王子様の転落と悪い女とそれから
とある王国での出来事である。
「メイリア・ハッティノス! 貴様がカレン・フィノーラ男爵令嬢を虐めているという証拠はそろっている! 素直に謝罪をするならそれでよし、だが、そうでないのなら私はこの場で貴様に婚約破棄を言い渡し断罪せねばならない!」
王家主催のパーティーにてクィオル王子が声高にそんな事を言い出したが故に、今まで和気藹々とした会話がそこかしこでされていたパーティーの平穏は呆気なく破られた。
「己の身分を使い下の者を虐げるなど、上に立つ者としてあってはならない! さぁ、今ならまだ謝罪すれば許してやらんこともないッ!!」
ずびしぃっ! と効果音でも聞こえてきそうな勢いで指をメイリアに突き付ける王子の姿は、どこからどう見ても正義感に酔いしれている。
対するメイリア令嬢は、思い切り困惑していた。
「恐れながら殿下、発言よろしいでしょうか?」
殿下がだめでも陛下に声をかけて許可を貰えばいっかー、ととても軽く考えたメイリアは、怯えるでも呆れるでもなく、どこまでも平淡な声で問いかけた。
「言い訳か? してもかまわないが、その分貴様の立場が悪くなるだけだぞ」
「そうですか、構わないのですねありがとうございます。では」
言いながらメイリアは王子の隣でかすかに震える少女を見た。
恐らく彼女が王子曰くのカレン嬢なのだろう。
「まず、わたくしがそちらのカレン・フィノーラ男爵令嬢を虐めた、という事実はございません。
証拠と言いますが、その証拠は一体どこから?」
「彼女の証言と、その証言を裏付けるため側近たちも調べた」
「あらまぁ、お可哀そうに。使えない側近を持つ殿下は大変ですのね」
「なんだと!?」
「そちらの令嬢が側近の方々と仲睦まじくしている様子はわたくしだけではなく、他の方々も目撃しております。殿下はいいように騙されたのですわ」
「しっ、信じないぞそんな言葉! そうやってこちらを騙そうとしているのではないか!?」
「そう申されましても。わたくしだけではありません。学園でお二人が親しくしている様子は確かに目撃しましたし、それと同じくして人目を忍ぶように側近の方々と彼女が寄り添う様を他の生徒だけではなく、学園長も見ているのです。学園の風紀が乱れると彼女には教師から何度か注意をしているのですが、一向に改善されていない事で退学も視野に入れるべきか……と悩んでおりましたわ」
「そんな、ひどい……!」
カレンの言葉に、酷いのは貴方の頭でしょう、とは言わなかった。
被害を受けた彼女が傷ついたような言葉、として見るのなら周囲も同情したとは思う。
けれど、そんな風に捉えたのは彼女の毒牙にかかった王子だけだ。
側近たちはむしろ彼女との関係がバレて気まずそうにしている。どころか、殿下との関係は「自分から断れないから、でも心は貴方だけなの」なんて言ってたのに自分だけではなかったのか……!? とショックを受けている者もいた。
王子とその側近がハニートラップに簡単に引っ掛かっている、という図の完成である。
「わたくしが嫌がらせをした証拠というのがそちらの側近の方々の持ってきたものであるのなら、まず捏造されていると思っていいでしょう。何故ならわたくしは、お二人の仲が近づいた時点で陛下に相談し、念のため監視をつけてもらっておりました。
まさかそんなバカな言いがかりをつけるような事はしないだろうと思うけど、なんて陛下と王妃殿下と笑い合ったのも懐かしいですわ」
「うぐ……」
王家からの監視となれば、そちらを買収してなどという言いがかりもつけられない。
旗色が悪くなったと感じたのか、王子の顔色が悪くなっていく。
「手を出した、というのがフィノーラ男爵令嬢ではなく、ケストラット男爵家であればわたくしも認めましたのに」
「ケストラット男爵家だと……?」
「えぇ、殿下とフィノーラ男爵令嬢と、お二人が接近し仲を深めていた時に、それをあてこするようにこちらに嫌がらせをし始めたので、邪魔だなぁと思ったので潰しました」
婚約者に捨てられかけた女なんて惨めよねぇ、とか当事者でもないのにわざわざ喧嘩を売りにきたのである。
カレンが直接勝利宣言をしに来たのであればまだしも、アンネリー・ケストラット男爵令嬢はカレンの親友というわけでもなく、本当に完全に舞台の外で見ている観客くらいの立ち位置だった。
