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終わりゆく世界に紡がれる魔導と剣の物語  作者: 夏目 空桜
第二部 第一章 天才少年とポンコツご当主さま
145/266

アルトリアの偽王、少年と出会う

2022年02月18日 アルトリアの偽王~ハッスルじじぃ~

2022年03月02日 アルトリアの偽王~ご当主様と少年~

を結合し改稿しました。

「バドハー、無事だったのですね」

「何とかこんとか生き延びましたわい」

「それは重畳です。積もる話も聞きたい事も山ほどありますが、今は目の前の敵を倒すのに力を貸してください」

「なるほど、了解しましたぞ……と思わず返事をしてしまいましたが、そうではなく取り敢えず剣を収めてくだされ。その少年は味方、もっと言うのなら儂の命の恩人ですじゃ」

「お、恩人!? 本当ですか?」

「この状況でそんな嘘をつく意味がありませぬ」

「……」

「なんですかな、その沈黙」

「いえ、貴方なら意味も無く嘘をつきそうだとかそんなことは思っていませんよ」

「ぬあっ!? なんたるじじぃ差別!」

「お年寄りを差別していません、疑わしきは貴方だと言ってるのです! とにも、そうですね……」


 バドハーの進言を受け素直に柄から手を離した瞬間、バドハーが悪意を孕んだ歪な笑みを浮かべた。


「バドハー?」

「くっくっく、騙されよったな! ご当主様よ! それが(うぬ)の甘さよ!!」


 ゴリッ!


「ひでぶ……」

「無駄に話をかき乱すな」

「ちょ、ちょっとしたお茶目じゃ無いか……」

「え、えっと……」


 会話にすごく置き去りにされてしまいましたけど、何が起きたのかというと……


 バドハーが突然悪い顔を浮かべる。

 地面に落ちていたこぶし大の石を少年が投擲してバドハーの顔にめり込む。

 ↓

 少年がバドハーを窘める。

 ↓

 バドハー、鼻血を吹き出しながらぶー垂れる。


 あー……え? あ、あれ?

 さ、察するにこの少年は味方で、バドハーがここぞとばかりにボケに走った、ってところでしょうかね?


「バドハー、一応ですがもう一度確認します。この少年は貴方を助けた、それで間違い無いのですね?」

「さ、さようでございます。にしても……いででで、ちぃとは手加減せんか小僧」

「じぃさん、アンタが話すと余計な手間が増える。要点だけ話せ。それが終われば永遠に(ずっと)黙っていろ」

「ぬぐぅ! 何たる冷たさ!」

「早くしろ。どうせそのままくだらないおしゃべりをするつもりだろ」

「わかったわかった、ちょっと待て。えっとですなご当主様、風霊(ルシャ)の力を借りて上空から捜索中二人が遭遇して儂一安心。ホッとした拍子になんか異様に鼻がむずむずしたからほじくってたら鼻血がぶー。儂が止血に戸惑ってるうちに気が付けば二人の様子が悪化。颯爽と飛び込んでご当主様の剣を受け止めようと考えるも、焦った拍子に血圧が上昇したのか、儂の鼻血大爆発。こりゃいかん、儂鼻血で出血多量の大ピンチ」

「誰が鼻血を出した経緯を詳細に説明しろと言いましたか! 貴方はこの少年に助けられた。そう言うことで間違い無いのですね!」

「若い者はせっかちじゃのう。うむ、あの黒騎士をこの小僧の機転で助けられたあと、更にウマウマな飯とホカホカなお風呂まで頂いたのじゃ♪」


 バドハーがにっかりと笑う。

 今すぐ切り捨てたい、この笑顔……

 剣を抜こうとする右手を必死で堪えながら、私は少年へと向き直り深々と頭を下げる。


「ん?」

「家臣を救っていただき私の身も救っていただいたのに、敵と決めつけ怒りをぶつけてしまいました。申し訳ございませんでした」

「気にしなくて良いよ。ボクも説明をろくにしなかったからな」


 ぶっきらぼうで驚くぐらいに無表情だが、本当に気にしていないと言いたげに肩をすくめる。そして一瞬、極めて一瞬だが薄く微笑み、


「アンタはたいしたもんだな」

「え?」


 困惑する私に少年はそれだけを言った。

 そして、その後の会話には興味はないとでも言いたげに私達に背を向け歩き出す。


「あの……」


 問いかける私に振り返る事は無い。

 ただ、


「ご当主様」


 お調子者の老英雄は私の肩に手を置くと、


「なに、あの少年はいささかコミュニケーション能力に難はありますが、儂らにとって間違い無く頼りになる味方ですじゃ」

「…………」


 話をこじらせた元凶が、訳知り(ドヤ)顔で微笑んでいた。

 ……ほんとにね、今すぐ切り捨てたいと思うのは、私の心が狭量なんでしょうか?


