208食目 珍獣の失敗 俺は皆に愛されていた
俺が再び意識を取り戻したのは、その日の午後一時頃。
お腹が「くぅ」と鳴いて目が覚めた。
「お腹が空いたんだぜ」
桃師匠の恐るべき荒療治は効果があったらしく、
体を蝕んでいた激痛がだいぶ引いていた。
これならば、明日には普段どおり動けるようになるだろう。
とはいえ、歩くにはまだ無理がある。
どうやって食堂まで向かおうか?
そうだ! いい考えが浮かんだ!
「チゲ! 俺を抱っこして食堂まで運んでくれっ」
俺が気を失っている間、ずっと部屋の隅で体育座りをしていたチゲが、
俺の声に反応してゆっくりと立ち上がった。
そして、恐る恐る腕を伸ばし、俺に触れ……ひゅんと腕を引っ込めた。
「おいぃ……大丈夫だから心配するな?」
心配そうに俺を見る、乙女ちっくなポーズのチゲ。
本当におまえは気弱な子だなぁ。
ようやく俺を抱きかかえるチゲ。
俺の指示に従い、ゆっくりと部屋を……ごんっ!
チゲはドアの入り口に額をぶつけて、
プルプルしながらしゃがみ込んでしまった。
身長が高過ぎるのが原因だ。
「おいぃ……大丈夫か?」
なんとか立ち直ったチゲは、今度こそ俺の部屋を出ることに成功した。
チゲはかなりの『ドジっ子属性』を持っているようだ。
よく見てあげないといけない子だな。
チゲに抱きかかえられて、ゆっくりと食堂にやってきた俺。
チゲを見たヒーラー達が驚いていたが、
腕に抱えられた俺を見ると落ち着きを取り戻していた。
「聖女様、お体の方はもういいのですか?」
チゲに抱きかかえられた俺に気が付いたマキシードが声をかけてきた。
「だいぶいいよ。お互いに災難だったな」
はは……と乾いた笑いを交わし合う。
彼もまた、銀の角刈りの犠牲者なのだ。
疲労具合からして、マキシードは二時間コースだったに違いない。
スラストさんのお説教は地獄の宴なんだぜっ(確信)。
「ところで……その子は結局、聖女様が面倒を?」
「あぁ、獄炎の迷宮にいても、独りぼっちのままだったろうしな。
俺達にどさくさに紛れて付いてきた時も、
相当な勇気を振り絞ったんだと思うぞ」
マキシードは「確かに」と納得した様子であった。
体は固いがメンタルが豆腐レベルのチゲ。
あのまま獄炎の迷宮にいても、ずっと孤独なままか、
心無い冒険者に壊されてしまう可能性が高かっただろう。
俺達と出会って何かが変わったのだとしたら、
最後まで面倒を見てやらないといけないと思ったのだ。
興味津々な様子でチゲを観察してくるヒーラー達。
丁度良いので俺はチゲを紹介した。
最初は戸惑っていたチゲであったが、
ヒーラー達が優しい人達だということを理解したのか、
次第に落ち着きを取り戻していった。
「大人しくてお利口さんな子じゃないですか」
「ははっ、チゲ! 聖女様を頼んだぞ!」
よかった、どうやら皆はチゲのことを受け入れてくれたようだ。
「よかったな、皆おまえのことを受け入れてくれたみたいだぞ?」
俺がそういうとチゲはプルプルと震え出した。
雰囲気的に嬉しくて泣いているようだった。
俺はチゲの頭を撫でてやる。
「そうだ、もうお前は独りぼっちじゃない。
おまえも俺達の家族だ。
一緒に嬉しいこと、楽しいことを経験していこうな?」
何度も頷くチゲを見て、皆は優しい微笑みを浮かべるのであった……。
チゲを紹介した後、俺はエチルさんにお粥を作ってもらった。
消化の良い物を食べて、素早く桃力に変換するのが狙いだ。
「はい、チゲちゃん。こぼさないようにね?」
エチルさんからおかゆを受け取ったチゲが、
先に席に着いていた俺の下まで運んできてくれた。
「ありがとうなチゲ。
おぉう……美味しそうだぁ」
ホカホカと湯気を立てるお粥。
付け合わせは塩と薄くスライスしたピクルス、
これがフィリミシアにおける、お粥の一般的な付け合わせだ。
だが俺は『フリースペース』から自作の付け合わせを取り出す。
それは、細かく刻んだ生姜をハチミツと酢と醤油に漬け込んだ物だ。
大皿のお粥を小鉢に移して一口。
まずはお米の甘みを堪能だ。
ほのかな甘みが俺の心をホッとさせた。
次に塩をひと摘みし、小鉢のお粥に振りかける。
お粥の甘みが塩で引き締まり、がぜん食欲が増してくる。
ここでピクルスの薄切りを口に含み、
口をさっぱりさせると共に食欲を増大させる。
種類もキュウリやセロリ、トマトなど豊富だ。
んん~、おいちぃ!
