だから、私は雨が好き。
雨が降るある日。私は引っ越してきてから初めて、レインコートに腕を通し、長靴を履き、傘を広げた。発色のいい黄色のレインコートと長靴、そして水色の傘。数日前に買ったばかりのそれらを、連日の雨乞いの報酬として身に着ける喜びは、何物にも代えがたいものだった。
「行ってきます」
何度目かわからない帰宅の約束をして、私は家を飛び出した。雨が傘をたたく、リズミカルな音に心を躍らせながら、私はどんどん進んでいく。自然と私が一体となって、不規則な音と振動で芸術を作る。その喜びと興奮を噛みしめながら、一歩一歩、長靴で地面を踏みしめる。たまに吹く風はレインコートを揺らし、芸術をより鮮やかなものへと昇華させる。
雨が嫌いだという話を耳にしたことがあるが、私は、そうは思わない。少し外に出るだけで、こんなにも楽しい気分になれることなど、他にあるだろうか。
「いや、ないね」
雨の音は声をかき消してくれる。だから、独り言もへっちゃらだ。
雨の水は隠してくれる。だから、周りの目を気にしなくていい。
雨はすべてをながしてくれる。だから、疲れた私を、暗いものが湧き上がりそうな私の心を、洗い流してくれる。
歩くこと数分。知らない公園を見つけた私は、ドロドロになった砂場を踏みつけ、ちいさな屋根の下へと入っていった。傘を閉じて、傍のベンチに腰掛け、目を瞑る。雨のカーテンが作ってくれる閉鎖空間、私にとって一番安心できる場所だ。
雨が好きな私はおかしいらしい。いつの日か狂暴になった父や、私を知らない親戚は、そろって、私をおかしいと言う。これほどまでに素晴らしい雨を、好いているだけなのに。私はレインコートを脱ぎ、腕まくりをして、痣だらけの腕を露出させた。何度も何度も残った跡。腕を伸ばして、雨の中へ。
雨はすべてをながしてくれる。ボロボロになった腕を優しく包み込んで、愛情を流し込んでくれる。私が受け取るはずだった分、雨がそそいでくれる。
雨の水は隠してくれる。見たくない腕を、思い出したくない記憶を、見えないようにしてくれる。
雨の音は声をかき消してくれる。だから、私の泣き声が、外に漏れることはない。
私が泣くと、空も一緒に泣いてくれる。雨に対して異常に神経質になった父と殴り合いの喧嘩をしても、周りの人たちが私を理解してくれなくても、私を包み込むこの壮大な自然が、私に共感してくれる。だから、どれだけつらくても頑張れるし、私は雨が好きだ。
一通り泣いて、空っぽになった私は、もう一度雨の中へ入っていく。今度は傘もレインコートも持たずに、全身に雨を浴びて。心を洗い流すつもりで、大好きな雨を全身で受け止める。そのまま、まっすぐ歩く。あの時の、母と同じように。
雨の音は声をかき消してくれる。だから、私を止めようとする、私自身の声はもう聞こえない。そのまま、私はまっすぐ進んでいく。公園を出たころに立ち止まり、ただ静かに、雨を受け止める。近所の誰かが私に気づいたのだろうか、誰かの発する音がある、そんな気がするが、声としては届かない。
雨の水は隠してくれる。土砂降りの雨は、もっと隠してくれる。だから、向かってくるトラックが、私に気づくことはない。そして、気づいたとしてももう遅い。あの時の、母と同じように、私は目を瞑って、腕を広げる。あの時の母と違うのは、向かってくる車の車種と、傍の子供の有無だけだ。
体に衝撃が走った。痛みと共に、引きずられる。理解の前に、痛みが襲ってくる。それはやがて弱くなっていき、意識と一緒に消えていく。今の私は、きっと。あの時の母のように、ぐちゃぐちゃになっているんだろう。
雨はすべてをながしてくれる。だから、地面にこびりついた私の痕跡は消えてしまう。私の存在は消えていってしまう。でも、雨の中で私は生き続ける。母がそうだったように。
だから私は、雨が好きだ。雨の中でなら、あの時の母と、最期まで優しかった母と出会えるのだから。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
あなたは雨が好きですか?
それでは、次の雨の日にお会いしましょう。




