234食目 シーマ・ダ・フェイ
◆◆◆ シーマ ◆◆◆
がたがたと窓が鳴り、隙間から強烈な冷気が部屋の中に不法侵入を果たす。
私がもっとも恐れている季節が、その冷酷な笑みを湛えてやってきたのだ。
築八十年になる我が屋敷を修繕する資金はなく、
今年も寒さと飢えに耐え忍び、春を切望する日々が始まるとなると、
絶望感が半端なものではなくなる。
だが、私はこう見えても元上級貴族の娘。
このようなことに屈するわけにはいかないのだ。
いつかまた、フェイ家の輝かしき栄光を取り戻すその日まで!
「ぶえっくしょいっ! ええい! 小賢しい隙間風めっ!」
ここまでフェイ家が落ちぶれてしまったのは、
先代の当主であったジャミーお爺様が、
権力争いに敗れてしまったからに他ならない。
現当主であるバースクお父様もがんばってはいるが、
今ひとつ成果を上げられずじまいである。
かくなる上は、この私がフェイ家を立て直すしかないではないか!
幸いにも、私がかよっているラングステン学校には、
この国の王子であるエドワード様が在学している上に、
奇跡的に私と同じクラスなのだ。
この絶好のチャンスを逃す手はない。
必ずやエドワード様を私の虜にし、フェイ家再興の足掛かりとしてみせる!
……そのためには、あの白い珍獣をどうにかしなくてはならない。
ええい、忌々しい!
あの「ふきゅん、ふきゅん」と鳴く珍獣さえいなければ、
もっと簡単に事は進んでいたというのに!
私は思わず、がりがりと親指の爪を噛んでしまった。
これは癖なのだが、気付いていても治せない癖というものはあるものだ。
こうなってしまったのも、全ては珍獣エルティナのせいである。
おのれ、珍獣! 極めて許しがたい!
ただでさえ許しがたいのに、その珍獣はこの国の聖女の座に就いているのだ。
あぁ……妬ましい!
更には『モモガーディアンズ』なる軍団のリーダーでもある。
妬ましい! あぁ、妬ましい!!
最悪なことに、ヒーラーとしての上司でもある。
あ~~~~~もうっ! 本当に妬ましいったらありゃしない!
「おねぇたま、どうちたんでしゅか?
おからだをくねくねちてまちたが?」
「べるもんどっ!?」
可愛い弟に急に声をかけられて驚いた私は、
思わず奇妙な声を上げてしまった。
いかん、冷静になれ。
元上級貴族はこれしきのことで、取り乱しはしないのだ!
「ん? あぁ、ちょっと体を解していただけさ。
さ、ここは体に障る、暖炉のある居間に行きなさい」
今年二歳になる、弟のエリトは病弱であった。
それは、良い食事をさせてやれていないからだ。
もっと、良い物を食べさせてやることができれば、
このようにやせ細り、辛い病気にさせることもなかったろうに。
やはり、これも珍獣が悪いのだ。
妬ましい! 妬ましいなっ! 珍獣!!
エリトに私の上着を羽織らせ、居間に向かうように背を押す。
その際に、そのあまりに痩せている背中の感触にショックを受ける。
このままでは、エリトは長く生きられないのではないかと。
部屋に戻った私はショックのあまり、
タンスの角に足の小指をぶつけてしまった。
「がぁぁぁぁぁぁぁっ! ダ、ダメージが違い過ぎるっ!」
お、おのれ! 珍獣!!
そこまでして私を苦しめるのか! 絶対に許さんぞ! 珍獣め!!
もうなんだっていい! 全部珍獣が悪いのだ!
あぁ! 妬ましい! 妬ましい!!
はぁ……はぁ……いかん。
貴重な体力をこのようなことに使うわけにはいかない。
今日は学校が休みで給食が食べられない。
よって、今日の食事はパンの耳三切れだ。
私の削った食費は全てエリトに回している。
なんとしても、エリトには丈夫に健やかに育ってもらわなくては。
次期当主であるあの子には、フェイ家の未来がかかっているのだから。
学校が休みの日には、ヒーラー協会にてヒーラーとして活動している。
これは忌々しい珍獣の卑劣な罠に、
不甲斐なくも引っかかってしまったからである。
「ふん、次の者入って来るがいい!
