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終わりゆく世界に紡がれる魔導と剣の物語  作者: 夏目 空桜
第二部 第二章 アールヴの闇
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上級騎士ダリウスの驚愕・後編

 地平に見えてきた土煙。

 やがてそれは、肉眼でも分かる地平を埋め尽くすほどの黒い津波となって姿を現した。


「流石はオルガン。恐ろしい数を集めたものだ」


 王都に控えるは総数五千に足るか足らぬかの我らラーダベルト軍。

 ここで食い止めねばその威勢に瞬く間に飲み込まれることだろう。

 そして、二万を迎え撃つは僅か千騎足らずの兵。藪に隠れているとは言え、常套では絶対に有り得ない戦術を用いたこの野戦……

 ゴクリと飲み込んだ唾の音は、自分のモノだったのか部下のモノだったのかは分からない。ただ、生々しいその音はやけに耳にまとわりついて聞こえた。

 一人でも見付かれば、瞬く間に暴力に蹂躙されるという事実。

 それは恐怖、ただただ圧倒的な恐怖だ。

 だが、そんな悪霊のごとき恐怖の中でも、我がラーダベルト軍は怖じ気づくこと無く、息を潜めて時が来るのを待ち続ける。

 ご当主様、いや陛下への忠誠心がこの若者達を鼓舞するのか?

 なんと精強で勇敢な部下達だろうか。

 これは、ますます負けられない戦だな。

 私は部下達の勇気に応えるためにも、魂に鋼の意志を宿す。


 そして、日が暮れた。


 一キロほど先に作られたオルガン軍の野営地に篝火が灯り、やがて煮炊きの煙が立ち上がる。

 風に混ざる調理臭が消えてから二刻が過ぎた。

 騒がしかった敵陣を静寂が覆った。


 頃合いだ――


 穂の形に細く切り裂いた旗をゆっくりと掲げる。夜目の利くアールヴといえど、流石に月明かりも遮られたこの暗闇では直線距離で一キロも離れているオルガン軍には見えまい。

 だが、二十部隊に分けた我がラーダベルト軍は、隣までの距離は三百メートルほど。

 十分に視認出来る距離だ。

 左回りで次々に旗は隣へと伝播していき、ものの数十秒後には一周し最後の右部隊で旗が振られた。

 この緊張感の中でも作戦通り事が進んでいく。

 練度は極上、緊張感も十分。

 ありがたいことに雨はまだ持ちこたえてくれている。


 バサリと我が隊の旗を振り、行軍が始まった。

 まるで今にも崩れそうな崖の上を歩くような速度でジリジリと距離を詰めていく。

 九百……八百……七百……六百……五百……

 オルガン軍はなんの疑いもしていないのであろう、野営地とは思えぬほど静寂に包まれている。

 最も彼らからすればオルガンはすでに王であり、その部下である自分達は自国を悠々と移動しているに過ぎないのだ。

 距離にして二百メートルまで近づいた。

 各篝火には二名ほどの兵士の姿。時折あくびをしている姿さえ見える。

 今だッ!

