第78話 極秘会談
ビルキースには、アウラングーゼの感じている重圧が痛いほどよく分かった。枕にしている腕から、彼の怯えと震えが、彼女へと余すところなく伝搬して来る。アウラングーゼの側に寝返りを打ち、裸体で裸体を温めようとする。
「苦しい、辛い、お立場ですこと。」
「・・うむ。失敗は、許されぬ。大切な人を破滅させ、多くの者の命を奪う決断だ。我がファミリーを守り抜き、『グレイガルディア』に安寧をもたらす責務の遂行を、絶対にしくじるわけにはいかぬ。それを少しでも確かなものとする為に、何一つ見落さぬ、綿密な計画が必要だな。」
一歩前に踏み込んだ言葉だ、とビルキースは感じ取った。怯えながら震えながら、アウラングーゼは決断を下しつつある。自分の心をも傷付け血に染める一歩を、果敢に踏み出した男に、ビルキースは一段と寄り添った。
「皇帝陛下の、勅令を頂く事も肝要かと。」
「・・!お・・おぬしという、女は・・・」
驚いた表情は一瞬だった。「もうおぬしが、何をどれだけ知っていようと、理解していようと、驚くにはあたらぬのだな。確かにそうだ。軍政打倒に踏み切るのなら、皇帝陛下の勅令を手にしておく事が、戦いの後にファミリーを守り抜く為にも、必須となる。まさか、陛下の御座所への案内も、お前に頼めるのか?」
「私ではありませんが、案内役を手配する事はできます。数日内にここへ来て、あなた様の手の者を、陛下の御座所へと導いてくれるでしょう。」
「ふははは、少し、背筋が寒くなったぞ、ビルキース。『グレイガルディア』は、お前の掌の上で踊っているのか?」
「うふふっ、まさか。」
言葉と裏腹に、アウラングーゼから怯えや震えは消失した。精神的にだけでは無く、現実的にも、ビルキースが彼に力添えし得ると実感し、勇気付けられたようだ。
「もしかしたら、今『シックエブ』を包囲している者達とのコンタクトも、お前に手配を依頼できたりするのか?」
「そうそう、それも、重要でございましたわね。誰がどのような戦果を上げて『シックエブ』や『エッジャウス』を陥落に導くか、そして、どのような形で軍政が倒れるか、それが戦後の体制や勢力関係に、重要な影響をもたらしますものね。『シックエブ』を包囲している者達との事前の打ち合わせや戦後の展望への意見交換などは、是非とも実現しておく必要がありますわね。」
「うむうむ。我が軍師殿の申す通りだ。」
「あら、軍師だなんて、武骨な地位に祭り上げないで下さいませ。あなた様の可愛いお人形ですわ、私など」
「こいつめ、ぬけぬけと・・」
「うふふっ」
冗談を交わし合う余裕が出て来た彼と自身が、ビルキースには嬉しく思えた。
「とはいえ、今の戦乱の状況下で、それほど多くの有力者を集めるのは不可能だろう。実際に、誰と何を話すべきか・・」
「プラタープ様、ジャラール様、カジャ様、皇帝陛下、これらの方々と戦いの場で密接に関わりを持った者と、とりあえずはお話になれば宜しいかと。」
「そんな者が、いるのか?・・心当たりが、あるようだな、お前には、そのような者と。」
「カイクハルド。」
「か・・かいく・・?何者だ、それは?」
「盗賊兼傭兵です。『ファング』という名の、『アウトサイダー』を構成員とした戦闘艇団を率いております。」
「そのような者は、このご時世には五万といるだろう。力なき集落を荒らしまわったり、戦場泥棒等で暴利を貪ったり、といった無頼漢など数え切れぬはずだ。そんな輩が、軍政打倒に大きな影響力など、持ち得ると思えぬが。」
「ただの戦闘艇団ではございませんわ。プラタープ様が『バーニークリフ』や『ギガファスト』で盛大な戦果をお上げになられたのも、『ファング』の『シェルデフカ』領域などでの後方攪乱があったからこそですし、あの無鉄砲なカジャ様が存在感を示し続けられたのも『ファング』の力添えのおかげです。『レドパイネ』が『シックエブ』に一撃を入れた戦いにも大きく貢献していますし、脱出後の皇帝陛下をお守りし、その直轄軍が『ルサーリア』に着陣する過程にも、彼らの働きはあったのです。」
