170食目 ミリタナス教皇との謁見
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「聖女エルティナ様がいらっしゃいました!」
衛兵のもたらした報告に、謁見の間に待機している主だった者に
緊張が走る。百戦錬磨の妖怪とも呼ばれた……私の忠臣達がだ。
「皆の者……落ち着きなさい。聖女様に心配されてしまいますよ?」
私は努めて穏やかに、優しく語りかける。今回の顔合わせ次第では、
二度とミリタナス神聖国に来てくれなくなるかもしれない。
それでは困るのだ。事はじっくりと慎重に運ばねば。
「も……申し訳ありません教皇様。皆の者、いつもどおり……いつもどおりだ。
伊達に妖怪と言われていないことを証明してみせよ」
ははは……と、笑い声が聞こえる。どうやら大丈夫のようだ。
私は傍で控えている、大神官長ボウドス・ル・グルドスの顔を見て頷く。
ボウドスも私の顔を見て頷いた。
彼は長年私を支えてくれた男で、かれこれ六十年近くの付き合いだ。
ボウドスとは、よく遊んだり、喧嘩もしたし……恋もした。
私がこのような呪い……いや、これは呪いと言ってはいけなかった。
この使命を授からなければ、彼と違った人生を歩んでいただろう。
私がこの使命を授かった後も、彼は私を支え続け、
遂には大神官長にまでのし上がった。全ては私のためだった。
「一人くらいは、愚痴が聞けるヤツが欲しいだろ?」
たった、それだけのために彼は……教皇に最も近い大神官長就いたのだ。
そこまでの道程が、どれほどの苦難であったかは推して知るべし。
だが彼は、一度も弱音を吐かなかった。
それ故、私よりも教皇に相応しいのは、今でも彼だと思っている。
「ミレニア……笑顔だ。聖女様がいらっしゃるぞ?」
「え? えぇ、わかってます」
ニヤリと彼が笑う。あぁ……彼がいる限り私は教皇を演じていられる。
それに、聖女エルティナは『白エルフ』だ。この私の『永遠の祝福』を
理解し、共に歩んでくれるかもしれない存在。
あわよくば、私の娘になって欲しいとすら考えている。
色々と欲望が顔を出しているが、私はこのチャンスを逃す気はない。
ボウドスも元気だが、既に壮年だ。いつ死んでもおかしくはない。
彼が死んだら、私は自分を維持できる自信がない。
私は……弱い人間なのだ。自分でも理解できるほどに。
だれかにすがり、頼り、そうして初めて自分を確立できる人間なのだ。
あの時、あの杖にさえ触らなければ……! と今でも後悔している。
『聖女ミリタナスの杖』……あの杖に触れた時から、私の人生は狂い始めた。
そう、今持っているこの杖だ。
謁見の間に集った者達が姿勢を正した。
私の正面にある大きな扉が音を立て、ゆっくりと開いていく。
開いた先には……私が、否、私達が待ち望んだ聖女エルティナの姿があった。
道案内を任された神官長ノイッシュが脇に待機し道を開ける。
そして……聖女エルティナが私に向かって歩み始めた。
その姿に、皆の息を飲む声が聞こえた。
百戦錬磨の妖怪と称された、重鎮達の視線を気にも留めないかの如き歩み。
真っ直ぐ私を見据える意志の強そうな瞳。
なんという……存在感! なんという……可憐な姿!!
そう! 彼女は可憐であったのだ! 最初の息を飲む声は、彼女の可憐な姿を
見た若い大神官達。その次に息を飲んだのは、強い意志を持つ彼女の目を見た
老練な大神官達。それぞれ感じるものは違えども、彼女の秘めたる魅力を
敏感に感じ取ったのだ。
「おぉ、何という従者であろうか。……欲しい」
思わず呟いたのはボウドスだ。聖女エルティナの後ろに控える従者達に
ボウドスの目は釘付けになっていた。
一人はラングステンの騎士だと思われる、顔の整った女性騎士だ。
首には青く美しいマフラーを身に着けている。
騎士にしておくには些か勿体ない気がする。
しかし、実力は本物のようで、彼女から感じる威圧感が生半可な物ではない。
鎧を脱ぎドレスに着替えれば、男性からの声が数多であろうに……。
彼女も生きる道を誤ったのだろうか?
その脇にいるのは、まだ幼い少年だ。
だがその姿は遥か東の地にあると言われている、島国『イズルヒ』の戦士
『侍』の姿であった。
幼いながらも、その目には鋭い眼光が光り、ただ歩いているにもかかわらず、
素晴らしい素質を持った若獅子であることを想わせる。
なるほど、ボウドスが思わず呟くのもわかる。
しかしだ……後から入ってきた、わんちゃんと玩具の人形は何?
ペット? お気に入りの玩具?
って、あぁ……あの子はミカエル達が言っていたムセルちゃんね?
でも、あのわんちゃんは……?
そう思った瞬間! そのわんちゃんが、一人の衛兵に向けて殺気を放った!
その恐るべき殺気は到底、人が耐えれるものではなく、
その衛兵はたちまち泡を吹いて気を失ってしまった。
「とんぺー、もういいぞ」
聖女エルティナが、とんぺーと呼んだ白い犬の頭を撫で労う。
倒れた衛兵の手に握られていたのは、毒が塗られているナイフだった。
白銀の刃に紫色の液体が付いているのがその証だ。
「バカな……こんなことがっ! 警備の者は何をやっていたっ!」
「まだ仲間がいるやも知れぬっ! 捜索させるのだっ!」
なんということだ! 焦って準備期間を短くしたせいで、
間者が入り込んでいたとは!! これではせっかくの顔合わせが台無しに……
だが、聖女エルティナは意に介さずに私に向かって歩み寄り、
遂には私の眼前まで辿り着いたのだ。なんという胆力であろうか!?