「おい、こっちはそのじぃさんから仕事を受けてる最中なんだ。早く付いてこい」

「やれやれ、すまんのう。うちのご当主様は行動が遅くて……」


 うん、何時か切り捨てようこのじじぃ。


 ………………

 …………

 ……


 そんなことを私が決意して二時間ほどが過ぎた。


「あの、随分険しい道ですよ。それにこの道は王都から離れている気がするのですが、本当に大丈夫でしょうか?」


 少年を先頭に歩く山道。

 山道と言うよりは最早崖に近い道を登りながら思わず尋ねる。

 が、返事はない。


「あの、本当に大丈夫なんですよね?」

「さっきから同じ質問ばかりで、いい加減面倒臭いんだが」

「うぅ、すいません」


 何とも淡白というかことも無げな返しに、私は返す言葉を失い視線を彷徨わせた。

 そして、その視線の先には風霊(ルシャ)に抱かれ優雅に空を飛バドハーとルーディフの姿が……


「ず、ずいぶん優雅に空に浮いてますねバドハー」

「何故優雅に空を飛べるのか! そーれーわー!! 風霊(ルシャ)を愛し! 風霊(ルシャ)に愛された漢……それが、この空前絶後の正義漢! バドハーだからですじゃ!!」

「五月蠅い! おバカ!」


 このお調子者の老英雄(バカ)は放置する(少しでも構えば鰻登りに図に乗りますから)として、やはり驚愕すべきはこの少年の身体能力。

 私ですら疲れを覚えるこの道のりを、息切れ一つせずに登るとは。

 しかも、時折辺りを見渡すと懐から取り出した羊皮紙らしき物に何かをかいて(・・・)いる……


「しょ、少年。先ほどからいったい何をかいて(・・・)いるんですか?」

「ん?」


 私の質問に面倒臭そうに振り返ると、無造作に見せてくれた羊皮紙。

 そこには直線やら三角やら……


「えっと……記号、ですか?」

「ああ、この道を通るのは久しぶりだからな」

「もしかして地図を描いているのでしょうか?」

「ま、そんな感じだ。ほら、あそこを見てみろ」


 少年が指さした先には谷間に沈む美しい夕日が見えた。

 ぶっきらぼうに見えて、自然に共感する感性を持ち合わせた少年なんですね。


「綺麗ですね……」

「そこじゃない。その下だ」

「え、下? 普通に森が広がってるだけですが……」

「よく見てみろ」


 良くと言われても、そこには谷間に広がる森しか――


「あ」

「気が付いたか」


 少年はそう言うと腕を突き出し、親指を立てて両目を右左と片方ずつ交互に閉じた。


「何をしているのですか?」

「幅にして約25メートル、縦に約110……いや、約120メートルだな。ん? 何か言ったか?」

「……いえ、何でもありません」

「そうか」


 それだけを言うと、また羊皮紙に書き込んでいく記号のような線。

 会話終了……

 ああ、何というコミュケーション能力の低さでしょうか。

 別に私のコミュニケーション能力が低い訳じゃ無いんです!

 この少年が低すぎるのだと思います。

 現にあのやかましいバドハーですら、やれやれとばかりに沈黙を……


 え?


 違った。そこに居たのは、かつて、私がまだ若き頃に見た真剣な眼差しの英雄バドハーだった。

 ただ、少年の一挙一動を見逃すまいとしている。

 昼行灯を決め込むようになってから、真面目な姿を見せることがなくなったこの老騎士がこれほど気に掛けるとは……

 バドハーの目から見てもやはりこの少年ただ者ではないと、そういうことなんでしょうね。


 ――ボクは戦いが苦手なんだ――


 間延びした口調でそんな事を言っていましたが、刹那に落ちる雷さえも切り裂く私の抜刀術を止める。ましてや背中とマントで出を隠したそれを止められるなど、今まで一度として無かった。

 それともあの時の私は、少年の姿に惑わされて無意識に手を抜いたのだろうか?


