第81話 勝機の到来
何十発も撃ち放たれたフマユン側のプロトンレーザーは全て外れたが、1発だけのシヴァース側の射撃は、的確にフマユン座乗艦を撃ち抜いた。
至近距離からのプロトンレーザーは、敵艦の生成した磁場に2割も中和される事なく外部装甲に突き刺さり、突き破り、艦の奥へと突き進んだ。重装甲を貫いてもまだまだ威力を残すプロトンの濁流が、敵艦内部を抉りに抉り、膨大な量の構造物を破壊し、膨大な数の人身を焼き焦がし、突入したのとは反対側の外部装甲にまでたどり着く。
内側からの衝撃には弱いとはいえ、反対側の装甲も軽々と突破し、それでも勢いは止まらず、プロトンレーザーの光条が眩しい閃光を放ちながら無限の虚空へと、誇らし気に飛び去って行った。フマユン座乗艦を、串刺しにする一撃となった。
艦内部で起こった様々な誘爆や引火により、まず初めにプロトンレーザーが穿った穴から、次いであちこちに走った亀裂から、強烈な火柱が吹き上がった。火柱に切り裂かれるように、装甲の傷は増え続け広がり続ける。いつしかハリネズミのように、艦は火柱を林立させるに至る。
更に、反物質動力炉も暴走した。反物質についてはこの時代、人類は、どこにも天然のものを見つける成果を上げていないが、作る事はできた。核融合で生み出したエネルギーの効率の良い貯蔵方法として、反物質は大いに活用されている。
巨大なエネルギーを反物質として蓄え、適宜取り出して艦のエネルギーを賄う為の装置が反物質動力炉だが、それをプロトンレーザーに直撃されて反物質が暴露してしまえば、被害は悪魔的なものになる。大量の反物質と通常物質の無秩序な反応は、文字通り天文学的に膨大なエネルギーを炸裂させた。
圧力を持った光が、風船の如くフマユン座乗艦を膨らませたかと思うと、特殊合金で出来ていたとは思えない呆気無さで破裂させ、それでも膨らみ続ける光が全てをのみ込み、まだまだ膨らみ続け、たちまちにして大型戦闘艦を数倍したサイズの一個の光球のみが、虚空に眩く浮かび上がっている状態になった。
短命に過ぎるといっても、星と呼んで良いのではとさえ思えるくらい、大きな光球だった。それが消え去ると、もうそこには何も無かった。残骸も破片も、塵すらも残っていない。全ては物質未満であり原子以下である、素粒子にまで還元され尽くしていた。百以上あったはずの人命も、殺害どころか、初めから無かった事にされてしまった感があった。
無論、「ハイマーク」ファミリーの棟梁であるフマユンの命も体も、消滅している。残された彼の部隊からは、即座に降参の意思表示が通信で発送された。
「お前ら如きザコに、投降して来られても迷惑だ。武装解除なども面倒だ。そのまま回れ右して、故郷にまでさっさと逃げ帰れ。」
降伏を申し出た敵に、この上も無く非礼で冷淡な返信をして、ジャラールは「ハイマーク」部隊を追い払う。棟梁の座乗艦を失った損害を除いては、ほぼ無傷のフマユン部隊が、戦力的には引けをとらないジャラールやシヴァースの部隊を後に、脱兎と化して宇宙を駆け、逃げた。
「エッジャウス」からの大規模増援部隊と「レドパイネ」の激突は、たった1艦の消滅以外何らの犠牲も生じる事なく、幕を閉じた。事前情報によれば、長らくの悪政が災いして家臣にも領民にも嫌われ抜いているのがフマユン・ハイマークという男らしかったから、悲しむ者も最小限に抑えられた戦いとなっただろう。
もし、シヴァースの部隊の接近に気付いた時点で、フマユン座乗艦が逃げ出すなり味方艦の背後に隠れるなりしていれば、こんな結果にはならなかった可能性が髙い。もっと激しい攻撃の応酬が展開されただろうし、数においては優勢なフマユン側に勝利が転がり込んだ可能性だってある。無防備に突撃したシヴァースの命も、無かった可能性が高い。
