228食目 グリシーヌ・リリシム・ディランクス
◆◆◆
ダメだ……どうしても、今の私では彼の隣に立つことができない。
練習用の的である太い丸太に、手に持った練習用のこん棒を叩きつける。
その二つがぶつかり『コーン!』という軽い音が響いた。
ダメなのだ……軽い音では。
もっと重い音でなければ。
これでは到底、敵を打ち倒して彼の背中を支えることはできない。
彼の……ブルトンの傍にいることなんてできない。
焦る私の脳裏に、お父様が私に言った言葉が鮮明に呼び起こされる。
「おまえではブルトン『を』幸せにすることはできない。
彼とおまえでは、身分も力も違い過ぎる。
グリシーヌ……おまえは戦いには向かない娘なのだ。
戦士として生まれた彼とおまえとでは、生きる世界が違う。
ブルトンの決心を無駄にするな」
私がブルトンに出会ったのは四歳の頃。
彼は代々、私の家に使える家臣の子として産まれた。
彼は無口で素っ気なかったが、
いつもドジな私のことを気遣ってくれていた。
私の失敗も肩代わりして怒られてくれることもしばしば。
彼は私にとても優しかったのだ。
私がその気持ちに気が付いたのは、
ラングステン学校に入学する三か月ほど前。
私は彼を夜の庭に呼び出して『告白』した。
オークの国では珍しいことではない。
私の姉も私の頃に今の旦那様に告白したのだから。
勇気を持って告白した私だったが、
返ってきた返事は望まぬ言葉であった。
「……申し訳ありません、グリシーヌお嬢様」
ブルトンはそう言うと、足早に去って行った。
私は何が起こったのかわからず、呆然と立ち尽くすだけだった。
その二日後……ブルトンがオークの国を去ったと聞かされた。
私は理由を聞き出すために、お父様に詰め寄ったのだ。
「ブルトンはおまえの幸せを考えて、この国を去ることにしたのだ。
彼とおまえとでは……身分が違う」
オークの国では厳しい身分制度が根強く残っていた。
それが私達の関係を許してはくれなかったのだ。
こればかりは、私がわがままを言っても、どうにもならないことであった。
でも……私は諦めることをしなかった。
ブルトンから『嫌い』という言葉を聞いていないからだ。
本心から嫌っているのであれば私も諦める。
でも身分の制度のせいで、そう言わざるをえなかったのであれば、
私は決して諦めない。
オークの女は執念深いのだ。
きちんとした結末でなければ納得なんてしない。
私はブルトンを追いかけるために、
本来は予定になかったラングステン学校に入学することにしたのだ。
しかし、それはお父様に見抜かれていた。
そして告げられたのだ、あの言葉を……。
でも、それでも……私は意地をとおした。
お父様は呆れた表情ではあったが、
勉学というもの自体には賛成であったので、
ラングステン学校に入学することはできた。
そして、偶然にもブルトンはラングステン学校に入学しており、
更にはクラスまで同じになったのだ。
これはもう、運命としか言いようがない。
暫くは学校に慣れるために、忙しい日々を送った。
そんな日々の中で、クラス内で一緒に勉強をしているうちに、
彼と私の生きる世界が違うことに気付いて愕然とした。
ブルトンは強かった。
オーク族の男は生まれながらの戦士だと聞かされてはいたが、
それを差し引いても強く、そして強さを追い求める戦士だったのだ。
それに比べて、私は戦うことが苦手で、
更には戦士としての素質にも恵まれてはいなかった。
これではいけないと、日々努力を重ねてきたが……成果は上がっていない。
他の子達は着実に成長していっているのにだ。
このままではいけない。
何か私だけができる『能力』を身に着けなければ。
ブルトンの隣に立つことも、一緒になることもできない。
考えれば考えるほど、思考は空回りするばかりだ。
そんな折に、
レイピアを持ってよろよろしているエルティナさんが視界に入った。
これだと思った。
治癒魔法を習得すれば、
戦いながら彼を支えることができるのではないだろうか?
それが上手くいけば、きっと彼は私を必要としてくれるだろう。
私の望みが叶う日がくるに違いない。
さぁ、すぐに行動に移ろう。
エルティナさんに教えを乞うのだ。
◆◆◆
彼女から、その相談を持ちかけられたのは放課後のことであった。
「ふきゅん? 治癒魔法を教えてほしい?」
「そ、そうなんだな!」
オーク族は肉体の能力が高い反面、魔力が低いことで有名だ。
そんな彼女も例には漏れず魔力は高くない。
いくら治癒魔法の素質がある程度高くても、
魔力が低ければ実用には耐えられないのだ。
「う~ん、教えるのは構わないが……どうして覚える気になったんだ?」
「わ、わたしっ!
