ハッピーエンドのその後で ~テンプレ通り転生後に婚約破棄され辺境伯に懇願されています、が、氷の美貌の様子がおかしい~
恋愛要素なし。
よくあるテンプレ設定に巻き込まれた女の子の話。
「スターシャ・ウィナリー子爵令嬢! 貴様との婚約を、只今をもって破棄する!」
しゃらしゃらきらきらと、絢爛豪華な公爵家の大広間。
夢のようにきらめくシャンデリアの下で響いた大声に、管弦楽の流れるような旋律が一瞬崩れた。
さしもの楽団員も動揺したらしい。
静かにフェイドアウトしていく音の波の中、数百人の貴族たちの視線が一斉に注がれる。
注目の真っ只中で、ワインレッドのドレスを纏ったスターシャは、婚約者である公爵令息ジュリアンを静かに見据えていた。
ドレスと同じ色の目と、鳶色の長い巻き髪をアップにしたスターシャは、アーモンド型の目がどこか勝ち気そうな印象を感じさせる令嬢だ。
ジュリアンの隣には、男爵令嬢マリアの姿がある。
ぷるぷると震える姿は小動物のようで、見る者の庇護欲を煽る。
「ジュリアン様ぁ……私、恐ろしいです。スターシャ様に階段から突き落とされた時のことが、今も夢に出てきて……」
「大丈夫だマリア。これ以上、この心悪しき女豹に好き勝手はさせん。お前は哀れなマリアを苛み、毒殺まで企てた悪逆非道の行い。もはや言い逃れはできんぞ!」
今日は公爵令息ジュリアンの誕生日パーティーだった。貴族たちはもちろん、ジュリアンの取り巻きたちが主体だ。
公爵家に気に入られたい人間は山ほどいる。
「まあ、あの子爵家の娘が……」
「大人しそうな顔をして、なんて恐ろしい」
「怖いものだなあ、女というのは」
「ただの田舎娘ではなかったのね」
蔑視と好奇の目が無遠慮に浴びせられる。
ふう、とスターシャは小さなため息をついた。
マリアは思っていた以上に陰湿な娘だった。
階段から突き落としたのも、毒を盛ったというのも、どれもこれもマリア自らが仕掛けた稚拙な自作自演だ。
(あーあ、これでもやっぱりシナリオ通りになるのね)
ここは恋愛シミュレーションゲーム『ハッピーエターナルシップ ~魅惑の箱船~』の世界だ。
地球人かつ日本人であった平凡なOL、保志野星子は、持病の心臓病のために夭折してしまった。
しかしながら、何の因果か、趣味でやっていたゲームの中の悪役令嬢、スターシャに転生してしまったのである!
まさか、テンプレ通りでつまらない、と放り投げたシミュレーションの世界に自分が入り込むとは夢にも思っていなかった。
(シナリオ通りにいくと、ヒロインのマリアとジュリアンが結婚して、溺愛ハッピーエンド。悪役令嬢の私は、マリアをいじめた罪をジュリアンに暴かれて、辺境に追放され、行方知れず、だったはず……)
しかし、ヒロインがこれほど邪心に満ちた女だというのは、ゲームのどこにも示されていなかった。
スターシャが悪役のように描かれていたが、思い返せば実際に手を下すところのスチルがあったわけではない。
(くっ……最後にやったゲームだったから? こんなことなら、もう一回『農場物語』をやりこんでおくべきだったわ……! どうせ異世界に転生するなら、悪役令嬢復讐シナリオじゃなくて、もふもふシナリオに入り込みたかった!)
