うそつき
「しばらく宇宙に行くことになったんだ」夕食後、唐突に彼が言った。
「そう」私は素っ気なく答える。
「ニュースでも誰かが宇宙に行くなんて話報じられてなかったけど、どうしてあなたが?」
「えーと、国家機密で詳しいことは話せないんだ」
「そうなの」
「信じてくれるかい?」真剣な目が私をじっと見つめる。
こんな現実味のない話を誰が信じられるだろう。でも私は即答した。
「信じるわ」私は片付けながら答えた。
彼は一瞬、きょとんとした表情を浮かべたがすぐに、
「僕が言うのも変だけど、理解が良すぎない?」と苦笑した。
「だって、あなた私に嘘ついたことなんて一度もないじゃない」
「そうだ。僕は君に嘘や隠し事なんて一度たりともしたことがない」
「だから信じてあげるわ」
「ありがとう。お金は君の自由に使っていいよ。宇宙じゃお金はただの紙切れだから必要ないし。家の事も好きにしてくれ。僕のことは気にせず、楽しく自由に過ごしてほしい」
「まるで、遺言みたいね」
「そんなつもりじゃないけど」
「いつ帰ってくるの?」
「わからない。未知の世界だからね。もしかしたら帰って来れなくなってしまうかもしれない。何が起きてもいいように、心の準備はしておいてほしい」
「私嫌よ。あなた、私に寂しい思いはさせないって言ってくれたじゃない」
「……すまない。これは僕の一生に一度のわがままだ。許してくれ」
それからおもむろに箱型の機械を取り出した。
「これは受信機だ。毎週決まった時間に生存報告するよ。ほんとは通話できればいいんだけど、僕の声を送信するのが限界なんだ」
「そう。欠かさず連絡してね」うっかりすれば涙が溢れそうになったけれど何とか我慢した。
「きっと無事に帰ってきてね」
「頑張るよ」
「私、嘘は嫌いよ」
彼は困った表情を浮かべて、そっと私を抱きしめた。
数日後、彼の出発の日。私は、いつも彼が仕事に出かける時と同じように玄関で見送る。屈んで靴を履く彼の背中は微かに震えているように見えた。
「せっかく宇宙に行くんだから楽しんできてね」私はできるだけ明るい声で言った。
「そうだね。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
彼は振り向かずに出て行った。
受信機からは、電源を付けておくと毎週決まった時間に彼の声が聞こえた。
「おーい。聞こえるかい? こっちは今、月を目指して航行中だよ。宇宙は重力がないから、体が風船みたいに浮いちゃっていちいち大変なんだ。体調は万全だから心配しないでほしい。君も自分のしたいことを楽しんでくれ。通信終わり」
緊張しているのか声が固いし、口調が棒読みになっているのが可笑しい。
「おーい。元気にしてるかい? 僕は元気だ。ただ今、火星の近くを航行中。知ってるかい? 火星って地球の半分くらいの大きさで、太陽系では二番目に小さい惑星らしいよ」
まるで、ウィキペディアをそのまま読み上げているような感じだ。もっと感想とかないのか!
「おーい、僕だよ。今は木星付近にいるよ。木星って英語で言うと、えーと、ジュピターか。とにかく大きくびっくりだ。いつか君と一緒に来れたらいいな」
英語のくだり、何だったんだ・・・・・・。
こんな取り留めのない報告に、私は欠かさず耳を傾けた。
彼が出て行ってから三ヶ月が経った。
昼間の月がくっきりと空に浮かんでいるのをぼんやりと眺めていると、着信音が鳴った。静かな部屋に、その音は殊更大きく聞こえた。番号を確認し、心臓が大きく跳ねた。私は家を飛び出した。
宇宙と似ても似つかない、白くて小さな部屋。ベッドに横たわる彼。顔を覆った白布を外すと、眠っているのと変わらない穏やかな表情だった。
薬の副作用か、髪の毛はすべて抜けてしまっている。
「あなた……」声を掛けてもぴくりとも動かない。
彼が宇宙に行くと言った数日前、彼の友人から電話があった。
彼は友人に自分の病気のことを話し、入院中の手助けをお願いしていた。そして、私には病気のことを絶対に黙っていてほしいと頼んだという。
「本当に奥さんに教えなくていいのか? 奥さんは絶対に知りたいと思うはずだぞ」
「そうだろうな。でも、大変な治療になるし、衰弱していく姿を見せて悲しませたくない。それに、絶対に助からない決まったわけじゃない。たとえ望みは薄くても、奇跡が起きて元気な姿で家に帰れるかもしれない」
「だからってお前。こんな大事なこと知らせないのはあんまりじゃないか。それに、家に帰れないことについてどうやって説明するつもりだ」
「大丈夫。僕に考えがある。僕はこれまで妻に一度だって嘘を付いたことがない。信頼度MAXだ。だからきっと僕の話を信じてくれるはずだ」
「お前のいい考えなんて、嫌な予感しかしないが」
そんなやり取りをしたのだと、彼の友人は教えてくれた。
「正直すごく悩みました。親友の心からの頼みを無下にして奥さんに伝えてしまってよいのか。でも私は、彼のために、奥さんには知っておいてほしいと思いました。あいつは嘘が絶望的に下手くそです。まっすぐで優しいやつです。私がお願いするのもどうかと思うんですが、どうか何も知らないフリをして、あいつのどうしようもない嘘に付き合ってあげてください」
だから、私は最初からすべて知っていた。入院中も、彼の友人の協力もあり、彼が眠っている間に何度も様子を見にきた。彼が寝息を立てていることに安堵し、日に日に痩せていく姿を見てぽろぽろ泣いた。
受信機という名の録音再生機からではなく、直接彼の声を聞きたいと何度も衝動に駆られた。
でも私は、彼の話を信じると言った。彼も私が会いに来ることを望んでいない。私が彼のためにできることは何もない。だから、せめて最後まで私は宇宙に行った夫の帰りを信じて待つ妻を演じ切ろうと思った。彼が最後まで少しでも安心できるように。
本当に馬鹿な人だ。結局死んでしまったら全部バレて台無しなのに。嘘をつくなら最後まで騙し通してほしい。
嘘つきは馬鹿だ。だから、私も馬鹿だ。騙されたフリなんかせず、彼が嫌がったとしても彼のそばにいれば……。でも、そうしていたら私は悲しい表情を見せずに、うまく笑って話すことはできただろうか。彼に余計に心配させてしまったのではないか。結局、何が正解だったかはわからない。
ずっと堰き止めていた感情が溢れるように、涙がとめどなく流れてくる。つっかえて声も出せないまま、私は彼の胸の中で泣き続けた。
それからしばらくの間、受信機からは録音されていた彼の音声が定期的に流れた。だんだん雑になる内容に、彼が必死に話のネタを考える姿を思い浮かべて可笑しくなった。
そして、1年が経過した頃を最後に音声は流れなくなった。
それでも私は毎週、受信機に耳を傾けている。遠くに行ってしまった彼の声が、嘘でもいいから入ってきやしないかと願いながら。




