187食目 桃師匠
◆◆◆
「ふきゅーん! も……もう、だめだぁ」
「このバカ弟子がぁ! 立てぃ!」
次の日、学校が休みの俺は朝からマッチョ爺さんのジェームス・ドーガに、
恐ろしく厳しい修業を課せられていた。
正確には、ジェームス爺さんを乗っ取っている存在にだ。
説明しよう、それは俺が起きて朝ご飯を食べ終え、
食後のお茶をうっとりしながら飲んでいた時のことだ。
『おはようエルティナ、今大丈夫か?』
『おはよう桃先輩、大丈夫だけど……どうかしたのか?』
俺は桃先輩を召喚すると、未熟な果実の隣にもう一つ
奇妙な色の果実が姿を現した。
その桃は、桃先輩よりもかなり小さい。
だいたい、ピンポン玉くらいだろうか?
そして、色がなんと紫色だった。
桃の固定概念を覆すような色だったのだ。
「こ、これは……?」
俺がまじまじと、その奇妙な桃を見つめていると、
その桃はぷるぷると動いた。
「ふん、これがワシの依代か……なんとも不便なものよ」
奇妙な紫色の桃から、壮年の男性の声が聞こえてきた。
その声を聞いた瞬間、俺の頭に『ぷぴぴっ、ぷぴぴっ!」と
警戒音がけたたましく鳴り響いた。
こいつはやべぇ! 本能とか勘とかじゃねぇ!
俺の魂が、この桃の中の人を猛烈に恐れているっ!
初めて見たはずなのに、初めてじゃない気がするっ!
「ほぅ、随分と可愛らしい娘になったものだな?」
自力で向きを変える無茶苦茶な桃を、俺は恐怖の眼差しで見ていた。
こんなものシーマが見たら、泡を吹いて白目になるぞ(確信)。
俺は既に白目になっているから問題ない(大問題)。
「エルティナ、今日より本格的な訓練を開始するにあたって、
体術関連はこの『桃師匠』の元で訓練をしてもらう。
仙術などの特殊なものは俺が指導しよう。
本来なら『桃老師』が担当するはずだったのだが、
少々不具合が生じてしまって、合流が大幅に遅れることとなった」
「ふん、あの戯けが。
ちょっかいをかけ過ぎるから、あの猿に仕置きされるのだ」
二人の桃が俺の知らないことを話し合っているが、
俺は『桃師匠』が声を出す度にビョクッとしてしまう。
これはいったい、どうしたというのだろうか?
「おや、どうしたんですかエルティナ様?
モモセンセイ……じゃないですな。
よく似た果物を持って、ビクビクしていなさるようじゃが……」
そこに、朝食を食べ終わったとみられるジェームス爺さんが通りかかった。
どうやら、俺が二つの桃を手に持って、
ビクビクしていたのが気になったらしい。
「ふむ、丁度良い。
とあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
桃師匠はそう言うと、螺旋状の桃力に包まれて宙を飛び、
ジェームス爺さんの口に突っ込んだ。
遂に桃が単独飛行に成功した瞬間であった!(呆れ顔)
ジェームス爺さんは「んがっ、んっん!?」と何が起こったか
理解できぬまま桃師匠を飲み込んでしまった。
次の瞬間、彼は一瞬桃色の光に包まれ動きを停止した。
「身魂融合完了。
では早速、修行を開始するぞエルティナ!!」
「ふきゅん!?
明らかに身魂融合じゃなくて『身魂略奪』じゃないですかやだー」
こうしてジェームス爺さんは、桃師匠に体を乗っ取られてしまったわけだ。
もう滅茶苦茶な桃だな(呆れ)。
そして、話は冒頭に戻るわけだが……もう、俺の精神と肉体はボロボロだ。
現在、俺は動きやすい格好ということで、
桃師匠に支給された淡い桃色の道着を着て、長い髪をお団子状に纏めている。
その恰好で俺がやっているのは、情け無用の体力作りであった。
長いことトレーニングをせずに、ヒーラー活動ばかりしていたツケが、
ここにきて出てきてしまった形となったのだ。
桃師匠は俺の体力のなさを、軽い柔軟体操で見きってしまい、
地獄のランニングを俺に課したのだ。
しかも後ろから付いてきて、へばるとしごき倒してくださる。
泣けるぜ……。
「その程度では、あヤツに勝つなど夢のまた夢よ!