ただ、彼女は目立ちたがり屋な性質もあったのと、自分中心でいないと気が済まない部分があったらしいので、ここらで自分がメイリアをこき下ろす事で上の立場になれると思い切り勘違いしたのだろう。身分と言う点で勝てずとも、女という点では勝てる。恐らくはそういった思考だ。
「わたくしケストラット家には抗議文を送って様子を見た上で改善される気配がなかったので、手を回して潰しました。えぇ、家ごと。ですのでそちらに関してであれば、わたくしもやりましたと素直に認めましたわ。
それに、そもそもの話。
わたくしと殿下の婚約は既に解消……というか殿下有責で破棄されておりましてよ」
「えっ!?」
「だってこの婚約はそもそも王家から持ち込まれたものだからこそ仕方なく受ける事となりましたけれど。
でもこちらも正直乗り気ではありませんでしたし。だから契約を結んだ際に、もし他に殿下にとって添い遂げたいと思う相手ができた時点で解消できるように、としておいたのです」
メイリアとクィオルの婚約が結ばれたのは、二人が十歳になった時の事だ。
本来ならもっと早い段階で結ばれていてもおかしくはなかったのだが、メイリアの家は別に王家と縁を今わざわざ結ぶ必要はどこにもなかったし、もしかしたらクィオルが他に好きな人ができてそちらとどうしても結婚したいとか言い出す可能性もあったので。
その時はきちんとそれを伝えてくれれば、穏便に解消する事、と契約にも盛り込んである。
そう説明されて、クィオルはただでさえ悪かった顔色を更に悪化させた。死人みたいな色である。
無理もない。学園に通うようになって、そこで初めての恋に浮かれ、けれど婚約者のせいで結ばれる事がないと思い込み相手を陥れて排除してでも結ばれようと意気込んだのに、そのお相手は自分の側近とも関係を持っているというし、そうでなくとも最初の時点で好きな人ができたんだ、と相談しておけば穏便に解消できたと言われれば。
見事なまでの空回りである。
「いやでも解消ではなく破棄と言ったな。話が違うではないか!」
頭では言わない方がいいとわかっていても、感情がどうにもおさまらずクィオルは完全な悪足搔きを始めた。
「えぇ、それも契約にありましてよ。
もしどちらかが不誠実な事をした時点で、相手有責の破棄とできる、と」
なのでもしメイリアが他の男性と浮気のような事をしていれば当然クィオルは声高に婚約破棄を告げる事ができた。だがメイリアは婚約者である以上は、と婚約者として相応の態度でいたのである。自分有責の破棄の場合、慰謝料がとんでもない事になるのでやるはずがなかった。
そしてクィオルは契約内容をきちんと把握していなかったからか、見事にやらかした。
初恋に浮かれて暴走した部分もあるが、不貞した事に関して言い逃れができない状況に陥ったのである。これがまだ、他に目撃者もいない状態であったなら言い逃れる道もできたかもしれない。けれど、恋に浮かれて最初こそ人目を避けるようにしていたそれらは、徐々にこれくらいなら周囲に見とがめられないだろう……とハードルを勝手に低くしていって、そうして大勢の目撃者を作る事となってしまったのだ。
「ですから、殿下がフィノーラ男爵令嬢と学園の中庭で熱い口付けをした日には既に婚約は殿下有責で破棄されておりますの。大体半年くらい前の事でしたか」
手が触れる程度であればまだ不貞とは言えなかった。そのくらいなら、よろけた令嬢を助けるべく、とかなんとでも言えただろうから。
けれども、人目を避けるようにしながらとはいえ口付けを交わした事に関しては、言い逃れのしようがない。
例えば彼女が中庭の噴水に落ちて溺れて人工呼吸をする必要があった、というのならまだしも、そんな事態には陥っていなかったのだから。
「なんで、あの時周囲には確かに誰もいなかったはずじゃ……」
「殿下、中庭って教室からだと結構丸見えでしてよ」
その言葉に、クィオルはふらりと大きくよろめいて、そうしてがくりと膝から崩れ落ちた。
きっと、あの口付けを交わす前、彼は周囲に注意を払って誰もいない事をしっかりと確認していたのだろう。そうして周囲に誰もいないと判断し、意気揚々と事に及んだ。