もう一度、小鉢にお粥を移したら、今度は自作の生姜漬けだ。
少量を小鉢のお粥に載せ、小鉢を持って口を付け、ずずず……と口に流し込む。
俺はお粥でも箸を使う派だ。
流石に城で食べる際はスプーンを使ったが、
お粥は小鉢か茶碗に移してすするのが醍醐味だと、
勝手に決めつけている。
自己満足の世界なので、決して強制はしないが。
口の中で混然一体となるお粥と生姜漬け。
お粥用に醤油を多めにした物なので、かなり味は濃い目だ。
咀嚼すると生姜のシャリッとした食感とピリッとした辛み、
ハチミツの優しい甘み、それを引き締める酢の酸味。
そして、お米と絶望的に合う醤油が合わさり最強に見える。
お粥には梅干しだろ……だって?
バカ野郎! 子供にはまだ早いって、それ一番言われてっから!
実はあるにはあるのだが、
主な産地がイズルヒしかないので非常にお高いのだ。がっでむ。
似たようなもので、マンゴーみたいな果物を干した物があるのだが、
やっぱり何かが違う。
あぁ……梅干しが食べたいんだぜ。
やがて、お粥を食べ尽した俺は満足して手を合わせ、
作ってくれた人と俺の命になってくれた食材達に感謝を込めて、
「ごちそうさまでした」と言って食事を終えたのであった。げふぅ。
「チュ、チュ、チュ、ちゅん!」
次の日、もっちゅトリオとうずめの鳴き声で目を覚ました俺は、
魂痛が完全に治っていることに驚いた。
「うおぉ……桃師匠凄ぇ。
たった一日で魂痛が治っちまった!」
魂痛が治ったのが嬉しくて、ついつい喜びの舞を踊る俺。
ただ単に、体を適当にくねくねさせているだけなのだが……。
「早速、修行を開始するぞバカ弟子がぁっ!!」
「で~す~よ~ね~!!」(滝涙)
ドアの前で俺の話を聞いていたのではないのか、
というレベルで、勢いよく桃師匠が自室に突入してきた。
急いで桃色の道着に着替えた俺はチゲに見送られ、
桃師匠と朝のランニングに出かけたのであった。
この朝のランニングにはビースト隊のわんこ達も一緒に付いてきている。
どうやら、散歩と勘違いしているようだったが、
今の俺にとってはどうでもいいことであった。
「ふひ~、ふひ~……死ぬるぅぅぅぅぅ!」
「死ぬと言っている間は死なん! きりきり走れぃ!」
おごごご……ぶっちゃけ、鬼と戦っている時よりきついのですが!?
ランニングから既に十五分ほど経過し、俺は汗だくになっていた。
そもそも、今の俺は体を動かすには
大量の桃力を循環させなくてはならないので、
普通のランニングとはわけが違うのだ。
それこそ、命懸けのランニングと言えよう。
「わんわんっ!」
嬉しそうに走り回るとんぺー達。
きみ達は元気だなぁ?