しかし、転生に各人の希望が全て通るはずもない。
おっさんが幼女に、不細工がイケメンに、青年がスライムになるように、転生というのはきっとランダムなのだ。
(どうしよう。ここで、ヒロインのマリアは嫌なやつですって教えたほうがいいのかもしれないけど、ジュリアンは絶対聞いてくれないよね……)
むろん、真実の恋に目が眩んだジュリアンには、目の前の可哀想なマリアしか見えていない。
口角泡を飛ばしながら、力説している。
「そもそもお前はマリアに比べてかわいげがない! 服にも山羊やら羊やら、いつも何かの毛がついているじゃないか!」
それは、反論しようがない。
現に今も、ドレスの裾に猫の毛のような白い毛がついている。スターシャはそっと裾を払った。
「流行の分かる若者ならば、薄い羽衣のようなドレスを着るのに、田舎くさいウールの靴下なんかを喜ぶ始末」
あったかいのだ、とても。
子爵領には羊も馬もたくさん居て、ウールの靴下は冷え込む朝の乗馬にちょうどいい。
「それになんだ、犬だの猫だの、畜生を可愛がるなんて、下々の者がやるようなことだ。マリアを見ろ、この砂糖菓子のような愛らしさを! この純粋無垢さを! いつも香水と花の気高い香りだ。淑女とは、女性とはかくあるべきだ」
「そんな、本当のことを言ったら恥ずかしいですう~」
マリアがくねくねとしなを作る。
こんなヒロインは嫌だ。
スターシャはげんなりした。
ゲームでは清楚、純粋、天真爛漫を地で行くようなキャラクターだったのに。
一枚スチルを裏返せば、ヒロインはとんだ陰湿女だった。
現実というのはこんなにも儚い。
「……私に弁明の機会は与えられないのですか?」
と、スターシャは一応言ってみた。
「白々しい! 貴様の罪など、火を見るより明らかだろう。そもそもお前は出会った最初から獣臭かった。お父様と子爵の縁故が無ければ、絶対に婚約などしなかった」
クスクス、と嘲笑が漏れ聞こえる。
多かれ少なかれ、ここにいる貴族たちはスターシャに悪意をもっているのだ。
確かにスターシャの趣味は乗馬だし、珍しい動物がいると聞けば、すぐに領地の現地調査に乗り出してしまう。
広くも無い子爵領地に連れ帰ってきた生物も少なくない。
(まあ、心あたりしかないけど……)
ジュリアンは調子にのって言い放つ。
「ワインよりも牛乳を好むのはお前くらいだ! 詩作や音楽、芸事の知識もない! 貴様のような田舎女は我が高貴なる公爵家にはふさわしくないのだよ!」
ジュリアンは勝ち誇った笑みを浮かべ、マリアは彼の陰で嘲笑を浮かべている。
周りの貴族たちも、庇おうとする者は誰ひとりいない。
きっと少なからず同じように思っているのだ。
スターシャは完全に孤立無援だった。
ゲームのシナリオでは、ここで悪役令嬢のスターシャが取り乱し、〚魅了〛の魔法を乱発し、ヒステリックに暴れて鎮圧させられる。
だが、この敵だらけの状況の中、スターシャの心に広がっていたのは、絶望ではなくさっぱりとした清々しさだった。
ようやくこの日が来た。
「……畏まりました」
ジュリアンは、新種の生き物。
そう念じながら、婚約期間を過ごしていたが、もうそんな無理はしなくていい。
これでもう自由だ。
あとは野となれ、山となれ。
「お望み通り、婚約破棄をお受けいたします。これまでご不快な思いをさせ、大変申し訳ありませんでした。ジュリアン様、そしてマリア様。どうぞ、末永くお幸せに」
「は……」
取り乱すことも、泣き叫ぶこともなく、あっさりと承諾したスターシャに、ジュリアンは拍子抜けしたような顔を見せた。
「元々私のような獣臭い者が婚姻をするなんて無理があったのです。私は領地に戻り、可愛いもふもふ……いえ、哀れな傷ついた獣たちと一生を共にいたします。では」
スターシャはくるりと背を向け、静かに会場の出口へと歩き出した。
「おい、思い上がるなよ! 花嫁修行と称してお前がやっていた、公爵領の事務処理はすでに人を雇ってある。お前の代わりなどいくらでもいるのだからな!」
「あーん、ジュリアン様仕事が速くてかっこいいですう」
「勿論だ! スターシャ、これだけは言っておく。二度とこの公爵領に足を踏み入れるな。お前とは一切の関わりを持ちたくない!」
「承知いたしました」
スターシャは毅然と言った。
これでいい。
明日からはあの面倒くさい公爵領地の事務処理ボランティアからも解放される。
自分が、本当にやりたいことに時間を割ける。
そもそも、〚魅了〛魔法など使ったこともない。使い方さえ分からないのだから、使いようがない。
そんなことはどうでもいいのだ。
(動物王国を作ろう……!)
