210食目 カオス神の御子
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薄暗い闇の中……青白い炎が灯る無数の燭台、
その明かりに照らされる彼らの顔には若干の疲労が見て取れた。
この場に集まった者達はいずれも苦楽を共にした同志だ。
「モーベン司祭、獄炎の迷宮での活動……ご苦労だったな」
「いえ、聖女を取り逃がし拠点を失いました」
カオス教団の聖地に帰還した私は、
ウィルザーム大司祭に事の顛末を報告していた。
不測の事態に備えていたはずが、
それ以上の事態に発展し聖女と協力することになるとは、
夢にも思ってはいなかった。
「ふふ……貴公は欲が深い。
これだけの成果を上げておきながら、まだ欲っするか?」
ウィルザーム大司祭が無数の『神の欠片』を我らに見せる。
これらはミリタナス神聖国の冒険者達に集めさせた物だ。
冒険者達はこれが、わけのわからないガラクタと思い込んでいるようだが、
とんでもない思い違いである。
百八個ある『神の欠片』を集めた時……天界への門が開かれるのだ。
そして、そこに我らが求める物がある。
「全てはカオス神様のため、できうることは全てしておきたいのです」
円状のテーブルに集まった八人の司祭。
その彼らが、私の言葉に頷いた。
いずれも一騎当千の兵達だ。
それぞれに得意の属性を持っている。
私は炎属性の魔法を得意とすることから『獄炎のモーベン』と呼ばれており、
他の司祭達もそれぞれに二つ名を持っていた。
「モーベン司祭、貴公が失態を犯すとは珍しいな?
いったい何があった?」
『土石流のガッツァ』が重々しく言葉を述べた。
大柄な体のドワーフで、彼とは二十年来の友人だ。
彼は土属性を得意とする。
慎重な性格と荒々しい攻撃の姿勢から付いた二つ名が『土石流』だ。
「……説明するには難しい。
感覚的には異世界の神が干渉していたようなのだ」
その場の雰囲気が凍り付いた。
自分がおかしなことを言っているのは承知だ。
だが……そうとしか言いようがないのだ。
あの空間は……異常だった。
「けっ……てめぇばかり、面白いことが回って来やがるなぁ?
俺にも回せよ……。
なぁ、いい加減に俺とコンビ組もうぜ?」
『濁流のベルンゼ』がしかめっ面で私に提案してくる。
彼は半魚人の男性だ。性格は短気で粗暴。
だが、一度心許した者には一途な漢である。
彼とも付き合いは長い。
彼の得意属性はもちろん水属性だ。
いかに強力な武力を持っていようが彼は搦め手を使い、
自分の得意なフィールドに相手を誘い込み嬲り殺す。
激しやすいがその実、戦いにおいては非常に冷静な男なのだ。
「ベルンゼ司祭……気持ちはわかるが、
今のカオス教団には戦力を集中させている余裕はない。
私達とて我慢しているのだ」
「然り」
『暴風のデミシュリス』と『雷怒のジュリアナ』が不満を漏らす。
デミシュリスは魔族の男だ。
非常に冷静沈着な男で、
いかなる危機的な状況下でも取り乱したところを見たことがない。
だが、一度戦場に立てばその圧倒的な能力を持って、
情け容赦なく敵を切り裂くことから『暴風』の二つ名で恐れられている。
二つ名でわかるとおり、彼の得意属性は風だ。
そして、ジュリアナは人間の女。
寡黙な女性で必要のない時は殆ど喋らない。
彼女は言葉よりも行動で示すことを良しとしている部分がある。
それ故に行動は迅速かつ大胆だ。
そして、戦闘においては内に秘める激情を解き放つ。
その戦いぶり、表情から『雷怒』の二つ名を持つ。
実はこの二人は結婚しており、その間に子供が存在している。
「そうですよ。
僕とて父上や母上との団欒を我慢してでも、
カオス神様のために働いているのですから」
夫デミシュリス、妻ジュリアナとの間に生まれた『閃光のバルドル』。
彼こそ、現在の八司祭最強の男だ。
母譲りの金色の髪が風に揺れ、
父譲りの強い意志が宿る紫の瞳が憂いに染まる。
弱冠八歳。
だが、彼はカオス神様に愛されていた。
あらゆる素質はSランク。
容姿、性格、知性、全てにおいて文句のつけようがない。
彼の得意属性は光属性。
だが、強力なのは光属性だけではない。
他の属性も他と比べ物にならないほど強力なのだ。
その圧倒的な力の差と、
彼が振り上げた手に宿る光属性の攻撃魔法を目撃した者達が、
畏怖を込めて言った二つ名が『閃光』だ。
「けぇっ! 坊に言われちゃあ、何も言えねぇだろうがよっ!」
ベルンゼはバルドルを実の弟のように可愛がっている。
彼はその容姿故に幼い頃から迫害を受けていた。
だが、バルドルはそんな彼を兄と慕い愛情を捧げてきた。
両親に言われたわけではない。
自分の考えで、正しいと思ったことしかしない子なのだ。
それ故に、八司祭達はバルドルに無償の愛情を注ぐ。
将来、カオス神様に最も近い者は彼だと確信しているのだ。
「くひひ……あんた……愛されてるわねぇ。
でも、聖女ほどじゃないわ。あれは……異常よ」
黒いローブに身を包んだ『深淵のジュレイデ』が
