短編:隣に貴女がいるならば、 私はいつまでも輝きます
買ったばかりのアイスをおもわず落としてしまうほど衝撃的な光景を見た。クラス内でマスコット的立ち位置を得ている阿佐尾掬が夜の学校に忍び込んでいる。呆然としているうちにフェンスの向こう側へと降り、まっすぐに進んでいった。
「え、ちょ……やばくない?」
ホームルームで、近辺を変質者がうろついているといわれたのは先日のことだ。156センチの小柄な体躯で捕まったら抵抗できないだろう。同じ状況下で外に出ているとしても、自分の家は三分歩けば帰れる距離で、足の早さにも自信がある。もし捕まってしまったら、と頭を抱えた。街灯の明かりが細かに点滅する。
ああ、コンビニに来なければ悩むことはなかったのに。追いかけないでいて後悔するのは嫌だ。舌打ちすると、足元に落ちているアイスを拾ってフェンスへと駆け出した。
「だ、だいじょうぶ。体力だけはあるんだから。いざとなったら抱えて逃げてやる」
小さな声で自分を勇気づけながら敷地に降り立つ。背筋に悪寒が走り周囲を見回したが、人影はない。
「な、ぇ……? 今のって、なに」
眉が下がり気味になり帰ることも視野に入れるが、気のせいだろうと頭を振って夜の中へ踏み出した。
先にあったのは昼でも人が寄り付かない旧校舎だ。窓はどこも開いておらず、内側に光はないようだ。しかし扉だけは、人ひとりがようやく通れるほどではあるが開いているので、間違いなく中に入ったのだろう。おどろおどろしい雰囲気に踏み入ることをためらい、それでも一度入ると決めたのだからと音をたてないように体をすべり込ませた。
二階まで上がってきたが、帰りたいという気持ちは進むごとに積み重なっていた。人を見かけないどころか、風の音も聞こえない。誰かと約束をしているわけでもないから、帰っても怒られないはず。
「もう帰ろう」
言葉をこぼせば急に憑きものが落ちたような気持ちになったが、余裕ができて今度はふと疑問がわいてくる。これだけ古い建物で風の音がしないなんてあり得るのか? 先ほどまで風で木の葉が揺れていたはずなのにどうして。これ以上考えるなと理性が叫んでいるが、それでも思考は止まらずに深い沼底に落ちてしまう。もしや、ここに来たのは間違いで。何者かに誘導されていたのなら? なんて。最悪の想像したとき、悪寒が走った。背筋が粟立ち、たまらず走り出す。
――誰かが自分を見ていた。
間違いない。確信をもって言える。何者かが自分を見ている。ビニール袋を捨てて登ってきた階段を目指す。感じたことのない威圧感のせいか、動きが重くなってきた。脚が上がらない。腕にも絡みついているかのようだ。夢で誰かに追いかけられる感覚に似ていて、嫌悪感と恐怖に埋め尽くされていく。そうしてついに、地面から足が離れた。抵抗一つできずに浮かび上がり、窓に鏡に映った自分を見ると実態のある霧につかまれている。明らかに普通じゃない。瞳には靄として映るのに、実際は冷たく固い感触だ。肺の機能も落ちたのか、息を大きく吸えず、かすれた声だけが漏れ出る。宙に浮いたまま景色が切り替わり、入り口から離れていく。大声を出せば、助けは来てくれるだろうか? いや、来ない。そもそもここは敷地のなかでも奥まった位置にあって、普段使う建物にも声が届かないだろう。対抗する方法はなく、体から力を抜いた。
「目をつむって!!」
聞きなれた声の知らない声色に驚いて目を開く。視界が白で埋め尽くされた。慌てて目をつむるが間に合ってはいない。体が軽くなり、吸いすぎた空気に思わずむせる。地面にたたきつけられ、ようやく解放されたと理解して。せめて、と声のしたほうに走り出し、腕をつかまれた。人の体温に久方ぶりに触れたように思えて、緊張がとかれる。
「掬さんであってる!?」
「あってる! 何でここにいたの!?」