昔、前世で幼かった頃にテレビで見た、ハクビシン爺さんの動物王国。
憧れだったあの王国を、今度は自分の手で作るのだ。
子爵領地は手狭だが、工夫次第でどうにかなるはずだ。
犬、猫、山羊、羊、馬、変わったところでは虎や獅子。
それだけではない。
(つるつるの獺ちゃん、針鼠、豪猪、冬眠鼠、うふふ、河馬もいいわね……梟、啄木鳥、土竜、鼬鼠、狢、羚羊……ああ、夢が広がるわ)
そう、スターシャは動物が大好きだった。
もふもふしたものも良いが、チクチクも良い。
柔らかいのもいいが、固いのも捨てがたい。
つるつるも、ぷにぷにも、つんつんも、ぴょんぴょんも……。
しかも、この世界の動物は、現世の物と良く似ているが、質感や色合いが様々でとても興味深い。
時々炎を吐いたり、雷を出したりするものさえいるのだ。
それにつけても可愛い。
なぜかどの動物も、スターシャによく懐くのだ。
(ぜんぶまとめてよしよししたい! ハァ、これでようやく大手を振って領地に帰れるわ)
恋愛ゲームは、この婚約破棄のシーンで終わりだったはずだ。
公爵令息とヒロインのハッピーエンドのその後は、何も描かれていなかった。
(この後は、ようやく私の人生だ!)
そう思ってスターシャが大扉に手をかけようとした、その時だった。
重厚な扉が、外側から静かに開かれた。
「ずいぶんと賑やかな生誕祭だな、ジュリアン」
凜とした美しい声が響き渡った。
会場の空気が、一瞬で凍りつく。
「氷の辺境伯だ……」
と、誰かが囁いた。
現れたのは、プラチナと金の髪に冷徹な氷の瞳を持つ男。北方の広大な領地を仕切るアゼルハイド・サーヴィル辺境伯だった。
国王の縁戚であるというこの男は、国で最も近寄りがたい存在であるといってもよかった。
本来ならば、辺境伯はアゼルハイドの父親なのだが、早々に爵位を息子に譲り渡したらしい。
「たしかに美貌の青年だが……なあ、噂によると、実の父親を脅して爵位を無理矢理譲らせたらしいぞ」
「シッ、聞こえたら消されるわよ!」
「絶対に怒らせてはいけない貴族、二年連続ランキング一位よ」
ギャラリーの方も、噂の燃料が投下されて調子づいてきた。
ゲームではジュリアンに嫌みを言う、嫌なキャラクターとして描かれていたが、婚約破棄のシーンへの登場はなかったはずだ。
(エンドロールのその後だから? そうか、もうシナリオにない時間は始まっているのね)
「あっどうぞ……」
と、道を譲って、扉から出て行こうとしたスターシャの手首は、アゼルハイドによって捕まれた。
(えっ……)
この男、初対面で何をするつもりだろうか。
思わず見返したスターシャの顔を、辺境伯はじっと見た。
驚くほど顔面が整った男だ。
若いけれど、視線に隙が無い。
銀と金の間のような色をした薄い色の髪だ。睫が長く、ぞっとするほど滑らかな肌をして、まるで内側から光っているかのようだ。
なんだかものすごく綺麗な生き物を見ている気がする。
そう思っていると、アゼルハイドがずいっと顔を近づけてきた。
「あなたがスターシャ・ウィナリーか」
「えあ、はい、そうですが」
「先日、うちの領地で虎を拾わなかったか」
「……あっそういえば」
「やはり」
そういえば先日、怪我をした白い虎の子どもを拾い、しばらく世話をしてから返してやった。
確かに子爵領ではなく、お散歩のついで、ではあった。
(勝手に俺たちの縄張りの物を持っていきやがってってこと? だけど返したのだし、そもそも命に人間の領地なんて関係ないじゃない……っていうかバレてるってことは、まさかお咎めにいらっしゃったってこと!? もしかしてこれ、ヤバイ状況!?)