水を差すようなことを言ってくるが……これはお約束のようなものである。
事実、そう言った彼女はバルドルを一番可愛がっているのだ。
下手をすれば両親よりも可愛がっている。
バルドルも彼女を姉と慕っているから、事尚更であろう。
彼女は謎が多い。
常にローブを深く被り、誰も素顔を見たことがないのだ。
わかっていることは彼女の得意属性が闇だということ。
呪術の造詣が深いということ。
そして、人形を作ることが得意だということだ。
「なんにせよ、モーベン司祭……貴公は暫し休養を取るのだ。
貴公の衰弱振りは異様だ。
異世界の神の干渉はあながち間違いではないだろう。
離れていた場にて、貴公をサポートしていた私にも余波が来たほどだからな」
カオス教団大司祭『先読みのウィルザーム』が私に休めと言ってきた。
彼こそ、カオス教団のリーダーであり、我々が最も頼りにする男だ。
その眼は常に未来が見えており、幾重にも張り巡らされた罠ですら、
いともたやすく看破する。
彼にかかれば戦場においての策略など無意味と化すのだ。
そしてその行動は、全てカオス神様と信徒のために行われる。
『永遠の楽園』を取り戻すために。
「し……しかし! このような大事な時期に!?」
「だからだ……貴公を失うわけにはいかぬ。
全てはカオス神様のため。
正しき世界を取り戻すためだ……堪えてはくれまいか」
大司祭に頭を下げられては断ることもできない。
私は泣く泣く要請を受け入れることにした。
「このような大事な時期に……皆、すまない」
私は司祭達に頭を下げた。
これからだというのに……不甲斐ない自分に涙が出る。
「はっ! 情けねぇヤツだなぁ!
てめーが寝腐っている間に全部片付けてやるよ!
その代り……美味い酒奢れよ?」
ベルンゼが意地の悪い顔で私を見てきた。
そうだ、私が苦しんでいる時は辛辣な言葉を投げかけつつも、
彼が一番がんばってくれているのだ。
「あぁ! もちろんだとも……友よ!」
私と彼は拳を合わせた。
私が苦しい時は彼が、彼が苦しい時は私が……。
長年、共に支え合ってきたのだ。
「うむ、バルドルよ……これが友情だ。
そなたもいつの日か、無償の友情を分かち合う友人を見つけるのだ」
「はい! ウィルザーム様!」
バルドルの頭を撫で、しわの深くなった顔で微笑む。
そうだ、いつの日か……このような日の差さぬ場所ではなく、
光り差す本物の大地で、このような光景を再び!
そのためにはやはり、カオス神様の復活と邪神マイアスの打倒が必須。
その時、闇から足音が聞こえた。
コツコツ……と小さな足音がする。
ガタッと八司祭達が姿勢を正した。
徐々に感じ取れるようになる強力な力。
これは……間違いない! あのお方の!!
「ふ……揃っているようだな? ウィルザーム」
「ははっ! 八司祭揃っております!!」
闇から姿を現したのは、人間の姿をした小さな少年だった。
だが、その姿は異常であった。
黒い髪に眠たそうな眼、太い眉……そこまではいい。
問題なのは、その体に刻まれたおびただしい傷の跡。
十や二十ではない、数え切れないほどの傷が小さな体に刻まれていたのだ。
それだけなら虐待を受けた子供だと、哀れんだだろう。
しかし、この傷は虐待されて付いた傷ではなかったのだ。
それを頷けるほど、このお方の力は異常であった。
以前一度、このお方に付き従い、
敵対していたマイアス教徒の部隊を殲滅しに赴いたのだが……
私の目に飛び込んできたのは、圧倒的力による蹂躙であった。
いや、あれは蹂躙ですらない。
捕食……そう、捕食だ。
強者が弱者を食らう。
歯向かってくる者、逃げ惑う者、
その全てを容赦なく、異形の力を以って血に染め食らっていったのだ。
実際に食べていたわけではない。
だが、私にはその行為が食事にしか見えなかった。
邪神に唆された哀れな者達が『赤い光の粒』となって、
このお方に吸収されていく光景が……。
「うむ、『神の欠片』も順調に集まっているようだな」
「はっ、現在六十三個集まっておりまする、御子様」
ウィルザーム大司祭の報告に満足げに頷く御子様。
そして、我ら八司祭に向けて改めて支持を下す。
「聞くがいい八司祭よ。
神の欠片を集め、そして天界にあるカオス神の肉体を取り戻すのだ。
さすれば失われし楽園は姿を取り戻し、汝らの苦労は報われる。
カオス神に選ばれし『約束の子』である余が約束しよう」
その声は厳しさと優しさがこもっていた。
とても幼い少年が出せるような声ではない。
だが、これが御子様が『約束の子』であることを納得させる、
要因の一つだということは間違いなかった。
「ははー! 全てはカオス神様のためにっ!」
八司祭の返事を聞き届け、御子様は闇に溶け込むように姿を消した。
頼もしく思う反面、恐ろしくもある。
事実、私の背中は汗でずぶ濡れになっていた。
……長い苦渋に満ちた年月だった。
だが、御子様の降臨によって、それも終わりに近付いている。
我ら八司祭は手を合わせ、目的を達成することを改めて誓うのであった。