旅立ちの空
2019/05/30 ストーリー加筆
紅潮した頬のまま、ゆっくりとこちらを見ているユキナに、オレは高鳴る心臓の鼓動を抑えることが出来ない。
「ユキナ――・・・。」
――オレは・・・やっぱりお前が好きだ・・・。
オレはユキナを支えているようで、いつも支えられていた。今日ここまで、自分という存在があるのは、ユキナのおかげであることをきっとお前は知らない。
――けれど、そんなこと、言えるはずがない。もう、旅立ちを決意してしまったから。
何より、ユキナという存在を、オレは守らなければならない。ユキナが泣かない世界にしなければならない。これからやろうとしていることに、この感情は要らない。あってはならない。
そうであるならば。
――この気持ちを、伝えてはならない・・・。
まだ、手を伸ばせばユキナを抱きしめられる距離にいる。オレが優しくその肩に触れると、ユキナがピクっと少し肩を震わせるのを感じた。
――この気持ちを・・・伝えてはならないんだ・・・。
だからそう、オレは、ユキナの身体をそっと引き離した。
「・・・カズマくん・・・?」
ユキナはどこか少し、寂しそうな瞳で、声でこちらを見ている・・・ように感じた。オレは、ユキナからそっと目を反らし、独り言のように呟いた。
「食器・・・、片付ける・・・。」
「・・・うん、手伝うよ・・・。」
呟くようにユキナは言って、また特にそれ以上のことは言わず、二人で黙々と洗い物をした。
ユキナは、怒ってしまったのか?それとも、オレの気持ちに気付いて、不快に思ってしまったのか?ユキナを抱きとめた瞬間に感じた、この確かな想いは、これから旅立つオレにはきっと不要なものだ。
――けれど、あの瞬間――、ユキナは寂しそうな瞳をしていた気がする。
そんなことを考えていたら、食器を滑らせて落としてしまう。台所のシンク内だったが、食器と食器がぶつかり、ガシャンっ!という音が沈黙を破る。
「わ、悪い・・・。手が滑った・・・。」
「ううん、大丈夫?」
「あぁ・・・。」
――全然大丈夫じゃない・・・。オレは、結局どうしたいんだ?こんな、気持ちで旅に出られるわけがない。この気持ちを伝えないと決めただけで、こんなにも息苦しいなんて。自分の中で、こんなにもユキナの存在が大きくなっていたなんて。
食器を片付け終わると、ユキナはお茶を用意してくれた。相変わらず、空気が重い・・・ような気がする。
ずずっとお茶を飲みながら、改めてユキナを見ると、やはり沈黙を貫いている。
どうしたものかと考えていると、今度はユキナが思いつめたような顔をしていた。
「・・・カズマくん。」
「ど・・・どうした?ユキナ・・・?」
「さっき言っていたけれど、旅に出るって・・・、いつの話しなの?」
「・・・。たぶん、近いうちに・・・。手に入れた情報で、"きっかけ"になりそうなものを見つけたんだ。オレは、それを確かめに行きたいと思っている。」
「・・・。」
少し黙ってから、今度はユキナの顔が苺のように真っ赤なってから、こちらを睨みつける。
「じゃあ、一つ言っておくけれどっ!!」
「な・・・なんだ・・・。」
「~~~~っ!!」
ユキナは真っ赤な顔のまま、困ったような、怒ったような顔で、口をかわいくギリギリしている。
なんだろう、危ないからやめろって・・・さっきの話しに戻るのか・・・。
「私っ!」
「はい・・・。」
「カズマくんのこと、好きだからっ!!」
「・・・オ――・・・。」
――っ、オレも。
と、言いかけてなんとかその言葉を飲み込む。
「~~~っ。」
ユキナは依然真っ赤な顔のまま、こちらを睨んでいる。
「・・・あ、ありがとう・・・。」