第二の人生これからだというのに、しょっぴかれるなんて辛すぎる。
話し合いで解決しようと、スターシャが口を開こうとしたそのとき、ジュリアンが慌てて声を張った。
「アゼルハイド! 誕生日を祝いに来てくれたのか。ずいぶん遅かったな」
公爵家と辺境伯家は、王家のパーティーで繋がりがある。
辺境伯は国境も含む僻地の広大な領地を持ち、圧倒的な武力で他民族の侵入を蹴散らしているらしい。
そういうことで公爵家としてもないがしろにはできない。
「アゼルハイド、お前がいない間に、俺は真実の愛を手に入れたよ」
と言って、ジュリアンは傍らのマリアの肩を抱いた。
「真実……?」
「そこの逃げだそうとしている女豹とは、婚約破棄をしたのだ。こやつがあまりにも、マリアを虐めるのでな。卑しい女豹め、すぐにここを出ていけ、さもなくば公爵家の番犬をけしかけるぞ」
「婚約破棄……そうか」
アゼルハイドは短く言うと、その場にひざまずき、スターシャの手を取った。
大広間に、悲鳴に近い歓声と息を呑む音が広がる。
主に女性陣の。
「え……? 辺境伯、様……?」
ずいぶん芝居がかった、ロマンチックな捕縛劇だ。
困惑するスターシャを見上げる辺境伯の凍てつく氷と形容される瞳は、これまでなかった熱を帯びていた。
「……俺の」
妻になってくれないか?
という言葉を、その場にいる全員が聞き逃すまいと、息を殺していた。特に女性陣が。
何となく、古今東西そのようなドラマチックな展開は、乙女心をくすぐるものである。
そして、美貌のアゼルハイドは――。
聴衆の期待に満ちた空気の中、口を開いた。
甘やかな吐息の中に、低音を響かせて。
「俺の―― 師匠になってくれ」
その場の全員の脳内に、大きな?マークが浮かんだ。
が、それはスターシャも例外ではなかった。
(師匠?????)
剣豪か。
思わずスターシャは突っ込みそうになった。
そりゃあ自分は馬には乗るが、剣は振るえない。
そして乙女心を高鳴らせる恋愛シミュレーションゲームには、もちろんこんなシナリオなんて無いのだ。
「え、師匠? ですか?」
「そうだ。スターシャ嬢。あなたの知性と気高さ。その類い希なる才能のすべてを、辺境伯領地で活かしてほしい」
「あの……」
「待遇は勿論最高のものを用意しています。さあ、師匠」
「いえ、その……え?」
自然と敬語になっているのもアレだが、突然師匠呼ばわりされているのも謎だ。
「ちょっと待て!」
我先に冷静さを取り戻したのは、意外なことに公爵令息ジュリアンだった。
「アゼルハイド? お、お前は何を言っているんだ!? その女はただの田舎ものの獣臭い野蛮な女だぞ!」
発狂するジュリアンを、アゼルハイドは冷たく見やった。
「ジュリアン。お前の父親の公爵がなぜ、子爵家のウィナリー家と縁故をもとうとしたか分からなかったのか? ウィナリー子爵の領地は代々、牧羊や放牧地が七割を占める。うちの国では唯一といっていい牧草地帯だ。それに名馬の産地でもある。ウィナリーの騎兵隊といえば有名だろう? まさか、スターシャ嬢が遊びで馬に乗っていたとでも思っていたのか?」
そう、遊びで乗っていたのである――!
