6:キズ
放課後。運動委員の仕事が入っている瑞稀は、職員室から体育館倉庫の鍵を受け取った。
運動委員の仕事の一つに、倉庫の備品確認というモノがある。
これは、しょっちゅうスポーツ集会など行なったあとに色々な備品の行方がわからなくなるので運動委員が何が無くなっているのか調べて、もし無いものがあれば先生に報告する。なくなっているモノがなければ何の問題もない。
外倉庫の確認を終えた瑞稀は職員室に鍵を返しに行き、体育館倉庫の鍵を受け取り体育館へ移動した。
「あ、今日はバスケしてないんだ」
いつもの体育館では高学年がバスケをしているが、今日は居ないらしい。瑞稀が倉庫確認をしている時に体育館が空な事は久しぶりなので少し変な感じがする。
倉庫の鍵を開け、中に入る。奥に見えるのは先日、自分が後始末をした下窓のダンボール紙。だが、木の板が嵌め込まれていた。どうやら、先生がさらに後始末をしたらしい。
「確か、来週あたりには修理くるんだっけ。てか、木の板嵌め込むくらいなら私に頼まなくてもいいじゃんか」
ブツブツと文句を言いつつ、備品の確認をする。さすがに2年目なので、どこに何があるかは覚えていた。
「・・大縄が一つ足んないな。どっかのクラスがもってったのかなー。もしくは、舞台袖にあるかな。」
棚を見回し、見た目だけで分かる備品のなくなっているモノを確認。振り返って、体育館奥の舞台を見た。ここは、学芸会や式次第で使われている。舞台袖もちゃんとあり、地下で下手と上手の行き来が可能だ。
「あとはー・・・」
倉庫の奥に入り、棚を覗き込んでいく瑞稀。そのため、倉庫の入口に立った人物に気がつかなかった。憎しみの籠った目で瑞稀を見た人物は、扉の引手に手をかけた。
そして、思いっ切り締めた。バァンっと凄い音がして、瑞稀は一瞬体を震え上がらせるがすぐに振り向いた。その一瞬で外の人物は大きな南京錠を引手にかけ、鍵を締めた。
「・・なんで、扉閉まってんの・・?」
そう思った瑞稀は扉に駆け寄り、扉を引いた。しかし南京錠がかけられているために、びくともしない。
「ちょ・・開かない!・・なんで!」
中から聞こえる瑞稀の震える声を聞いた人物は、ニヤリと笑いながらその場を離れた。そしてそのまま体育館を出てしまった。勿論、瑞稀はその事が分かるわけない。
ただ、扉を開けようと必死に引手に手をかける。
「くぅ・・っ!」
だが少女の力でなんとかなるものじゃなかった。瑞稀は赤くなった手を見ると、引いても開かないという事を本能的に理解した。改めて自分は閉じ込められている事に気づく。
「・・っ・・!誰かっ!」
赤くなった手で、扉を叩き始めた。誰かが通れば、きっと気づいてくれるかもしれないと思ったからと、自分に起きている事に恐怖を感じ始めていたからだった。
2
どれくらい経っただろう。10分?30分?・・・いや、5分?
