237食目 ダナン・ジュルラ・ジェフト
◆◆◆ ダナン ◆◆◆
「さむっ! これだから、冬は嫌いなんだ!」
自宅の見慣れた部屋の窓からは、見慣れたくない白い妖精達の姿が見えた。
彼らは灰色の雲から飛び出して、俺達の地上に遊びにきているのだ。
既に地上は、白い妖精達で埋め尽くされている。
その地上の妖精達が灰色の雲の中にいる仲間達に、
早く来いと手招いているのだから堪ったものではない。
「雪かきする身になれってんだ……うぇっくしょんっ!」
たった一晩で、ジェフト商店の店先が彼らに不法占拠されてしまったのだ。
これに対し、俺は異議申し立てをおこないたかったが……
いかんせん彼らは人の言葉を理解できない。
エルティナなら「ふきゅん、ふきゅん」鳴きながら説得を試みるだろうが、
俺にはそんなことはできないし、したいとも思わない。
よって、白い妖精達には強制的に立ち退いてもらうしかないのだ。
まったく、彼らのやんちゃぶりには困ったものだ。
うちの店の客足が遠のくのは当然として、
復興途中のフィリミシアにとっても、はた迷惑な行為なのだから。
建物の再建作業前に雪かきで体力を消耗してしまうため、
思うように作業が進まないと、
リザードマンであるリックの親父さんがボヤいていた。
そりゃまぁ、あれだけ着込んでいれば体力が消耗する理由がわかる。
彼の姿は羊も真っ青なくらい着膨れていたのだ。
当然、息子であるリックも、もっこもこの姿で作業に当たっている。
「だぁぁぁぁぁぁっ! 降り過ぎだ、おまえらっ!」
俺は手早く寝間着から着替え部屋から飛び出し、
スコップを片手に店先の雪かきをしていたのだが、
こいつらは一向に降り止む気配を見せない。
むしろ、どんどん降る量が増えていっている。
頼むから俺に纏わり付かないでくれ。
何が嬉しいのかわからないが、彼らは人が大好きなのだ。
肌の熱で溶けてしまっても、すぐさま灰色の雲に帰り、
再び白い妖精になって抱き付いてくる。
「やれやれ……こりゃあ、時間がかかりそうだな」
もう雪かきが、『朝飯前』だなんて言えなくなってきた。
ふわりふわりと降りてくる彼らに溜め息をプレゼントし、
黙々と作業に集中することにする。
他の者が俺を見れば、死んだ目をして手を動かしているように見えるだろう。
その判断は恐らく正しい。
「おいぃ……ダナン、おはよう。目が死んでいるぞ?」
「あぁ、おはようエル。
今俺は死んでいるんだ。そっとしておいてくれ」
そんな生きた死体状態の俺に声をかけてきたのは、
これまた着膨れした白エルフの幼女だった。
彼女はもっこもこの羊を模した着ぐるみを着ている。
非常に温かそうだが、彼女くらいの幼女でなければ着こなせないだろう。
彼女は非常に小柄だ。
どう見ても同年代とは思えないくらいに。
現在、俺は八歳になったが、エルティナは三~四歳にしか見えない。
身長は百センチメートルを超えればいい方だと思われる。
夏の終わり頃から物凄く食べれるようになったらしいが、
その食べた栄養はどこに行ってしまっているのか、
彼女の体は相変わらず小さいままだ。
エルティナは「一センチメートル伸びた」と言ってはばからないが、
それはきっと、スラストさんにげんこつされたからだろう。
事実、次の日には身長が縮んでいたからだ。
「ダナン、そろそろ『仙術』の練習の時間だぞ」
「ゲッ! もうそんな時間かよ?」
そう、彼女の言うとおり、俺はカサレイムの一件の後、
桃先輩から『仙術』の指導を受けているのだ。
「おいでませ! 桃先輩!」
そう言ったエルティナの小さな手の平に光が集まり、
未熟な桃が姿を現した。
「おはよう、ダナン。
今日は随分と雪が降っているようだな」
「おはようございます、トウヤさん。
本当に参りますよ……この雪の量には」
「ふきゅん、今日は雪ん子達がハッスルしているからな。
