212食目 獄炎のモーベン
大神殿を後にした俺達は、ハマーさん率いる護衛部隊に守られながら、
サンフォの住居を目指した。
俺は彼の家でブッケンドさんが待っており、
色々と話すことがあるので帰りに寄ってほしいとのことだった。
決して、美味しい食事を用意している、との言葉に惑わさせたわけではない。
俺はその事実を伝えたかった(きりっ!)。
案内役はもちろんサンフォである。
俺と教皇様との話が終わるまで、大神殿で待っていたのだそうな。
暫く歩くと、サンフォが自宅が見えてきたと言ってきた。
ミカエル宅と造りは一緒のようだ。
彼の家の前には二人の男女が立っていた。
男性の方は知っている顔だが、もう一人の少女は知らない顔だ。
「お待ちしておりましたよ、聖女エルティナ様」
「ブッケンドさん、久しぶり」
サンフォの自宅の前で、彼の祖父であるブッケンドさんが待っていたのだ。
わざわざ外で待っていてくれなくてもよかったのに。
「ふ~ん、きみが聖女エルティナか」
もう一人のボーイッシュな少女が、俺の顔をじ~っと見つめてきた。
年の頃は十代前半と言ったところだろう。
くりくりとした大きな眼に収まった茶色の瞳に、
俺が映っているのがわかるほど顔を近付けてきている。
スタイルはティファ姉と同じくらいか。
これからに期待だな!
俺がそんな考察をしていると、
彼女は容赦なく俺のほっぺを『ふにふに』してきたではないか!
なんという邪悪な行為! 教皇様ですら最初は我慢していたというのに!!
あ、今は我慢してないです。はい。
「あはは! 凄いふにふにだね。いや~満足満足!」
なんというフリーダムな少女であろうか?
初対面の相手にする行動ではない。
しかも、自己紹介すらしていないのである。
「おいぃ……どちら様なんですかねぇ?」
俺の言葉で、ようやく自分が自己紹介していなかったことに気が付く
ボーイッシュな少女。
ポリポリと頭を掻き「あはは、自己紹介していなかったっけ?」と
言いわけをしている。
おいぃ……今日の俺は気分がいいから見逃してやるが、
普段なら爆破処理ものだぞ? 運がよかったな!
「初めまして! 僕はミリタナス神聖国の勇者、サツキ・ホウライだよ!
よろしくねエルティナちゃん!」
と屈託のない笑顔を見せてきた。
どうやら悪い子ではないようだ。
……ってミリタナスの勇者かよ!?
彼女が『魔族戦争』時に、
危ないところをタカアキに救われた勇者だったのか。
「俺はエルティナ・ランフォーリ・エティルだ。
サツキがタカアキの言っていた勇者だったのか」
俺がタカアキの名を出すと、途端にサツキの表情が変わった。
まるで得物に飛びかかる猫のような顔で俺に詰め寄り、
肩を掴んで激しく揺すってきた。
「たっ、たたたたたかあき様はなんて!?」
「おごごご……!?」
俺の頭はガックンガックンと激しくシェイクされ答えるどころではない。
うっぷ、気持ち悪くなってきた……へるぷ・み~。
「サツキ様、聖女様が壊れてしまいますよ?」
「あっ! ご、ごめんね……」
間一髪のところで、ブッケンドさんがサツキを止めてくれた。
……命拾いしたなサツキ。
もう少しで、その顔に俺のゲロがかかって、
モザイク処理をされるところだったんだぞ?
ブッケンドさんに感謝するんだな!!