「陛下の・・、もしかして、陛下に『ニジン』星系での蟄居を進言した、とかいうのも・・」
「はい。2年前、『マントゥロポ』星系で、落ち延びようとしていた陛下を捕えて軍政に引き渡し、『ニジン』星系での蟄居を申し出るように陛下にお勧めしたのも、カイクハルドですわ。」
「では、皇帝が脱出できたのも、その者の手配りがあったからなのか。」
視線を泳がせ、色々と思いを巡らせながら問いかけるアウラングーに、ビルキースは静かに大きく頷いた。
「プラタープ様も、ジャラール様も、カジャ様も、彼を信用し、彼に戦後の展望や意向を伝えておいでです。」
「そうなのか。プラタープ殿が、ジャラール殿が、皇太子様が・・。『ファング』とか申したか、その盗賊兼傭兵の一団を。おそらく、我等とは全く違う発想や行動形態をもった一団なのだろうな。使っている兵器も、我等とは違うだろう。そういう者の存在が無ければ、『バーニークリフ』や『ギガファスト』の戦いには説明が付かぬし、『シックエブ』に『レドパイネ』が一撃を入れられたのも、合点がいかぬ。規格外の力を持った戦闘艇団、そういうものの存在を考慮した方が、話に筋が通るというものだ。」
恐らく並の軍閥棟梁には、ぜったいに理解も承服もできない内容の話だったはずだ。だが、アウラングーゼは時間を掛けて少しずつにではあったが、ビルキースの話を飲み込んで行った。尊敬にも値する器量を見せつけられたビルキースは、縋るような視線を作って見せて、呟いた。
「お会い頂けますか?『ファング』のかしら、カイクハルドに。」
「会おう。是非、会わせてくれ、謎の戦闘艇団、『ファング』を率いる男に。」
枕にしていた腕で、グイッと華奢な身体を引き寄せられて、ビルキースはアウラングーゼに抱きしめられた。腕の中で、ニコリと彼女は微笑んでみせる。数え切れぬ破壊と殺戮で傷ついた国を、抱え込んでしまえる懐の深さ。それを、ビルキースはそこに感じた気がした。
「それにしても、お前の情報網は驚異的だな。本当にそんな大軍が、『シックエブ』を包囲しておるのか?未だに信じ切れぬぞ。いくらだと言ったかな?『シックエブ』包囲軍の兵力は。」
腕の中で徐々に睡魔に襲われたものか、ビルキースの言葉はうわ言のような響きになっていた。それでも正確に確実に、尋ねられた事実をアウラングーゼに報告して行った。
「皇帝直轄軍が20万、カジャ様、プーラナ・ミドホル卿が10万づつ、そして、『レドパイネ』配下に10万、合わせて、50万でございます。」
「ご・・50万・・ですと・・!」
目を爛々と大きく見開いて、ラフィー・ノースラインはアジタを見返した。
「はい。皇帝陛下が『ニジン』星系からの脱出を成し遂げあそばした結果、50万の大軍が『シックエブ』を包囲する事態に至っております。」
「そんな事、アクバルやファル・ファリッジ始め、軍政の実権者共は何も言っておらなんだぞ。が、まあ、言えるはずもないか。そこまで差し迫った、危機的状況を周囲に知られては、それだけで体制崩壊を招きかねない。」
「ええ。こうなっては、事実や情報が破壊力を持ってまいります。皇帝が50万の兵をもって軍事政権打倒に乗り出した。それを知って尚、軍政に味方する者など、僅かにしかおりますまい。」
驚きを露わにしたラフィーの顔は、次第に自嘲気味な苦笑に取って代わられつつあった。
「遂に、倒れるか、軍事政権は。我が祖先達が、百余年に渡って受け継ぎ、守り抜いて来た体制が、私が総帥を務めている、この時に。今の悪政を想えば、当然とも言える。慙愧の念も、堪え難いほどに感じる。わが身の不明と無力が、口惜しくてたまらぬ。」