だが、そうは言い出せない雰囲気だ。
スターシャはなるべく堂々とした表情になるように、鼻の穴を膨らませ気味に胸を張った。
(だからか……やけに領地に馬がいっぱいいるなと思った)
ジュリアンは少し青ざめてはいたが、まだ元気があった。
「そんなもの、野蛮だ! 公爵家の伝統とは釣り合わない!」
「歴史の面なら、王制になり貴族が台頭する以前の古代から、ウィナリー領地では放牧が盛んだった。伝統でいえば、お前たちの方が後だ」
「な……」
「穀物は凶作になると領地が困窮するが、しっかりした家畜がいる牧草地帯は、天候に左右されずに安定な基盤を作れる。公爵が欲しかったのはそこだったのにな。まあ、真実の愛とやらで、頑張ると良い。それはさておき」
アゼルハイド辺境爵は再びスターシャに向き直ると、うやうやしく手をとった。
またもや女性陣から悲鳴があがる。
叫び疲れて声が枯れている令嬢までいる。
「行きましょう。師匠を正しく評価しないこのような場所に、これ以上留まる必要はありません」
誰がこんなに甘やかな顔をした辺境伯を見たことがあっただろう。
凍てつく氷の土地にいるうちに、自分自身も氷になってしまったと揶揄されるほどの、凍りついた美貌のはずだ。
しかし今は春の雪解けのように微笑み、慈しむような眼差しを注いでいる。
それでいて、アゼルハイドはジュリアンと同年代のはずなのに、まるで貫禄が違う。
「さ、行きましょう、師匠」
「いえ、お断りしますけど……」
氷の美貌のはずの辺境伯は、良い笑顔でスターシャを無視し、手を引いて馬車に押し込めた。
*
ウィナリー子爵は目を白黒させながら、パーティー帰りのスターシャを出迎えた。
母親のウィナリー子爵夫人は夫の隣でニコニコしている。
というのも、娘の隣には若き辺境伯が控えていたからだ。
絶対に怒らせてはいけないと言われている貴族ナンバーワン。
あの、アゼルハイド辺境伯だ。
「な、や、こ、これは」
「初にお目にかかる。辺境伯のアゼルハイドだ」
「ぞぞぞぞ、存じております!」
「突然だが、娘さんを我が師にいただきたい」
「いやいやいやそんな全くもってもったいないことで! うちの弱小子爵家の娘が……ん? 嫁じゃなくて、師?」
ウィナリー子爵は首を傾げた。
「師とは、何でございましょう?」
「先生、という意味です」
と、アゼルハイドは動じずに言ってのけた。
「私はスターシャ殿に先生になっていただきたいので」
スターシャは混乱の極地にいた。
「あの、なんでしょうね、それは無理だと申し上げたはずなのですが……そもそも何も私が教えられることなどないですし」
「先月、うちの白虎を手懐けた者がいました」
「……ビャッコ?」
「辺境の地に住む、白い虎です」
「ああ!」
「ああじゃないっ! スターシャ! またお前はっ!」
父親が目をむいた。
ばれてしまった。
スターシャはてへっと舌を出したが、父親は激怒していた。
「あ・れ・ほ・ど! もう他の領地で動物には触れてはいかんと言っただろう!? 令嬢なんだぞ、お前は、腐っても子爵令嬢なのッ! それをお前は……!」
「えーと、えーと……ハイ、スミマセン」
「なんだその感情のこもっていない謝罪はっ! だいたいお前はうちが牧草地帯なのをいいことに、何でもかんでも拾ってきて……!」
「ちょっと、お父様、そんなに興奮すると心臓にご負担がかかりますわ。それにほら、偉ーい辺境伯様の前ですので……ね? それくらいになさって?」
しぶしぶ子爵は口を閉ざしたが、まだ納得してはいないようだった。ぴよんと伸びた口ひげがピクピク動いている。
「先日、うちの領地で怪我をした白虎が行方不明になった。後から判明したが、不届き者が子どもの白虎を密輸しようと捕まえ、手に負えなくなって崖の下に放り投げたらしい」
「そんな……酷い」
「ああ。後から捕まえた犯人は同じ目に遭わせたが……それはともかく」
今さらっと大変恐ろしいことを聞いた気がしたが、スターシャが聞き返す前に、辺境伯は矢継ぎ早に言った。
「白虎は神の使い。我々の領地では聖獣として何よりも丁重に保護している。それに、彼らは人間には決して懐かない。だから捕まえて治療をすることは困難だと……皆が諦めていた。しかし、先日、その白虎の子どもが戻ってきた」
スターシャは思い出した。
鳥類が食べられるハーブを摘みに、ルンルンと国境付近を歩いていた時だ。
白い虎の子どもが落ちていたので、思わず駆け寄って手当てをした。
正確に言うと、死にかけて意識のなかった子虎を懐に入れて馬を全速力で走らせ、子爵領に連れ帰った。
もちろん、おそらく、たぶん、貴族の取り決め的なところでは非常にグレーゾーンだろう。
他国の領地のものを勝手に持って帰ってきてはならない。
しかも、野生動物であればもっと駄目だ。
スターシャもそれくらいの想像力はあった。
だから、秘密にしていたのに。
「あー……いや、……そんなことは……あったかなあ?」
「スターシャ?」
父親の子爵の地を這うような声が聞こえる。
悪夢だ。
反射的にスターシャは言い返した。
「いやっ! 違うの、誤解だから。元気になってから、ちゃんと拾った場所に戻したもん!」
「……ほう」
スターシャは発言を誤ったことを悟った。
拾ったことを認めてしまった。
父親もまずいが、もっとまずいのは目の前の美貌の辺境伯だ。密輸しようとした犯人は崖の下に放り投げられているのだ。
(返したとはいえ、密輸に近いことをやってのけてしまった……!? あっ、やばい、終わった!?)