「め、目が回るんだぜ」
「御屋形様、お気を確かに」
ザインに支えてもらい、なんとか転倒せずに済んだ。
どうやらサツキはタカアキのことになると人が変わるようだ。
気を付けなくては命にかかわる。
「まぁ、立ち話もどうかと思いますので、中へお入りください」
ブッケンドさんが俺達を自宅へ招き入れてくれた。
確かに、ここで話すのもどうかと思っていたところだ。
日が暮れてきても、ミリタナス神聖国の外の気温は高い。
俺は先ほどクーラントビシソワーズを飲んでいるから問題ないが、
ハマーさん達の耐熱効果はそろそろ切れる頃だ。
グーヤの実を渡しておくことにしよう。
「ハマーさん、後のことはよろしく」
「お任せください」
俺はグーヤの実をハマーさん率いる護衛隊に人数分渡し、
クラン宅へとお邪魔することにした。
「ようこそいらっしゃいました聖女様。
食事をお運びいたしますので席に着いてお待ちください」
これまたミカエルの家にあった大きなテーブルと、
同型の物がクラン家にも存在していた。
この分だとメルトの家も、同じようなことになっているのかもしれない。
「さて、お話しすることが沢山ございますが……まずは食事にしましょう。
サンフォ、使用人達に食事を開始すると伝えてきなさい」
「はい、お爺様」
サンフォが使用人達に伝えに行き、
暫くすると美味しそうな料理がテーブルに所狭しと並んだ。
どれもこれもラングステンではお目にかかれない料理ばかりだ。
「それでは聖女様、お召し上がりください。
従者の方も遠慮なさらずにどうぞ」
「いただきま~す!」
俺とサツキの声が重なり、豪華な夕食が開始された。
ミリタナス神聖国の料理は中華とインド料理が主なようで、
スパイスの効いた料理が数多く出てきた。
ニガウリのカレー、ジャガイモのカレー、タンドリーチキン。
そして、麻婆豆腐に酢豚、酸辣湯などが次々に出てきたのだ。
俺はヒーヒー言いながらも、料理をお腹に収めていく。
料理はかなりの量があったが、一皿も余ることなく綺麗に空になった。
これも桃師匠の施した訓練の賜物であろう。げふぅ。
そして、残念ながら『カレーライス』は
ミリタナス神聖国の料理にはないそうだ。
スパイスが豊富なミリタナス神聖国であれば、
存在しているかと思ったが……現実は非情であった。残念。
「その小さい体によく入るねぇ。
僕より食べたんじゃないの?」
サツキがポッコリと膨らんだ自分のお腹を擦り満足げな顔を俺に見せた。
彼女もかなり食べていたようだ。
だが食べた量は俺の方が多いだろう。
「ふっきゅんきゅんきゅん……!
桃師匠との特訓の成果が出てきているのだぁ……」
俺は自分のお腹を擦って、サツキにドヤ顔を返しておいた。
尚、俺のお腹はサツキほど膨らんではいない。
きっと即座に桃力となって体に蓄えられたのだろう。
「以前とは比べものにならぬほど、食されたでござりますな?」
ザインが驚いた顔をしていた。
確かに……今の俺は以前と比べれば、
十倍近くの食事量を完食できるようになっている。
驚くのも無理はない。
「後は体が成長してくれるのを祈るばかりだ」
そう、急に食べだしたからといって、身体は急には成長しないのだ。
こればかりは時間をかけて成長させるしかない。
食事が終わりテーブルに紅茶が運ばれてきた。
リンゴのいい香りがする。
どうやらアップルティーのようだ。
「さて、食事も終わったことですし……本題に入りましょう。
カオス教団の目的と狙っている物のことです」
俺はカオス教団の名前に反応した。
大きな耳がぴこっと跳ね上がる。
「まずは彼らの目的です。
これは以前と変わらずカオス神の復活です」
「ブッケンドさん、その前にカオス神ってなんなんだ?」
ブッケンドさんは俺の質問に頷き、カオス神について教えてくれた。
「それでは私が知るカオス神の情報をお教えいたします。
カオス神とは、この世界を最初に創り出した『旧神』であるとされています。
女神マイアスとの戦いに敗れ封印されたとされております。
似たような話が多く残っているのでこの説で間違いないでしょう。
そしてカオス神を信仰していたのは……主に魔族達なのです」
ブッケンドさんは一度アップルティーを飲み、
口を湿らせてから話を続けた。
「とはいえ、長い年月が魔族達の信仰を失わせ、
今では魔族の間でも知らぬ者が多い状態です。
ですが……一部の者はカオス神の威光を忘れずに、
脈々と子孫達に伝えていったそうです」
「それがカオス教団の元になった連中か」
「そのとおりでございます。
今から五百年ほど前、その子孫達が集まり組織化したカオス教団は、
カオス神の復活を掲げ活動するようになっていったのです」
俺はアップルティーを一口飲み、ブッケンドさんの話に耳を傾けた。
ここまではよくある話だ。
俺の疑問は人間であるモーベンのおっさんが、
何故カオス教団に属しているかだ。
ブッケンドさんの話を最後まで聞けば何かがわかるかもしれない。
主に魔族って言っていたから、人間も信仰していた可能性もあるが。
まぁ、最後まで聞いてみてから判断しよう。
「最初は至極まっとうな活動で、
カオス神を信仰し正しき行いをすれば、
いずれ復活するカオス神のご慈悲によって願いはかなえられる、
と説いて回っていたそうです。
ですが……
信者の数を順調に増やしていったカオス教団を快く思わない一団が、
彼らの活動を邪魔するようになりました」
「その一団って?」
サツキがアップルティーの後に運ばれてきたアップルパイを、
ムシャムシャと食べながら話を促した。
というか、腹がきついって言ってなかったか?