ラフィー・ノースラインを実権のない総帥に祭り上げ、自分達が陰で治政を掌握し、アクバル・ノースラインやファル・ファリッジは恣に暴利を貪って来た。だが、それ以上にアジタが許せないのは、悪政の結果に対する責任を、全てラフィーに押し付けてしまっている事だ。総帥という立場にラフィーを祭り上げておいて、陰で実権を行使すれば、非難の声は自然とラフィーに集中する。アクバルとファル・ファリッジは、非難が聞えぬところで財だけを巧みに集めている。
権限は保持する、欲は全て叶える、だが、責任は一切負わない。どれ程唾棄しても罵倒しても飽き足らぬほど、アジタはアクバル・ノースラインやファル・ファリッジへの憤りと軽蔑を覚えた。
こうしている今でも、彼等は贅沢三昧を楽しみ、酒池肉林の饗宴に身を躍らせている。知らしめられた現実から逃避し、全ての気に入らない情報に目をつむり、彼等は宇宙要塞「エッジャウス」の片隅で、大酒を飲み御馳走を食らって無為に時を送っている。
何ら実権は無く、責任も無いはずのラフィーがこんなにも苦悩し、自己嫌悪に苛まれている時に、権力も責任もあるはずの者達は知らぬふりを極め込んでいるのだ。
「事ここに至っては、ラフィー閣下、是非『エッジャウス』からの脱出と避難をお考え下さい。今の内から周到に用意しておけば、反乱の火の手がこの『エッジャウス』を襲うや否や、すぐに安全なところへ逃れるのも可能になりましょう。再起を期す為にも、いつの日にか果たすべき責任を果たす為にも、今は御身の安全を第一にお考えください。」
その言葉に対して見せた、ラフィーの達観の笑顔は、アジタの心を絶望に陥れるものだった。
「ははは・・、政権が滅びるのに、その総帥が生き残るなど、滑稽ではありませんか。これ以上の恥を私に曝せなど、無体な事を申して下さるな。政権が倒れる時は、このラフィー・ノースラインが死ぬ時です。」
「な・・何を、何をおっしゃります。成りませんぞ、ここで死ぬなど。こんな醜悪な軍事政権と運命を共にするなど、あなたほどのお方が・・」
「私は、この軍事政権の総帥ですぞ。」
恐れも、打算も、邪気も、微塵も感じられぬ爽やかな笑み。生きる事より、死ぬ事に喜びを見い出したかのような瞳。
「あああああっ!」
アジタは咆哮した。「これほどの傑物が、何故だ!この『グレイガルディア』以外にも、幾つもの国を私は見てきました。ラフィー閣下、あなたほど、真摯に国民や国政に向き合おうとされる為政者を、私は知りません。あなたは、こんな所で死ぬべき人ではない。お考え直し下さい。」
「有難うございます、アジタ殿。あなたにそう言ってもらえただけで、私は救われた気持ちです。ですが、私が生き残る事は、この国に新たな混乱の火種を残す事です。軍政で既得権益を持ち甘い汁を吸っていた連中は、軍政崩壊後も甘い汁を吸い続ける為に、何とかして既得権益を回復しようと、あらゆる手を尽くすでしょう。私が生きていれば、私の意志に関わらず、いかに行動しようとも回避の余地もなく、私は、権益回復を企てる連中の力の結集点にさせられます。私の命は今や、全ての『グレイガルディア』の民にとっての、疫病神なのです。」
「しかし、同じノースラインファミリーの中で、アクバル達に疎んじられて不遇を託って来たハバドゥル・ノースライン殿などは、もうすでに逃亡先を確保されております。いずれ再起を期する算段も付けてあるようです。あなたがいなくなっても、新たな時代の混乱の芽は、いくらでもあります。あなたがここで死ぬ事に、大した意味は無い。」
