185食目 覚悟
◆◆◆
「う……俺は?」
「……よかった……エルティナは……突然倒れたのよ」
ララァが俺を抱きかかえて、心配そうに顔を覗いてくる。
そうだ、あの陰の力を感じ取って、頭が割れそうなほどの痛みを感じ……
その後に俺は倒れた。
俺はゆっくりと空を見上げ、そこにある月を確かめた。
闇の中に浮かぶ月は『半月』の状態であった。
あの満月は、いったいなんだったのだろうか?
くそっ、まだ頭がズキズキと痛む。
そんなことよりも、あの無茶苦茶な陰の力だ。
呆れるほど、尋常ではない力のでかさだった。
『エルティナ、返事をしろ! エルティナ!』
『ぬあっ!? 桃先輩、どうしたんだ?』
突然、桃先輩の魂会話が頭に響いた。
まだ頭が痛いのだから、叫ばないでおくれい。
放っておくと叫びっぱなしになりそうなので、桃先輩を召喚する。
俺の手に光が集まり、未熟な果実が姿を現した。
「いったい、何があった? 連絡が途絶えて焦ったぞ」
「あぁ、軽く気を失っていたんだ。
説明するには……直接記憶を見てもらった方が早いな」
俺は桃先輩と身魂融合して、月と俺に起こったことを見てもらった。
「ふむ、やはりあの満月は『月渡りの術』の影響だな」
俺の口から桃先輩の声が発せられる。
その光景にララァが食い付いた。
「……ききき、これも怪奇現象……」
「続けるぞ?『月渡りの術』とはいわゆる転移魔法だ。
ただし、この世界の『テレポーター』とは格が違う。
『テレポーター』はこの世界限定だが
『月渡りの術』は世界と星を、そして次元をも超える」
「桃先輩、つまり何者かがその術を使って、
カーンテヒルにやってきたってことか」
桃先輩は俺の言葉に肯定の意を示した。
「この術の特徴としては、月が必要不可欠だという点だ。
星と次元を越える際は、双方の世界に月がなければ術は失敗に終わる。
更に転移に耐えられる肉体を保持している必要がある。
転移の際の衝撃は並大抵のものではない、
普通の生物が転移すればその途中で粉々になってしまう。
それらの条件を満たして転移すると、出口側の月が一時的に満月になる。
そう、エルティナ達が見た、あの満月の姿は出口が完全に開いた証であり、
閉じた今、この世界本来の月の姿を取り戻していることが
『月渡りの術』を使用した証拠だ」
「やっぱり、その術を使えるヤツって強いのか?」
「間違いなく強いだろうな、おまえの記憶に残っている
陰の力の量からして上位の鬼だ」
とんでもないヤツが、この世界に入り込んできたことは間違いないだろう。
今の俺で対抗できるのかどうか。
「どうすればいいんだ?」
「どうするもこうするも……彼を倒す以外に、この世界を救う手はありません」
その声は俺のすぐ後ろから聞こえてきた。
振り向くと深緑のローブの男が静かに立っていたのだ。
「……いつの間に……」
ララァが警戒するも、突如として俺に覆い被さってきた。
何事かと思って彼女を確かめると、どうやら寝てしまっているようだ。
「申し訳ありませんが、彼女には寝てもらいました。
ここからさきは、他者には秘密にしたい内容なので」
深緑のローブの男が上げていた右腕を降ろした。
俺は深緑のローブの男に向けて言った。
「すみませんが、ララァをどけてもらえませんかねぇ?
