8:傷つけた
思い切り飛び出してきた菜美の姿をいち早くに見つけたのは、瑞稀たちを見守っていた秋乃と千晴だった。菜美の持っているモノに気づいた時、叫びに似た声をあげた。
「!!」「瑞稀!逃げて!!」
二人はフェンスから飛び出した。瑞稀はその言葉で後ろを向いた。すぐ目の前にカッターナイフを持って襲いかかろうとしている菜美が迫っていた。
「・・っ!!」
「うあああああぁ!!」
悲しみに暮れる菜美の叫び。その全てが、心の葛藤を意味していた。
瑞稀はその意味に気付けたが身体を動かすことができなかった。
「「瑞稀!!」」
「っ・・」
狙いはただ一人。瑞稀。そのカッターの刃が真っ直ぐ瑞稀に降りおろされた。
ザシュッという肉を切る忌々しい音と血のようなサビの臭いはした。だが、覚悟していた痛みがいつまでも感じられない。どうなっているのか解らなかった瑞稀はそっと眼を開けた。
「・・・!!」
「・・・八神、平気か・・?」
眼を開けたすぐ目の前に、特徴ある寝癖の後ろ姿が入った。ちょうど、襲いかかろうとした菜美との間に入り込むようにして。
その菜美は驚きと戸惑いでカッターを握り締めたまま震えていた。カッターには、赤い血。
それを誰のか瞬間的に悟った瑞稀は拓斗を見た。拓斗の左手が真横に切りつけられていた。その左手は瑞稀を守るためにカッターの切っ先を受け止めて刃をずらしたのだ。
「拓斗っ!!」
思わず、悲痛の叫びをあげて自分を守るために伸ばされていた拓斗の右腕を引っ張った。左手からは血が滴っていて、屋上の床である緑色を変色させてしまっていた。瑞稀は慌てて拓斗の正面に立った。その顔は、恐怖と自分を庇わせてしまったという思いが溢れていた。
「拓斗っ!!」
「・・・大丈夫だよ。これくらい。」
「でもっ!!」
瑞稀が血が止まっていない左手を掴んだ。それを見た拓斗が慌てて離そうとしただが瑞稀は聞かず、左手を両手で握り締めた。その目には涙が溜まっていた。
「千晴!先生呼んで!」
「わ、分かった!」
瑞稀たちの所へ駆け寄った秋乃が千晴を動かした。そして拓斗の傷を見た瞬間、菜美への怒りを爆発させた。今にも殴り倒しそうな勢いだ。
「っ、菜美てめえ!!」
「秋乃!ダメ!」
「柊、やめろ!」
瑞稀と拓斗が秋乃へ静止の言葉を叫ぶが、間に合いそうもない。
本当なら身体を引っ張ってでも止めたいのだが、瑞稀は拓斗の左手を両手で、
拓斗は唯一空いている手を瑞稀の肩に掴んで離そうとした為に手が伸ばせなかった。
「そこまでよ」
「・・!!」
あと数センチで菜美の顔を殴る予定だった秋乃の手は横から掴まれた。
秋乃が顔を上げるとそこには息を切らした担任である中岡先生が立っていた。
屋上の入口には同じく息を切らした千晴が暴れているのを抑えている千晴のクラスの担任。
「・・中岡先生・・」
「四人が戻らないから、心配で先生たちで探してた時に木ノ瀬さんに屋上手前で呼ばれて来てみたらまさかこんなことになってるなんて」
「先生、これは・・!」
瑞稀が慌てて弁解しようとすると、中岡先生は今までに見たことがない怖い顔になった。
「悪いけど、アナタたちの弁解論は聞けない。アナタたちは怪我をした被害者よ。担任として、大人として、放っておけない。」
「・・・・」
その言葉と表情に気圧された瑞稀は黙り込んだ。拓斗も事の重大さが分かったのか、瑞稀の肩をつかんでいる手に力を込めた。
「・・離して」
秋乃は今もなお、掴まれたままの手を解放させてもらうために思い切り身体を振って中岡先生の手を振り切る。一度中岡先生を睨むと、菜美に向き直る。その表情は殺気が上手く隠せていなかった。
「・・・許さない。」
「・・秋乃・・」
普段とは全く違う様子の親友に、戸惑いと恐怖を感じている瑞稀から出た声は少し震えていた。拓斗も同じようで頬に冷や汗が一筋流れた。