「いいえ。混乱の芽は、一つでも少ないに越した事は無い。ハバドゥル殿が逃亡を図るからと言って、私が逃げて良い理由にはならない。ハバドゥル殿が巻き起こそうとしている混乱と、私が生き残る事で巻き起こるであろう混乱も、同質同等のものでは無いはず。私が死ぬ事で回避される混乱は、少なからずあるはずなのです。」
鉄の意志を視線に籠めるラフィーに、それでもアジタは食い下がった。諦める事など、できない。
「ならば、この『グレイガルディア』から脱出なされば宜しい。外の世界にあなたの居場所くらい、このアジタが、間違いなく見つけて見せます。あなたの誠実さや心配りが、見事に花咲き、多くの人々の幸せに貢献するポジションを、このアジタが責任を持って用意いたします。ですから・・・」
「私は、『グレイガルディア』を愛しています。」
「・・・うっ、ううっ!」
アジタは言葉に詰まった。自分の意見が、ことごとく受け入れられなかった為では無い。目の前の若者の、余りにも清々しく確固とした決意の壮絶さに、紡ぐべき言葉を見失ってしまったのだ。天晴れな若者だと感銘を受け、舌を丸めてしまったのだ。彼の高潔さを前に、自身の言葉の卑小さと無力さを、思い知らされた。
「・・アジタ殿」
絶句している男にラフィーの掛けた声は、温厚かつ冷静だった。「私の事などより、我が妹、つまりアウラングーゼの妻と、その子の身柄の方をこそ、最重要にお考え頂きたい。彼らこそ、新しい時代の為に決して失ってはいけない者達だ。どのような時代が来るのか分からないが、それを私は見る事もできないのだが、それでも、アウラングーゼとその子孫は、必ずや重要な役割を演じるはずだ。彼等が、軍政打倒に巻き込まれて傷付くような事があれば、それこそ深刻な損失です。」
「その点は、心配ありません。アクバルもファル・ファリッジも、あのように飲んで騒いで前後不覚に過ごしています。更にファル・ファリッジの孫娘の我儘に付き合わされ、彼らの手下にある者も全て、豪華な衣装や装飾品の運搬などに駆り出されております。そういった物の収集が民の怨嗟の的になり、自身の寿命を縮めている現状にも気付かず、あの孫娘も日々贅に溺れる暮らしぶりです。そんな有り様ですので、彼等の目を盗んで女と子供の1人ずつを連れ出す企てくらい、造作もございません。」
「それならば、安心です。それとアジタ殿ご自身も、機を逸する事無く、大事の折には、確実に安全な脱出を遂げられますように。」
「・・・あなたというお方は。」
虚空を走る「シュヴァルツヴァール」の航宙指揮室で、いかにも腑に落ちない顔をしている男が、疑問の声を上げる。
「なぜ俺が、その会談に参加するべきなんだ?ビルキースとかいう女からの連絡では、お前を会談相手に希望してたんだろ?」
「お前こそが、一番適任だろう。今『シックエブ』を包囲している『レドパイネ』陣営も代表できるし、皇太子カジャの代弁者にもなれる。皇太子カジャは皇帝の代理人でもあるんだから、お前は皇帝側陣営全体の代表みてえなもんだ。」
未だ二十歳そこそこの、この若者は、その言葉を重荷に感じている顔をした。
「俺に、務まるのか?『レドパイネ』を代表するのは、棟梁である親父だし、カジャ様の代弁者はともかく、皇帝陛下の代弁者としてって言うならやはり、カジャ様御自身に乗り出して頂いた方が・・」
「阿呆か、お前は。お前の親父もカジャも、『シックエブ』の包囲から離れられるかよ。それに、これは内密かつ非公式の会談だ。ビッグネームに動かれちゃ、目立っちまってその前提が崩れちまうだろ。」
「そうか。だから、小者である俺が選ばれたのか。」
ほっとしつつ、憮然とした表情をシヴァースは浮かべた。「俺だったら、親父ともカジャ様とも本音で親密に話し合った経験が何度もあるから、皇帝側の考えは示せるけど、全然名前を知られてねえから、動いても目立たねえ。内密で非公式な会談には、都合が良いってわけか。」
