月光蝶
◆◆◆
午後三時四十七分。フェルド平原。
「ちっ……遂にここまで来ちまったか!?」
ここを抜けられたら……あとは、アルフォンスに任せるしかねぇ!
まだか……まだなのか!?
『こちら桃先輩! 応答願う!』
『こちらグロリアだ! どうした!?』
桃先輩ってのが『テレパス』で連絡してきた。
聖女様に憑いている精神体って話だ。
『悪い知らせだ。作戦が、およそ三時間延長となった』
『はぁ!? 冗談じゃないぞ!? こっちはもう、フェルド平原まで
来ちまってるんだ! ここを抜けられたら……
もう、阻止限界点の前まで行っちまうんだぞ!?』
冗談ではなかった。
こっちの疲労も、人員の消耗も、限界に達しようとしている。
あと、三時間なんて無理だ!
『無理は承知で言っている。こちらも、知らされたのは先程だ。
「神桃の芽」がイレギュラー個体だった。「桃力」が倍必要らしい。
加えてエルティナの「桃力」の消耗が激しく
回復しながらの作業になるので、三時間掛かるのだ』
『笑えねぇな……でも、やるしかねぇんだろ?』
『頼む』と、言葉短く済まなさそうに『テレパス』を終える。
まったく……どこまで持つかね?
俺は、必死に竜巻を、足止めし続ける部隊を見つめた……
持って一時間と、言ったところか。
「さて……やれるだけ、やってみるか!」
俺は再び、魔法隊にちょっかいを掛けている子鬼を、排除するために
馬を走らせた。
もう、槍も鎧もボロボロだ。しかし、やるしかない。
……でなければ、今までやってきたことが、全て無駄になってしまう。
止まるどころか、益々勢いを増す竜巻。
果たして、俺達はフィリミシアを、守ることができるのだろうか……?
◆◆◆
午後五時十一分。桃の聖域。
「グロリア将軍から連絡がきた。
遂に竜巻がフェルド平原を突破した。
今は、アルフォンス氏の魔法で、最後の足止め中だ」
「はぁ、はぁ……それって不味いな?
桃先輩……こっちはあと、どのくらいだ?」
あれから、どのくらい時間が経っただろうか?
ずっと、ずっと、皆……戦い続けている。
俺も『桃力』を少し作っては注ぎ、作っては注ぎ……を繰り返している。
しかも、食える希望や祈りは益々減ってきている。
「……あと、一時間弱だ」
きつい。そんなにもう……持たない。
雨による寒さで、どんどん体力が奪われる上に未だ増え続ける
こみどりの襲撃で、皆……体力、気力共に限界に達している。
「くそっ! もっと……『桃力』を作れれば……!」
歯がゆい! このままじゃ……本当にだれか、だれか死んじまう!
俺は懐に手を当てる。
いもいも坊や達のように、死なせて堪るか……!
何か、良い方法はないか?
うががが! 頭がぼ~っとして、考えが浮かばねぇ!!
『エルティナ、おまえは「桃力」の生産と、それを注ぐことに集中しろ。
おまえの限界は、とうに過ぎている。
未だに、立っていることすら、奇跡と言えるくらいなのだぞ?』
桃先輩が脳内会話で、俺の状態を教えてくれた。
うん! 思ってたより酷い!
「桃先輩! リンダとゴードンがやられた!」
ライオットが、リンダとゴードンを引きずってきた。
酷い傷だが……もう、俺は『ヒール』を施す魔力すらない。
ヒールのできないヒーラーは、ただの置物だぁ……(号泣)
「二人をこっちに! なんとしても持ち堪えるんだ!」
既に……戦闘不能者も、かなりの人数に達している。
野良ビースト達は既に全員リタイア。
ルドルフさんも今は休憩中だが……
どう見ても、もう立てないくらいの負傷だ。
マフティも……マフティを庇ったフォクベルトも、もう戦えない。
ホビーゴーレム達も限界が近い。
「うわわ!? こっちくんじゃねぇ!!」
「ダナン! こっちだ!!」
意外に活躍しているのがダナンである。……囮としてだが。
纏まったところを、リックの槍で一網打尽にしている。
そして……プリエナは、ずっとお祈りしてくれている。
必死に、ただ……ひたすらにだ。
俺の『桃力』生産の半分は、プリエナのお陰である。
もう半分は、ホビーゴーレムのぽんぽだったりする。
「皆……がんばってくれ……」
もう……そんな、ありきたりな言葉しか出てこない。
更に勢いを増す雨風。止まることのない、こみどりの増援。
こっちに良いことなんて……なんにもねぇ! ふざけるなっ!(激怒)
午後五時五十二分。桃の聖域。
あれから少し時間が経った。
戦闘不能者もかなり増えた。
と、いうか戦えている者を言った方が早い。
オオクマさんと、トスムーさん、ライオットと
ムセル、イシヅカ、ツツオウだけだ。
この人数で、なんとかなっているのは……
桃の聖域の外で戦っているプルル達が、がんばっているお陰だろう。
それにしたって、プルル達も限界に近いはず。
俺なんてもう、立ってられなくて座って作業している。
「……!? 緊急連絡だ! ……竜巻が、阻止限界点を突破した」
「……は!? マジでっ!? あ……あと少しなんだぞっ!?」
桃先輩の口……実際には俺の口なんだが……
いや、今はそんなことどうでもいい!