「柊さん、気持ちはわかるけど止めなさい。友達思いのアナタまで加害者にしたくない。」
「・・・っ・・」
中岡先生の低い声で告げられた言葉に秋乃は悔しそうに顔を背けた。そして、瑞稀を見る。秋乃の視界に捉えられた瑞稀は、悲しそうに顔を歪めていた。瑞稀は拓斗の左手は離さないまま言った。
「秋乃。ゴメン。もういい・・もう、傷つかないで。」
「・・・・瑞稀・・」
顔を伏せた秋乃の瞳から涙がこぼれ落ちた。ずっと気を張っていたんだろう。転校してきてからこんなことばかりだった気がする。
秋乃に、申し訳無いなと思いながら自分を心配してくれたことを嬉しく思った。
それと同時に、こんなに秋乃の心を傷付けてしまったことを悔いた。
瑞稀は拓斗の手を離すと、秋乃の前に立った。
「秋乃。ゴメン」
「・・・瑞、稀・・」
「ゴメンね」
謝罪を続ける瑞稀に抱きついた秋乃は泣きながら首を横に振るのに精一杯だった。本当はギュッと抱きしめたかったが、自分の右手が赤い血に染まっているので秋乃につかないようにグーの形にして抱き締めた。その様子をその場にいた全員が見守った。
傷ついて、傷つけられて・・そんな苦しみの一学期が終わった。
2
夏休み。8月下旬に行われる鼓笛フェスティバルに向けて、瑞稀が所属する『music familiar』が本腰を入れて練習をしていた。
大きめの練習場で、あちこちから様々な楽器の音がする。太鼓、バトン、金管楽器。・・・撤回しよう。「様々」ではなく、「3つ」。
この鼓笛隊は小学生から高校生で構成されている。指導者は卒業生でもある大人が行うが。(ちなみに、幼稚園生の場合、ポンポン隊という可愛い役が待っている)
瑞稀が属しているのは、金管楽器のトランペット。叔父から譲り受けたトランペットを持って練習している。瑞稀の目標は、その叔父を超える演奏をすること。
「(とか言いながら、まだまだなんだけどさ)」
小さくため息をついた瑞稀は譜面台に置かれた楽譜を手にとって注意事項を細かくメモしていく。こうでもしないと、同じところを二度も間違える羽目になるからだ。
「えっと、こっちがこうで・・」
「瑞稀ちゃん、どしたの?」
メモすることが多かったのでどれがどれかわからなくなっていると、傍にいた背の高い女の子が声をかけた。その子は、歳こそは瑞稀と同じだがトランペット歴は瑞稀の2倍くらい先輩だ。
名前は、松樹優羽。男っぽいが、根はすごく優しい人だ。
「優羽ちゃん。なんでもないよ、ゴメン」
「そう?でも、最近瑞稀ちゃん元気ないってかぼーっとしてるから」
「アハハ、そうかな?寝不足なせいかも」
「またゲームしてるんでしょ?早く寝ないとダメだぞー」
そうからかいながら瑞稀に声をかけたのは同じくトランペットに属する一つ年下の女の子。優羽と一緒によく1stを受け持つ天才肌の子。名前は、美南香菜。天然女子でもある。
「香菜ちゃん、それひどくない?・・否定しないけど」
「しないんじゃん!」
拗ねてそっぽを向いた瑞稀はプクーっと頬を膨らませた。それを見た二人は笑った。すると、太鼓の様子を見に行っていた指導者であるヒカリが三人を見て呆れ顔になった。
「三人共、もうフェスティバル一ヶ月切ってるんだけど?随分余裕そうねぇ」
「え、あ、いや、余裕ってわけじゃなくて・・」
「そ、そうそう、今はちょっとした休憩って奴で・・」
「うん、休憩って大事だよね、うん、休憩終わろう、瑞稀ちゃん、優羽ちゃん、練習再開しよっか・・!」
「「うん・・!!」」
ヒカリの黒い笑顔に何とも言えない恐怖を感じた二人はすぐさまトランペットを構えた。瑞稀も楽譜を譜面台へ戻してトランペットを持った。その様子を見たヒカリは大きくため息をついたが、すぐに微笑みに変わった。だが、それを悟られないように練習場に響きわたるように叫んだ。