そのまま土に帰り、この世界が滅びるさまを眺めているがいいわぁ!」
「うぐぐ……言わせておけばぁっ!
ぬおぉぉぉぉっ! 動け俺の体よ、限界を越えろぉ!」
これは純粋な体力を付けるための訓練なのだが、
実は体を動かすのに大量の桃力を使用している。
これは桃先輩がルドルフさんと城に向かう前に、
俺に施した訓練用の封印で、体中に桃力を行きわたらせないと
自由に身体を動かせなくなる効果があるだそうだ。
この封印を使いつつ体力トレーニングをすることによって、
桃力の最大量も同時に増やす作戦なのだそうだ。
ちなみにこの封印は、俺が成人するまで解けない。
それだけの覚悟を持って施した封印は強力な効果を発揮し、
俺は桃力を全力で使い続けないと、まともに走ることすらできない。
だが、これしきのこともできなければ桃師匠の言うとおり、
あいつに勝つどころか……アランにも勝てない!
デュリンクさんの提供してくれたデータの中には
新型と書かれていた鬼の名があった。
その新型の鬼とは、その全てが初代の仇であったのだ。
『マジェクト・エズクード』。
『エリナ・ブッシュフォール』。
『アラン・ズラクティ』。
そして、この世界に返ってきた鬼の名は『タイガーベアー』と記されていた。
中々に酷い名前だが、こいつの底知れない力だけは理解できている。
もう俺は、敵討ちだけでは済まない状況になっているのだ。
「体だけを動かそうとするでないわぁ! 全身に桃力を回らせいっ!」
容赦のない桃師匠の檄が飛ぶ。
初日からハード過ぎる訓練で、俺は白目になりっぱなしであった。
だが、やり遂げて見せる。
これも全ては皆のためであり、俺のためでもある。
この世界で皆と笑いながら『ご飯』を食べてゆくには、
どうしても鬼を退治しなくてはいけないのだ。
「うぬぉ、燃え上がれ俺の桃力!」
だが残念ながら、俺の桃力はお尻から全て抜け出てしまい、
俺は地面に熱い口付けをするはめになった。
「ふん、初日故、ここまでにしておくか。
次は容赦せんぞバカ弟子が!」
「ふきゅ~ん……がくっ」
残念! 俺の初日の訓練はここで終わってしまった!
◆◆◆
「その話は真かっ!?」
ウォルガング国王が玉座から立ち上がり、俺を見つめている。
その顔は青ざめており、多量の汗も流していた。
刻まれた顔のシワは更に深くなっている。
俺はエルティナを桃師匠に任せ、
ルドルフと共にフィリミシア城へと登城していた。
デュリンクに提供されたデータと、これからおよそ七年後に起こる
この世界の命運を分ける戦いのことを、ウォルガング国王に報せるためだ。
「えぇ、この情報は鬼に近い者から『託された』ものです。
まず間違いはないでしょうし、備えておくのは無駄ではないでしょう」
俺はルドルフの手の上からウォルガング国王に話しかけている。
残念ながら俺には、桃師匠のように桃使い以外での身魂融合はできない。
あの方は少々……いや、何も言うまい。
俺はデュリンクから提供されたデータを、
紙に印刷してウォルガング国王に提出した。
もちろん、渡したのはルドルフだ。
まったく以って不便な依代だ、身動き一つもできやしない。
そのデータを見ていたウォルガング国王の動きが止まった。
そして、小刻みに震え出してポツリと呟いた。
「黒い男……!」
データには鬼の名前と画像も入っている。
この震えは恐怖か、それとも怒りによるものか。
……恐らくは後者だろう。
表情を見れば一目瞭然であったからだ。
先程まで青ざめていた顔は、怒りに満ちた赤い顔へと変化していた。
あのデータの中に、ウォルガング国王と因縁がある鬼がいるのだろう。