ところが、中庭は花だけではなく木々も植えられていて人目に付きにくい場所も確かにあるが、二階以上の教室からは結構色々と丸見えなのである。なのでその時点で、メイリアだけではなく同じクラスにいた生徒たちも複数人目撃していたし、隣のクラスや他の教室でも見た、という人物はいる。
故にメイリアはその時点で証人である複数名のクラスメイトを引き連れて、契約を終わらせたのだ。それ以前に王家がつけたメイリアの監視も見ていたので、これはもう王家が何を言ってもどうしようもない状態だった。
「だったら、カレンへの嫌がらせは」
「わたくしではありません。側近の方々がわたくしのせいだ、と捏造した証拠はさておき、そもそもの話人前で平気で婚約者のいる相手とそういう関係になろうとするような――ふしだらな女性ですもの。
いかにお二人が身分差のある、許されない恋としてさながら悲劇の恋人のように振舞ったとしても、やってる事は普通に不貞ですからね。関わりたくないに決まっているじゃありませんの。
なのでフィノーラ男爵令嬢が周囲から避けられていると感じたのは紛れもなく事実ですが、別にわたくしが何かを言って孤立させたというわけではなく、厄介ごとに巻き込まれたくないから距離を置かれただけですわ。
あ、それから側近の方々の婚約もわたくしが婚約破棄したのとほぼ同じくして破棄されておりますからね。でもそれはわたくしが手を回したからではなく、普通に婚約者の方々に愛想を尽かされただけの事ですので。
人のせいにする前に己をよく振り返ってみて下さいませ」
そう告げた事で、側近たちもその場に崩れ落ちた。
先程まではメイリアがカレンを虐げていたという証拠が記された紙を手に自信満々にしていたというのに、その目論見が最初から暴かれていたとなっては……まぁ、そうなるだろう。むしろこれでまだ堂々としていたら現状を把握できていないという事になってしまう。
できればもっと早くに状況を察してほしかった、というのもあるが。
「わたくしがフィノーラ男爵令嬢を害していない、というのは先程のケストラット男爵家の件でも理解いただけたかと。だって本当に邪魔だと判断していたのなら、フィノーラ男爵家もケストラット男爵家と同じ目に遭っていた事でしょうから」
そう言われてしまえば、クィオルは何も反論できなかった。
あえてハッティノス公爵家に喧嘩を売るような真似をした相手を放置するはずもないし、ましてや側近たちが集めた証拠にもあるような嫌がらせで済むはずもない。
家にまず警告ともとれる抗議文を送り、それでも改善される様子がないのなら敵とみなして潰す。
だが、カレンの家にメイリアの家からそういった手紙が届いた、とはクィオルは一度も耳にしていない。
仮に貴方に心配をかけたくなくて……なんて言ったとしても、その場合気付いた時にはフィノーラ男爵家は潰されて、貴族でなくなっていた事だろう。
どう足掻いたところで、クィオルがここから逆転勝ちできる要素はどこにもなかった。
今からやっぱ無しで! なんて言ったところで、婚約はとっくに破棄されているのだ。
「そういえば、最近渡される金額が少なくなったと思ったが……」
「慰謝料ですわね。それも、王家が一時的に立て替えたという形ですので、この後ご自身で稼いで王家に返していかなければなりません」
クィオルに支給されるお小遣い――と言う言い方もどうかと思うが――は最初に決められている。王族が王族として相応しく振舞うために使われる、最低限の資金である。そしてそれらは、国の税金から出ているからこそ、使い方も個人の自由にはできない。
自由に使いたいのなら、それこそ自力で稼ぐしかないのだ。
「婚約者用の予算から勝手に別の使い方をしていたなら更に大変な事になっておりましたが、そうなる前で良かったですわ。やらかしていたら、罪状がプラスされますものね」
にこ、と微笑んで言うが、その微笑みはクィオルにとって何一つ安心できなかった。
今からどうにかならないだろうか、とまだ諦め悪くクィオルは周囲に視線を巡らせて――
そうして、自らの父でもある国王と目が合った。
