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帰る場所  作者: 蒼開襟
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EP5

 ハッと暗闇の中でハガネは目を覚ます。見知らぬ天井にそういえばと体を起こすと自分がベットで寝ていたことに気がついた。

 いつ眠ってしまったんだろう?暗闇の中、少し目が慣れてきたので周りを見る。ここはヨシノの部屋だ。映画のポスターが壁にかけられている。部屋に案内された時、彼は色んな話をしていたが浮かれているようでハガネの返事すら聞こえていなかった。


 ハガネは顔を押さえて俯いた。

 メアリの夫ダーリンと話したのは数日前のことだ。夢で見るほどに鮮明だ。

 あの後ダーリンはハガネに釘を刺した。ソファでぐったりとしていたハガネを残し、ダーリンは立ち上がるとドアのぶに手をかけた。そして振り向き冷たい声で言った。

「アイリス。私は君の味方だ。今は……。けれどどうか妻には触れないでくれ。どんな事情があろうとも君が妻に触れた時、私は……君を殺したくなるだろう」

 ダーリンの瞳が冷たく光っている。彼が本気だということがよく分かった。それはハガネの意思でなくともそうなるということだ。


 ハガネは大きく溜息をつくと足元にかかっていた毛布を引き寄せる。ふわりとヨシノの匂いがして胸の奥がじんと痛んだ。久しぶりに竹千代の家にやってきてヨシノに促されて泊まる事になった。

 客室で雑魚寝でもいいと言ったのに、それは駄目だとヨシノに叱られ、ハガネはヨシノのベットで、ヨシノは隣の部屋で眠っている。

 そういえば隣の部屋にはベットなんてなかったがどうしているんだろう。

 静かに部屋を出ると廊下に出た。廊下の窓から月明かりが覗いている。ハガネはゆっくりと隣のドアを開くと中を覗きこんだ。


 部屋の中は小さな照明がついている。部屋の中央で猫のように丸まって眠るヨシノを見つけて、ハガネは傍にしゃがみこんだ。部屋が冷えるのか両手を巻きつけている。そっと眠るヨシノの髪に指を触れさせた。さらりとした感触で少し冷たい。頬に触れると柔らかく暖かかった。指が触れたことでヨシノの睫毛が揺れた。

 眠りから覚めたようにその瞳が開くとこちらを向いた。

「ハガネ?」

 かすれた声でヨシノが微笑む。優しい声にハガネは頷いた。きっとまだ寝ぼけている。夢だと思っているんだろうか?そう思えると可愛くてもう一度頷いた。


「何?」

 ヨシノは両手でハガネの顔に触れるとそっと引き寄せた。胸に抱かれてハガネはヨシノの心臓の音を聞く。規則正しい音、ゆっくりと呼吸して上下する体に体重はかけないようにしてもたれた。

「ハガネ……会いたかったんだ。ずっと」

「うん」

「どこに行ってた?探したんだ」

 夢でも見ているのか唐突な言葉に笑みがこぼれてしまう。

「ごめんね」

 両手で押し戻されるように体を起こされる。ハガネが顔を上げるとヨシノの手が首元を掴んで顔が近づいた。触れる唇に息が漏れる。

「好きだ。ハガネも俺が好きだよね?」

 夢見心地の瞳にハガネは頷く。

「……好きだよ。君が」

 ヨシノは幸せそうに笑うとハガネを抱き寄せてまた目を閉じた。すうすうと寝息を立てて夢に落ちていったようだ。ハガネはヨシノの胸で目を閉じる。

 彼が完全に眠るのを待って、ハガネは体を離すと一度寝室に戻り、端に丸められていた掛け布団を取る。ヨシノの上にかけるとそっと髪に口付けた。

「おやすみ」

 ドアを静かに閉めて寝室に戻る。ベットに座ると毛布を引き寄せた。くんとヨシノの匂いがして、急に顔が火照るのがわかった。口から出たでまかせだったのか?「好きだよ、君が」その言葉が頭の中で繰り返される。今になって体の中に落ちてくる言葉がやけに馴染んでいる。

 夢見心地は自分なのかも知れないと……なんだかわからない涙が溢れて仕方なかった。




 背中が冷たいのに体は温かい。ぐんと腕を伸ばして体を起こすとヨシノは目を覚ました。今までで一番幸せな夢を見た気がする。昨日からハガネがこの家に泊まってはいるが、夢の中で恋人として現れるなんて思いもしなかった。大きな欠伸をして体の上の布団に気付く。

 そういえば布団なんて被っていたろうか?まあ、いいかと部屋を出ると階段を降りる。洗面所で顔を洗ってからキッチンへ行くと竹千代とハガネがいた。

 テーブルには軽い朝食が置かれて、ハガネはコーヒーを飲んでいる。ヨシノに気付くと優しく微笑み頷いてからまたカップに口をつけた。

「おはよう、ヨシノ早いじゃないか」

「婆さん、ハガネもおはよう」

 竹千代はトーストを焼くと皿に乗せてテーブルに置いた。

「あたしは今から店に出る。食べるならどうぞ」

 キッチンから竹千代が出て行き、ヨシノは席につく。テーブルの上のコーヒーをマグカップに注いで、トーストにジャムを塗るとかじりついた。

「昨日はありがとう。よく眠れた」

 ハガネは囁くように話す。トーストを飲み込んでコーヒーを口にする。

「あ……そっか、良かった」

 あんな夢を見たせいだろうか?ハガネの顔がまっすぐに見られなくてなんだか恥ずかしい気がしている。夢なのに。まだ湯気の上がる熱いコーヒーを口に流し込む。うっと熱さに唸るとハガネが眉をひそめた。


