一寸仏
「そこまで拘らなくても良いないか?」
ここ須弥山は、我が国の仏教寺院の中でも、ご利益があると有名で、全国よりそのご利益にあやかろうと参拝客がこぞって訪れる。そんな参拝客からも名物となっているのが木仏だ。
この須弥山には鳥慶と言う有名な仏師がおり、そんな高名な師の下、仏師となる事を夢見て、全国より仏師見習いとなるべく、若者が集まっている。
そんな仏師見習いの中でも、一際その才を発揮しているのが、兄弟子である宗次郎だ。俺よりも十も若いが、その腕は師に追い付く程で、本当に仏様が現れたかのような精緻な彫りが特徴だ。正しく木仏に魂を吹き込むかのような鬼気迫る集中力で、指先から髪の毛、服の皺まで彫っていく。
「私は器用ではないので、完成まで気を抜かず、一意専心に彫る事しか出来ませんので」
今彫っている六尺はある木仏から少し離れ、木仏の均整を確認しながら、寝転がる俺の言葉に応える宗次郎。
「お前が器用じゃないなら、俺なんて、はいはいしている赤子と同じだな」
これに宗次郎は溜息を吐く。そして集中が切れたようで、宗次郎は俺を振り返った。
「伝助さんはいつもそうですよね。仏様をこの世に顕現させるのが、私たちのやるべき事でしょう? そうやって心迷える信徒たちの拠り所を作るのが、私たちの使命です」
何とも殊勝な心掛けを俺に説きながら、宗次郎は集中力を取り戻して、また彫りかけの木仏と向かい合った。宗次郎の言葉は鼻に付いたが、宗次郎が彫る木仏は、正しく本物の仏様と見紛う程の迫力があり、思わず手を合わせて拝みたくなる存在感を放っている。
(こう言うのを、神は細部に宿るって言うんだろうな)
仏様を彫っているのに、神とはこれ如何にと思わなくもないが、我が国では、この仏様はあちらの神様で、あちらの神様はこちらではあの仏様だ。なんて事は良くある話だ。要は皆尊い存在なのだ。人間を導く存在なんぞ、幾らいても困らない。船頭多くして船山に登るなんてオチにならなければ。
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まあ、俺が須弥山にやってきたのは、坊主になれば食うに困らないからだ。仏師見習いなんぞやっているのも、他の坊主たちが真面目に働いている中、俺だけが怠けていては、和尚に怒られるからだ。
「ん?」
宗次郎にちょっかい出すのも飽きたので、さてどうやって和尚の目を盗んで怠けるか。と思案していると、俺の僧服が何者かに引っ張られた。誰か? と振り返るも誰もいない。
「ん?」
と首を傾げるとまた僧服を引っ張られた。下だ。なので視線を下へ向けると、女の幼子が木の棒を持ちながら泣きそうな顔をしていた。
「何だ童? こんなところで何をしている? 親はどうした?」
ここは坊主たちが生活する区域で、参道からは離れている。しゃがんで童に尋ねるも、首を横に振るだけ。親とはぐれてしまったらしい。はあ、仕方ない。
「来い。参道までなら連れていってやる」
俺は腕を組みながら、童を先導して歩く。参道に出れば、親が勝手に見付けるだろう。
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「見付からねえな」
これに頷く童。参道に出れば親がすぐに駆け寄ってくるかと思ったが、人波でごちゃごちゃしていて、これはすぐには見付からなそうだ。
さて、どうしたものか。声を張って親を探すか? ……面倒臭えな。まだ日も明るい。日が落ちるまでには親も見付けるだろう。問題はそれまで暇だと言う事だ。
「ふ〜む」
どうしたものか。と周囲を窺ったり、童の様子に目を向けてみる。童は会った時から持っていた木の棒を、まだ強く握っている。はあ、仕方ねえ。
「おい、その棒、ちょいと俺に預けてくれねえか?」