深いところまで聞くつもりはない、だれしも話したくないこともある。
こちらとしても、自分達のことを全て話すつもりはないからな。
「話はわかった。
この話は、我がラングステンにとっても無関係ではない。
何より……あの子一人に負担をかけさせるわけにはゆかぬ。
来たるべき決戦に向けて、全面的に協力することを約束しよう」
「ご協力に感謝いたします、ウォルガング国王陛下」
これで口約束ではあるが、ラングステン王国の戦力は確保できた。
後はミリタナス神聖国とドロバンス帝国だが、
あの二国の協力は難しいだろう。
エルティナと接点があるのがミリタナス神聖国だが、
どうもあの国は『聖女』に固執し過ぎている。
エルティナ以外の使者では拒否する可能性が高い上に、
このような話を持ち出せば……
「聖女にそのようなことをさせるなんてとんでもない!」
と言って最悪、軟禁されかねない。
今はそのようなことをされるわけにはいかないので、
この件は一端保留とするか。
ドロバンス帝国はそもそも接点がない。
話を持ち込むのすら難しい。
最悪……ラングステン王国の戦力のみで、鬼達と戦わなくてはならないか。
いや、わかっていたことだ。
後はドクター・モモが開発中の秘密兵器がどれだけ使えるかだが……。
近いうちに試作機を転送してもらわなければならないな。
ルドルフはウォルガング国王に礼を述べ、城を後にした。
その帰り道に俺はルドルフに、今後の予定を話しておくことにした。
恐らくは彼が、エルティナと最も長い時間を過ごすだろうからだ。
もう一人、ザインという少年もエルティナの家臣を名乗るなら、
ある程度の覚悟を持っておいてもらわなくてはならない。
「お任せください桃先輩。
彼女は私の命に代えても守ってみせましょう」
「あぁ、頼む。
エルティナが一人前になるまでは、どうしても他者の力が必要になる。
最悪……一人前になっても必要になるかもしれん。
どちらかというと、あの子は戦士型ではなく、術者型の桃使いだ。
桃師匠の指導はあるが……行き着く先は恐らく術者としての到達点、
『桃天女』か『桃仙人』のどちらかだろう」
俺の予想としては『桃天女』だろうな。
エルティナの『母親』がそうであるように、
エルティナも同じく桃天女の道を歩む可能性が高い。
桃仙人は仙術を使っての攻撃や、
一時的に強化した肉体での接近戦もこなす術者型の極致に対して、
桃天女は術、及び魔法のエキスパートだ。
主に回復や補助の術を使いこなす、縁の下を支える重要なポジションであり、
我々桃使いや、桃人の中でも特に人数が少ない貴重な型だ。
その反面、自衛の手段が極端に少なく護衛が必須になるのが欠点だが、
その欠点を補って有り余る莫大な魔力と桃力を持っている。
大規模の『鬼退治』において、桃天女の喪失はすなわち敗北に直結する。
それほどまでに重要な存在なのだ。
この世界において、たった一人しかいない桃使いであるエルティナ。
この子はどの型になろうとも、桃天女と同じ役割を果たさなくてはならない。
そのためにきつい訓練……いずれは修行へと発展していくだろう。
……重い、重すぎる。
何故あいつは、いつも過酷な運命を背負ってしまうのだろうか?
いや、最早何も言うまい。
決めたはずだ、共に最強の桃使いを目指すと。
俺の役目は、あいつの負担を減らすためにできることを全てやることだ。
これは俺の戦いでもあるんだ。
弱音など吐いてられない。
俺達は決意を新たにし、エルティナの元へと帰っていった……。
ウォルガング国王が玉座から立ち上がり、俺を俺を見つめている。
「俺を」が重なっていたので修正しました。