クィオルは今まで父親から可愛がられてきた自覚があった。露骨に甘やかされていた、というわけではないが、それでも愛されていた自覚はある。それは母親もそうではあるのだが、父の隣に立つ母の目が冷ややかであったので今ここで母親が自分を助けてくれるとは到底思えなかった。けれども父はどうだろうか。まだ、まだ助かるのではないか……!? そんな僅かな希望に賭けるようにクィオルは思わず縋るような目を向けていた。
パン、と大きくはないがそれでもよく響くように、国王が手を打つ。
「どうやら我が息子は王位を継ぐ事なく、大道芸人への道を歩む事にしたらしい。
今のはそのための余興であったようだ。皆の者、我が息子が決めた道を是非とも祝福してやってくれ」
言って、更に続けて手を打つ。
パン、パンとゆっくりだった音が連続してパチパチという音へ変わる。
つられるようにして、周囲が拍手を打ち鳴らす。
それはまさに万雷と言ってもいい程で。
「え……?」
今しがた父が告げた言葉の意味と、自分の今後についてを知ったクィオルは戸惑ったように声を上げたけれど。
しかしその声は誰の耳にも届かなかったのである。
――その後の事はというと、特に何があったわけでもない。
クィオルは王位継承権の剥奪。同時に臣籍降下どころか大道芸人として、と国王が言った事により彼は平民となる事となった。
城を出る前に断種薬を飲まされて、そうして僅かな私物と共に市井へ。働いて得た金のほとんどは王家が立て替えた婚約破棄の慰謝料として取り立てられる。
私物は売り払ったところでそこまでの価値があるでもなく、一応生活のために使うだろうな、という道具が最低限。私物、と言えども以前からあった物ではない。新たに用意された物であったが、それは平民として暮らす上で使うであろう物だった。故に売り払ったところで二束三文、挙句に売ったせいで生活していく上で支障が出るのがわかりきっているために軽率に売る事もできない。
一応住む場所も提供されはしたけれど、それはフィノーラ男爵家によるものだった。
カレンはクィオルと恋人関係にあった。
仮に、クィオルが穏便に婚約を解消した後にカレンと結ばれるのであれば、クィオルは断種される事もなく臣籍降下として男爵家――ではなくとも子爵か伯爵の身分を手に入れていただろう。
しかしそれは真っ当に臣籍降下をした場合の話であって、不誠実なやらかしによってその道は絶たれてしまった。
二人に与えられた家は、平民が暮らす家としてみればまぁ……という程度の豪華さの欠片もない家だ。
クィオルは最初これを家だと認めたくなかったが、しかし駄々をこねたところででは住まなくて結構、と言われてしまえばあっという間にホームレス。
しぶしぶであってもそこで生活するか、不満であるのならそれこそ自分でどうにかするしかない――が、王子としての立場も失った今となっては、どうにかできようはずもなかった。
フィノーラ男爵家は娘のやらかしに土気色の顔をしたまま王家並びにハッティノス公爵家へ謝罪をし、財産の九割を差し出し領地も差し出し自らも平民となると告げた。
一割残したのは、今後の生活のためであり、更にそこから働いて慰謝料の足りない分は分割で払う、と率先して言い出す始末。
カレンの両親曰く、娘は多少奔放な面もあったが、しかしそれは精々恋の駆け引きと言える範囲だったのだ。今までは。けれども今回は恋の駆け引きなんてものではない。
クィオルと結ばれたいのであれば、とフィノーラ男爵はカレンの貴族籍を抜いて二人仲良くな……と送り出したのである。
腹を切れ、とメイリアが言い出せばフィノーラ男爵も夫人も速やかに実行しそうな勢いだった。それほどまでに今回の一件を重く受け止めている。
親はマトモなのになぁ……と思ったからこそ、償うのであれば平民として労働するのではなく、今後も領地を栄えさせ民を幸福に導く事を王家は言い渡した。そうする事で最終的には慰謝料の支払いも少しばかり早く終わるだろうし、小さな領地と言えどもそこが栄えればいずれ王国の発展にも繋がる。
そう言い渡した国王に、フィノーラ男爵夫妻は平身低頭、今後も王家に忠誠を誓い誠実に貴族としての責務を果たすと宣言した。
メイリアもその判断に否やはない。
