7:素直な気持ち
二日後。特に検査で異常も無く、傷自体も治癒が早かったおかげで一日で退院出来た。本当なら退院したあと学校に顔を出したかったのだが、安静にしとけという家族の助言(願い)を素直に聞き入れたので、学校に行くのは二日ぶりとなる。
休んだ理由が理由なので少し学校へ行くことに抵抗を感じるが事情があった。
ずっと忘れていたのだが、今年の運動会で使った自分のトランペットをまだ持ち帰っていなかったのだ。練習日である土曜の明日、鼓笛隊の練習に行くつもりなのでさすがにないと困る。
「う~んっ・・!」
家を出て、階段で降りながら大きく伸びをする。丸一日、家(の座椅子)でじっと座りながらゲームばかりやっていたので身体が少しガチガチ。本当はベッドでごろ寝しながらゲームをするのが一番好きなんだが、医者に「さすがにしばらくはごろ寝しながらゲームは止めたほうがいいね」と苦笑いで止められてしまったので仕方ない。
「・・大げさな気もしたけどなー・・。ごろ寝・・・」
まだごろ寝を止められていることを根にもっている瑞稀。何気にごろ寝が好きだったり。ちなみに、今日の服はTシャツの重ね着にジーンズのショートパンツ。まだ包帯を巻いている足は、ニーハイで隠した。痛々しい足を見せたくなかったからだ。
「・・・しばらくはこのスタイルかなー・・。」
階段を降り終わった瑞稀はマンションから出て、学校へ歩き出す。いつもより少し早い時間なのでいつも見ている景色と違っていた。横断歩道を渡ると並ぶ住宅街にいつもあるゴミは時間が早いから無いし、通り道に居る野良猫も居ない。太陽もいつもより眩しく感じる。新鮮さを感じながら、瑞稀は歩きを早めた。
いつもより早く出たはずなのに、何故かいつも通りに学校に着いてしまった。恐らく、足の違和感のせいだろう。未だに何か蹴って足を擦っている感覚が残っている。
歩くたびにその感じが思い起こされる。
「・・・もう、大丈夫な筈なんだけどな」
水道の手すりに寄り掛かるとランドセルを降ろした。入れておいた大きめの青いファイルを取り出す。それを開けると、楽譜が入っていた。8月下旬に行われる鼓笛の舞台のための曲。今年はポップス曲が多いので、メロディーが辿りやすい。
更に、今年は瑞稀の知っている&好きな曲なので、テンションが上がっている。
音を確認しつつ、指使いをも確認するとメロディーを口ずさみながら音符を辿っていった。その行為が何回か終わったとき、楽譜の上に影が被った。ゆっくり視線を上げると、そこには親友と幼馴染みが立っていた。
「おはよ、瑞稀」
「おっはー、瑞稀」
「秋乃、千晴。おはよう!」
挨拶を返した瑞稀はファイルをランドセルに仕舞って二人に向き直った。水道の手すりから立ち上がった瑞稀を見た秋乃が、心配そうな顔をした。
「・・足、大丈夫そう?」
「うん。ちょっと違和感あるだけだよ」
「無理は禁物だよー」
「ありがと、千晴。」
千晴の言葉にお礼を言う。千晴には怪我した日に事情を話した。ジメジメした空気が嫌になった秋乃は「ところで」と話を変えた。
「どうしたの?」
「は?」
「だから、鈴乃。瑞稀の病室戻った所はちゃんと昨日聴いたけど、そっからどうなったのか聞いてないよ」
「え・・えっと・・」
瑞稀は視線をあさっての方向に。秋乃は昨日お見舞いに来てくれた。
その時に拓斗が瑞稀の病室に戻ってきた事は秋乃の後押しだったことを聴いた。その時に何があったか散々言うように促されたが、瑞稀は笑ってごまかしていた。
「・・(言えないよなー・・・。まさか大泣きして抱きついたって・・)」
事実それだけなのだが。瑞稀にとってそれは恥ずかしい以上の大問題だった。