「まあ、そんなところだな。包囲戦から締め出されて暇そうだったってのが、一番大きな理由だがな。」
「お、おいっ!何を言ってくれてんだ。暇なわけ、あるか。暇って言うなよ。暇な時間なんて全くなかったんだぜ。忙しかったが、忙しくこなしてた作業が、退屈なものだったってだけの話だ。」
「ルサーリア」領域をパトロールして回り、領民から掠奪や強引な徴発をしている、軍閥や盗賊などを取り締まったり追い散らしたり、という作業にシヴァースは粛々と従事していた。
「シックエブ」に一撃を入れる為の道を切り開いた、勇猛果敢な突撃とは正反対ともいえる作業だし、突撃の方が彼の性格には合っているのだろうが、ジャラールの指示とあらば、文句ひとつ言わずに地道な作業をこなすしかなかった。
それを暇と決めつけて問答無用で連れ出して来たのだから、カイクハルドのやり口も荒っぽいと言えるだろう。シヴァースの不満気な顔も、もっともなものだ。
「まあ、そんな顔するな。名が知られてねえとか、暇そうとかってのも、後でとってつけた理由だ。何と言ってもこの会談は、軍政打倒が成った後の国の形を左右するものだ。軍政打倒直後の問題だけじゃなく、更にその将来の世代をも見据えた話し合いになる可能性が高い。ジャラールやムーザッファールの世代だけじゃ済まねえんだ。その次の世代、つまり、お前やカジャが中心に座る時代の話にも、なるかもしれねえんだ。」
「お・・俺が、中心・・・?」
不満気な顔は、不安気な顔に転じた。「カジャ様のもとや親父のもとで、好き放題暴れるばっかりだった俺が、国の中心・・・?」
「当たり前だろ。このまま『レドパイネ』を先頭とした部隊が『シックエブ』を陥落させ、軍事政権を終焉に導いて皇帝親政が復活するとしたら、当然その体制の中で『レドパイネ』も、重要な役割を担う可能背が高い。ジャラールが引退する時代が来れば、当然お前に順番が回って来る。ジャラールの次の世代って時には、ムーザッファールの次の世代ってのも、ついでにやって来るんだからな。」
「皇帝陛下の次の世代・・となると、カジャ様か。」
「そのカジャに長く付き従った、側近中の側近だろ、お前は。皇帝親政復活の立役者ジャラール・レドパイネの息子であり、ムーザッファールから帝位を受け継ぐであろうカジャの側近でもあるんだぜ。新しい時代に、国の中心に座る可能性は、十分にあるだろう。」
若者の顔は、見る見る深刻さを増して来る。重圧に、押し潰されてしまいそうだ。
「なんだよ、頼り甲斐のねえ顔してやがるな、シヴァース。」
そうは言ったが、国の中心に座る、と言われて重圧一つ感じないよりは、遥かにマシだ、ともカイクハルドは思った。富や権力を手にできる、と都合の良い妄想だけ膨らませて、国の中心に座る大任を単純に喜ぶような奴こそ、国を私物化するであろう俗物と見るべきだ。根拠も無く、やってみもしない内に自信満々の顔をしている奴も、ただ世間知らずで怖いもの知らずなだけで、頼もしく思うのは見当違いだ。
国の中心に、といきなり言われた者としては、不安に苛まれるのが一番まともな反応だし、自信など無くて当然だ。ここでシヴァースが、嬉しそうだったり誇らし気だったり自信あり気な顔をするようなら、むしろカイクハルドは「グレイガルディア」の将来を悲観しただろう。重荷を重いと素直に感じられる心根こそ、未来の国の中心に座る人物には求めたいところだ。
「お、俺、何も知らねえぜ、政治とか国造りとか民衆の暮らしとか・・」
「ああ。そんなん、誰も知らねえよ。知ってるとか、分かってるとか言うヤツは沢山いるが、本当に知ってるヤツも、分かってるヤツも、一人もいねえさ。知らねえくせに、知ったふりして勝手に物事を決めるのを、悪政って言うんだ。知らねえ事を、自分にとって都合の良いように決めつけて、その幻想をもとに判断するから、私利私欲に塗れたファル・ファリッジみたいな政治になる。知ってるわけねえ奴の話を真に受けて、作られた虚構をもとに判断すれば、貴族に踊らされたかつての愚帝共みたいな政治になる。