言葉通り、今後フィノーラ男爵家は王家への忠誠をより一層強く持ち、そうして国の貢献のため粉骨砕身するだろうから。ついでにハッティノス公爵家に対しても慰謝料を払う気満々で話を持ち掛けてきたので、メイリアは父に丸投げする事にした。
父の事だ。悪いようにはしないだろう。
むしろ、クィオルと結婚しなくて済んだのだからそれで充分と言いたい。
今回の事をしでかす前のクィオルは別に何の問題もないように思えたが、それでもそこはかとなくメイリアは合わないな……と感じていたので、仮に何もしでかさずそのまま結婚をしたとして、きっといつか、どこかで破綻していたと言える。なので今回の件はメイリアにとって、きっと良かった事なのだ。
クィオルの側近たちもまた、その地位を追われる形となった。
纏めて平民にしてポイ、という事にはしていない。下手に数が揃って逆恨みで迷惑をかけられても困るし、そうなる前に殺すにしても、まだそこまでの事はやらかしていないのだ。王国の法律と照らし合わせても処刑するまではいかないので、これで殺した場合今回と同様の罪を犯した者たちは皆一様に処刑しなければならなくなってしまう。そうなればあっという間に国から人が絶えるのは明らかで、そうなれば処刑されるより先に国から民が流出する。
クィオルがもしカレンと結ばれ彼女が王妃となった場合であるのなら、そのカレンと通じていた側近たちは王家簒奪を目論んでいた、とされるので充分に大罪なのだが。
しかし既にメイリアや周囲の報告でクィオルがカレンと結ばれたとしても彼が王になる事はないと決まっていた。故に王の子として側近たちの子が……などという疑惑は起こり得なかったし、であればそれは単なる不貞で処理されてしまう。
他のやらかしと言えば、精々が婚約者に贈るために使う事を目的とされた予算をちょろまかしてカレンに貢いだり――つまり横領であるだとか、証拠を捏造しただとか。
一つ一つの罪状を上げても、それら全てをひっくるめてこれも処刑に至るか、となるとならなかったので、貴族籍から抜いた上で労働刑が決まった。
カレンに熱を上げてやらかす前まではまだ、それなりにマトモだったので。
これがどうしようもなく無能で生かしておく方が害悪、となったのであれば何らかの理由をつけて処分も検討されたかもしれないが、使い道がまだあるうちは使う、という方向に各家の意見が定まったため、彼らは飼い殺される事となったのである。
いつか、年を重ねて使い道がなくなった、となった時に恩赦が出るのか、それともその時点で始末されるのかは……今後の彼ら次第といったところか。家の名に泥を塗ったようなものなので、むしろその程度で済んで良かったと考えるべきなのかもしれない。
どちらにしても、彼らがカレンと結ばれる未来は消滅した。
元凶とも言えるカレンはではどうなったか、と言えば。
クィオルと強制的に結ばれる事が決まったものの、しかし彼女が思い描くような未来とは異なったのは言うまでもない。
何故側近たちにあのような――クィオルに無理に迫られていて断れないが好きなのは貴方だけ、などと言ったのか。そのあたりをじっくり聞き取ってみたが、彼女自身はそこまで壮大な目的があったわけではないと判明した。
クィオル王子を含め、側近たちも皆見目だけは良い者たちであったが故に。
そんな彼らにちやほやされてみたい、というだけの事でカレンは手玉に取ったのだという事がわかったものの。
その後の事はほとんど何も考えていなかったのである。
カレンが好んでいた娯楽小説のような展開を想定していたようだが、しかしあれはあくまでも創作であり現実では有り得ない、というのにそれでも、もしかしたら……とどこまでも都合よく捉えた結果であった。
恋愛では惚れた方が負け、という言葉がある。
だからこそ、カレンに惚れた相手なら、最後には何だかんだ折れてくれて、自分の望みのままになってくれるのではないか。そう思い、彼らとの恋を楽しんでいた。
いずれクィオルと結ばれる際、側近たちはカレンへの恋を胸にカレンの幸せを願い身を引いてくれるのだと。
どこまでも身勝手にカレンは考えていたのである。
カレンが愛読していた娯楽小説が原因、となった時点でその本をいっそ禁書として燃やすべきかという話が出たのだが、しかしあまりにも馬鹿げているせいで本が燃やされるような事にはならなかった。