逃走の中の問いかけに凛と澄んだ声が返ってくる。声色は違うがフェンスを越えた人影は、幻ではなく本人のようだった。
「フェンス越えたとこ見てたの。身長低いし、髪の毛シルバーのおかっぱなんてこの辺だと一人じゃん!」
「いろいろと言いたいことあるけど、内巻きワンレンショートボブだから! おかっぱ違う!」
「それ今言う!?」
どうやら、昼の性格とは全然違うらしい。回復してきた視力が腕を引く幼い体をとらえていた。いまだぼんやりとした視界の中で、揺れる白髪がよく見える。あれは何なのか。後ろを振り向く余裕もなく、何を聞けばいいのかもわからない。ただ、現状自分がお荷物ということだけが心に降りかかる。何が足の速さに自信がある、だ。手を引く同級生はきっとひとりなら後ろの化け物から逃げることは簡単なのだろうに。口惜しさがこみあげてくる。
「ステルスが効かない……! 最上階まであがるよ!!」
指示に従いながら階段の踊り場を曲がるとき、敵の影が見える。そして、思わず叫んだ。
「メカじゃん!!」
確かに冷たくて硬かった。心なしか機械の作動音もしていたような気がしなくもない。だからといってこんなにしっかりとしたメカだとはだれも思わないだろう。しかも、しかもだ。
「宙に浮いてるが!? 浮遊式ユニットあるとかどこのアニメです! ガ〇ダムか! マク〇スか! それともエヴ〇なのか!?」
「ちょっとおちつこうねぇ!」
折り紙の鶴の、羽が生まれる前の姿といえば伝わるだろうか。なだらかな二等辺三角形の下に逆向きのするどい三角形がくっついている。正面からはそう見えるだけでおそらくは錐体。地面付近には三重の光る円が存在し、滑るように追いかけている。浮遊しているふたつのユニットも含めて体表には幾何学的な紅色の光線が走り、合理性と数学的な美しさを追求したのかと問いたくなる風貌である。ロマンがくすぐられるが、それはすぐに吹っ飛んだ。
「絶対手を離さないでね! 鏡に入れなかったら旭ちゃん死ぬからねっ!!」
「不穏な言葉が聞こえるし鏡ってな――
言葉を発するも、首を前に戻したときには鏡に激突する寸前。つかまれていた左手をねじり、やわらかな腕を強くつかむ。
そして、落ちた。
「なんか落ちてっ、いたぁ!?」
かなり低い位置から落ちたようでつかんだ腕を巻き込みながら岩の山を転がり絡まる。柔らかな感触が頬にあたるが、それどころではなかった。
「ああ脚つったぁ! はなしていい!? もういいかな!!」
「いいけどなんで今!?」
返事を聞く前に離したかったが、記憶力がないに等しい脳みそでも自分の死には敏感なようだ。
「めっちゃいたい……。てかここどこだし……」
荒れ狂う工学部品の海から規則的に生えている天を臨む大樹。大空は青緑の絵の具が混ざり、あまたの星々が燃える白銀の恒星に向かっていくつもの渦を描いていた。ほかに地上を照らすものは大樹の果実だけである。人の姿はなく、建物どころかやせた大地の顔すらも見ることは叶わない。いまにも終焉を告げる女神の慟哭が聞こえてきそうだ。悲惨な光景であるにもかかわらず、旭の心臓は鼓動を速め一点から目をそらせずにいた。月を背にして腕を広げる白銀の乙女。比べると月などよりも髪色のほうがよほど純白で輝かしいことがよくわかる。綿毛のようにもてあそばれる髪にはひとかけらすら汚れがない。
「ここはイディア・ヴェニャーク。人類の破滅と希望の地へようこそ」
「破滅、と希望?」
「そう。滅びを迎えてなお、この世界は可能性を残している。改めて、私は阿佐尾掬。中距離戦担当で週末はいつも視察のためにここへ来ているの」
曰く。掬の所属する組織は異形のもの、エンスと戦っている。並行世界を介して災いを振りまき、滅亡直前の世界をイディア・ヴェニャーク、敗北した世界をノーシグナルと呼ぶ。エンスが溢れないように封印を施すことをロストと言い、今いる並行世界は三日以内に収穫がなければロストされることが決定しているらしい。