男の子に抱きついたという羞恥心。しかも抱きついた理由が拓斗の体温を欲したというモノ。あの時は無我夢中だったのだが、後々思い出すと自分は何をやっているんだと叱咤したい。秋乃の視線を逃れた瑞稀の顔を千晴が覗き込んだ。
その表情はめったに見せない小悪魔と化していた。
「秋乃ちゃんから少ーし聴いたけど、鈴乃くんが朝までついててくれたんだって?」
「うっ・・!」
「寝ちゃったんだろ?」
千晴の言葉に何も言えなくなっていると、秋乃が更に追い打ちをかけてきた。二人の顔は凄く緩んでいる。というより、ニヤついている。
「(・・・あー・・。どうしよう・・)」
確かに、秋乃の言うとおりだった。あの大泣きした後、瑞稀は泣き疲れと拓斗の体温で眠気を誘われ、そのまま眠ってしまったのだ。勿論、拓斗はヤバイくらい焦った。(瑞稀は知らないが)やっとの思いで、瑞稀をベッドへ寝かせて拓斗自身も最初こそは瑞稀の寝顔を眺めていたのだがそのまま眠ってしまった。
結局、瑞稀の家族が次の日見舞いで訪れた時に見つけて慌てて起こして帰したそうだ。
その話を聞かされた瑞稀はちょっと(かなり)罪悪感を感じたが、「まあ、あの子もお前の傍にいたかったんだろ?ずっと手握って離さなかったし」という叔父の言葉で顔がぶわっと真っ赤になったのでそれどころじゃなくなった。
もちろん、こんなことをいくら親友で後押ししてくれた秋乃に言えるわけがなく。
「だ、だから・・何もないって・・」
「へー、じゃあ何で瑞稀は顔赤いの?」
「ふぇ!?」
自覚すると、自分の両頬に熱が集まっていくのが分かる。
「な、なんでもないっ・・!」
「いやいや~。瑞稀~、嘘はダメっさよ~」
「ち、千晴!お前、それ私の好きなキャラの口癖だろ!!」
「あっはっは~」
「笑ってごまかすな!」
「瑞稀が言えるセリフじゃないでしょ」
自分の顔の熱など放ったらかし。マンガとなると瑞稀は優先順位を変えて千晴に突っかかる。だが、その為に使ったセリフは秋乃の言うとおり瑞稀が言えるセリフではなかった。その時。
「・・八神」
後ろから声がした。その声で、瑞稀たちの動きが止まった。ゆっくりと振り返るとそこには今の今まで噂されていた人物。噂をすればなんとやら・・ですね。
「鈴乃・・」
「・・おはよ」
「う、ん。・・おはよ」
一昨日のことがまだ残っているのか、初々しい挨拶と態度。(主に瑞稀)
そんな二人の様子をいつの間にか距離をとった二人が眺めていた。ヒソヒソと瑞稀たちに聞こえないように話す。その話はきっと親友の恋愛話での相談か・・。
「ねえ千晴。なにあの初々しいの。見ててちょっと・・いやかなり・・」
「シッ!秋乃ちゃん、それ以上はダメ!腹で思っていようが、脳で思っていようが、心で思っていようが、声で思っていようがダメ!」
「・・・その言い方、千晴も全く同じこと思ってんだね」
否、全く違う。相談どころか、結構黒い。あと、秋乃を止めようとした千晴の言葉が一番ひどいということを分かっているんだろうか?その二人の会話の種であるこの当事者二人はというと。
「・・・」
「・・・」
・・会話、続いてません。いつもの二人なら第三者に止められでもしない限り、会話が途切れる事はない。だが、やっぱり一昨日の出来事が響いていた。
「・・・・」
「・・・・足、大丈夫か?」
「・・あ、うん。少し違和感あるけど多分大丈夫。」
「そっか・・」
やっと続いた会話もこれまで。二人の間に気まずい空気が流れてしまう。さらに、タイミング悪いことに・・・
「あ。拓斗くん!」
「え・・?」
「・・・あ」
「「あー・・」」
なんと、菜美が来てしまった。瑞稀は咄嗟に一歩だけ後ずさってしまった。