竜巻が、阻止限界点を越えたという、衝撃の情報がもたらされた。
アルのおっさんが、持たなかったかっ!?
いや……むしろ、今まで良く持ったと言った方が正しいか!!
いずれにしても、もう時間は残されていない!!
どうする!? ……どうするっ!?
……おつきさま……おつきさま……
!? なんだ!? だれの声だ!?
「ヒーちゃん! 何か言ったか!?」
「いえ……? 何も……いってないわ。どうしたの……エル……?」
全身傷だらけのヒュリティアは、苦しそうに俺の言葉に答えてくれた。
俺が『ヒール』を使えなくなってしまったので
ヒュリティアの応急手当が、非常にありがたかった。
ヒュリティアは、魔法が使えないので、こういう技術が高いのだ。
……おつきさま……おつきさま。
……ぼくらの、おねがい……おねがい……
まただ!? いったいなんだ!?
幼くて可愛らしい、鈴の音のような声が頭に響いた。
疲労のあまり、遂に幻聴が聞こえるようになっちまったか!?
……笑えねぇぞっ!?
俺の傍でガシャン! と、音がした。
何の音かと思い、音のがした方を向けば……
「ムセル!? おまえ……足が!?」
ムセルの左足は、太ももから先がなくなっていた。
『憎しみの光』の直撃を受けたのだろうか?
イシヅカに担がれて、避難してきたようだった。
ムセルが戦線を離脱したことによって、防衛網に穴が開き
こみどり達が『桃の聖域』に侵入してきた!
「私が行きます!」
ルドルフさんが、剣を杖にして立ち上がった。
……まともに立てないのに、戦うなんて無理だ!!
「守ってみせます……絶対に!! この身が砕けようとも!!」
足を引きずりながら、こみどり達に向かって行くルドルフさん。
やめろ! ……もうやめてくれ……!!
そして、ルドルフさんは動く足を使い、こみどり達に飛びかかった!
こみどり達は……『憎しみの光』を、飛びかかってきたルドルフさんに放ち
そして……それは、ルドルフさんの胸を貫いた。
しかし、ルドルフさんはそのまま、こみどり達の上に落ち、重鎧の重さで
こみどり達を押しつぶした。
「ル……ルドルフさん!! おいっ! 返事を……」
ピクリとも動かないルドルフさん。
『憎しみの光』が貫いた箇所からは、大量の血が溢れ……血の池を作っていた。
……おつきさま……おつきさま。
……ぼくらの、おねがい……おねがい……
……たいせつな……たいせつな……
「嘘だろ……? 返事してくれよ! ルドルフさん! ルドルフさん!!」
あんた、魔王の攻撃受けても生きて帰ってきたって
言ってたじゃないか!
何度も、何度も重傷を負っても、ちゃんと生きて帰ってきたじゃないか!
「そ……そんな…………」
リンダが両手を口に当て、真っ青な顔で呟いた。
体は震え、息も荒い。
リンダは本当の両親を、目の前で殺されている。
その光景が甦ったのだろう。
……おつきさま……おつきさま。
……さっきから、この声が止まらない。
段々と、声が大きく鮮明に、聞こえるようになっている。
「くそ……なんだ? この声は……うっ!?」
俺は風にあおられて、バランスを崩した。
その拍子に、懐に入れていた
いもいも坊やの亡骸がポロリと転がった。
「あ……リボン坊や……」
転がったのは……何時も俺の肩で、喜んだり驚いていたり
していたいもいも坊やだった。
今はもう、その姿を見ることはできない。
近くにいたムセルが、リボン坊やを抱き止めた。
ムセルも、リボン坊やとは浅からぬ仲だ。
ムセルは今……何を思っているのだろうか?
ムセルは、リボン坊やの亡骸をそっと地面に横たえて
残った足で立ち上がろうとした。
しかし、上手く立てずにバランスを崩し転倒しそうになる。
それを……イシヅカが支えた。……イシヅカも右腕がなくなっていた。
そこに、ツツオウが戻ってきた。
「…………」
口を開けて鳴こうとしているが……声は出なかった。
発声器官が故障したらしい。
ツツオウは、ムセルの左足を支えるべく
ムセルのなくなった足の下に潜り込んだ。いったい何を……?