スターシャは静かになって、辺境伯を見上げた。
無言が恐ろしい。
(あれ、だけど、なんか様子が……?)
辺境伯はうやうやしく子爵の前に跪くと、求婚するときのように手を出した。
ひとつ違うことには、その掌の上には指輪ではなく、羽根ペンと小さなインク壺が乗っていたことだった。
「サインをしていただきたいのです。子爵殿。スターシャ殿をください、辺境伯領地へ」
「えっちょっと待って」
まずい。
これでは密輸人と同じ運命を辿るのではないか。
スターシャは震えながら後ずさりした。
動物王国どころではない。
生命の危機だ。
うるうるした瞳で父親を見ると、子爵は既にサインをしている最中だった。
「ちょっとお父様! お父様ッ!」
「何だ」
「可愛い娘を簡単にあげたりもらったりするのは良くないと思います、もっとお考えになって」
「因果応報、塞翁が馬とはこのことだな……他国の領地の生き物を勝手に持って帰ってきた愚かな娘よ。今度はお前自身が持って帰られる番だ。甘んじて受け入れなさい」
「横暴! それでも親!?」
「親だからこそ涙をのんで引き渡すのだ。自分のやったことは自分で責任を取りなさい。ほれ、サインも終わった」
「鬼ッ……!」
「お前が飼っている犬や猫やネズミや鳥や、なんやかんやは皆、お前だと思って世話させておく。安心して旅立て」
辺境伯はつつしんで書類を受け取ると、スターシャの準備を整えさせた。
わけもわからないうちに、辺境伯に連れ去られたスターシャは、この日初めて動物が好きという自分の癖を後悔した。少しだけ。
*
豪奢な馬車に揺られながら、最悪の結末を予想する。
密輸の犯人を崖の下に放り投げるような氷の辺境伯だ。
過酷な強制労働くらいで終われば御の字だ。
遠い目をしたスターシャは、一緒に膝をつき合わせている辺境伯アゼルハイドを眺めた。
シャンデリアの下では冷徹に見えたが、こうして近くにいると青年っぽさが際立つ。
顎が細く、それでも骨格はしっかりとして、肌が光るようだ。
(わあ、お肌つるつる~……綺麗な目の色、青っていうか、グレーっていうか……ずっと見ていられるわ)
これもまた新しい生物のようだ。
思わずもふもふしたくなって、手を引っ込めた。
毒蛇に素手で触るくらいのことをしそうになった自覚がある。
「そろそろ、領地です」
馬車の窓から外を見たスターシャは、歓声をあげそうになった。
雄大な山々に囲まれた広大な緑の大地には生き物たちが溢れかえっている。
丸々と太った、虹色に輝く羊の群れ。
楽しげにステップを踏む、緑色でつるつるの巨大カワウソ。
背中の針に色とりどりの木の実を刺して歩くハリネズミ。
空を見上げれば、まるで宝石を散りばめたような美しい羽を持つ鳥たちが飛び交っている。
人の手がほとんど入らない手つかずの自然が多い辺境だからこそ成り立つ光景だ。
スターシャにとってはまさに楽園だ。
こうして馬車で連行されてさえいなければ、ルンルンでモフモフしていただろう。
「あの~私、どのような処分になるのでしょうか……」
スターシャはこわごわ尋ねた。
アゼルハイト辺境伯は、氷の美貌を溶かして微笑んだ。
「処分? 待遇という意味ですか」
「そうですね、牢屋の飯的な意味で……」
「牢屋はともかく、しばらくは私の屋敷でお過ごし下さい」
到着したアゼルハイド辺境伯領の城門が開いた瞬間、スターシャは目を見開いた。
「……え?」
「「「お待ちしておりました、スターシャ様」」」
ずらりと並んだ黒服。
羊の群れには慣れているが、執事の群れは初めて見る。
馬車の扉を開けたアゼルハイドは、やはり春の雪解けのような笑みを浮かべていた。
「ここは私邸もありますが、ほとんどは辺境伯家が管理する聖獣および希少魔獣の特別保護区です。まあ……いわば広い庭のようなもの。師匠にはここの聖獣たちを診ていただきたい」
スターシャは楽園を前にして圧倒されていた。
(こ、こんな、動物王国ッ……!)