 ――いや、違う。


 認めろ、認めるんだ……

 この一見すればどこにでも普通に居そうな少年は、だが私の剣を止めるだけの実力があると。

 背中に冷たい汗が流れ落ちた。

 この少年はいま幾つくらいだろうか?

 十を超えたばかりか? どんなに多く見積もっても十と中に届いたかどうかくらいだろう。

 それなのに、これほどまでに底の知れない実力を秘めているとは……

 末恐ろしいとはこのことか。

 一人息切れまみれで崖を登り切ったときには、地平に見えた夕日はすでに姿を消していた。

 夜空には地球(つき)の青い明かりが煌々と輝いている。


「悪いな、地形を確認していたら少し時間がかかりすぎた」

「いえ、どちらにせよ遅かれ早かれ沈む夕日でしたから。それよりも、早く野営の準備をしましょう」


 危険地帯を抜けたとは言えこの辺りはまだまだ魔獣の生息域。

 何も準備せずにいれば、夜行性の魔獣に襲われる危険がある。

 しかし、そんな心配をする私をよそに、少年は暗がりを軽く見渡すとまるで何事も無いみたいに藪を掻き分け進んでいく。


「あ、駄目です! そんな無造作に進んでは危険ですよ!」

「……ああ、夜目のことは気にしなくてもいい。ボクもアールヴ(あんたら)ほどじゃないがそれなりに夜目は利くんだ」

「そうだったとしてもです!」


 慌てる私の肩にバドハーは手を置くと肩をすくめた。


「バドハー何を悠長にしているのですか! 腕が立つとはいえまだ少年です! 無謀と勇気をはき違えているなら、恩人とはいえども大人が注意しなくてどうするのです!」

「ご当主様、あの小僧……ハッキリ言って儂らの想像の斜め上を行っております。小僧の夜目がどこまで利くかは分かりませんが、何、あの魔獣を操り黒騎士の猛追から逃げ切った手腕を考えましても、こと森に関しては儂らのように町に馴染んでしまったアールヴ族よりも熟知しておりますぞ」

「ま、まじゅうをあやつり、くろきしからにげる?」

「どうかしましたかなご当主様。些か口調がアホの子になっておりますぞ?」

「誰がアホの子ですか! 貴方が突拍子も無い冗談を言うから困惑しただけです!」


 抗議する私に、だけどバドハーは困ったみたいに笑ってみせる。


「市井の子であったなら儂も止めますがな。ありゃ、儂らが知る所謂【子供】とは別物と思った方が心臓に悪くないですぞ」

「それは、どう言う意味で――」


 問い掛けたときだった、ボンッと小さな破裂音が聞こえたのは。

 それは、少年がかき分けて行った藪の方

 何事かと思い慌てて振り返ると……


「……ば、ばどはー?」

「何ですかな?」

「き、気のせいでしょうか? 先ほどまで雑木と藪に覆われていた原野に、突然家が現れた気がするのですが……」

「ほっほっほっ、だから【別物】と思っといた方が心臓に悪くないと言ったのじゃ」

「わざとらしい渇いた笑いを混ぜて簡単に言ってくれますね」

「静かな怒りをはらませて儂に当たらんでくだされ。一応言っておきますが、小僧がやらかすこの程度(・・・・)のことで一々驚かんほうが身の為ですぞ。何かにつけて予期せぬサプライズばかり見せ付ける小僧ですからな」


 白髭を撫でながら、さもありなんと笑う老騎士。

 そして、


「本当に驚くべきはこの家の中なんじゃよなぁ……」


 自嘲気味にそう呟いたのである。

 ええ、その意味はすぐにわかりました。


 ちゃぽ。


「はぁ……野山を一晩中駆け巡り、冷え切っていた身体が癒やされていくのが分かります……」


 コンパクトサイズの可愛らしい湯船と言っては失礼ですが、さすがは魔導ハウスと言うべきでしょうか。

 まさか山の中に突然出現させた一軒家にこのような快適な環境が揃っているなんて。


「ふぅ……」


 足を目一杯に伸ばし、凝り固まった身体をゆっくりとほぐす。


「足を伸ばせる湯船、か……」


 庶民には大衆浴場が当たり前。それなのに一軒家に高嶺の花であるはずのお風呂があるなんて。

 この家が魔導具だからと言ってしまえばそれまでですが、今更ながらにあの少年は何者なのでしょうか?