だが、フマユンは逃げも隠れもせず、遮二無二にシヴァース部隊を攻撃した。精度を欠いた支離滅裂な攻撃に終始してしまったとはいえ、勇敢に立ち向かう姿勢は一瞬も崩さなかった。そのおかげでシヴァースは、プロトンレーザーによる一撃で彼の座乗艦を消し去る事ができたのだが、全て計算通りの結果でもあった。ビルキース達の情報によって、フマユンの猪突猛進な性格や家臣などの不忠を知悉していたアドバンテージを活かし、計画的にフマユン座乗艦の一発撃破と敵の即時降参という成果を実現した。
「ファング」の情報収集力とシヴァースの勇猛さが、軍閥部隊同士の激突による犠牲を最小限に抑えて見せた、と言っても良い。
「ハイマーク」の所領の住民達も、彼等の主一族の敗北よりも、兵として徴発されて行った彼等の家族が無事に帰って来る事に、より大きな注目を寄せているだろう。領民の誰一人、フマユン・ハイマークの死に涙など流す気になれるはずもない。家臣の中にも、彼の死を涙で受け止める者は、いないかもしれない。悪政を重ねた軍閥棟梁の死とは、そんな扱われ方をする事もあるのだった
援軍を当てにしていた「シックエブ」も、彼を送り出した「エッジャウス」も、事態を深刻に受け止め、今後の自分達の運命を悲観しただろうが、フマユン・ハイマークの死を悲しむなどという心のゆとりは、誰にも、僅かにも無いに違いない。「ファング」の諜報力が暴き出した、「ハイマーク」ファミリーの置かれる悲しい現実だ。
中堅軍閥の一つを率いた棟梁の命は、誰にも悲しんでもらえもせず、もしかしたら、記憶にすら明瞭には残してもらえずに、この世から掻き消されてしまった・・・と思われたが、例外が1人いた。
フマユン・ハイマークの命が虚しい消滅を迎えた場所からは、宇宙の遥か彼方にいて、社会の底辺とでも言って良い立場の、娼婦と呼ばれる身の上の女が、彼の死に一筋の清らかな涙を流していた。
「気を落すのではなくてよ、ビルキース。」
「大丈夫。ほんの少し、寂しく感じただけだから。」
「スパイとして、情報収集の為に、たった一度体を預けた人の死に、そんな気持ちになれるなんて、不思議よね、あなたは。理解できないところもあるけど、親しみを覚えるところでもあるわ、ビルキース。」
「もう、マリカ、からかわないで。ほんの少し寂しく感じて、涙が出ちゃっただけでしょ。一度とは言え、体を温め合ったフマユン・ハイマーク様の死に。」
他の娼婦仲間の女達が、精神を摩り減らせて帰って来るアウラングーゼ・ベネフットやチョードリー・セーブリーの寝室から、ビルキースだけはケロリとした顔で戻って来る。娼婦としてもスパイとしても、他の者には無い強靭さを見せる彼女だが、一方では、誰にも無い脆さを抱えているようでもある。
「こんなに優しくて綺麗な心と体を、あなたは、娼婦として関わった殿方にばかり捧げているのよね。私も人の事を言えた義理ではないけど、なんだかちょっと、悲しいわね。」
「あら、そんな事ないわよ。娼婦としてではない男性との関わりくらい、私にだってあるわ。」
「それって・・・」
マリカの呟きを聞き流しながら、「メーワール」星系第3惑星をビルキースは思い出した。「銀河連邦グレイガルディア第1支部」からタキオントンネルで2時間程の所にあるガス惑星だ。その惑星の環に沿うようにして、彼の操縦する宇宙艇で飛翔した時の記憶だった。白くキラキラと輝く環と、ギラギラに輝いている彼の眼が、強くビルキースに印象付けられている。商売もスパイ活動も全く関係なく、ただお互いを愛しく想う気持ちだけで一緒に過ごした時間。冷たそうな淡い青色のガス惑星も、彼等の熱い逢瀬を羨まし気な沈黙で見つめていた。
「・・なあに?」
マリカがじっと見つめる視線で、ビルキースは自身の陶酔に気付き、照れ隠しに拗ねたような声を上げて見せた。にっこり笑ったマリカのやわらかな眼差しは、彼女をもっと気恥ずかしい思いにさせる。
そんなビルキースが、これから遠くへ旅立とうとしている事に、マリカは一抹の不安を覚えているらしい。気遣わし気にビルキースの顔を覗き込む。