「人材や拠点、生き残った人間が見つかれば再起可能世界としてロスト判定は取り消されるけど、そんなことは滅多にない。人材が見つかっても組織の下で保護されることが精々なの」
「え、じゃあ私は?」
「こことは別の世界の人間だから、収穫にはならないよ。でも組織にはついてきてほしいかな。連絡できるようになるまで十分程度かかるけど、そしたらひとまずは安全だよ」
「追ってきた敵、エンスだっけ? あいつはこの世界には来ないのかな」
恐怖はまだ消えない。触れえている手を隠しながら見上げていると髪が口に入った。
「出現先はランダムなんだ。同じ世界にいるけど南極にいるかもしれない」
「へー。じゃあ手を離してたら……」
「確実にエンスが先に見つけていただろうね」
気を抜いたような笑顔が、どこか恐ろしく感じられた。
「なかったことにするとかは……」
現実を放棄すると、よそを向いてごめんね、とつぶやいた。
「記憶を消すことはできるんだけど、一度エンスが見えてしまった人はエンスから隠れられないの。だから捕まらないように戦う方法を覚えないといけない」
「捕まると、どうなるの……?」
「エネルギー源となる魂を抜かれて廃人になる。あまった肉体にエンスのエネルギーを流し込むと機械の体に作り替わって、壊れるまで戦わされる。その残骸がこれ」
掬は足元を指さした。これらはエンスになった人間の成れの果て。
「対抗するにはエネルギーを覚醒させる必要があって、その……すこし、恥ずかしいんだけど我慢してくれる?」
「え、何するの? えっちなこと?」
「ちがうけど! その、えっち、ではないと思うけど、はじめてだし……私は恥ずかしい、かな」
ほほ紅を付けたかのように恥じらう掬。きゅぅと母性がうずくのはしょうがないことだろう。それと同時に嗜虐欲が沸き上がるのも。
「いいよ。しよっか。えっちなこと」
「すぐにやるわけじゃないからね……? この大樹から光が濃い果実を見つけて。滅多に見つからないけど黄金があったらそれ一択だね」
大樹にはすぐに登れるが、どれも色味の薄いゴルフボールにも満たないようなものばかり。早く見つけなければならないのにと掬は葉の裏にも目を滑らせていた。
「黄金ってさ、五百円玉みたいなの?」
「うーん。神々しいというか、まるで太陽というか……」
「え、じゃあこれでは?」
視線の先には一口大ほどの果実が。
「う、うそ……。なんでこんなところに!?」
「これ、収穫になる?」
「なる、けど! 使っちゃいます!」
「使っちゃうんだ!?」
「いつさっきの敵が来るかわからないし……覚醒すると全体的な能力が上がるから、けがもしにくくなるよ」
鉄屑の上に戻ると、掬はほとんど種しかない果実を食べ始めた。口に含んだまま振り返り、真っ赤な顔で旭の顔に手を添える。上目遣いで先の行為を求めていた。
「ん、ふぅ……」
吐息が溶け合い、からみつく舌から熱が伝わる。よだれの一滴も許さないというように執拗に液を飲み込ませてきた。されるがままで、心臓が熱を帯びていくことに気づく。やがて、種が解け切り、唾液とともに旭の体内に吸収されると、ようやく口が離れた。軽口を言う余裕もなく、その体に異変が訪れる。
「あ、つ……。いたい、ん、だけ、ど」
「使われてなかった動力回路がこじ開けられてるから、悲鳴を上げているの。唾液がうまく作用すればいいんだけど……」
聞く余裕がなかった。心臓の熱が全身をめぐり、特に手足の感覚はほとんどなかった。自分と世界の境界があいまいで、気絶する直前である。耐えてもきっと終わりは来ない。ならばねじ伏せ、奪い、存在丸ごと食らってやる。気概だけで耐えていた。
