衛士ファフナの困惑
「さて、ちょいと話は逸れたがデルハグラムに話は戻していいか」
「はい、お願いします」
「その認識票、実のところデルハグラムの正規兵の物じゃ無い」
「正規兵の物じゃ無い? それじゃ、これは傭兵か何かの認識票ですか? いや、まさか傭兵が認識票なんて」
傭兵は基本的には食い詰め者やならず者の集団で、大義も信仰も持たない営利目的で雇われ戦場に出る戦争屋だ。
そんな連中でも自分の生き様は後ろめたいのか、それとも結末を明かすほどの身内がいないのかは分からないが、死後に身バレするような物を持たない連中がほとんどだと聞いたが……
「傭兵が、自分の身分証を持っているんですか」
「その日暮らしで刹那的な連中がこんな物を持っているのは以外か?」
私はその言葉に無言で頷く。
「ま、お前の緊張は分かるよ。徴兵が進んだことでデルハグラムで何が起きたのか、それは新産業の誕生だ」
「新産業?」
「戦争で一儲けしようと考えた連中が民兵を集めて傭兵ギルドを立ち上げたんだ。そのギルド構成メンバーは実力を示すため、入団する時に魔狼狩りをやらされると聞いた」
隊長はあっさりと言ったが、それはとてつもなくゾッとする話だった。
自国の為に命をかける民兵ではなく、戦争屋を民間が作り出したというのか?
しかも、ギルドということは幾つかの組織が存在するということだ。
「帝都崩壊から十年……世界の覇権は未だどこの国にも委ねられてはいない。覇権を握りたい連中と儲けたい連中の利害が一致すれば、そんな仕事も生まれるわな」
「戦争を最終経済なんて揶揄する言葉がありますが……人も物も無くなった先に何が残るというんですか!」
「さあね。上が利口ならそうなる前に止まるはずだが……残念ながら上が利口だった試しはまずないんだよな、これが」
隊長は投げやりに言うと、手にした認識票を男に放った。
「さて、こいつらの正体暴きはここまでだ。ここから先は事実確認だ」
「事実確認?」
隊長は気絶した男達の横に屈むと、上半身を包むレザーアーマーを捲り、腹筋をグニグニと押した。
「ん~……」
小さな唸り声と共に、閉じている下まぶたを無理矢理こじ開けた。
そして、深いため息を一つ。
「やれやれ、こいつは思っているよりも深刻だな」
「何か分かったんですか?」
「民間人が兵隊になる理由って何だと思う?」
「祖国を守りたいからです」
「それはまた随分と綺麗な建前だな」
あまりに辛辣な物言いに、私は思わずムッとし言葉を詰まらせる。
「国を守りたいとか支えたいなんて言えるのは、それなりに裕福でゆとりがある証拠さ。こいつらみたいな素行の悪いならず者くずれが傭兵になる理由なんていたって単純。飯が食えるかどうか、その一点だ」
「食事ですか、お金じゃ無くて?」
「金が意味を成すのは平和な証拠だよ。金がいくらあったところで買いたい物が店に並んでなければそこらの石ころと変わらないだろ。それにぶっちゃけた話、戦う力があるならず者が金を欲しがるなら、わざわざ縛りの五月蠅い組織に入るよりも実入りの良い仕事が裏社会には山ほどある」
「……隊長は彼らを見て何が分かったのですか?」
「獣人族ってのは体毛に覆われているからちょっと見ただけじゃ分かりにくいんだ。一見腹は筋肉で引き締まっているようだが、体毛の下は皮下脂肪がろくに無く少し押せば肋に届く。ろくに風呂も入らず小汚いのもあるだろうが、毛艶も悪い。これは明らかなタンパク質不足だ。まぶたの下が白いのも鉄分不足が原因だな。総じて栄養不足だ」
「…………」
ツラツラと紡ぎ出される事実に私は言葉を失った。
たったあれだけの触診でそこまで相手の身体状況を見抜いたと言うのか?
