月夜に囁く
思いつきで勢いで書いてみた短編です。
月明かりの差し込む公爵邸。
高級な素材を惜しみなく使った広い部屋の片隅にはなぜか格子のついた檻がある。
しかもその檻の中には一組の男女が両手両足をしばられ、猿轡をかまされて横たわっていた。少し前まで呻き声をあげていたが、体力が尽きたようだ。
男女は2人とも学園の制服を着ている。その制服は汚れ、あちこち裂けている。見える肌には鞭で打たれた跡が点々とついている。
「まったく陛下と王妃にも困ったものですわ。私に処分を丸投げなど」
「お嬢様のお好きになさって良いかと。対外的には元王子とこの平民女性は本日より駆け落ちしたことになっておりますから」
檻の前で言葉を交わす2人の男女。
少女と大人の女性の丁度狭間にいるような風貌の少女は扇子でぱしぱしと軽く格子を叩く。淡い金髪のストレートの髪は腰まで届き、見開いていれば宝石かと思うような碧の瞳は今は伏せられている。月明かりの下で白い肌は幻想的に美しく輝き、彼女の細い手足と腰を強調する。薄い唇は男の言葉によって少しだけ弧を描いた。
「あなたならどうする? オスカー」
オスカーと呼ばれた執事服に身を包んだ男は全く表情を変えずに口を開いた。
しかし、彼の黒い手袋に包まれた手は固く握りこまれている。彼の怒りの程度が分かるだろう。
「お嬢様。元王子はその平民女性に学園で出会ってから真実の愛とやらに現を抜かし、責務を放棄し、平民女性と一緒になってお嬢様をないがしろにし、バカにしただけでなく、来週の学園の卒業パーティーでお嬢様に冤罪を着せて国外追放を画策しておりました。民の税金を多く使ってそこの平民女性に数多の贈り物をしていたことも分かっています。
そしてとても腹立たしいのは、お嬢様にご自分のやるべき公務を押し付け、自分は遊んでいたことです。お嬢様の長年の努力を馬鹿にし、自分の不出来を他人のせいにするなど……。楽に死なせるわけにはいきません。お嬢様、一言命じていただければ、有能な部下たちが上手くこれらを処理しましょう。陛下と王妃もこの2人は好きにして良いとおっしゃっているのですから」
手で目にかかった黒髪をオスカーは鬱陶げに払う。彼は端正な顔を少し歪め、青い瞳にはさきほどまで見えなかった怒りの感情が時折見え隠れしている。喋っているうちに興奮してきたようだ。
檻の中に横たわるのは元王子だ。既に王子ではない。
学園内での所業に王家は頭を悩ませていたが、卒業パーティーでの計画が事前に露見したことにより、先に手を打ったのだ。幸い、王子はまだ下に2人いる。正式に立太子もしていなかったのが良かった。ただ、この元王子は自分は王になると常日頃から好き勝手していたのだが。
「そうね……。婚約してから5年。長かったわね……」
「お嬢様、厳しい王家の教育にもよく耐えていらっしゃいました」
「私とこの人との婚約は破棄かしら?」
「白紙になるよう旦那様が交渉されました。この元王子の評判は学園に入ってから底辺を這っておりましたから。それに比べお嬢様の評判はうなぎのぼり。お嬢様が気にすることはございません」
「そうね。でも、このようなことがあると、好きでもない相手でも少しは堪えるものね……」
「お嬢様……」
オスカーは労わるように少女の手をそっと取る。
「そうね……女性の方は他国にとばすのがいいかもしれないわ」
「かしこまりました。他国の娼館に売り払うか、奴隷にでもしましょう」
「彼は……そうね……もう興味もないわ。私の目の届かないところに行ってほしいわ。そういえばこの方もよく、忠告する私に目障りだと言っておられたし。丁度いいわね」
「お嬢様……。では、こちらは炭鉱での強制労働に回しましょう。罪人が行くところです」
「えぇ。わかったわ」
「すぐに手配します」
「明日から私はどうなるのかしら?」
「いつも通りです、お嬢様。邪魔者がいなくなっただけの学園生活が戻ります。もうすぐ卒業ですし、休まれても良いのでは?」
「それもいいわね。学園に行ってわざわざ好奇の視線にさらされる必要もないわね」
「ただ、おそらく明日から元王子との婚約解消を知った家から婚約申込が舞い込むと思われます」
「そうなの? 王子に捨てられた令嬢なのに?」
「お嬢様。あの王子に捨てられたからと言って気に病むことはありません。良識のある貴族たちはきっと胸をなでおろしています。公爵家に取り入りたい者も、お嬢様の夫の座におさまりたいものも掃いて捨てるほどおります」
「そうかしら? じゃあお見合いでもするのかしらね。お父様もすすめてきそうだし。お母さまも色々と伝手を使って新しい婚約者を用意しそうだわ」
「お嬢様はそれをお望みで?」
「いつかはどこかの家の方と結婚しなければならないわ。早いか遅いかだけよ」
「さようでございますか」
オスカーは少女の手から腰に腕を回して距離を詰める。少女の持っていた扇子がぱさりと落ちた。その音はやけに大きく響いた。
「オスカー? どうしたの?」
「お嬢様。私はいかがですか?」
「え?」
少女の碧の瞳が驚きに少し見開かれる。オスカーは少女の頬にそっと手を当てようとして黒い手袋を視界に入れると、邪魔だと言わんばかりにその指先を歯で噛んで外し地面に落とす。
「あなたの手はもっと冷たいと思っていたわ。温かいなんて意外ね」
返答をせずに素手で少女の頬にオスカーは触れる。頬から顎をつたって親指で薄い、赤く色づいた唇をなぞる。
「お嬢様……いえ、カメリア様……」
オスカーは熱に浮かされた様に少女の名を呼ぶと腰に回した手に力をこめる。2人の間にはもう物理的に距離がない。
オスカーはしばらく少女を抱きしめていたが、やがて腰に回した腕の力を弱めると、少女の顎に手をかける。
「オスカー?」
少女の問いかけにオスカーは切なげな色を瞳にのせる。
「……カメリア様……私はずっとあなたのことを……あんな王子に渡すくらいならと何度思ったことか……」
「ん……」
オスカーは少女の唇に口付けを落とす。少女が抵抗しないのをいいことに角度を変えて何度も何度も味わうと、次はむきだしの白い首に移動する。
「お、オスカー……待って……あ……ん……」
オスカーは熱い息を吐くと、少女を壁に押し付ける。
「ずっと……カメリア様をお慕いしておりました……」
「オスカー……」
「奥様に根回しも済んでおります。あとは旦那様を黙らせるだけです」
「え……? あ……ま、待って……」
オスカーは少女の胸元に今度は口づけを落とす。
「私のものになってくださいませんか?」
「うぅ……こんなところでムードがない……」
「何度でもやり直しますよ。カメリア様がお望みなら。朝でも夜でもあなたにだけ私の愛を」
オスカーは少女の髪を掬うと口付けた。
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