第二話 「それでも朝は来る」
目覚ましの音を止めるのが、少し遅れた。
画面を叩く指が、思ったよりも強く当たる。
音が消える。
部屋が静かになる。
天井を見る。
見慣れた模様。
昨日と同じ――そう思って、そこで止めた。
昨日、という言葉を使うのは、なんとなく怖かった。
――夢だ。
そういうことにしておくのが、一番楽だった。
事故の夢。
リアルで、後味の悪いやつ。
布団の中で、息を吸う。
吐く。
ちゃんとできる。
苦しくない。
起き上がる。
少しだけふらついたけど、気のせいだと思うことにした。
洗面所の鏡に映った顔は、いつも通りだった。
目の下にうっすらクマ。
寝不足の顔。
額を触る。
頭。
首。
どこも痛くない。
シャツをめくって、胸を見る。
腹。
腕。
痣は、ない。
――まあ、夢ならこんなものか。
歯を磨きながら、昨夜の感覚を思い出そうとする。
でも、細部はもう曖昧だった。
痛みはあった気がする。
いや、なかったかもしれない。
思い出そうとすると、輪郭が崩れる。
朝食の匂いがする。
「起きてる?」
母の声。
「うん」
声は普通だった。
少なくとも、自分ではそう聞こえた。
食卓に座る。
パン。
味噌汁。
テレビが流れている。
ニュース。
天気。
事故の話は、していなかった。
でも、朝のニュースなんて、いつも全部は見ない。
パンをかじる。
味はする。
――生きてるな。
その考えは、すぐに打ち消した。
わざわざ考えることじゃない。
通学路を歩く。
同じ道。
駅前の交差点が見えて、少しだけ歩調が遅くなる。
理由は考えない。
信号は赤。
白線の内側。
青になる。
渡る。
何も起きない。
――当たり前だ。
自分にそう言い聞かせて、歩き続ける。
学校。
下駄箱。
「おはよう」
声をかけられて、顔を上げる。
月城ひかり。
いつも通りの笑顔。
「おはよう」
「眠そう」
「ちょっとな」
「夜更かし?」
「まあ」
それで会話は終わる。
特別なことは、何もない。
教室。
窓際の席。
チャイムが鳴る。
少し音程がずれている。
――ああ、これだ。
妙に安心する。
授業中、ノートを取る。
字が少し乱れるけど、気にしない。
昼休み。
今日は屋上に行かなかった。
理由は、特にない。
なんとなく。
教室でパンを食べていると、月城が言った。
「駅前、今日も人多かったね」
「そうだな」
「朝はいつもあんな感じか」
「たぶん」
それ以上、話は広がらない。
事故の話も、
変な出来事も、
何も出てこない。
放課後、少し遠回りして帰った。
気分転換のつもりだった。
交差点の前を通る。
アスファルトはきれいで、
何もなかったみたいに、人が歩いている。
――夢って、こんなに残るものだっけ。
そう思ったけど、答えは出さない。
家に帰る。
部屋に戻る。
ベッドに腰を下ろすと、
胸の奥に、かすかな違和感が残っているのに気づいた。
重いわけでも、苦しいわけでもない。
ただ、
小さな石が入っているみたいな感覚。
取ろうとすれば取れる気もするし、
そのままでも困らない気もする。
俺は、その感覚を無視して、横になった。
考えるのは、あとでいい。
少なくとも今日は、
いつも通り一日が終わった。
――それで、十分だ。




