それは、始まりの出会い
2022年01月20日 アルトリアの偽王~出会い~
2022年02月18日 アルトリアの偽王~ハッスルじじぃ~一部
を結合し表現を中心に改稿しました。
「はぁ……はぁ……」
こぼれ落ちる吐息に肺がギチギチと呻きを上げ、草や枝葉で擦り切れた足がジクジクと痛んだ。
不眠不休の逃走からすでに丸一日。身体はすでに限界が近かった。
……限界?
何を愚かな。私の為にその命を最後まで燃やしてくれたライアンの御霊を前に、何故そのような弱音を吐けようか。
力尽きるのは王都の防衛指示を出し、あのお調子者の英雄を救ってからでもいい。
そう、それで……いい。
重たい足取りを何とか堪えながらそれでも歩みを進めるも、ふと鎌首をもたげのは眠気。
気力は十分にある。それなのに、この身体は私の意思に抗うみたいに疲労を訴えかける。
「まだ、です……まだ、倒れる訳には……」
水袋の中身を一口すする。
ハァ……
なまぬるい癒やしが喉を潤すと、霞のかかった脳膜に僅かながらに思考力が戻ってくる。
「黒騎士ヤクトリヒター……」
越境し我が国に足を踏み入れた厄災。
私はこれでも剣士としても精霊術士としても、アルトリア王国で五本の指に入る自負があった。
その私が、たった五騎の敵に手も足も出なかった。
……いや、違う。
確かにヤクトリヒターは連合軍を敗走させたと言うだけあって異様異常とも言える強さを秘めていた。
それぞれが間違いなく一騎当千の猛将。
だが、その中でも――
その中でも一騎、その一騎だけはさらに群を抜いていた。
喩えるなら一騎当万、いや、まるで言葉遊びのようだが一騎当億とでも言うべきか、あまりに底知れぬ次元の違う強さだった。
その姿を思い出すだけで心の奥底から冷たい震えが込み上げる。
アレは、一体何者なんだ?
バドハーは確かにお調子者だ。いや、お調子者を装った英傑だ。
そのバドハーと私の連撃を受けてなお冷静に対処し一歩も引かないどころか、圧倒的な膂力で立ちはだかった黒騎士。
あれは、一体……
再び凍て付いていく背筋に身震いする。
バドハーを助けに行って、もしまたあの男と対峙したならどうすれば勝てる?
鬼神も斯くあらんと思われる暴風の如き存在。
せめてもの救いは魔術・魔法の類いはそこまで恐るべき力では無かった事か?
――嘘だ。
その程度のことが弱点などとはとても思えない、補って余りある膂力だった。
勝てる勝てないの二択なら、どう逆立ちして計算しようとも勝算の無い戦いになる。
ならば勝算が無いと分かりきった戦いに、あたら若き戦士達の命を散らすのか?
いや、それ以前に国に戻って助けに戻るまでどんなに急いでも七日はかかる。
常識的に考えれば、あの黒騎士相手にバドハーが生き残る確率など万に一つもないだろう。
だけどバドハーならば、【聖戦の死に損ない】を自称するあの英雄ならば、きっとどんな手段を使ってでも生き残ってくれるはず。
であるならば、私が下すべき判断はただ一つだ。
喩え冷酷、無能と謗られようとも、百を切り捨て一の英雄を救わねばならない。
英雄が持ちうる力――
それは、どんなに劣勢とも言える大局をさえも覆しうるからこそ英雄と称されるのだ。
王姫亡き後すっかり道化のような振る舞いをするようになってしまったが、それでもバドハーはアルトリア王国に無くてはならない男だ。
生きていると奇跡を信じ、何としてでも救出せねばならない。
ならば……
目指すべき道が決まれば後は思い悩む必要は無い。
私は覚悟を胸に再び走り出す。
あの谷の底を越え、少し進めばなだらかに広がる丘の上に王都が見えるはずだ。
あと少しだ。
あと、もう少し……
膨らむ希望。
それなのに……嗚呼、そこには絶望が居た。
眼下に広がる谷底。
そして吹き上げる谷風に混ざる獣臭と、その獣臭に混ざる冷気。
「冷気の中に魔素が混ざっている。氷、霊……獣臭に氷霊、ま、まさか……」
その二つの組み合わせで思い当たる唯一の存在に震えを覚えた。
「まさか、氷結熊が谷底に」
震える唇で紡いだ魔獣の名。
個体性能なら魔猿をさえも凌駕する怪物。
しかも、この谷底から漂う濃密な獣臭とこの強烈な魔素はいったい?
息を殺して足を踏み入れた谷底。
震える足取りで岩陰から覗き込――ッ!
