処刑されたと思ったら神の使徒になってました
それは、ある日突然訪れた。
自室で休んでいたレティシアの部屋に、断りもなく入り込んでくる完全武装の騎士達。
メイド達の制止の声も意に介さず、その先頭に立つ男……この国の騎士団長は、レティシアの前に立つと、重々しい声音で告げた。あまりにも荒唐無稽で、突拍子もないことを。
「レティシア・オズワルド第一王女殿下……貴女を、国家反逆罪の疑いで拘束します」
それからは、あっという間だった。
レティシアは玉座の間に被疑者……というより完全に罪人として引き出され、彼女の部屋から発見されたという隣国と交わした密書や、その隣国でのみ手に入るという毒薬とやらが次々と提示された。なんでも、レティシアは隣国と密通して王位の簒奪を目論んでいたことになっているらしい。
そして、碌に反論の機会も与えられずに、実の父親である国王から一方的に死刑を宣告され、牢に閉じ込められてしまったのだ。
そしてその夜、牢獄にいるレティシアを、国王たる父親が訪ねてきた。
国王は警護に就いていた騎士達を下がらせると、鉄格子越しに足枷を付けられた娘を冷たい目で見遣った。その国王を、レティシアもまた、それ以上に冷え切った目で見返した。
今回の一件はレティシアにとっても全く予期せざる事態だったはずだが、流石は王国一の才女と称されるだけのことはあるということか。レティシアはわずか数時間で完全に落ち着きを取り戻したらしく、その表情には一片の動揺も怒りもなかった。
そんな娘を、国王はますます不快気な目で睨む。その目には実の娘に対する愛情など一欠けらすら存在せず、ただドロドロとした敵意だけが満ちていた。
その目を前にしても、レティシアは一切動揺を見せなかった。
ただ、その表情に更なる冷気を纏わせつつ、静かに口を開いた。
「ずいぶんと、強引な手を使ったものですね」
「……」
冤罪で実の娘を死に追いやろうとしている父に対して、レティシアが言ったのは恨み言でも疑問でもなく、ただの冷静な評価だった。
それに対し、国王は黙して答えない。
しかし、レティシアは気にした様子もなく続けた。
「こんな手を使わずとも、一言命ずればいつでも王位継承権など返上しましたものを」
レティシアは全てを察していた。
今回の一件は、異母妹である第二王女を次の王位に就けようと考えた、国王と王妃の策略だと。
この国で現在王位継承権を持つのは、レティシアとその異母妹であるルーテシアだけ。レティシアが何らかの事情で王位を継ぐことが出来なくなれば、その座は自然とルーテシアに転がり込むという訳だ。
「こんな強引な手を使っては、徒に王家の権威を損なうだけですよ?」
口ではそう言いつつ、レティシア自身、そう話は簡単ではないと自覚していた。
なぜなら、王国一の才女と言われ、理想の姫などとも称されるレティシアは、民衆に非常に人気があるからだ。市井には、彼女が王となれば、王国はますます栄えるだろうと期待する者も多い。
そんな自分を、良くも悪くも平凡な現国王が疎ましく思っていることに、聡いレティシアは気付いていた。
そして、自分をやたらと敵視する王妃共々、溺愛する異母妹を王位に就けたいと考えていることも。
だが、その異母妹はまだ4歳なのだ。王としての資質があるかどうかなど、現時点では判断がつかない。
それに加えて、今年で16歳になる第一王女の優秀さもあり、世間では次期国王はレティシアで当確だと見なされていた。もはやこの流れを止めることは、本人にすら難しい。事実、今回こんなことが起こらなければ、2カ月後に控えたレティシア16歳の誕生日に、レティシアは婚約者と結婚し、同時に次期国王として指名されることになっていたのだ。
まあそういった事情を勘案しても、レティシアの、あまりにも短絡的だという評価は覆らないのだが。
なにせ、黙っていてもレティシアは王位を継げたのだ。
その時期を数年、あるいは十数年早めるためだけに、あんなに危ない橋を渡るなんて馬鹿げている。
事情を知れば、誰だって違和感を覚えるはずだ。そのくらい、国王のやり方は乱暴で杜撰だった。
しかし、国王がそのことについて何かを口にすることはなかった。
「……何か、最後に望むことはあるか」
国王のその一言に、レティシアは心底意外そうに片眉を上げた。
よもや、この父親が自分に情けを掛けることがあるとは思っていなかったのだ。
思わず、「まさか、最後の願いを聞く振りをしておいて、約束を反故にすることで絶望させるつもりか?」などという邪推までしてしまう。それほどまでに、レティシアはこの父親の愛情というものを信じていなかったのだ。
その真意を見抜こうとじっと国王の目を見詰めるが、いくら聡いと言っても、レティシアはまだ15歳の少女。国王の真意を見抜くには、まだ経験が足りなかった。
「ふぅ……では、2つほど」
早々に無言の駆け引きを切り上げ、レティシアは願いを口にした。
「まず1つ、処刑の前にルージット様との面会を許してください」
ルージットとは、レティシアの婚約者のことだ。侯爵家の次男であり、レティシアに負けず劣らず優秀であった彼は、レティシアにとって最も大切な人間の1人だった。
燃えるような恋愛感情こそなかったが、彼となら互いに理解し合い、支え合っていけると思っていた。事実、そう何度も約束をしていた。「王国をより良い国にするために、共に手を取り合って生きていこう」と。