拓斗はそんな様子に気づいたのか一歩前に出た。
「おはよう!拓斗くん!」
「ああ・・。」
「宿題、やってきた?」
「まあ、一応な。」
「本当!?じゃあ、一個解らなかった問題あるんだけど教えてもらっていい?」
「ああ、いいけど」
「やったぁ!」
無邪気にはしゃいだ菜美は拓斗の腕を引っ張って、たった今開いた昇降口の扉に向かって走り出した。拓斗も戸惑っていたが、結局なすすべなく連れて行かれた。
チラッと瑞稀を見たが視線が合わなかった。
複雑な表情で、二人を見送った瑞稀はその場に立ちすくんでいた。そんな瑞稀の背中を叩いたのは秋乃。
「瑞稀。連れてかれたね、鈴乃」
「・・・うん。そだね」
「いいの?・・てか、何で一昨日のことに触れなかったの?」
先程は焦れったいだのかなり・・・だの言っておいてこれもどうかと思うが。隣には千晴が立っていた。
「瑞稀。お礼言うとかすればよかったのに。」
「・・・そうなんだけど・・。」
「・・気まずい?」
「・・そうじゃなくて・・さ・・。」
瑞稀は二人にポツポツと自分の今の気持ちを伝えた。どうしたらいいか・・。
珍しく、普段素直になれない親友の気持ちを聞けた二人は一回顔を見合わせた後、笑った。
「な、なんだよ・・」
「だって・・ね、千晴」
「そうそう・・」
お腹を抱えて笑い続ける二人に、瑞稀は?マークしか浮かばない。ひとしきり笑った秋乃は、瑞稀に向き直った。
「それって、ウチらにどうしたらいいか聞くもんじゃないよ。」
「・・・え?」
「そういうのはね、本人に直接言うんだよ。どうしたらいいかもね」
「え・・でも・・」
秋乃の言葉に揺さぶられた瑞稀だったが迷いが生じる。そんな幼馴染みの迷いをかき消すかのように千晴が頭を撫でた。
「大丈ー夫。鈴乃くんなら受け止めてくれる。去年の運動会ん時もそうだったっしょ?」
「・・・!・・・うん」
千晴の言葉で瑞稀は去年の運動会で拓斗に言われた事を思い出した。寂しい。と言った瑞稀に、自分なりの考えを瑞稀を傷つけないように話して優しくしてくれたこと。
あの出来事は、今でも覚えている。
あの時の拓斗のように、自分も拓斗を傷つけないように・・・気持ちを話そう。
それが、今、私のしなきゃいけないこと。
「・・言う、絶対言う。」
「うん。良かった。」
「じゃあ、今から行こうかー。」
決意を固めた瑞稀を見て安心と喜びを感じた二人は微笑み合うと、瑞稀と一緒に昇降口へ入っていった。
「じゃあ、秋乃ちゃん、呼んでねー」
千晴が自分の教室に入ったのを見ると瑞稀と秋乃も自分たちの教室に入った。二人が自分たちの席にランドセルを置いて、前の席を見やる。
すると、ちょうど拓斗が菜美に宿題の一問を教え終わったようだった。瑞稀たちを一番最初に見つけたのは菜美。だがすぐに視線をずらし、拓斗と喋り始める。
その様子を見せつけられた瑞稀は拓斗に声をかけるのを躊躇った。だが、
「瑞稀。大丈夫だから、行ってきな」
「・・秋乃・・」
秋乃が軽く背中を叩いた。その表情はとても自信満々で・・まるで、難問の答えが自分の答えと同じだと出張する学者のよう。その顔を見た瑞稀は息を大きく吸うと、肩の力を抜いた。
「す、鈴乃・・。」
「・・!八神?」
「あの・・えっと・・ちょっと、いい、かな?」
頭がぐるぐるしていて、良い誘い方が思いつかない。こういう時にマンガから引用出来ればいいのにと思う。そんないつもと違う瑞稀の様子に、用件が分かった拓斗は立ち上がった。
「良いよ。とりあえず、屋上にでも行くか。」
「あ、うん。」
「・・あ・・」
拓斗が立ち上がった時、菜美から声が漏れた。だがその心は不安でいっぱいだった。