ダナンの頭の上でコサックダンスをしているぞ?」
エルティナは増大する桃力の影響からか、
普段は見えも聞こえもしない精霊達を、
見ることができるようになっている。
俺にも、ほんの僅かに桃力が存在している。
それは俺の中に『宝具・魂の絆』が存在しているからだ。
ただし、俺は桃使いではないため自由に桃力を生産することはできない。
この僅かな桃力は『宝具・魂の絆』を使用するためのものであり、
エルティナのように無茶苦茶な能力を発揮することはできないのである。
「そうか……済まないが『雪』達に頼んでどいてもらってくれ。
俺はダナンの指導に入る」
「わかったんだぜ。
ふっきゅん、きゅーんきゅ~ん、ふっきゅんきゅん」
エルティナが突如鳴きだした。
別にこれは、ふざけているわけではない。
これが桃使いの特殊能力の一つ、声なき者達と対話することが可能になる
『桃言語』なのだそうだ。
ただし、彼女は正式な『桃言語』を使っていない。
自分で編み出した『珍獣桃言語』なのだそうだ。
よって、言葉ではなく鳴き声による対話になる。
普通なら直させるのだが、
桃先輩はこれはこれで利点があると判断して、
正式に採用することにしたそうだ。
その利点とは……エルティナの会話の内容が他者にはわからない、
という点である。
確かに内容を知られたくない時には非常に有用だ。
ただし、突然鳴き始めたら頭がおかしくなったと誤解されるのだが。
まぁ、珍獣だから問題はなさそうかな?
エルティナの説得が通じたのか、
店先に積もっていた雪が一人でに動き、
店の端っこに全て移動してしまった。
普通に見れば魔法でどかしたように見えるが、
雪の精霊達が自分の意思で移動したのだ。
この事実を魔法学会に報告すれば大騒ぎになるだろう。
基本的に精霊達に意思はなく、
魔力を消費して命令することで、初めて動くとされているからだ。
命令されない限り精霊達はただそこにいて、
自分の役割を果たしているだけなのだそうな。
それを彼女は魔力を消費せずに『説得』で動かしてしまったのだ。
無自覚の偉業を達成してしまっているのである。
他にも何かやらかしていそうで怖い。
「ふきゅん! 皆、お利口さんだぁ……! それじゃ、俺は行くぞ。
ダナン、訓練をしっかりとするんだぞ?」
そう言うとエルティナは桃先輩を俺に託して、
ヒーラー協会へと帰っていった。
ここ最近、彼女は忙しい日々を送っているようだ。
ヒーラー協会の三階に設置されている『治癒魔法研究所』にて、
新型の治癒魔法を開発中なのだそうだ。
更にはカサレイムのヒーラー達も指導しているようで、
かなりハードな日々を過ごしているらしい。
彼女の護衛に付いているルドルフさんとザインも同様に、
過酷な日々を送っているようだ。
「ここ最近、エルティナに余裕がないな……」
「きみにもわかるか……。
エルティナは、無意識のうちに焦っている感じがある。
それは俺も同様だ。
とにかく時間がない、決戦の日までに多くのことをしておかねば。
早速、仙術の訓練を始めよう」
確かに俺達の時間は限られている。
しかし、桃師匠によって、
体が未熟な俺達は激しい訓練を禁止されているのだが……
知識や技となると話は別だ。
それに俺は、桃先輩……トウヤさんからエルティナを支えてやってくれと、
直々に頼まれている。
だから、自分が身に付けれるものであれば苦労はいとわないつもりだ。
それは自分のためにもなるしな。
更には、俺の活躍を見たヒュリティアの好感度もアップするって寸法だ!
エルティナの話によれば、ヒュリティアは踊りの才能があったらしく、
有名な踊り子の師事を仰ぐことになったと聞き及んでいる。
うへへ……早く見てみたいものだ。
おおっと! いけない! そのためにも今は自分を磨き上げなければ!