変な返事をしてしまった。けれど、オレの気持ちは言えない・・・。ユキナを守らなければいけないオレは、この気持ちを伝えてはいけないんだ・・・。
「それだけっ・・・。・・・ただ言っておきたかったの――。」
「お・・・おぅ・・・。」
「・・・迷惑?」
「そんなことはない!すごく嬉しいよ。だけど・・・。」
「・・・だけどっ?」
消え入りそうな声で呟くと、真っ赤だった顔も収まり、寂しそうな表情を見せる。その表情の変化に気付いたが、いきなりの告白にオレの心臓が張り裂けそうになっている。この状況を無かったことにしないといけない。
「これから・・・、旅立つことになる・・・。その中で今、オレの気持ちを打ち明けてしまうと、オレは決心が鈍りそうなんだ・・・。だから、今はまだその気持ちに応えることは出来ない・・・。」
「それ・・・。」
何やらユキナが怒ったのか、驚いたのか、表情で顔を耳まで真っ赤にしている。
「・・・だから、全てが終わるまで・・・。待っててくれないか?」
「全てって・・・?」
「オレが・・・、この世界を救うまで・・・。」
――そう・・・。オレが想う世界を救うまで・・・。
「・・・世界って・・・。」
「・・・あぁ。」
ユキナは、また何やら考え込んでいるようだった。真っ赤だった顔色に落ち着きを取り戻すと、ため息をついた。
「はぁ・・・。分かったわ・・・。あなたのことだから、きっと、これ以上は何を言っても無駄でしょうし・・・。それに、私の気持ちは伝えから・・・。」
「ありがとう・・・。」
「ううんっ。それと気付いていないようだけれど、あなたの気持ちも伝わったから・・・。」
「・・・そうか?」
「覚えてないならいいよっ。」
緊張していたせいか、何を口走ったから覚えていない。けれど満足そうに微笑んでいるユキナを見て、胸をなでおろした。
そういえば、と、オレもユキナもふと時計を見て、いつの間にか結構な時間になっていることに気付いた。
「ひとまず、今日は遅いし、私はそろそろ・・・。」
「あぁ。そうだな・・・送っていくよ。」
「・・・え?ううん、お風呂借りようと思って。」
「あ―。風呂ね。はいはい。シャワ―でいいか?」
「うん、いいよ。」
「じゃあ、さっさとシャワ―浴びて来いよ。」
「うん、じゃあ遠慮なくっ。」
――ん?
冷静に考えてみた。普通にお風呂入るのか?オレんちで・・・?あれ?ちょっと待てよ・・・。
やっぱり、おかしいよな・・・。うん、おかしい!オレはユキナに向かってツッコむ。
「いやいや!ちょっと待て!!」
「え、何・・・?」
「なんでわざわざうちで入るんだ!?家はすぐそこだろ・・・!」
「だって、今日おばさんいないし、一人だし・・・。だから、今日はここに泊っていくから。」
「何・・・だと・・・!?」
――しかも何普通にオレもシャワ―浴びて来いって言ってるんだ・・・。しかもそれ、以前おじさんに聞いたモテる男が女性に言うセリフじゃないか・・・!
「だから、いいでしょ?」
――だから、いいでしょ?の意味が分からない・・・。
「いや、だから・・・その・・・。仮にもオレは男だぞ・・・。いや、深い意味はないけれど・・・。」
「あ―。・・・カズマくん、一緒に入りたいの?」
「な――っ!いや、入りたいけど入りたくない!いや、違う!」
緊張と焦りで自分でも何を言っているのか分からなかった。すると、ユキナは、挑発的な目でこちらを伺う。
「・・・一緒に入る?」
「え―っ!?」
その瞬間、オレは何故か思いつく限りのユキナとの想い出が走馬灯のように走り、そして見たこともないくせにユキナの裸を想像してしまう。
――いやいや、それはダメだろう!!
