236食目 ヒュリティア
◆◆◆ ヒュリティア ◆◆◆
季節は冬。
空から穢れのない純白の精霊達が舞い降りてくる季節。
今頃、フィリミシアの町には雪が積もっていることだろう。
私がそのようなことを考えている理由はただひとつ。
ここがフィリミシアではないからだ。
「ふきゅん! ヒーラーの心得! 唱和!」
「一つ! ヒーラーは命を尊ぶべし!」
「一つ! ヒーラーは私利私欲に走ってはいけない!」
「一つ! ヒーラーは研鑽を怠るべからず!」
「一つ! ヒーラーは健やかにあるべし!」
「一つ! ヒーラーは目の前にある命を決して諦めてはならない!」
ここはミリタナス神聖国領に存在するカサレイムの町だ。
冬の季節にもかかわらず、半袖でなければ暑くて敵わない。
何故私達がカサレイムの町に再び来ているのかといえば、
以前にこの街に来た際に、
エルティナがこの町のヒーラー達の実態を知ってしまったからだ。
「ふきゅん! よぉし! きちんと言えたな! 褒めてやろう!」
「ありがとうございます! マム!!」
そのことを捨ててはおけないエルティナは、正式な手続きを踏んで、
ミリタナス神聖国の教皇様にこの旨を報告したそうだ。
三日後、私の下に『勝訴』と書かれた紙を持ってエルティナがやってきた。
いったい何と戦っていたかはわからないが、
彼女はやりきった表情をしていた。
取り敢えずは目的を達成した様子で、
教皇様から「好きなように鍛えてほしい」と言われたそうだ。
そのことを私に伝えたエルティナは不気味な笑みを浮かべた。
教皇様は知らないのだ。
指導者になったエルティナの厳しさを。
何人もの若手ヒーラー達を恐怖させた彼女の教育方法を。
私はカサレイムのヒーラーに応急処置の方法を指導してほしいと、
エルティナに要請された。
断る理由もないので二つ返事で引き受ける。
また戦争もないとは限らないので、
少しでもヒーラー達の役に立てるのであれば、やぶさかではない。
カサレイムにはミリタナス神聖国の大神殿から、
神官専用の『テレポーター』で向かった。
同行者は護衛のルドルフさんとザイン。
そして、ハマーさん率いる騎士四十名。
大神殿からは、白神官長のノイッシュという方が同行を申し出た。
エルティナは一週間に三回ほど、カサレイムのヒーラー達を指導するらしい。
……日にちが少ない。
これは嫌な予感がする。
エルティナが、カサレイムの町の治療所に来た当初は大混乱が生じた。
彼女は、なんの連絡も入れずに、いきなり殴り込みを入れたのだ。
カサレイムの治療所には初めて来るが、
フィリミシアのヒーラー協会とは違い、随分と荒れていた印象を持った。
まず、そこかしこにゴミが散らばり不衛生。
中には酒瓶まで転がっている有様だ。
中にいたヒーラー達もだらしない恰好をしており、
見よう見寄っては、ごろつきか山賊に見える者までいる。
「くるるあぁ!
おまえら、ちょっと気合い入れ直してやんよぉ!」
「ん? なんだこのガキは?」
「喧嘩でも売りに来たのか!? お嬢ちゃんよぉ!」
案の定、一触即発の状態になる。
しかし……そこにノイッシュ白神官長が割って入った。
「静まれぇい! この方こそ『聖女エルティナ』様である!
頭が高い! 控えおろぉう!!」
「げぇ!? ノイッシュ白神官長!!」
「ま、まさか……本物ぉっ!?」
「し、しかし! 偽物の可能性が……」
どうやら、まだ信じていない者がいるようだ。
きちんと連絡して来ないから、このようなことになる。
そのようなことを思っていたのだが、
エルティナは右手の中指に着けた指輪をヒーラー達に突き付けて言った。
「ふきゅん! この紋章が目に入らぬかっ!」
恐らく……彼女はこれがやりたかったのだろう。
非常にしょうもない。
しかし、騒がしかった治療所が一瞬にして静まりかえった。
それは噴火前の火山のようであり、
背中に冷や汗が流れていくのをはっきりと感じ取ったので、
私は咄嗟に耳を閉じた。
「そ、その紋章は!? 大神殿のっ!!」
「ミ……ミミ、ミリタナスの指輪っ!?」
「そ、その魔力の波長は……はわわわ!!」
治療所は一瞬にして大混乱に陥った。
ヒーラー達は大声で悲鳴を上げ慌てふためく。
エルティナは「ふっきゅんきゅんきゅん!」と大声で笑い、
ノイッシュ白神官長は狂ったように高笑いを繰り返していた。
ルドルフさんとザインは、こめかみの辺りがピクピクしている。
いつも苦労しているようで哀れに思った。
「静まれ、静まれぇい! 聖女様の御前である!!」
ノイッシュ白神官長は一通り笑って満足したようだ。
この事態の収拾を図ってくれた。
彼の言葉を受けて平伏すヒーラー達。
そんな彼らに、エルティナは告げた。
「今日より週に三回、おまえらヘナチョコを指導することにした!