その約束を果たせなかったことを、死ぬ前に詫びなければならない。レティシアはそう思った。
「そしてもう1つ……わたくしの処刑は、ソイスの丘で行ってください」
ソイスの丘。
それは、春になると様々な花が美しく咲き誇る、王国でも有名な観光地であり……レティシアにとっては、亡き母との思い出の地でもあった。
レティシアが8歳の時に病で亡くなるまでは、母娘で毎年必ず訪れ、花を愛でていた。
その母との思い出の地で死ぬこと。それが、レティシアの本当の最後の願いだった。
「この2つの願いを聞き届けてくださるなら……わたくしは甘んじて、売国奴の汚名を受け入れましょう」
暗に、聞き届けないなら徹底的に足掻くということを匂わせておく。
それが、今のレティシアに出来る精一杯の脅しだった。
「……よかろう」
そう言うと、国王はレティシアに背を向け、振り返ることなく立ち去った。入れ替わるように、すぐに騎士達が戻って来る。
彼らも今回の一件に関しては思うところがあるのか、鉄格子を背に立ちながらも、チラチラと背後に視線を飛ばしている。
しかし、その視線の先にいるレティシアは、目を伏せ、黙したまま、一切の感情を見せないのだった。
* * * * * * *
翌日、騎士によってルージットの来訪を告げられたレティシアは、喜びと意外感とを半分ずつ感じていた。
一応脅しを掛けておいたものの、あの父が約束を守るかどうかは正直五分……いや、七割方破られると思っていたからだ。だからこそ、レティシアは期待していなかった分、ルージットが訪ねてきたことを喜んだ。
しかし、その喜びはすぐに消え去った。
「レティシア……」
「ルージット、様?」
鉄格子の前に立ったルージットの顔を見て、レティシアは戸惑う。
なぜなら、婚約者の顔に浮かんでいた表情が、予想と違ったから。
その顔には、たしかに悲しみが浮かんでいた。しかし、それ以上に大きな失望と怒りが浮かんでいたのだ。その感情の矛先は、目の前の婚約者。
「どうして、あんなことを……ずっと、ずっと僕を騙していたのか!?」
「……」
その絞り出すような叫びに、さしものレティシアも呆然とする。
まさか……まさか、自分の一番の理解者であると思っていた婚約者が、あんな出鱈目な罪状を鵜呑みにしているとは思わなかった。むしろ聡明なルージットのこと、国王の陰謀など全て見抜いた上で、「一緒に無実の罪を晴らそう」くらいのことは言ってくれるものだと思っていたのだ。
しかし現実には、ルージットは本当にレティシアが罪を犯したと思い込んでおり、牢獄の中の婚約者を糾弾している。
「なんで……何も言わないんだ。信じていたのに……一緒に、この国をもっと良くしようって……あの約束は、嘘だったのか!?」
「……」
レティシアは、答えない。いや、答えられない。
ここで無実を訴え、身の潔白を主張したところでどうなるのか。
仮にルージットを納得させることが出来たとして、それで得られるのは自己満足だけ。
王の言うことは絶対だ。王が黒と言えば、白いものも黒くなる。それに真っ向から反抗し、万が一勝利してしまえば、それは王家の権威の失墜を招き、貴族同士の権力闘争を激化させる。
その結果、国が荒れることは不可避。そうしてそうなった時、真っ先に苦しむのは何の罪もない民だ。
それが分かっているからこそ、レティシアは何も言えない。
自分の命よりも、より多くの民の生活を守りたいと願うからこそ、レティシアは無実を訴えることが出来ないのだ。
でも……でも、だからこそ。
ルージットにだけは、何も言わずとも分かってもらいたかったのに。
ルージットはなおも、見当違いな失望を、的外れな義憤を、レティシアにぶつけ続けた。
その口から言葉が放たれる度に、それを向けられている少女の顔から感情が抜け落ちていくのにも気付かず。
やがて、何を言っても無駄だと悟ったのか、ルージットはギリギリと歯を食い縛りながら鉄格子を殴りつけると、憤懣やる方ないといった様子でレティシアに背を向けた。
その背に、ついにレティシアが口を開く。
「わたくしの処刑……」
「?」
肩越しに振り返ったルージットに、レティシアは仄かな笑みを湛えて言った。
「ソイスの丘で行われることになりましたの。他の方々にもそう伝えて頂けるかしら?」
その、感情の乗らない歪な笑みに、ルージットの全身が総毛立った。
口の中でもごもごと何か返答すると、慌ただしく外へ出て行く。
その背を見送り、レティシアは小さく溜息を吐いた。
(あんな杜撰な陰謀を見抜けないとは……秀才とはいえ、王配としては存外不適格だったのかしら? わたくしも人を見る目がないわね)
そして、いつものように平静に、冷徹な評価を下す。
その頬を伝う一筋の雫と、刺すような胸の痛みには気付かないフリをして。
* * * * * * *
そして、数日後。
レティシアは処刑場となるソイスの丘に向けて、王都から馬車に揺られていた。
そして、ついに目的地に着いたところで、レティシアは安堵の息を吐いた。
一応、国王には脅しを掛けてはいたし、ルージットを通して「処刑はソイスの丘で行われる」という情報を事前に流してもらうことで、保険も掛けておいた。
しかし、実際に現地に着き、そこに設置されている急造の処刑台を眼にするまで、レティシアは安心していなかった。