……これは骨にひびが入っているな!
この程度のひびなどかすり傷だ! 男がメソメソするでないわ!」
『メディカルステート』で患者の症状を把握し、的確に部分治療を施す。
骨のひびだけであれば『ボーンヒール』で十分だ。
……が痣ができているな。
念のために『マッスルヒール』で治療しておくか。
治癒魔法を二つ使って治療すると、時間はかかるが効率よく治療ができる。
無論、カスタマイズは必須であるが。
しかし、結果的には魔力を節約できるので、
より多くの患者を治療することができるのだ。
これを考え出した珍獣は、ヒーラー界の革命児だ。妬ましい。
その珍獣は現在、ミリタナス神聖国のカサレイムに出張中である。
カサレイムのヒーラー達を、徹底的に叩き直しているのだそうだ。
お節介にもほどがある。
「……どれ、見せてみろ。
これは……いったいどうしたんだ? 酷い火傷ではないか」
「それが……この子が料理中に手を滑らせて、煮立った油に手を……」
その患者は母親に連れてこられた、五歳くらいの女の子だった。
ぼろぼろと涙をこぼし、声を押し殺している。
「ふん、ドジめ。
気を付けないから、母親に心配をかけさせるのだ」
私は『メディカルステート』で患者を診る。
ケガの症状は明らかに火傷だが……
それでも『メディカルステート』をおこなうにはわけがあるのだ。
「っ! これは……!?」
私は少女の頭部に異常を発見した。
脳が腫れて膨張しているのがわかる。
頭蓋骨にもひびを確認。
そして、この傷は今日できた傷ではない。
そういうことだったのだ。
少女は数日前に転倒でもして、頭を強打したのだろう。
その結果、脳に異常が生じて腫れ上がり圧迫した。
そのために調理中に意識を失いかけて、油に手を突っ込んでしまった。
推測であるが、真実に近いだろう。
場所が場所なだけに、私では手に余る。
「問題が発生した。まずは火傷を治す。
治療後は、そのままここで待っているように」
私は痛みで苦しんでいる少女の火傷を『スキンヒール』で治療した。
火傷の跡も残らずに綺麗に治療が完了する。
少女は火傷が治って嬉しそうにしている。
つまりは、頭部に痛みを感じていないのだ。
頭部の異常に自覚症状がない。
これがどれほど恐ろしいことか。
私は『テレパス』を使い、急いでスラスト先生に事情を説明する。
少女の脳の腫れは極めて危険な状態だ。
よく生きていたと感心するほどに。
慌てて駆け込んできた、スラスト先生による治療が開始された。
もちろん、私も彼のサポートとして手伝うことになる。
「よし……やるぞ。
自覚症状はないそうだが、痛覚を遮断させてから治療をおこなう。
痛覚遮断医療魔法『ペインブロック』起動」
「了解しました。
痛覚遮断医療魔法『ペインブロック』起動」
痛覚遮断医療魔法『ペインブロック』は珍獣が開発した医療魔法の一つだ。
この魔法は対象の痛覚を遮断させる効果がある。
それにより、対象の患者は痛みを感じなくなるのだ。
主に脳や心臓などの、損傷すると致命的になる箇所の治療の際に使われる。
痛みで患者が動いては治療ができなくなるからだ。
しかし、問題になるのは……その消費魔力だ。
一秒単位の消費魔力が『ヒール』三回分という、とんでもない消費量なのだ。
なのだが……何故か私は十秒間にたった1MPしか消費しない。
理由はわからないが、このことが発覚すると、
私は途端にヒーラー達に引っ張りだこになった。
最近は繊細な箇所の治療が増えてきており、
博打のように適当に『ヒール』を使用するヒーラーが減少しているのだ。
その結果、命を救われる患者が増えてきている。
このことでわかるように、
治癒魔法も万能ではなかったのだ、と思い知らされる。
「『メディカルスコープ』起動! 続いて『ピンポイントヒール』起動!
