アルトリアの偽王~アールヴと少年の本質~
屋敷の中の小高くなった草むらに手を合わせる。
私を守るために命を落とした英雄ライアン、その御霊に祈りを捧げるためだ。
「ありがとうライアン。貴方のおかげで、私は黒騎士に捕まること無く逃げ延びることが出来ました。貴方の御霊に応えるためにも、必ずや草原の広がる美しいアルトリアを取り戻して見せます。だからどうか……貴方が生まれ変わるその時まで、私の代わりにソフィーティア様にお仕えしてください」
どれほど長く手を合わせていただろうか?
太陽はもう、遙か地平の彼方に暮れていた。
「…………お待たせしました、アルフォンスくん」
「気にしなくても良い。伝えたい想いがあるのなら、伝えられる時に伝えるべきだ。喩え肉体は失っても、その想いは風に乗って届くはずだから」
その歳には似合わぬ大人びた声音が耳に心地よい。
「ふふ、まるで聖職者のような言葉ですね。どこかで神学を学んだことがあるんですか?」
「残念、生憎とボクは信心深くは無いよ」
「そうなのですか? それにしては先ほどの言葉は、聖職者が語るような言葉に聞こえましたが」
「魂が見守っていてくれる。ボクにだってそう思いたい時があるんでね」
「魂が……」
「ん? ボクがこんなことを言うのはらしくないか?」
「いえ、そうではなくて、素直に素敵な考え方だと思ったんです。私達アールヴ族は死後は精霊界に帰り、魂の洗浄を受けてまた大地に戻ると考えるのが普通なんです。魂が見守るという考え方はありません」
「へー、だけどアンタにしてもあのじぃさんにしても、亡くなった人が見守っていると信じているような感じだけどな」
「あはは、よく気が付きましたね。ええ、もう随分前のことですが、私もバドハーも亡くしてはならない御方を亡くしましたから、尚更身近に居て欲しいとそう願ってるんでしょうね。ようは過去にすがってるんです」
私の言葉に、アルフォンスくんが目を丸くする。
「そんなに意外でしょうか?」
「気分を害したならすまない」
「いえ、そういうわけじゃ無いです。おそらく、貴方は私達種族のことを知っているから、そんな反応をされているのでしょうね」
アルフォンスくんが無言で頷く。
私達アールヴ族は多種族に比べて圧倒的に長命だ。
だが長い時を生きるということは、決して幸福なことばかりとは言えない。
長い永い寿命は、幼き頃に感じた喜びや感動、悲しみさえも……そう、心が震えるという感情自体を遠い時間の彼方に置き去りにしてしまう。
そんな枯れゆく草木のように萎れていく心は、やがて、大切な人の死さえも時の流れが癒やすのではなく、過去の記憶としてどこかに置き去りにしてしまうのだ……
そして肉体に残るのは長命種としての醜くくだらないプライドだけ。
長く生きれば生きるほどに生きているという実感を失い、生き物としての醜い習性だけを残していく種族。
アルフォンスくんが私の発言を意外に感じたというのは、つまりそう言うことだ。
「だけど、考えてみたらアンタはアールヴ族の中じゃずっと若いとはいえ、出会った時からアールヴ族とは思えないほど感情表現が激しかったもんな」
「その節は、ごめんなさい忘れなさい」
「わかったよ、忘れる。忘れるからこの手を離せ」
「手? あ、すいません!」
恩人に斬りかかるという過去の愚行が脳裏をよぎり、気が付けばアルフォンスくんの胸ぐらを掴んでいた。
そんな私にアルフォンスくんが苦笑いを浮かべながら頷く。
「ま、バドハーのじぃさんみたいに長生きでもあんなんな例もあるしな。アールヴ族だから感情表現が薄い、なんてのはボクの思い込みに過ぎなかったんだろうな」
「あんなんって。まぁ、今じゃあんな感じの仕上がりですが。ただ、これだけは確実です。恐らくはアルフォンスくんが考えている感じで間違い無いですよ。三百歳を超えたアールヴ、特に元老院の長老衆はバドハーよりもずっと年若いですが、下手な魔族よりも老獪な者達ばかりです」
「感情が薄いから残酷なことも平気でやれる、か?」
アルフォンスくんの試すような声音に、私は無言で頷いた。
「怖いですか?」
「そりゃ怖いさ」
「ですよ、ね」
そんな妖怪どもの巣窟みたいなところに、私はこんなにも年若い少年を放り込もうとしている。
魔窟だと、それをわかっていながらこの少年に助けを求めた。
若き者に犠牲を強いる。そんな私こそが最も汚れた悪党なのかもしれな……
「てりゃ」
ビシッ!