「本当に、ターンティヤー様のもとに向かうの?どうしても、あなたが行かなきゃいけないの?この状況じゃ、あなたが何もしなくても、ターンティヤー様は『エッジャウス』攻略に乗り出しそうだし、ターンティヤー様が動かなくても、『シックエブ』が陥落してしまえば軍政打倒は成し遂げられそうにも、思えるのだけど。」
「ダメよ、マリカ。それじゃ。」
真顔で真っ直ぐにマリカを見詰め、ビルキースは決意を示す。「体制転換は速やかに成されないと、苦しむ庶民が多く出るわ。新しい体制がどういうものになるかも、とっても重要だし。皇帝親政が速やかに良い形でスタートできるかどうかは、ここからのターンティヤー様の動きと密接に関わって来る。あたしが傍に付いていないと・・」
「どういう体制が良いとか、どんな形で軍政が倒れるべきかとか、あなたには分かっているの?」
「そんなの、あたしに分かるわけないわ。でも、アジタやカイクハルドが指示して来た事があるから、あたしはそれを信じて実行するだけよ。」
「アジタが、ファル・ファリッジの下で人質になっているアウラングーゼ様の奥様とお子様を救い出して、ターンティヤー様のもとに向かわせる。そしたらターンティヤー様には、アウラングーゼ様のお子様を名目上の部隊の最高司令官に任命した上で、『エッジャウス』に向かってもらう、っていう話ね。でも、アウラングーゼ様のお子様って、まだ赤ん坊なのでしょ、最高司令官になんて就けて良いの?」
「だから、名目だけよ。実際にはターンティヤー様が指揮をとるわ。でも、後の皇帝親政の体制を考えると、アウラングーゼ様のお子様が『エッジャウス』攻略部隊の最高司令官だったって事にしておいた方が、良いらしいのよ。今は軍政の配下にある軍閥への統括権を、『ベネフット』ファミリーが一手に掌握した方が安定するらしいから。」
「そうなのね。難しい話はよく分からないけど、アジタやカイクハルドがそう言っているなら、そうなのでしょうね。そして、ターンティヤー様にアウラングーゼ様のお子様を総司令官に任命させるには、あなたがターンティヤー様の傍にいる必要があるのね。」
「そう。あたしも難しい理屈は分からないけど、ターンティヤー様の気持ちをコントロールする自信はあるし、あたしにしかできない、とも思っているわ。だから、アジタ達の要望通りに頑張ってみるの。」
笑顔で言って見せるビルキースの頬には、未だ涙の筋が乾かずに残っている。強さを秘めた眼差しと脆さを示す涙の跡を、マリカは交互に眺めていた。
「敵を倒すだけじゃ無く、新たな時代にできる限り禍根を残さない形で、俺達は勝たなきゃいけないんだ。その為に、敵とは言え、被害は最小限に抑えたかったんだ。」
シヴァースは自身の行動の理由を、そう説明した。アウラングーゼとの会談以降、これまでには無かった思考が、彼の中に芽生えているらしい。シヴァースの熱弁に、カイクハルドはそんな感想を持った。
アウラングーゼからの定期的な連絡で、彼の部隊の動きはリアルタイムで確認できている。「レドパイネ」の用意したタキオントンネルに運ばれ、まっしぐらに彼等の飛び領である「コチェリニコボ」領域の「バテツキー」星系にたどり着いた、との事だ。
「やはり凄いぞ、『ベネフット』ファミリーは。2万以上の兵が二百以上の戦闘艦に運ばれ、再び『ノヴゴラード』に向かう動きだ。たった1つの軍閥でこれほどの動員力とは、想像以上だ。」
ほんの2日ほど後には、ジャラールがそんな情報をカイクハルドに告げた。
「ああ、こんなに直ぐに反転して来るなんて、一体いつから兵の募集とかの戦争準備を進めていたんだか。それにこの動員力からすると、『ノースライン』ファミリー以外では『ベネフット』こそが、『グレイガルディア』の最大軍閥なのかもな。」
「そう言われれば、そうだな。」
カイクハルドの言葉に、目を開かれたかのようにシヴァースが応じた。「ほんの2日で反転して来るって事は、編成や訓練も既に終わっていたって事だ。相当前から、この事態をあの方は予期されていた、という事か。恐ろしい洞察力だ。」