ガラッと教室の扉を開けた拓斗の後に続く瑞稀。その表情はとても緊張していた。
「・・・・」
「・・告白じゃないよ」
「え?」
複雑な表情を浮かべて見送った菜美に、秋乃が声をかける。
「でも、それよりももっと大事で・・二人の関係を縮めることが出来る。」
「・・!!!」
「言っとくけど、これは瑞稀が珍しく素直になって、自分の気持ちで言おうと思って行動したことだから・・邪魔させないから。」
「・・・何で、いちいち私に言うの?」
菜美はイライラしていた。この転校生も調子に乗っている。瑞稀の親友面して、なんでも見通すかのように振舞って。菜美は思わず、秋乃を睨んだ。だが、秋乃は怯まなかった。
「おー怖。いつも、そんな目で瑞稀を睨んでたんだ。でも、残念。全然怖くないや。」
「・・」
「ウチが怖いと思うのは・・・」
そこで言葉を切ると秋乃は顔を近づけた。そして机をバンっと叩いた。その音に驚いたクラスメイトたちが二人に視線を送る。
「人を閉じ込めて怪我させといて平気な顔して睨んでる奴だよ・・!!」
「・・・・!」
小声で言った為、クラスメイトには聞こえていないだろう。だが秋乃の顔が殺気に溢れているので異常な事態じゃないかと思っているだろう。その証拠に秋乃の顔を見たクラスメイトたちは、身を固まらせている。机から離れた秋乃は、菜美を見下ろす。
菜美も負けるかという勢いで睨む。するとタイミングよく、拓斗が開けたままにした教室の扉から千晴が顔を覗き込ませた。秋乃がなかなか呼びにこないので心配になったというところだ。
呼び掛けに気づいた秋乃は、菜美をもう一度一瞥すると教室を出た。
「秋乃ちゃん。大丈夫・・?」
「うん。ちょっと、溜まってたのが爆発した。ゴメン。」
「いや・・・」
千晴はここまで殺気溢れる表情の人間を見たことがない。同じ小学生だと思えない。鳥肌が、立った。そんな千晴に気づいていない秋乃は、いつもの表情に戻った。
「瑞稀たち、屋上に行ったから、もういっこの扉から入って聴きに行こう」
「あ、うん。そうだね」
二人は瑞稀たちが向かった方とは逆の、屋上に向かう扉に向かった。
2
屋上に行くには、二つの扉がある。三階の端にある音楽室のさらに上の階段と、三階の真ん中にある階段。屋上は、基本的に開放されている。
瑞稀と拓斗は、音楽室の上にある階段から屋上に入った。久々の屋上に瑞稀は大きく伸びをして風を感じた。今これからしなきゃいけないことは忘れずに。
隣をチラッと見ると、拓斗も同じように風を感じていた。同じことを同じタイミングでやった自分たちに瑞稀は嬉しくなって小さく笑った。その笑顔で瑞稀の考えていることに気づいた拓斗も、照れつつも小さく笑った。
だが、いつもならもっと続くはずの笑いも、止まってしまった。
拓斗が、口を開いた。
「・・どうしたんだ?」
「・・・・」
「・・・お前らしくないし・・まだ怖いか?」
「・・・・・」
「・・もしかして、怪我、本当はヒドイのか?」
「・・・・・」
言葉が上手くまとまらない瑞稀は俯いたまま最後の質問には首を降った。こんな瑞稀は初めてなので、拓斗もどうしていいか分からない。
「・・・・」
「・・・・」
「(・・・言わなきゃ・・ちゃんと!)」
拓斗がどうしようかと頭を悩ませてた時に決心した瑞稀。伝えられればいい。順番なんて関係ない。拓斗なら汲み取ってくれる。
「やがm「ゴメンナサイ!!!」・・は?」
口を開いた瞬間、瑞稀の言葉が聞こえた。それはいい。だが『ゴメンナサイ』。意味が分からず、拓斗は首を傾げた。
「八神・・?ゴメンって・・」
「さっきっから・・気まずい感じで・・。ゴメン・・」