「走る速度が落ちておるぞっ! 気合いを入れんかぁ!!」
「ふきゅ~~~~~ん!!」(白目)
このような感じで、なんとかランニングを終えた俺は、
汗を流すために息も絶え絶えに浴場に向かったのだった。
かぽーん。
「あふん……運動した後の風呂は最高だぜ」
風呂に入る前に桃先生を創り出し、水分と桃力と優しさを補充した俺は、
シャワーで汗を流した後、疲労に効果があるとされる温泉に浸かった。
こういう時に、いつでも入れる温泉はありがたい。
「チュチュ!」
「お、もっちゅ達も朝風呂か?」
もっちゅ達はいつもどおり、お湯の上に浮かんでうっとりとしだした。
その表情を見て俺も釣られてうっとりとする。
だが、いつまでも温泉に浸かってられない。
この後は訓練という名の朝食が控えているのだ。
温泉から上がりほっかほかになった俺は、
素早く新しい服に着替え食堂へと向かった。
朝の食堂はいつもどおりの賑わいであった。
さまざまな料理の美味しそうな匂いや音が俺をウキウキさせる。
「遅いぞ、こっちだ弟子よ」
ジェームス爺さん……もとい桃師匠の声がする方を向くと、
ありえない光景があった。
テーブルいっぱいに料理が所狭しと並んでいたのだ。
チャーハン、鶏肉の炒め物、野菜炒め、麺類、スープに果物。
そのいずれもが超大盛である。
もう、やけくそで作ったとしか言いようがないラインナップだ。
「おいぃ……桃師匠。朝から食べ過ぎなんじゃないのか?」
「たわけっ! これは、おまえが『一人』で食べる量だ」
……ふぁっ!?
俺の耳はおかしくなったのだろうか?
今、桃師匠はこのテーブルいっぱいの料理が『一人前』と言って、
しかもそれを『俺が食べる物』だと言った気がした。
「お、おいぃ……! こんなに食えるわけねぇだろうがっ!?」
「それでも食べさせる。
おまえは今まで無意識に食べる量を抑えていたのだ。
その結果が、おまえの小さな体よ」
桃師匠から衝撃の発言が飛び出した。
俺が無意識のうちに食べる量を抑えていただと?
バカな……俺はいつも、お腹いっぱいにご飯を食べていたんだぞ!?
「そして、ここにあるのが本来、おまえが食べているであろう食事の量よ。
よいか? おまえは生まれながらにして桃使い。
桃使いの摂る食事量は常人のそれとは異なる。
それは食べれば食べるだけ、桃力が体に蓄えられるからだ。
一般の桃使いの食事量は常人の五倍から十倍といわれておる」
桃使いは大食いだったのか。
では何故、俺は小食だったんだ? おかしいじゃないか。
「不思議そうな顔をしておるな?
おまえが小食だったのは、おまえが持つ『分け合う』という精神が原因よ」
「え? どうしてそれが小食と結びつくんだ?」
桃師匠はお茶をずずっ……とすすり一息吐いた後、再び話を続けた。
「うむ。その精神により、満腹中枢が最低ラインで設定されていたのだ。
分け合えば当然、食う量が減る。
それに満足するには、満腹になるラインを最低ラインにしなくてはならぬ。
そして、桃使いは満腹中枢をコントロールできる能力がある。
食い過ぎで、世界の食糧バランスを崩すわけにはいかぬゆえにな」
「桃使いにそんな能力が……
というか世界バランスを崩すほど食べるヤツがいるのか?」
そう言った俺を、桃師匠が呆れた表情で見てきた。
「昔、桃吉郎という名の桃使いが、それをやらかしそうになったのだ。
罰として、しばき倒してモシ・オ・トゥニャで三日間滝行させたわ」
「へ~、そ~なのか~」
轟音、水煙、流木……うっ、頭が……。
おかしい、記憶にないはずなのに恐怖が……?(白目)
「うむ、それでは満腹中枢をコントロールする訓練を開始する。
最初は食って食って、食いまくるのだ。
小食だと思い込んでいる満腹中枢を刺激し、
本来の食事量を思い出させるためにな」
そう言って桃師匠は俺に箸を渡してきた。
俺の目の前には『ゴゴゴ……』と擬音を放つ料理達の群れ。
美味しそうなごはん達が、かつてない強敵に見えたのはこれが初めてだ。
くっ……やるしかないのか!?
俺はまさかの『ごはん達と戦う』ことになってしまったのだった。
「げふぅ……もう食えねぇよ」
俺は一時間かけて、テーブルに合った料理達を全てたいらげたのだった。
驚いたことに、俺の胃袋を遥かに超える量の料理達が無事に収まったのだ。
これはいったい……?
「うむ、食べきったようだな。そして気が付いたか?
食べた料理達がおまえの胃の中で、
桃力となっておまえの身へと変化していくのを。
桃使いは食材に感謝し、
我らの命になってくれたもの達以上に、命を守ってゆかねばならぬ」
「うん……わかったんだぜ桃師匠」
こうして、俺が実は大食らいだったことが発覚した。
これからは桃師匠の指導の下、もりもりと食事を摂らされるだろう。
……エミール姉みたくならないことを祈るばかりだ。
食後、自室で休憩がてら治癒魔法の細分化の研究をしていると、
鎧をがっちりと着こんだルドルフさんが訪れた。
はて? 今日はお休みの日じゃなかったかな?
