186食目 傷だらけの桃太郎
◆◆◆
デュリンクさんは帰り際に、一つの誓いを俺に立てた。
「エルティナ、今……貴女の傍にいる同胞は私のみですが、
来たるべき決戦に向けて生き残った白エルフ達に、
フィリミシアに集うように連絡を入れておきます。
覚えておいてください……貴女は決して一人ぼっちの白エルフではありません。
共に取り戻しましょう、白エルフの誇りと栄光を。
そして、この世界の平穏を」
そして、俺の手を取り……彼は誓いの言葉を口にした。
「我は貴女の本にして盾。
我は誓う、貴女のためにこの命と魂を捧げる。
貴女は私の全て……
我が真名デュリーゼ・カーン・テヒルの名において、ここに誓いを立てる!
いつか、共に戦う日まで……さらばです、愛しき人よ」
デュリンクさんは誓いの後、俺の手に口付けをした。
それは呪術的なものもあったのだろう。
口付けと同時に俺と彼の体が眩く光った。
それは、ほんの僅かだったが思わず目を閉じてしまう。
次に目を開けると、デュリンクさんはいなくなっていた。
俺の手の甲に彼の決意を残して……。
「デュリンクさん……」
「エルティナ、明日から訓練を開始する。
我々に残された時間は七年程度しかない、
決戦の日までに力と戦力を集めなくては、この世界に未来はないぞ」
俺は桃先輩の言葉に頷いた。
残された時間で、俺はあの強大な陰の力をもった鬼を越えなければならない。
……やってやるさ。
できることは全てやる。
できないこともできるようにする。
そして、今抱えている問題も全て解決してやる!
「桃先輩、俺はやるぞ! 最強の桃使いになって、鬼をぶっとばしてやる!」
「あぁ、おまえならきっと……なれるさ」
俺は拳を月に向かって突き出し咆えた。
これは俺の誓いだ。
必ず最強の桃使いになって、鬼からこの世界を守ってみせる。
俺の大切な仲間達を守ってみせる!
◆◆◆
最強の桃使い。
それは、かつておまえに与えられた称号。
恐怖を撒き散らす鬼が恐怖し慄く、唯一の桃使い。
あらゆる鬼がおまえの一太刀で切り伏せられ、輪廻の輪に帰っていった。
だが……その力は、おまえが望んだものではなかった。
『身魂融合』……この能力の本当の名は『罪』だ。
他者の肉体と魂を奪う能力。
たとえ、対象となった相手が同意の上で行っても『罪』は消えず
『罰』となりさまざまな形で表れてくる。
その代表的なものが『身魂融合・英雄の傷跡』だ。
取り込んだ数だけ『罰』として体に醜い傷が増えていく。
その、決して消えぬ傷の数は『罪』の数でもある。
おまえには、選択することなどできなかった。
……できなかったのだ。
おまえがいた、かつての世界『地球』において、
鬼穴の破壊に失敗した俺達は、穴を通って侵略してくる鬼達を、
ただ毎日倒すしかなかった。
それは終わりのない戦いでもある。
鬼穴が空いている限り、鬼達は輪廻の輪に帰ることはない。
帰る途中で鬼穴に取り込まれ鬼として再生する。
倒しても倒しても……また、復活する相手に俺達は疲弊していき。
仲間が一人、また一人と命を落としていった。
おまえに全てを託して。
おまえは、だれ一人として断らなかった。
全てを背負い……ただ、ひたすらに戦い続け、傷付き帰ってくる。
そして毎日、身魂融合を行い『罰』を増やしていった。
そうだ、毎日仲間達が息絶えていくのを、おまえと俺は見続けた。
生きながら地獄にいるとは、正にこのことだと思った。
終わりの見えない戦いに、正直なところ俺は諦めていた。
だが……おまえだけは決して諦めなかった。
何故、そこまで戦えるのか俺には理解できなかった。
それは、おまえが元々は、ただの冴えないサラリーマンだったからだ。
おまえと初めて会ったのは、俺が人間の封印師だった頃。
その出会いは偶然だった。
俺が追いかけていた妖に襲われていた少女を抱えて逃げていたのが、
当時サラリーマンだったおまえ……木花桃吉郎だ。
俺は妖を封印し、このことは胸のうちに秘めておくように、
と釘を刺し立ち去った。
だが、俺達はまた出会った。
今度はただの妖ではなかった。
会社の同僚らしき女性の手を引き、
逃げている桃吉郎の後ろから現れたのは鬼だった。
その巨体、その恐ろしい顔、圧倒的な陰の力……