オペを開始する!」
「了解、サポートに入ります」
医療用透視魔法『メディカルスコープ』は、
患者の患部を肉体越しに透視して見ることができる。
消費魔力は十秒間で1MP消費。
そして、極所部分治癒魔法『ピンポイントヒール』は、
極々狭い範囲を治療する魔法だ。
『ヒール』は外傷などは完璧に治すことができるが、
実は内臓部分はかなり適当に治してしまう傾向があるのだ。
これは治癒の精霊に上手く指示ができていない、
ということを突き止めた珍獣が、改良を加えた『ヒール』なのだ。
通常の『ヒール』には、治癒の精霊が最低でも十体は宿っているそうだ。
この十体にどれだけきちんと指示ができるかで、
ヒーラーの力量が変わってくるらしい。
それに対して『ピンポイントヒール』は精霊がたったの一体である。
では、効果がまったくないかといえば……NOだ。
たった一体であるが故に、こちらの指示を的確に、
そして正確におこなってくれるのだ。
この考えには驚かされた。
魔法使いは皆、いかにひとつの魔法に多くの精霊を詰め込めるか、
に躍起になっているというのに逆に減らして効果を高めてしまったのだ。
珍獣の癖に生意気だ。妬ましい。
使用魔力は一回につき1MP。
しかし、範囲が狭く継続して使用することになるので、
結局は大量に魔力を消耗する。
しかも『メディカルスコープ』との併用が殆どなので、
この治療方は時間との戦いでもあるのだ。
私はスラスト先生の流れる汗を、タオルで拭きとるのが仕事だ。
もちろん『ペインブロック』も維持させる。
三十分ほどして無事にオペは終了した。
簡単な動作チェックをしたが、後遺症などの問題はなさそうである。
「本当にありがとうございました」
「ありがとー、スラスト先生。シーマちゃん先生」
笑顔を見せて、母親と少女は治療所を後にした。
彼女達の姿が見えなくなると、緊張の糸が切れて大量の汗が噴き出てくる。
「お疲れだったな、シーマ君」
「とんでもない、スラスト先生の方がお疲れでしょうに」
まったく、これで今日使用分の魔力が半分以上なくなってしまった。
こんなことを、平然と一人でこなす珍獣が妬ましい。
「ほら、モモセンセイだ。
魔力を回復させておいてくれ」
「ありがとうございます」
私がここに来てから何度、この果物のお世話になっただろうか?
この不思議で温かい気持ちにしてくれる果物は、
やはり珍獣が創り出しているそうだ。
極めて妬ましい。
休憩をはさみ、ある程度魔力を回復させてから午後の診察を開始する。
流石はモモセンセイだ。
半分以上なくなっていた魔力が満たされているのがわかる。
モモセンセイと睡眠の効果は最強のコンボなのだ。
そして、何事もなく午後の診察は終了した。
そうそう午前中のようなことがあっても困る。
あれは滅多にない緊急事態だったのだ。
「お疲れさま。今日の日当だ。
少し色を付けておいた、何か美味しいものでも買って帰るがいい」
カルテを掻き終え、スラスト先生に報告して日当を受け取る。
それが段々と日課になってきている。
これも珍獣の責任だ。おのれ珍獣。
そして……ありがとう珍獣。
私は手に入れた日当を少し使って、
露店街にて栄養があり、美味しそうな食べ物を購入し、
愛する弟と愛する両親の待つ、
くたびれた我が家へと帰っていったのであった。
◆シーマ・ダ・フェイ◆
人間の女性。
綺麗で艶のある紫の長髪を七三分けにして、先端を青いリボンで結んでいる。
切れ長の鋭い目には緑色の瞳。
全体的にきつい感じがするが、十分器量が良いと言える。
一人称は『私』
エルティナは『聖女様』
心の中では『珍獣』