一から鍛え直してやるから覚悟しろ!
尚、拒否権はない!!」
聖女であるエルティナの言葉を受けて、色めき立つヒーラー達。
この時、彼らは知らなかったのだ。
これが『地獄の始まり』だということに……。
エルティナはまず、ヒーラーの心得を叩き込むことにしたようだ。
フィリミシアのヒーラー達は全員暗記している心得だが、
カサレイムのヒーラーは殆どの者が覚えていない有様だった。
このことに激怒したエルティナは、心得を正確に復唱できなかった者に、
『ケツバット』と呼ばれる罰を与えた。
要は棒でお尻を叩くお仕置きだ。
だが、叩く人物が問題であった。
「それっ」
「ぴぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
エルティナが急遽呼び寄せた人物……それは、ユウユウ・カサラであったのだ。
彼女が軽く振った『丸太』で尻を叩かれ悲鳴を上げる中年ヒーラー。
これは、もう木の棒と言っていいかわからない。
「ほらほら……もっと、いい声で鳴きなさいよ? クスクス……」
「心配するな。
死ななければ『ヒール』で治してやる。
何度でも……何度でもなぁ! ふっきゅんきゅんきゅん!」
二人のドS少女の出現に、治療所は一瞬にして凍り付いた。
彼らは甘く見ていたのだ。
エルティナの恐るべき指導方法を。
「さぁ! もう一度ヒーラーの心得を復唱だ!」
「は、はい! 聖女様!!」
彼らの命懸けの授業が始まった。
それを横目に、私は若手ヒーラー達に応急処置を教えている。
「い、いつもは威張り腐っている先輩達が……」
「……見ない方がいいわ。トラウマになるから。
それよりも、この方法は役に立つから覚えておいて」
若手ヒーラー達は私が教える応急処置に関心を示したようで、
とても真剣に指導を受けていた。
すぐ傍の非現実的な光景から目を背けているとも言えるが。
「クスクス……そぉれ」
「ぶひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
カタカタと若手ヒーラー達が恐怖に震えてきた。
いつだったか……モルティーナのことを『仕事の鬼』と言っていたが、
それならばエルティナは『指導の鬼』だ。
ユウユウは……『鬼』でいいのかしら?
いや、それだと敵になってしまうからダメだ。
うん……『おしお鬼』というのはどうだろうか?
……いいかもしれない。
「あの……どうしたのですか?」
「……いえ、なんでもないわ」
どうやら、少し笑っていたようだ。
気を引き締めて指導に当たろう。
指導初日ではあったが、
若手ヒーラー達はしっかりと応急処置を覚えてくれた。
きっと、隣で繰り広げられていた凄惨な光景を見てしまったからだろう。
「ふきゅん! 今日はここまでだ!
二日後にまた来るから、それまでに完璧に頭に叩き込んでおけ!!」
「イ、イエス! マム!!」
いつの間にか聖女様から『マム』に呼び方が変わっていた。
別にエルティナは、そう呼べと言っていなかった気がするが……?
「クスクス……またね?」
「ははー! お待ちしております! 女王様!!」
そして、何故かユウユウは女王様と呼ばれていた。
彼らは別の意味で、良く訓練されてしまったのかもしれない。
それから二日後……私達は再びカサレイムの町を訪れた。
メンバーは前回と同じだ。
「おいぃ! おまえら! 俺が帰ってきたぞぉ!!