指先から壊れていく管区が襲う。細胞がぼろぼろと崩れ去り、生きたまま焼かれているかのような熱量。
「あ、あが、ぐぁ、っ」
遠くでなにかが聞えるような音がする。なぜ、どうして。巻き込まれただけなのに。崇高な志があるわけでも誰かを救いたいわけでもないのに。終われ早く。早く.早く。この地獄が終わったら、絶対にぶんなぐってやるから。
のどがひび割れ、内側から強靭な繊維が目を出した。掬は見守っていた。死を選ぶ人がいるほどの痛みに耐えられるのだろうか。覚醒に必要な果実は、肉体を本人の願いをもとに作り替える幻の実。その中でも黄金色のものは能力の向上に倍以上の効果があるという。解明されていないことが多くルーツさえも不明だが、うわさされているのは旧約聖書の善悪を知る木ではないかという話だ。もちろんその説には穴があるが、神に近しいものになるという考えは多くの者に根付いた。
ハイリスクハイリターン。適合しなかったら、死あるのみ。そのことは口にしていなかった。
「ごめんね、巻き込んで」
荒れた髪は、軽く触れてわかるほどにざらついている。校舎の壁材か、つみ重なる鉄屑か。どちらにせよ相当のストレスだろう。苦悶の表情を浮かべ、じっとりと汗ばんだ額にそっと口づける。どうか、少しでも苦痛が和らぎますように。膝裏と背中を抱え上げ、巻き込まれないように木のうろの中へと隠した。
柔らかな雰囲気は鋭く変わり、左耳のピアスに触れる。
「通達。1837パラレルに到着。観測者が黄金を用いた覚醒を行っています。最速で迎えを」
世界を移動してから十分がたち、上司へと連絡をつなげる。ノイズが強く、本当に聞こえているかは疑わしい。
「了解した。間違いはないのだな?」
「保証します。それと、最悪の場合は私を見捨ててください」
「なんだと? まさか、掬ッ――!!」
電話の向こうで大きな物音がする。おおかた、椅子でも倒したのだろう。気にしている余裕はなかった。一言を残してすべての意識は目の前の異次元生命体へ注がれる。
「エンスとの戦闘を開始します」
視線の先には、赤い鋼鉄。神造のマキナ。もはや原型をとどめていない世界は自らのものだとでも言いたいのか、文明が衰退していくごとに戦闘力を増していく。形状はより巨大な人型に近づき、身長でいえば三メートルは優に超えているだろう。三角錐という大まかな風貌は変わらないが、付き従うユニットは六つにまで増えていた。すり合う機械音を腹部から鳴らし、銃口が突き出る。悪魔と口にしたのは誰だっただろうか。記憶はすでに彼方にあった。
足下からが霧に埋まり、あたりが乳白色の影に包まれる。先の間、旭を求めていた瞳には、今は掬の姿だけが映った。エンスはより弱いものから狙っていくが、生命の危機にさらされた場合は標的を変える。
「追いついてくるの、早いね。そんなに旭ちゃんが欲しかった?」
顔色を変えずに口を開いた。もとより会話ができるとは思ってはいない、それでも言わずにはいられなかった。風で髪が揺れていく。
「わかるよ。明るくて、自分の手元にあったらって考えちゃうよね。ほしいよね」
過去、エンスから逃げられなかった仲間たちは心臓を貫かれ、魂を強制的に引き出された。拒絶するほどエネルギーは増大し、ヨーグルトを固めたような鉱石が光を浴びる。外殻を無理やりはがすことで現われる、脈打つ真紅の鉱石。エンスは至上のごちそうとして食すのだ。人間の理性をはがした、本能を。肉体を取り戻したとしても魂は戻らない。人間としての尊厳も、理性も、自我さえ失った肉体を何度見たか。桃色の唇が白くなるまで噛みしめ、爪先から血がにじむほど握りしめる。
「――でも、あげない」
渡すものか。たとえこの身が朽ちようと。太陽だけは奪わせてなるものか。