しゃがんで童に頼むと、童は少し目を泳がせたが、渋々といった形で棒を俺に渡してくれた。
「それじゃあ、お前が親に会えるように、俺がこいつを仏様にしてやろう」
そう言いながら、俺は懐から小刀を取り出すと、童から預かった棒を彫り始める。
「……あ」
童はそれに驚き、初めてか細い声を発したが、俺はそれには目もくれず、棒をドンドン彫っていく。童が持てる程度の棒だ。暫くすれば、縦横一寸程の小さな仏様がすぐに目の前に現れ、それを童に与えると、童は嬉しそうに目を細めた。まあ、宗次郎とは比べるべくもない拙作だが、童も喜んでくれているから良いだろう。
「おお……」
「凄えな」
あん? と周囲を見渡せば、いつの間にやら参拝客たちに囲まれている。仏僧が仏様を彫る様を見るのが珍しかったからだろう。
大勢の人の圧に、口をへの字に曲げるも、参拝客は俺の側を離れない。どうしたもんかと思案していると、
「おチヨ!」
と一際大きな声が聞こえ、そちらへ視線を向けると、男女がうちの坊主を従えて、人波を掻き分けて俺たちの前に現れた。そんな男女を見た童は、駆け出して男女に抱き着く。どうやら念願の親に会えたようだ。
親の方も坊主に頼んで、寺院内をあちこち探していたらしく、俺に深々と何度も礼をしながら俺の前から去っていった。
「さて……」
残ったのは俺と俺が仏様を彫るのをみていた参拝客たちだけだ。参拝客たちは俺を見ながら目を輝かせている。
「何か?」
「坊さん、今のもう一度やって見せてくれねえか?」
「すみません、もう彫るものがないので」
「彫るものがあれば彫ってくれるんだな!?」
「はあ、まあ」
俺が曖昧な返事をするなり、参拝客たちは一斉に蜘蛛の子を散らすように散らばっていった。良い感じの木の棒を探しにいったのだろう。良し。今のうちに参道から逃げよう。
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「は? 俺が?」
その日の晩、坊主皆で集まり夕餉を食していると、和尚と鳥慶様が俺に仏様を彫るように打診してきた。
「うむ。伝助は今日、童女の為に小さな木仏を彫ったそうだな」
「え? ええ、まあ」
「その後に親子が再会出来たのを見た参拝客たちが、ご利益がありそうだ。と私の下までお主に仏様を彫って欲しいと嘆願してきてな。どうじゃ? お主暇だろう」
和尚には俺が怠けているのがお見通しだったらしい。
「別に、俺じゃなくても、仏師見習いはいるでしょう?」
「まあの。お主以外の弟子たちにも、同様に小さな仏様を彫らせるつもりだ。良い修行になるだろうからな」
鳥慶様のお考えは理解出来る。
「伝助が彫った仏様は、一寸程だったらしいな。それならば、参拝に来た者たちも、土産に丁度良いので、欲しいらしい」
とは和尚の言。わざわざ遠方から来ている参拝客も多い。一寸程なら持ち帰るのも苦にならないだろうが、俺が彫ったものなんぞに、ご利益など無いだろうに。
「他の弟子たちが彫るにしても、見本が必要だからな。一つ彫ってくれぬか?」
「俺のなんて見本にならないと思いますが」
しかし鳥慶様から頼まれたなら、断る事も出来ない。とりあえず俺が一つ彫れば、後は他の弟子たちで回るだろう。そんな理由で、俺はその夜、蝋燭を灯しながら、手で握れる程の木片を相手に大雑把に仏様を彫っていく。
俺に宗次郎のような精緻な仏様なんぞ彫れる訳もなく、何となく仏様に見えるかな? 程度まで彫れたところで一息吐く。
「まあ、これくらいで良いか」
「そうじゃな。この木も仏と成れて喜んでおる」
俺が独り言を呟いたら、返事がどこからか耳に届いた。何だ? と周囲を見回すも人影はなく、気のせいか? とまた彫り上げた木仏へ視線を落とすと、その横に木仏と変わらない大きさの矮人がいた。
「うおっわっ!?」
思わず驚き後退る。
