第6話 脱力・漂流・追憶
直ぐに計器類は回復した。
暗黒と静寂に包まれた時間は、恐らくは、ほんの1・2秒だっただろう。その永遠とも思えた数秒の暗転からの回復直後、カイクハルドはカビルの「ヴァイザーハイ」を見つける事はできたが、ナーナクとムタズの「ヴァンダーファルケ」を見つける事はできなかった。
見失ったのか、撃破されたのか。多数の敵に囲まれた中で、一旦位置を見失った仲間の戦闘艇を見つけるのは、容易では無い。探したいところだが、探す事に専念させてもらえるはずもない。
敵の只中で、フォーメーションを崩し仲間を見失っては、圧倒的に不利となる。探すどころか、自分の身を守ることさえ、おぼつかない。
「カビル、45-112へ、『リーリエ』だ。」
一方に散開弾を撃ち込み、敵を牽制する。敵が多数居て、味方の居ない方向を選んだ。仲間の位置を見失うと、散開弾を撃つのにも気を使わなければいけない。仲間が居ない事を確認できた方向にしか、撃てないのだ。
その難儀な作業を瞬時にこなし、散開弾で一方向の「レーヴェ」数隻を葬った彼等は、「ナースホルン」の流体艇首を反対の方向に展開し、防御しながら突き進む。
が、敵も追いすがって来る。四方八方からアプローチして来る。ここぞとばかりに攻め立てて来る。フォーメーションを崩した今こそがチャンスである事は、敵にも分かっている。
レーザーが降り注ぐ。前方からのものは流体艇首で防げるが、後方からのものは躱すしかない。ランダム微細動で対応する。
応射もするが、敵は不用意には近寄って来ないので、命中率は高く無い。
カイクハルド達が放つものの数倍ものレーザーが、一斉に彼等に浴びせかけられる。気付けば、取り囲む敵の中に「アードラ」もいた。敵の火力は俄然高まる。カイクハルド達を襲うレーザーの数が、更に倍増する。
「ナースホルン」が異常過熱を検知した。悲鳴のようなけたたましい警報と共に、ディスプレイが被害をまくしたてる。機能上の損害は無かったが、一瞬、装甲が敵レーザーに照射されたようだ。短過ぎる一瞬だった為に、爆散もせず、継戦能力も喪失しなかったが、敵の攻撃が命中した事実は深刻だ。
流体艇首に受けるレーザーも、無視できない数になって来る。復元が追いつかない。僅かに流体艇首から洩れて来たレーザーが、また「ナースホルン」の装甲を異常過熱させた。異常過熱の箇所が増えて行く。いつどんな損傷を被っても、爆散に至ったとしても、不思議では無い。
敵の「レーヴェ」や「アードラ」も、何隻かは葬っていたが、このままでは、撃破されるのも時間の問題だった。レーザー攻撃だけでも手一杯の所に、ミサイルも飛んで来た。
敵の動きから、カイクハルドはそれを直前に察知した。プラズマ弾か爆圧弾だと予測する。それに巻き込まれまいとする敵の動きが、その予測を可能にするのだ。カイクハルドの実戦経験が、迅速かつ的確な見極めをなさしめた。
見極めたとはいえ、回避はた易くは無い。ブラックアウト寸前の急旋回でも、爆心から十分に距離を取り切れなかった。
弾種は、爆圧弾だった。プラズマ弾だったら、灼熱エリアに捕らわれて終わりだっただろう。爆圧弾の方が、衝撃の及ぶ範囲が狭い。プラズマ弾を撃ち尽くしたのか、後の為の温存したのか知らないが、飛んで来たのが爆圧弾で命拾いした。
しかし爆圧弾の衝撃は、カイクハルドに頭部からの流血を強いるくらいに「ナースホルン」を揺さぶっていた。何度もカイクハルドの顔を赤く染めたディスプレイが、今は激突して来たカイクハルドの頭から飛び出た血で、赤く染められている。
宇宙服を装着し、ヘルメットもしていたが、顔の部分のカバーは開けてあった。
爆圧弾を避ける為に一旦遠ざかった敵は、また舞い戻って彼らを襲う動きを見せたが、カイクハルドは、近くを飛ぶ「ヴァンダーファルケ」2隻をディスプレイ上に見つけ出した。ナーナクやムタズのものではない。第3戦隊のものだった。
彼等も所属する単位からはぐれ、単独での対応を余儀なくされていた。
無重力の中で流れ落ちる事も無く、表面張力でこめかみに張り付いている血を、拭う暇もカイクハルドにはない。即座にその2隻の「ヴァンダーファルケ」をマーキングし、通信の設定を変更する。即席の単位を構築しようとしているのだ。ビリーとネロンが、パイロット名だと分かる。