「いや、それはべつに・・」
「恥ずかしくて・・、ちゃんと話せないんだよ・・。」
「・・え?」
瑞稀の言葉をちゃんと聞けないまま、落ち着かせようとしていた拓斗の言葉が止まった。
・・・言え・・全部。言わなきゃ・・後悔するぞ瑞稀!そう自分を奮い立たせた瑞稀は、顔を上げた。凄く赤くなった顔で。
そんな顔で見上げられては、男子としては溜まったもんじゃないだろう。案の定、拓斗の顔もすぐに赤くなった。
「・・・!」
「初めてだったんだ。あんなに自分の為に大泣きしたの。それに、あんな姿見せちゃって・・自分じゃないみたいなあんな姿。しかも、朝まで一緒に居てくれたのにお礼言うこともしなかったし・・ゴメンナサイ!」
「いや・・一緒にいたのは俺も寝ちゃったからだし・・」
頭を下げた瑞稀に戸惑いながら少し嬉しく思った。瑞稀が自分のことを晒したのは拓斗だったことが。しかも人生初という。それに抱きしめたのは自分がしたかったという邪念からやったことなので、どちらかというと謝らねければいけないのはこっちなのだが。あえて、それは伏せておく。
「そ、それに・・」
「・・?」
後に続ける言葉を言った瑞稀はそこで言葉を区切った。その後に言われる言葉に見当がつかない拓斗は終始首を傾げて、瑞稀の言葉を待つだけだ。
やっと頭を上げた瑞稀の顔は先程より、赤が増していた。
「そ、それに私、鈴乃が病室に戻ってきてくれる直前に、鈴乃のこと考えてて・・」
「え・・!?」
思いもよらない、下手したら告白としても取れそうな言葉に拓斗は思わず声を上げた。拓斗の顔にも赤みが刺してくる。一方の瑞稀は拓斗の様子などお構いなしで、自分の言葉で精一杯。今の彼女に、拓斗を優先する余裕など無い。
「す、鈴乃の・・ぬ・・温もりが欲しくなって・・。ほら、時々頭とか撫でてくれた時のあの暖いの・・!」
「・・・」
もはや、なんにも言えなくなってしまった拓斗。その顔は瑞稀に負けないくらい、真っ赤に染まっていた。
「あの時・・怖くて、不安で、寂しくて。だから、温もりが欲しくなった・・。それで思いついたのは鈴乃だった。なんでかは分かんないけど、鈴乃のあったかさがどこかに残ってたからかもしれないけど・・」
「・・あ・・」
その言葉で、思い当たる事。瑞稀が緊急病院に保健室の先生の車で運んだ時、拓斗は瑞稀の無事を祈って無意識に手を握っていた。まさか、その時の温もりが・・・。
「でも、来るわけないって思ってたから。あの時、直後に鈴乃が戻ってきてくれたから、ビックリしたけど嬉しかったんだ。ありがと」
「・・いや、俺も。戻ったらダメだって思ってたんだ。妙なプライド張って。でも、柊が『大切な奴が苦しんでんのにプライドなんか関係あんのか』って言ってくれてさ。それでお前んとこ戻ったんだ。」
本当は、『大切な奴』じゃなくて、『好きな奴』の間違いだが、これを正しくしてしまうと告白しなければならない流れになるので遠慮した。拓斗はそこまで言うと瑞稀の頭を撫でた。
「・・・・うん、落ち着く・・」
「・・そうか?」
「うん。なんでだろーね?あ!もしかして、鈴乃の右手って癒しの手!?」
「なんだそれ」
意味が分からない瑞稀の言葉に拓斗は笑いつつも、いつもの瑞稀に戻ったことに安心した。そしてたった今思いついたこと。
「なぁ、八神。俺でいいなら、一緒に居てお前の欲しい温もりを伝える。だから、温もりが欲しくなったら合図欲しい。」
「合図?」
拓斗としては前半の言葉が大事で丁寧にいったのだが、後半の言葉に瑞稀は興味を示してしまってスルーされてしまった。それを残念な気持ちと悔しさと自分に対するやるせなさに苛まれながらも瑞稀の質問に答える。
