れた場所にあるらしい。
単位がよくわからなかったけど物凄く遠いそうだ。
私達が何百回生まれ変わっても辿り着けない場所。
そこから駆けて来たのだから驚きだ。
こうして、ちょっとした驚く出来事もあったけど、
無事に二人の結婚式は終了した。
この結婚式は後の世に語り継がれることになった。
毎年多くのカップルがこの二人を習い、
冬に結婚式を挙げることになったという。
『フェンリル式』という、新たな結婚式のバリエーションが増えたのだ。
「凄い結婚式だったね」
「うん、凄かったね。
私もいつか、あんな結婚式が挙げられたらいいなぁ」
私の言葉の後、フォルテの繋いでいる手が少しばかり強くなった。
時間帯は夕暮れ時。私達は家へと戻る時間帯だ。
大人達はそのまま宴会を続行している。
夕日に照らされたフォルテの顔に少し陰りが見えた。
不安になった彼を心配し思わず声をかける。
「フォルテ?」
「ん? あぁ、メルシェならいつか……誰かと、
ルドルフさん達に負けないくらいの結婚式を挙げられるさ」
違う、その言い方だと、
私はフォルテ以外の人と結婚することになってしまう。
私はフォルテと幸せになりたいのに!
フォルテと一緒がいいのに!
でも、その言葉が出てこなかった。
フォルテの顔を見てしまったから。
彼の顔は酷く悲しげに見えた。
夕日の光が、偶々そういう風に見せてしまったのかもしれない。
でも……普段はこんな影のある顔をフォルテは見せない。
どうして……何故……そんな顔をするの?
「メルシェ、どうかした? 俯いたりして」
「え?」
彼に言われて自分が俯いていたことに気付かされる。
こんなことは初めてだ。
私はフォルテと一緒にいて俯いたことなんて、一度もなかったのに。
不安と疑問を振り払うべく、努めて明るく振る舞うことにした。
暗い考えをしていても、いいことなんて何もないからだ。
「ううん、なんでもない。さっ、帰ろ!」
「あぁ、帰ろうか」
笑顔を見せてくれたフォルテに私は安堵した。
やっぱり、さっきの顔は気のせいに違いない。
だって……彼と繋いでいるこの手はとっても温かいのだから。
暮れる夕日に別れを告げて、私達は家路へと就く。
今は別々の家へと。
でもいつかは、同じ家へと帰る日がきっと来ると信じて……。
◆ フェンリル ◆
地球からやってきた巨大な灰色狼。
バカンスのつもりでやってきたらしいが、
カーンテヒルの水の精霊に一目惚れして長いこと居座っていた。
ルリティティスとは彼女が生まれた時からの付き合い。
地球に戻るまでの間、ずっと見守っていた。
しかし、とある計画のために地球へと戻ることになる。
彼の腹の中には誰かが住んでいるらしい。
桃アカデミーにちょくちょく顔を出している。
トウヤとは桃アカデミーでの飲み友達。