と、焦っていると、ユキナは頬を赤らめてまた眉をひそめていた。
「冗談よっ。付き合ってもない人と一緒にお風呂は入れませんっ。」
んべっとユキナは薄紅色の小さな舌を出して、可愛く挑発したあと、一人浴室へ向かって扉の奥に消えていった。
――付き合ってもない人・・・。付き合っていれば一緒に入ったのか・・・。
ぶんぶんっと顔を横に振って、自分の頬を右手でつねる。
――何考えているんだ・・・オレは・・・。
ユキナが言った通りだ。オレはこれから旅立ち、オレはユキナを守る立場にある。そんなオレが、ユキナと付き合うとか、そういったことに気を取られてはダメなんだ・・・。
というか、つい先程、自分でそうしたのだから。今はまだこれでいいはずだ。お互いのために・・・。
――っていうか、だったらうちで風呂に入るなよ・・・。。
それから数分も経たないうちに、浴室の扉が開かれたと思うと、ユキナが顔を覗かせる。
「そうそう、カズマくん。私、着替えがないから、服を何か貸してくれない?」
――そうか。たしかに着替えのことまで頭が回っていなかった・・・。
「あ・・・あぁ、構わないよ。あとでオレの服をタオルと一緒に置いておくから・・・。」
「うんっ、ありがとっ。」
パタンっと扉を閉めて、今度はちゃんと服を脱いで浴室に入ったのか、シャワ―の音が聞こえてきた。
その音を確認してから、オレも自分の部屋に行って着替えを持ち出す。クロ―ゼットに入っていた服の匂いを嗅いで、念のため臭くないことを確認する。洗って直してあるのだから、臭わないのは当たり前なのだけれど。
部屋から出て浴室へ向かうと、聞こえてくるシャワ―の音が聞こえる。緊張しながらも浴室への扉を開けると、不透明な扉に映るユキナのシルエットが目に入る。
いつの間にか、女性として出るとこはしっかり出ているそのプロポ―ションは、シルエットからでも十分伝わってくる。
――ヤバイ・・・。
ずっと見ていたいという邪な考えを良心で追い払い、薄目で出来るだけユキナを見ないように、自分のシャツと棚からタオルを何枚か取り出して、着替えを入れるカゴに置こうと目を移す。そこには先程までユキナが着ていた下着があったのを見つけてしまい、オレは焦って、それが見えなくなるようにタオルとシャツを置くと、ガタッと音を立ててしまった。
「・・・カズマくん?いるの?」
「あ、あぁ―。着替えとタオルをここに置いとくから―。」
「着替えね、ありがと―。」
その返事を聞いて、急いでに浴室を出てから扉を閉める。
――心臓に悪い・・・。
服を着ていないユキナが、扉の向こうにいると思っただけで、心臓が張り裂けそうになる。ユキナは、緊張しないのかな・・・。
オレは自分の部屋に戻って、簡単な片づけとベッドを整える。泊まるというのなら仕方がないので、ユキナにはここで寝てもらおう。オレはおじさんの部屋で寝ようと、部屋を覗いてみる。
――綺麗だな・・・。
出掛ける前に整理していったのか、寝るのに何の問題もない状態だった。むしろ、これが普通なのかもしれないと思ったとき、「片付けなさい」というユキナの言っていたセリフを思い出し、そのセリフに対し「気を付けます」と一人でため息をついて、何やら疲れを感じてしまう。
ひとまず寝る準備は出来たので、オレとおじさんの部屋がある2階から降りてくると、ユキナが浴室から上がって、リビングで待っていた。ユキナが下りてきたこちらに気付くと、胸の位置で軽く手を振る。
「あ、カズマくん、お風呂あがったよ。」
「おう・・・。部屋片付けて来た・・・か・・・。ら・・・。」
「・・・ん?」
――オレの部屋で寝てくれ、と言おうとして言葉に詰まった。おそらく下着は今日着ていたものを身に着けていると思うが、遠巻きに見てシャツ一枚というのは、とてつもない破壊力を秘めた光景だった。というか、何故オレはシャツを置いてきたのか・・・。もっと他にあったのではないだろうか・・・。
鼻に込み上げてきそうな何かを押さえつつ、説明を続ける。
「――あぁ、いや、何でもない。部屋片付けてきたら、オレの部屋で寝てくれ・・・。オレはおじさんの部屋で寝るから・・・。」
「ん?うん、ありがとう。」
「じゃあ、オレもシャワ―浴びてくるから。てきと―に寝ていてくれ。」
「うん、わかった。いってらっしゃい。」
「おう。」
オレは後ろで声を聴いて、そのまま浴室に入る。さっさと服を脱いで、シャワ―の栓をひねる。
――今日は、夕方からすごく色々あったような気がする。あのユキナも、今日はなんだかいつもと違う気がするし・・・。疲れたし、今日はさっさと寝よう・・・。
シャワ―を軽く浴びて、テキパキと頭や身体を洗ってから浴室を出て身体にタオルを当てる。