「あ……あいたー! な、なにするかー!!」
「ただのデコピンだ、騒ぐな」
「さ、騒ぐなって……あ、貴方……今のどこがただのデコピンですか! 私の頭蓋骨が砕けるかと思いました! それに何だか私のおでこ辺りから焦げたような匂いもしますですし!」
「気のせいだ、忘れろ」
「気のせいって、お前……忘れろって、お前……」
私の貴方に対する罪悪感とか、見事に粉々に吹き飛ばしてくれる悪気のなさ。
私、これでも一応貴方の雇用主のはずなんですがね!
「忘れたか?」
「忘れません!」
「そうか、ならもう一撃――」
「嘘です嘘! 綺麗さっぱり忘れましたです、はい!」
「そうか、忘れたなら、怖いから飯にするぞ」
「……へ?」
「だから飯だ」
「えっと……」
怖いから、飯?
どう言う意味があるんでしょうか?
何かの隠語? それとも……冗談?
「食わないのか?」
「た、食べます食べます! ずっと山道を歩いていたからお腹が空いていました」
「川にも落ちたしな」
「よ、余計なことは思い出さないでください!」
抗議する私に、だがアルフォンスくんは何処吹く風。
飄々としたまま屋敷の中へと消えた。
「……あの少年はどこまで本気なんでしょうか」
掴み所が無いと言えば何処までも掴み所が無い。
無色透明なようで、白でもあり黒でもある。
楽しいという感情をどこかに置き去りにしたような、だからこそ怖いという感情さえも欠落したような言動の数々。
それはまるで、私やバドハーよりもずっとアールヴ族っぽい雰囲気だ。
そして何より……話せば話すほど、その年齢に見合わない知識と掴み所の無さに驚かされる。
「天性の才能が生み出した怪物かそれとも環境が生んだ傑物なのか、あるいは両方か……まったく謎だらけの少年ですね。でもまぁ、だからこその私達が惹かれた天稟でもあるんでしょうけど」
アルフォンスくんにやや遅れて館の食堂に行くと、すでに食卓に並べられていた料理。
「管理人は先日立ち寄った際も不在でした……何時の間に用意したのですか?」
「今朝だ。アンタとバドハーが行動の方針を決めている最中に準備していた」
「ほんと、何時の間にってヤツですね」
「ボクの都合で長距離移動は決まっていただろ。移動の後に飯作りなんて面倒臭いことやりたくないから、前もって作ったのを瓶詰めしておいた」
「なるほどです」
ご家庭のお母様なら、一家に一人欲しくなる出来た息子さんなんでしょうね。
「とは言っても、朝の片手間に作った料理だ。味は期待しないで欲しい」
「そんな、どれもとても良い匂いですよ。大地の恵みに感謝を……それでは早速、えっと、『いただきます』でしたね」
「ああ」
静かで落ち着いた食事の時間。
バドハーが居ないとこうも穏やかな時間が流れるということを再認識します。
……どうしてあの老騎士は英雄なんでしょうかね?