叫ぶことと、扉を叩き続けることに疲れた瑞稀は座り込んでいた。
いくら叫んでも誰も来ないことからして、恐らく瑞稀の身に何が起こっているのか誰も気づいていないに違いない。瑞稀はこんな状況で助けを呼ぶのは無理だと実感した。もしかしたら、自分に倉庫の鍵を渡した先生なら気づくかもしれないが外に置きっぱなしにしてしまった鍵は、恐らく誰かの手によって先生に渡されているだろう。
開けたとき、鍵を付けたまま扉を開けっ放しにしたことを後悔した。
「・・どうしよ・・」
こうなったら自分でなんとかするしか方法は無い。恐怖に竦む足を立たせて、辺りを見渡す。何か状況を打開出来るモノを探す為だ。
だが、特に見つからない。やっぱりダメかと思ったその時、瑞稀の目にある物が写った。それは、木の板をはめ込まれている下窓。
といっても瑞稀の腰ぐらいの位置にあり、上手く行けば通れるかもしれない大きさ。
「・・・・」
瑞稀はおそるおそる、窓に近づいた。そして、木の板を取り出そうとする。
しかし・・・
「っ!ダメ、上手く嵌め込まれてて取れないっ・・!」
尖ったモノがあれば上手く取れるかもしれないがあいにくそんなモノは見当たらなかった。
「・・・・でも、脱出するとしたら・・もうココしか無い・・」
少し離れた瑞稀はふと思い出す。千晴の部屋にあった漫画で、あった話。
誘拐された少女が、木の板をぶち破り、窓を開け脱出する話。
そのことを瞬間的に思い出した瑞稀は窓をもう一度見る。もしかしたら、出来るかもしれない。見たところ、そこまで厚い板でもなさそうだ。そして、この板の向こうには割れた窓。瑞稀は、自分の手を見る。
もうこの手は、赤くなり、力を入れることは出来そうにない。だとしたら・・・。
そう考えた瑞稀は、自分の足を見る。恐怖で、少し震えていた。
「・・・ふぅー・・」
気持ちを落ち着かせるために、息を長く吐く。
そして、頬に流れた汗を拭うと漫画で見たことのある、見よう見まねだが蹴りを木の板にぶつけた。
3
教室。自分の机の上に座り、壁時計とにらめっこしている少女‐秋乃は何度教室のドアを見ただろうか。
瑞稀が運動委員の仕事で残るので、自分は教室で待っている約束をしていた。だが、瑞稀が出ていって約一時間。帰ってくる気配は微塵もない。だいぶ前に、外倉庫の確認を終えたのは窓から見えた。だからすぐに帰ってくると思っていた。
でも、それからだいぶ時間が経ち・・帰ってこない。
「・・何やってんだろ。瑞稀は・・」
だんだんイライラしてくるが、今までにこんな事は無かった。勿論、数える程しか瑞稀を待ったりしていないが。
「・・何か、あったのかな。」
秋乃がそう不安に思っていると教室の扉が開いた。その音に弾かれるように、秋乃は期待に満ちた顔でその人物を見た。しかし、残念ながら秋乃が心待ちにしている親友じゃなかった。
「・・・なんだ、鈴乃か」
「・・なんだって何だよ。」
教室に入って早々、まるでお前に用事はないとばかりに呆れた声を出されて、さすがにイラっときたのは拓斗だった。
「何で、残ってんの?」
「・・放送委員の仕事。八神みたいに委員長とまではいかないけど、なかなか用事押し付けられる立場になったから」
「ふーん」
自分で聞いておきながら早くも興味をなくした秋乃はすぐ時計へと視線をずらした。
一方の拓斗はイラッとしたが、いつもと違う様子なのに気づいた。
「・・どうかしたのか?」
気になって、ふと聞いてみる。秋乃は言っていいのか迷って、少し沈黙を作ったが口を開いた。
「・・・瑞稀が、戻ってこない。」
ぽつりと出た言葉に、拓斗は最初反応できなかった。しかし、理解出来ると驚いた。
「八神が戻ってこないって・・どういうことだよ」
「だから!運動委員の仕事で、倉庫の見回りしてんだけどもう一時間も帰ってこないんだ!外にいたのはだいぶ前に見たけどそれっきりなんだよ!」