すっかり、アウラングーゼに一目置いてしまっている言い回しのシヴァースだ。
「いやいや。今のこの事態を、詳細に予測していたわけでもねえだろう。だが、軍事政権は、いつ何時どんな危機に見舞われてもおかしくない状態ではあった。軍政を守って戦うのか、軍政に歯向かって戦うのかはともかく、兵が必要になる事態は近い内に必ず起こる、という読みをしていたんじゃねえか。」
「どんな事態が起こっても、自分がどんな選択をしても対応できる準備を、あの方はしていたのだな。」
一度対面しただけのシヴァースを、アウラングーゼがここまで心酔させている、という状態が、今後の「グレイガルディア」の行く末を暗示しているように、カイクハルドには思われた。忠誠心は未だカジャの方に強く抱いているだろうが、それは家柄や伝統によるものだ。本人の実力という意味では、シヴァースに尊敬の念を抱かせているのは皇帝でもカジャでもなく、アウラングーゼだ。それは、シヴァースだけに限られた反応ではないはずだ。アウラングーゼには天性の、卓越した人心掌握の能力があるらしい。
「アウラングーゼは、このまま『シックエブ』に殴り込むだろうな。もう、モタモタしている意味はねえし、軍は大きければ大きい程、糧秣がたくさん必要になる。早く勝負を決めねえと、経費が嵩んでしょうがねえ。」
「そうだな。兵というのもあちこちの集落から、本来は資源採取や生産の活動に従事すべき庶民を掻き集めて来たものだ。長く軍に束縛すれば、それだけ集落の活動は停滞し、混乱や困窮を招く素にもなる。早く勝負を決して兵を集落に戻してやらないと、新たな政府が誕生するや否や、反感や怨嗟の的になってしまいかねない。」
父の言葉に大きく頷くシヴァース。
「新たな時代に禍根を残さない為にも、勝負はできるだけ短期に決した方が良いな。領民想いのアウラングーゼ殿は、その件も十分心得ておられるはずだ。ここからは、一気呵成にカタを付けようとするはずだな。」
「よし。」
目つきを鋭くしたジャラール。「包囲している各部隊に、可能な限り最速での前進を決行させよう。その上で、一番優勢な戦いをしている部隊を見極め、そこにわしらは合流するぞ。そこからは、脇目も振らず『シックエブ』を目指す。『シックエブ』を目前にしたら、一番乗りは『ファング』に任せる。『レドパイネ』や『ベネフット』に恨みが向かないように、上手く責任をひっ被ってくれよ。」
即座に前進命令が、テトラピークフォーメーションで「シックエブ」を囲んでいる各部隊に伝えられた。満を持していた「レドパイネ」旗下の軍閥達は、新たなる皇帝の時代に少しでも良い席を占めようと、先を競うように軍を進めて行く。
だが、敵の抵抗も、これまでに無く強固なものだった。素早く「シックエブ」より押し出して来て防衛布陣を築き、隙の無い迎撃戦を展開している。いよいよ陥落が現実味を帯びて来て、「シックエブ」の防衛戦力も必死になっているのだろう。優勢どころか「レドパイネ」陣営は、どの部隊も押され気味の状況だ。先を争って突き出した槍が、ことごとくへし折られて行くかのような印象の戦いとなる。
「苦戦しておるようなら、予の部隊も加勢いたそうか?」
マッカリ・キロシードから、そんな提案がジャラールのもとに届く。
「いえいえ、御心配には及びません。どうぞ今おられる場所で、じっくり高みの見物をしていらして下さい。」
ジャラールも、帝政貴族にはそれなりに気を使わなければいけない。戦力にもならない兵に参加されても、かえって迷惑なのだが、それをはっきり口にはできない。
「戦闘に首を突っ込まれるのは邪魔だけどよ、じわじわと押し出して、ゆっくりとこっちに迫って来てもらえりゃ、それなりに役に立つと思うぜ。」
「・・・?・・!そうだな。それは良いかもしれん。」
少し考えてジャラールは、カイクハルドの提案に乗った。