やがて……桃色の光が、ムセルの左腕に集まり始める。
それは、ムセル自身ではなく……他のホビーゴーレムから集まっていた。
半壊した仲間のホビーゴーレムが、自身に残った『桃力』を
ムセルに集めていたのだ。
「いったい何を……!? やめろっ! ムセルッ!!」
俺は察した。
ムセルは……『裂破桃撃拳』を放とうとしているのだ。
今のムセルは、体のあらゆる場所に亀裂が入っている。
その状態で『裂破桃撃拳』を放てば……おまえは……!!
そして来る……発動承認画面。
こんなの承認できるわけが……!?
『裂破桃撃拳』発動承認。
承認者……桃大佐。
「ど……どういうことだ!? 桃先輩!? なんで桃大佐が!?」
「……特別権限だ。大佐からは作戦時において、必要だと判断した場合
全承認権を行使できる。
そして、それは覆すことはできない」
努めて冷静に俺に説明する桃先輩。
しかし……最後の言葉は震えていた。そして、その感情は俺にもわかった。
不甲斐なさ、情けなさ、無力な己への怒り……
そして……ムセルの左の拳に力は集まり『裂破桃撃拳』は……放たれた。
天に向かって放たれた力は……空を覆っていた黒い雲を打ち砕く。
しかし……その代償は……
「ムセルッ!!」
放った左腕から、徐々に砕けていく……やがて、それは……全身に及んだ。
「…………!!」
ツツオウの声に出せない悲鳴。
ムセルは……イシヅカの腕の中でバラバラに砕け散った。
膝から崩れ落ちるイシヅカ。
残った腕に抱いた……兄弟の欠片を、悲しそうに見つめていた。
泣くことも叫ぶこともできない……ホビーゴーレムの辛さが……そこにあった。
「うあぁぁ……そんな、そんな!!」
俺は、目の前で起きていることが、信じられずにいた。
なんで! どうして!! 大切な仲間が、家族が……
俺に……俺に力が足りないから……どんどん失っていく……
「!? しっかりしろ! エルティナ!!
気をしっかり持つんだ!! 『陰の力』に飲み込まれるな!!」
俺は……俺は…………
おつきさま、おつきさま。
ようやくみえた、ようやくみえた!
さっきから聞こえていた声。
俺は、ムセルが開けた空を見た。
真黒な雲にぽっかりと空いた穴からは……丸い綺麗な月が見えていた。
それは……神秘的な美しさを纏った満月だった。
だから、なんだというのだろうか?
もう……ルドルフさんも、ムセルも……いもいも坊や達も帰ってはこない。
やがて、竜巻がきて……フィリミシアの町は滅びるだろう。
俺も……お前達の元へ、行くことになるのだろう。
もう少ししたら……そっちに……
おつきさま! おつきさま!
ぼくらにちからを! ぼくらにちからを!
たいせつな、なかまを! ともだちを! かぞくを、すくうちからを!
ぼくらは、たいせつなおもいを、きおくを、やさしさをのせて!
そらをまう! そらをまう!
その時……俺の胸が輝き出した。
眩い……優しい輝き。その光は桃の聖域に満ち溢れた。
その光に触れたこみどりは、膝を付き空から見える月を見つめだす。
完全に戦意を……悪意を、憎しみを失っていた。
そして……俺の胸から飛び出す、光り輝く十匹の蝶。
「これは……!?」
俺はリボン坊やを見た。
淡い緑色の光となって崩れていくリボン坊や。
そして、その光は蝶の形になり空に向かって羽ばたいた。
その場には、俺が買ってあげた桃色のリボンが残されている。
俺は、そのリボンを震える手で拾い上げた。
竜巻の強い風など、なかったかのように空を舞う、光り輝く十一匹の蝶。
それは、俺の頭上で輪のように連なって羽ばたいている。
おつきさま! おつきさま!
ぼくらのおとうさん! ぼくらのおかあさん!
ちからをかして! ちからをかして!
えるちんに、みんなを……すくうちからを! ちからを!!
その輪に向かって、月の光が下りてきた。
その光は、虹色の羽を持つ蝶達によって虹色に輝く。
そして、その光は……俺を包み込んだ。
既に枯渇しかけている『桃力』が回復していくのがわかる。
消えかけた勇気の炎が、再び燃え上がってきたのがわかる。
失いかけた希望の光が、戻ってくるのがわかる。
黒く染まりかけた心が……晴れていくのがわかる!!
えるちん! えるちん!!
みんなを! みんなを! すくって!
「ありがとう……ありがとう! いもいも坊や達!!」
そうだ! この危機を、なんとかできるのは、俺達以外には居ないんだ!
俺達を信じて、戦い続けてくれているやつ等のためにも!
俺は……俺達は!!
俺は……心を燃やす! 燃料は……勇気! そして、生み出すは……愛!!