不安だった気持ちがいっぺんに溢れて戸惑う。だが言ってしまった以上、戻れない。
それにこの不安さから開放してくれるのなら、拓斗でも誰でも良いから気持ちをぶつけたかった。
拓斗は、珍しく気持ちをぶつけてきた秋乃に驚くと同時にそれ程尋常じゃない状況だと理解した。視線を、瑞稀の席へ。その机には、まだランドセルが乗っていた。
「・・とりあえず、先生に聴きに行こう。もしかしたら、何か知ってるかもしれない。」
秋乃へ視線を映した拓斗はなるべく優しく、思いついた提案を言った。
「・・うん」
いつもなら憎まれ口を叩く秋乃が素直に頷いた事を確認すると二人で夕焼け色に染まる教室を出た。拓斗も、ココロの片隅に少しの不安を覚えて・・・。
秋乃と拓斗が、職員室で事情を話してる頃。同じ夕焼け色に染まる・・ここは、体育館倉庫。割れて穴を開けた板から差し込んでくる綺麗な茜色。その色に照らされ、横たわっているのは・・瑞稀。左手で、血が出ている左足をおさえている。
瑞稀はなんとか木の板を破ることが出来た。しかし、空手も何も知らない彼女が無傷な訳がなく。
案の定、蹴り続けた左足は足首から膝までかけていくつもの深い傷が出来てしまった。しかもこの日、瑞稀は暑さの為にショートパンツという格好。
それでも投げ出さず、諦めなかった瑞稀は割れてはいるが脱出出来る窓にたどり着けた。しかし、出血のせいで頭は朦朧とし、おまけにこの足では立ち上がることもままならない。というより、蹴り続けていたときより、痛みが悪化していた。心無しか、息切れもし始めた。
「・・・・」
止まらない血。動かない足。息苦しい呼吸。はっきりしない頭。頭が、ボーッとしてくる。
―・・せっかく穴開けたのに・・。出れるのに・・・。何で、動かないんだろ。
動けないの・・?てか・・何でこんなことになったんだろ・・。
私・・閉じ込められるような事・・・・した・・? ―
うつろう意識の中、それだけ頭に浮かんだ。そして・・意識を手放した・・。
もう、どうにでもなれというかのように・・。
4
秋乃と拓斗が担任である中岡先生を連れて体育倉庫に到着した。瑞稀に倉庫確認を頼んだ運動委員の先生は帰ったということ。そのため、鍵の受け渡しは中岡先生がしたようで。でも、体育倉庫の鍵だけは瑞稀じゃなく、見回りの先生が落ちていたのを見つけて返却していた。
何故瑞稀が持ってこないのか不思議に思っていたが、深く考えることをしなかったらしい。そんな時に、秋乃たちから戻ってこないと聞かされ、考えなかったことを後悔した。
「・・コレ・・」
先生が後悔していると、扉に手をかけた拓斗から腑に落ちない声が聞こえたので我に戻る。
「どうしたの?鈴乃くん」
「・・あ・・いや・・この南京錠。去年、審判の仕事で倉庫確認したときに、こんなのついてなかった覚えがあって・・。」
「・・えぇ?」
南京錠を手にとってみる。形が少々歪んでいて、錆びている。
その錆び臭さに顔を歪めた時、体育の教師を連れて秋乃が戻ってきた。
「どうしたんです。一体・・。」
「あ、田中先生。スイマセン、急に・・。」
一応中岡先生が謝ったとき、拓斗が身を乗り出した。指さすのはもちろん南京錠。
「先生!あんな南京錠・・見たことないんですけど・・!」
その言葉で、田中先生は指さされる南京錠を見る。するとその顔は一瞬にして驚きに変わった。
「お、おい・・何でこんなモノ付いてんだ・・。」
その言葉に、三人が驚いた。一番に声をあげたのは、まだこの学校に詳しくない秋乃だった。
「どういうことですか。そんなに驚くモノなんですかアレ」
「あ、ああ。あの南京錠、錆び始めてきて鍵が入りにくくなったから3年前くらいに使うのを止めたんだ。」