いや、この頃は妖気として認識していたな。
俺は動けなかった。
鬼を一目見ただけで、恐怖が体を支配してしまったのだ。
俺は震える手でスマートフォンを手に取り、
なんとか同僚達に連絡を入れることに成功した。
後はあの鬼を足止めしなくてはならない。
俺は意を決して鬼に立ち向かっていった。
だが、俺の力はまったく通用しなかった。
あらゆる攻撃は無効化され、封印の術すらもかき消されていく、
正に化け物だった。
長い年月をかけて磨き上げた技も術も、
この鬼は嘲笑うかのごとく、全てを受け止めていたのだ。
おまえの攻撃など通用しないぞ、と言わんばかりに。
俺の連絡に駆けつけてくれた同僚達と協力するも、結果は同じだった。
こちらの攻撃は通用せず、一方的に攻撃される。
足止めすらできない。
その鬼は、口から針のような物を吐き出して攻撃をしてきた。
針に当たってしまった同僚が、
悲鳴を上げることなく赤い光となって砕け散った。
そして、その光は鬼の口へと吸いこまれていったのだ。
理不尽極まりない光景に、俺達は戦慄を覚えた。
しかも、その針はまずいことに、逃げていた桃吉郎にも放たれていたのだ。
前を向いて走っていた桃吉郎は、その針に気付いていなかった。
俺が声を張り上げて避けろ、と警告し桃吉郎が振り向いた時には
もう手遅れだった。
……だが、その針は桃吉郎には当たらなかった。
同僚の女性が身を挺して守ったのだ。
そして、その彼女の姿を桃吉郎は見てしまった。
赤い光となって砕け散る彼女を、呆然と見ていた桃吉郎に向かって、
鬼がゆっくりと近付いていった。
ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべて。
桃吉郎がゆっくりと鬼を見た。
すると、鬼が突然動きを止めたのだ。
女性の成れの果てである赤い光は、鬼に吸い込まれることなく
桃吉郎の周りを包み込むように回っていた。
そして、その光はゆっくりと静かに桃吉郎の中に入っていった。
その瞬間、桃吉郎の額に醜い傷が浮かび上がった。
そうだ……この時、桃吉郎は初めて『罪』を背負ったのだ。
その時の桃吉郎の顔は、人間のする顔ではなかった。
鬼すら足を止めるほどの憤怒の表情。
ゆっくりと、鬼に向かって歩いていく桃吉郎からは、
恐るべき量の桃力が溢れていた。
今思えば、考えられないほどの桃力だった。
身魂融合を行ったとしても、あれほどの力を得ることは難しい。
だが、それは起こったのだ。
桃吉郎は桃使いとして覚醒し、圧倒的な力を持って鬼を滅ぼした。
今思い出しても恐ろしくなる。
鬼を素手で引きちぎったのだ。
何度も何度も、鬼が悲鳴を上げようが泣き叫ぼうがお構いなしに、
容赦なく原型が留まらないほど徹底的に破壊した。
鬼を滅ぼした桃吉郎は咆えた。
何度も、何度も……。
それは、失われた彼女に捧げる悲しみの声か、
それとも、最強の桃使いになる男が上げた産声だったのかはわからない。
それ以来、俺は桃吉郎とコンビを組んで鬼と戦うことになった。
コンビを組んでわかったことが沢山あった。
桃吉郎はドジで、スケベで、食いしん坊のどうしようもないヘタレだった。
だが、よく笑うヤツでもあった。
辛い時でも、悲しい時でも笑っていた。
俺達は鬼以外の妖と戦うこともあったが、その時はすぐヘタレて弱音を吐き、
すぐに諦めようとしたので尻をよく蹴とばしてやったものだ。
だが、桃吉郎は鬼と戦う時だけは人が変わった。
相手の力の差が歴然であっても、
臆することなく立ち向かい、ボロボロに傷付いてでも勝利した。
その姿は勇敢というよりは、狂気に支配された戦士というものであった。
そんな俺達の元に、志を共にする仲間がどんどん増えていった。
鬼との戦いの中、桃使いとして覚醒していく仲間達。
俺もその中の一人だった。
そして知った、桃アカデミーの存在と桃先輩。
俺達は鬼と戦う戦力として、桃アカデミーに取り込まれることになった。
そして迎えた大規模の『鬼退治』において、俺達は敗北を喫した。
それは、桃使いの一人が鬼に屈服して裏切った末の結末だった。
結果、桃吉郎は数々の『罪と罰』を背負うはめになったのだ。