――ユキナは寝たかな・・・。
おじさんがいない間はいつも、すっぽんぽんで浴室を出ていたのだが、念のためパンツと肌着を来てからリビングに戻る。
「あ、おかえり。」
「お、おう。」
ユキナがまだ起きていて出迎えてくれた。
――良かった、ちゃんと服着てて。
「まだ、起きてたのか。」
「うん、一言伝え忘れたことがあって。」
「オレに?」
「うん。」
ユキナは、少しだけ緊張した面持ちで話している。
――何だろう、伝え忘れたことって。さっきの告白を先延ばしにしたことだろうか。「だったら私、あなたのこと嫌いになるから!!」とかだろうか。・・・そうなったらなったで、仕方ないことではある・・・。それでも、この世界の在り方を変えて、ユキナが泣かない世界を目指すことに変更はない。そんなことを考えていると、ユキナは強い思いを秘めた瞳で、こちらを見ていた。
「私・・・。変わることにした。」
「・・・変わる?」
「うん。これまでの私は、回りに合わせる自分だった。ずっと皆が慕ってくれていて、それでよかったと思っていたけれど。今日、カズマくんに気持ちを伝えて、そしてカズマくんの気持ちを聞けて、今までの私は一区切りついた気がするから。」
「そうか――。」
「それだけっ。じゃあ、おやすみなさい、カズマくん。」
「あぁ、おやすみ。」
変わる・・・と、ユキナはそう言った。彼女にも、色々と思うことがあったのだろう。どう、変わるのかは分からないけれど、オレも明日はユキナに一緒に旅に出てほしいことを伝えなければならない。変わろうとしているユキナの重荷になるようなら、オレは一人でも旅に出る。そう考えてから、オレも寝るために2階へ行く。自分の部屋で寝ているであろうユキナを、扉の向こうに感じつつ、オレはおじさんの部屋の扉を静かに開けた。
――翌日。
おじさんの部屋を出て、リビングに降りると、ユキナは一度家に帰っていたのか、服を着替えて台所に立っていた。その後ろ姿を見て、少しだけ幸せな気分になりつつも挨拶を投げる。
「おはよう、ユキナ。」
「おはよう、カズマ。」
ク―ルに、隙がない、そう感じさせる一言が返ってくる。
――あれ、なんだかいつもと感じが・・・。
昨日とは違う雰囲気に少し戸惑いを隠せず、ひとまず顔を洗ってくることにした。洗面所へ移動し、顔を洗い、そしてまたリビングに戻る。
後ろ姿のオ―ラは変わっていなかった。そんなことを考えていると、朝食が出来たのか、テ―ブルの上に適宜並べられていく。ひとまずテ―ブルに座ると、箸を受け取ったので「いただきます」と言ってから、食事を頂く。相変わらず、ユキナは無言だったので、耐え切れずにユキナに問う。
「・・・どうしたんだ、ユキナ?なんだか昨日と様子が違うけれど・・・。どこか具合でも悪いのか?」
「別に・・・。言ったでしょ?私変わるって。カズマへの気持ちも伝えたし、あなたの今の気持ちも分かったから。私も一度そういうのは忘れることにしたの。あなたと同じように。分かったかしら?カズマ。」
「あ・・・。あぁ。オレは一向に構わないけれど。」
オレもその方が気持ちの整理は付けやすいから、いいのだけれど。何故、そんなに怖い感じなんだ。
昨日までとは全然違うユキナの反応に戸惑いながらも、なんとか朝食を食べ終える。食器を台所に持っていき、テ―ブルに戻ってからオレはお茶をずずっと飲むと、ユキナに話しを切り出す。
「ところでユキナ。オレも、昨日の話しの続きがあるのだけれど。」
「昨日の話し?まだ続きがあるのかしら?」
――このプレッシャ―・・・。一晩でこんなに変わるものなのか・・・。
それはともかく、オレはユキナを冒険に誘わなければならない。
「あぁ。これから近いうちに始める、旅立ちっていうか、冒険に・・・。ユキナも一緒に来てくれないか?」
その言葉にユキナは「えっ」というような顔でこちらを見る。
「私も・・・?」
「あぁ・・・。昨日も話した通り、この里も一枚岩ではないから。そんな連中も表立って行動はしないとは思うが、万が一ということもある。それに外界のことも、オレが伝えるより直接見て触れた方が、考え方も変わるかもしれないしな。だから、出来れば、一緒に来てほしい・・・。」
意を決して、二人旅に誘った。危険を侵してまで、オレについてくる必要はない。だからこそ、気持ちを伝えることも控えた。・・・結果、ユキナに言わせてしまったけれど。
危険に巻き込むことになるかもしれないと、後ろめたい気分でユキナを見ると、変わらずク―ルは面持ちでこちらを見ていいた。
――どんな答えでもオレはそれを受け入れる。
「いいわよ、一緒にいっても。」
そんな思いとは裏腹に一言返事で今回の旅が決定した。
「・・・但し。」
――但し?