と言いつつ俺も先ほどから食べているのだが。
アップルパイの甘みと酸味のバランスがいいので、とても美味しい。
「その一団は……マイアス教団です。
女神マイアスこそ、この世界を護り導く者と信じている彼らにとって、
カオス教団は邪魔者以外の何者でもありませんでした」
「よくある話でござるな。
邪魔な芽は早く摘んでしまうという考えでござろう」
ザインが顔を顰めて感想を述べた。
俺も彼と同じ考えだ。
ブッケンドさんも同じ考えのようで、ザインの言葉に頷き話を続けた。
「ですが彼らは……マイアス教団は誤った方法でカオス教団を潰そうとしました。
対話ではなく、最初から武力行使を以って潰そうとしたのです。
邪神復活を目論む危険な存在だと決めつけ、
無抵抗のカオス教徒達の命を奪ったそうです」
「そんなことを、マイアス教徒のあなたが言ってもいいのですか?
誰かに聞かれでもしたら……」
ルドルフさんがブッケンドさんに注意するが、
ブッケンドさんは笑って答えた。
「よく勘違いされますが、ミリタナス神聖国はマイアス教の国ではありません。
あくまで『聖女』を信奉する国です。
初代の聖女が女神マイアスの加護を受けていたため、
マイアス教が受け入れられているにすぎません。
このことは、この国に生まれた者が最初に教え込まれるものです。
我々にとって、最も信じる者は『聖女』以外には存在しないのです」
ブッケンドさんは「だから、なんともないのですよ」と
ルドルフさんに告げた。
そこまで言われるとルドルフさんも何も言えなくなり、
ブッケンドさんの話に黙って耳を傾けるようになった。
そして、俺は耳が痛くなった。
そこまで徹底していたとは……(白目)。
「さて……そのようなことをされたカオス教団の大司祭は、
当時のマイアス教団最高司祭に惨い殺戮を止めてもらうために、
数人の従者と共にマイアス教団の本拠地、フィリミシアに赴きました。
そんな彼らを待っていたのは、執拗な虐待と拷問でした」
「お、おいぃ……俺の知っているマイアス教団と違うんですがねぇ?」
これでは、どちらが邪悪な教団だかわからない。
この話だけならマイアス教団の方が邪悪極まりない。
「えぇ、エルティナ様が知っているマイアス教団になるまでには、
百五十年もの歳月がかかっておりますゆえ。
デルケット最高司祭と、先代の彼の父君の尽力がなければ、
今のカオス教団にも劣らない、
形だけの邪悪な教団になり果てていたでしょう。
長い歴史があるマイアス教にも、暗黒の時代があったのです」
やはり宗教は生臭かった。
でも、デルケット爺さんがそんな偉業を成し遂げていたとは。
人は見かけによらなかった(確信)。
「話を続けましょうか。
厳しい日々に耐えていた彼らにマイアス教団最高司祭は告げました。
従者の命を救いたくばカオス教団を即刻解体せよ……と。
カオス教団大司祭はその要求を受け入れたそうです。
彼は神よりも、人の命を選んだのです」
「さぞや無念であったであろうな。
拙者なら、切腹して果てても仕方のない状況でござる」
ザインが口をきつく噤み、カオス教団大司祭を悼んでいるようにも見える。
「ですが、言質を取ったマイアス教団最高司祭は従者を処刑し、
カオス教団大司祭を貼り付けにして火炙りにしてしまいました」
「なんだそりゃ!? ただの腐れ外道じゃねぇか!!」
ブッケンドさんの話を聞くうちに、
マイアス教団最高司祭の行動が、
世紀末モヒカンと同じレベルだということに気が付いた。
それからというもの、
マイアス教団最高司祭がモヒカン姿でしかイメージされなくなり、
思わず吹き出しそうになってしまう。
これは訴訟レベルの大問題である。
「エルティナ様のおっしゃるとおりです。
カオス教団大司祭は獄炎の中に晒されながらも告げたそうです。
この行いは我らが神『カオス』が天より見届けている……と。
そう言い残し事切れた彼を、マイアス教団最高司祭はせせら笑ったそうです。
負け犬が……と」
一瞬、沈黙が部屋を支配した。
カオス教団の過去が重過ぎる。
俺の頭の中では、モーベンのおっさんのせいで
『カオス笑団』に設定されているというのに。
「ですが事態は急変します。
カオス教団大司祭を焼いていた炎が、
一際大きく燃え上がり火柱となったのです。
やがて炎が消え去った後、カオス教団大司祭が立っていました。
獄炎の炎を身に纏って」
何故か俺の鼓動が早まっていくのを感じた。
嫌な予感。
俺の嫌な勘は高確率で的中する。
「カオス教団大司祭は言いました。
カオス神様は我ら八司祭に世界を救う力をお授けになられた……と。
マイアス教団最高司祭は教徒に彼を殺すように命じ、
カオス教団大司祭は再び殺されたのです」
ブッケンドさんは手を合わせ眉間にしわを寄せた。
「ですが……彼は蘇った。獄炎の炎と共に。
そして、その炎を以ってマイアス教団本部を焼き払ったのです」
俺の額から汗が流れる。
気付いちまった……でも、どういうことだ!?