「フェス本番まで一ヶ月を切ってんだから集中!今年も団体賞狙ってくよ!狙いたい人は個人賞も狙っていくように!」
『おぉ!!』
ヒカリの言葉に、鼓笛隊全員が気を引き締めた。
3
夕方6時。鼓笛隊の練習が終わり、簡単なミーティングを今終わらせた瑞稀は練習場を出た。明日は日曜日で、鼓笛隊の練習が入ってる。トランペットは練習場の倉庫に一時的に置かせてもらった。練習場からしばらく歩いた所で、少し離れた場所にある駐輪場に自転車を停めていた優羽と合流する。そこからまた少し歩き、瑞稀はバスに乗り込み駅に向かう。駅に着いたら、電車で終点まで。
その電車を降りたあとは駅から30分かけて歩くか15分で済むバスに乗るかだ。
まあ、何が言いたいかと言うと、瑞稀の家から練習場までは約一時間の距離がある。その間はずっと一人なので、眠ってしまって降り損ねるということを最近しょっちゅうしていた。(最近じゃなくても、頻度はあるのだが)
理由は簡単といえば簡単。一か月前のあの出来事。
自分が閉じ込められて家族や親友である秋乃と拓斗に心配をかけた上、嫉妬した菜美が襲いかかった時に拓斗が自分をかばって左手に怪我を負ってしまったこと。秋乃をもう少しで加害者にしてしまうところだったこと。その秋乃も恐怖で気を張ってしまっていたこと。それが解けたとき、今まで見たことがない子供のように泣いてしまった事。
瑞稀はバス停に着くと優羽と手を振って分かれる。
「(・・私は、大切な人の心と身体・・両方、)」
『傷つけた』
今の瑞稀には、二人に対する申し訳なさがココロのほとんどを占めていた。
あのあと、瑞稀は手を洗わなければならなかったし、拓斗の傷が気になったので拓斗と共に保健室に行った。
秋乃も着いて行きたかったようだが、中岡先生に事情が知りたいと頼まれたので涙目だった千晴とともに職員室へ。
菜美も職員室に連れていかれ、保護者に迎えに来てもらってしばらく謹慎することになった。
一階にある保健室に行くため、階段を降りている瑞稀と拓斗は沈黙した状態だった。拓斗は話そうとしたのだが、瑞稀のまとっている重い空気に口を閉ざすしかなかった。ただそれでも、瑞稀の抱え込んだ不安を取り除こうと保健室から帰って職員室に入る直前で
「お前のせいじゃないから、気にすんな」
とは言ったが瑞稀は暗い自分の世界に入っていたために聞いていなかった。それから瑞稀と拓斗の間には気まずい空気が出入りするようになった。最初の方は秋乃とも気まずかったが、秋乃が
「うざったい。こういう空気、嫌いだって言ったっしょ?」
と叱咤してくれたので、なんとか秋乃とは元のように話せるまで回復した。しかし拓斗にそんな勇気はなく・・。結果として特に進展もしないまま、夏休みに入ってしまった。
拓斗は瑞稀にまた甘えて欲しかった。やっと見せてくれたココロの奥が、また閉じられてしまったことに焦りがあった。だがその焦りから出る言葉は瑞稀を傷つけてしまうんじゃないかと怖かった。それで一生避けられるようなことなんて御免だ。結局、一線を超える事を怖がって踏みとどまった拓斗が瑞稀に声をかけられる訳がなかった。
勿論、瑞稀はそんな事知りもしない。
「(・・・甘えたから。私が、甘えてしまったから。)」
電車に乗った瑞稀は端に座り、壁に頭をつける。考える事は、自分に対しての劣等感。
「(このままで卒業なんてしたくないよ。もっと喋りたい。でも・・)」
ふと自分の両手を見つめる。この手には拓斗の左手を握り締めたときに付いた血があった。今は洗ってしまって影も形もないが、瑞稀の脳裏には赤黒い血がこびり付いたまま。
―今、トランペットを持てている自分を守ってくれたのは、誰だ?
そう、闇に住む黒い自分が問いかけているような気がした。
「(分かってる。守ってくれたのは・・拓斗。)」
―それだけでも有難いだろう。ならばこれ以上、何を望む?