「止めた・・?じゃあ、なんで、これが・・倉庫にかけられてんだよ・・」
その話は初耳だった拓斗も、中岡先生も、秋乃も、ある一つの緊急事態が頭に浮かんだ。しかし、それは到底信じたくないものだった。
「・・・・この、南京錠の鍵は・・?」
秋乃が震える声で聞く。
「鍵も、この南京錠と一緒に保管したんだ。この体育倉庫の奥に。」
「・・つまり・・開けられない・・」
中岡先生がそう呟くと、拓斗が田中先生に向かって叫んだ。
「チェーンカッターだ!チェーンカッターで、これを壊すしかない!」
「ちょ、ちょっと、待ってくれ!何でこれにこだわる!確かに、これが付いたままじゃ倉庫は開けられないが明日にでも業者に頼めば・・」
「ふざけないで!明日まで待ってられない!瑞稀が、ココにとじこめられてるかもしれないんだ!」
戸惑い、展開について行けない田中先生を一喝した秋乃に余裕なんか無かった。
それは拓斗も一緒だった。
「おかしいだろ!この倉庫の鍵を先生が返して、瑞稀が戻ってこなくて、倉庫には壊れて使われてない南京錠がかかってるって!もう居なくなって1時間だ!」
「な・・っ・・」
「はやく!」
秋乃と拓斗の叫びに、田中先生は職員室へと走った。用具箱の中から小型のチェーンカッターを取り出し、体育館へ走った。その時に、偶然会った保健室の先生と学年主任も連れて。
田中先生が戻ってきて、事態を簡単に説明された二人の先生はちゃんとした説明を中岡先生に求めた。その横で、秋乃が南京錠を壊す田中先生を急かしていた。
「(・・くっ・・なんでアイツが・・閉じ込められてんだ・・。何も、なきゃいいけど・・)」
そう考えて思い出すのはしばらく前の、瑞稀を見る菜美の冷たい目線。それがリアルに思い出されて、背中に寒気が走った。
「(まさか・・いや、違うだろ・・)」
嫌な考えを振り払うと改めて体育館倉庫の扉を見た。ただ瑞稀の無事を祈っていた。
見た目以上に、瑞稀を心配していた。握りしめる手に・・強い力がこもる。
「・・っ・・。っよし!壊せたぞ!」
ガキンという鈍い音を立てて、南京錠が転がった。その音を聞いた中岡先生が持っていた体育館倉庫の鍵を回した。そして、1時間ぶりに倉庫が開放された。
田中先生と拓斗で勢いよく扉を開けた。その時、冷たい風と鈍い錆びっぽい臭いがした。倉庫手前や棚は何も、変わった所はない。
そして、奥に視線をやると、そこには異様な光景が広がっていた・・。
男二人が言葉を失った。そんな二人を不思議に思った女性陣が覗き込んだ。
そして・・眼を見開いた。
奥には、割れて飛び散った木の板の残骸や窓ガラス。床には、小さな血だまりが出来ていた。サビっぽい臭いは、血の臭い。その血だまりの中で倒れているのは・・。
「八神!!」「瑞稀!!」
本能的に、反射的に名前を呼んだ拓斗と秋乃は倒れて気を失っている瑞稀に駆け寄る。そして、先にたどり着いた拓斗が血だまりを気にせず、瑞稀を抱え上げた。
秋乃が必死に呼びかける。
「瑞稀!瑞稀!瑞稀!」
「しっかりしろ!八神!」
その子供の声に我に戻った先生たちも、駆け寄ってくる。保健室の先生が「とりあえず、ここから出ましょう。衛生的に良くないわ」と声をかけ、田中先生が瑞稀を抱き上げた。その時、拓斗の目に入ったのは血だらけになった瑞稀の左足。
「っ!!八神、足が・・!!」
「え・・!?・・ぁっ・・瑞稀・・!」
未だに止まらない血はポタポタと、床に落ちる。それを見た拓斗は咄嗟に、自分の着ているシャツの袖を引き裂いた。そして、それで瑞稀の足首に当てる。
血が落ちないようにするため。傷の場所に当てないのは、万が一の時のため、雑菌が入らないようにと考えたことだった。といっても、TVでやっていたことを瞬間的に思い出しただけだ。
その様子を見た先生たちが瑞稀の足に気づいた。運び出された瑞稀は降ろされた。