目の前のイケメンはこの世界のハクビシン爺さんだったのかもしれない。こんな楽園がこの国にあったとは。
お散歩で訪れたとき以上に、はるかに多くの生き物がここに生きている。
「あの虹色の兎も、白い大きなカラスも、モフモフしていいってこと? 合法的に?」
「兎……アルミラージですか。小さいとはいえ一角獣族ですから、人に近寄ることは」
「わあ、ふわふわー! あぁぁ可愛いねええ! よーしよしよしよし、よーしよしよしよし」
「何ッ!?」
アゼルハイドは雷が落ちたように立ち尽くした。いつの間にかスターシャがアルミラージを抱えて撫でている。アルミラージは角の根元を掻かれるのが気持ちいいらしく、プイプイ鳴いて喜びを示す。
「さすが師匠……! しかし鳥類は難しいですよ。あいつらは何を考えてるか分からないうえに、特にあのホワイトロック鳥は気性が荒くて」
「わぁ可愛い! いい子ね〜! ん、ちょっと眠たいの? とっても賢い子だなぁ、よーしよしよしよしよし」
「何ッ!?」
スターシャのところに近付いて来た鳥は丁寧に頭を垂れてじっとしている。
アゼルハイドは自分の目が信じられないようだった。
「そんな……ありえない、野生の魔獣だぞ」
「よぉーしよしよしワシャワシャワシャ」
「さすが師匠だ!!」
どうやら、スターシャが触れてきた数々の動物たちは、この世界では魔獣というらしい。
「じゃあもしかして、この馬も!?」
「それは普通の馬です、師匠」
漫才をしたいわけではない。
スターシャはずっこけそうになるのを堪えつつ、新しい生活に身を投じていった。
*
それから数ヶ月後。
公爵領は、大パニックに陥っていた。
数十年に一度の大凶作が起こったのだ。
葡萄畑は枯れ、穀物はイナゴ型の魔虫に食い荒らされた。
その上、金を出して雇っていた、領地の事務方が待遇に不満をもって途中で辞職した。
「おいジュリアン! どうなっている!? 物資の支援を頼んだのに、ウィナリー子爵から全く音沙汰がないぞ! お前、スターシャはどう言っているんだ!」
「スターシャとは婚約破棄しました」
「な!?」
「あんな雌豹はこの公爵家には必要ない。牛乳だのヨーグルトだの、うんざりなんですよ。僕には豊穣なワインが似合うでしょう」
バシッ!!!