そこは、白き巨熊達の巣窟と化した地獄だった。
いったい何が起きているというのか。
縄張り意識が強く誇り高い氷結熊が、こんな場所で隠れるようにして群れている理由が分からなかった。
しかも、どの個体も全身にびっしりと生々しい傷に覆われているではないか。
「手負い、ですか……」
明らかに重傷な個体も居る。
一見すればこちらが有利。
だが、理性と痛みでたじろぐ我々とは違い、手負いの魔獣は生存本能の全てを闘争心へと変えその命が尽きるまで荒れ狂う暴力の怪物と化す。
いや、それよりも氷結熊を痛めつけて従える存在がここに居るのかも知れない。
私自身が確実に生き残る事を優先するなら、ここを迂回するのが正解だ。
だけど、谷底を迂回するなら渓谷を大きく回り森を通り抜けねばならない。
どんなに急いでも余計に三日はかかるだろう。
そうなれば、いかなバドハーと言えども……
いや、そもそもあの黒騎士を相手に未だ無事でいるかすら……
「何を、愚かな……あのお調子者は紛れもなく他に類を見ない傑物。旧世界を滅ぼした巨悪《刻喰らい》を打ち倒した超英雄の一人だ」
バドハーは生きている。
なら、何としてでもここを走り抜け最短でバドハーの救援に向かう必要がある。
「……ッ」
ギチリと奥歯が軋みをあげる。
……軋み?
パンッ!!
乾いた音が鳴った。自分の頬を思い切り叩いた音だ。
ここで恐怖を感じるなど何を甘えている!
私を逃がすために黒騎士に飛び込んだバドハーの勇気。
私を逃がす為に命をかけてくれたライアン。
家臣が見せた勇気の十分の一も私には無いというのか?
甘ッ、たれるな……!
気炎とともに抜き放ったミスリルの剣に淡い光が宿る。
「魔剣ハウゼルよ、私に力を貸してください!」
私の覇気に呼応しハウゼルに宿る光が更に輝きを増す。
覚悟は、決まった。
「水霊よ! 美しく――」
「なぁアンタ、やめときな」
どこからともなく聞こえた子供の声。
邪魔をしないでください。
「強き流れもちて、今ここに牙を解き放て、フリー……」
「だから、やめといた方が良いぞって」
「セント……って、だから何なんですか! と言いますか貴方、何時の間に私の隣に! って言うか、どうしてこんな処に子供が! それよりも、貴方何か変わった匂いがしません?」
張り詰める空気をまるで気にもとめずに語りかけてきた少年。
見た目は人族……いや、混ざり者か?
アールヴ族に勝るとも劣らない整った端正な顔立ちに愛らしささえ覚える容姿。
だけど、その幼さの残る容姿には似つかわしくない、全ての魔導を極めた者のみが持つと伝えられる黒髪と黒い瞳。
まさか、ですよね。おそらく先天的なものでしょう。
それにしても、気を張り詰めていた私の背後をあっさりと取るとは。
この少年はいったい……
「何か考え事をしているところ悪いが、氷結熊が宿す精霊は氷霊だぞ。言い方は悪いが氷霊は水霊と風霊の上位互換だ。どんなに強力な精霊術でも使うのが水霊なら氷結熊相手にはまったく無意味だ」
「確かに。それでも……って、そうではなくて! 貴方は一体何者ですか、私の質問に答えてください!」
「質問が多すぎる。面倒だから嫌だ」
「め、面倒って……答える気も無いのに私の邪魔をするというのですか!」
しかし、突然現れた少年は、ピリつく私の抗議など何処吹く風。しゃがんだまま気怠げに氷結熊を眺めていた。
「う~ん、一部の個体が負っている裂傷は恐らく魔猿によるものだろ。だが他の個体の傷は恐らく剣と槍の傷。しかも傷の感じから、圧倒的な力の差でねじ伏せられたのが明らかだな。それなら何で頭を切り落とし心臓を潰さない? 明らかに致命傷を避けている」
「聞いてますか!」
「可能性としては黒騎士が濃厚だが……まさか無慈悲に連合軍を壊滅させるような黒騎士に慈悲の心があるとでもいうのか? 年寄りはボコるけど動物には優しい……性格の歪んだ動物愛護だな」
「私の話を聞けーっ! そして私の質問に答えなさい!」
「うるさいなぁ。アンタの質問は多くて答えるのが面倒臭いからボクの質問に答えろ」
「だから、どうして貴方が質問する側になるのですか!!」
可愛いらしい顔立ちなのに、このどうしようも無く取り扱いが面倒臭い感じ……何というかバドハーを思い出します。
バドハーと良い、私の対人関係は呪われているのでしょうか?
