京一・荒ぶる猛牛
2019/05/28・29に投稿した『荒ぶる猛牛』『父は意外と鋭かった……』の2話を結合し改稿しました。
「じゃ、仕事に行ってくるよ。今日は遅くなりそうだから、綾さんは先に休んでて」
「京一さんこそ、あまり遅くならないで……」
「アーハッハッー! 綾さんの京一さんは大丈夫、絶対無敵! 疲れたとこからが本番さ!」
綾さんの痛々しいほどに窶れた顔を見るのが辛くて、どうにか少しでも笑って欲しくて、自分でも無駄だとわかりながらもバカみたいに空元気を絞り出す毎日。
下唇を噛むことしか出来ず、家を飛び出してただがむしゃらに走っていた。
先週の末に買ったスニーカーはあっという間に底がすり減り、アスファルトの衝撃が俺の足裏を襲った。
向かう先は会社。
悲しいかな日本のサラリーマン。
出来れば仕事をぶっ飛ばして朝から晩まで良を探し周りたいのだが、そうも行かない……
だから今日も俺は、仕事を終わったら町中を探して走り回る。
良、どこに行ったんだ?
何があっても怒らないから、どうか五体満足に帰ってきてくれ。
それだけが……
俺達家族の願いだった。
そんな、生きた心地もしない日々が一ヶ月ほど過ぎた頃だった。
「お父さん、行かなきゃダメ?」
修学旅行に行きたく無い、そう愚図つく娘の背中を――
「息抜きに楽しんどいでよ愛ちゃん。こっちはお父さんと綾さんが居れば大丈夫だから」
「でも……」
「愛ちゃん、今はこんな状況だからさ、愛ちゃんの行きたく無いって気持ちはわかるよ」
「うん……」
「けどね、お父さんは学校行事ってのにほとんど出たことが無かったからこそ言いたいんだ。修学旅行は学生同士だからこそ出来る思い出の時間だってね。何時か振り返った時、愛ちゃんにとってかけがえのない宝物になるってね」
「私、行ってもいいのかな?」
「良いに決まってるさ。楽しむのは難しいかも知れないけど、気分転換ぐらいはしておいで。それに地元に居るよりもさ、もしかしたら何かしらの運命が動いて良の情報が入るかもしれないだろ」
背中を押す――
それは何の確信も無く、後押しにもならない言葉かも知れない。
それがただの気休めだったとしても、娘にはこの重苦しい空気以外の物を吸わせてあげたかった。
そんな俺の思いが奇跡に繋がったのかはわからないけれど……
愛ちゃんが修学旅行に行って三日目、奇跡が起きた。
リビングに置きっ放しの俺のスマホがけたたましく鳴った。
「はいはい、どこのどなたですかぁ? こっちとら足の筋肉が爆発寸前で用事は無いですよ~」
誰にともなく呟きながら、ディスプレイに映るラブ娘の画像。
思わずひったくるみたいにしてスマホを拾う。
「愛ちゃん? お父さんだよ! 愛ちゃんの声を三日も聞けなくて寂しかった! うぅ……愛ちゃんに旅行に行って来なとは言ったけど、電話ぐらいは毎日掛けてきて欲しかったなぁ……」
『あ、あのね、お父さん……』
「綾さんからは学生同士で遊んでいるんだから、愛ちゃんの気晴らしを邪魔しちゃ駄目って言われるしさぁ」
『お父さん、あのね……』
「あ、まさか旅行先で見た目良いだけの輩に告白とかされてないよね!? 愛ちゃんは綾さん似で美人さんだから、知らず知らずに男子どもをチャームってる可能性があるんだからね! 十分気を付けるんだよ!」
『だからね、お父さん……』
「あー!! もしかしたら怖い目に遭ってるとか!? 愛ちゃんを怖い目に遭わすようなヤツが居たら、今すぐ父さんそっちに行って四五百人ぐらいちゃちゃっと血祭りに……」
『おとうさーん!!!』
「っ!! はい、お父さんです!!」
『私の話を聞きなさい!!』
「は、はい……」
何だか、電話の向こう先に居る愛ちゃんの正体が、実は綾さん何じゃないかと思ってしまった。
「え、えっと……それで、何かな?」
『あの、あのね、良ちゃん、良ちゃんが居たの!』
「ッ! ほ、本当なのかい!?」
それは、突然降って湧いた奇跡みたいな話だった。
「りょ、良が、りょうが……居た、のかい?」
『う、うん……』
電話の向こう先から聞こえる娘の声は、どこか歯切れが悪い。
俺なんかに似ず優しい子だから、親を勇気付けるために嘘までつかせてしまってるんじゃ無いのか?