(いざとなったら、処刑されるよりも先に自害しようと思っていたのだけれど……その必要はなさそうね)
手枷で拘束されている右手に、チラリと視線を落とす。
緩く握られているその拳の中には、食器を割って作った即席のナイフがあった。
もし国王が約束を反故にして処刑場を変えたら、国王への思い付く限りの呪詛を叫びながらこのナイフで首を掻っ切ってやろうと思っていたのだ。
しかし、どうやらその必要はなさそうだった。
(ああ、この光景……懐かしい)
騎士に引かれ、巨大な斧を持った処刑人が待つ処刑台へと素足で歩みを進めながら、レティシアは周囲に視線を巡らせた。
その目には、街道の両脇に並ぶ民衆は映っていない。
民衆もまた、大罪人であるはずのレティシアが浮かべる透き通った笑みに、一様に言葉を失ってしまっていた。
それは、いっそ異様な光景だった。
本来罪人に野次を飛ばし、石を投げつけるはずの民衆は、誰もが口を開くことすら憚られるというように沈黙し。
本来顔を伏せ、周囲から向けられる敵意にただただ耐え続けるはずの罪人が、まるで聖女のような笑みを湛えながらその間を悠然と歩いて行く。
街道の両脇に居並ぶ民衆は、詳しいことは何も知らない。
ただ、国家転覆を企てた大罪人が、この地で裁かれるということしか知らされていない。
しかし、誰もが何かがおかしいことに気付いていた。そして、誰もが同じ疑問を胸に抱いていた。
この清廉で美しい少女は、本当に裁かれるべき罪人なのか? と。
実のところ、民衆の中には処刑において毎回率先して罪人を糾弾する、いわば“サクラ”が仕込まれていた。
彼らが真っ先に罪人をなじり、石を投げることで、あとに続く民衆の罪悪感を薄れさせるのだ。
しかし、それなりに場数を踏んで来た彼らをして、今はレティシアに一切の悪意を向けることが出来なかった。
周囲の異様な空気が、彼らに直感させたのだ。
今レティシアに暴言を吐き、石を投げれば、周囲の民衆の敵意はレティシアではなく自分に向けられると。
そう直感してしまったからこそ、彼らは動けない。
額から汗を流し、全身を震わせながらも、悠然と自分の前を通過するレティシアを見送ることしか出来ない。
やがて、レティシアは丘の頂上に作られた処刑台へと辿り着いた。
前代未聞。その身に一切の傷を負わず、その白無垢に一切の汚れを付けず、偽りの罪人は処刑台に上がった。
(ああ、やっぱりここからなら良く見える……。最後に来たのはお母様が亡くなった前の年だから……9年ぶりになるのかしら? 本当に、変わらないわね……)
役人がレティシアの罪状を読み上げている中、当のレティシアは気にした様子もなく、愛おしそうに眼下の光景を眺めていた。
最愛の母と共に過ごした、思い出の地の光景を。
(出来れば、晴れた日に見たかったのだけど……それは贅沢というものかしら)
快晴の空の下であれば、花々はより生き生きとした姿を見せてくれただろうに。
空は厚い黒雲に覆われ、風はだんだんと強く、雨の気配を孕んで来ている。きっと1時間もしない内に、嵐となるだろう。
(そう言えば……この方達は大丈夫なのかしら? わたくしの処刑などを見に来て、嵐に見舞われなければよいのだけど)
ふと、処刑台の下に集まってきた民衆に視線を落とす。
その純粋な気遣いだけが込められた視線に、群衆がざわつく。
その空気の変化を感じ取った処刑人が、慌てて左右の部下に指示を出した。
指示を受けた部下が、左右からレティシアを押さえつけた。
処刑台の上に跪かせ、首を前に差し出させる。
民衆がざわつく中、レティシアは数秒後に訪れる死を予感して──
(わたくしの血が、花を汚さなければよいのだけど)
ぼんやりと、そんなことを考え……次の瞬間、斧が振り下ろされた。
…………………………
……………………
………………
……そして、レティシア・オズワルドは死んだ。
父と継母の陰謀により、わずか15歳でその人生に幕を下ろした……はずだった。
* * * * * * *
「あら?」
気付くと、レティシアは見慣れない白い広間にいた。
床も、天井も、それを支える柱も全てが白い。
そして、そんな白一色の広間の奥に、立派な髭を蓄えた老人が座っていた。
レティシアが意識を取り戻したことに気付くと、老人は重々しく口を開く。
「我への生贄として、その命を散らした罪無き人の子よ……」
「?」
老人の言葉に、レティシアは思わず首を傾げるが……老人は気付いた様子もなく、威厳たっぷりに言葉を続ける。
「その生涯を哀れみ、この嵐の神、ルドレアスが──」
「あの、失礼ですが……」
「汝に、我が使徒として新たな生涯を──」
「あの、少しよろしいでしょうか?」
「与え……なんじゃい?」
口上を遮られたのが不満なのか、老人──ルドレアスが、不機嫌そうにレティシアを見遣った。
その姿には先程までの威厳はなく、どう見てもただの不貞腐れた偏屈じいさんといった様子だった。
しかしレティシアはそんなことは気にせず、しっかりと非礼を詫びてから端的に疑問をぶつけた。
「あの、生贄ってなんのことでしょうか?」
「……なに?」
完全に予想外の言葉だったのか、ルドレアスはポカンとした表情で首を傾げる。
それを見て、レティシアも反対側に首を傾げる。
「……おぬし、わしに捧げられた人柱じゃろ?」
「……いいえ?」
ルドレアスの額に、つうっと一筋の汗が流れる。
レティシアの目が、すうっと細くなる。
