メイド喫茶
「いらっしゃいませ、お嬢様」
小町がドアを開けると、数人の女性が目に入った。水色のメイド服を来た、長身の女性が深々と頭を下げた。彼女は真紅のメガネをかけ、微笑みと共に、ブラウンのショートカットをなびかせた。
店内にはピンクや黒など、様々なメイド服を着こなした、若い女性達が料理をテーブルに運んでいる。小町を甘く歓迎するかのように、微かに、バラの香りが漂ってきた。
「柏木が予約を取っていますよね。その連れです。彼のいる席をお願いできますか」
小町はメイドから目を逸らし、ぶっきらぼうに言った。視線は、男性客のいるカウンターやテーブルに泳がせた。男を誘うかのような服装を、直視するのが照れくさかった。
「ご主人様はこちらです、お嬢様」
メイドが手を挙げた。胸元の黄色の鈴が、チリンと音を立てた。店内にはシャンデリアや、棚に並ぶ色とりどりのワイン、それに食欲をそそるチキンの香りがあった。
「久しぶり小町、元気だったか」
懐かしい声がした。メイドの案内されたテーブルの一角に、彼がいた。柏木は一人で、コーヒーを嗜んでいた。
「元気に見える? 勉強疲れで、一昨日からずっと頭が痛い」
小町は不満げに頬を膨らませた。そして向かいの椅子に腰掛けた。柏木は苦笑いを浮かべ、頭をかいた。
「聞いたか。先日やつらの先遣隊が、岡山市を包囲したらしい。つまり政府の豪語した、絶対防衛線が破られたって噂だ」
柏木が身を乗り出し、小声で言った。
「知ってる。連日ラジオで流れてるもの。岡山市は一度お父様に連れられて、旅行に行ったことがあるわ。大丈夫なの?」
「多分な。西日本の主要都市は電気、水道、それにガスや食料の空輸ラインも、問題ないって話だ。岡山市も避難が円滑に進んでるし、すぐに陥落する事にはならないだろう」
小町は返事の変わりに、深く溜息を吐いた。話の区切りがついた所で、メイドがテーブルに近寄ってきた。
「失礼します。ご主人様、お嬢様。メニューをお持ちしました」
「いつものコーヒーを彼女、いや、お嬢様に。砂糖はいらないが、ミルクをつけてくれ」
柏木が手でメイドの行動を制した。常連客のようだ。普段は誰と来ているのか、小町は概ね想像がついた。崩れさりそうな笑顔を見せないよう、愛想笑いを浮かべた。
「はは」
それに対し、柏木が表情を崩した。ぎこちない笑顔だった。メイドは深々と頭を下げ、早急に下がった。険悪な雰囲気と読み取ったのかもしれない。
「そう遠くない未来、住居を失った何千万という難民が、波のように東日本に押し寄せる。この国はますます貧富の差が色濃くなるだろう」
そう言って柏木は、再びコーヒーを口に運んだ。
「それはそうと、中村さんと仲が良いみたいね」
唐突に小町は切り出した。柏木の顔色を伺ったが、表情に変化はなかった。
「たまに、秋葉原に遊びに行くんだ」
「あの子やっぱりオタクなんだ。でも、評判良くないみたい。女子内でも接しづらいって、度々話があがるわ」
「まあ、そうかもな」
「出身は大阪でしょ? 大変なんじゃないかしら」
「こういう状況だ。近いうちに大阪に戻ると言ってた。家族が関西から動かないと、話を聞かないらしい」
「もし中村さんが大阪に戻ることになったら、その、柏木はついて行くの?」
「ああ」
迷いのない返事だった。心の中で、何かが壊れる音がした。小町は悔しさから、下唇を噛んだ。口内に血の味が広がり、屈辱感を噛み締めた。なぜ私を選んでくれないのか。自問自答する虚しさに、少しずつ壊れていく自分があった。