良いニュース、悪いニュース 3
思い切って声をかけました。
「オルフェウス様、いかがしましたか?」
昔、こんなふうに劇場のロビーで座っていた時ランカスターさんから声をかけられたのを思い出します。あの時はランカスターさんの落ち着いた態度に慰められたものでした。私も神官様にとって、そんな存在になれれば良いのですが。
オルフェウスさんは私に気づくとゆっくりと顔を上げました。
「聖女ルゥ……いやはや、ご心配なく」口ではそう言っていますが少し疲れたようなお顔です。
「人の多さに圧倒されましてね。少し休んでから戻りますよ」
「オルフェウス様、少しお話しませんか」答えを聞く前に隣に座り込みます。同時にウェイターさんが花茶のセットをカートで持ってきてくれました。
とはいえ、お話とは何をすればよいのでしょうか。お茶を注ぎ時間を稼ぎます。
「今夜は来ていただいてありがとうございました。わたしの屋敷に来るのはお仕事とはいえ躊躇したのではありませんか」
オルフェウス様は苦笑しました。それが答えでしょう。
「俗世には信じられない事もあるものですな」
「わたしは、神職の方々にどう思われているのか、気にしていないふりをしていました。話題に上がっているとは思い上がっていませんでしたが」
「聖女ルゥ、ここは素晴らしいお店のようですね。王宮でも何度も話題に上がっていますし、同僚には羨ましがられていたのですよ」
続きを待ちます。
「ただ……婦人が裸で踊るとなれば話は別です。私は古い人間だと実感しました」
「いいえ、オルフェウス様、そんなことはありません。全ての方々に楽しんでいただけるもの存在しません。——でも」
オルフェウス様は頭を振りました。
思わず身を乗り出してしまいます。
全てのお客様に楽しいでほしいのは間違いありません。それと同時に私のクラブに来た方々が、悲しい気分にならない事は同じくらい重要です。
この屋敷は幸せな結婚生活と悲惨な婚約破棄を乗り越えてきたのです。そんな場所に足を踏み入れた方が去る時にどう思うか。もちろん、最後は楽しい気分でいて欲しい。決まっています。
はい。クラブのオーナーとなり、私は強欲になりました。でも間違っていないと思います。
「——でも、これだけは信じてください。わたし達従業員はなにも恥ずべき事はしていません。お客様が楽しんでいただけるよう精一杯働いています。全員が礼儀正しく、信頼しあい、規律を守り……」ハッとして言葉がつまります。
「つまり——美しいものを作り出そうとしています」
「信じますよ」
オルフェウス様はお茶を一口飲み、優しい声で続けました。
「私のような者にも声をかけてくれる。あなたがオーナーなのですから」
胸のあたりがじんわりと暖かくなり、オルフェウス様につられて口元が緩みます。私はしっかり頷きました。
「とはいえ、なかなか新しいものに適応するのは大変ですな。聖女ルゥ、あなたはあなたの仕事に戻ってください。踊りが終わったら席に戻りますよ。接待ですし、あのお食事は逃すのは勿体ない」
オルフェウス様はお腹をポンッと叩いて言いました。
*
その日の営業が終わり、お客様が全員帰った後、私は大階段に座り込み玄関ホールをぼんやりと眺めていました。従業員の皆さんは今夜の最後の仕事、お掃除をしています。
「お疲れ様です。オーナー、今夜も再予約がいっぱい取れましたよ」
返事をしないでいると、ランカスターさんは横に座り込み、私の顔を覗き込みました。
「どうしたんだよ。神官様になんか言われたのか?そこそこ上機嫌で帰っていったろ?」
「……」
「なんだよ」
「ランカスターさん。職務規定は間違っていませんでした。規律が守られる事は組織にとって良いことです。我々は正しい道に進むよう努力をするべきです」
「どうした、突然」
「恋愛禁止のことです。ランカスターさんは正しかったです。規律は必要です」
「なんだ、そのことか」
ランカスターさんが私に身を寄せてポソリと小声で言いました。
「見ろよ」
階段下の玄関扉の前で、お掃除係のベルグさんと、クローク係のメルフィスさんが箒を片手に談笑していました。
「ベルグはメルフィスさんに惚れてる」
「え、でも。だって……」
「本人達は隠してるらしいけどな。バレバレだ」
ポカンと口を開けて、閉めました。
「君も言ったろ『恋する気持ちは止められない』とかなんとか。実際そうなんだよ。表立って事を荒げなかったら俺もとやかく言わないよ」
「——ああ、つまり……」
つまり——建前ってことですね。
「わたしって……」
なんだか力が抜けて間抜けな声が漏れてしまいました。
たかだか職務規定で恋心をどうにかしようだなんて、ランカスターさんも考えていなかったようです。
私の顔を覗きこみ、ランカスターさんがニヤリと笑います。
まったく世間知らずとは私の事です。なんにもわかっていませんでした。そろそろ俗世にも慣れてきたと思っていましたが、まだまだのようです。
「ま、従業員には君のメイドのミディさんとアニアさんに手を出したら吊るすって言ってるけどな」
当然です。彼女達はまだ子どもです。
「そんなものなのですね」
「そうだよ、そんなもん」
ポンと肩を叩かれます。
今夜ばかりは、ランカスターさんのニヤニヤ顔も甘んじて受け入れなければいけません。
「劇場時代に痴情のもつれで苦労した話を聞かせてください」
「それは酒が無いと話せねぇなぁ」
ランカスターさんが片目を瞑って微笑みます。
今夜も色々なことがありました。まぁ、全体的に見れば素晴らしい夜といえるでしょう。ちょっと私がスネ気味なのは否定できませんが。あーあ。
こんな毎日が続きますように。
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