「そんな反応をされると傷付くのう」
老爺の姿をした矮人が顎髭を擦りながら眉を下げる。
「…………な、何だあんた?」
好々爺然とした矮人に誰何する。
「儂か? 儂は、だらけ神じゃ」
「だらけ神?」
反芻する俺に、首肯を返す矮人。
「この世には、八百万の神々がおろう? その一柱よ」
「その一柱って、だらけ神なんて聞いた事ねえぞ。何を司った神様なんだ?」
「だらける事よ」
そのまんまじゃねえか。
「神は細部に宿るんじゃないのか?」
「そんな神もおる。宗次郎じゃったな。あやつを見守る神はそれじゃな。そして儂のような神もおる。お主のような怠け者に寄り添う神よ」
怠け者に寄り添う神様ねえ。嬉しいような、情けないような。
「そのだらけ神様が、何だって今になって現れたんだ?」
「まあ、お主の怠け具合は儂にとっても居心地が良い。お主にはこのまま怠け者であって欲しいからのう。余り働き過ぎぬよう、忠告にの。儂の拠り所が窮屈になってしまうのでな」
何とも自分勝手な神様だ。いや、我が国の神様なんて誰も彼も自分勝手か。
「言いたい事は分かった。それに気にし過ぎるなよ。俺だって働きたかあねえ」
「ほっほっ。そうじゃな。お主はそう言う奴よ。しかしそうじゃから儂の拠り所となり、故にお主が彫る仏像には魂が宿る」
「何だって?」
「お主が童の為に彫った木仏だから、あの親子は再会出来たのじゃ」
「俺が仏様を彫らなくても、再会出来ていただろう?」
「じゃが、時間は掛かったじゃろうな」
…………。
「つまり、俺が彫った木仏には、少しだけ運気を上げる効果があるって事か?」
「やはりお主は聡いの」
「褒められても嬉しくねえな」
「ほっほっほっ」
俺の言葉をだらけ神様は顎髭を擦りながら、只受け流すのだった。
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その後、寺院では仏師見習いたちが彫った木仏を、一寸仏と名付けて売り出し、好評を得ている。仏師見習いたちにとっても、売り物を彫ると言う良い実践の場となり、寺院は一寸仏が売れて懐が潤い、参拝客たちは良い土産が買えたと喜ぶ。三方一両損どころか、三方皆得なのだから、誰からも文句は出ない。
「完成したかあ?」
俺はと言えば、見本の一寸仏を彫っただけで、後は別の仏師見習い任せ。今日も今日とて宗次郎を茶化しに来ていた。
「もう少し……。もう少しだと思うんです」
宗次郎はまだ六尺はある仏像と向き合っていた。俺から見たら、もう完成でもおかしくないのだが、宗次郎からしたら、まだ拘りたいらしい。
「……お坊様」
寝転びながらその様子を見ていると、後ろから声を掛けられ振り返る。そこには、如何にも金はありません。なんて景気の悪い顔をした母子がいた。
「何か?」
起き上がって母子と向き合うと、童がどこかで拾っただろう木の棒を俺に差し出してくる。
「本来であれば、こんなお願いをするのはいけないと重々承知なのですが、もし叶うのであれば、この棒を……」
「良いっすよ」
必死に頼み込もうとした母親に対して、俺は特段気にする事もなく、童から棒を受け取る。
「良いのですか!?」
「……まあ、暇なので。でも出来に期待しないでくださいね。俺は彫るの得意じゃないんで」
「有り難うございます! 有り難うございます!」
幾度となく頭を下げる母親を宥めながら、俺は懐から小刀を取り出し、仏様を彫り始める。
「伝助さんって、本当にお人好しですよねえ」
宗次郎が逆に茶化してくるが、俺は軽く嘆息するだけに留めて、不細工な木仏を彫り続ける。その途中、童は俺の手元ではなく、その横をずっと見詰めていた。きっとこの童には、だらけ神様が見えていたのだろう。少し心が温かくなるのを感じながら、俺はこの母子の為に、木仏を彫り上げるのだった。