知らねえって自覚して、知らなきゃいけねえって自戒するところから、善政への道は始まるはずだ。知らねえ事は、その脚であちこち出かけて行って、その眼で隅々まで見て、その耳と口で色んなヤツらと話し合って、ちゃんと理解できたって思ってから判断を下さなきゃならねえ。それは、自分は何も知らねえって、自覚してるヤツにしかできねえ事だ。
自分には十分な知識や能力がある、なんて思っていやがるヤツには、一生善政は無理だ。自分は何も知らねえって思っているお前には、可能性がある。まあ、その機会が回って来るかどうかは、まだ確定的じゃねえんだがな。」
超光速で飛ぶ「シュヴァルツヴァール」の航宙指揮室に据え付けらた椅子に、深々と身を沈めたシヴァースは、考えにも沈んだ。今この瞬間まで、考えてもみなかった重荷の圧力を、今、彼は感じているのだろう。
「これから会う奴も、新しい時代に大きな責任を担うのか?」
しばらくの沈黙の後、シヴァースが低く呟いた。「そいつの出方次第では、俺には出番は回らねえかも知れねえし、そいつと協力してやって行くのかもしれねえ、ってわけか。」
「そうだな。敵に回る可能性もある。そいつを打ち倒した上に、お前達の時代が来るのか、お前らが打ち倒された上に、そいつの時代が来るのか。」
カイクハルドのその発言で、シヴァースの顔には笑顔が戻る。面白くなって来た、とでも言いた気だ。
「打ち倒されるのは御免だが、時代とかいうのは、そいつに任せてしまいたい気分だぜ。打ち倒した上で、責任は全部押し付けるとするか。」
「ああ。やれるもんなら、そうすれば良い。」
シヴァースの笑みを、カイクハルドが笑顔で見つめる。これから会う者への興味が、シヴァースの内側で沸々としているのを見て取り、カイクハルドは喜んだ。
「アウラングーゼ・ベネフットか」
想像を巡らすような眼差しのシヴァース。「どんな男か。軍政打倒の向こうに、どんな世界を思い描いているのか。手を組むのか、敵として見えるのか・・」
幾つものタキオントンネルを乗り継ぎ、「シュヴァルツヴァール」は虚空を急いだ。カジャの部隊が設置した恒久型も拝借したし、自分達で暫時型のターミナルを展開するケースもあった。とにかく最速で、目的地への到着を目指した。
会談が終わるまで「シックエブ」への本格攻勢は控える、とジャラールからは意思表示を得ていたが、のんびりできる状況では無い。ここからの戦いの推移は、戦後の体制に少なからぬ影響を与える。会談が遅れて突発的に戦闘が勃発してしまえば、誰も望まない形で決着が付き、なし崩し的に醜悪な新体制が出来上がってしまうかもしれない。
アウラングーゼ・ベネフットが戦後の体制に何を望むのか、どういう体制の中で、どんなポジションに付くつもりなのか、それによっては、敵対もあり得る。共闘もあり得る。共闘するとしても、戦いでの役割分担は戦後体制の役割分担と密接に関連する。
「レドパイネ」や皇帝側を代表するシヴァースと、今から軍政を裏切ろうとしている大規模軍閥アウラングーゼ・ベネフットの会談は、「シックエブ」攻略戦が始まる前に、是が非でも成し遂げておくべき課題だった。
懸命な疾走の果てに、「シュヴァルツヴァール」は目的のリング状宙空建造物に辿り付いた。「シェルデフカ」領域の端にある、闇市として使われている施設だ。捕虜の処理などの際に、クンワールと共にカイクハルドも何度も利用している施設だが、非公式の密談という目的にも、使い勝手の良い施設だ。互いに素性を隠した者が大勢集まり、詮索や追及をしないという暗黙のルールが守られている環境が、いかにも好都合なのだ。