「お体の方はいかがですか?」
「うん、桃師匠の整体のお陰でバッチリ治ったんだぜ」
整体をされた時は死ぬかと思ったがな!(白目)
「そうですか……それでは私と共に登城いたしましょう」
ルドルフさんは困った顔で俺に伝えた。
彼のその表情を見て、俺はカサレイムの件が王様にばれたことを察した。
「きゅ、急に魂痛がっ!!」
「このバカ弟子が。さっさと行って、叱られてこぬか!」
俺は桃師匠に尻を蹴られて、城に送り出されたのであった。
フィリミシア城の謁見の間にて、王様に対面するもその表情は厳しかった。
その顔を見て俺は思わず縮こまってしまう。ふきゅん。
「エルティナ……こちらへ参れ」
王様が俺を呼ぶ。
素直に王様の下まで歩み寄ると、王様は俺をひょいと膝に乗せ……
尻をバシンと叩き始めた。
いわゆる、お尻ぺんぺんである。
「心配させおって! 悪い子じゃ!!」
「ふきゅーん、ふきゅーん! ごめんなさい!」
王様が尻を叩く度に俺の目から涙が零れる。
それは尻が痛いからではない。
叩く度に王様の悲しみが俺の心に伝わってきたからだ。
ズキズキと心が痛む。
王様は本気で俺を心配してくれている。
彼にどれだけ心配を、辛い思いをさせてしまったのだろうか?
俺が良かれと思って起こした行動が、こんな大騒ぎに発展してしまった。
もう少し考えて行動するべきだったのだ。
そして気付くべきだった。
俺の周りには、こんなにも心配してくれる人々が大勢いることに。
俺を思ってくれる優しい人々がいることに……。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
王様に申し訳なくて、独りよがりに行動した自分が許せなくて、
ただただ俺は「ごめんなさい」としか言えなかった。
やがて、王様は俺の尻を叩くのを止め、ギュッと俺を抱きしめた。
「本当に心配させおって……悪い子じゃ」
それから暫く、俺は王様が満足するまでそのままでいた。
彼の優しい温もりに包まれ、静かな時間が流れる。
だがそれはミリタナス神聖国からの使者によって遮られた。
近衛兵が王様に面会をするかどうかを訊ねる。
「国王陛下、いかがなさりますか?」
「ふん……あの婆ぁも、行動が早いことよ。……通せ」
王様はミリタナス神聖国の使者と会うようだ。
俺を膝に乗せたままだったが、いいのだろうか?
「お久しぶりでございます、ウォルガング国王陛下。
エルティナ様もご一緒でございましたか」
ミリタナス神聖国の使者はミカエル達であった。
恐らくはラングステン王国から感謝状を賜った彼らを
使者にすることによって、仮に断ったら難癖でも付けてやろうと
画策しているのだろう。せこい。
「おぉ……そなたらは、いつぞやの時は世話になったのぅ」
使者がミカエル達だとわかると、途端に態度を軟化させる王様。
本当に子供好きな王様である。
「いえ、そのような……。
本日はミレニア様から書状を預かってまいりました。
これが、その書状でございます」
ミカエルが近衛兵に書状を渡し、
受け取った近衛兵が安全を確認すると、ようやく王様に手渡された。
「ふむ、情報が早いのぅ……カサレイムの一件がもう伝わっておるわい。
これは断れんのぉ……」
書状の内容は、カサレイムを救ってくれたことに感謝する内容と、
俺を心配する内容がびっしりと書かれていた。
そして最後に、無断でミリタナス神聖国に入ったことを説教するから、
ミレニア様の下まで来るように、と書かれた内容で閉められていた。
ま、またお説教か……壊れるなぁ(精神)。
「これでわかったじゃろう?
エルティナを心配する者はラングステンだけではない、
ミリタナス神聖国にも沢山いるんじゃよ。
これからは、周りの人々のことも考えて行動しなくてはならんぞ」
「ふきゅん」
俺は頷き、そして王様に頭を撫でられた。
そのごつごつとした優しい手で……。
それから一週間後、俺は公務として
改めてミリタナス神聖国へと向かうことになった。