 特に貴族を証明するような家紋とかは持ってはいなさそうですが……

 ですが、この魔導ハウス。

 下世話なのは承知ですが、値を付けるとしたら一体いくらになるのでしょうか?

 出すとこに出せば有力な貴族の資産ですら簡単に消し飛ぶ額にはなるはず。

 なにせ、この魔導具は日常で使うものなのだから。

 そう、魔導具とは本来戦争の道具だ。

 あの帝国の厄災・魔帝アルフレッドが生み出した魔導具もまた大半が戦道具だった。

 大陸の上空を延々と周回するあの空飛ぶ魔導列車とて、あたかも帝国復活の象徴かのように平和利用を謳ってはいるが何のことは無い。帝国が大量の兵士を何時でも戦地に送り込むために生み出されたモノだ。

 ならば、この魔導具は一体どこから来たのか?

 一体、どれほどの力を秘めた魔導具師がこれを作ったのだろうか?

 目的は?


「……わからないことだらけですね」


 ただ、これだけの魔導具。それを所持している事を考えると、やはりどこかの有力な貴族の子息でしょうか?

 でも、名字はないと言っていました。

 隠している? それとも、本当に平民。

 なら、大富豪の子か?

 世界的に有名な富豪なら北航路の開拓者アルド家、あるいは魔導総本家ガシュー家あたりか?

 だが、仮に有力貴族の子息だとしても、これほど優れた魔導具など与えられることなどあるのでしょうか?


「はぁ……私は何を考えているのでしょうね。命の恩人である少年の出自を詮索するなど非礼にもほどがあります。ただでさえ我を忘れ攻撃をしてしまったというのに……」


 先ほどの出会いを思い出して、何とも言えない感情が込み上げた。

 お互い無傷で何事も無かったと言えば聞こえは良いが、あれは圧倒的な敗北だった。

 恩人の話をよく聞かずに斬りかかり惨敗とか、婆やに見られていたらどれほど呆れられたことでしょうか……


「ううぅぅ」


 ブクブクブクプクプクプク……

 情けなさと恥ずかしさのあまり、思わず湯船に頭まで浸かってしまう。

 ……そう言えば、話は変わりますが谷底であの子に感じた不思議な感覚は一体何だったのでしょうか?

 私は愚かにも少年に剣を向けてしまった。

 けど、その前に確かに感じたのだ。

 香水とも違う、あの優しい薫り。どこか懐かしく、ソフィーティア様を思い出させる薫りを……


 あの瞬間、どれほど心が揺れただろう。


 ただ、まぁ……ええ、私にだった分かっています。それはそれとして、恩人に対して失礼をぶちかました自分を正当化しているようで言いたくはないのですが……

 言いたくは、ない……の、です……が。

 明らかにコミュニケーション能力が足りていないあの性格はどうにかならないのでしょうか?

 いつも朗らかで優しい笑みを絶やさなかったソフィーティア様。

 何故だろう。

 ハッキリ言ってしまえば少年が纏う雰囲気というか空気感はソフィーティア様のそれとは真逆過ぎるほどに真逆。

 それ、なのに……

 頭に血が上る前の私は確かにそれを感じた。

 いえ、匂いと性格が一致するとか、そんな事を考えている時点でおかしいのはわかっているのです。わかってはいるのです、が……

 それでも、凄く懐かしかったなぁ。

 一瞬とは言え、まるでソフィーティア様のお側で仕えていた時のような――


ぼぼがばばぼばば(ふふ、なにを言って)……ボバッ!? ガハッ! ケホケホッけはっ! か、考え事をしているうちに、湯船にも、潜っているの、ゲホッ、わ、忘れていました……」