田中先生が担架を持ってくる為と、保健室の先生が応急処置をするためだった。
体育館から保健室までは結構な距離がある。それを、止血もせずに運ぶのは状況が悪化するだけだった。
秋乃と拓斗は名前を呼び続ける。だが瑞稀の顔は真っ青で呼び掛けにも反応がない。
「瑞稀!瑞稀っ・・!眼を、覚まして・・!」
「しっかりしろ、八神!」
応急処置を終えた保健室の先生が、
「とりあえず、止血したけど・・いくつもの傷が深かった分、流れた血の量が半端じゃない。応急処置でも持ちそうにないわ。病院に運ばないとマズイ状況ね・・。」
「そんな・・!」
眼を覚まさない親友の隣で、秋乃の顔が青ざめる。拓斗はかがみ込んだ姿勢で自分の表情を悟られないように伏せた。その顔は、一見すると泣き出しそうな小さな子供のようだった。
「・・田中先生が来たら、担架で駐車場まで彼女を運んでもらいます。そして私の車で近くの大学病院の緊急センターに連れていきます。中岡先生は彼女の保護者に連絡を」
そこまで指示を出した保健室の先生は、瑞稀の両隣にいる秋乃と拓斗を見た。二人は言われることが分かっていたが引く気はなかった。
「ウチは瑞稀に着いてく!このまま家になんか帰れっこない!!」
「俺だって!八神が辛いのに・・家にいられるか!!」
勢い良く顔を上げた二人は、教師二人に向かって叫んだ。涙目の二人をなだめようと担任である中岡先生が声をかけようとしたとき、保健室の先生がそれを制した。
「そう言うと思ったわ。・・今回だけ、特別よ。8時まで。それまでは着いていてもいい。けれど、それを過ぎたら絶対に帰りなさい。子供が外に居ていい時間では無いわ。いい?」
その言葉を聞いた二人の顔が、少し明るくなった。ちょうどその時、担架を持った田中先生が帰ってきた。
その後、瑞稀を車まで運び、瑞稀のランドセルを持った秋乃と拓斗を乗せて病院へ。
中岡先生は瑞稀の家に電話をし、事のあらましを説明して病院に来てもらうよう話した。
眼を覚まさず、どんどん青白くなっていく瑞稀を見続けている拓斗は後部座席に寝かせた瑞稀の頭部分で床に座り込んで、瑞稀の少し冷たくなった手を強く握り締めた。
5
長き眠りから、少女が還ってきた。
「・・・・ん・・・」
うっすらと、視界に入るのは白。自分の部屋のものではない、見覚えのない天井。
ぼやける視界に、急に輪郭を捉え出した人の顔。ボーッと見つめて、焦点が合うとそれが誰か分かった。その人物の名前を言おうとして、口をゆっくり動かす。
しかし出た声は、だし方を忘れたかのように小さく弱々しいものだった。でも、目の前にいた人物は聞き取れた。
「・・・・あき、の・・。・・すずの・・。」
「瑞稀っ!」
「八神!」
自分たちの名前を呼ばれた二人は、不安になっていた心が一気に安堵に変わった。
力が抜けるくらい。
「良かった・・瑞稀・・。心配したんだよ・・?」
「・・・ゴメン・・。」
未だにはっきりしない頭で言葉を聞き取った瑞稀は素直に謝った。秋乃の顔が、今にも泣き出しそうだった。瑞稀の視界に、次に入ったのは自分を心配そうに覗き込む祖父母の姿と仕事場から急いで戻ってきたお兄ちゃんと慕う叔父の姿だった。
「瑞稀っ!」
「・・・あ・・れ・・おにい、ちゃん・・・?・・仕事は・・・?」
「お前が心配なのに仕事行ってられるわけないだろ!ったく・・!無茶して・・!」
「良かった・・・!本当に良かった・・!!」
祖母が瑞稀に抱きついた。当の本人は自分の身に起きたことがイマイチ理解できてなかった。すると病院の先生が入ってきて、瑞稀の怪我をした足のことを説明するからと言って家族は一旦病室を出た。
「・・・足・・?」
外科医に言われた事に、理解できなかった瑞稀は思わず起き上がった。
しかし・・
「っ!!・・~っ!!!」
「瑞稀!!」「八神!!」
