訪問者
ネオンで照らし出された高層ビル群を横目に、閑静な住宅街があった。小町は廃れた家々を見て、微かに顔を曇らせた。
「お見舞いに来たのはいいけど、もう少し早い時間が良かったかな」
夜空に向かって、力なく声を出す。
「ダメダメ。しっかりしないと」
小町は頬を一度叩いたあと、大げさに首を横に振った。
薄暗い闇が続いている。辺りの家々からは明かりがない。いつまでも回収されないゴミの山。壁や塀に誇示された、スプレー缶を使った卑猥な落書き。人が生活しているという気配が、まるで感じられなかった。思わず身震いしたが、舗装されていない砂利道を、無言のまま進んだ。
「お姉さん、何か食べられるものを、恵んでいただけませんか」
唐突に、静寂を裂く者がした。顔色の良くない少年が、小町に声をかけた。小町は大きく目を見開き、声の主を見た。10歳にも満たない男の子だった。道端に座ったまま、力なく物乞いの手を差し出している。
小町はカバンに入れていた菓子パンと、500円硬貨を少年の前に投げ捨てた。そして振り切るかのようにその場を走り去った。
しばらくは走った。しかし運動不足から、それも長くは続かなかった。やがて、一つのアパートが目にとまった。恐らく、吉田ハウスと書かれている。恐らくというのは、赤い錆が文字を喰らい尽くしており、一部虫食いになっているからだ。
小町は軋む外階段を昇り、202号室と表示された扉の前で足を止めた。心臓の高鳴りを感じる。顔が赤く染まっていくのが、自分でも分かった。吐き出す息も重い。手首からは、嫌な冷や汗が伝った。
震える手を堪え、呼び鈴を押す。大きく鳴るチャイム音が、余計に心を揺るがせた。永遠に感じる程時が長い。幼馴染とはいえ、男の人の家にあがるのは、これが初めてだった。
そして、ゆっくりと扉が開いた。
「小町か」
柏木の第一声だった。動揺しているのか、甲高い声だった。
「お見舞いに来た」
小町はそれだけ言い、玄関をくぐり抜けていった。