「ファング」は、戦場で単位とはぐれてしまった場合には、近くにいる仲間を見つけて即席の単位を作る事にしている。どんな面子で集まっても、十分に連係が取れるように日頃から訓練している。
指定された4隻にのみ伝わる通信回線が開かれ、戦術支援システムも同調され、彼等は単位となった。第3戦隊の、パイロットの名を呼ぶのも初めての「ヴァンダーファルケ」2隻が、カイクハルドの指定した「アードラ」にすかさずアプローチして行く。当然、螺旋を描きながらだ。
縦横の射線で浴びせられたレーザーが、あっさりと「アードラ」を爆散に至らしめる。一度フォーメーション攻撃が発動されれば、素早く確実に、敵戦闘艇は撃破されて行く。攻撃が最大の防御となり、「ナースホルン」に襲い来るレーザーの数は激減する。
これで一安心か、と思ったのも束の間、敵の動きに不穏な気配を感じるカイクハルド。ディスプレイに視線を走らせその正体を見極める。
「ミサイル接近。戦闘艦保有の、でかいやつだ。」
「小型戦闘艦が、撃って来やがったんだな。」
カイクハルドの警告に、カビルが意見を差し挟む。
「撃破は間に合わない、ビリー、221-156、、ネロン、38-211、ダッシュ!」
弾種もミサイルが展開するタイミングも、勘で判断するしかない。敵戦闘艇の動きやミサイルの軌道から、カイクハルドは読んだ。
ほぼ読み通りのタイミングで敵ミサイルは展開し、金属片群の広大で濃密な壁を作り出した。戦闘艦搭載のものだから、規模が格段に上だ。
即席の単位は、かろうじて回避に成功はしたが、またしてもバラバラになってしまった。回避直後に「アードラ」数隻が殺到して来たので、ビリーやネロンの「ヴァンダーファルケ」と会合できない。ぴったりとカイクハルドの「ナースホルン」に付いて動いている、カビルの「ヴァイザーハイ」とは、はぐれずに済んでいるが。
それでも、また別の「ファング」の戦闘艇が近くにいるのを、カイクハルドが見つけた。単位からはぐれたやつみたいだ。また新たな即席単位を構築する。「ナースホルン」2隻と「ヴァイザーハイ」2隻という歪な編成の単位になってしまった。
編成を念頭に、カイクハルドは防御重視のフォーメーションを選択した。「ナースホルン」2隻が互いに反対方向を向き、どちらから攻撃されても、流体艇首で受け止められる体勢を作り、その間に「ヴァイザーハイ」2隻を挟み込む。一列縦隊だ。
そして、敵の動きを見極めながら4隻一列の単位はクルクルと回転し、横からの攻撃も許さない。同一平面上で回転するのではなく、縦の動きも伴った複雑な回転だ。回転速度も一定では無いので、敵が側面を付くのは至難の業だろう。敵がまごついているところを見計らい、突如レーザーを繰り出したりもする。防御重視でも、着々と敵を撃破する。
即席の単位で、これほどの一糸乱れぬ連携行動をとるのも、「ファング」にしかできない芸当だろう。しばらく敵は、攻めあぐねていた。
だがその即席単位も、プラズマ弾の攻撃を受ければ解体を余儀なくされる。カイクハルドの迅速かつ的確な判断で4隻とも損傷を免れはしたが、再びこの面子で単位を構築する事はできなかった。
直後に見つけた単位に、カイクハルドとカビルは飛び入り参加した。それも即席の単位だった。もうすでに、本来の単位を維持できている「ファング」は、少なくとも第3戦隊には残っていないらしい。散々に蹴散らされながら、それでも即席の単位を次々に再構築し、可能な限り有利な展開に持ち込もうとする。
「ヴァンダーファルケ」3隻に「ナースホルン」2隻に「ヴァイザーハイ」1隻という、変則の6隻の単位が、カイクハルドの指揮のもとに闘う。彼らが飛び入り参加するまでは、別の者が指揮を執っていたが、「ファング」のかしらであるカイクハルドが、指揮権を乗っ取る形となった。
この編成でも、かなりの敵を始末できたが、更なる難問がカイクハルドに迫り来る。
「ついに噴射剤が、底を付いて来たな。もう、いつ無くなっても、おかしくねえぜ。電力も残りわずかだから、周囲から捕集するのも無理って有り様だ。」