重くて持てないんですわ」
「あぁ、これは気付きませんでしたね」
どけてもらったララァを安静にして寝かせた後、
俺と深緑のローブの男はテーブルに着き会話を始めた。
「さて、まずは突然訪問した非礼を詫びます。
そしてどうか、私の話を聞いて頂きたい」
「その前に確認したいことがある。
あんたは俺の敵か、それとも味方か?」
彼の俺に対する対応は紳士的だが油断はできない。
俺の質問に深緑のローブの男は迷うことなく答えた。
「私は『貴女』の味方ですよ」
「それを証明できるのか?」
桃先輩が口を開いた。
確かに鬼に組していた人物を、そう簡単に信じることはできない。
「あなたはあの時の……丁度良い。
あなたにも、知っておいてほしいと思っていました。
その子のパートナーである貴方に」
そう言って、彼は被っていたフードを脱いだ。
そこには俺と同じく、大きく垂れた耳と白い肌の
金髪碧眼の青年の姿があった。
「あんたは白エルフだったのか」
「えぇ……本来なら、もっと時間をかけて正体を明かす手筈だったのですが、
それもままならない事態になりました」
俺は彼の正体に驚きを隠せなかった。
同時に怒りが湧いてきた。
同族故に許せなかったのだ。
「何故、鬼の仲間なんてやっているんだ!」
「それは簡単です、彼ら鬼の詳細を調べるためです」
彼は冷静であった。
まるで全てを見透かされているような錯覚すら覚える。
彼は『フリースペース』からハーブティーを取り出しカップに注いだ。
ハーブティーの複雑な香りが俺の鼻腔をくすぐる。
「どうぞ、白エルフ秘伝のハーブティーです。
心が落ち着きますよ?」
「……いただきます」
俺は恐る恐るハーブティーに口を付けた。
確かに、飲むと何故かはわからないが心が落ち着いてくる。
砂糖は入っていない。
その方が飲みやすくて良いと感じた。
「私の名はデュリーゼ・カーン・テヒル。
他の者にはデュリンクと名乗っています。
あなたも私のことはデュリンクと呼んで頂きたい」
「俺の名はエルティナ・ランフォーリ・エティルだ。
エルティナでいい」
デュリンクさんは目を細め俺を見つめている。
その顔には、少しばかりの怒りが存在していた。
「その名は偽りの名ですね。私は本名を名乗りました。
エルティナも本名を、白エルフの名を名乗るべきです」
なるほど、それで少し怒っていたのか。
確かに彼は俺に信用してもらおうと、秘密にしていた本名を明かした。
でも俺は、この名前以外は持ってはいない。
俺も誠意を伝えるために、きちんと説明をしなくては。
「俺には白エルフとしての名はないんだ。
生みの親の顔も知らない。
だから、この名が俺の本名であり、授けてくれた人達が俺の両親だ」
俺の話を聞いて、自分が迂闊な発言をしたことに気付き表情を曇らせる。
そして、頭を下げて謝罪するデュリンクさん。
「……申し訳ありません、よもやそのような事情があるとは。
ならば、エルティナは始祖竜の祝福を受けていないということですね。
我々白エルフにはファミリーネームは存在しません。
その代わりカーン・テヒルを名乗ることを許された唯一の種族なのです。
いつの日かエルティナにも、我々白エルフの使命を教えましょう」
ここで、初めてデュリンクさんが笑った。
だが、その笑みはすぐに消え、表情に険しさが浮かび上がる。
「しかし……そのためにも、やらなくてはならないことがあります」
いよいよ、本題に移るようだった。
彼は両手を組み俺の目をしっかり見つめてきた。
「そんなに見つめちゃいやん」
俺は手で顔を押さえ「いやんいやん」と首を振った。
その俺の言った言葉に、ガクッとズッコケるデュリンクさん。
なかなか良いリアクションだぁ……。
「まったく、あなたという人は……
いや、だからこそ、今までも乗り越えてきたのですね」
「そういうことだ、それがエルティナの強さでもある。
俺のことは桃先輩と呼んでくれ、その呼び名の方が『慣れている』」
桃先輩の言葉に「わかりました」と短く答えるデュリンクさん。
そして、再び手を組んで話し始めた……。
「エルティナ、貴女も気付いたと思いますが、
カーンテヒルに強力な鬼が転移してきました。
実はこの鬼は、今から五十五年前からこの世界で活動していた鬼なのです」
「そんなに強い鬼がいたのに、この世界は滅びなかったのか?」
デュリンクさんは、頷きハーブティーを少し口に含み口を湿らせた。
カップを持つ手が少し震えている。
「我々白エルフの王国も、全戦力を以って鬼に対して抵抗を試みましたが……