そんな情けない思いが込み上げてくる中、だけど、電話の向こうから聞こえてきた愛ちゃんの言葉は……
俺の予想を遙か斜め上行くものだった。
『あのね、お父さん! りょ、良ちゃんいつか必ず帰ってくるって言ってたから! そ、それでね、良ちゃんが金髪で、おっぱいもボインボインな女の子になってても、どうか娘として受け入れてあげて!』
「……ほわい? ぱーどぅん?」
良が金髪のおぜうさん?
金髪の娘さんと駆け落ちしたんじゃ無くて、良が金髪の娘?
えっと……
「あ、あー……良は、女の子になってたと?」
『……う、うん』
ズシャッ! がしゃぱりん!
『お父さんいまなんか凄い音が聞こえたけど大丈夫!? お父さん! お父さん!?』
「京一さん、何か凄い音聞こえたけど、どうしたの……って、何でろくブルの小兵二みたいに顔からガラステーブルに突っ伏してるの!?」
俺は、どうやら力尽きていたらしい。
それにしても、ふふ……
ほんわかした空気を纏ってるのに、喩えにろくブルが出てくるとは……
やるな、綾さん。
いや、そんなことはどうでも良くて……
良が女の子?
生まれた時はちっこくて可愛らしいおちんちんがついていたあの良が女の子?
「ほわ~い?! じゃぱにーずぴーぽー!!」
その日、俺を襲った頭痛は、人生で一番酷い物だった……
それから俺は、気が付けば定時制に通っていた時以上に勉強していた。
ひたすら、ひたすら……
気が付いたら綾さんも俺と同じように勉強をしていた。
息子改め娘のために……
どうやら、性同一性障害というらしい……
「ごめんね、ごめんね良ちゃん……女の子に産んであげられなくてごめんなさい……」
「悪いのは綾さんじゃ無い! 良だって、そんなことは良だってわかってくれてるよ!」
何だか、調べれば調べるほどに泥沼にはまっていく感じがした。
ただ、俺達家族は、良が帰ってきた時には笑顔で迎え入れて、そして、黙って消えたことはしっかりと叱ってやろう。
そう誓ったのだった……
そして、それからまた一ヶ月ほどして……
俺のスマホが鳴った。
「課長、スマホ鳴ってますよ」
「おぉ、悪い悪い、書類に集中しすぎてた」
「色々あるでしょうが、課長に倒れられたら俺達も共倒れっすから、あんま無茶しないでください」
「ああ、すまないな徹。ちょっと電話に出るから、この書類は任せたぞ」
「はい」
片腕とも言える部下に書類を任せ覗いてみたスマホの画面。
着信画面にはエターナルマイラバー綾さんの文字。
「もしもし、俺だけどどうしたの? 綾さんから仕事中にかけてくるなんて珍し――」
「京一さん! 大変大変! 美少女の良ちゃんが帰ってきたの!」
「ビショウジョノリョウ? ん? あ、ああん!? 良が美少女で帰ってきた!? しかも異世界に行ってた!? よくわからんけどわかった!」
俺はスマホを胸ポケットにねじ込むと、部長に向かって一礼する。
「じゃ、帰ります!」
「え? や、日野君、帰るって……」
「それじゃ! 徹!」
「は、はい!!」
「俺明日から数日休むかも知れないから、後は任せたぞ!」
「え? え!? ま、マジっすか、課長!!」
「いつも通りやれ、以上!!」
俺は床を蹴り、自動ドアが――
パリン!!
開くよりも早く会社を飛び出していた。
ベリッ! と俺の加速について来れない軟弱な靴底が剥がれ飛ぶ。
良、良……「良ぉぉおぉぉぉぉぉッ!! うぉおぉおぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! お父さんがお前を守ってやるぞおおおぉぉおぉおぉぉぉぉぉぉっ!!」
気が付けば俺は……
道行くバイクやタクシーをぶち抜き――
「そこの暴走ランナー、ここは時速四十キロ制限の車道です! 貴方は三十キロの速度違反をしています、直ちに止まりなさい!」
「やかましゃあ! こっちとら足で走っとんじゃい! 邪魔すんなボケェッ!! うぉおぉぉぉぉっ!! 唸れ俺の両足!!」
……
…………
………………
「ぜ、ぜひぃ……ふひぃ……あ、あのクソポリ公……ふ、ふふぃ……屋根に飛び移っても巻くまで、五キロ近くも追っかけてきやがって……はぁはぁ……息が切れやがる、年は取りたくねぇなぁ……」
汗だくのままに深呼吸を一つ、二つ……
やがてたどり着いた我が家を目の前にして、高鳴りを覚える心臓。
いや、全力疾走で心臓が悲鳴を上げているだけか?