「なぁアンタ」
「……何ですか?」
って、何で私は素直に受け答えしているのでしょうか。
落ち着け、私……
相手は子供じゃないですか。ええ、子供ですとも。
「質問も面倒だ、取り敢えず要点だけ伝える。あとは自分で判断しろ」
何という無愛想。
ここは私がちゃんとした大人代表として注意せねば。
「いいですか、少年。少なくとも目上の人間には――」
「この谷を越えたいんだろ? 無駄な戦いに労力を割かなくても、谷を越える道はあるぞ」
「喩え非常事態だとしても最低限の礼儀……え、今何と言いましたか? あ、ちょ……」
伝える事は全部伝えたとでも言いたげに、すでに背を向けて歩き出す少年。
「ちょ、ちょっと待ってください! 本当に、谷を越える道があるんですか?」
問いかける私に、少年は背中越しに一瞥すると無言のまま再び進み出した。
「う~……あの少年について行くのははたして正解何でしょうか?」
とは言え、私に選択肢が無いのは明白だ。
正直、私が得意とする属性と氷結熊との相性は最悪、勝算は皆無に等しい。
ならば、可能性は低くともこの少年について行くのが正解でしょうね。
「置いてくぞ。早くしろ」
「うぅぅ……わ、わかりました、今行きますから置いていかないでください」
荒れた岩場を再び這い上がり戻った丘の上。
「はぁはぁ……それで、本当に貴方が知る他の道を教えていただけるんですね?」
「道? ……ああ、道な」
まるで、そんなもの嘘だとでも言いたげな反応に私の血液が刹那に沸騰する。
「よもや……嘘だったとでも?」
「まぁ、嘘って言えば嘘かな?」
「……」
「あ、嘘と言っても……わっ」
抜き放った刃が空を斬ると、少年は無表情のままわざとらしい吃驚の声を上げて後ずさる。
驚きたいのはこちらですよ。警告のために加減したとは言え、こうもあっさり躱すとは……
まさかとは思いますが、帝国の者? 黒騎士の一味?
柄を握る手にじわりと汗が浮かび上がる。
「おいおい、何するんだよ。ボクは戦いは苦手なんだ無茶してくれるな」
「もう一度問います、貴方は私を騙したんですか?」
「まぁ否定はしないが、それは――」
キン……
抜き放った剣が、乾いた音を奏で鞘に戻る。
許すために納刀した?
否――
この少年は私の進むべき道の明かりを消し去る敵だ。
ならば立ち塞がる者は子供といえど打ち払うのみ!
ザリッ!
踏みしめた地面が鳴く。
「へぇ、抜刀術とはまた珍しいな」
「……この剣技を知っているとは驚きました。博識ですね」
「聞きかじった程度の知識だよ。まともな使い手は一人しか知らない。あえて知識をひけらかすならそのフォームは到底乱戦向きとは言い難いが、剣筋が読み難いところは対人特化型の剣技とされている、だろ」
「そこまで知っているなら十分です。では、年若いとは言え愚かな言動を後悔しなさい!」
鞘から淡く赤い光が漏れる。
赤い光は魔剣が相手の能力をはかりかねている警告色。
喉の奥がやけに渇く。
目の前の少年の姿をした何者かを、魔剣だけではなく私の芯もまた恐れているのだ。
だが、
魔剣ハウゼル――
遙かな古、後世に名を残せなかった名工が打ちし半曲刀。
未熟な私ではその力の深奥を開放するに至ってはいないが、この半曲刀の特性がその最高の性能を生み出す術は理解しているッ!
鞘走りのタメが生み出す高速の抜刀術、研鑽の中で導き出した神速の世界!
進むべき道を塞ぐというのなら、切り裂いて圧し進むのみ!!
「だから、戦いは苦手なんだけどな……」
「何時まで戯れ言を! 今更後悔して――」
ガッ!
その瞬間、私の身体に衝撃が走った。背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
戦場でそれは致命的行為でありながら視線は音が出た先に釘付けにされた。
抜き放たれているはずの剣は未だ鞘の中。ただ、柄には少年の足があった。
馬鹿な……抜刀する前に止められたというのか。
「戦いは正直苦手でね。とりあえず抜刀する前に止めさせて貰ったよ」
心臓が鷲掴みされたみたいに恐怖が全身を走る。
それはあの黒騎士にも感じた、圧倒的強者に対する――
「双方そこまでじゃ!」
ザンッ!
それはどこからともな……
や、ほんとどこから現れたのやら、私たちの背後(ちょうど私が抜刀するために距離をとったあたり)にバドハーは私たちに背を向けて立っていた。
「ひょ? ふむ、飛び降りるタイミングを間違えたかの?」
振り返ったバドハーは、クロスさせた腕に鈍色に輝く二本の短剣を構え(おそらくその短剣で私達を止めるつもりだったのでしょう)、そして何故か……
鼻には半分赤く染まったつっぺをしたいた。