「傭兵ギルドが民間組織とは言え、もっとも優遇されるはずの兵隊がこの有様だ。ここ数年続いている異常気象からの食糧危機はボクが思っているよりも深刻かもしれないな」
「ですが、バドハー様が獣王国への食糧輸送が進んでいると言ってたじゃ無いですか」
「ああ、口うるさい元老院から力を奪うことが出来たからすんなり話は進んだみたいだな」
隊長は椅子に深く座ると、面倒くさそうに前髪を掻き毟った。
「そこまでは上手くいった。そこまでは……」
「まだ、隊長を悩ませる事情があるんですか?」
「空腹ってのは人を凶暴にさせる。だけど、空腹も度が過ぎれば人間なら動けなくなるだろうが、獣人族ってのはそこが厄介なんだ」
「あ……確かに、獣人族はその遺伝子に魔獣の因子があるとか……」
「それは獣人族に限った話じゃ無いがな」
「え? それってどう言う意味で」
「とりあえず、獣人族ってのは、実際、空腹になればより凶暴な魔獣の性が出る。本来、身体がこんな状況ならまともに喧嘩することなんか出来やしない。ましてやアールヴやドヴェルガーが住むこの町中で暴れるなんて、もし暴れたのが人間だったら自殺行為そのものだ」
「だけど、この二人は町中で暴れた挙げ句にさらに町を破壊してみせた」
「ああ、しかもあれだけアールヴが居るというのに誰一人止められなかった。たまたま野次馬だった連中が勇気が無かっただけなら良いんだが……」
「送った食糧で空腹はだいぶしのげるんですよね?」
「そうだな、援助として相当な量を送ったからな。役人共に横領されないように町中にも商人を通して情報を流した。問題はそれが一時しのぎでしかないってところだな」
「味を占めて揺すりまがいに要求してくる可能性があると」
「その危険性は十分にある。とは言え、それもボクの想定内ではある。問題はどんなに要求されようともアルトリアが出せる量には限界がある。奴らが本格的に侵略に乗り出す前に国内を纏めきらないとアルトリアは確実に地図上から消えることになるだろう」
隊長の言葉に、知らず握りしめていた拳。
つくづく思い知らされるオルガン家の愚行……
「別にお前が悪い訳じゃないだろ気に病むな」
「え? あ……気が付かれてしまったんですね」
「そんな顔していりゃ、誰だってわかるさ」
「あ、あはは……そう、ですよね」
「親の罪に子供まで引きずられる理由はない。ソイツの罪はソイツだけのものだ」
「で、ですが、私はオルガン家の者です……」
「元、だろ」
「……」
「納得いかないって顔だな。じゃあ言い方を変えてやる。お前はオルガン家を語るほどオルガン家に居場所があったのか?」
「ッ! そ、それは……」
「武門のオルガン家を動かせるほど文人のお前は重用されていたわけじゃないだろ。だったら身内とは言え他人の罪を引き受けるような真似はするな」
辛辣すぎるほどに辛辣な言葉に私は言葉を失った。
「ノブレス・オブリージュとか言う概念があることは知っている。だけど、ナッシュ・オルガンという男は能力がありながら、一族の求める力とは違うと言うだけで持たざる者として冷遇されてきた。悔しかったんだろ、普通なら腐るよ。だけど、そんな状況でありながらその男は最後に己の血と地位を持って民を守る為に貴族としての責務を果たした」
「隊長……」
「自分の役目を果たした者に過剰な罰を与えることも自虐により多くの処罰を求めることも新しい時代のアルトリア法は許さない」
「辛辣なのか、優しいのか……どっちかにしてくれると嬉しいんですけどね」
「考えておくよ」
たぶん、辛辣さは変わらないだろう適当な返事。
だけど、あはは……参ったな。
父上や兄上、いや家臣団の言葉すらも私にとってはただの刺に過ぎなかった。
それなのに……この方の言葉は辛辣で優しさの欠片も無いはずなのに、何でこんなにも響くんだろう。
初めて知恵比べで負けた相手だから?
私の全てを凌駕し、まるで届かないと思わせる相手だから?
どれが正解なのかは分からない……
分からないけど、分からないからこそ分かることもある。
やはり、私はこの方の下に付いて良かった。
彼の目は遙かな未来を見詰めている。
その視線の先が十年後なのか百年後なのか、それとも私の想像が付かないほど先の未来なのかすら分からない。
でもこの方なら、きっとそんな先の世界さえも豊かなる物に変えてくれる気がした。
「ありがとうございます、隊長」
「礼を言われるようなことはしちゃいないよ」
「私の中には礼を言いたいことがあるんです」
「そうかい」
そう言って薄く笑う。
この人は、本当に幾つなんだろうか?
私よりずっと年下のはずなのに、恐ろしく年上にさえ感じる。
「そうだ」
そんな私の思考を遮るみたいに隊長が立ち上がる。
「どうしました?」
「ちょっと所用を思い立った。じぃさんの所に行ってくる」
「え、じぃさんってもしかしてバドハー様のことですか?」
「ああ、そのじぃさんだ」
「今からバドハー様のお屋敷がある貴族街に行くのでしたら、到着は随分遅くなると思いますよ。それ以前に下っ端の衛士じゃ夜間に貴族街には入れませんよ」
「正面から入る訳じゃないから問題ない」
「余計に問題しか無いように感じますが」
「そうか? まぁいいさ。取り敢えずソイツらのことを引き継ぎに伝えておいてくれ。利用価値はまだ十分にあるから丁重にな」
人間やアールヴなら致命になりかねない重傷を負った男達を一瞥する。
ぐったりと、もう半分死んでるんじゃないかってぐらいに消耗している。
知恵の回る隊長の辞書にも、どうやら丁重という言葉の意味は載っていないらしい。
「丁重に、ですね」
「そうだ丁重にな。隠語じゃ無いからな、そのままの意味で受け取っておくように伝えておいてくれ」
「了解しました。それで宿舎には何時頃に戻られますか?」
「門限は確実に過ぎる。寮母には晩飯はいらないって伝えておいてくれ」
「了解です。部屋の窓鍵は開けておきますから、見付からないように戻ってきてくださいね」
「了解」
アルフォンス隊長は軽く頷くと、そのままアルトリアの夕闇へと消えたのだった。