それはともかく、俺の全身は初めて自分で建てた家に入った時よりも異様な緊張感に包まれていた。
お、落ち着け、日野京一。
冷静に、冷静に……
もし良が家に帰ってきたとにはどう対応するのか、念入りに皆と練習してきたじゃないか……
ひっひっふー……
ひっひっふー……
よし!!
「え゛?」
それは我が家の門をくぐった瞬間に目に飛び込んできた巨大な違和感。
何故か玄関にはあり得ないほどに馬鹿でかい氷の柱が天へと向かってそそり立ち、それを呆然と眺めながら黄昏れているモンジロウが居た。
「なんじゃありゃ? うぉ、夏だってのにひんやりする……って、そんなことよりまずは良……あ、愛ちゃん!」
「あ、お帰りなさいお父さん……って、どうしたの? 汗だくじゃ無い!」
「パトカーとバトルしながら急いで帰ってきた」
「パ、パトカー!?」
「安心しろ愛ちゃん、顔は見られないように捲ってきた」
「それ、大丈夫って言わないような……」
「だいじょうぶ! そんなことよりも、それで良は!? 異世界から帰ってきたとか言ってたけど!!」
矢継ぎ早に質問する俺に、愛ちゃんが困ったように笑っていた。
「えっと……あのねお父さん……どうやら良ちゃんは異世界に行ってたらしくて、その氷も良ちゃんが魔法で生み出したんだって……お母さんが言ってた」
しどろもどろに説明する娘の姿に、俺は深い息を鼻から漏らす。
色々考えていた。
どうやって生計を立てて居たのか、とか、整形とか色々手術をしてるなら、YESな先生にお願いしたのか、とか……
借金はしてないのか、とか……
なんか俺の考えていた予想とは全然違う方向に向かっているけど、
パンッ!!
と両手で頬を弾く。
深く考えるな、全て許す。良さえ無事なら、それで!
ああ、笑顔で迎え入れてやるさ。
「ただいま綾さん! 良が帰ってきたって!? しかも異世界に行ってきた!? 何それ、父さんすごく羨ましいんだけど!! 父さんも異世界に行きたい!! 異世界で畑とか耕してドラゴンをペットに――」
何か色々と考えていたこと、出会ったら伝えたいことがいっぱいあった。
いっぱいあったはずなのに……
気が付きゃ、平常運転を通り越して我ながら予想外なほど斜め上の暴走発言をしていたのだった。
そして、良は……
見た目は色々と変わって……と言うか、俺が綾さんにちょっと恋心を抱きはじめた頃の見た目になってはいたが、本質は何も変わっていなかった。
ああ、あの頃の綾さんがもし髪色を金髪にしていたら、こんな感じだったのかなぁ……
って、それは置いといて、とにも良は俺に似合わず、相変わらず優しい子のままだったのが何よりの救いだった。
にわかには信じがたい先祖の話や異世界の話も、良の不思議な力やその見た目の変化とかも含めて疑いようは無かった。
……何でも良い。
とにかく息子……娘の無事がわかったのだ。
それ以上望むことはどこにもない。
ただ、まぁ……
その、あれだ……
気になる点があるとすれば……
「えっと、なんでしょうか?」
このパッと見は美少女然としたこの少年――
良のことを調べている内に知ったことだが、女装少年ではなく、最近じゃ男の娘とか言うらしい。
ジェンダーフリー過ぎて、おじさん軽くパニック!