す、少しでもいいからっ、
ち、力を身に着けたいんだなっ! だなっ!」
ぷるんぷるんと、
ふくよかな体を揺らしながら真剣な顔で訴えてくる彼女に、
心を打たれた俺は皆を巻き込んで治癒魔法口座を開くことにした。
尚、素質がある者は『強制参加』させることにした。
来るべき決戦では治癒魔法が使える者が、
一人でも多く欲しいと思ったからだ。
……別にこれを機に、
ヒーラーに就かせたいとは微塵にも思ってはいない(暗黒微笑)。
講習はヒーラー協会二階の資料室にて行われた。
受講対象者は治癒魔法の素質C以上の者だ。
まずはグリシーヌとララァ、フォルテ、シーマがC。
プリエナと、そしてマフティが意外なことにBだ。
「エルティナ、俺は治癒魔法の素質Dなんだけど?」
キュウトがテーブルに顎を載せて、やる気なさそうにしている。
そんなキュウトに向かって俺は魔力を放出。
『ぼん』と煙が立ち上がり、キュウトは女になってしまった。
「よし、素質A確保」
俺は素質カードをキュウトちゃんに突き付ける。
そこには、銀色に輝く治癒魔法『A』の文字があったのだ。
「おまっ!? いつ、この状態の素質カード作ったんだ!!」
もちろん、教室でキュウトが女子生徒服を着させられ、
真っ白に燃え尽きていた時だ。
そこに記された治癒Aに、俺は目を輝かせた。
人材の確保はいつ、どの時代、どんな世界でも大変だからだ。
「俺は治癒魔法に興味ないぞ?
どうせ頭に入らねぇから、帰らせてもらうぜ」
そう言って席を立つマフティ。
「ふむ、やっているようだな?」
「うげげっ! スラストの親父!?」
出口に立っていたのは、銀の角刈りがまぶちぃスラストさんであった。
「ふっきゅんきゅんきゅん! 逃げられんぞぉ……」
「は、謀ったな!? 食いしん坊!」
恨めしそうに俺を睨み付けるマフティ。
でもちっとも怖くはない。
そんな可愛らしい顔と、うさ耳に睨まれてもなぁ!(暗黒微笑)
うさ子はスラストさんの驚異的な戦闘能力を直に見ているので、
突破は無理だと判断し、すごすごと席に戻った。
「これで勝ったと思うなよ?」
「もう勝負ついてるから」(ドヤ顔)
皆が席に着いたところで講習を開始した。
やり方はかつて俺がエレノアさんに教わった方法を、
少し改良して行うことにした。
練度は数をこなさなければならないので仕方がないが、
知識の方は別の方法で教えることにしたのだ。
その方法とは……『桃先輩に頼っちゃう』だ。
そう、俺の治癒魔法の知識を皆にダウンロードさせてしまうのだ。
これは俺が桃使いで、桃先輩がいて初めてできる荒業なので、
一般のヒーラー達にはきちんと勉強してもらう。
これは特例なのだ。
『モモガーディアンズ』のメンバーだからこその処置なのだよ。
「んだよぉ……こんなに簡単なら、最初から言えよなぁ?」
「最後まで話を聞かないからじゃないか」
マフティがほっぺを膨らませながら文句を言っている。
だが、大変なのは『ここから』だ。
さぁ、地獄の宴の始まりだぜぇ……!