「あぁ。俺にだけわかるような合図。俺だけ分かったら、二人になったときに温もり伝えられるだろ?」
「・・・そっか・・。・・良いの?」
「当たり前だろ。お前の大泣き姿を初めて見た奴なんだろ?俺。だったら責任取らなきゃな」
「なっ・・ーっ!!」
まさか今ここでそんな仕返しが来ると思ってなかった瑞稀は自分が言った言葉に少し後悔をしながらも何も言い返せなかった。それに伴って両頬の体温は上がっていく。
「・・バカっ!」
「アハハ。で?合図は?」
先ほどからお腹を抱えて笑っている拓斗を横目に、瑞稀は頭をフル回転させて悩む。
拓斗に仕返し出来る良い合図はないかと。だが自分が甘えさせて欲しいと頼むための合図なので、そこまでひどくすると申し訳ない。
そして、思い出したのは自分は拓斗を求めたときに呟いた三文字の単語・・。
「・・・拓斗」
「ん?・・って・・え?」
「合図。・・拓斗って、名前で呼ぶ。」
「え・・え。」
瑞稀に、初めて呼ばれた自分の名前に戸惑いと嬉しさがこみ上げてくる。明らかに、後者が圧倒的な感情の主だが。瑞稀は気づいていないようだが、秋乃やクラスメイトがいたら絶対冷やかされていただろう。なぜなら。
「(やべえ・・嬉しすぎて顔ニヤける・・!)」
自分でも自覚出来るくらい、今の拓斗の顔はなんとまあ情けなかった。でも、それでも引き締めようだなんて思わない。本当に嬉しいのだから。
なかなか返事をしてくれない拓斗に、まずいことでも言ったかなと不安になった瑞稀は拓斗の顔を覗き込んだ。
「わっ!!」
「・・ダメ?合図。」
「あ、いや、OK・・」
瑞稀に聞かれて、慌てて了解の旨を伝える拓斗。
そこで自分が浮かれすぎていて瑞稀をほっといたことに気づいた。
「じゃあ、温もり・・欲しくなったら、拓斗って呼ぶ・・」
「あぁ・・というよりも、普段から呼んでいいけど・・」
「え?・・いいの?」
赤い顔で、拓斗は頷いた。今の自分の大きな願いだから。
少し躊躇ったが、拓斗との距離が縮まった気がして嬉しくなった。
「じゃあ・・拓斗。」
「・・うん。」
ふたりして顔を真っ赤にさせながらも笑い合う。そんな時、瑞稀が結局合図を決めていない事に気付いた。慌てていると、拓斗はゆっくり決めればいいと瑞稀の頭に手を乗せた。その手を握って、瑞稀も再び笑った。
その様子をフェンス越しに見ていたのは親友と幼馴染みだった。二人は上手くいったことにガッツポーズをして喜んだが、折角だからどっちか(主に拓斗)がさっさと告白しろよともぼやいた。微妙な関係でいられる方が周りとしては迷惑な話でもあるからだ。
「ま、あの二人ならなんとかなるか。」
「そーだねぇ。てか、卒業するまで告白しなさそー」
「あー・・。十二分にあるな、それ」
卒業まであと半年くらいはあるのだが、もうすでにそこで告白することは無いと考えた二人はあと半年こんな微妙な関係が続く事にため息をつきつつも、上手くいくことを願った。
そして、もう一人。
瑞稀たちが入ってきた音楽室側の屋上入口で佇んでいた。拓斗に純粋な恋愛感情を向ける少女。だが、その純粋故に一歩外れてしまった。瑞稀を嫉妬どころではない憎しみの目で睨む。その手はワナワナと震えていて、止まることを知らなかった。
自分から想い人を盗っていった少女をメチャクチャにしてやりたい。
自分に振り返ってくれない想い人をココロの奥まで傷つけてやりたい。
そんな黒い感情が沸き起こった。ポケットから取り出すのは細身のカッターナイフ。
それを、チキチキと音を立てて刃を引き出す。まるで、自分の奥にしまい込んだ黒い醜い感情を引き出すかのように・・。
そして、それを持って屋上に飛び出した・・。