その後に続く言葉に少し緊張してしまう。オレの心を見透かしたのか、それとも本心からだったのか分からないけれど、これまでに見たどんな笑顔より輝いている、そんな微笑みで彼女は続けた。
「ちゃんと私のこと、守ってよね?」
――笑わなくなったわけではなかったんだな。
「あぁ・・・。」
ありがとう、ユキナ。約束するよ・・・。絶対お前を、守ってみせる。どんなことがあろうと。
「もちろんだ。約束する。」
「そうと決まれば、色々準備をておく必要があるわね。」
「準備?」
「そう、準備。あなたは用意しているかもしれないけれど、私は用意してないし。」
「あぁ、そうだな。まぁ、今日すぐ旅立つとかでもないし、そんなに焦らなくても・・・。」
「いえ、あなたのことだから、期待させといて一人で行く可能性もあるし・・・。」
「オレ、信用ないな・・・。」
――そこからまた時間は矢のごとく過ぎていった。
オレはおじさんが帰ってきたらすぐにこれまでの経緯を説明した。オレの旅立ちを快く受け入れてくれたおじさんは一言「しっかりやってこい。」って言ってくれた。ありがとう。おじさん・・・。
ユキナは、おばさんの説得が少し大変だったみたいだけど、おじさんの助言もあって、なんとか問題ないみたい。そもそも、あれだけ色々言ってくるおばさんから、果てしてどうやって許可を得たのか興味がないわけではない。
そういえば、旅が決まってからというものの、ユキナも"秘術"の特訓をおじさんのもとでやっていた。前から気になってることではあったけれど、そもそもあのおじさんは、どうしてそんなに色々な人の秘術を知っているのだろう。しかも訓練まで出来るのだから驚きだ。おかげでオレも、"秘術"を使って、それなりに身を守れるようにはなったのだから、別に不満はないのだけれど。
――それから、一ヶ月の後。
旅立ちの日はついに訪れた。オレは、里独自のフォ―マルなス―ツに身を包む。この全体的に暗い紅のス―ツは、個人的には結構目立ちそうと感じてしまうが、おじさんも似たような格好でよく外に出ていたので、おそらく外界で後ろ指をさされることはないはず。
なお、咄嗟の護身用として、このス―ツの一部に仕込みナイフがある。あくまで護身用である。
「あら、結構似合ってるわね。」
同じく、ユキナも里独自の女性用の制服に身を包んでいる。男性用よりは全体的に明るい紅の服で、相変わらずク―ルな顔で近付いてくる。
「かつてないほどに、似合ってないと否定された気分だぜ。」
「そうかしら?誉めたのだけれど・・・。」
「二人ともよく似合っておるさ。」
後ろから、少し渋い声で誉めてくれながら、こちらに近寄ってくる姿があった。
「おじさん!」
「ありがとうございます、おじさま。」
「特にユキナちゃんはかわいいのぉ~。」
「いやらしい目でユキナを見るなっての!」
おじさんを睨んで、がるるるると、犬のように唸りをあげる。
「わっはなはっはっは。冗談だよ、冗談。」
変な笑いかたをしたかと思ったら、今度は少し誤魔化すようにコホン、コホンと何度か咳をする。
「ところで、カズマよ。里を出る前に、いつもの場所に来なさい。」
「いつもの場所って・・・。これから、特訓すんのか?」
「そうだ、最終試験を行ってやる。」
「最終試験・・・。」
「あぁ。待っておるぞ。」
そう言うと、おじさんは踵を返して去っていった。
「カズマ・・・。あなたも秘術の勉強していたの?」
「勉強・・・というか、特訓かな。」
「特訓・・・。」
「あぁ。危ないから見学はやめときな。ちょっくら行ってくる。」
「ちょっと、カズマっ!」
ユキナの言葉を背中で聞いて、オレはおじさんのいる、修行場に向かう。