全ての命のために……俺は今っ!! 限界を越えるっ!!
今……俺の中には、とてつもない量の『力』が渦巻いていた。
それは、ここまでに至るまで、戦ってくれた人達の……勇気、友情、愛の塊だ。
「エルティナ……」
ライオット、オオクマさんに、トスムーさんも俺の元に戻ってきた。
三人とも傷だらけだった。
「今……全部終わらせるからな? 見ていてくれ! みんな!!」
俺の髪が風にあおられて、目の前になびいてきた。
今の俺の髪は、光り輝く蝶と同じ、虹色に輝いていた。
俺は桃先生の芽に、溢れんばかりの、勇気と友情と愛を注ぐ。
「エルティナ……!」
「大丈夫だ、大丈夫なんだよ……桃先輩。
これは……『桃力』じゃない。これは……皆の優しさ、愛の力……」
桃先生の芽が、ドクンと震えた。
成長の兆しが見えたのだ。
「受け取ってくれ……桃先生! 俺達の……俺達の希望の力を!!」
俺は全ての『力』を注ぎ込む。
気力のみで再び立ち上がったが、今にも倒れそうだ。
だが……まだだ! まだ、倒れるわけには……いかん!
そして、遂に……桃先生の芽が成長しだした!
ぐんぐんと、凄い速度で天に伸びていく桃先生の芽。
それは、普通の木とは一線を画すものだった。
建物を粉砕しながら成長し続ける桃先生の芽。
その時……壊れた建物の破片が、俺に向かって振ってきた。
あれに当たったら……俺は死ぬだろう。
「エルッ!!」
ライオットが俺を助けようと走るが……疲労のために速度が出ていない。
皆も動いてくれているが……間に合わないだろう。
俺の『力』は、全て注ぎ終わった。
あとは……桃先生が、なんとかしてくれる。
破片の動きがゆっくりとなった。
人は死に際になると、集中力が高まり動く物がゆっくり見えるらしい。
……雨の音も聞こえなくなった。
ぼやける目で……俺に当たるであろう破片を見つめた。
……しかし、それは途中で止まっていた。
ぼやけて、霞む目には……
破片を受け止めている、大きくて太い何かが見える。
そして、それには見覚えがあった。……忘れるはずがない!!
「やど……かりく……ん……?」
太くて立派なハサミ。夏の海で出会った優しいヤドカリ。
俺達のために命を投げうって……帰らぬ者になってしまった。
俺の見たものは、果たして幻だったのだろうか?
それが……意識を手放す俺が、最後に見た光景だった。
◆◆◆
俺はエルを抱えて桃の聖域を出た。
モモセンセイの芽は、ヒーラー協会と周りの建物を取り込んで
更に成長を続ける。
やがて、フィリミシアを覆い尽くすほど、枝を伸ばし始めた。
もう……竜巻は、肉眼で確認できるほど接近していた。
「間に合わなかったのか……?」
俺のつぶやきに、ヒュリティアは言った。
「いいえ……間に合ったわ。奇跡は起きたのだから」
ヒュリティアは光り輝く蝶を見て言った。
さっきから、俺が抱えているエルの上で、羽ばたいている光の蝶。
いもいも坊やが、成長した姿だ。
「シャピヨン……美しく光り輝く蝶。
目撃者は極めて少なく、伝説として伝えられている蝶です」
「ミカエル……」
俺達と一緒に、こみどりの大群と戦い、左手を失うけがを負った。
それでも、こいつは泣き言をいわなかったな。
大したやつだ。
光る蝶を見て、話を続けるミカエル。
「条件はわかりませんが、全て……奇跡が起きた満月の夜に目撃されており
その全てが、月の光を浴びて空へと羽ばたいていくさまから
別名を、こう呼ばれています」
ミカエルは蝶を見て……本当に、本当に綺麗な顔で言った。
男の俺でも、ドキッとする顔だった。
「月の光に導かれ、空を舞う蝶……『月光蝶』……と」
「月光蝶……か」
モモセンセイの芽の、成長が終わった。
その姿は、町を守るようにそびえたつ、超巨大な大樹だった。
そして、その身から『桃力』が溢れ出した。
その量は、さっきのエルですら敵わないほどの量だ。
これが……モモセンセイの力。
エルが……無償の信頼を寄せる者の力か…………
モモセンセイの力が解き放たれた。
その力は、竜巻を包み込む。
まるで……泣き叫ぶ子供を、優しく抱きしめているように見えた。
やがて、小さくなっていく竜巻。
最後には……淡い緑色の光となって、天に昇っていった。
滅ぼすのでも、消し去るのでもない、優しさで浄化した。
「これが……モモセンセイか……」
こうして、竜巻は呆気ないほど、静かに消えていった。
数々の消えない傷を残して………