俺はトウヤさんと、何度目かになるかもう覚えていない仙術の訓練のために、
自分の部屋へと帰っていった。
『それでは始めよう』
トウヤさんとの身魂融合を果たし仙術の訓練を始める。
彼は相変わらず青春の味がした。
今おこなっている仙術は桃使い達が改良した『桃仙術』というものだ。
俺はその中の『幻』という系列を習っている。
これは要するに自分の姿を隠したり、相手を惑わせたりする術だ。
トウヤさんの得意とする系列らしい。
桃仙術は『気』消費して発動させる。
『桃力』が一番効率がいいらしいが、『気』でも問題なく発動できるそうだ。
まさか、自分が漫画の世界のように、
『気』を操るようになるとは思ってもみなかった。
しかし、実際に『気』を練ってみると拍子抜けだった。
別に周りの『気』を感じることもないし、強くなった気もしないのだ。
これは『気』が、ただの生命エネルギーであるためだ、
とトウヤさんが教えてくれた。
攻撃に使うのであれば、必要な手順を踏まなければならないし、
莫大な量の『気』を消耗することになるので、
『気』単体での使用は現実的ではないそうだ。
格闘家達が『気』を纏って戦っているが、
あれは無意識のうちに『気』を攻撃性のものに変化させているのだそうだ。
長い年月の鍛錬が自然とそうさせるらしい。
当然、俺はそんなことはしていないし、続かないだろう。
そもそもが、戦うという選択肢が俺にはない。
俺は『気』を練り始める。
必要な『気』を練り終えるまでの時間は十五秒。
戦闘中においては、軽く二~三回は死ねる時間だ。
これを一~二秒に減らすことが第一目標である。
気を練り終えたら、今度は『桃仙術・幻』を発動させる。
発動させるのはもっとも簡単な『幻身』だ。
この桃仙術は自分の身体、
あるいは対象の身体の一部を幻で包み、
変化したように見せかける術だ。
桃使いは『桃力』によって、実際に肉体を変化させることができるらしい。
鳥になって空を飛んだり、獣になって地を駆けたりするそうだ。
『幻身』を発動させた俺は続けて『桃仙術・五感』を発動させる。
これは自分の五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を強化、
または延長させたりする術だ。
『桃仙術・五感』を極めれば、対象に『付加』することが可能になる。
これにより、盗聴器のような物を簡単に作れるようになるわけだ。
俺は現段階で、五感の延長しかできていない。
五感の強化はかなり難易度が高いのだ。
よって『幻身』と組み合わせて使用するのはこの形態だ。
今の俺の姿を他人が見れば腰を抜かすことだろう。
俺の姿は、首が異常に伸びている状態だ。
いわゆる『ろくろ首』と呼ばれる妖怪の姿になっている、
と言えばわかり易いだろう。
この姿は当然のことだが『気』で作り出した幻である。
しかし、五感の延長によって、幻の頭からは高い場所にある映像や音、
更には風の感触までもが伝わってくるのだ。
……あ、こんなところに穴が開いていやがる。
ネズミの仕業だな?
まったく、あいつらときたら……入ってきたなら塞いでおけよな。
『ふむ、随分と手際良く発動できるようになったな。
そろそろ次の桃仙術を教えてもよさそうだ』
『え? まだ極めてないですよ?』
俺の魂会話に苦笑するトウヤさん。
何か変なことを言っただろうか?
『それを極めるには、きみの時間が足りない。
俺も得意な方だが、百年間もの間ずっと修練してようやく極めたのだ。
それよりも基本を身に付けて、
多くの桃仙術を使えるようにした方がいいだろう』
『そ……それは確かに、手数を増やした方がよさそうですね』
人間の俺では、極めることは到底できなさそうだ。
俺にできることは、それに近付くことだろう。
それでもいい。
俺なんかが、少しでも皆の役に立つのであれば、
苦労しても色々と身に付けてやる。
今は大したことはできないが、トウヤさんが憑いて教えてくれるかぎり、
決戦の日までにはものにして見せるさ。
……まぁ、見てなって!
◆ダナン・ジュルラ・ジェフト◆
人間の男性。
赤い髪を七三分けにしている。薄い眉に高い鼻。たれ目には紫の瞳。
ひょろっとした背の高い商人志望の少年。将来は父親の店を継ぐこと。
桃使いの宝具『魂の絆』を身に宿す。
転生を自覚してる人物の一人。得物は吹き矢。桃仙術を習得中。
一人称は「俺」
エルティナは「エル」