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迷い人

 天頂の彼方では轟々と雷鳴が叫んでいた。


 まるで世界の終わりを体現するかのような空の下、今が昼であることを忘れさせるかの如く暗い空から暴雨のような雪が降り注ぐ。


 そこはこの世のサイハテ。


 現世と忘却のハザマ……


 そんなこの世の物とは思えぬ世界を、一頭の馬がその身体を白に染めながら走っていた。


 その姿はまるで、死人を運ぶ蒼ざめた馬。


 そんな馬の背には、死馬に運ばれるには年若い、いや、その顔にはまだ幼さが残る若者が乗っていた。

 地獄の暴風に晒されながらも、若者はまるで痛みを感じないとでも言いたげに無表情のままだった。

 風雪に揺れる姿は、まさに亡者のそれ。

 時折思い出したかのように瞬きをしなければ、彼のことを生者などとは誰一人思うまい。

 そんな薄気味の悪い死人の雪中行軍は、ほどなくして終わりを迎えた。


 闇と風雪に閉ざされた世界にポツンと姿を現した古びた一軒家。


 わずかとはいえ明かりが灯っていなければ、まるで廃屋のような佇まい。

 戸の横に緑青の浮いたボロボロの古いブラケットが付いているところを見ると、どうやら元は飲み屋か宿屋といったところか。

 若者は馬から下りると、戸を三度叩いた。

 暴風雪に閉ざされた世界。

 その音は叩き付ける雪音に掻き消える。

 押し入る訳にも行くまい。若者が諦めかけた頃、鈍い軋みをあげて開いた扉。中から出て来たのは腰の曲がった老婆が一人。


「おやおや、吹雪が戸を叩いたと思ったがまさか本当に人が居たとはねぇ。それにしても《白刃の王》のせいで悪天だってのにどうしたんだい?」

「……はくじんの、おう?」


「何だい、あんたそんなことも知らないのにこんな(とこ)まで来たのかい? まぁとにかくお入り。そんな所に突っ立てたら凍え死んじまうよ」


 老婆が招き入れたさきは、テーブルと椅子が幾つも並べられた薄暗い部屋。

 雰囲気から察するに元は場末の食堂だろうか。


「もう何年も前に店はやめちまったんだけどね、あんた運が良いよ」

「運が良い?」

「そうさね。久しぶりにね、友人が来るのさ。だから掃除もしといたし、食材だって用意した。《白刃の王》のことも知らないみたいだし、あんた迷い人か何かかい? 飯でも食って元気出しよ」

「優しいんだな。だが、俺がどこからか追われ逃げてきた悪党だったらどうするんだ?」


 若者の言葉に老婆は目を白黒させると、豪快に笑う。


「仮にあんたが悪党だったとしても、私がしてやれることはたかが知れているさ。こんなボロい家だ、持ってかれて困る物があるわけでなし、精々が差し出せる物と言ったら友人のために仕入れた食材くらいさね。あぁ、でも出来れば一人前分は残しておいてくれると助かるよ。あと、二つばかりの命をね」


 そう言うと老婆はまた豪快に笑った。


「……何も奪うつもりは無い。だが、返せる物も無い身だ。ただ、許されるならこの雪が止むまで暖を取らせてくれたなら、助かる」

「はっはっはっ、それなら最低でも一週間は私の世話にならなけりゃいかんねぇ」

「一週間?」

「この冬の嵐は長ければ一ヶ月は続くこの地域特有の地獄さね。あんたは無事だったけど、下手すりゃあっちゅう間に生きたまま氷漬けになってたさ」

「それが、《白刃の王》なのか?」

「ああ、何百年も前にとんでもなく強い魔女に氷の古巨人エンシェント・ジャイアントが殺されてね。その時に氷の精霊力が狂っちまって暴走しちまったのさ。それからってものの、氷の精霊が最も活性化する冬の時期が近付くとこんな嵐が発生するようになったんだよ」

「氷の古巨人エンシェント・ジャイアント……それは、神々にも匹敵すると言われる伝説の化け物じゃないのか」

「そうさねぇ、神さんに匹敵するかはわからんけど、とんでもない化け物だったよ。結局、それ以来この地は雪に閉ざされた不毛の地になっちまったさ」

「まるで、実際に見たかのような台詞だな。まさか、そのとんでもなく強い魔女ってのはあんたのことか?」

「はっはっはっ、それこそまさかだよ。あたしじゃ無理さ。あたしゃちょっと長生きなだけのババアさね」


 老婆はカラカラと笑いながら、若者の前に干し肉と干しぶどう、そしてクルミがわずかに載った皿がおかれた。


「すまないね。久しぶりに友人が来ると言っても、こんな粗末なもんしか用意出来ない貧乏人さ」

「良いのか?」

「わずかだけどあんたのために皿に用意した食事だ。食べてくれればその干し肉になった命も喜ぶさ」


 目元に深い彫りを作って笑う老婆。

 若者は老婆に深々と頭を下げると、皿に載せられた粗末な食物に手を合わせた。


「貴女の慈悲に感謝を……いただきます」


 若者が干し肉を摘まもうとしたその時だった、


 カシャン……


 若者が振り返ると、老婆は驚いた顔をしてフォークを床に落としていた。


「大丈夫か?」

「あ、あぁ……あはは。やだねぇ、歳を取るとどうにも手先が不自由になっていかんね」


 老婆は目を細めて笑う。だが、その深く彫り込まれた皺にはどこか寂しさが浮かんでいた。

 そして、どこか懐かしむような瞳で若者を見ると、困ったような苦笑いを浮かべた。


「なあ、あ、あんたは、どこの……いや、もしかして、遙か昔の……や……あ、ごめんよ。何でも無いさね。ババアの独り言さ」

「何か、聞きたいことがあるんだろ? 答えられることなら答えるが」

「あ、えっとな……いや、気にせんでええ」

「俺は人の心に寄り添うのが苦手だ。ハッキリと言ってくれないと察することは出来無い」

「あ、ごめんよ。じゃあ聞くが、その、あんた、カ、カルハザードって名前に聞き覚えはないかい?」


 老婆の問いかけに、若者が薄く笑う。


「誰だって知っている。それは、英雄王と呼ばれた男に滅ぼされた悪王の名だろう」


 若者が当然とばかりに言い放った真実(・・)に、老婆は悲しげに瞳を揺らした。


 その表情が意味することを若者はわからない。

 若者には老婆の真意が分からず、そしてこの若者には老婆から真実を聞く言葉を持ち合わせてはいなかった。

 重苦しい沈黙が流れるなか、若者は老婆の視線が自分の腰に下げた剣に向いていることに気が付いた。


「どうした? この剣に何か――」


 若者が問いかけようとしたその時だ。


 ギィィィ……


 背後から錆び付いた音と共に冷気が吹き込んだ。

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