「……いや、嵐を前にして、わしの聖地で大勢の人間がおぬしを死に追いやっていたではないか」
「聖地、というのはよく分かりませんが……それ、処刑です」
「……きっちり、祭壇も組まれておったではないか?」
「……それ、処刑台です……」
ルドレアスの顔を、だらだらと汗が伝い落ちる。
レティシアの目から、どんどん熱が失われていく。
そして次の瞬間、ルドレアスが色々なものをかなぐり捨ててガバッと頭を下げた。
「すまぬ!! わしの勘違いじゃった!!」
「……」
その潔い謝罪に、レティシアもふっと息を吐く。
そして、改めて現状の説明をお願いした。
「それで、ルドレアス、様? これはどういった状況なのでしょう? 先程、使徒などとおっしゃっておられましたが……」
「ああ、うむ……その、だな」
頭を上げると、どうしたものかと顎を撫でる。
どうやら、こちらが彼の素らしい。
「まず、わしのことは知っておろうな?」
「……いえ、浅学なもので……存じ上げません」
「なん、じゃと……!?」
愕然とした表情で、後ろによろめくルドレアス。
そんな顔をされるとレティシアも申し訳なくなってくるが、知らないものは知らないのだから仕方ない。
「ルドレアスじゃぞ!? 太陽神ソロイアスの弟にして最大のライバルの!!」
「え、ソロイアス様の……? ソロイアス様って、ご兄弟がいらっしゃったのですか?」
「バ、カな……」
そして、悄然と俯いてしまう。
どうやら自分の知名度が下がっていることがよほどショックだったらしい。
それからしばらくして、ようやく立ち直ったルドレアスは、レティシアへの説明を再開した。
「つまりのぉ、おぬしが死んだあの丘は、わしにとっての聖地での。嵐の前に、大勢の人間が無垢な乙女を死に追いやっておるから、てっきりわしは、またバカな人間共がわしへの生贄を捧げようとしておるもんだと勘違いしてしまったのよ」
……若干、投げやり気味な感は否めなかったが。
「馬鹿な人間……ということは、生贄に神への供物としての価値はない、ということですか?」
「ないの。そもそも、わしらは下界に顕現するか、使徒を介しでもしない限り下界に大きな力は及ぼせんのよ。じゃから、嵐が来たからといってすぐに『神の怒りだ』などと言うのは全くの見当違いよ」
「使徒……」
神の使徒というものは、レティシアも知っていた。
実際、現在確認されているだけでも、3人の使徒が今も人間界で活動しているのだから当然だ。
その誰もが、神威の代行者として各地で信仰を集めているが……一番有名なのは、先程名前が出た太陽神ソロイアスの使徒だろう。
“陽光の断罪者”“絶対正義の使徒”などとも称される彼は、世界中を飛び回り、全ての悪に裁きをもたらす人類の裁定者として知られている。
よもや、自分がそんな超常の存在の仲間入りをしてしまうとは、レティシアも予想の範囲外だったが……。
改めて自分の体を見下ろすと、いつの間に着替えたのか、自分が白く簡素な囚人服ではなく、黒紫色の神秘的な衣装に身を包んでいることが分かった。
見ようによっては神官服にもドレスにも見えるその服は、恐ろしく軽く滑らかな布で出来ており、まるで水を布状にしたかのような質感だった。それでいて、広間の外から差し込む光を受けて、キラキラと夜空に浮かぶ星のような輝きを放つ。
もうこれだけで、元第一王女であるレティシアは、この服が王国のどんな服よりも上質なものであることを確信した。
それに、そんな衣装より何より……
「……」
自分の背後を肩越しに見る。
そこに見える、黒紫色の一対の翼。
それは、紛れもなく自分の肩甲骨の下辺りから生えていた。
これ以上ないくらい明確な、神の使徒たる証。
「ふぅーー……」
目頭を押さえ、沈思すること数秒。
レティシアは持ち前の胆力で状況を呑み込むと、改めてルドレアスに視線を向けた。
「わたくしが、御身の使徒となったことは理解いたしました。それで、わたくしは何をすればよいのでしょう?」
「ん? 別に好きにすればよいぞ?」
「……え?」
てっきり何らかの使命を与えられるものだと思っていたレティシアは、完全に意表を突かれる。
しかし、ルドレアスは何でもないことのように淡々と続けた。
「元々わしが使徒を作るのは、何の意味もない儀式で命を散らした哀れな人柱を救うためじゃからな。下界に下りて暮らしたいというなら止めはせんし、大人しく輪廻の輪に還りたいというならそうしてやるぞ?」
「……よろしいのですか? わたくしは生贄ではなく、罪人なのですが……」
「どうせ冤罪じゃろ? おぬしの魂に穢れは見えんしな。そもそも、おぬしがそんな綺麗な魂をしておるからわしも勘違いしたんじゃぞ?」
「……」
「ま、しばらくはここで使徒としての力の使い方を学ぶとよい。下界に下りるにせよ、ここでわしに仕えるにせよ、力が使えねば話にならんからのぉ」
「……ありがとう、ございます」
何気なく告げられた、神からの無罪の証明。
それに、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、レティシアは深く頭を下げた。
* * * * * * *
それから十数日間。
レティシアはルドレアスの元で使徒としての修業を積みつつ、ルドレアスに色々なことを聞いた。
代表的なものをいくつか挙げると……
Q.神って普段何をしているの?