要請を受けたマッカリ率いる兵が、通常航行で「シックエブ」を目指す。包囲を形成した後も、皇帝のもとから断続的に兵が送られ続けていたので、モリモリと膨んで行った彼の部隊は、今や50万にも及んでいる。そのまま通常航行を続けるだけでタキオントンネルでの超光速移動を行わなければ、戦域へとたどり着くのに百年くらいかかるだろう。
「おい、シヴァース。こうなったら、カジャの部隊やプーラナ・ミドホルの部隊にも、同じようにじわじわと『シックエブ』に向かうように言ってくれよ。その方が、効果は高いだろうぜ。」
シヴァースは今一つ飲み込めていない様子だったが、カイクハルドが提唱し父親も了承した策ならきっと効果があるのだろう、と思った様子で言われた通りにした。両部隊にも兵は続々と馳せ参じていたので、それぞれ20万ずつくらいになっていた。
「レドパイネ」陣営の10万が形作るテトラピークフォーメーションより、更に0.1光年くらい遠くから大きな三角錐を形作り、その頂点に位置していた総勢百万近い大軍勢が、通常航行で包囲を小さくして行く。百年かけて「シックエブ」に攻め込む勢いでの前進だ。
「全戦闘領域において、敵の抵抗が弱まりつつあるな。」
部下から受けた幾つかの戦況データーを分析し、ジャラールはそう結論付けた。「皇帝陛下の軍に弓引くのは、やはり恐ろしいと見える。『シックエブ』に最後まで籠っている、軍事政権への忠誠の篤い連中でも、例外ではないのだな。」
「あ・・ああ、そうだった。」
シヴァースも、それで合点がいったようだ。「絶対に間に合わない速度で、じわじわと前進して、何の意味があるのかと思ったけど、そうだった。皇帝の軍は、戦わなくても存在感をアピールするだけで、敵には猛烈なプレッシャーになるんだった。」
「やっと気づいたのか?シヴァース。マッカリのもカジャのもプーラナのも、皇帝の旗を高々と掲げた軍だ。それらが、じわじわとではあっても近付いて来れば、それに敵対する奴等は賊軍って事になっちまう。将の中にも兵の中にも、皇帝に敬愛の念を抱く奴は沢山いるんだから、賊軍の汚名は重荷に過ぎるのさ。」
目の前でガンガンとミサイルやプロトンレーザーを放って来る「レドパイネ」の軍勢よりも、はるか遠くをゆっくり進んでいる皇帝の軍に押されているようなペースで、じりじりと「シックエブ」防衛部隊も後退して行った。
更にそこへ、アウラングーゼ部隊が飛び込んできた。こちらは、じわじわなどではない。タキオントンネルで、「シックエブ」からは「レドパイネ」部隊と同じ位の距離となる宙域に姿を見せた。5つ目の頂点を作り出した、と言って良い配置で、攻略戦に割って入った格好だ。
「良く戻って来てくれた、アウラングーゼ・ベネフット殿。『レドパイネ』の生意気な軍勢を、挟み撃ちにして捻り潰してやろうぞ。」
そんな内容の通信が、何度か「シックエブ」からアウラングーゼ部隊へと送られるのが、「レドパイネ」の観測網により傍受される。裏切られた事実に、未だに気が付いていないのか。
「気が付いてねえんじゃなくて、認めたくねえんだろうな。その事実を受け入れる事は、すなわち、自分達の敗北が決定付けられる事だ。頼むから嘘であってくれって懸命に祈りながら、通信を送っているんだろうぜ。」
そんな推察を披歴したカイクハルドは、嘲笑を顔に浮かべようとしているらしいのだが、憐みの情が眼の端から微かに溢れ出ていた。
「アウラングーゼ殿、一旦『ルサーリア』領域から離脱された時には驚いたが、やはり『シックエブ』の危機には駆け付けてくれましたな。」
「皇帝陛下も、アウラングーゼ殿が『シックエブ』の味方に付く様をご覧になれば、矛を収めて、今後も軍政に統治をお任せ下さるでしょうぞ。」
「今はやや優勢の『レドパイネ』軍勢も、アウラングーゼ殿の一撃を受ければ、たちまち蜘蛛の子を散らして逃げ去る事、間違いありません。さあ、いざ、一撃を!」