チョーカーを引きちぎり、恒星が生まれた。圧縮されていた神秘の再臨。現れたのは太陽をもって輝く月光のきらめき。足先から膝上までを覆う青い鉄。地面から浮かびあがりメタルコートをはためかせた。稲光のような線が、今の激情を表しているようだ。対鉄造生命体中距離用戦闘装束、アムリタ・アリア。直々に与えられた専用装備であり、その効果は回避と潜伏に割り振られている。真正面から戦うことを想定していないために、ほかの構成員と比べて戦闘力がはるかに劣る。わかっていて、敵に姿をさらすことを選んだ。少しでも旭の生存を高めるために。地面の亡骸が分子になるまで分解され、数秒もしない間に機関銃となり、震える両手で抱きかかえて言霊を紡ぐ。
「今日の私は命を落として、明日のあなたはしあわせに」
誰かを守るための詠唱。ただ一人に捧げる深愛。霧が世界を覆い隠すと、幼い姿は掻き消えた。エンスの熱源探知にはかからず、視界も不明瞭。位置を把握できないから四方を警戒する空中ユニットを分割し、中からは光の剣が現れた。そこまでは過去の症例と同じだ。構えた重心から青光る銃弾が爆音とともに射出され、火花が舞い散らせながら着弾していく。見えない位置からの攻撃は一方的に鋼鉄を削った。走りつつ、ライフルの引き金を引き続ける。弾が尽きれば、エンスの亡骸を再構築して、一部の隙さえ与えない。
しかし、見えずとも弾幕の向こう側にあたりをつけることは可能だ。瞬間。目の前がはじけ、霧を抜けてレーザーが掬の頭を狙った。煙幕が晴れ、主砲と目が合う。暗闇の中に電流が走り、体を上下に切り離す光線が撃たれた。上体をそらし、腹すれすれで攻撃をかわすが、次の照準は頭蓋。直行するレーザーを滑るように避けて距離をとる。脚が狙われれば、大地をけって一回転。息の合ったダンスのように、肌からは一定の距離を保っていた。銃弾は尽きないが、どれだけ撃ってもヒビ以上の傷は入らない。脳が焼き切れるような銃弾をくり返し、血液が鼻からたれ落ちる。
倒すことができない。ならば――!
「ぁぐ……!?」
行動に移そうとすると、体に電流のような衝撃が走った。考える暇もなく、次々に体に穴が空いていき、ついには額すらも撃ち抜かれた。
「KYUI?」
鋼鉄のぶつかる音がする。その場に崩れ落ち、錆のにおいが風に乗った。間違って殺してしまった? と問うているような鋼鉄が、伏した弱者へと近寄る。背が外にめくれ、腕が這いでてきた。髪をつかみ、乱暴に持ち上げて上を向かせると、目をつむった傷一つない顔が現れる。違和感を感じて心臓を貫くより前に、瞼が上がり中指が立てられた。
「ひっかかった」
地面に積み重なる数多の外殻の下から、閃光がほとばしる。地鳴りのような勢いで両者の立つ台地がはじけとんだ。巨大なクレーターが形成され、巨体の主もさすがにふらつき、背から生えた腕は十メーターほど遠くに吹き飛んでいる。自身をおとりにした自爆。魂を回収できなかったが、上質なごちそうはまだ大樹に隠されている。熱源により生きていることは確認済みだ。早足で向かい新たに生えた腕が幹に触れて、そして爆散した。
背後の爆心地に、小柄な人影が立っている。そのそばには大砲を携え、口径からは煙が上がっていた。射出したのは間違いなく自爆したはずのゴミ虫のはず。原因を探すも、思い当たる可能性はひとつしかない。ああ、もしや不死身なのか。
「何か言いたそうだけど、死んでも旭ちゃんには触れさせない」
レーザー砲が腹部につきあがり、今度こそその額を狙う。塵と消え、四肢からは力が抜ける。足が後ろに下がりたたらを踏むが、指先で大地を踏みしめた。なぜ死なないのか。疑問だろう。不快だろう。何度も死に、何度も生き返ることこそが阿佐尾掬が得たギフト。演算処理を繰り返して髪の色は抜け落ち、肉体の再生を素早く行うために成長は幼いまま止まった。己のすべてを対価として太陽を守り続ける。太陽が息絶えない限り、何度でも蘇る。故に。覚醒した少女に与えられた名は――。
