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表現活動は本来自由であるべきで、公共的立場も考えれば社会からの批評に寛容であるべきだ。ほうほう、それって破壊行為でしょ?

今の音楽や美術は完全に逆走してますよねー、って思っちゃったせみころーんさんですーどもーととととえててててて。


もうね、どっからどうみでも一昔前の20世紀を知ってた人にとって逆走ですよね。横でばんごはんの準備をしてるころーんさんは「逆走するのは当たり前だ」って呆れてますけど。


ララモエラーはこれでもいいって言ってますよ。


でもすらあっーしゅさんは「保守反動」「知性劣化」っていって怒ってます。


そもそも20世紀はどうして自由になったのでしょうか。


20世紀は主義主張はともかくとして、多くの独裁政権が誕生した世紀でもあります。


ほんとにそれが独裁だったのかどうかは、私は住んでないのでわかりません。でも教科書にそうのってるってやつ。


でね


それが1991年のソ連崩壊で「ほうらみろ!やっぱ独裁や共産社会はいっけないんだー!」とかマスコミや新聞が崩壊した政権をことごとくあおり、できたてほやほやの民主主義政権を精査もせずに称揚してきました。ミャンマーがいい例ですねえ。


ところがね


民主主義政権が各地に誕生すればするほど、人々はガチで争うことをやめるようになってきました。


何度もここで言ってますが、音楽のコンクールも一昔前に比べればひどく易しいです。作曲も一昔前は判で押したように3管編成を公募してましたが、いまや室内アンサンブルのほうが主流になってしまいました。吹奏楽はこのまま少子化すれば小編成は避けられないですし、演奏もバッハのインベンション全曲で乗り込んでくる15歳が出てくるとは想定してなかったでしょう。


冷戦が終わったら、余計コネ勝負になってしまったということです。


なんでこんなことになるのでしょうか?


簡単に言えば共産主義は暴力で解決です。そのためピアノコンクールだろうがバイオリンのコンクールだろうが難易度を極限的にしたって何ともありません、逆らうやつは殴ればいい。嫌なら来るなってことです。


1970年代はそれで十分でした。


ところが、コンクールのオフィスにスポンサーが集まらなくなり「助けて!開催できない!」と言えば寄ってくるのは中国人と韓国人。彼らは旧共産主義政権寄りの連中よりお金を持っておりますので、億単位でポンと出資できます。


こうして「出資するんだからどうしたらいいかわかってるよな!」と言われると易しい要綱の誕生です。


これ、まえよりひどくないか、って思うのが当たり前でしょう。「表現活動は本来自由であるべき」の名のもとに文化は破壊されてきたのです。


これからなろうに集う中学生や高校生は「どうしたら破壊されないか」を考える必要が出るでしょう。


「表現活動は本来自由であるべきで、公共的立場も考えれば社会からの批評に寛容であるべきだ」などといわれて「事実無根だ!」では会話になっていないと思われます。


どうしたら名回答だったかと申しますと、


「表現活動はすべての領域で精度が求められ自由は本来二の次であって、やましくなければディレクターが遺留品を回収するのが警察より前か後かをタイムラインで言え!」


これですよね。いうことは可能だと思われます。訴訟する側は「警察より後だ」と自信を持って言えるわけですので。


それが言えないというのはおかしい。どっか双方の意見に食い違いがあり、どちらの言い分も100%正解とは断定できないと思ってます。


そもそも表現の精度というのを、全世界的にあまり問題にしてこなかったんじゃないでしょうか。


レンブラントやジャコメッティのような超天才は、どこかで気が付いていたと思われます。単純に表現の自由で手にしたものとは、どっか違うんですよ。


せみころーんさんは、遺留品の回収について持論がありますが、それはここで言わないほうが良いところーんさんにいわれたのでやめときます。


ころーんさんは「これは言わないほうがいいだろう。食いついてくる人がいる」だって。すらあっーしゅさんは「いえばええのや!」ですがねえ。


単純に表現の自由の時代ではないんですよね。


そもそもなんで不自由か自由なのかよくわからないまま、こうもだらだらと人類は生活してきたのでしょうか?


せみころーんさんやころーんさんがまだ生まれる前、田舎にはたくさん人が住んでました。そのほとんどは荒れ果てた過疎地ですが、ほんとに田舎の小さなコミュニティってのがまだたくさんあったのです。


そういう田舎にはプロの表現者はおろか大学に進学した人もいないんですよね。


となると、そういう人を全く知らないまま18歳で大学入学ってのを経験される方が出てきます。


なろうの読者の方で今大学生の人は、こういう経験者が多いと思われます。


どうなりますか?


そうです。気が付いた方はいらっしゃるでしょう。住んでる地域で人間の質が違ってて不公平だということです。それもものすごい格差です。


なので「表現の不自由」が提唱されるようになってきてるんですよねえ。一部の人間だけずっこいひっきょいってのがパージされつつあるということです。

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