英雄ならもう少し人々の見本になる存在であって欲しいのに。
ふつふつと湧き上が何とも表現出来ない感情に、自分の眉間に自然と皺が寄るのがわかる。
「すまない、口に合わなかったか?」
「へ? あ、いえ、不快にさせたならごめんなさい。違うんです、食事はとても美味しいです。その、バドハーのことを思い出していただけで……」
「……あぁ、アンタも苦労するな」
「お察し頂けて何よりです」
アルフォンスくんの察する能力の高さと深くを追求しない優しさに素直な感謝がこぼれ落ちた。
「ところで、食事中に悪いんだが」
「はい、なんでしょうか?」
「アルトリアでボクはどんな立ち位置になるんだ?」
「そうでした」
「ボクは見ての通り人間だ。歳だって、いわゆる帝国法に則るなら成人まであと二年はある。いくらアルトリアが多種族国家とは言え、後ろ盾が無い……と言っちゃなんだが、実績も保証もましてやアールヴ族でも無いボクには、何も成すことは出来ないと思うが」
「そこなんですよね。移動中にも色々と考えては居ました。アールヴ以外の異種族なら王立大学で好成績を残して頂くのが確実ではありますが……」
「残念ながら、アルトリアの現状ではそんな暇も余裕も無い、と」
「ええ、ましてやアルフォンスくんの能力を鑑みるに、ちまちまと学生生活を送るのは有害無益だと思っています」
「高評価をどうも」
「事実です」
王立大学で好成績を収める人材を無益とは言いませんが、アルフォンスくんの秘めた才能を考えればそこで無為に時を費やすのは宝の持ち腐れでしょう。
とは言え成人まであと二年と言う事は、この少年は今は十二才から十三才と言うところ。
そんな少年をラーダベルト家が後ろ盾になれば、天性の才を有するだけに下手をすればいらぬ勘ぐりを受けて政争の具にされかねない。
だからと言ってこの年齢で戦争に参加させるなど……
「深く考えすぎじゃ無いのか? いや、それだけ部下思いなのかも知れないが」
「え、私が何を考えているのかわかるのですか?」
「正確なところはわからない。たが、そこまでコロコロ表情を変えていたら、何を悩んでいるのかぐらいは想像はつく」
「そ、そうですか……」
「ところであのじぃさんは戦場に立つのか?」
「英雄ですからね。歳だからと面倒くさがりますが、私は立たせています」
「……部下思いは撤回かな?」
「ち、違います! あ、いえ、自分で部下思いなどと吹聴する気はありませんが、あの老騎士がふてぶてしいほどに面倒臭がりなんです!」
「ん……じゃあじぃさんに人望は無いのか?」
「……ある意味でアルトリアの七不思議と言えるほどには人気はあります」
「そ、そうか……」
「まぁ、世界を救った英雄達の一人であり生ける伝説ですからね。また王家を捨て一介の騎士として生きる道を選んだ生き様は、表面だけを見れば民衆に受けるネタですから」
「随分とトゲのある言い方だな」
「あの人が自由に生きることで私がどれほど苦労したか……」
「あ、うん、ごめん。苦労してるんだな、ボクが悪かった……」
「重ね重ね察してくれてありがとうございますぅ」
思い出すたびに涙腺は崩壊しかけるし胃がキリキリするし。
私、早死にしそうです……
「アンタの苦労が分かったところで、取り敢えずボクの立ち位置は決まったな」
「え、何か妙案でも?」
「妙案ってほどじゃない。アンタらをボクが助けた、これは事実だ。事実を事実のままに伝えればいい」
「ですが、それだけじゃ……」
「そして、そのままあのじぃさんに『この小僧を儂の従騎士にする』とでも言わせれば問題ないだろ」
「なるほど、ペイジ|《小姓》を経ていない問題はありますが、私達を助けた実績を考えれば十分にその素質は認められます。むしろおつりが来るぐらいです。それにバドハーなら戦場でも自由に采配を振るう権限がありますし……でも、良いのですか?」
「戦場に立つことか? まぁ戦いは得意じゃ無いが、雇われるのを承諾したんだ。わがままは言わないさ」
「いえ、そうではなくて……その選択肢はすなわち、あのバドハーの下に付くってことですよ? いいんですか? 後悔しませんか?」
私の問い掛けに、アルフォンスくんが唸り声と共に頭を抱えた。
「んぐ、あ゛ぁあぁぁ……まぁ、自分で選んだ道だし、自分から言い出したことだ、仕方ないさ……」
こんな年若い少年の悲壮な決意を見たのは、人生でも初めてのことだった。
そんな会話から丸一日が経過した。
