衛士ファフナの疑問
車窓から流れていく景色。
隊長は流れる景色を食い入るように眺めていた。
これで窓に向かって座っていたら子供みたいで可愛いだろうなとか思ったけど、間違っても口に出来無い。
後が恐ろしいから。
「隊長、じゃなかったですね、アル君お茶どうぞ」
「ん、さんきゅ」
「それにしても鈍行列車って初めて乗ったんですが、ずいぶんとゆったりした旅なんですね。席が個室みたいに区切られているのも意外でした」
「個室と言っても板で区切られてるだけのコンパートメント車だけどな。なんて、汽車にほとんど乗ったことがないボクが言うことじゃないけど」
「あはは、確かにそうかもですね。私もあまり列車での旅行は経験がありませんけど、富豪達が乗る列車は鈍行の倍近く、貴族列車だとこの三倍近く出ると思います」
「はぁー、そいつはすごいな。コイツは安い庶民列車だから、出ても馬の駆け足程度の速度ぽいな。オーガンクルス馬だったら、多分ぶっちぎれそうだ」
「風情はありますよね」
「逆に言えばそれしかないとも言えるけどな。だけど、風情がどうのこうの言ってられるのもゼルガリアまでさ」
「そうなんですか?」
「以前一度乗ったんだが、人口の多いゼルガリア辺りから出る鈍行はすし詰めどころじゃないぞ。個室は無いし人の上に三人座るのは当たり前。しかも混む時間帯の便なら屋根にさえ人が乗る。煙突から出る煙で煤だらけになりながらな」
「はぁ!? 屋根って、そんなことしても大丈夫なんですか?」
「人が落ちて事故を起こすのは日常なんだが黙認されてるよ。それだけ賑やかで、あの町は活気に溢れている」
「貿易都市ですか。この汽車の経由地ですよねちょっと怖い物見たさで興味ありますね」
「ま、ボク達はその前に下車するけどな」
「城塞都市ですね」
「ああ」
小さく呟き頷く。
城塞都市――
かつてはアルトリアの所領の一つ。
私も噂でしか聞いたことが無い地。
そして、その地に火の着いた火薬樽を置き去りにするのが今回の使命だ。
作戦としてはかなり非道な部類だとは思う……
「たい――アル君は、今回の作戦も立案者と聞きましたが、何故自ら動くことにしたんですか」
「ん、ボクが下っ端のペーペーだからだが?」
「まぁそうなんですが、でもバドハー様に頼めば他の者を向かわせることも出来たんじゃ無いですか?」
私の問いかけに、それまで外を眺めていたアル君の双眸が鋭さを増して私を射貫く。
「えっと、何でしょうか」
「兵法は詭道なりって言葉を知っているか?」
「もちろんですよ。兵法の基本ですから」
「ああ、そしてボクは詭道とは同時に忌道であり鬼道でもあると思っている」
「忌道であり鬼道、ですか」
「わかりやすく言えば、綺麗事を語るのが許されるのは力ある者だけってことさ」
「で、ですが、勝ち方を誤れば敵を生み出します」
「もちろん悪辣な勝ち方を続けるのは論外だ。だけど弱者が正道にこだわれば暴力の濁流に呑み込まれるのは目に見えている」
「暴力の、濁流……」
「現に帝国はかつて魔導という力を武器に幾つもの王国を支配した。その結果何があったのか? 答えは簡単だ、もう一つあったアールヴの王国を滅びに追いやった」
その話はもちろん知っている。
魔導王アルフレッドが復活させた魔導技術はこの世界の常識を覆すものだった。
そして、その力を武器に当時はただの小国に過ぎなかった人国は帝国を名乗れるほど成長するに至る。
様々な種族に滅びをもたらしながら……
その最大の犠牲となったのがアルトリアの北に位置したサイエルン王国だ。
サイエルン王国は人口三千人足らずの小国ではあったが、住人全てが兵役の経験がある戦闘国家でもあった。強大な軍事力を持ったサイエルン王国の仮想敵国は獣人国ではあったが、まさか当時最弱と言われた人国に滅ぼされるなど誰が想像しただろうか。
