深緑のローブの男
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
耳をつんざく絶叫が、氷の迷宮に響く。
鬼に堕ちた心弱き者、マジェクト・エズクードの悲鳴である。
桃先輩が当たった部分……陥没した左目から、ぶすぶすと煙が出ており
更にじわじわと、顔全体に『陽の力』が広がりつつあった。
筋力の少ない俺が放った『スクリューピーチクラッシャー』では
一撃とまでは、いかなかったようである。……残念。
「がぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
唯一、動く右腕で左目を抑えるも全く効果なく、鬼を滅ぼす『陽の力』は
マジェクトを輪廻の輪に帰そうと、更に広がりつつあった。
このまま、時間が過ぎれば、やがて全身に『陽の力』が行き届き
鬼としてのマジェクトは滅びるだろう。
遂に俺は……初代の仇の一人に、制裁を食らわせてやれたのだ。
とはいえ……なんだろうか? この、すっきりしない気持ちは?
マジェクトが苦しんでいる姿を見て、俺は何故か……哀れに思えてならない。
復讐なら、相手を苦しめるのは当然の処置、なのだろうが……もやっとする。
うん、やめやめ! 考えるな! 感じたまま行動しよう!
俺は、こんな苦しむ姿が見たいわけじゃない。
懲らしめてやりたかっただけなんだ。
偶々、マジェクトが鬼に堕ちてしまったから、こんな結果になっただけだ。
もう、苦しまないように、止めをさしてあげよう。……そうしよう。
「桃先輩、もう十分だ……止めをさして、輪廻の輪に逝って貰おう」
「いいのか? 仇……なのだろう?」
俺は「いいんだ」といって、俺の足元まで転がってきた
桃先輩を拾い上げる。
マジェクトの顔面に当たった後、跳ね返って俺の元に転がってきたのだ。
桃先輩が意図的に、調節して戻ってきたかどうかは、わからないが
再び桃先輩を召喚しなくても済む分、俺にとっては好都合だった。
俺は再び、桃先輩に桃力を注ぐ。
あれだけの衝撃でも、傷一つ付いていない桃先輩に
少々……ほんの僅かビビったが、気にしない方向に持っていった。
固いのは『スクリューピーチクラッシャー』の時だけだと思いたい。
身魂融合時にかじって、歯が欠けたら泣ける。
「こら、雑念は捨てろ」
「さーせん」
怒られた、これもマジェクトって鬼が悪いんだ。(責任転嫁)
責任を擦り付け、雑念がなくなったので、桃先輩が熟した。
今度は格好付けずに、両手でしっかりと桃先輩を持っている。
俺は再び『スクリューピーチクラッシャー』を放った。
回転する桃が光を放ちつつ、悲鳴を上げ続けているマジェクトに迫る。
マジェクトは未だに、左目を抑え苦しんでおり
二発目の桃先輩に気付いていない。
いっそ、気付かないまま逝けた方がいいだろう。
じゃあな、マジェクト……次はいい人生歩めよ?
俺はマジェクトの来世に、少しばかりのエールを送った。
バシンッ!! と大きな音がした。
それは、マジェクトに桃先輩が当たった音であったか?
答えは否だ。
桃先輩が、マジェクトに当たることはなかった。
「すみませんが……彼は回収させていただきます」
突然、深緑のローブを身に纏った長身の男が現れ
右手で桃先輩を受け止めた。
その男は、フードを深く被っていて、顔は全く見えない。
辛うじて、口元が見える程度だ。
そんな謎めいた男が、本当に突然現れた。
何もない空間から、ぬるっと出てきた感じだ。
どう説明すればいいか、わからない登場の仕方……困るんですがねぇ?
それよりも、驚くのは……桃先輩を素手で受け止めた点だ。
このことから、この謎のローブの男は、鬼ではないことがわかる。
更には、相当な筋肉を持っているのだろう。
マジェクトの顔面を、陥没させるほどの威力を持つ
『スクリューピーチクラッシャー』を、片手で受け止めているのだ。
ちょっと、ショックだったのは内緒な!?