 油と特製(・・)の薬品を塗りたくった火矢を放つ。

 夜空に描かれた赤い軌跡。

 それが合図となり、ぐるりとオルガン陣営を囲んだラーダベルト軍が一斉に薬品(・・)を塗り付けた火矢を放つ。

 平原に放たれた炎は枯れ草に燃え移り瞬く間にテントに飛び火する。

 焼け焦げる臭いと薬品の異臭が辺りに漂い、敵陣に喧噪が溢れ出した頃には巨大な火災となってオルガン軍の悲鳴さえをも飲み込んだ。


「手を止めるな! ありったけの火矢をお見舞いしろ! 後方部隊は角笛を鳴らせ!!」


 四方八方から襲いかかる炎に角笛の音が混ざる。

 角笛は大部隊を指揮するためのものだ。たかが二千人ならば本来は一つの角笛で十分。そこに常識を覆す二十倍以上の角笛の音。

 突然の火計で混乱しているところに大軍を装った角笛の音が襲いかかる。

 本来ならこんなまやかし熟練した騎士の目なら気が付くはずだが、油断しているところに夜襲による恐怖。そして練度の低い者達を連れてきたのが仇となった。

 オルガン軍が混乱する中、舞い上がる炎はやげて竜巻のようにうねりだす。


「これがアルフォンス殿の言ってた、火災旋風か……」

『広範囲で燃え上がった炎は中心に上昇気流を生む。そうなると炎は吸い上げられ竜巻を生むことがある』

「武を駆逐する知か……味方だと頼もしいが、なんと恐ろしきことか……」

「おのれーっ!」


 男が一人、炎と悲鳴を切り裂いて飛び出してきた。


「オルガン王に牙剥く逆賊めがっ!!」

「真が何処にあるかも見抜けぬ愚物めが!」


 ザンッ!!


 交差すると同時に斬り捨てる。


「やれやれ……アルフォンス殿の英知に驚いている場合では無いな。さっさとけりを付けねば」


 数はまだ相手の方が圧倒的に上だ。

 まだだ、もっと燃えさかれ!

 だが、そんな願いもむなしく、私の頬をぬらす一粒の雨。

 降り、始めたか……

 辺り一帯、炎の地獄と化したところに降り始めた雨。


「隊長、炎が消える前にオルガン軍を駆逐出来るでしょうか?」

「油分の多い枯れ草だ。ここまで燃え広がればこの程度の雨ではそうそう消えることはないだろうが……それでも油断するな。火勢が弱まれば頃合いをみて第二作戦に移行する!」

了解(ラール)ッ!!」


 空の機嫌を伺い、戦い続けること四時間が過ぎた。

 夜明けを覚えた鈍色の空は気怠げに明るくなり、頬をぬらす雨は勢いをます。

 辺りが燻った黒い煙と肉の焼けただれた悪臭に支配される。


「敵兵残存おおよそ六千!」

「もう少し減らしたかったが仕方あるまい。角笛を鳴らせ! 全力で後方の丘まで退くのだ! 退け! 退けっ!!」


 矢継ぎ早に出される指示に、ラーダベルト軍が一斉に動き出す。

 敵は残存兵がいるとは言ってもそのほとんどが満身創痍。

 だが、こちらは夜襲と火計を用いるために徒歩だ。

 生き残った騎馬兵を使われれば追い付かれるのは明白。


「そこに居るのは敵将とお見受け致す! いざ尋常に勝負!」

「ち、もう追いついたか」


 作戦中に面倒な。さっさと斬り捨てるか?


「お待ちください隊長! これは無駄な一騎打ち、挑発に乗る必要はありません。作戦を優先すべきです!」

「リシンか、味方はどうなった?」

「大勢はすでに丘を登りつつあります」

「そうか……ならば」

「さあ、我と戦え!」

「断る!」

「何だと……貴様それでも武人か!!」

「貴様らの負け戦に付き合う理由がどこにある! 愚かな大将を御旗に掲げたことを地獄の底で悔いるがいい!」

「己! どこまでも愚弄す、な、なんだ!?」


 敵将の叫びと同時であった。

 突如、横から沸いて出た鉄砲水がオルガン軍を飲み込んだのは。

 それまで戦場を支配していた怒号は濁流に呑まれて消える。


「ギ、ギリギリでしたな」


 差し出されたリシンの手を取り、土手の上へと這い上がる。

 眼下に広がる大地はあっという間に黒く濁った濁流が支配していた。

 ギリギリではあったが、軍師(アルフォンス)殿が立案してくれた作戦通りことは成った。

 ことは成った、が――


「凄まじいな……」


 本音を言うならどこか半信半疑でもあった。


『田畑用の巨大な貯水池がこの丘の上にあります。それを破壊します』

『貯水池……農業用水ですな。それだけで足りますか?』

『正直、それだけだと微妙だすね。だけど、あなた方は運が良い』

『運ですか?』

『幸か不幸か長く続いた時季外れの寒波のおかげで、大河は【竜の背骨大山脈】からの雪解け水で増水しています。貯水池といっても、今やその水量は人造湖というレベルで何時決壊してもおかしくないレベルで増水しています。これを利用すればこの広大な平原さえも飲み込めるでしょう。さらに敵が生き残ってもこの場所は元々が田畑と水田です。先に上手に陣取ることが出来れば敵が居るのはぬかるみの上』