修行場は、家の地下にある。正確には、地下に空間の歪みがあり、そこに入ると、何もない崖に囲まれた場所に出る。おれは、いつもそこでおじさんに稽古をつけてもらっていた。それも、今日で最後と思うと、感慨深い。
「来たか、カズマ。」
「あぁ。今日で最後なんだろう?どんな、稽古をつけてくれるんだい、おじさん。」
「最後は、本気のワシと闘ってもらう。」
「おじさんが本気で!?」
これまでの稽古で、本気じゃないおじさんにすら勝てなかったオレが、本気のおじさんと闘って勝てるのか?けれど、オレだって日々訓練は重ねてきた。
「そうだ!とっとと、かかってこい!」
「前に一度だけ見た、本気のおじさんに、あのときは心底怖じ気付いた・・・!だが・・・!」
「今もか?ワシ1人倒せんようでは、この先ユキナちゃんを守ることも出来んぞ!」
そう言われてしまうと。オレは。
「わかったよ!やってやるよ!」
「フッ・・・。倒せとは言わん。ワシに傷を付けることが出来れば合格じゃ!」
「余裕かましやがって・・・。」
おじさんの笑いに愚痴ってから、左手で、右手の手首を掴む。
――意識を右手に集中。
左手を離して、勢いよく大地に右手をついて叫ぶ。
「"夢無"!」
オレが発した言葉に呼応して、自分を中心に半径5メ―トルの大地が漆黒に包まれる。
――この領域内であれば、身体能力の限界を超えて、移動が出来る!
「いくぜ・・・!」
「来い、カズマ。」
照準を定める視界が色を帯びる。能力が発動すると、自分の瞳は紅に、そして視界も赤く染まる。
電光石火。紅に染まる瞳の残像だけを残しながら、標的に向かって駆ける。
――ここで、あの倉庫に保存している武器を念じる!
念じた瞬間に右手に剣が一本が現れるので、そのまま掴む。持った剣は、なんの変哲もない無名の剣。その剣を構えて突っ込む。狙うは足。
「うぉぉっ!」
切っ先を当てるように剣を振るが、おじさんは紙一重で避ける。
「当たっておらんぞ!」
その瞬間に背中に鈍い痛みが走る。おじさんは後ろに回り込んでいた。
「いってぇ!」
体勢を整えるため、突っ込んだ体勢のままおじさんを睨みつつ、漆黒の領域ギリギリまで駆け抜ける。先程の背中の痛み、おじさんが肘を繰り出したままの体勢で止まっているのを見る限り、どうやら肘打ちを食らったようだ。
「せめて、回り込まんかい。お前は速さをアテにしすぎなんじゃ。」
「んなこと言っても、この速さは自分でも目標に向かうのがやっとなくらい速いんだぜ・・・。たぶん、反応出来るのおじさんくらいだよ・・・。」
「そんなことはない。世の中、ワシくらいの奴は腐るほどおるぞ。」
「ホントかよ・・・。」
――外界に行くの、ちょっと迷いそうだぜ・・・。
そう思ったとき、心を見透かしたようにおじさんは不敵に笑う。
「怖じ気付いたか?」
「べ・・・別にっ!」
「今度はこちらから行くぞ!」
「くっ・・・!」
「むぅんっ!"夢"!無"!"破"!」
おじさんも5メ―トル
その領域に内でおれを囲むように3本の槍が出現する。
「"破技"!"参影槍"!!」
その瞬間、おれの後方にあった左右2本の槍が飛んでくる。
――かわせないわけじゃない!
左の槍を避けて、右の槍は剣で薙ぎ払う。正面の槍は、おじさんがその槍に乗って飛んでくる。
「わっはなはっはっは!どうじゃカズマ!」
「どうって・・・。」
――普通にカッコ悪い。
心の中で冷静にツッコミつつ、突撃してくるおじさんを睨むと、ほぼ目の前まで迫っている。とても捌ききれるパワ―じゃないと感じ、横に高速で移動する。けれど、槍に乗ったおじさんはそのまま方向転換して追ってくる。
「最初の二本で足止め出来なんだが、最後の一本は何処までも追っていくぞい!」
「そうかい・・・。」
そうであるならば。
――その瞬足を、更に超えてやる。
体勢も勢いも先程と全く同じように突っ込む。
「分からんやつじゃ!」
――それはどうかな!