「おまえ……何者だ?」
ローブの男に握られた桃先輩が、注意深くローブの男を観察しつつ
質問を開始した。
深緑のローブの男は口に優しげな笑みを浮かべ言った。
「今は語るべき時……ではありません。
ですが、何時の日か……私達は再び会うことになりましょう。
その時……自分が何者か、お教えいたしましょう」
そう言うと、ぴょいっと桃先輩を、俺に向けて放り投げた。
慌てて俺は、桃先輩を受け止めようとして……失敗した。
べしゃっ。
「あ~!?」
哀れ、桃先輩は潰れてしまった。(涙目)
俺はローブの男に、抗議の視線を送る。
しかも、俺は『じと目』なので、威力は倍増するっ!! じと~……
ポリポリと頬を掻く、ローブの男。口元はひくついていた。
この場が、恐ろしく気まずい雰囲気になる。
暫しの沈黙……「ぐっぎゃぁぁぁ!」……マジェクトうるさい。空気読め。
沈黙を破ったのは、深緑のローブの男だった。
「なんと言いますか……すみません」
ローブの男が謝罪してきた。
流石に空気を読んだのか、きちんと心が籠った謝罪であった。
特別に許してやらんこともない。
「桃先輩の死は、無駄にしないんだぜ……」
俺は空を見上げ……氷の天井しかないが。
今は亡き、桃先輩を思い涙した。うるうる。
ありがとう桃先輩! あなたのことは忘れません!!
「勝手に殺すな」
潰れた桃から、桃先輩の声が!
よかった! 生きてたんだ!!(棒読み)
「流石に桃スペシャルの、連続使用は耐えられないか……
ドクター・モモに報告だな」
「そうだったのか……それよりも、その姿が痛々しいから
食べちゃってもいいか?」
俺が潰れた桃先輩を、拾い上げ食べようとした時……
「い、いけません! 地面に落ちて傷んだものを口にするなどっ!
お腹を壊してしまいますよ!?」
深緑のローブの男が慌てて、食べるのを止めてきた。
一理あるが、俺は森で散々拾い食いしてたから問題ないと思うんだが?
まぁ、事情をしらない者が、いきなり拾い食いしようとすれば止めるわな。
でも……あなたは敵側ですよね? 親切なのか、お人好しなのか……
「俺もその行為は否定だな……そもそも鬼にぶつけた物だ。
今、浄化してしまうから、再び召喚してくれ」
そう言うと、潰れた桃先輩は俺の手の中で
桃色の光に解れて空に昇っていった。
……とても綺麗だったので、思わず見とれてしまった。
「ふぅ、よかった。良識あるパートナーがいるようですね?」
ローブの男が、胸に手を当て安堵していた。
表情こそ見えないが、心から俺を心配しているのがわかる。
敵の俺を何故……?
「さて、私はこれで……また何時の日か会いましょう」
そう言うと、何もない空間に手をかざす。
すると、音もなく空間が割れ、暗い闇が……いや、違うな。
どこかの別の空間だ。
その闇から別の空気の匂いが流れ込んできている。
……臭い。
「ふふ……すみませんね? 実験室の通路を開けたんですよ。
それでは……失礼」
そう言うと、深緑のローブの男は、マジェクトの頭をわしづかみにして
暗い闇の中に消えていった。
俺はそれを、黙って見逃した……賢明な判断だったと思う。
口調、態度、俺に対する好意。
非常に友好的であったが……あれは鬼に組する敵だ。
しかも……マジェクトとは比べ物にならないほど強い。
今になって、汗がドッと吹き出してきた。
いったい、あいつは何者なんだ……?
どこか、懐かしい……いや、違う。なんと言えばいいか……わからない。
う~ん……あえて言うなら『怖い兄貴』だろうか?
「おいでませ! 桃先輩!」
俺は再び桃先輩を呼び出す。
俺の手に光が集まり、未熟な桃が現れた。
「……やつは?」
「帰った」
桃先輩が安堵の息を吐いた。
桃がそれをすると、中々にシュールだ。
「思ったとおり、やつはお前に手を出さずに帰ったか。
おまえもよく、手を出さなかった……成長したな」
「……出さなかったんじゃない、出せなかったんだよ」
俺は素直に白状した。こんなことは、初めてだ。
俺は自分の敵に対しては、容赦なく牙を剥いてきた。
それが……できなかった。
これが、格上の力か……!! くやしいぜ……!!
「今はそれでいい……おまえはまだ、成長の途中なのだからな」
桃先輩の言葉が、俺に対する慰めに聞こえた……実際そうだったのだろう。
俺の本能が『やめとけ』と、警告していなければ今頃……
うおぉぉ……鳥肌立ってきたっ!
「取り敢えず、身魂融合っ!!」
ガツガツと桃先輩を平らげた。うん、甘味が増えてきている。
「白エルフの子よ、脅威は去ったのか?」
フェンリル母ちゃんが、毛玉とルドルフさんを抱き寄せた状態で言った。
よろしく……とは言ったが、そこまでしろとは言っていない。
心なしか、顔が赤い気がする。
……マサカナ?
「あぁ……取り敢えずは大丈夫だ」
俺もフェンリル母ちゃんの言葉で、皆の状態を思い出す。
あれ? 結構ヤヴァくね? 慌てて魂数字を確認する。
やっぱり、ヤヴァかった! 特にルドルフさん!
なんかスキル使って耐えてたけど、根性で耐えてたみたい!