公爵は渾身の力で、ジュリアンの横っ面を張り飛ばした。
「ふざけるな! お前は……この婚姻がどんな意味を持つか知らなかったのか? うちの領地は穀物地帯と市街だ。城下から近く賑やかだが物資は少ない。それを子爵家と縁故を結んで、強化しようとしていたのに、それをお前は破棄したのか!?」
「だ、だけど、父上、僕はマリアと真実の愛を見つけたんだ」
「ばかもん! 領民が餓死しそうになっていて、何が愛だ! 男爵娘なんぞお前が公爵の息子じゃなければ去っていくわ! 今からでも婚約破棄を撤回しろ!」
「そんな……」
マリアと駆け落ちしようとしたジュリアンは、マリアにこっぴどく振られた。
財産を持っていない男になんの魅力も感じない、と言われたのが効いて、ジュリアンは暫く寝込んだ。
「スターシャは、婚約破棄を撤回したらあいつの方から泣きついてくるだろう」
ジュリアンは手紙を送ったが、すぐに送り返されてきた。小さなメモが中に入っていた。
ーーーーーーーーーーーーーー
・二度と公爵領に足を踏み入れない
・ジュリアンとは一切の関わりを持たない
あなたが仰ったお約束を守ります
スターシャ
ーーーーーーーーーーーーーー
公爵領には未曾有の大飢饉が迫っている。
「僕が言ったのか……」
呆然としたジュリアンの手から、メモがひらりと滑り落ちた。
*
「はい、次はちゅるちゅるカワウソちゃんのマッサージの時間ですよおおお! ふわぁ、今日も良い質感ですねぇ」
現在のスターシャは、ドレスを脱ぎ捨て、動きやすい特製の作業着に身を包み、至福のお世話タイムを過ごしていた。
カワウソが終われば、次はフクロウ。
それが終わればモモンガと、ワシだ。
その後は虎やらライオンやらの治療が待っている。
この地域の猛獣たちは、
膝の上には、すっかり元気になってゴロゴロと喉を鳴らす白いホワイトタイガー。
白虎といって神聖視されているようだが、こうしていると大きな猫のようだ。
足元には、ブラッシングを要求して順番待ちをする羊とユニコーンの列。
ハリネズミは丸まり、鳥は鳴き、兎は跳ねる。
時々、パチパチと雷が弾け、炎が出現し、氷が出るけれど、それも個性。
スターシャにとっては、可愛いの範疇だ。
「師匠、お疲れ様です。冷たいミルクティーはどうですか」
と、アゼルハイドがやってきた。
すっかり師匠呼びが定着している。
巷の貴族たちからは、スターシャは辺境伯の囲われの愛人だの、色気で籠絡した悪女たの何だのと噂されているようだが、そんなことは全くない。
非常に健全な関係性のまま、もふもふを堪能させていただいている。
一緒に生活をしてみると、アゼルハイドは領地の経営を真剣に考えている好青年だったということがよく分かった。
と、いうよりも領地バカといっていい。
ずっと領地のことを考えている。
だからこそ、神獣を治療したスターシャのことを調査し、追いかけてきたらしい。
数年前、心身の健康を理由に領地経営が難しくなった先代を、早々に西の温泉地へと移住させて、数少ない親戚たちと力を合わせて一人で頑張ってきた青年なのだ。
応援したくならないわけがない。
こうして、スターシャは神獣を中心とした領地の生き物を保護し、怪我や病気をしている個体を治療して過ごしていた。やりがいのある仕事だ。
まあ、ほだされるようにして、スターシャはここに馴染んでいった。しかし、これもまた悪くはない。
いや、実を言うとかなり、居心地が良い。
「いただきます! うーん、北の牛乳は最高ね、香りが違うわあ。そういえば、アゼルハイドさんも――」
「スターシャ。前にも言いましたが、さん、も敬語もいりません。私はあなたの弟子なので、アゼルとお呼び下さい」
「はいはいはい……えっと、アゼルもシロちゃん撫でてみたら?」
スターシャの膝の上で、神獣がごろごろと喉を鳴らした。
アゼルハイドはグッと眉を寄せる。
「ぐっ!? し、シロちゃん……? 神獣に触れるなど? 考えられん、しかし、いや、だが実際に、今師匠はやっておられるし……」
「はぁ、ふわふわー。いい匂いするー。ねえ、シロちゃんもモシャモシャされるのしゅきだよねぇ? ほら、大丈夫だから」
「っ……」
ちょん。
「グワァァァ」
「うわああああ!!!!」
「あくびしただけだよ、アゼル、そんなに大きな声出すとシロちゃん怖がっちゃう」
「申し訳ありません!」
〚魅了〛の体質が、なぜか人間相手ではなく魔獣に適用されていたということを、スターシャが知るのはまだ先だ。
師匠と弟子の不思議なスローライフはまだまだ始まったばかりである。
END
北の牛乳ってなんであんな美味しいのだろう…
転生の記憶があるゲームの中の話というものを初めて書いてみました。