きちんとヒーラーの心得を頭に叩き込んだかぁ!?」
「イエス! マム!」
一糸乱れぬヒーラー達の姿勢。
返事のタイミングまで完璧だ。
「クスクス……ご機嫌いかがかしら? また会えて嬉しいわ」
「おかえりなさいませ! 女王様!」
エルティナはカサレイムのヒーラー達をどうしたいのだろうか?
もう既に、おかしな方向に突き進んでいるように思われる。
ヒーラーの心得の復唱は一人を除いて完璧だった。
間違えたのは中年の太った男性ヒーラーだ。
「ほぉら、ご褒美よっ」
凄まじい音と悲鳴が治療所に響いた。
その音と悲鳴に怯える若手ヒーラー達。
「ありがとうございます! 女王様!!」
そして、何故か恍惚の表情を浮かべる、ケツバットを受けた中年ヒーラー。
彼はもう手遅れだったようだ。
「……見ちゃダメよ。彼はもう手遅れだわ」
「グディック先輩……ざまぁ」
「ぷーくすくす……ざまぁ」
どうやら、グディックと呼ばれた、
太った男性ヒーラーは嫌われているようだ。
きっと、若手ヒーラー達に威張り散らして人望を失っていたのだろう。
まぁ、正直な話……彼のことはどうでもいい。
私は私の務めを果たそう。
今日は心肺停止状態の蘇生方法だ。
生きてさえいれば治癒魔法が効果を発揮する。
若手ヒーラー達は今回も真剣に私の話を聞き、
有用な応急処置の技術を身に付けていった……。
カサレイムのヒーラー達の指導が終わり、
今日は軽くカサレイムの町を散策することになった。
丁度、夕食の時間だったので『ガムラ』というレストランに行き、
『カサレイムライス』という物をご馳走になったのだが、
それはボリュームがあり、
しっかりとした味付けで素晴らしく美味しかった。
フォリティア姉さんにも食べさせてあげたかったな。
その際、何故かルドルフさんは女装させられていた。
店のウェイターの態度が、彼に対してのみ大袈裟だったが……まさかね?
そのウェイターに見送られて店を後にした私達は、
飲食街の中央広場にて足を止めることとなる。
「ふきゅん! 踊り子が踊るみたいだぞ!
よし! 舐め回すように見つめてやるんだぁ……!」
エルティナが踊りだそうとしている半裸の女性の踊り子に、
夢中になってしまったのだ。
彼女は長い黒髪の人間の女性で、とてもくっきりとした顔立ちをしていた。
その黒い肌は淡い月の光と、かがり火の力強い光に照らされ、
つやつやと輝いていて妙に艶めかしい。
彼女の踊りが始まった。
その踊りは優雅だが、時には激しく、時には儚げで、
私はぐんぐんとその踊りに引き込まれていった。
彼女の踊りに感動したエルティナも踊り出すのだが……。
「ふきゅん! ふっきゅん! ふんふん! ほあぁぁぁぁっ!」
その踊りは、あまりにも奇妙だった。
どういうわけか、その踊りを眺めていた者達は体調不良を訴えている。
「うっ……ま、魔力がっ!?」
「ど、どういうわけだ! 魔力がどんどんなくなってゆく!?」
逆にエルティナは、どんどん元気になっていっているように見える。
まさか……彼女の踊りで『呪い』が発生している?