「シックエブ」から次々に発せられる通信が、彼等の苦しい胸の内を暴露していた。彼等に勝つ可能性があるとすれば、軍政に生き残る可能性があるとすれば、それは「ベネフット」が軍政に付いて、「シックエブ」防衛に参加してくれる事だ。アウラングーゼは彼等にとって、今や最後の希望だった。彼が寝返ったなどという事実は、彼が「シックエブ」を撃つつもりだなどという現実は、絶対に信じるわけには行かなかった。
それが分かるだけにカイクハルドは、彼等の通信が傍受されるたびに、遣り切れない気分にさせられた。敵とは言え、ここまで追いつめられた連中というのは、同情を禁じ得なくさせるものだった。
アウラングーゼは、「シックエブ」に何も返事をしなかった。裏切ったという事実をはっきりと言葉で告げれば、「シックエブ」の者達も観念するのだろうが、敵がそれを受け入れるのが少しでも遅れた方が、戦闘の上では有利になる。今でも十分優勢だが、より確実に、より素早く、より敵味方の犠牲を少なくして勝つには、「シックエブ」のアウラングーゼ部隊への対応を1秒でも遅らせた方が良い。
「シックエブ」からの通信は、アウラングーゼの心にも憐みの気持ちや同情の想いを掻き立てているはずだが、彼はそれを無視したようだ。感情に流される男では無かった。数人の敵の将に同情するより、何万といる敵味方の兵の命をこそ、彼は尊重しなければいけない。兵は故郷に戻れば、大黒柱でもある。家族を、集落を、領域を支える柱となる人材だ。それを1人でも多く生かす為には、敵将の必死の想いを踏みにじるくらい、何でもない。
非情だし、冷徹だ。だが、指導者には、統治者には、時に非情で冷徹な判断が求められる。情に流されて守るべき民を犠牲にするようでは、衆の長は務まらない。
が、アウラングーゼ部隊の動きが、いよいよ「シックエブ」を攻撃する為のものである事実を否定できなくなってくると、敵も観念せざるを得ない。テトラピークフォーメーションを形成する「レドパイネ」の4つの陣営の内の、3つのそれらの丁度中間に当たる宙域を、彼の部隊は直進している。彼の前方には、もう「シックエブ」しか無い。
「アウラングーゼ殿。やはりおぬし、『レドパイネ』ごときの手先になり果てたのか。長年恩顧を賜った軍事政権を裏切って、俄かに湧いて出た弱小軍閥『レドパイネ』ごときに顎で使われるとは、情けない。見下げ果てたぞ。恥を知れ!」
言葉を尽くした罵詈雑言を浴びせられるに至って、アウラングーゼもようやく立場を明言した。それは、ラフィー・ノースラインへの決別の言でもあった。軍事政権からの恩顧などは思い出せない彼だが、ラフィーからの厚遇は、忘れようとしても忘れられないだろう。彼に対して示されたラフィーの親愛の情は、胸に焼き付いて消す事などできないはずだ。
そんなラフィーと決別し、ラフィーに破滅を突き付ける言葉を、彼は今、口にしなければならなかった。
「黙れ!この私、アウラングーゼ・ベネフットは、畏れ多くもムーザッファール皇帝陛下よりの勅令を賜り、逆賊『ノースライン』とその手下どもを誅滅する為に、ここへ馳せ参じたのだ。」
「な・・なんだと。百余年に渡って『グレイガルディア』を統治して来た、『ノースライン』を中核とする軍事政権を、逆賊だ、などと・・」
「この『グレイガルディア』を統べるのは皇帝陛下であらせられるというのは、この国に生きる者全てが、生まれながらにわきまえておるわ。その陛下より『ノースライン』征伐の勅令が出ているのだ。逆賊以外に、うぬらを呼ぶ名を、私は知らぬ。」
その後も、何だかんだと「シックエブ」からの通信は叫んでいたが、アウラングーゼは何も返事をしなかった。
(奴は今、どんな気分だかな。アジタの奴はこれを聞いて、どう思うんだかな。そして、アジタと共にいるであろう、ラフィー・ノースラインは・・・・・)