大量の貨物の処理をも行えるように、一辺が10mという広さを確保してあるブースの中で、会談は行われる予定だった。
先に着いたカイクハルド達は、ブースの真ん中付近で鉄骨レールの一つにしがみ付くようにして、相手を待った。前後も上下も左右も、壁面まで5mという距離を置いた位置にポツンと浮かんでいる様は、何とも滑稽で広さの無駄を感じさせるものがあるが、誰にも聞かれず素性もバレない、という条件には非常に適していた。
案内役を1人伴っただけという無防備な状態で、アウラングーゼ・ベネフットは現れた。宇宙服を着込みヘルメットで顔を覆った状態だったので、ある程度近付くまでは、面構えも見て取れなかった。だが、宇宙服越しの立ち居振る舞いだけからでも、泰然自若とした、名門軍閥の棟梁ならではの雰囲気は感じ取る事ができた。
それに、肩にあしらわれた紋章が、名門軍閥の出身である事も宣言している。プラタープやカジャのものとは少し図柄が違うが、若獅子を模式化したデザインだ。それは、かつては皇帝一族であり、臣籍降下して軍閥となったファミリーが、皇帝の血を引いていることを主張する為に使う紋章だった。皇帝の血を全く退いていないのに、勝手にその紋章を掲げる軍閥もあるから、それだけでは根拠にならないが、「ベネフット」は、数百年の昔には皇帝一族に名を連ねていたと誰もが知る名門ファミリーだ。
名門丸出しの装いで、名門にはあり得ない無防備を曝す男に、名門に対しているとは思えない砕けた口調で、カイクハルドは話し掛けた。
「名門軍閥の棟梁ともあろう者が、そんなんじゃ不用心じゃねえのか?一人しか連れてねえなんて。しかもそいつも、あんたの手の者じゃねえんだろ?」
いかなる権力にも属さない「アウトサイダー」のカイクハルドではあるが、それにしても、彼の口ぶりには遠慮が無さ過ぎた。名門軍閥の棟梁には、経験した覚えもない不躾な態度であるはずだ。しかし、アウラングーゼの方も、別段、意に介した風は無かった。
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は、 '19/7/27 です。
ラフィー・ノースラインについても、描くタイミングやボリュームについて、こんなものでよかったのかな、という思いは残っています。当初はミリタリー中心の作品で、「ファング」の活躍を最大限に描いて行くという方針で書き始めたのですが、書いていくうちに軍事政権の内実についても、もっと詳しく書いておくべきだったのかな、という思いが膨らんでいきました。ラフィーが軍政を立て直すために、アクバル・ノースラインやファル・ファリッジなどと渡り合う場面なども、詳細に描いてもよかったような気もしますが、作品自体のボリュームも当初の予定を上回ってしまっていたし、ミリタリーから離れすぎるのもどうかと思って、このくらいにしておきました。書けば書くほど書きたいことが膨らんでいくのを、抑え込んで当初の予定に近づけるのか、それとも衝動に任せて膨らませてしまうのか、どちらが正しいのか、今でもさっぱり分かりません。読者様各位のご判断を仰ぐしかないことです。というわけで、
次回 第79話 同盟締結 です。
カイクハルドとシヴァース・レドパイネとアウラングーゼ・ベネフットによる秘密会談が始まりました。上記のタイトルで、その結果はネタバレしているようなものですが、内容に関してはまだ色々な可能性が残っているはずですし、そこが一番重要だとも思います。いよいよクライマックスの激闘が近づいているわけですが、何を目指しての戦いなのかを理解しておいて頂くために、重要な説話になってきます。是非ともご一読下さい。