……いや、まぁそれは良いとして。
どうやら、良の最愛らしい。
……いや、良いんだ。
親としては、だから、その、あれだ……
普通の恋愛を、とも思っていたが……
いや、今のご時世、親が想像する普通というのがそもそもエゴなのだろう。
そうだ、俺達家族は良の今を受け入れると決めたんだ。
これも一つの家族のあり方なのだろう。
ただ、それはそれとして気になることがあった。
良の連れてきた恋人、アルフレッドというこの少年――
見た目の可愛らしさや愛想の良さ、品のある挨拶。
どれを含めても非の打ち所が無さそうな少年なのだが……
俺には、どれもこれも偽りの姿にしか見えなかった。
まるで、ひび割れたグラスとでも言えば良いのか、本心を真綿で包まないと、今すぐにでも割れて砕け散りそうな儚さとでも言えば良いのか……
「アルフレッド君、ちょっと良いかい?」
「はい、どうしました?」
「う~ん……」
俺はアルフレッド君を呼びながら、その先の言葉を続けるべきか逡巡した。
何故だろう……
この子の姿が、まるで昔の自分を見ているみたいに重なって見えた。
触れるな、近付くな……
それは強がるだけの毎日。
本当は泣き叫びたいくせに、その感情をどこにぶつけて良いのかもわからずに牙を剥く日々……
心の奥底では大人を信用出来ず、虚勢を張らなければ生きられない……
この子の目の奥には、何となくそんな感情が見えた。
「えっと、どうしました……か?」
「いや、その、アレだ……う~ん、良と居て、楽しいかい?」
「え? はい、もちろんです。もうボクの中で、リョウの居ない日々は想像出来ないほどに、彼女はボクを支えてくれてます」
「……うん、そうか。なら、良は、君に幸せな毎日を与えてくれてるかい?」
「え?」
それはほんの一瞬、ほんの一瞬だった。
目の奥に揺れた感情。
それはほんの一瞬でありながら、まるで身を焦がし尽くすほどに激しい感情……
「も、勿論です! リョウが居るからボクは毎日笑っていられます! 楽しく過ごせています!」
「そうか……」
気が付けば俺は、アルフレッド君の頭を撫でていた。
「勢いばかりで、ちょっと思慮が足らないところもあるおバカな子だが、どうか守ってやってくれ」
「はい!」
良い返事だった。
ただ、だからこそ思う。
恐らく、あくまでこれは俺の予感に過ぎないが……
リョウはこの少年をどこかで傷付けている気がした。
いや、所詮は人間同士だ。
無傷で愛情や友情をはぐくめるはずも無く、自分の何気ない言動が他者を傷付けるのはよくあることだ。
ただ、願わくは……
願わくはこの二人の関係が崩壊するようなことが起きないことを、父親としては願わずには居られなかった。
そして――
良が戻って来てからあっという間の二週間が過ぎた。
数ヶ月間会えなかった時間を埋めるみたいに、俺達家族は一緒の時を過ごし……
「良ちゃん、もう行っちゃうの?」
愛ちゃんが今にも泣き出しそうな顔で良の手を握っていた。
その気持ち、すげぇわかる。
俺も愛ちゃんと綾さんの前じゃなかったら、きっと号泣して止めていただろう。
だが――
「うん、向こうでやり残してることがあるからね。それを放置してたら、こっちの世界の皆にも被害が及ぶ可能性があるし」
そう、男には……いや、今は娘だが、良には使命があるらしい。
しかも、それが俺達家族どころか、この世界にまで及ぶ可能性があるって事象から守ろうってんだから、うちの子供も成長したもんだ。
いま、俺は誰よりもこの子のことを誇らしくさえ思う。
なら、父親としては……
頑張る子供を潔く見送り、無事に帰ってくることを祈るだけだ。
「良、気を付けてな。そして、もしどうしても大変なときは……」
「父さん……」
綾さんに激似の金髪美少女。
……ああぁあああぁぁぁぁぁぁ!!
やっぱり手放したくないな、自分の子供は!
その訳のわからん使命とやらがあるのなら、俺が代わってあげたい!!
良の為なら、父さんが全ての敵をちぎ投げしてやる!
「父さんもそっちに連れて行ってくれ!! そして、父さんも魔法剣士になって一緒に戦いたい!!」
「全部己の願望やん!!」
……や、ちゃうねん。
願望も少しはあったのは確かだが、良の苦悩を肩代わりしてあげたかったのは本当なんだ。
はぁ……
ダメだな、俺は。
どうにも、しまらん。
ただ、まぁ……あれだ。
涙のお別れにならないだけ、うちの家族らしくて良かったと思う。
光に包まれ、そして消えた二人。
良……
お前のこと、遠い空の下で見守ってるからな。
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