 我ながら救いようのないボケをやってしまった。

 おかしいです……

 私はこんなにボケた性格じゃ無いはずですのに、この旅に出てから良いところがまるでない気がします……ぷくぷくぷくぷく……


 コンコン。


「ふぁっ! は、はい! な、なんでしょうか!?」


 湯船に浸かり瞑想してた私を現実に引き戻すノックの音。


「随分長く入っているみたいだが、大丈夫か?」

「ふぁ、ふぁい大丈夫です!」


 今まで思い巡らせていた少年に突然声をかけられ、思わず私の声が裏返る。


「呂律がおかしいようだが、本当に大丈夫か? 湯あたりしたんじゃないのか?」

「だ、だいじょうぶです! ちょ、ちょっと魂がクライシスで気持ちがヘルニアを起こしていただけですから!」


 うぅ、私は何を言っているのでしょうか?

 磨りガラスで姿がぼんやりとしか見えない向こうからも明らかに怪訝な雰囲気が伝わって来ます。


「それは本当に大丈夫なのか?」

「だだ、大丈夫でしゅ!」

「そうか、大丈夫というならこれ以上は聞かないがあまり長湯するなよ」

「ありがとうございます」

「それとアンタの服は泥だらけで小汚かったから、洗濯機にぶっ込んどいた」

「小汚いは余計です! え、センタッキー? センタッキーって何ですか?」

「服は母さんのローブが残っていたからそれを着てくれ。下着は他人のは嫌だろうから乾くまで待つんだな」

「ありがとうございます……」


 センタッキーなる物の説明は無しですか。

 ええ、説明が面倒臭かったんでしょうね。

 声の感じで伝わってきましたよ、ええ。

 そういう子だっての薄々分かってましたとも。

 ええ、分かっていましたとも……

 ただ、もうちょっとコミュニケーションを取ってくれても良いのにとか思ったのは秘密です。


「そういやアンタんとこのじぃさんが、晩飯にカレーを食わせろ食わせろと五月蠅いから今晩の晩飯はカレーだ。スパイスが利いてるから多少辛いと思うが大丈夫か?」

「うぅ、うちの乾物(バドハー)が申し訳ございません。後でちゃんと言って聞かせます。それと、辛い物はそれなりに大丈夫です」

「そうか」


 それだけを言うと、遠ざかっていく気配。

 何となく笑っていたように感じたのは気のせいでしょうか?

 あと、バドハー……貴方は仮にもアールヴが誇る英雄でしょ?

 なんと恥ずかしい真似を、あの人は子供ですか!

 キリキリと痛むこめかみと胃。

 それにしてもあの子、私達に恩情をかけるような関係ではないでしょうに。

 ぶっきらぼうでも心根は優しい子なのですね。

 そんな事を思いながらお風呂から出た私は……


「これは嫌がらせですか? もしかしてあの子は本当に底意地が悪いのでしょうか」


 震える声を絞り出すのが精一杯だった。


「……バドハー、何を見ているのですか?」


 自分でも耳まで赤くなっているのが分かる。

 バドハーはそんな私にいつもの茶化す雰囲気ではなく、慈しむように穏やかな瞳を向けていた。


「バドハー何か言いたい事があれば早く言いなさい!」

「いやはや、何と言いましょうか。そのお姿になってから随分と経ちますが、そんな格好は初めて見ましたからの。新鮮というか何いうか、どうお声をかければ良いのか思い付かなかったのです」

「余計なお世話です! このような可愛らしい服が似合うはずがないのは私だって重々承知しております! ですが想定外の事態が起きたんです!」

「ビックリするぐらい早口で捲し立てられましたが、十二分に似合ってると思いますぞ?」

「そ、そうでしょうか? このような可愛らしい服など着た事無いから分かりませんが」

「ええ、似合っておりますとも。ただ、まぁ……その、あれじゃ……」


 言い淀みながら視線を泳がせたバドハーは、やがてその視線を一点に注いだ。

 ええ、私の胸元に。


「言いたい事があるならハッキリとおっしゃいなさい」

「こんな儂にもミジンコほどには慈悲の心というものがあるんじゃぞい」

「口を開けば何時だって他人をパニックのどん底に突き落とすクセにこう言う時だけ優しくならないでください!」

「失礼なそれじゃまるで儂が喋る公害みたいじゃないか!」

「言い得て妙だと思いますがね」

「ぬぬ、ならばズッパシ言いますが胸が空きすぎですぞ! そう言うと胸元が開いたイケてる服を着こなすいい女みたいに聞こえそうですがちゃいますからな! 足りてない! 圧倒的に足りてない! 胸元すっかすか! 貧乳オブザ貧乳’s! こんな貧ぬー見た事ねー!!」