傍受された通信を聞き届けたカイクハルドも、色々な想いを巡らさずにはいられなかった。ラフィーとアウラングーゼが手を取り合って軍事政権の意思決定を担う。そんな可能性も全く無かったわけではないだろう。ファル・ファリッジやアクバル・ノースラインを何とか権力の座から排除すれば、ラフィーとアウラングーゼによる善政も期待できたはずだ。もしかしたらそれは、これから始まるであろう皇帝親政より、良質のものだったかもしれない。
アジタはそれを夢見て、それに向けた努力も重ねて来ていた。ビルキース経由の情報で、その努力をカイクハルドは痛い程知っている。だが、アウラングーゼの先程の言葉で、それは水泡に帰した。アウラングーゼは軍政を離れ、ラフィーは軍政と共に滅びる。そんな世界へと、時代は舵を切ったのだった。
迫り来るアウラングーゼ部隊への対応に、「シックエブ」は防衛部隊を再編した。もう予備兵力など残っていなかったから、「レドパイネ」部隊に対応していた4つの陣営から、少しずつ兵を引き抜いて新たな部隊を構築するしかない。どう考えても無茶な作業だが、やるしかない。「シックエブ」も勝ち目が無くなった状況は理解しているはずだが、むざむざと諦めるわけには行かないらしい。
「敵の防御力が、一気に弱くなったな。アウラングーゼ殿への対応で無理やり兵を引き抜いたから、既存の部隊の布陣が、隙だらけになってしまったようだぞ。全ての戦域において、我が方が優勢になった。」
「ここだぜ。」
眼光鋭くカイクハルドが吠えた。「どれが一番優勢だ。ここで、どこに、あんたの部隊を投入するかだ。投入したら、確実に、他の誰よりも先に俺達が『シックエブ』にたどり着いて見せなくちゃ、全ての計画がダメになるぜ。」
「分かっておる。ただ勝つだけでなく、新体制にできるだけ遺恨を残さずに勝たねばならぬからな。一番乗りは『ファング』でなければならぬ。その為には、わしらの部隊こそが『シックエブ』に届かなくては。」
ジャラールの眼光も、刃のような気迫を体現している。
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は '19/8/17 です(投稿日の入力を間違えなければ・・)。
フマユン・ハイマークという"ちょい役"の最期の場面で、サラッと書きましたが、この時代には反物質がエネルギー貯蔵の手段として用いられている、という設定になっております。SFの世界では、「ダークマター」や「ダークエナジー」・「反物質」などが宇宙のどこかで発見され、エネルギー源とされている様子が描かれたりするのですが、この物語の"この時点"では、エネルギーを作り出す手段としては"核融合"が用いられ、貯蔵の手段として"反物質"が用いられるわけです。時代が変われば、例えばエリス少年の時代などでは、また違うエネルギー体系があるわけですが、それは今のところ詳しくは記述していません。1万年の銀河における人の歴史の中で、エネルギー体系も移り変わっていく、そんな様子も描いて行きたいのですが、それは1つ1つの作品で表現されるのではなく、シリーズ全体を通して描かれて行くものであり、未だ道半ばなのです。そんなシリーズ全体にかかわる未完成の世界観に連なる事実が、フマユン・ハイマーク戦死のシーンにさりげなく織り込まれていたということに、ご留意頂ける読者様がおられることを切に願っている作者であります。「ファング」だけでこれだけ長い物語ですが、こんな作品をいくつも書き連ねていく中で、「銀河戦國史」の世界観を、徐々に作り上げて行こうとしているのです。それを壮大だと感じて頂き、見届けて頂ける方がいて下さると、作者には至福なのですが・・・。というわけで、
次回 第82話 激闘・死闘・苦闘 です。
この展開で熟語3つのパターンのサブタイトルが来たので、いよいよクライマックスの戦いです。大勢を見れば、「レドパイネ」陣営の優勢ですが、「ファング」が一番乗りを果たさなければならないという制約もあり、厳しい戦いになることは間違いありません。一歩も引くわけに行かない戦いです。是非、ご注目頂きたいと願っています。