初日はなんとなく悲壮感のある食事で終わったが、ここしばらくは真逆のまったりとした空気が流れていた。
ちなみにですが、アルフォンスくんは食事の用意から後片付までやってくれたのですが……
何と言えば良いのでしょうか、屋敷の使用人達が後片付けをしていた時は何も感じませんでしたが、アルフォンスくん一人に片付けを任せているのがどうにも罪悪感を覚えるというか……
「あ、あの!」
「なんだ?」
「私も手伝います!」
「邪魔だ迷惑だ」
「ぐふっ!」
容赦の欠片も無いけんもほろろに流れるような拒絶。
そりゃ、ここ数十年は掃除一つしたことありませんが、士官学校時代には寮生活をしてましたから片付けぐらいは出来るんです。
それなのに、役立たずみたいな扱いは不当だと思います。
……士官学校時代は、数世紀前の話ですけど。
「何ふてくされてるんだ?」
「不当な扱いに対する憤りです」
「? 何の話……まさかと思うが、そんなに手伝いたかったのか?」
「公私の公であれば私は何も言いません。しかし私は言いました。この場では対等であろうと。それなのに貴方にだけ任せて私だけが座っているのは違うと思います」
「別に公を持ち込んで、アンタをないがしろにしたんじゃ無い。純粋に邪魔なだけだ」
「ぐはっ!」
素晴らしく対等な扱いでした。
むしろ公の扱いと言ってくれた方がダメージが少ないぐらいに……
「し、しかしですね……私だって後片付けぐらい出来るんですよ」
「自分で出来ると思い込むのと他人が求める出来るの水準が一致するとはかぎらない事を知れ」
「そ、そんなことはありません!」
「任せたら僕の仕事が増える悲惨な結末しか想像出来ない」
「がふっ!」
お、ぉおぉぉぉ……
バドハーよりも容赦の無い辛辣な言葉が私の胸を貫く。
く、このままでは私の上司としてのプライドが……
ここは一言キッチリと言ってあげないと気が済みません!
「良いですか、アルフォンスくん! 私だって――」
ゴンゴンッ!
「こう見えても――」
ゴンゴンッ!
「五月蠅いですね、誰ですかいったい!」
「ドアノッカーが鳴っているんだ」
「バドハーでしょうか? それにしては予定より随分早いようですが」
「じぃさんが予想以上に上手くやってくれたにしても、分かれて約二日、予定より少し早いな。いや、それとも他の要素が絡んだか……」
「バドハーが上手く? 迎えに来るのに他の要素も何も無いでしょう」
私の問いかけに応えること無く辺りに視線を彷徨わせると、壁に飾ってあるオブジェの斧を突然私に投げてよこした。
「ちょ、ちょっと何ですかいきなり!?」
「話は後だ。まずはそれを使ってくれ」
「まさか敵ですか?」
「だったらラッキーだ」
アルフォンスくんは何がラッキーなのか答えもしないまま、斧と一緒にオブジェとして飾られていた円盾を身に付ける。
「武器は良いのですか?」
「ボクは弱いって言っただろ? 戦いはアンタに任せるよ、ご当主様」
どこまでが本気か実に分かり難い表情。
だけど、それで結構!
家事じゃスキルを見せてもいないのにポンコツ扱いされましたが、戦いになれば話は別です!
「来るぞ! 気配はドアに三、窓に五だ!」
ガシャン!!
アルフォンスくんが叫んだと同時にガラスが破られた。
と、さらに同時であった。
メゴッ!
と、鈍い音を立てて覆面を被った賊の頭から鮮血が舞い散ったのは。
「ふむ、もしかしたらバドハーのじぃさんが悪ノリで窓から侵入したかと思ったが、間違い無く賊みたいだな」
いま貴方、バドハーの可能性も考えてたのに、躊躇無く思いっきりフライパンを投げ付けていましたよね?
まぁ良いですけど……
そんなことよりも、まずは目の前の敵を排除するのが先です!
私も飛び込んできた二人目の侵入者に容赦なく斧を振り下ろす。
青銅で作られたオブジェの斧は頭骨に当たった衝撃で歪んだが、人を絶命させるには十分な威力だ。
今倒れた侵入者とフライパンがめり込み倒れている侵入者から黒色の短剣を奪い取る。
「武器の確保も手際が良いね。うん、ボクのフォローはいらないみたいだな」
「当然です! アルフォンスくんも私が守ってあげますから安心して座って見ていて下さい!」
「そうか、わかった。ボクは食器の片付けをやっているから後は任せた」
「え? や、あの! 食器なんか後回しで良いですから、そこは手を貸して下さい!」
「ん、そうか?」
こんなところでまで掴み所の無い性格を発揮するのはいかがなものかと!
まったく……