「だれが【貧乳の中の貧乳】だ!」

「現実を認めるのも世の中を生きてくためには必要な勇気ですぞ」

「そんな無駄に壮大な勇気は必要ありませんし、勝手に諭すな!」

「元の持ち主はスタイル抜群だったんじゃろうが、ご当主様には荷が重すぎて重すぎて」

「こ、この、口を開けば悪態三昧……いいですか! わた」

「うるせぇ! 人が飯の準備をしている時ぐらい静かに待てないのか!」


 気が付けば罵り合っていた私達を少年の烈火の如き怒声が叩き付ける。

 うぅ、子供の前でいい歳をした大人が何をやっているのでしょうか。

 バドハーも妙に活き活きとしてますし。

 ホント……この老騎士がはしゃぐと、私がろくな目に遭わないのは何故なんでしょうか。

 心がやさぐれそうです……


 コトン……


 テーブルに置かれたお皿。


「何だかよく分からないけど、アンタも苦労してるんだな」


 年端もいかない少年に慰められた。


「優しい言葉はやめてください……優しくされると泣きたくなります……」

「そうかすまない」


 うぅ……

 気を遣ってくれた子に八つ当たりとは、何て情けない。

 情けな、い――


 !?


 そんな情けない気持ちもどこへやら。

 突如鼻孔をくすぐったスパイシーな香りに意識を奪われた。


「この、食欲をそそる香りは?」

「ほほーっ! 来よったわっ! これじゃこれじゃー! これがカレーじゃ!」

「加齢?」

「なんか途端におっさん臭に変わりそうじゃわい。そうじゃなくてカレーじゃ。見た目はあれっぽくてイマイチじゃが、食せば異次元へと飛ぶぞ」

「説明でもう軽くパニックなのですが、美味しいって事でしょうか? 確かに食欲を刺激される香りです」


 器に盛り付けられる料理。

 本当に美味しそうな香り、初めて出会う香りです。


「それじゃいただきます、と」

「ソレジャイタダキマス、ト」


 精霊や神にお礼を言うのは聞いた事がありますが、『ソレジャイタダキマス、ト』とはどういった意味なのでしょう?

 初めて聞く言葉です。とは言え、知らない言葉であっても郷に入っては郷に従え、です。


「ああ、ボクが言った食前の挨拶を知らないんだな。『ソレジャイタダキマス、ト』じゃなくて、『いただきます』と手を合わせて言うだけだ」

「なるほど、『いただきます』ですね。覚えました。バドハーも一緒に……って、どうしたんですか?」


 ここぞとばかりにおちょくりに来るはずの老騎士に警戒しながら振り返ると、何故か強張った顔で少年を見つめていた。


「なんだじぃさん? 辛かったか? それとも、一瞬にしてボケたか?」

「いや、辛くも何もまだ食っとりゃ、って、アルフォンスよ誰がボケたじゃ! あ、いや、そうじゃなくて……」

「ああ、安心しろ。お代わりはちゃんとあるから」

「それでもなくてな、えっと……ま、まぁ何でも無いわい。その、あれじゃ。うん、やはりカレーは旨いのう! ガッハッハッハッ!!」


 あからさまに下手な誤魔化し。

 何が気になったのかは分かりませんが、この場で言わないところを見ると胸に秘めておくつもりなのでしょう。

 少年――

 えっとアルフォンスくんも気にしてないようですし、余計な騒ぎにならないよう放置しておくのが一番ですね。


「んっ! この料理、本当に美味しいです」

「この晩飯、そこのじぃさんもえらく気に入ってるんだよな。アンタらお偉方が普段食べてる物に比べれば、ありふれた食材でたいした手間もかけてないけどな」

「そんな事はありません。一口スプーンを口に運ぶ度に嬉しいというか、楽しいというか、えっと、何と言ったら良いのか分からないですけど、とにかくこんなに美味しいと思ったのは初めてだと思います!!」


 要領を得ない私の言葉に、だけどアルフォンスくんはどこか大人びた笑みを浮かべていた。

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