「(・・・そうだ。私は、これ以上望んじゃいけない。)」
―そうだ。お前は温もり欲しさに拓斗に甘えた。それが菜美を嫉妬に狂わせ、拓斗に怪我をさせ、秋乃に深い悲しみを与えてしまったんだ。
「(・・・分かってるよ、そんなこと・・。)」
瑞稀は頭を振って無理やり黒い自分の言葉をかき消す。こういう風にネガティブになっているから、自分はいつまでも拓斗に声をかけられないんだと。
「・・・はぁ・・」
深いため息をついた瑞稀は我に返って電光掲示板を見る。なんとか今日は乗り過ごさなくて済みそうだ。といっても、終点だから上下線交代して路線を回っていくだけだが。
窓の外を見やると、7時近いからかほとんど暗くなっていた。真っ暗な闇にポツンと浮かぶ青白い月。その眩しさに、何者にも負けない輝きと強さを見た瑞稀は視界から消すといつの間にか終点に着いていて、空いている電車の扉を映した。
小さな溜息をつくと、隣に置いたリュックを左肩にかけて電車を降りた。
改札を出た瑞稀は歩きながらリュックを漁る。Suicaとは別に入れてあるバスの定期券を探すためだ。だがいつまでもその感触は伝わってこない。
埒があかなくなった瑞稀は道の端に移動してリュックを下ろす。中を目で見ながらあさっていく。すると、ピタッと瑞稀の手が動きを止まった。
「・・・ヤバイ。バスの定期置いてきた・・。」
瑞稀がそう呟くと、脳が理解したのか顔がサアっと青ざめていく。勿論、バスは定期券がなくても乗れる。しかし、先日発売された推理小説2冊買った上に、Suicaに交通費として自分のお小遣いの残り札を入れてしまって、今の手持ちは無し。
「・・なんでこう、あー・・もう本当どうしようもない・・」
肩をガックリ落とした瑞稀はとりあえず家に連絡をいれて帰るのが少し遅くなる事を伝えた。その時に、家族には「ばかじゃないの?」と言われたが言い返せず受け流した。電話を無理やり終わらせて、青い携帯電話を再びリュックに戻して左肩にかけるともう一度ため息をついた。
4
もう真っ暗になった人気のない道を瑞稀は歩いていく。その表情はとても落ち着かない。いくら近道といえど。
「・・何で街灯つけないかな、ここ」
そう。ここは大通りより少し外れた道。大きな公園に出たりして昼間は人が大勢いるのだが夜となると話は別。まず子連れが居ない。そして街灯が無いから散歩やジョギングする人もいない。この時間は老人も家を出ない。つまり。
「人っ子一人居ないってこういうことだろうな・・」
もう一度ため息をついた瑞稀は、明かりを得るために青い携帯電話を出そうとリュックを下ろして足を止めようとした。しかし真っ暗闇の中で足を止めるなどという度胸を持ち合わせていない瑞稀は歩くスピードを速めただけに終わった。
残念なことに真っ暗闇だと再認識したおかげで瑞稀の恐怖心が震え上がってしまった。
「・・・メチャクチャ怖い・・」
公園に出られれば大通りに抜けられる道があるから、そこを目指せるし明るいだろう。それでもそれまでの道が怖いし、第一公園自体が広い。公園に出ても中で迷ったら。そう思った自分を凄く後悔した。
「あぁ・・明日はちゃんと定期券確認しよう・・」
普段の学校生活で忘れ物をしてもこんな風に思った事は一度もないが、また明日にでも同じような怖い思いするくらいなら確認の時間はとっても全然構わない、いや、むしろ取りますハイ。というくらい、瑞稀のなかでは怖さを増していた。
「・・あー・・なにやってんだろ・・」
「本当に何やってんだよ」
自分のすぐ後ろから聞こえた声に瑞稀の全てが止まった。冷や汗がタラリ。後ろをゆっくり振り返るとそこには・・・!
