議論、白熱
そこは会議室のようだった。白を基調とした部屋で、前方の壁は黒板ではなくホワイトボードが取り付けられていた。どこにでもあるような木目の印刷された長机がいくつか繋げられて正方形をかたどるようにして配置されていて、無駄に空いた中央のスペースがどことなく寂しい。
部屋の片隅にはテレビ会議かなにかで使うのだろうか、テレビが設置されていたが、今は電源を切られている。また、別の隅には観葉植物が植えられているが、リラクゼーションの効用があるかと問われれば否かもしれない。
昼下がりで窓のブラインドは下げられているが、日差しが強かったため漏れてくる光と室内の電灯で部屋は暗くない。そんな部屋で数人の男たちが議論を交わしていた。
「技術的に可能か、という問いに関しては既にクリアしているのだけれど……」
窓側の席についた、ビン底みたいな眼鏡をかけた男が話し出す。一昔前の学者が私服を着たらこのような感じかもしれない。とにかく、流行にそぐわない服装だった。
「技術的に可能だからこのような議論が沸いてくるのでしょう?」
髪を無駄に長く伸ばした細身の男が鼻で笑うようにして目の前の眼鏡の男に言った。そう言われた眼鏡の男は一瞬ムッとした表情をしたが次第に恥ずかしそうに俯いていった。
「とにかく、技術的に可能。残るは倫理的な問題でしょう」
ホワイトボードの前、議長席とも呼べそうな席の男が言う。
「そりゃ、できるならやった方がいいでしょう」
議長席の反対側に座る薄手のパーカーを着た男が言った。彼はこの中では一番若そうに見える。彼の発言に異を唱える者が数名現れた。
「そんな簡単な問題ではないんだよ。それを行ったときにどのような影響が出るかを加味しないと……」
眼鏡の男の隣に座っていた男が反論する。パーカーの男はそれに対して食ってかかった。
「だって、誰でも一度は望むでしょう? もしそうなったらって。誰もが望んでるんだったら問題なんてないでしょう」
男は体を乗り出して力説するが、苦笑やため息がそこらから漏れてくる。予想外だったのか、男は狼狽して座り込むと俯き加減になった。
「君は何もわかってないじゃないか。元の状態の方がよいということは大いに考えられる。もしかしてそれを行ってしまうことで、魅力が半減、いや、それ以上になってしまう可能性だってある。むしろ私はそちらだと思うがね」
自らの隣に座っていた男に呆れ気味に返され、一層パーカーの男は形勢を悪くしていった。俯いた顔が上がってこない。さらに長髪の男が追い討ちをかける。
「そもそも、できないからこその魅力というのもあるでしょう。もしそうなったら、でもそうはできない。そこに重要な要素があるのではないですか?」
「いやいや、だいたいがナンセンスなんだよ。できる・できない、なった・ならない、そんなの意味がないんだ。あれはあれでそのまま、ああいう存在なんだ。ああやって存在しているからこそに意味があって、支持されているんだよ。ならば、それに手を加えるべきではないと僕は思うがね」
眼鏡の男がきっぱりと言った。自信を持って自らの主張を述べたようである。どことなくその表情に強い意志が表れている。それを聞いて隣の男があざ笑うように鼻から息を漏らした。
「さっきは技術的にどうとか言ってたじゃないですか?」
「あ、あれは……! つ、つまり、技術的に可能だろうとするべきではない、ということを言いたかったんだ!」
眼鏡の男が顔を赤くして答えると、男はやれやれと肩を竦めた。それを見て眼鏡の男が、ずり落ちた眼鏡を上げながら上目になって睨んだ。
「そこ、落ち着きなさい」
議長が嗜める。
「あの、今回の議論、定義的にはどうなるんですかね?」
長髪の男の隣に座っていた短髪の男が初めて口を開いた。
「どう、とは?」
「定義的には、三次元モデルではなくて、立体視の方でいいんですよね? 今更ですけど」
「ほんとに今更だな」
「当たり前だろ。じゃなかったらこのタイミングで議論しないよ」
ところどころで嘆息が湧き出てくる。短髪の男は恥ずかしそうに俯き「あ、いいんです」と呟いた。
「ところで君は何か意見でもあるのかい?」
議長が尋ねた。
「あ、いえ……。三次元は元々無理があったじゃないですか。ところどころに綻びがあったって言うか。角度的に、おかしな部分が出たりとか……。でも、今回の定義に関してはそこまで躍起になって否定するものでもないのかな、と」
「確かに、今の技術では……」
「技術的に可能って言ったの誰だよ?」
「うるさいなあ、君は。さっきから」
「そこ! 静かにしなさい 君、続けて」
「あ、いえ、もう終わりなんですけど……。えと、僕はどちらかというと、CG化していく方がまずいんじゃないかな、とか思ったりするんですけど……」
「当たり前だよ」
「愚問だな」
再び非難が上がってくると、彼はついに俯いたまま黙り込んでしまった。
「君たち、あまり彼を追い詰めないでやってくれよ。彼は彼なりの意見を言ったんだ」
議長がそう言ったところで部屋の扉がノックされた。彼が返事をすると入って来たのは二十台半ばほどで、グレイのスーツを着た受付の女性である。髪は肩より少し伸び、理知的な顔つきで、これに眼鏡をかければまさに秘書の典型的なイメージと重なるだろう。残念ながら眼鏡はかけていない。
「あの、そろそろ時間なんですけれど……」
彼女は部屋を少し見渡すと躊躇いがちに議長の方を見て言った。おそらく、部屋の使用時間を過ぎてしまっていたのだろう。議長は左腕の時計を見た。
「ああ、もうこんな時間だ……。仕方ない。多数決を取りましょう。賛成の人は挙手を願います」
躊躇いなく手を挙げたのはパーカーの男と短髪の男。眼鏡の男は周りをキョロキョロと見渡し、手を挙げかけたが結局下げた。
議長は大きく息を吐くとゆっくりと立ち上がり話し出した。
「反対多数ですね。……すみません、時間が無いそうなので挨拶は割愛させていただきます。良い議論だったと思いますよ。それでは各自解散でお願いします」
それから各々、部屋を出て行く。最後に議長が女性に会釈をして出て行った。
彼女は会釈を返し、次に使う客のために部屋の片付けを始めようとした。だが、思いのほか何も汚れていなかったので、とりあえず机だけは拭いて、ゴミがないかも確認した。
そして、最後にホワイトボードを消そうと振り向くが、それに書かれた本日の議題を見て絶句する。
『二次元アニメキャラの3D化の是非について』
くっだらねえ