「死なずの落命者。それが私の名前」
「KYARIRIRIIIIIIIII!!」
憤慨し、浮遊ユニットが組み合わさる。死なないと知った後の行動は一つだけ。直接魂を奪いに行く。刹那に接敵。なすすべもなく地面に倒され、腕が振り上げられた。
死を覚悟したかのように穏やかに笑う。覚悟を決めた一番おいしくない味。
「さよならだね――」
そして、体に穴が空いた。
「うん。さよならだね、掬ちゃん」
朝焼けの瞳の少女の腕が突き抜いていた。手の中には、エンスのコアがある。熟れた果実は跡形もなく粉砕され、制御システムを失った機械は内側から膨張を始める。腕を引き抜き、脇腹を蹴り上げた。衝撃で生まれた丸い足先の跡は、すぐに膨張の波に巻き込まれ、見えなくなる。
「これでおしまい、でいいのかな?」
視界を外さぬまま問いかけた。放心したような状態で見上げているだけで、反応は返ってこない。
「ちょお、掬ちゃん? 聞いてます?」
「……あ、うん! 聞いてる!!」
暁紅をうけて黄金に輝く髪。金色を統べる自分の愛しの人。初めてこの光景を見たときは、あまりの美しさに放心してしまった。果実を口にしたときに一度だけ見える未来は、今日、この日のためにあったのだと気づく。鼓動が跳ね上がり、顔に熱が集まっていた。自分を守るように立つその姿をいつまでも眺めていたいと思うほどに、二度目の初恋に落ちるのだ。
「間に合ってよかったよ。掬ちゃん、最悪見捨てていいよなんて言うんだもの」
わざとらしいため息をつき、一呼吸おいてジト目を向ける。
「聞いてたの……?」
「他は覚えていないんだよね。そこだけはっきりと聞こえていて。あと、掬ちゃんが戦ってるところが見えてた。未来視っていうか……。もしかして掬ちゃんも覚醒の時に見た?」
視線を前に戻しながら言葉を紡いでいる。興奮が掬の心臓に広がった。覚醒による未来視はその先の人生の重要なターニングポイントになる。自分のための激情が、これから先のすべてを上回ったのだから。
「ああ、もう……ほんとすき」
「唐突なのろけ! うれしいけど恥ずかしいよ。ところで、もう警戒といてもだいじょぶそ?」
顔を覆ってうつむく。朱に染まった肌は隠せそうもなかった。
「おそらく襲ってくることはないけれど警戒しておいて。ここから進化する変異型もいるから」
「ああ、最後のあがきって、や、つ…………?」
愛しい人の視線の先を見ると、周りの機械を取り込み肥大を続ける姿が見えた。近くにあるものを手当たり次第に飲み込んでいるのか、スクラップとなって融合していく。
「ごめん。旭ちゃん」
「なあに、掬ちゃん」
体力はほとんど使い切りまともな戦いができない偵察要員と、覚醒したばかりで戦い方を知らないひよっこ。勝てる見込みはゼロ。
「死んだかも」
そうしてゆるりと手をつなぎ、どちらからともなく口づけた。ここまで頑張ったし、死んでも仕方ないか。目の前で災害のような進化を遂げようとしているのに、逃げる気も立ち向かうつもりもない。自分たちの世界を作る二人を咎めるように、金色の彗星が直撃した。大剣の下はひしゃげ、エンスの活動は完全に停止する。
「おふたりさーーーーーーん!?!? なんで逃げようともしないんですか助け呼んだよねえ!!!」
女性の大声が響き渡った。
「古宵、おねえちゃん……?」
「お姉ちゃん?」
上空に影がかかり、何人かの人間が下りてくる。
「おいこら掬!! いちゃいちゃしてる暇があったら大声で助けでも呼びやがれ!」
「まあまあ、むすびちゃんだってがんばったのよぉ? 貴方だって見ていたじゃない」
巨大なヘリコプターが、少し離れたところに着陸した。状況のわからない二人に、大男が声をかける。
「あなたが旭ちゃんね。もう大丈夫よ安心していいわ。大剣の怪力バカが古宵。瞬間湯沸かし器の知識バカが万葉。あたしは澄明」