「きゃああぁああ!!!」
「うあ!や、八神!オレだよ!鈴乃!!」
「・・・え?」
瑞稀は慌ててリュックから携帯電話を取り出し、明かりを声のした方へ向けた。
そこには幽r・・もとい、鈴乃拓斗が呆れ顔で立っていた。
「たくと・・」
「・・久しぶり、だな」
「・・・うん・・」
先程まで考えていた事が頭を過ぎり、拓斗の顔を見れなくなる。思わず顔をうつむかせた瑞稀を見た拓斗は小さくため息をついた。そして急に決意を決めたような真面目な顔をしたあと、表情を緩めて優しい声を出す。
「とりあえず歩くか。帰り道途中まで一緒だし。その携帯電話、貸してみ?」
「・・う、うん」
その声に少し固くなった心が落ち着いた瑞稀は持っていた携帯電話を渡す。
受け取った拓斗は携帯電話を閉じると、側面についているランプ用のボタンを押した。
すると携帯電話を開いた時の明かりとは比べ物にならない程の明かりが漏れた。
そんな機能が付いていたことを知らなかった瑞稀は驚いた。
「?これ、お前のじゃないのか?」
「いや、それ・・お兄ちゃんのお古貰っただけで、メールとか家への電話とかしか使ってないから」
「へえ、驚き。まあ小学生で携帯電話持ってる方がすげえもんな。」
そう言って歩き出す拓斗になんとか置いてけぼりにならないように早歩きになって釣られて歩く。
「鼓笛の帰りか?」
「え?・・あ・・うん。ちょっと、遅くなっちゃって・・」
「そっか。女なんだし、気をつけろよ?」
「あ、ありがと・・」
女扱いされた事は今までに無かった。顔が火照っていくのが分かる。それと同時に嬉しさも滲み出ていた。それが拓斗にバレないように慌てて会話を探す。
「え、えっと・・た、拓斗はどうしてこんな遅いの?」
「俺?俺は剣道の帰りなんだ。もうすぐ試合だからって師匠が練習試合ばっか入れたりメニューきつくしたりするから最近は帰るのが遅いんだ。」
「そ、そうなんだ。大変だね」
「まあしんどいけど楽しいしな。・・本当はバスで帰ろうって思ったんだけど、バス停で待つのが面倒になってさ。だからちょっとランニング気分で走ってたんだ。」
瑞稀はそこまで聞いて、あることに気づく。いつもより拓斗の喋る量が多い。いや自分が少ないだけかもしれないが。もしかして・・・
「(気を遣ってくれてる・・?)」
気まずさが抜けない自分の為にいつも通りに接しようとしてくれたいるんだと。
こんな、傷つけてばかりの自分の為に・・。
「・・・・」
「・・・」
再びうつむいてしまった瑞稀を見た拓斗は顔を歪ませた。だがそこで終わってしまうなら今日声をかけた意味がなくなると気持ちを引き締めた拓斗は瑞稀の手を掴んだ。
「え?」
「八神、出口まで走るぞ!!」
「は?って、ちょ、ま・・わっ!!」
走るぞと声を一応かけておいて瑞稀の言葉も待たずに勢い良く走り出した拓斗。
瑞稀は展開についていけず、ただ引っ張られる腕につられるように足を走らせるだけ。夏の生暖かい風が、頬に当たって過ぎていく。次第に瑞稀の視界いっぱいにオレンジ色の光が差し込む。それは、大通りを照らしている街灯のモノ。
結果、瑞稀は引っ張られるまま凄いスピードで公園をでて大通りに出れた。公園の入口で手を離された瑞稀はすっかりあがってしまった息を整える。
整えながらも、拓斗に目線を送る。
「ちょ、拓斗?」
「ん?どした?てか大丈夫か?」
「大丈夫か聞く位なら走らせないでよ!しかもいきなりだし!」
「いいじゃん。面白かったし、な?」
「どこが!拓斗が楽しいだけでしょーが!・・もう・・」
そこまで文句を言うと瑞稀は笑った。瑞稀の笑顔を久々に観れた拓斗は嬉しさを零した。
「やっと、笑ってくれたな」
「・・あ・・」
拓斗の喜びが滲んでいる言葉で自分が笑っている事に気づいた。思わず手で口を塞ぐ。
「ずっと笑ってくれなかったから。避けられてる訳じゃないんだけど、気まずかったし。」
「・・ゴメン・・」
「八神のことだから、俺が怪我したこととかを自分のせいにして責めてるんだろうなって思ってた。」
「・・・・」
瑞稀は何も言わなかった。事実だから否定もできないが、肯定もしづらい。