実は突っ込む前に、おじさんの死角に剣をもう一本配置した。
最初の一撃はかわされるが、計画通り。かわされる直前で剣を手放す。紅の残像と剣だけが数メ―トル走る。おじさんは、その残像追いかけるためにその場で180度旋回する。
その隙に、その残像の対面に移動して、死角の剣を取ると、剣先をおじさんに向けて、勢いよくそのまま突っ込む。
その攻撃はおじさんの右太ももを霞め、オレはその勢いのまま駆け抜ける。振り返ると、紅の残像が十文字のように、残っている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・。」
思ったより高速移動からの高速移動は体力の消耗が激しい・・・。これは、別途訓練が必要そうだ・・・。
ともかく、攻撃は入った。さすがのおじさんも、死角からの攻撃は食らってくれた。
「・・・どうだっ。」
勢いよくおじさんを睨み付けると、おじさんは腕を組んで唸っていた。
「う―ん・・・。」
「ん?」
「名前あえて名前を付けるなら、ワシの技名を少し真似て瞬影刃といったところか。」
「名前なんてどうでもいい!」
「これで合格だろう?」
「そうじゃな、及第点といったところかのぉ―。」
「及第点・・・。ちゃんと、当たってんじゃん。しかも・・・」
「"死角から攻撃したから"・・・かの?」
「むっ!」
――死角からだと分かっていたのか・・・。
そうであるならば、それはもはや死角ではないと、思いつつもおじさんの言葉を待つ。
「普通の奴なら、最初のハッタリ残像で二擊目に気付かんじゃろう。じゃが、闘い慣れしとる奴なら、おそらく気付く・・・。」
「おじさんみたいに・・・か。」
「そうじゃ。まぁ、もっと速く動かれたら、反応出来んかもしれんのう。」
「もっと、速く・・・。」
「そうじゃ。出来るか?」
「・・・ちょっと考える。」
――あれだけの移動でものすごい体力なのに、あれ以上で死角に回り込めるのか・・・
考え込んでいると、おじさんが右手の人差し指を立てた。
「では、ここで新しいレッスンじゃ。」
「え?」
「夢無の領域は、あの武器庫と連結、領域内での高速移動、そして・・・。」
「そして・・・?それで全部じゃないのか?」
「領域内で発現させた武器へのワ―プが可能じゃ。」
「な、なんだって!聞いてないぞ!」
「そりゃそうじゃ、言ってないもん。」
「もんって・・・。」
「これが出来れば、おそらくワシでもお前の攻撃を防ぐことは出来んじゃろう。」
「武器へのワ―プ・・・。おじさん、前みたいにお手本とか見せてくれないのか?」
そう言うとおじさんは、少し顔を曇らせた。珍しいこともあるものだと、少し遠くをみる。
「残念ながら、それは出来ん。」
「ふーん、どうして?あとは自分で考えろってやつかい。」
「ワシには、その技を会得することが出来なかったからじゃ。」
――!?
その一言に驚いてしまい、そらしていた視線をすぐおじさんに戻す。
――会得できなかった?おじさんが?信じられない。
「あの・・・!なんでも出来るおじさんが!」
「何でもじゃない。出来ることしか出来んよ。ワシは。」
「・・・そうか。」
そうであるならば、とにかくやってみるしかない。今持っている剣をおじさんの前で地面に突き刺し、当たりを見回す。丁度、一撃目で飛んでいった剣がまだ地面に刺さったままなので、試しにあれへのワ―プを念じてみよう。
――ワ―プ・・・、移動・・・、空間移動・・・!