しかも、ほんの一ヶ月足らずで誰一人生き残った者の居ない焼け野原に変えられた。
その結果を知る者は皆一様に言う。
それは帝国が実験材料にサイエルン王国を選び、まるで遊び半分で滅ぼしたかのような有様だったと。
「残念ながらアルトリアが今誇れるのは、かつて英雄王に仕えた頃から続くという長大な歴史と広大な農地だけだ」
「確かにそうかも知れませんが、アールヴは精霊術に長けた種です。皆が協力出来れば――」
「それだよ」
「え?」
「その協力ってヤツが今一番のネックになっているんだ」
「協力が……ネック……」
「国を一つにまとめ上げられたのは、あくまでラーダベルト家にとって共通の敵が居たからだ」
「その通りだと思います」
「この間の戦はあくまでラーダベルト家が主軸であり、王位に最も近い位置に居たというのが幸いしただけだ。言ってしまえばただのお家騒動の二回戦を半世紀も経てやったにすぎない。アルトリアの癌とも言える元老院を潰すのには成功したが、国内をまとめるにはまだまだ時間がかかる」
「ラーダベルト家は由緒もあり強大な力もある半面、オルガン家のような政敵が多いのも実情ですからね」
アルフォンス隊長は静かに頷いた。
「その通りだ。時間はどんなにあっても足りない。敵が待ってくれればありがたいんだがな」
「そうはしてくれませんからね」
「そう言うこと。そしてファフナ、今さっきお前が僅かに見せた発言だが……」
「私が見せた発言?」
「精霊術に長けている、協力すればどうにかなる」
「あ」
「アールヴ族ってのは良くも悪くも総じてプライドが高い」
「ッ……」
否定の言葉が喉を突きかけた。
だが、私はそのアールヴの本質とも言える性質に、長年父や兄から、いや家臣達にすら蔑まれてきた。
だからその性質を最も毛嫌いしたはずなのに。
人種であるアルフォンス隊長には、私の中の時に醜くさえあるアールヴの性質を嗅ぎ取られてしまったのだろう。
「ボクがここしばらく出会ったアールヴは陛下を筆頭にポンコツばかりで忘れがちだが」
「それをハッキリと言っちゃうんですね」
「事実だ。だが、アールヴという種族がそうさせるのか長命がそうさせるのかはわからないが、事実としてアールヴはプライドが高い。もちろんプライドが無いのも問題だが、高すぎるプライドは毒になりえる。今回行う作戦の是非によってはアルトリアの未来が決まる可能性があるのに、だ」
「私は詳しくは聞いてませんが、この搬送がそんなにも大切な作戦に繋がるのですか?」
「犠牲を厭わなければデルハグラムには勝てる。だが、目先の勝利にこだわれば大局を見逃すことになる。今回の作戦は五年後十年後の勝利の為には必要なんだ。喩え今回の作戦で目論見通り行かなかったとしても、戦う切っ掛けが欲しい両国にとっては良い火種になるさ」
「まるでチェス・プロブレムを俯瞰して見ているような発言ですね」
「厄介なのは攻め入られているのはアルトリアで、どうひっくり返すのかが悩みどころだけどね。だから俯瞰しつつも自ら動くしかないんだよ」
半ば投げやりにも似た声音。
いや、実際アルフォンス隊長の立場からすれば、自分の行動を一つでも誤れば絶望的な状況を呼び寄せかねないのだ。
年端のいかない少年が背負うには、あまりに過酷すぎる。
「隊……あ、えっと」
「馴れないか?」
「馴れます。馴れて見せます」
「そうか」
「作戦を確実に成功させるために自ら動いたってことには納得しました。たしかに、アールヴでは、こんな作戦を理解した上で実行するにはプライドが邪魔すると思いますから」
そう、この作戦がアルトリアにとっていかに重要であろうと、国に居る大半のアールヴ族は納得理解した上で遂行出来るとは思えないのは確かだ。
「感情を呑み込んで遂行出来る者も居るだろうけど、未だ国が安定しているとは言えない現状じゃそんな忠誠心に溢れた者を動かすのも難しい。だから、一番下っ端で動きやすいボク達が動くしか無いだろ」