「大丈夫?」

「……うん、ちょっと火傷したかも」

「口の中は、時々なるね」

 フフと笑い、テーブルの真ん中の皿に手を伸ばして焼き菓子を一つ摘むとハガネは口の中に放り込んだ。

「僕は朝はあまり食べなくて……でも竹千代さん、朝から色々作ってくれたんだ」

「そっか……。婆さんはハガネが好きだからね」

 ぺろりと指先を舐めるとハガネはヨシノを見て笑った。

「そうだといいな」

「そうだよ」

 ハガネはさっき取ったお菓子を一つまた指先で摘んでヨシノの前に差し出す。

「美味しいよ?」

 ヨシノが固まるとハガネはククっと笑って自分の口に放り込んだ。

「ごめん、意地悪した。今朝はすごく気分が良い。君のおかげ」

 おかげって……でもなんだか打ち解けた微笑に夢も重なって幸せな気分になる。

 二人で会話をしながら軽い朝食を済ませると片づけをした。テーブルを拭き終えて布巾を綺麗に洗い、キッチンの端に干すとハガネは振り返った。

「じゃあ、僕は帰るね」

「もう……?」

「うん」

 身支度を整えて玄関へ向かうハガネを追いかけて、靴を履いている彼の背中をヨシノは見つめた。

 帰ってしまう……か。さよならじゃなく違う言葉で送り出したいなんて考えているとハガネはドアを開けて振り返る。

「じゃあまた。僕のためにベットを貸してくれてありがとう。昨日、君とキスが出来てよかった。またね」

 カチャンとドアが閉まって靴音が響いて消えて行った。

 ヨシノは足元から力が抜けてしまい座り込むと大きく息を吐く。震える指先で口を抑えると顔が燃えるように熱かった。あれは……夢じゃなかった。じゃあ被っていた布団はハガネが。でも、それ以上にハガネはさっき何て言った?君とキスが出来てよかった、そう聴こえた。

 ……どうしよう。俺ばっかり嬉しい。心臓がドキドキ踊りだす。そうか、これが……恋なんだ。




 恋の嵐。二人同じように胸の奥に騒がしい風を抱えて、でも時間は二人に出会う時を与えなかった。

 ヨシノは津場砂でハガネを待ち続け、ハガネは自宅で姉のメアリと向き合っていた。

「やめてください」

 リクノビューティ試作品の口紅を手にメアリがハガネににじり寄る。テーブルの上には沢山の商品がずらりと並んでいる。

「いいじゃない。試作品なのよ?」

「モニターなら募集すればすぐに見つかります。僕はリクノの仕事はしません」


 テーブルを挟んでハガネはメアリと距離を取った。ここ何日かずっとこうだ。何かにつけてハガネを仕事に巻き込もうとする。大学の研究の仕事もいつの間にか断りの連絡が入れられており、昨日ハガネはそれを知った。もう怒る元気もなく姉にそれを言う気持ちも果ててしまった。

 今日、ダーリンが戻るので相談ができたらと考えているところでこの有様だ。

「すいません、もう部屋に戻ります」

 ハガネは足早に階段へ向かう。メアリもまたハガネに駆け寄り服を掴むと抱きついた。

「アイリス、どうしてそんなに冷たいの?どうして?」

「離してください……触らないで」

 ハガネが身をよじるとメアリは首を振った。強く服を捕まれて爪が背中に刺さっている。

「意地悪はやめて。二人きりの家族なのよ」

「お姉さんにはダーリンがいるじゃないですか、やめてください」

 彼女に触れないようしながらどうにか引き剥がそうとするも、胸に顔を寄せられてぞわりと背中が寒くなった。


「昔みたいにしましょう?ねえ、アイリス。ダーリンはあなたに結婚しろと言ったわ。そんなことさせられない。ねえ、ずっと家族でいましょう、あなたは私のものなのよ」

 腹の底から気持ちの悪いものが胸を上がって喉元までやってきた。うっとうめいて彼女を突き飛ばすと部屋の隅に膝をついて吐き出した。ゲホゲホと咳き込み背中にメアリがのしかかる。

 ハガネの体の感覚が麻痺していく。手が冷たい。気持ちが悪い。目の前が真っ白に変化していく中で耳に大きな声が聞こえた。背中からメアリの存在が消えて少し離れた場所で言い争う声がしている。


 ハガネは朦朧としたままそちらに視線を向けた。ぼんやりとした景色に大柄の男が立っている。汚れた胸元を捕まれて腹を蹴られるとハガネはまた吐き出した。痛みを抱えてそのまま引きずられて部屋に放り込まれる。息が苦しくて胸を上下させる。目の前に足が見えて、また蹴られるのかと身構えると男の顔が近づいた。

「忠告しただろう?妻に触れるな。あれは私のものだ。早いうちにお前のためにパーティをしてやる。いいか?そこで必ず婚約者を選べ。いいな」

 声すら出せずに咳き込んでいると髪をつかまれて顔を無理矢理上げられた。

「いいな。お前が選べないなら私が選んでやる」

 ゴミのように放り出されて床にハガネは転がった。咳が止まらずに体を丸める。メアリとダーリン、彼らの執着という欲が歪な形でハガネの体に重くのしかかっていく。

 ドアが閉まり静寂が部屋に訪れると、ハガネは体を起こそうとしたが力が入らずにその場に倒れこんだ。ゆっくりと消えていく意識の中、見えたのはヨシノの照れた顔だった。

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