左足に力を入れてしまった為に激痛が走った。思わず体を丸める。そんな瑞稀に、秋乃が手を差し伸べて背中をさすった。拓斗は状況の説明をした。
「お前、あの倉庫から脱出しようとして木の板と窓蹴破っただろ?そんときに左足・・膝から下までにいくつもの深い傷が出来たんだ。とりあえず、止血も出来てるし化膿もしてないから大丈夫らしい。縫う必要もないって言ってた。傷による熱も出てないみたいだしな。」
そこまで冷静に言った拓斗は複雑そうな表情をしている瑞稀にちょっとからかう口調になり「ちなみに倒れたのは、出血のせい。お前、血糖値限界値までしかないから怪我を多くすると貧血になるってさ」と付け足した。瑞稀の表情を少しでも和らげるために。
拓斗の気遣いに気づいた瑞稀は、顔を伏せたが、すぐに笑顔で返した。その笑顔を見た秋乃は安堵したのか瑞稀に抱きついた。
「わ・・!あ、秋乃?」
「・・・良かった。本当に・・。」
「・・・・うん、ありがとう」
瑞稀は秋乃の頭を撫でながら笑顔を保ち続けた。その手が、震えている事に気付かせないように。
しばらくして瑞稀の家族が戻ってきて、今日一日は入院して明日の朝に検査を行なって異常がなければ帰る事になった。学校は明日と明後日を休むことになった。家族が、着いていると言ったが瑞稀は大丈夫だからと念押しをして断った。
中岡先生に、他の生徒たちに自分が怪我したことを言わないで欲しいとの念押しもしておく。秋乃はまだ居たいと粘ったが、もう8時になることもあり強制的に帰らされる事に。だが、明日の放課後にお見舞いに来る事は了承させられた。それは、拓斗も全く同じだった。
安心させるように笑顔で皆を見送った瑞稀は、病室の扉が閉まると布団をめくった。
そして視界に映すのは、痛々しく包帯が巻かれた左足。瑞稀の身体が、カタカタと小さく震え出した。
病院の外に出た拓斗は、最後尾に居た。その顔は、凄く苦しそうな・・・。
「(・・・アイツ・・絶対無理してた)」
無事で良かったと安堵する家族や友人に、心配かけまいと笑顔を繕っていた瑞稀。だが、その手は震えていた。それに気づいたとき、思わず体が動きそうになった。でも、それをするにはこの「友達」という一線を超えなければならない。
拓斗は基本的に真面目だ。(勉強が出来るという意味の真面目では無いが。)
「友達」と接している瑞稀に、そんな事をしたら、許されない。自分は、「友達」なんだと言い聞かせてもう1年くらい経つ。ずっと、一線を軽はずみな行動で超えないように・・と。
だが、閉じ込められ脱出するためとはいえ怪我をして気を失ったあの瑞稀の姿を見て、怖くなった。もし居なくなったら。このまま意識を取り戻さないままだったら。
そう考えたら、怖くなった。
思わず車の中で瑞稀の手を握った時感じたあの冷たさはもう感じたくない。
だから、本当に瑞稀が起きた時は心の底から安心したし、喜んだ。
それなのに自分たちを安心させる為にと、無理な笑顔を作らせてしまった。決して、傷を負ったのは足だけでは無いはずなのに。でも自分では心に触れる資格は・・
「鈴乃!!」
「・・!!」
一人悶々と考えていた拓斗は自分の顔を覗き込む秋乃に強く呼ばれて意識を戻した。
秋乃も拓斗と同じ最後尾に居た。瑞稀の怪我について話しかけても答えが返ってこなかったので強く呼んだようだ。
「・・瑞稀の事、心配なんでしょ・・。辛そうな顔してたし」
「気づいてたのか・・?」
「当たり前。多分、瑞稀の家族も気づいてる。だから瑞稀を一人にさせたんだと思う。ウチらがいたら、気使うだろうしね」
てっきり気づいているのは自分だけだと思っていた。どれだけ自意識過剰してるんだろう。
「(・・よく考えたら、そうだろうな。)」
冷静に考えていくと、当たり前のように思えてきた。拓斗は自分に対して呆れた。