A.基本何も。
Q.ここはどこ?
A.神界にあるわしの神殿。
Q.他に使徒はいないの?
A.600年位前に最後の1人を輪廻の輪に還してからいない。
Q.その600年間、下界に何も干渉しなかったの?
A.うん。
Q.……だから忘れられたんじゃね?
A.……。
そんなこんなで、神に対する幻想を色々とぶち壊されつつ、なんだかんだで神界での生活にも慣れた頃、レティシアはルドレアスに呼び出された。
「お呼びですか? ルドレアス様」
「来たか。いや、少し厄介なことになっておるようじゃぞ?」
レティシアが広間に着くと、ルドレアスは大きな水盆を覗き込んでいた。
招かれるまま、レティシアはその水盆に目を落とし……そこに映っていた光景に、息を呑んだ。
そこに映っていたのは、すごく見覚えのある玉座の間。
しかし、今その玉座は空席だった。
その代わり、その玉座を背にして1人の男が立っており、居並ぶ国王以下オズワルド王国の重鎮一同を見下ろしていた。
普通なら、絶対にありえない光景だ。玉座の間の主である国王を差し置いて、他の誰かが国王よりも上座に立つなど。
だが、その男はそんなありえない光景を実現させることが出来る存在だった。
王国貴族を高みから睥睨する男の背に生える……純白の翼。
この男こそ、“絶対正義の使徒”と称される、太陽神ソロイアスの使徒。名をハーディーンという。
「なぜ……王宮に、ハーディーン様が……」
思わず呆然と呟いてから、すぐに答えに気付いた。
なぜ? 決まっている。太陽神の使徒ハーディーンが現れるのは、罪を裁く時だ。
では、玉座の間で裁く罪とは? これも分かり切っている。玉座の間ということは、罪人はほぼ間違いなく王族。そして、その王族が最近犯した罪と言えば……1つしかない。
「……ルドレアス様」
「行くのか?」
「はい」
ルドレアスの静かな問い掛けに、力強く頷く。
ハーディーンは、あらゆる罪を白日の下に晒し、正義の名の下に断罪する。だがその際、断罪することによって生じる影響は一切考慮しない。
ここで国王と王妃の陰謀が暴かれ、その罪が裁かれたとして……その後はどうなる?
両親の罪を知らぬ幼いルーテシアは恐らく、断罪を逃れるだろう。
だが、両親である国王夫妻を失った唯一の王位継承者を、貴族達が優しく保護してくれるとは思えない。
間違いなく泥沼の争いが起き、無垢な王女はその中心で汚泥に塗れることになるだろう。
異母妹であるルーテシアが間接的な原因となって謀殺されたレティシアだが、実のところこの異母姉妹の関係は非常に良好だった。
10歳以上年が離れていることもあり、レティシアはルーテシアが赤ん坊の頃からとても可愛がっていたし、ルーテシアも優しい姉のことを一心に慕っていた。
だからこそ、無視は出来ない。
太陽神の使徒によって、幼い妹を権力闘争の渦に放り込ませる訳にはいかない。
何より、王国の平穏のために捧げた自身の人としての生を、無駄にさせる訳にはいかない。
「我が神よ……王国の平穏のため、太陽神の使徒と対峙することを、どうかお許しください」
その場に跪き、深々と頭を垂れるレティシアに、ルドレアスは愉快気に手を振った。
「気にするでない。言うたじゃろうが。わしにとってソロイアスは、兄であると同時に最大のライバルじゃと。その兄の使徒と我が使徒が多少喧嘩しようと、わしは気にせんよ。なに、いつの間にか知名度では随分差を付けられてしまったようじゃが、神としての力はそう負けはせん。むしろ、思いっ切りぶちのめしてやるくらいのつもりで行ってくるがいい」
「ふふっ、畏まりました。では、行って参ります」
「うむ。……ああそうじゃ、最後に1つだけ言っておく」
「なんでしょう?」
そこで、ルドレアスはふと真剣な表情になった。
そして、レティシアと初めて出会った時のように、神としての威厳を漂わせながら告げた。
「おぬしが下界で何をしようと、わしは基本的に何も干渉せん。じゃが、もしおぬしの魂に一片でも穢れが生じた時は……」
視線の高さを合わせ、レティシアの目をぐっと見詰める。
その魂に、自らの言葉を刻み込むように。
「その時は、容赦なくおぬしの魂を輪廻の輪に戻す。それだけは覚えておくんじゃな」
「……はい。そのお言葉、この胸に刻んでおきます」
「うむ、では行け。上手くやるんじゃぞ」