拓斗は気にせず続ける。
「別にあれは八神のせいじゃない。正直言うと、実は怪我しなくてもお前を守れたんだ。」
「え!?」
「そういうのを武道でやるんだ。だから出来たはずだったんだけど・・やっぱ、身体が動かなかった。」
「・・・・。」
悔しそうに告げる拓斗を見て、ああ、本当なんだなと思う。こんなに悔しそうな拓斗は初めて見るから。
「ゴメン。だから、お前のせいじゃないんだ。」
「でも・・っ、私が拓斗に甘えさえしなきゃ菜美があんなに・・」
「笹野のことも、気づいてた。八神に対して冷たい目で見てたこと。」
「え!?うそ!?」
本日二度目。拓斗の告白に戸惑いと驚きが頭の供給量をオーバーしそうだった。
「でも大したことにはならないだろうって思ってた。そしたらお前が閉じ込められた。ケガもした。」
「・・・」
「俺は分かってたくせに何も出来なかったんだ。そんとき、自分をメチャクチャに責めた。だから強がって笑顔を見せる八神の病室に残れなかった。」
「・・・」
「でも柊がプライドを張ってるだけだって言うし・・やっぱり八神を放っておけなかった。もし俺が病室戻って何か出来るなら、やろうって決めて。だから病室に戻れたんだ。」
「・・・・プライド・・」
その単語にココロのどこかが引っかったような気がして、繰り返し呟いた。
「あぁ。結局、目の前で自分のやらなきゃいけないこと、やりたいことがあんのに過去の事を理由して進もうとしないのは自分を守ろうとプライドを張ってるせいなんだよ」
「・・・」
「俺はお前にもう怪我させたくなかった。もし、誰かの手で怪我させられそうになったら身体を張ってでも守ろうって決めたんだ。」
「・・・・」
「だからあの時、俺はお前を守った。“かばった”じゃなくて、“守った”。
俺、あの時本当は心から安心してたし喜んだんだ」
最後の言葉に意味が分からず、思わず首をかしげる瑞稀。
「やっと、お前に何か出来た気がしてさ。まあ俺の勝手な感情だからお前が深く気にしなくていいよ」
「・・・・」
「とにかく。俺はしたくてお前を守った。それで何か出来た気がして嬉しくなった。あの時の俺にはそれが一番の選択肢だった。そのことで誰かが誰かを責めるのは許さない。それがたとえ、自分を責めている八神でも」
そう言い放った時の拓斗は真剣そのものの表情で・・瑞稀はいけないと思いながらも見惚れてしまった。改めて言葉の意味を理解すると、闇の中にした黒い自分が姿を消していくのが頭で分かった。あれは自分のプライドの塊で生まれた存在だったんだ。そう一人で納得すると、目の前にいる拓斗に向き直った。
全てが吹っ切れた瑞稀は清々しい表情をしていた。
「ありがと、拓斗。また助けてもらっちゃったね」
「いや、だから、これは俺が勝手にしたことで・・」
照れて言いよどむ拓斗にくすっと笑いかけると悪戯っ子のような笑顔で、拓斗の顔を覗き込んだ。
「それでも!私を助けてくれたのは変わらない。お礼を言う権利は私にあるはずだよ?それが今、私がしたいこと。そのことで文句言われる筋合い、無いと思うんだけどな?」
顔をのぞき込まれた拓斗が顔を赤くしたが瑞稀の言葉に自分の言いたい事が伝わったんだと分かり、すぐ笑った。その笑顔を見た瑞稀も拓斗から少し離れると笑った。
「・・帰るか。」
「うん!」
優しい笑みを浮かべて瑞稀に青い携帯電話を返すと先に歩きだした。瑞稀は携帯電話をリュックではなく、ポケットに入れた。先に歩いて待っている人の元へ、一秒でも早く追いつきたくて。
「八神、早く」
「分かってるよ!」
拗ねた口調とは裏腹に、子供のような笑顔を浮かべた瑞稀は拓斗を追いかけた。
そして、追いついた瑞稀は拓斗の隣で色々な話を振った。拓斗も話に相槌を打ちながらも歩くスピードを緩め、歩幅を小さくした。オレンジ色に照らされて出来た二人の影は、ずっと伸びていった。その影は、瑞稀たちが通った公園の中まで届いた。先程までの公園の闇は月に照らされて光があちこちに差し込んでいて・・。まるで、瑞稀の心を表しているかのようだった。