瀕死状態じゃねぇかっ!!
「ふっきゅん! 『エリアヒール』!!」
新治癒魔法『エリアヒール』を発動する。
この治癒魔法は、一定範囲の空間を指定して、決まった時間
範囲内にいる負傷者の傷を回復する、範囲治癒魔法だ。
欠点としては、敵だろうが味方だろうが
お構いなしに治してしまうことだ」
指定範囲は、この空間全体。
結構、疎らに散らばって倒れているので範囲を拡大する。
その分、魔力を消費するが『ワイドヒール』よりはましだ。
回復速度は『ワイドヒール』の方が上だが、敵がいない以上
コストパフォーマンスの優れるこちらの方がいい。
俺も結構、消耗してるのよ?
そしてこの魔法……一般ヒーラーにも使えるよう、調整している!
やったね! エルちゃん! 楽できるよ!!
……使用にはBランクが絶対条件だが。(吐血)
ま、まぁ、Bランクは……がんばれば、なれるからね! 大丈夫!!
「これは……体が……なるほど、優しい光だ。
この子が懐くのも理解できる」
フェンリル母ちゃんが毛玉を舐めて、落ち着かせている。
ついでにルドルフさんも、ペロペロしている。
「う……私は…………?」
ルドルフさんが目を覚ました。
よかった、結構危なかったけど、流石はルドルフさん!
不死身の男だぁ……
その後も、続々と目を覚ます仲間達。
誰一人、欠けることなく、無事に『鬼退治』を終了させた。
厳密には『退けた』だが……
「お、御屋形様っ! 申し訳ありませぬっ!!
拙者が不甲斐ないばかりにっ!!」
俺の方に走ってきて、ダイビング土下座を披露するザイン。
そんな豪快な土下座はいりません。
「いや、ザインは良くやってくれたさ。
見ろ……お陰でフェンリル親子は無事だ。
ザインがいなければ……見れなかった光景だよ」
俺はフェンリル親子がいる方を見て……おぃぃぃぃ!? 待て待てっ!
そこには、ルドルフさんの服を脱がす、全裸の美女がいた。
水色の透き通るような長い髪に、白く美しい肌。
この世の美の粋を集めたような顔立ち。
バランスの取れた、しなやかな肉体。
乳房も臀部も、芸術品のような曲線だ。……突撃したい。
そんな美女が妖艶な表情で、せっせとルドルフさんを脱がしている。
毛玉はキョトンとしているが、興味深々の様子。
と、いうかどなたですか!? おまえはっ!!
「ん? あぁ、私だ、フェンリルだよ。
この勇敢な人の子の『種』を貰おうと思ってな?
きっと、素晴らしく勇敢な子が生まれるだろう……楽しみだ」
そう言って、まだ動けないルドルフさんの服を全部引っぺがし……
ら、らめ~!! これ以上はイケないっ!!
「これは、そっとしておいた方がいいのか?」
「教育上は良くないが……彼も抵抗していないようだし……
皆を連れて、一時ここを離れるぞ」
俺は桃先輩の言うとおり、興味深々の毛玉を抱っこして
皆と一緒に、この部屋を離れた。
耳を澄ますと……アンアン、とか、ふんふんとか聞こえる。(赤面)
しばらくすると「アァー!!」と言う、嬌声が響き……静かになった。
「……終わったようだな。呪われろ」
「そのようだな桃先輩。呪われろ」
ルドルフさんに、呪いの祝言を投げかけてから、部屋に戻った。
「わぁお」
まだ、早かった。
とんでもない姿で出迎えてくれたフェンリル母ちゃん。
エム字開脚で、出迎えてくれるなんて聞いてない。
俺達は慌てて出直した。
◆◆◆
三十分後……
『フリースペース』から取り出した、照り焼きチキンサンドで
小腹を満たした俺達は、恐る恐る部屋を覗いてみた。
そこには、寄り添い楽しげに会話する二人の姿が!!
全裸でなければ、尚良かったのに!!(白目)
もう、諦めて突撃じゃ~!!
「おいぃぃぃぃぃっ!! 呪われろっ!!」
「あぁ……白エルフの子、すまない待たせたな。
無事に『身籠った』よ」
超ド直球だった。
それは、喜んでいいのか? ……いいんだろうなぁ。(呆れ)
「申し訳ありませんエルティナ。
あの……なんと言いますか……彼女に一目惚れしてしまいました」
ポリポリと頬を掻くルドルフさん。
男なら断れないこともある。
しかしだ……確かめなければならないことがある。
「それは、直感か?」
「はい、直感です」
俺は腕を組み「ならば良しっ!」と言った。
想定外の展開ばかりだったが、終わり良ければ全て良しだっ!!
俺はヤケクソ気味に、ブンブン頭を振っていた……