「納得しました。ただ、お聞きしたいことがあるんですが、なんでアル君は……その、私を旅の供に選んでくれたんですか?」
この旅に出るまではおそらくはただの気まぐれだろうと思っていた。
もしくは、不穏分子とも言える自分を敢えて手元に置いておきたかったのかな、とか。
ただ、少しだけ遠回しな言い方だったけど、先ほど私の事を認めてくれた言葉。
いや、それまでにも何度も積み重ねてくれた言葉の数々。
それを考えると、単なる気まぐれや監視のためとは正直思えなかった。
だからこそ思う、なんで、と。
私は自分で言うのも情けないが本当に強いとは言えない。
精霊術は使えるが、私自身が長旅に向くとはとても思えないのだ。
そんな思い悩む私に、だけどアルフォンス隊長がくれた言葉は予想外のものであった。
「生憎とボクには仲間と呼べる者がいない」
「え、バドハー様や陛下がいるじゃないですか」
「確かにな。だが、あの人達はボクを認めてくれてはいるが同時に上司だ。ボクみたいなガキが彼らの信任を得ているとバレれば余計な軋轢を生む」
「確かにそうですね」
「ましてやラーダベルト家が王位に就いたのが、ボクの助言があったからだなんて万が一にもバレてみろ。人種のそれもガキの戯言にかどわかされたから何て噂が広まれば、アルトリアは二度と一つにはまとまらないだろう」
正直、改めて驚かされた。
このぐらいの年頃なら自分の功績に溺れ天狗になってもおかしくは無いのに、アールヴの性格と自身の立ち位置や種族をここまで俯瞰して見ていたとは。
そして、だからこそ改めて思い知らされる。アルフォンス隊長が今語ったことは恐らく、いや間違いなく真実だ。
人種でましてや見た目的にも年端のいかない少年が指し示した戦略や展望など、一体誰が信じられるといのか。
ましてやこんな子供の言葉を真に受けて現王家が動いたとバレれば、古参の貴族は間違いなく現王家に牙を剥くだろう。そうなれば、アルトリアは再び戦火に包まれるのは目に見えている。
「ボクという存在は一歩間違えればアルトリアの分断を生みかねない。それなら時が来るまで埋没しているのも必要なことさ。それに――」
「それに?」
「ボクはボクが信頼出来る味方を増やし足下を固める必要がある。どんなに戦果を上げようともある一定層はボクに対して叛意を持つのは目に見えているからね。だから、ファフナ。お前にはボクと共に来て貰った」
「そ、それは私がアル君の仲間だと思って頂けてる……そういうことですか?」
「端からそのつもりだが? そうでない相手を、面倒臭がりのボクがわざわざ指名するはず無いだろ。お前はボクの知りうる限り誰よりも胆力があるし知恵も回る。何より他人の為に命をかけられる希有な精神を秘めている。間違いなくボクにとって必要な仲間だよ」
「………………」
あはは、参ったな。
屋敷でも居場所なんて見付けられなかったのにさ。
そんな居場所のなかった私を初めて必要としてくれたのが、人種の少年で……ぶっきらぼうな言葉だけど、そのくせまっすぐで……
ほんと、困ったな……
自分を必要としてくれた人の言葉ってのは、こんなにも胸に刺さるなんて知らなかった。
そして、言葉も出せぬままにしばし流れる沈黙の時間。
「あの、景色を楽しんでいるのにすいません」
「気にしなくて良いよ。って言うか、かしこまりすぎ。フランクにあだ名で呼んでるんだから、もう少し砕けて話せよ」
「そ、そうでした」
「まぁ生来の出自の良さってのはあるだろうし今はコンパートメント車だからうるさく言わないが、他人がいる時は気を付けてくれ」
「わかりました」
「ちょっと説教臭かったけど、それで? 何か聞きたいことがあるのか」
「えっと、そうでした。実は聞こうかちょっと迷っていたんですが……」