そもそも、踊りは呪術にも使われているものなので、
あながち……そうではないとも言えない。
やがて、踊り子の踊りは終了し、
拍手と喝采に見送られて彼女は去ってゆく。
後に残ったのは、おひねりを拾う彼女の仲間と、
エルティナの奇妙な踊りに倒れた観客達だけであった。
「ふっきゅんきゅんきゅん! どうやら、俺の出番のようだな!」
何を思ったのか、エルティナが先ほどまで踊り子が踊っていた場所に立ち、
あの奇妙な踊りを披露しようとしていた。
「お? なんだ、なんだ? 今度はお嬢ちゃんが踊るのか?」
「そうだぁ……よく見ているがいい! ユクゾッ!」
くねくねと奇妙な踊りを踊り出すエルティナ。
これは酷い。まったく踊りになっていない。
そして、バタバタと倒れてゆく観客達。
……そろそろ止めないと。
「……エル。その踊りは、さっきの人の踊りと違うわ」
「なん……だと……? 俺は完璧にトレースしていたはずだぁ……!」
まったく違うことに気が付いていないのか、
彼女は酷く驚いた表情を見せた。
「……よく見ていて。
さっきの踊り子は、こんな感じで踊っていたわ」
私は先ほどの踊り子が踊っていた動きを『再現』させた。
自分の手足が意思とは関係なく、自動的に動いてゆく。
いつものこと、とはいえ妙な感覚だ。
「ふきゅん! ヒーちゃん凄いんだぜ! 完璧だぁ……」
本当は『固有スキル』を使ったズルなのだが、
これは別に試験でもなんでもないので良しとする。
フォリティア姉さんから聞いた話によれば、
この世界には『固有スキル』という、
その人物特有のスキルがあるそうだ。
書物から会得するスキルとは違い、
もともと個人、個人に、秘められているもので、
どのような者でも、最低一つは持って産まれてくるらしい。
発現条件は不明で、一生秘めたままのスキルである場合も多い。
そんな固有スキルを、私は生まれた時から発現させていた。
私の固有スキルは『再現』。
これは、見た技術や魔法を自動で再現させるスキルだ。
私は黒エルフなので魔法が使えないため、
再現できるのはそれ以外の技術となる。
また、私の肉体の限界を超える技術も当然、再現できない。
意外と制約がある固有スキルなのだ。
よって、現在ではこのようなことや、
フォリティア姉さんの調薬の技術を
再現させる程度のことにしか使用していない。
「うおぉぉ……ヒーちゃん、綺麗なんだぜ!」
エルティナが興奮して手足をバタバタさせている。
更には、私の踊りに合わせて観客達が手拍子をしてきた。
なんだろう……この気持ちは?
鼓動が高まってくる、気持ちが抑えられない。
体の奥底から、何かが飛び出しそうな感じがする。
「そう、そう! 開放して! 貴女の心を!」
先ほど踊っていた踊り子が、いつの間にか私の踊りを見ていたようだ。
私は彼女の言われるがままに、心を『解放』した。
気持ちいい!
抑えつけられていたものが、体から飛び出てゆくのがわかる!
踊りがこんなにも、気持ちがいいものだったなんて!
「こ、これは……魔力が回復して……!?」
「まさか、この踊りって!?」
エルティナの奇妙な踊りで倒れた観客達が、次々と起き上がってゆく。
いったい、どうなっているのかわからない。
でも、そんなことはどうでもよかった。
今の私は踊りに夢中になっていたのだから。
できるなら、このまま体力が尽きるまで踊っていたい!
しかし……『再現』による踊りは、終わりを迎えようとしていた。
「そこで一回転! ターンしてポーズ!」
踊り子が私の踊りを誘導してくれている。
自動で踊ってはいるのだが、ありがたいことには変わりない。
私は踊りを完璧に再現するために集中する。
やがて、私は『再現』による踊りを終えた。
その直後、割れんばかりの拍手と喝采が私を包み込んだのだ。
凄い……この拍手と喝采は、全部私のために……?
「凄い踊りだったぞ~!」
「お陰で体調が良くなったよ!」
「黒エルフの幼女ダンサー……これは流行る!」
そんな彼らに私はお辞儀をして、
拍手を送ってくるエルティナ達の下に帰った。
今日、初めて踊りを踊ったのだが……
こんなにも気持ちがいいだなんて知らなかった。
……癖になりそう。
エルティナ達にもみくちゃにされていた私に声をかけてきたのは、
先ほど私の踊りを誘導してくれていた踊り子だ。
「素敵な踊りだったわ。
私はマディ、旅の踊り子よ」
「……ヒュリティアです」
差し出された手を握り、私達は固い握手をした。
それが、私の師匠との初めての出会い。
やがて……私は彼女の技術を受け継ぐことになる。
『月明かりの踊り手』マディ・デアルコの全ての技術を。
この時はまだ、そんなことになろうとは
思ってもいなかったのであった……。
◆ヒュリティア◆
黒エルフの女性。
腰まで伸びた銀の髪。健康的な褐色の肌。耳は長くスマート。
将来美人になるのが約束されている顔立ち。
猫のように、くりっとした目には緑色の瞳。さくらんぼのような唇。
細く長い整った眉。すっと、通った形の良い鼻。
姉が一人いる。母親は既に他界。
使用武器は両手剣。
固有スキルは『再現』
一人称は「私」
エルティナは「エル」