188食目 ザインの覚悟
◆◆◆
俺の初日の訓練は終わったと言ったな?
あれは嘘だ。
この訓練の恐ろしいところは、
桃師匠の指導が終わっても封印が解除されない点だ。
つまり、俺は成人を迎えるまで、ずっと訓練が終わらないのだ。
終わりの見えない訓練!
寝ても覚めても終わらないマラソンみたいなものだぁ!
……壊れるなぁ(精神)。
「おごごご……常時、全力桃力きついっす」
「ふん、いずれ慣れる。
さすれば、おまえの桃力は更なる高みへと昇華するであろう。
今はただひたすらに己を苛め抜くがいい」
現在、ヒーラー協会の食堂にてお昼ご飯を食べているのだが、
先程言ったとおり、常に訓練のため桃力を体に巡らせなければ、
まともに動かすことができない。
そのため、普段何気なく操っている箸を、満足に扱うことすらできない。
くそっ、指に桃力を巡らせるのが、こんなに難しいとは思わなかった!
手がブルブルと震えて、美味しそうなとんかつに狙いが定まらない。
なんという、もどかしさであろうか。
少し離れた位置から、ビビッド兄とルレイ兄が心配そうに俺を見ている。
そして、ディレ姉は俺を生暖かい目で見守っていた。
な、なんですかその目は?
まるで、生まれたての小鹿が立つところを、見守るかのような目は!?
ディレ姉は、明らかにわかっていやがる……今の俺の状態をっ!
ひたひたと、静かに近付いてきたディレ姉は、
極めて邪悪なことに、容赦なく俺をツンツンしてきたのだ!
ひぎぃ、らめぇ! お箸落としちゃうっ! びくんびくん!
だが俺は桃力を巧みに使い、なんとかディレ姉のツンツンを耐え忍んだ。
やがて、一通り楽しんだ彼女は「がんばりなさい」と言い残して、
非常に満足気に立ち去っていった。
おのれぃ……覚えていろよっ!
いつか、その豊満なおっぱいにダイブしてくれるわっ!(野望)
そう誓いを立てた俺は、気を取り直して食事を再開した。
「食事は全て平らげるのだぞ。
それでなくとも、おまえの発育状態は最悪だ。
無理やりでも詰め込むから覚悟するのだな」
「よ……容赦ないんだぜ」
桃師匠の言っていることは事実だ。
俺は明らかに他の同年代の子供達に比べて成長が遅すぎる。
自分では食べているつもりでも、
実際は食べていないと桃師匠は指摘していたのだ。
「全ての生き物の体は、食べた物でできておるのだ。
おまえのその小さな体が何よりの証拠。
まずは体を成長させ、自分の思い通りに動けるようにするのが肝要よ」
「わ、わかったんだぜ……うぬぬっ」
集中力を切らせてしまい、とんかつが箸からスルリと抜け出した。
ポトリと皿に戻ってしまったとんかつを、俺は恨めしそうに見つめる。
『どうしたエルティナ? 桃力なんて捨てて、かかってこい!
それとも……俺が怖いのか?』
俺の箸から逃げ出したとんかつが、そう言っている気がした。
なんということであろうか、俺はとんかつに挑発されているのだ!
これは許されざる行為! 絶対にゆるさん!
俺はとんかつの挑発に乗ってしまったのだった! びきびきっ!
「野郎っ! 全部食らってやらぁ!」
「うむ、その意気よ」
俺はとんかつとの激しい戦いに突入することになった。
それは、幾多の名場面を築き上げることになる。
キャベツとの悲しい別れ、レモンの裏切りを経て、ご飯という戦友を獲得し、
プチトマトが命懸けで届けてくれた『究極兵器ウスターソースキャノン』で
俺はとんかつにとどめを刺すことができた。
ありがとう……戦友達よ! 俺はお前達のことを決して忘れないっ!
とまぁ色々とあったが……
結局、全て食べ終えたのは一時間後であった。げふぅ!
食事が終わると、俺は桃師匠に「一時間寝ろ」と言われた。
これは力士が体作りに行う方法だと記憶している。
俺は決して、デブになりたいわけではないのですがねぇ?
チラリと、向かいのエミール姉を見る。
彼女は大盛りの牛丼を、むぐむぐと幸せそうにかき入れている最中であった。
……彼女が痩せる、と言ったのを何度聞いただろうか?
俺も手伝ったりしたが、まったく効果がなかった。
いっそ、俺の訓練に参加してもらえば痩せるかもしれない。
なんてことを考えて軽く現実逃避しても、
俺が寝ることは変わらないので、大人しく自室へと向かう。
自室にてベッドに仰向けに……は、きついので横になる。
食べ過ぎて戻しちゃいそうだが、
それをしてしまうと、桃師匠にまた食べさせられそうなので、
がんばって踏み止まる。
苦しそうにしている俺の顔を、
もんじゃがペロペロ舐めて励ましてくれている。
そういえば、おまえはいつも俺を励ましてくれているな。
ありがとな……俺、がんばるんだぜっ!