「ん? 話せることなら話すが。たいして面白いことは言えないぞ」
「いえ漫談がしたいとかじゃなくてですね」
「面白いことは言えないって聞いて漫談って……生真面目か!」
ビシッ! と何故か隊長の手の甲がボクの胸を叩く。
「…………」
「…………え?」
「いや、まぁ……何だ。今のは忘れてくれ」
少し照れたようにそっぽを向く。
「バドハーのじぃさんだったら喜々としてノッてくれたんだろうがなぁ」
「すいません、修行が足らずに」
「だから生真面目かっての、気にするな。それで、何だよ聞きたい事って」
「えっと、今朝部屋でのことですが」
「ボクは無実だぞ」
「わかってます。ただちょっとオフホワイトな気はしますが、あれはリーヴァ様の奇行だと私自身納得していますから」
「……お前も結構言うね」
「それで、ですね」
「なんだ?」
「アル君が話してたじゃ無いですか『ある意味仕方が無いって』」
「そんなこと言ったか?」
「話してましたよ」
「会話の前後が分からん。どんな流れで言ったんだ」
「えっと……リーヴァ様が……」
「呼びは変態で決定なのな」
「とにも、朝、その……布団の中で二人がイチャイチャしてたときですよ」
「ボクの記憶とだいぶ齟齬がある気もするが、取り敢えず思い出したよ。純血種に近いって話をしたときだな?」
「そうです、そのことがずっと気になっていて」
ゆっくりと振り返る隊長。
窓から差し込む夕日で逆光になり表情はよく見えないが眉根に皺が寄っている、そんな気がした。
「あの時は半分寝ぼけていたとはいえ、余計な事を言ったなと今は思ってる」
「……あまり良くはない意味みたいですね」
「ん……まだ旅は始まっただかりだ。モヤモヤするだろうが答えはしばらく待ってろ。生きてアルトリアに帰れたら教えてやる」
「物騒な言い方をしないでください。これからのことを考えたら怖くなるじゃないですか」
「だってなぁ」
「だってなぁじゃありませんよ、まったく。でも、わかりました。もしかしたら聞かなければ良かったって思う話なら、旅が終わってからのが良いですよね」
「そう言ってくれると助かるが、聞かなければ良かった可能性があるのにそれでも聞くんだな」
「私は文人気質というかもともと探求欲や研究欲とかが強かったんです」
「なるほど、確かに武人というより学者肌なのは納得だ」
「だから、興味があることはとことん突き詰めてみたいって……あはは、それで危険な目にも遭ってるんですけどね」
「なるほどな……そういや、兄さんもそういうところがあったな。ボクよりもそんな所は兄さんと馬が合うかも知れないな」
そう話す姿は、本当に大好きな家族のことを話す少年の顔だ。
傍若無人とも言える兵法を用いて敵を駆逐し、荒ぶる獣のような膂力で獣人を沈めた少年と同一人物とは思えない素顔。
だから、私の中にもう一つの知りたいという思いが膨れ上がる。
『ボクなんかじゃ足下にも及ばない。もし武の神や魔術の神なんてのが本当に居るのなら、兄さんほど神に愛された人は居ないと思う」』
そうまで言わしめる男の正体を。
「あの――」
「んじゃ悪いけど、ボクは先に少し仮眠させて貰うよ。どうせまだまだ続く汽車任せの旅だからね」
「あ、はい。おやすみなさい」
そして、アッという間に聞こえてくる小さな寝息。
そういえば昨日は夜遅く帰ってきたし、朝も爽やかとは言い難い起こされ方をしていた。
聞きそびれてしまったなという思いはあるが、能力に優れようとまだまだ年端のいかない少年。
無理をさせる訳にもいかない。
それに旅は始まったばかりだ。
車窓から見える景色は田園から何時の間にか森へと変わり、夕日は地平と落ちかけていた。
弱く差し込む西日に眼を細めながら、私は何とも言えない微睡みにも似た心地よい空気感に身をゆだねた。