この本みたいな恋に憧れちゃう、なんていう夢見がちな他の乙女たちはでもこんなことができるのはあくまでもお話の中だからであって、現実にはあり得ないと理解していたし、仮にこれに近い展開が起きたとして、と想像させられても、でも自分の容姿じゃ無理がありすぎるわ、と夢も希望もないコメントが多数あったからだ。
ではそれに足る美貌を持つ者たちならどうだろうか、と美しさを称えられている令嬢たちへ聞き取り調査をしてみれば、そもそもその手の令嬢たちは使用人やそれ以外の者たちからも傅かれるのが当たり前で。
今更顔だけが良い相手が纏わりついたところで、のぼせ上がるという事がなかった。
それよりも政略結婚で親の仲が冷めている家などは、どちらかといえばそんな大勢の異性との恋愛よりも、ヒロインを一途に愛するヒーローと、そんなヒーローをやはり一途に想うヒロインとの恋愛娯楽小説の方がお好みであったので。
それどころか、仮に優秀で見目も良い異性がいっせいに自分に群がるような事になった場合、自分の魅力だと考えるより家の何かが目的か、裏があると考えるのが普通――と答える令嬢たちが圧倒的過ぎて。
カレンのお花畑っぷりがより一層強調される結果となってしまった。
彼女の脳内ではきっとクィオルと結ばれた後自分は王妃として君臨するものだと思っていたのかもしれない。けれども、その未来は有り得ないもの。今から何をどうしたって実現は不可能である。
彼女に与えられたのは、クィオルという元王子である夫と、一般的な平民の家。
それでも、彼女がクィオルだけを一途に想っていたのであればまだ良かった。
しかし実際は陰でクィオルに無理に言い寄られているなんて言って他の側近たちとの恋に盛り上がるような女だ。そしてそれが明かされた事で、クィオルの燃えるような愛の炎は今では消える直前で残っているのは精々燃えカスである。
どう足掻いたところで、カレンが夢見るような幸せな生活は望めなかった。
側近たちの元婚約者の令嬢たちは既に新たな婚約者とお互いきちんとした人間関係を構築し、学園を卒業後間もなくしてそれぞれが結婚した。
メイリアも同様に、クィオルに婚約破棄を宣言された一件から数日後には新たな婚約が結ばれて、同じく学園を卒業後には結婚しクィオルとだったらこうはならなかったであろうと思える程に甘ったるい新婚生活を過ごした。
側近たちのその後に関しても、各々の家で飼い殺しにされているとはいえ、それでも真面目に働いていくうちに、多少の自由は許されるようになった。以前のような生活には程遠くとも、それでも小さな幸せを見出すまでにはなったようだ。
クィオルもまた、平民になった後は周囲に迷惑をかけるような事をせず、真面目に仕事を探し働いていた。
ただ一人、カレンだけが。
彼女だけが反省していなかった。
思い描いていた裕福な生活とは無縁の、それどころか男爵家で生活していた時よりも貧相な生活。
早々に嫌気がさすのは言うまでもなかった。夫となったクィオルも、カレンの恋多き性質に自分だけが浮かれていた事に気付いてからは以前のように接する事もなくなって――というか平民生活に馴染むためにカレンに構う余裕がなかったとも言える――カレンは実質放り出されたような気持ちだったのだ。
クィオルからの愛を失ったのも自分のせいだというのにそれを受け入れられず、貧しい生活も受け入れられない。
クィオルとカレンの一件は社交界では知らない者はいないし、使用人たちを通じて市井にも既に出回った話であるが故に、カレンは近隣の住人からも遠巻きに見られるだけで誰も自分をちやほやしてはくれなかった。
服だって飾り気もない可愛くも綺麗でもないもので、アクセサリーなんて以ての外。
カレンの見た目は愛らしかったとはいえ、しかしそれはある程度手入れがされていたから維持できていたもので、それがなくなればあっという間に生活にくたびれた女ができあがっただけだった。
それでも元は良かったので、今の生活から脱却しようとカレンは手ごろな男に声をかけた。
見た目こそクィオルや側近たちに比べれば劣っているけれど、しかし他所からやって来た商人だという男は羽振りが良かったので。
今の――それこそ針の筵のような生活から逃げられるかもしれない……!