がっしりとした体躯なのに、しゃべり方は女性。
「これが噂のジェンダーレス?」
「多分何かが違うよ」
巨大なはてなマークを浮かべつつ助かった事実を受け入れると、その場に崩れ落ちた。引っ張られて掬も倒れ、二人で顔を見合わせる。
「お姉ちゃんたくさん居ていいねぇ」
「うざいけど頼りになるよ」
えへへと口に出して笑っているが、その様子をよく思わないものが一人いた。
「ちょっとお! 仲いいのはいいことだけど、さっき二人でキスしていたの、おねえちゃん見逃してないんだけど!!」
大股で近くまで歩み寄ると、背負っていた大剣を軽々しく突き刺した。口をへの字に曲げ、ひたすらに二人の手を見つめる。恋人つなぎを今にも切り離そうとしているが、だれも止める気配はない。古宵の顔をちらりと見上げると、つなぐ指を絡ませた。
「古宵お姉ちゃん。この子は旭ちゃんといって、私の太陽です。前に言ったように私の初恋の相手です」
「初めまして暮泉旭です。妹さんをください。絶対幸せにするので」
太陽という言葉にぐぅっとうなり声を出すと、大剣を光の粒子へと変換した。勢いよく振り返り、眼鏡をかけた女性に抱き着く。
「おわっ! なんだよ抱き着くなよ!!」
「ついに、ついにお嫁さんを連れてきた……話には聞いてたけど、こんなにはやいなんてぇ! しかもめっちゃ良い子そうじゃん……」
「えっと、あの、私のこと、なんて話してたの掬ちゃん」
泣きわめく妙齢の女性から目をそらし、隣に座る妹に尋ねる。答えは出さずに立ち上がり、姉妹の背中を押した。
「詳しいことは中で話そう。時間はたっぷりあるし、なにより一度家に帰らないとまずいでしょう?」
今日一番の笑顔に、周りも思わず笑みをこぼす。移動式簡易拠点にそろって足を向けた。すでに夜は明け、明かりが互いに降りかかるさまはたいそう美しい。おそらくこの世界には二度とこないだろう。それでも、きっと似たような世界をこうして回って看取っていく。
終末が来るたびに、二人は手を取り合ってハネムーンを旅するのだ。ほかの人には見えないように、瞳を合わせる。
「旭ちゃん、おはよう」
二度と手にできないと思っていた日常はあっけなく返され、月曜日には何事もなかったように学校へ通っている。旭の親には政府からと称して万葉が説明をしていて、お咎めはなし。損したことは食されなかったアイスの代金だけになる。旧校舎は取り壊されることが決定し、すでに立ち入りは禁止され来週にでも工事が始まるとのこと。そして平行世界は黄金の果実が見つかったことから探索隊を編成することが決定され、メンバーには古宵の名前が挙がっていた。
「おはよ、掬ちゃん」
学校に来た旭は友人へのあいさつもそこそこに掬のもとへと向かった。互いの首にはそろいの指輪がチェーンにかけてある。ばれないように、制服の下で。未来を見た日から掬が用意していたものだ。幾人かが様子の違う二人を伺うなか、前の席の椅子を無断で借りると、顔を近づける。内緒話という憧れのシチュエーションに掬の心は浮足立っていた。
「ね、雑誌もらってきたから、おそろいの指輪いっしょに選ぼう? 用意してくれたものもうれしいけど、いっぱい考えるのも悪くないかなって……」
ダメ? と首をかしげる恋人に、感極まって抱き着く。
「旭ちゃん大好き!! 結婚しよう!!」
数日後、全校集会の最後に本物の指輪を持ってきて告白する幸せカップルの二人である。
了
あとがき
読了感謝でした。こちらは個人同人誌企画「百合×終末世界」として制作した書き下ろし小説です。この後は古宵と澄明が戦ったり、ロストした世界に強烈な覚醒反応があったり、会話できるエンスが現れたり、黄金計画と白銀計画の謎が解明されたりエンスの正体が分かったりします。終末世界が好きな人に届くといいなあと思います。