結果はどうなったか、想像するに容易いでしょう?」
「散々に叩き潰されたか、貪り食われたかのどちらかだな」
桃先輩の容赦のない回答に、
デュリンクさんは「そのとおりです」と答えた。
口惜しいのだろう、彼は唇をかみしめていた。
「敗北した白エルフの王国に、鬼が侵攻し暴虐の限りを尽くしました。
女子供は全員残らず鬼に貪り食われ、
白エルフは子を残す手段を奪われたのです。
そして、僅かに生き残った白エルフの男達は再起を誓い、
散り散りに逃れましたが……
私はその鬼に服従し、機会を伺うことにしたのです。
いつか、鬼を倒すことのできる者がこの地に現れることを期待して、
詳細なデータを作成することにしました」
デュリンクさんは真剣な眼差しで俺を見つめている。
鬼を倒せる可能性のある者……俺のことだ。
「その鬼は強大な力を持ち狂暴でしたが、
ある日を境に急に大人しくなり、知性を持った眼差しをするに至りました。
それ以来、鬼は無暗に命を貪り食わず、
計画的に事を起こすようになったのです」
「恐らく、食らった白エルフの知性を手に入れたのだろうな。
だが……それが、この世界を生き長らえさせる結果となった」
桃先輩の言葉に頷く彼は、酷く辛そうな表情であった。
奇しくも食われた同胞によって、鬼が知性を持ちギリギリのところで
滅亡を免れていたのだから。
「私は屈辱に耐え、鬼のデータを取り続けました。
さまざまな悪事にも手を染めています」
「それは、ラングステンに起こった事件にもかかわっているのか?」
俺の目をしっかりと見て……彼は頷いた。
この頷くという行為に、どれだけの覚悟を持って臨んだかは
彼の目を見ればわかった。
「そうか」
彼の事情を知ってしまえば、それ以上は何も言えない。
納得した訳ではない、仕方がないと認めたわけでもない。
だが、俺は彼を信用することにした。
彼が覚悟を持って、この場に臨んでいることがわかったのだ。
「これが私が命懸けで集めた鬼達のデータです。
桃先輩、貴方ならこのデータを上手く活用できるでしょう」
デュリンクさんは俺に四角く薄い板のような物を差し出してきた。
パッと見下敷きにも見えるが……。
「その板に魔力を流し込んでください。
そうすることによって起動します」
言われたとおりに魔力を流すと、板から光が溢れ文字が浮かび上がってきた。
板には、さまざまなデータが画像付きで表示されている。
「それは私が開発した『デュリンクレポート』という情報端末です。
私が毎日付けているデータをその端末に送りますので、
それを見て、鬼に対する抵抗手段を構築していって頂きたい」
「了解した、デュリンク殿の協力に感謝する」
桃先輩の素っ気ない返事に、安心した表情で頷くデュリンクさん。
彼は今までずっと独りで戦ってきたのだろう。
屈辱に耐え悪事に手を染め、
それでも希望を失わず淡々とデータを取り続けてきた。
全ては、鬼を倒すために。
「ここからが重要なポイントとなります。
転移して帰ってきた鬼は感覚に支障が出たため、
およそ七年ほどの眠りに就きました。
七年後、つまりエルティナ……
貴女が成人した時が、この鬼との決戦の時となります」
「つまり、それまでに俺はその鬼を倒せるほど
強くならなきゃいけないんだな?」
制限時間は七年。
これを長いと取るか、短いと取るか。
……短い、短過ぎる。
急激に強くなるなんて漫画くらいなものだ。
実際はゆっくりと時間をかけて、
鍛錬を積み重ねて行った末に、本当の強さを得るものなのだ。
だが、俺はやらなければならない。
七年であの強大な陰の力を持つ鬼を越えなければならないのだ。
できなければ俺の大切な家族や仲間達、
そしてデュリンクさんの覚悟が無駄になってしまう。
「任せておけ、俺はこの世界の唯一無二の桃使いだ。
あんたの覚悟は見せてもらった……後は俺の仕事だ。
犠牲になった同胞の仇は俺が討つ!」
デュリンクさんの目から熱い雫がこぼれ出した。
静かに、声を上げずに。
その涙は自分のためではない。
犠牲になった同胞に捧げる涙だ。
「ありがとうございますエルティナ。
私もできうることは、なんでも協力しましょう。
全てはこの世界と失われた命のために!!」
俺達に残された時間は七年。
だがやってみせる。
皆がいるこの世界を、沢山の命が生きるこの世界を、
鬼から守るのが桃使いなのだからっ!
出来る、出来ないじゃない! やるんだっ!
俺は夜空に浮かぶ月に祈った。
願わくば、俺に皆の命を救う力を授けたまえと!!