やがて、終わりが見えない戦いは激化していき、
桃吉郎を庇って息絶えた愛犬の『雪希』を取り込んだ時、
遂に桃吉郎は桃使いの到達点の一つ『桃太郎』へと上りつめた。
多くの仲間の遺志と魂を、その身一つで背負って戦う最強の桃の戦士……
人と鬼は、桃吉郎の出で立ちを見て恐れ慄き、
畏怖を込めて『傷だらけの桃太郎』と呼んだ。
最強の名に恥じぬ力と引き換えに、桃吉郎は笑顔を失った。
ただ、ひたすらに鬼を切り伏せていく闘神と化したのだ。
切って切って切りまくり、遂には鬼穴すらも切り捨て破壊した。
その後、残った鬼達を倒し輪廻の輪に帰していったが、
桃吉郎に笑顔が戻ることはなかった。
世界を救っても、自分自身は救えなかったのだ。
やがて、桃吉郎のその力は暴走し、鬼となんら変わらない行動を取るに至った。
あらゆるものを破壊し、蹂躙し……『喰らっていく』その姿には
最早、桃太郎としての面影はなかった。
木花桃吉郎……俺の相棒。
俺には、おまえが何を想っていたかはわからない。
苦し気に暴れ周るおまえを押さえつけるために、
残り少なくなった桃使い達がおまえと戦った。
その結果、桃使い一人とおまえは死ぬことになった。
……俺が桃吉郎を殺したのだ。
命を賭けて、共に戦った相棒を……この手にかけたのだ。
おまえが見せた最期の笑顔は、いったいなんだったんだ?
おまえの命を奪った俺に……何を伝えたかったんだ……?
教えてくれ……桃吉郎……。
俺はその答えを知ることはできなかった。
桃吉郎は何も語ることなく、淡い緑色の光となって、
静かに空に吸い込まれていったからだ。
その後、色々とあったが俺は人であることを捨て
仙人のような存在の『桃人』へと転生した。
転生には一定量以上の桃力があればできるのだ。
この際に、俺は自分の名を捨て現世とのかかわりを絶った。
桃人は一定の年齢に達すると老化しなくなる。
外的要因で死亡することはあるが、寿命で死ぬことはない。
俺は鬼を根絶やしにするまで、戦い続ける道を選んだのだ。
これが、俺の『罰』であると信じて。
俺は、やりようのない怒りを胸に秘め、何度も鬼と戦い続けた。
そんなある日、俺は桃大佐に転属を言い渡された。
桃使い育成サポート部隊『桃先輩』に入隊させられたのだ。
俺は渋々、新人の桃使いの育成を百年ほど勤めた。
だが、俺はこの部隊が不満だった。
俺は鬼を、この手で直接滅ぼすために桃人になったのだ。
そろそろ転属願いも受理される頃だと思い、
このサポートで終わりにしようと思っていた俺が出会ったのが……
エルティナだった。
疑似身魂融合『ソウル・フュージョン・リンクシステム』を使用し、
彼女と融合した際に感じた桃力が、俺の眠っていた記憶を呼び起こした。
温かくて優しい桃力。
桃吉郎が、まだ笑っていた頃の桃力とそっくりだったのだ。
最初は半信半疑だった。
だが、彼女をサポートするうちに、疑いは徐々に晴れていった。
忘れるはずがない、共に鬼と戦った相棒の桃力の感触を。
『東坂恭弥』の相棒『木花桃吉郎』の桃力を!
『トウヤ』は俺が人間だった頃に、桃吉郎が俺に付けたニックネームだ。
それをエルティナが口に出したことで、俺の疑問は確信へと変わった。
この子は桃吉郎の生まれ変わりだと。
長い時を経て、俺達は再び巡り会えたのだ。
奇しくも共に鬼と戦う運命を背負って。
……エルティナが拳を空に突き上げ、ふきゅーんと雄叫びを上げている。
かつて、桃吉郎が俺に誓ったものと同じ誓いを、彼女は俺に立てていたのだ。
「トウヤ、俺はやるぞ! 最強の桃使いになって、鬼をぶっとばしてやる!」
暮れる夕日を背にして、俺にそう言った桃吉郎は満面の笑顔だった。
その記憶も、百年も昔のことになる。
そうだったな、桃吉郎……エルティナ。
今度こそなろう、最強の桃使いに。
力なき人々を、大切な仲間を……そして、自分自身をも救える
最強で最高の桃使いになろう。
俺もこの日、彼女と共に誓いを立てた。
エルティナを鍛え上げて、運命に打ち勝つ桃使いに必ずしてみせると。
道のりは険しく厳しいだろう。
しかし、俺とおまえならやれるはずだ。
桃太郎にバッドエンドは似合わない。
今度こそ、ハッピーエンドで終われるように戦い抜こう。
……共にな。