だが、あの瑞稀の震えている姿を思い出すと言いようのない後悔が襲ってくる。
あのまま一人にしてよかったのか。傍に居て、不安を拭ってあげるべきなんじゃないのか。だが、その役目は「友達」である自分は持っていない。
悔しさが、こみ上げてくる。
「(結局・・一線超えない為とか言っといて、いざって時にうざったく感じるんだよな)」
秋乃があの時、教室に残っていなければ恐らく自分は帰っただろう。田中先生に頼らなければ、南京錠を開ける事もできなかっただろう。目が覚めたとき、一番に名前を呼んで抱きしめて温もりを確認しただろう。結局、何もできなかった。
今も、震える瑞稀の傍に居られない。深い悲しみのまどろみの中にいる瑞稀を、安心させてやれない。何も、出来ない自分が腹立たしかった。
「・・鈴乃。」
「・・・なんだよ」
自己嫌悪に陥っていた間ずっと足を止めていたのか、秋乃と少し距離が空いてしまった。その先ではいつまでも来ない自分たちを心配している大人たちが。
それを視界に入れながら、拓斗は自分を呼んだ声に返した。秋乃は、拓斗の前に立ち背中を見せて顔を前に向けた。
「適当に言い訳しとく。瑞稀の所、行ってきなよ」
「・・・は?・・・・いや、でも・・」
秋乃の申し出を嬉しく思ったが今考えた事が過ぎり戸惑う。自分にはそんな事をする資格がないのだ。「友達」の一線に居る自分には・・。
「ふざけんな。いつまでウロウロするつもり?自分では境界線前に居ると思ってんだろうけど、こっちから見ればお前、境界線行ったり来たりしてるんだよ。」
「・・え・・」
「何のプライドがあんのか知らないけど・・。」
そこで言葉を区切った秋乃はゆっくり振り返った。何も言えずに戸惑っている拓斗をじっと見つめるとハッキリと言い放った。
「好きな奴が苦しんでんのに自分のプライドなんて関係ないんじゃないの!」
「・・!!」
初めて他人から言われた自分の、瑞稀に対する心。だが、それ以上に秋乃の言葉はずっと自己嫌悪して「友達」の一線を守ろうとしていた自分の心に突き刺さった。そして、強ばっていた塊を溶かしていった。
手をギュッと握り直して真っ直ぐ前を見据えた拓斗は秋乃に背中を向けると「頼む!」と言って病院へ駆け出していった。
その姿を見た秋乃は、ため息をついた。だが、その顔は優しかった。今度は安堵の溜息をつくと前を向き直って、大人たちにする言い訳を考え始めた。
6
身体の震えが収まらない。凄く怖い。板を蹴破った時に感じた強い痛みが今も感じる。
血の臭いがまだ残っている。気持ち悪い。
でも自分の無事を心から喜んでくれたみんなに余計な心配かけたくない。大丈夫って言わなきゃ、絶対心配する。強いから、あっけらかんとしてるから。
いつからだろう。自分の為に、泣かなくなったのは。母親が死んだとき、泣いた。
でも、それは、母親や家族を思って泣いた。自分の為に泣いたことは、あったっけ。
小さいころから、我侭言わないようにはしてきたけど・・
「・・・・っ・・・」
頭が痛い。足が痛い。手が痛い。・・・心が、痛い。
「・・・・寂しい・・」
「・・・・苦しい・・」
「・・・・怖い・・・」
「・・・・た、く、と・・・」
ふと口から出た。言葉3文字の名詞。絶対に呼んだこともない言葉。だけど何故か心の奥底から出た言葉。
瑞稀はベッドの上で体育座りをすると、両手で布団を握り締めた。でも、その手に触れるのは無機質の冷たさ。いくら握り締めても、暖かく感じることはない。
今。自分が求めている温かさは・・たった一人の体温。不器用に、でも安心させるような温かさを持つ手で頭を撫でてくれる。そんな優しさの籠った・・温もり。
「・・・バカみたい。なんで「友達」に、こんなの求めてるんだろ・・。」