「はい!」
* * * * * * *
オズワルド王国の玉座の間。
今そこには、未だかつてないほどに緊迫した空気が流れていた。
居並ぶ王国貴族。その誰もが、玉座の前に立つ1人の男に向かって片膝をつき、頭を垂れていた。
王妃と並んでその先頭にいる国王が、わずかに顔を上げて口を開く。
「ようこそいらっしゃいました。偉大なる太陽神の使徒、ハーディーン様。本来であれば、国を挙げて歓待させて頂くところでありますが……」
「お前が、この国の王か?」
国王の口上を遮り、男が問い掛けた。
純白の翼を持ち、後光を纏うその男は、元が人間であったことが信じられないほどに人間離れして整った容姿をしていた。その整った容姿といい、均整の取れた体躯といい、いっそのこと神が一から創り上げた造形物だと言われた方がよほど納得が出来てしまいそうなほどに美しい青年だ。
しかし、その顔には一切の感情が浮かんでおらず、その声もまた、恐ろしさすら感じるような無感情なものだった。
その声の無機質さにぞっとしながらも、国王は慌てて肯定する。
「はっ、私はこの国の王で……」
「よい、お前の名など興味はない。我が興味があるのは、先日処刑されたというお前の娘のことだ」
その言葉に、国王は額に汗を滲ませながら頭を下げた。
そして同時に、居並ぶ貴族の中で1人の若者が頭を上げた。
「話に割り込む無礼をお許しください! ハーディーン様、それはどういうことでしょうか? まさか、レティシアは……レティシアは、無実だったと!?」
それはレティシアの元婚約者である、ルージットだった。
ハーディーンは必死の形相で叫ぶ彼に無機質な目を向けると、心動かされた様子もなく端的に答えた。
「それを確かめるために、ここに来たのだ」
そして、一歩国王に近付くと、その純白の翼の背後に光輪を出現させた。
途端、国王の全身に凄まじいプレッシャーが襲い掛かった。その余波を受けた隣の王妃が、喘ぐように呼吸を乱す。
「国王よ、お前に問う。我が神、ソロイアスに誓って答えよ。お前は自らの娘、レティシア・オズワルドを無実の罪で処刑したか?」
「……っ! っ!!」
恐らく、黙秘することに意味はない。
ハーディーンは、間違いなく確信を持ってこの場にいる。
ハーディーンにとって罪人の自白は、自らの裁きが正当なものであることを周知させるための通過儀礼でしかないのだから。
だが、だからといって認める訳にもいかない。認めてしまえば、待っているのは我が身の破滅。
だからこそ、無駄だと分かりながらも国王は沈黙するしかない。
「答えよ」
「~~っ!!?」
ハーディーンが背後に浮かぶ光輪の輝きを強めると、国王の全身に更なるプレッシャーが降りかかった。それと同時に、ここで認めなければもっと恐ろしいことになるという謎の強迫観念が、凄まじい勢いで頭の中を浸食してくる。
「わ、わたし、は……」
「あなた……!」
その強迫観念に国王が抗えたのは、たったの数秒。
国王は、王妃の悲鳴染みた呼び声にも耳を貸さず、激しく全身を震わせながら口を開いた。
「私は、我が娘レティシアを……」
そして、ついに国王が罪を自白しようとした、その瞬間。
──お待ちください!!
どこからか、若い女性の制止の声が響いた。
その美しくも芯のある声に、その場にいた人間が一斉に顔を上げた。
それらの顔には、一様に驚愕と戸惑いが張り付いていた。
無理もない。この女性にしては少し低く、深みと張りのある声の持ち主を、彼らは2人しか知らなかったからだ。
1人は亡くなった前王妃。そして、もう1人は……
玉座に繋がる階段の前、ハーディーンと貴族達の中間にあたる壁際に、突如として紫電が走った。
窓は閉め切られているにもかかわらず、玉座の間の空気が対流し、宙を走る紫電に向かって渦巻き始める。
そして、紫電が目を灼くほどに激しく、風が踏ん張らなければ倒れてしまいそうなほどに強くなったところで、どちらも始まった時と同じ唐突さでパタリと収まった。
誰もが──ハーディーンだけは平然としていたが──目を瞬かせながら、紫電が走った場所に目を遣ると……そこには、いつの間にか黒紫色の翼に包まれた1つの人影が出現していた。
そして、その翼がゆるりと解かれ、中の人影が明らかになると……
────っ!!?!!