そんな希望を抱いて彼女は、異国から来たと言う商人に積極的に言い寄っていったのである。
商人には妻がいた。
そして思いのほか嫉妬深かった。
夫だけがこの国に来た、というわけでもなく、妻もまた夫を支えるために共にこの国にやって来ていた。
周囲から見れば秘書のような役割をしていた女性がそうだった、とカレンは気付けなかった。
夫婦と、少数の従業員。
しぶしぶ働いていた酒場で、彼らが客としてやって来た時に、カレンはよりにもよって商人に媚を売り、どうにか自分を嫁にしてくれないだろうかと売り込んでいたのだ。
嫉妬深い妻の前でそんな事をすればどうなるか。
酒が入っていたのもあって、現場はとんでもない泥沼の修羅場を迎えた。
そうしてカレンは。
商人の妻と揉み合いの喧嘩の末、咄嗟に手に取った果物ナイフで妻を刺そうとしたものの、手首を捻られ自身が持っていたナイフが刺さり――命を落としたのである。
妻、カレンの死を知ってクィオルがどう思ったか――直接言葉に出してはいなかったけれど。
だが、あのままずっと生活を続けていけばいずれ、愛していたという事すらわからなくなるほど憎んでいたかもしれなかったので、死んだという事実にかすかに安堵していたのは確かだ。
今の今まで王子として生活していたクィオルが平民となったからといっても、簡単に馴染めるはずもなく、仕事はいくつかすぐクビになってしまって、そのせいで生活に余裕がなかったのは確かだ。
そしてそれに嫌気がさして、カレンが他の男に言い寄ろうとしていたのもクィオルは知っている。けれどクィオルはそれを引き留めようとはしなかった。もうそこまでの気持ちがなかったから。
けれども、死んだと聞かされてからは、今まで見ない振りをしていた気持ちが僅かばかりに蘇りもした。
確かに嫌ってしまっていたけれど。それでも、焦がれる程に愛していた時だってあったのだ。
その思い出が完全に消える前にカレンが死んだ事で、残された思い出が美化されたというのをクィオルは実感していたが、しかし彼女が死んだと聞かされても泣けなかった。ただ、周囲に迷惑をかけた事はわかっていたからこそ、最後の餞として謝罪にまわりはした。あんなのでも妻なので。
いくつかの職を転々としていたクィオルはその後、自らが平民になった際に父が言った大道芸人というのを思い出し、とある劇団に所属した。案外、役者として適性があったのか端役から始まったとはいえ、思いのほか早い段階で彼はその劇団のスターとして台頭するようになった。
劇団に入ったばかりの頃は生活に余裕がないみすぼらしい状態だったが、それでも元は良かったので磨けばかつてのように、とまではいかなくともそれなりに光るものはあった。
そうして王子として育てられていた時の立ち居振る舞いが演技をする際に、それなりに役に立ったのだ。長いセリフをすぐに覚える事ができたのも、過去、王子として様々な事を学んでいた時の事が役立った結果だった。むしろかつて学んだものと比べれば長いセリフを暗記するのは、別段難しい事ではなかった。
彼の事を知る者も最初は面白半分で彼の演技を見にいったりもしたが、見終わるころにはすっかりと彼の演技に魅了される程であったという。
花形スターとして人気だったクィオルはしかし、浮名を流す事は決してなかった。
子を残せないからこそなのか、それともかつての妻を愛していたからこそなのか……
彼は没するまでその事を一切誰にも明かさないまま、最後まで演じきったのである。
次回短編予告
原作を知っていたから回避しようと思った。
でも、どうしようもなくて結局原作と同じ展開を迎える事を予感していた。
けれども女は思う。知っているからこそ、大した事にはならないのだと。
それが大いなる過ちだと気付かずに……
次回 追放刑を甘くみた悪役令嬢の末路
転生ヒロインちゃんが不幸な目に遭う話が多くなってきたので悪役令嬢側を不幸に落とそうとかいうどうしようもない理由でできあがってしまいました……(´・ω・`)