小さく自嘲すると布団を握り締めていた手を離した。自分が以前言った「友達」という言葉にトゲが刺さったような痛みを思い出す。こんな感情、生まれて初めてでどうしたら良いか分からない。
小さく息を吐く。
「・・もう、寝ようかな・・」
そう呟いてみたものの、怖い夢を見そうで怖い。だが、寝ないと悪い方向へ考えが飛びそうでもあった。未だに震える体をもう一度抱きしめると、視界にもう一度左足が写った。
「・・頑張ったね。ありがとう、ゴメンね。」
自分の膝に、おデコを当てた。すると、ガラッと大きな音が瑞稀の耳に届いた。
慌てて顔を上げて、視線を病室の入口に向けるとそこには息切れをした拓斗の姿があった。
「・・・鈴乃・・」
「はぁ・・はぁ・・」
驚いた瑞稀だったが、すぐに笑顔を作っていつも通りに接する。
「どうしたのー?忘れ物?」
「はぁ・・ちが・・」
「うーん、多分忘れ物とか無かったって看護婦さん言ってたけどなー」
ベッドから立ち上がった瑞稀は左足の痛みを抑えて荷物置き場の方に近づく。荷物置き場は入口側。つまり、今息切れしている拓斗の隣。だから余計に、バレないように振舞う。
一番温もりを求める人だから、一番心配かけたくないし、弱いところを見せたくない。
「だから、聞け・・!」
「ま、明日看護婦さんに聞いとくよー。だから今日は帰った方がいいかもね!」
「・・っ!もうやめろ!!」
「・・・!!」
病室に拓斗の低い声が響いた。驚きと図星で動けなくなった瑞稀は拓斗に腕を引かれ、ベッドに座らされた。
「バカかお前。」
「・・・」
「・・お前が、無理して笑ってるの、バレバレなんだよ。手、ずっと震えてるし」
「・・・」
気づかれていたことに、いたたまれなくなった瑞稀は顔を上げることが出来ない。
多分、拓斗は凄く怒った。もしくは呆れてる顔をしてる。そんな顔にさせたくなくて、笑顔を振舞ったつもりはない。ただ、嫌われたくなかった。いつまでも、顔を上げない瑞稀に拓斗は強硬手段に出た。右手を、動かした・・。
拓斗の右手が動いたのを見て、思わず殴られると思った瑞稀は身構えた。だが、来るだろうと思っていた痛みは無い。それどころか、フワッとした優しい温もりを感じた。自分が、欲しいと願っていた温もり。
その温もりに嬉しくなったが、思わず、顔を上げた。拓斗が、呆れたり怒ったりしている顔をしていると思いつつも。だが・・
「・・え・・」
その予想は大きく翻された。拓斗は、凄く悲しい表情をしていた。
「・・・・」
「・・強がんなくていい。弱い所も、見せていい。俺はそう思ってる。だから・・」
「・・鈴・・乃・・?」
今まで見たことがない拓斗の様子について行けない瑞稀。驚くことしか出来ていない。そんな瑞稀に構う余裕が無い拓斗はこれ以上無いくらい顔を歪ませた。
「一人で、泣く事だけは・・すんな・・」
「・・・!」
身体全体に伝わる暖かい温もり。ギュッと力強く、抱きしめられる。
力任せ、強引、そう見えるがちゃんと瑞稀の怪我した足のことも気にされている。
まるで、存在を確かめるような・・でも、安心させられるような・・。
「・・・鈴乃・・ゴメン・・」
「何で、謝るんだ・・?俺は・・」
言葉を続けようとした拓斗を黙らせるかのように背中に回した腕の力を強くする。
そして、拓斗の胸に顔をうずめた。
「・・ゴメ、ン・・」
その言葉に、先程までの不安が全部詰め込まれていた。怖くて、苦しくて、痛くて、寂しくて・・。全ての感情が込められた言葉に気づいた拓斗は、瑞稀の頭をできるだけ優しく撫でた。
「怖かったな・・。よく、頑張ったな。」
「・・っ・・・う・・」
「もう、大丈夫だ。」
「っ・・、う、あ・・うあぁぁぁあ!!」
拓斗から与えられる、唯一求めた温もりと言葉に瑞稀は初めて自分の為に涙を流した。自分の心に深く刻まれた傷の痛みを、訴えるかのように・・。