そしてラングステン王国の作法でお辞儀をし、私の顔を見据えて
堂々と挨拶をしてきた。
「本日はお忙しい中、急な申し出にも関わらず、
このような時間を作って頂き光栄でございます。
私はラングステン王国の聖女、エルティナ・ランフォーリ・エティルと
申します」
「…………!!」
私は自分より、遥かに年下の少女に圧倒された!
これが……聖女エルティナ!
彼女はこの歳で、どれだけの経験を積んできたのだろうか?
「御見苦しいものをお見せいたしてしまいました。深く謝罪いたします。
私はミリタナス神聖国教皇ミレニア・リム・ミリタナスです」
私は玉座から降り立ち、聖女エルティナの元で膝を付き、目線を合わせた。
「遠い国からよく来ましたね。お待ちしていましたよ」
私は聖女エルティナの手を握り彼女を労った。
すると彼女は緊張した表情を崩し、にっこりと笑ってくれたのだ!
ぐおぉぉぉぉぉっ! 鎮まれっ! 私の荒ぶる欲望達よっ!!
ここで私が暴走すれば、全てがご破算であるっ!! しっ……深呼吸!!
ひっひっふ~……ひっひっふ~……違うっ! それじゃないっ!
「教皇様? どこか痛いのか……ですか?」
心配そうな表情で、私を見つめてくる聖女エルティナ!
やめてっ! 私の欲望を抑える精神力がゴリゴリ削られていくっ!!
「だ……大丈夫ですよ?」
と言って、努めて冷静に振舞い玉座に戻る。
あっぶなっ! この子の笑顔はとんでもない破壊力だわっ!!
気を付けなくては……!
ポカーンと、呆けている彼女もまた可愛らしい。
しかし、何時までもここに立たせているのは可哀想である。
さっさと謁見を済ませて、自室で愛でたい。
……いやいや! そうじゃない! きちんと最後まで気を抜かずに、
謁見を終わらせないとっ!! 落ち着けっ! 私っ!!
「それでは、謁見の儀を終了いたします。
『最後に何か伝えたいこと』はございますか?」
とボウドスが聖女エルティナに告げる。
視界の隅で、神官長がガッツポーズを取っていた。何事であろうか?
その言葉の後……突如ビクンと体を震わせ、よろよろと聖女エルティナが
私に向かって歩いてきた。足取りは弱々しくおぼついていない。
いったい、どういうことであろうか?
「エルティナっ!?」
「御屋形様っ!?」
従者の二人が声をかけるも気付く様子はない、これは……!?
薬を盛られている? いったいだれが、なんのために?
そして私は気付いた。神官長がガッツポーズを取っていたことを!
あの先走り君が、またしても先走ったのだろう。困ったものだ。
しかし、これはチャンスでもある。この症状は催眠効果のある薬で
間違いないだろう。あとは私が誘導して……「ずっと、ここにいたい」と
言わせれば、我々の勝利であるっ!!
私は神官長を見た。彼はニヤリと頷く。
その意図を察し、私は近づいてくる聖女を見守った。
後は私の仕事だ! あわよくば、あの二人の従者もミリタナス神聖国に
引き抜いてくれるわっ! ふっふっふ……!
聖女エルティナが、遂に私の足元まで到達した。
小さな体で、トテトテと歩いてきたのだ。愛おしいなっ! エルティナッ!!
私はしゃがみ、彼女の目線に合わせ、努めて優しく語りかける。
「どうしたのですか? こんなに不安そうな顔をして?」
「あうぅ……」
聖女エルティナの表情は、親とはぐれ迷子になった幼子の顔だった。
やっべ! 今……問答無用で抱きしめそうになった!! 耐えろっ!
私は聖女エルティナの頭を撫でつつ誘導していく。
おっふ、つやつやで、滑らかな絹のような髪だわぁ。羨ましい……!
「お……おぉ……お……」
「お?」
いいぞっ! もう少しでこの子は堕ちるっ! あぁ、早く抱きしめたいっ!
この子を着飾ってやりたい! 一緒に食事をして一緒に散歩したり、
何気ない会話に華を咲かせたいっ! そして! そしてっ!!
もっと色々と教えてあげたい! 楽しいことを! 私はこの子と……
世界が終わるまで、ずっと一緒にいたい……。
最後の言葉を思い浮かべた時、突然我に返った。
私はこの子を、独占しようとしているだけなのでは……!?
ミリタナス神聖国のためではなく、自分自身のために。
ただ……この子を、私という鳥籠に閉じ込めようと……。
私は教皇だ、私の中身が教皇に相応しいとは思っていないが、これまでの
実績を認め、ついてきてくれている部下達がいるではないか?
今は己の欲望を抑えて、なすべきことをっ!!
そこまで考えて……私の考えは中断させられた。
「お……おぉ……おっぱいっ!!」
ガバッと聖女エルティナが、私の胸に飛び込んできたのだ!
「おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい……」
おっぱいと連呼するこの子に、すっかり毒気を抜かれてしまった私。
彼女の姿は母親に甘える子供そのもの。
この状態では、もう語りかけても無駄だろう。
私の胸に顔を埋め大人しくなった彼女を、キュッと抱きしめて……
私は自分の敗北を悟った。
視界の隅で、体をのけぞらせて顔を覆う神官長の姿が。
お膳立てして貰ったけどダメだったわ。ごめんなさいね?
私は聖女エルティナが正気に戻るまで、しばらくの間
この子の温もりを堪能した。この温もりが、いつか苦しい事態に
追い込まれた私を、必ず支えてくれると信じて……。