『なるほど、この地の特性を生かす……そうなればいかな騎兵といえでもその足は奪われ、魔術と矢の的にすぎなくなる……』

『ええ、恐らく計算ではあそこのなだらかな丘の上まで走れば十分でしょう。それで、お願いがあります』

『何でしょうか?』

『部隊から地属性の魔術を得意とする者を五十人ほど貸して欲しいのです。それと、今回の行軍で持参した矢の半分を貸してください』

『土属性というのは貯水池を破壊するために必要なのはわかりますが、持参した矢の半分と術士五十人というのはさすがに痛手です』

『矢の半分は安全マージンです』

『安全マージン?』

『ラーダベルト軍の士気は予想以上に高いです。しかし、この高さが問題です』

『士気の高さが問題とは?』

『皆がダリウス殿のように手練れであるなら問題はありません。しかし、今回の行軍には実戦経験の少ない若手が多くいます。士気が挫けぬだけマシですが、逆に高すぎる士気が時として余計な暴走を生みかねません。そのため、夜襲に必要な分だけの矢を持たせ、残りはあの丘の上に隠しておきます』

『なるほど』

『それと、これはあくまで可能性の一つですが。もしかしたらオルガン軍は予想よりも兵を城に残している可能性もあります。五十人はそのままバドハー卿を救うために援軍として使わせてください』

『わかりました、ここまでお膳立てして頂いたのです。必ずや勝ちを収めて見せます』


 ふふ、なんと恐るべき少年だろうか。

 今までの流れを反芻するだけで、背筋を流れ落ちる冷たいモノが止まらない。

 だが、同時に心強くもあった。

 ああ、ここまで上手くいったならもう疑う余地はない。


「隊長! 山から魔熊の群れが!!」

「皆の者、聞こえるか!! 魔熊には手を出すな、ヤツらはオルガン軍しか狙わない!」


 私の指示に半ば半信半疑のラーダベルト(我が)軍。

 だが、眼下に広がる魔獣とオルガン軍との壮絶な死闘を前に、皆、ただ動きを止め信じるしか無かった。


『火矢を射る時、油にこの液体を混ぜてください』

『これは?』

『魔獣を寄せ付ける秘薬ってところですかね? 炎で炙られることで効果は薄くなりますが気化することでより広範囲に効果が及びます。まぁ今回は大人数で大量の薬剤を撒きますから、多少薄くなったところで魔獣の嗅覚には十分過ぎるでしょう』

『魔獣……おお! そういえば、バドハー様もそのようなことを……なるほど、これが魔獣を呼び寄せる薬品……』

『魔獣寄せの煙が染みついたオルガン軍は魔獣にとって恰好の獲物です。ただ気を付けて使ってください。魔獣にはオルガン軍もラーダベルト軍も区別は付きません。万が一にもこの薬品が身体に付いたら一週間は匂いが取れませんから、その間は魔獣の熱烈な求愛を受けることになります』


 あの時の何とも言えない意地の悪い笑みに思わず引き攣ったのは、今となっては良い思い出、か。


「皆の者よく聞け! 狙うのは魔獣の襲撃を逃れここに近づいた者達だけにせよ! 逃げる者を追う必要は無い! あくまで眼前の敵だけに的は絞れ! 投稿する者は受け入れよ!」

了解(ラール)ッ!!」


 勝利を目前に我が軍の士気はいよいよ高まった。

 さて、後はお任せしました我が国最高の軍師殿。

 必ずやこの国に勝利をもたらしてください。

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