◆◆◆
暫く時間が過ぎ、すぅすぅと寝息を立てる桃吉郎。
いや、今はエルティナと言ったか。
「このバカ弟子が……」
顔にかかっていた前髪を除けて寝やすいようにしてやると、
幼い顔があらわになった。
とても元が桃吉郎とは思えぬ、可愛らしい顔に思わず顔が綻ぶが、
この顔はエルティナが起きている時には絶対に見せるわけにはいかぬ。
心を鬼にしなければ最強の桃使いどころか、
一人前の桃使いにすら鍛え上げることができぬわ。
確かエルティナは、情報によれば七歳といったか。
……幼い、あまりにも幼過ぎる。
本来ならば、ゆっくりとじっくりと育てていくものなのだ。
せめて、もう一人桃使いがいてくれれば、
このようなことにならなんだものを。
これでは、あの時と……桃吉郎の時となんら変わらないではないか。
あの時は時間が足りなく、肝心の極意を教えきれなかった。
今回は時間はあるが肉体が伴わない。
極意を授けられても、技や奥義は習得できないであろう。
悔やまれる。
あれ程の才能を持っていた桃吉郎は死に、
転生した先がこのような幼い少女だとは。
否、転生するだけならよかった。
こやつは、よりにもよって桃使いとして覚醒してしまった。
覚醒しなければ、平穏な日々を過ごせた可能性は大いにあったはずだ。
だが、魂がそれを許さなかったのだろう。
あの日、桃吉郎は恭弥……いや『トウヤ』に魂を砕かれ、
忌まわしき運命から解放された。
およそ百年後……魂を砕かれ、あのまま『無』へと帰さなかっただけましだと、
言い聞かせていたワシに耳を疑う話が飛び込んだ。
桃吉郎の転生体が見つかった上に、
どうやら桃使いとして覚醒したらしい……と。
しかも、それを発見したのがトウヤというのだから、
運命というのは皮肉なものだ。
それから暫くし、トウヤがひとつのデータを持ち帰った。
昨日のことだが、桃アカデミーに大きな波紋が起こった。
新種の鬼に加えて載っていた『タイガーベアー』と言う、
ふざけた名前を名乗っている鬼。
こやつが桃アカデミーの重い腰を上げさせる要因になったのは、
まず間違いないであろう。
やはり……滅びておらなんだか。
そして、貴様は宿敵と再び会い見える運命を持っておる。
だがしかし、ワシがいる限り貴様の思うとおりにはさせん!
必ずやエルティナを育て上げ、貴様を滅ぼしてくれるわぁ!!
……覚悟しておくがいい『虎熊童子』よ!!
◆◆◆
「ふきゅん? 時間か……」
「目が覚めたかエルティナ」
俺が目を覚ますと、桃先輩とザインが面子に加わっていた。
ザインがいる……ということは、彼にこの件を伝えたということなのだろう。
ザインは俺の元に歩み寄り、ドカリと座り込んで頭を下げ宣誓した。
「御屋形様、拙者はいついかなる時でも
御身の刀であることを、改めて誓うでござる。
拙者の命、どうか使ってやってくだされ!」
「ザイン……」
何故彼は俺にそこまで尽してくれるのだろうか?
いくら家の宿命とか決まりでも、普通はここまでしないものだ。
ここは腹を割って聞いてみたい。
でないと、俺はザインの命を預かることはできない。
「なぁザイン、何故おまえは俺に対して、そこまで忠誠を誓えるんだ?
俺がこのペンダントの所有者だからか?」
俺は胸に下げているペンダントに手を触れ、ザインを真剣に見つめて言った。
ザインは顔を上げ、俺の目を真剣に見つめて言った。
「始祖竜の首飾りはきっかけに過ぎませぬ。
拙者が御屋形様を見続け、自分自身で決断したのでござる。
己を捨て、他者のために生きることができる御屋形様の力になりたいと。
御屋形様のためなら拙者、命を捨てる覚悟ができるでござる!
このザイン、全身全霊を持って忠義を尽くさせていただく所存っ!!」
そう言って、再び頭を下げるザイン。
彼がそこまで真剣に考えていてくれたとは思わなかった。
これはザインの覚悟だ。
俺は主として彼の覚悟を受け止めなくてはならない。
「わかった、ありがとうなザイン。
一緒にがんばって、この世界を鬼達から守ろうぜ!」
「ははぁっ!」
これで、また一つ俺が死ねない理由が増えた。
そして……この日、俺はザインを家族として認識することとなったのだ。
ザインを絶対に死なせはしない。
俺はそのために、この厳しい訓練を始めたのだから。
守るんだ、絶対に……俺の大切なものたちを!
「ふむ、その小僧も鍛え上げる必要がありそうだな。
よかろう、ワシが一から鍛え直してくれるわぁ!!」
「もっ、桃師匠!? 午後からは仙術の……」
桃先輩が桃師匠を止めに入るが……無理だろうなぁ?(諦め)
「問答無用! さっさと支度をせんかぁっ!!」
案の定、桃師匠が強引に桃先輩の時間をぶんどり、
俺達を鍛えるつもり満々の様子であった。
「ザイン、覚悟はできているか? 俺はできていない」(白目)
「おっ、御屋形様ぁぁぁぁぁぁっ!?」
その後、ヒーラー協会の屋上から俺とザインの悲鳴が木霊したそうな。