ブッケンドさんの眼がより厳しくなる。
「もう、お気付きでしょう?
そのカオス教団大司祭の名は……モーベン・フォルセク。
そう、貴女が獄炎の迷宮で出会った『獄炎のモーベン』です」
「ど、どういうことだよ!
ブッケンドさんの話が本当だとしたら、
モーベンのおっさんは五百歳以上の爺さんということになるぞ!」
モーベンのおっさんは間違いなく人間だった。
魔族でもないし、亜人でもない。
純粋な人間だった。
赤い血が流れる……人間だった!
「それは、彼が授かったという能力が原因でしょう。
彼は普通に死ぬことができなくなったのです。
『獄炎の炎』……その呪われた炎は彼から『死』を奪いました。
彼は死ぬ度に炎に焼かれ蘇るのです」
俺とザインは顔を見合わせた。
俺達が戦ったモーベンのおっさんは、
そんなに強そうに見えなかったからだ。
ちょと間抜けで、それでいて芯がとおってるおっさんだった。
俺の見たモーベンのおっさんと、
ブッケンドさんが語る『獄炎のモーベン』。
果たして、どちらが本当のモーベン・フォルセクなのだろうか?
「その後、従者の亡骸を抱きかかえ、彼は姿を消しました。
そして……一年後、カオス教団は今の我々が知る組織へと変貌したのです。
世界中が混乱の渦に巻き込まれました。
世界各地の首都に戦火が上がり、大勢の人々の命が失われ、
そこから生じた怨念は多くの魔物を生み出す結果となったのです」
ブッケンドさんは再びアップルティーを口に含み、
興奮した心を静めていた。
「そして、ここからが彼らの狙っている物です。
それは今も昔も変わっておりません。
『神の欠片』という物を集めているようなのです」
「神の欠片?」
俺は耳慣れない言葉に首をかしげた。
「はい、神の欠片は伝承によると、
天界へ入るために必要な鍵だと言われております。
その数は百八個。
その全てを集めた時、天界への門は現れるというのです」
「彼らはなんのために天界へと?
女神マイアスを打倒するためでしょうか?」
ルドルフさんが疑問点を口にした。
だがブッケンドさんは首を振り話を続ける。
「そこまでは判明しておりません。
どうやらカサレイムでの騒動も、
かれらが神の欠片を集めていたことによって、
引き起こされたものだったらしいのです」
「では何故、聖女様が狙われたのでしょうか? お爺様」
サンフォが初めて口を開いた。
その顔は少し緊張している。
ブッケンドさんが苦手なのだろうか?
一方でブッケンドさんも、言うか言うまいかで悩んでいるようだ。
やがて、決心したような表情で口を開いた。
「サンフォ、それはエルティナ様が『約束の子』だからだ。
今はそれしか言えぬ」
ブッケンドさんの額から一筋の汗が流れた。
きっと、ぎりぎりの線を選んでの発言だろう。
「これで私の話は終わりです。
そうそう、ジャック君とヴァン君が
エルティナ様によろしくお伝えくださいと申し上げておりました」
「そっか……ありがとうブッケンドさん。
最後に一ついいかな?
俺が出会ったモーベンのおっさんは、自分は司祭だと名乗っていた。
話が本当なら大司祭と名乗るはずだよな?」
ブッケンドさんは張りつめていた緊張を解いた。
少し笑顔で……でも、さみしそうに答えてくれた。
「そのことでしたか。
彼は従者を救えなかった責任を取り、大司祭の座を降りたのですよ」
「なんでそんなに詳しいんだ?」
そう問い直すとブッケンドさんは、
いたずら小僧のような表情で答えた。
「ふふふ……本人に直接聞いたのですよ。
一晩中、バーボンを傾けながら……ね。
私が知っているカオス教団の過去も、彼から聞いたものです……」
そう言って、遠くを見る仕草をとる。
「後悔しているのか?」
「はい、彼と親しくなるのではありませんでした。
いずれ敵対し、命のやり取りを行うことがわかっていたはずなのに……
それでも、彼との間には信頼関係ができてしまっていたのです」
なんとも言えない、悲しい顔のブッケンドさんに俺は「そっか」と告げた。
きっとそれが、モーベンのおっさんの本当の能力なのだろう。
人を惹き付ける、指導者に最も必要な能力。
だが……時代が悪かったとしか言いようがない。
世紀末モヒカン共に、彼の言葉など届くはずがないのだ。
ヤツらに届くのは『肉体言語』のみだ。
「わかった……ありがとうブッケンドさん」
ブッケンドさんは返事の代わりに、微笑みを以って答えたのであった。