玉座の間に、激震が走った。
そこにいたのは、紛れもなく先日処刑されたはずの第一王女だったからだ。
見たことがない色の使徒服を着ているが、その亡き前王妃にそっくりの美貌は見間違えようがない。
しかし、レティシアはざわつく貴族達には目もくれず、真っ直ぐにハーディーンだけを見詰めると、美しい所作で一礼した。
「非礼を謝罪します。ハーディーン様。わたくしは嵐の神ルドレアスの使徒、レティシアと申します」
その名乗りに、貴族達がどよめき、国王が絶句し、王妃とルージットが立ち上がった。
しかし次の瞬間、彼らは1人残らず沈黙を余儀なくされた。
向かい合った2人の使徒の間で紫電と白光が爆ぜ、玉座の間を不可視の重圧が覆い尽くしたからだ。
そんな発言どころか呼吸すらままならなくなりそうな緊張感の中、ハーディーンがゆっくりと小首を傾げた。
「レティシア……では、お前が処刑されたという第一王女か?」
「はい、無実の罪で命を落としたわたくしをルドレアス様が哀れんでくださり、このように使徒として第二の生を得ることとなりました」
「ほう……我が使徒となってかれこれ400年となるが、ルドレアス神の使徒を見るのは初めてだな」
そう言って、興味深そうに目を細める。
ここに至って初めて感情らしい感情を見せたハーディーンだが、次の瞬間、その表情は冷徹な断罪者としての顔に戻っていた。
「それで、そのルドレアス神の使徒が何用だ? まさか、我が審判を邪魔立てしようなどとは言うまいな?」
「残念ながらそのまさか、ですね」
その瞬間、ハーディーンの目がすうっと細められ、光輪が輝きを増した。
押し寄せる重圧に貴族達が喉の奥で悲鳴を上げる中、レティシアは臆することなく足を踏み出すと、階段を上ってハーディーンと同じ位置まで上がった。
そして、その金色の瞳と真っ向から向き合う。
「貴方は、わたくしがどうして罪を被って死んだかお分かりになりますか?」
予想外の質問だったのか、ハーディーンは光輪の輝きを少し落ち着かせると、軽く眉根を寄せた。
「……さてな。死者の考えなど、我の知るところではない」
「左様ですか。それではお教えしましょう。わたくしが死を受け入れたのは、この国を混乱させないため。ひいてはこの国の民を守るためです」
まるで、玉座の間のガラス越しに見える王都を包み込むかのように腕を広げながら、レティシアはそう宣言した。
その気高い姿に、居並ぶ貴族の誰もが息を呑む。
「貴方がそこの国王夫妻を断罪したとして……その後、この国がどうなるかはお分かりになりますか?」
「知らぬ。我はただ、全ての悪を正義の名の下に裁くのみ。その機に乗じて悪行を働く者がいるならば、それらも等しく裁く」
「仮にそうしたとして、上に立つ者を失った民達はどうなると思いますか? それまでと変わらず、平穏な生活を送ることが叶うとお思いですか?」
「……全ての悪が滅びれば、自ずと平和は訪れる」
「……理解しました。それが、貴方の正義なのですね」
そこで一瞬瞑目すると、次の瞬間スッと射抜くように目を開き、レティシアはきっぱりと宣言した。
「そこまでしか想像が及ばないならば、ここは貴方が出張るところではありません」
そして、鋭く外を指差しながら、腹の底に響くような声で言い放つ。
「この国の行く末は、この国の人間が決めます。去りなさい!!」
その言葉に、誰もが絶句した。
人類の裁定者に向かって、「お願いだから見逃してください」でも、「私に免じて手を引いてください」でもなく、まさかの「関係ない奴は引っ込んでろ」宣言。
その宣言を受けたハーディーンもまた、ついにその顔にはっきりと驚きを浮かべた。
しかし、その表情は一瞬にして消え、次の瞬間これまでで最大の威圧感を全身から放出した。
その背後の光輪が、まるで全ての闇を消し去ろうとするかのように激しく輝く。
その絶大なプレッシャーに、さしものレティシアも軽く上半身をのけ反らせる。
だが、すぐにキッと視線を鋭くさせると、負けじとハーディーンを睨み返した。
その全身を紫電が這い回り、渦巻く風が長い金髪を激しくたなびかせる。
当人達は気付いていないことだが、この時、王都上空では常ならぬ輝きを放つ太陽と、それを覆い隠さんとする黒い雷雲が激しくせめぎ合っていた。
王都に住まう全ての住民が、まるで神話のような光景にざわめき、その中心となっている王宮に目を向けた。
そして、その超常現象の原因たる2人は、互いに無言のまま激しく神の力をぶつけ合っていた。
その2人を見守る貴族達が、重圧に耐えかねたように次々と床に這いつくばっていく。
そんな中でも互いに一歩も譲らない2人の攻防は、ハーディーンの一言で唐突に終わりを告げた。
「……なんと、素晴らしい女性なのだ」
「……は?」
思い掛けない一言に、レティシアの口がポカンと開く。
それと同時に、それまで玉座の間を埋め尽くしていた威圧感が嘘のように消え去った。
玉座の間が異様な沈黙に満たされる中、ハーディーンがレティシアに歩み寄る靴音だけが響く。
近付いてくるハーディーンに対して、それまで一歩も引かなかったレティシアがじりっと後退った。
「無辜の民のために自ら命を投げ打ち、死した後も自らを盾として守ろうとするとは……なんと高潔な女性なのだ」
そんなレティシアを気にした様子もなくずんずんと距離を詰めたハーディーンは、ついにレティシアの前まで辿り着くと、なんとその場に跪いてレティシアの手を取った。
レティシアは反射的に手を引こうとするが、添えられる程度の力しか込められていないのに、なぜか手が抜けない。
「貴女のような女性は初めて見た……どうか、我が伴侶となってくれまいか」
「はいぃぃ!?」
突然の求婚に、レティシアの声が裏返る。それと同時に、それまで這いつくばっていた元婚約者が立ち上が……ろうとして、脚に力が入らずに前のめりに倒れた。顔面を強打して1人悶絶していたが、誰も気にも留めなかった。酷く滑稽だった。
「返事は如何に?」
「う、いえ、その……わたくし達は、まだ出会ったばかりですし……」
「そんなことは我も承知の上だ。だが、どうしようもなく心奪われてしまったのだ。どうか、この想いに応えて欲しい」
「あ、う……」
いつになく歯切れが悪いレティシア。
しかし、無理もない。一応婚約者はいたものの、このようにド直球に想いをぶつけられ、跪いて愛を乞われるなど、彼女にとって初めての経験なのだから。それが絶世というのも生温いような美貌の持ち主であればなおのこと。
当人達は気付いていないことだが、この時、王都上空では太陽が常ならぬ熱を放っており、その熱に当てられたかのように黒雲がスーッと消え去っていた。
王都に住まう全ての住民が、予想外の光景に目を見開き、ポカンと口を開けて空を見上げた。
そして、その原因たる2人はと言うと……
「さあ、返答を」
「う、うう……」
グイグイと詰め寄られ、切羽詰まったレティシアが取った次の手は……
バチィッ!!