空間移動という言葉が妙に頭の中でしっくりきて、その瞬間頭の中に何かを感じた。目の前におじさんがいたはずなのに、まばたきしたら、おじさんが遥か遠くにいた。
そうか、オレは、先程イメ―ジした剣の前まで移動している。
「何だ・・・やれるじゃないか。」
ふと遠くのおじさんを見てみると、体全体でワナワナしている。オレも驚いていたが、どうやらそれ以上に驚いているようだ。
もう一度、空間移動でおじさんの前まで戻る。
「なんか、やってみれば案外出来たぜ。おじさんは出来ないって、もしかして嘘ついてオレを試したのか?」
おじさんは先程から変わらずワナワナしている。オレがあっさり出来たことを本当に驚いているようだ。すると、おじさんはポツリと呟く。
「・・・やはり、血は争えんな。」
「ん?どういうこと?」
「いや、いい。じゃが、それが出来るのであれば、先程名付けた瞬影刃も、相手はお前の影を捉えることなく、膝をつくだろう。」
「・・・おじさんでも?」
「いや、ワシは余裕じゃ。」
「じゃあ、駄目じゃねえか。」
「いや・・・冗談じゃ。おそらくワシでも、追えないじゃろう・・・。だが、外界ではあまり能力を使うなよ。龍族とバレてしまうと身動きが取りづらくなる。お前は、ユキナちゃんの命も守っていることを忘れるなよ。」
「分かっているよ。」
そう言って、"夢無"の領域をお互い解除する。けれど、確かに外ではバレると色々厄介なことになりそうだ。出来るだけ、能力を隠して使う方法も考えないといけない。領域を自分の影だけにするとか。
「とにかく、目立つようなことは控えるよ。」
「うーむ、お前はたまに自制が効かんときがあるからな・・・。心配じゃよ。」
「大丈夫よ、おじさま。」
「む!?」
いきなり割って入ってきた声の主を見やると、そこには先程待っていろと伝えたはずのユキナがいた。
「私が、ちゃんと注意しておきますから。」
「おぉ―、ユキナちゃん。そいつは安心じゃわい。」
「なんでだよ・・・。てか、ユキナ、なんでここにいるんだ?待っとけって言ったのに。」
そう言うと、ユキナはその場でため息をついてから肩を落とす。そして眉をひそめてこちらを睨みつけると、スタスタと詰め寄ってくる。
「これから出発って言ってるのにっ!いつまで待ってもあなたが戻ってこないからっ!後を追ってきたのよっ!」
一言に一歩ずつ近づくから、オレが一言言われるたびに後ろへ一歩ずる下がる。
「追ってきたって・・・。ここ、空間に入らないと来れないだろ・・・。」
「あなた達の家に行っても誰もいなかったから・・・。地下かなーって。そしたら、何かあるでしょ?それはもう入るしかないと思うのだけれど。」
「そういうもんなのか・・・。」
「そういうもんよ。」
そこにおじさんが割って入る。
「まぁまぁ。悪かったな、ユキナちゃん。カズマもこれで稽古は終わりじゃ。後は人目に付かぬように修練せい。」
「わかったよ。ありがとな、おじさん。」
3人で修行場から出て、オレは、家に置いてあった二人分の荷物が入る大きなバッグを背負う。
そのまま、里の出口へ向かうと、ユキナのおばさんが入口に来ていた。おばさんが不安そうにユキナに駆け寄ってくる。
「ユキナ・・・。本当に行くのね。」
「えぇ、おばさま。ありがとう。私はカズマに付いていくわ。」
「・・・そう。カズマくん。ユキナのこと、宜しくね。」
「はい。安心してください、おばさん。オレが命に代えても守ります。」
「バカもん!お前が命を懸けたら、その後が困るじゃろうが!死んでも死ぬな!カズマ。」
「何だよ、少しくらいカッコつけさせろよ、おじさん。全く、わかったよ・・・。」
「ふふふっ。まぁ、あなたらしい旅立ちだと思うわよ。」
「またヒドいことを・・・。」
「それじゃあ、おじさま、おばさま、行ってきます。」
「行ってくるよ。」
「二人とも、気を付けてね。いつでも帰っておいで。」
「ちゃんとユキナを守るんじゃぞ!カズマ!ユキナちゃんも気をつけてな!」
「えぇ。おじさまも、おばさまのことを宜しくねっ。」
その瞬間、おじさんとおばさんの顔が少し赤くなる。
――あれ?この二人ってそういう関係なの!?
「もう!ユキナ!」
「ワシらのことはいいんじゃよ!気を付けていってこい!!」
「はーい。」
「じゃあな!」
おじさんとおばさんに手を振って、改めて出口へ向き直る。出口は、修行場のように空間の歪があって、そこから外界へ出る。外界は、九州地方の北部の山頂辺りに出るはずだ。目指すは近畿地方。
「じゃあ、行こうか。ユキナ。」
「えぇ、行きましょう。カズマ。」
オレたちは、二人で歪に入り、里を後にした。これから始まる、光の見つける旅に、期待と不安を抱きながら。けれど、オレはこの日がくるのを、何処かで待ち続けていたのだ。
――オレはこの世界に光を取り戻し、闇に飲み込まれた影を引き摺りだしてやる。