俺達は露店街に赴き『露店ヒーラー』を始めた。
練度の向上と、ちょっとしたお小遣い稼ぎのためだ。
対象は駆け出しの冒険者達だ。
彼らは貧乏なくせに無理をしてクエストに挑む。
そのためケガをしたまま出かけるなんて、当たり前なことなのだ。
「はい、次の方どうぞ」
「ふん! 傷を治してやろうではないか! ありがたく思え!」
「いたいのいたいの、とんでけ~」
一部、不安要素のあるヤツもいるが、概ね治療は順調におこなわれていた。
「……ききき……この傷が治ったら……貴方は冒険者を……廃業することになる……」
「マ、マジでっ!? 震えが止まらなくなってきやがった……」
何故かララァの治療行為が呪いの儀式みたいで恐ろしいが、
きちんと治っているので良しとしよう。
ディレ姉の治療風景に近いものがあるのだが……
スルーの方向で(ナイス判断)。
一方、お金が稼げるとあって、マフティはガンガン治療を施していった。
まったくもって現金なヤツである。
魔力も高いので、下手をすればティファ姉クラスにまで育つかもしれない。
逆にキュウトはやる気がない……というか女の姿が恥ずかしいようだ。
魔力も極めて高く保有量も十分なので、
エレノアさんを超えるかもしれない逸材なのに……。
これはどうにかしなくては!(使命感)
「な、治ったんだな! はぁはぁ……つ、次の方、ど、どうぞなんだなっ!」
「ストップ! グリシーヌはここまでだ。
また明日、露店ヒーラーを開くから休め」
やはり、グリシーヌが早々に魔力が尽きてしまった。
丁寧な治療内容だが、三人程度治療したぐらいで魔力が尽きるとなると、
実用に耐えれるものではない。
「で、でもっ!」
「でもじゃない。
無理をして命を落としたヒーラーのことは、
これでもかっ! ってくらいに教えただろう?」
俺がそう言うと、彼女は肩を落として落ち込んでしまった。
グリシーヌが治癒魔法を習得したい理由はただ一つ。
ブルトンの力になりたいからだ。
グリシーヌがブルトンに惚れているのは、クラスの皆が知るところなのだが、
身分の差が災いして公に付き合えないでいる。
別にここはオークの国ではないのだから、気にしなくていいと思うのだが。
それに戦いの力になれなくても、ブルトンを支える方法はいくらでもある。
そう諭したのだが、グリシーヌはブルトンの隣に立つことを選んだ。
オークの女性は思い込んだら一途だとは聞き及んではいたが、
ここまでとは思わなかった。
このままでは死んでも隣に立って支える、とか言い出しそうである。
何かいい方法はないだろうか?
「……あら、皆して露店ヒーラー? どうしたの?」
そこにヒュリティアが通りがかった。
町の外に用事でもあるのだろうか?
武具を身に纏い完全装備の身なりであったのだ。
「皆さんはヒーラーになるおつもりで? ぷるぷる」
そして、彼女の足下にはゲルロイドがいた。
二人はどういう関係なんですかねぇ?
「ふきゅん! ヒーラーになるつもりではない。
人を治してお金をもらった時点で、もうヒーラーなのだ!」
「え?」
マフティ達の目が点になった。
「ふっきゅんきゅんきゅん……計画どおり」
「お見事です……エルティナ様」
物陰から怪しく眼鏡を光らせながら、
ヒーラー協会の『ボス』レイエンさんが登場した!
手に紙袋を持っているところを見ると、
行きつけの店で紅茶の葉でも購入してきたのだろう。
後でご馳走になりに行こうっと。
「ふはは……もう逃げられんぞぉ!
ここで練度を上げ終えたら、ローテーションに組み込んでくれるわっ!」
「そ、それが聖女のやることかっ!」
マフティが抗議の声を上げつつ、苦しむ冒険者の傷を治療していく。
口ではそういっても、うさ子には既にヒーラー魂が宿りつつあるのだよ!
「ヒーラーを獲得できればよかろうなのですよ……!」(ドドドドドドドド!)
レイエンさんがノリノリで奇妙なポーズと擬音を出している。
タカアキに教えてもらったそうだが……妙に決まっているな。
イケメンはなんでも様になってずるいぜ!
「んで、ヒーちゃんとゲルっちはどうしたんだ?」
「……うん、外に薬草を取りに行こうと思って。
ゲルロイド様には途中で出会ったのよ」
「女性を一人で外に行かせるわけにはいきません。
不肖ながら、私が護衛を務めようかと思いまして。ぷるぷる」
あ~そうか。
黒エルフのケガの治療は、基本的に薬による自然治癒だもんな。
ヒーラーに治療してもらう金があるなら、食べ物に回すからな。
それでも限界はあるから結局はヒーラーにかからないとダメなのだが……。
そこまで考えて、俺に電流が走った!
治癒魔法以外に『薬』を利用した治療術式があったじゃないか!
すっかり忘れていた! これは盲点だった!
「グリシーヌ! 喜べ! 画期的な治療方法を思い出した!」
「え!? ほ、本当にっ? 本当になのかなっ? かなっ!?」
俺はレイエンさんにマフティ達の面倒を見てもらい、
グリシーヌを連れてヒュリティアの薬草取りに同行することにした。
暇そうに護衛をしていた、
ルドルフさんとザインを引き連れていくのも忘れない。
まずは薬を沢山作るところから始めなくてはならない。
これは結構な仕事だぜぇ……!
俺達はグリシーヌの期待を背負い、フィリミシアから出発するのであった。
◆グリシーヌ・リリシム・ディランクス◆
オークの女性。オーク王国の上級貴族の娘。
エメラルドグリーンの癖っ毛を長く伸ばした結果、
頭が綿飴みたいになっている。瞳は紫色。顔は可愛い系。
体が大きく、おデブである。
一人称は「私」
エルティナは「エルティナさん」