「ぬ!?」
逃げの一手だった。
電撃で繋がれた手を強引に解き、突風で窓を押し開けるや、翼を広げて空へと身を躍らせる。
「待て! 待ってくれ、我が愛しの君!!」
その後を、すかさずハーディーンも追いかける。
あとには、どうしたらいいか分からずに顔を見合わせる王国上層部の面々が残された。
その後、王都全体を利用した壮絶な追いかけっこの結果、今回の一件は否応なく全王都民の知るところとなった。
元々レティシアの処刑で国王に不信感を抱いていた民衆が多い中でのこの事件で、国王の権威は完全に失墜。全ての責任を取る形で王位を退き、王妃共々隠居することとなる。
しかし、神の使徒を信仰する者達によって絶えず命を狙われ、強制的に半幽閉状態となった結果、精神的に参ってしまい、2人共数年後に心労で亡くなった。
後にこの2人の名は、無実の娘を謀殺し、その娘の慈悲によって救われた稀代の愚者として歴史に刻まれることとなる。
国王が王位を退いた後、王国民はレティシアが王位を継ぐことを望んだが、レティシアはこれを拒否。異母妹であるルーテシアに王位を継承させ、自らは彼女が成人するまでその補佐をすることを望んだ。
王国一の才女の統治力と、人類の裁定者の抑止力が合わさり、王位継承は驚くほど速やかかつ平和に終わった。そしてその後数十年に渡り、オズワルド王国にはかつてない平穏と繁栄がもたらされることとなるのだった。
「陛下、次はこちらの書類に印を」
「えぇ~~。お姉さまぁ、ルーもうつかれたぁ」
「これが終わったら休憩にしますから。もうひと頑張りしてください陛下」
「むぅ~~、へいかじゃないもん! ルーはルーだもん!!」
「ふぐっ、かわい……ゴホン、こ、公私混同はおやめください」
「こうしこんどーってな~に?」
「公私混同とは──」
バンッ!
「レティシア、国境付近の盗賊の討伐は終わったぞ」
「ハーディーン様? 窓から入らないよう、何度言ったら分かるのですか?」
「む……すまぬ」
「はぁ……まあ、よいでしょう。それで、きちんと国境警備隊に引き渡したのでしょうね?」
「もちろんだ。私刑になど掛けてはいない」
「そうですか。それは1つの成長ですね……」
「それで、だな……その褒美と言ってはなんだが、我と……」
「あ、ハーディーン様。前国王の支持者が、夜な夜なスラム街に集まって会合を開いているという情報があるのですが……」
「な、なに?」
「お願い、出来ませんか?」
「任せろ!!」
バンッ!
「だから、窓から出て行くなと……」
「お姉さま、またハーディーンさまをしりにしいてる~」
「へ、陛下ぁ? どこで、そのような言葉を習われたのですか?」
バタンッ!
「レティシア! 僕の話をおぶぅっ!?」
「どうだ、今度は扉から入ってきたぞ? ……む、なんだこの男は。なんでこんなところで寝ているのだ?」
「なんでも何も、今貴方が扉を開けると同時に吹き飛ばしたんでしょうに……それで? どうされましたか?」
「いや、夜に会合が行われるというなら、今から行っても無駄だと気付いてな」
「チッ」
「……レティシア? 今、舌打ちを──」
「なんのことでしょう? ああそうそう、手がお空きのようでしたら、そこの不届き者を外に放り出しておいてくださいます?」
「え、いや我は──」
「その男、ノックもなしに入って来て、いきなりわたくしに詰め寄ってきましたの」
「ほう……任せろ」
バタンッ
「……お姉さま。ルージットさまのこと、きらい?」
「どなたのことでしょう? わたくしはそのような者は存じ上げませんが」
「あ、ううん。なんでもないの……」
今日も今日とて、王国には平穏な時が流れる。
「じゃあ、ハーディーンさまのことはすき?」
「な、何を……」
「だって、お姉さまハーディーンさまといっしょのときがいちばんたのしそうだから……」
「な……」
「……お姉さま、ツンデレ?」
「陛下? ですからどこでそのような言葉を?」
……時々、幼い女王の一言で王宮の上空に雷雲が渦巻くが。
2019/8/6 後日談集の連載を開始しました。
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