敵は、かなり撃ち減らされていた。「ファング」の方が、多いかもしれない。が、ついさっき空母から出撃したばかりの敵は、まだまだ噴射剤をたっぷり残しているだろう。いくら最強の「ファング」といえど、噴射剤が尽きてしまえば、一方的に殺戮されるしかない。
そこへまた、敵戦闘艦からのミサイルが飛来する。
「ダッシュして、あいつを仕留めるぞ、カビル。多分それで、俺達の噴射剤はおしまいだな。」
6隻の単位の、カイクハルドとカビル以外の4隻は、もうしばらく噴射剤がもつらしい。彼らを残し、指揮権も元の状態に戻し、カイクハルドの「ナースホルン」とカビルの「ヴァイザーハイ」は突進した。
飛来するミサイルに一目散に肉薄する。妨害を試みた「アードラ」のレーザーを「ナースホルン」の流体艇首が受け止め、「ヴァイザーハイ」のレーザーで返り討ちにする。
スラスターに拍車をかけ、ぐんぐん加速する。重圧の苦痛に呻く。カビルの叫びも聞く。2人して、懸命に堪える。失神寸前の数秒を経て、ミサイルを射程に捕えた。撃破はあっさり達成され、ミサイルは爆散する。散開弾なのか追尾型なのかは、分からないが、展開する前に撃破してしまえば関係なかった。
「ナースホルン」と「ヴァイザーハイ」は、マッハを十数倍する速度で飛翔していた。ミサイル撃破の為に稼いだ速度だ。
「こいつはもう、さすがに、止まれねえだろう。なあ、カビル。」
「ああ、止まれるだけの噴射剤は、確実に残ってねえな。」
話しながらカイクハルドは、カビルとの通信に必要な最小限の装置以外のパワーを、ダウンさせた。
動けない以上、敵に見つかっても何も出来ない。ならば、見つかる可能性を最小限にする為に、熱源などを断つ必要がある。コックピットは暗闇となった。仲間の死を知らせる赤い光も、今は点灯しない。仲間が死んでも、もう分からない。
すぐ近くにいるカビルとの通信が、今の「ナースホルン」にできる唯一の活動だった。
「こうなったら、ひらすらじっとして、後は、プラタープの旦那が来るのを、待つしかねえな。」
「来るのかなあ?旦那と直接話したのは、かしらだけだからな。よく分からんぜ。」
リラックスし切ったカビルの声だ。敵に見つかればひとたまりもない、完全無防備な状態だが、カビルの声には緊張も恐怖も、微塵もなかった。
「旦那は、何としても『バーニークリフ』を奪還するつもりだ。間違いなくあの目は、その決意に燃えていたぜ。」
記憶を探るように、カイクハルドは上方に視線を泳がせる。無重力だから、主観的な“上方”だ。
「何としても奪還したいなら」
カイクハルドは続けた。「今以上のチャンスはねえ。俺達が要塞の砲台をぶっ潰してやって、この第8セクションには反撃の能力はねえし、敵の守備部隊も、ほぼ全滅に近い状態だ。このチャンスを見逃す旦那じゃ、ねえはずだ。」
守備隊が全滅したのか、全滅に近いのか、それは今、「ファング」にとって切実な問題だった。「ファング」の戦闘艇の噴射剤が尽きる前に全滅していなければ、逆に、「ファング」が全滅することになる。
1隻でも敵が残っていれば、噴射剤が尽きて動けない「ファング」の戦闘艇など、簡単に全滅させられてしまう。こうしている間にも、敵の生き残りがカイクハルド達を見つけて、殺しにやって来るかも知れない。
戦況は微妙だった。「ファング」が、噴射剤を使い果たす前に敵を全滅させているか、全滅させる前に、「ファング」の全戦闘艇が噴射剤を使い果たしてしまっているか。
全滅するのは、敵か「ファング」か。
その事はカイクハルドの心底に、重く濃く蟠ってはいるが、言葉にしようとはしなかった。今それを考えたところで、何もできるわけではないから。
「旦那がここへ来ることは間違いねえが、それがいつになるかは、はっきり分からねえな。あと1時間して旦那が来ねえようなら、俺達は“悪魔の軌道”に乗っちまうことになるな。」
噴射剤を使い切り、自力で動けない状態で宇宙を漂い、誰かに助けてもらえる望みも無いという局面、それを彼等は、“悪魔の軌道に乗る”と表現していた。
現在の自分達の軌道の延長線上に、たまたま何らかの人工天体や集落でもあれば、助かる可能性はある。電波が届く範囲にそういうものが入って来れば、助けに来てもらえる可能性がゼロでは無い。十分な量の塵などがあるエリアを通過すれば、それを捕集して噴射剤とする機能も、「ファング」の戦闘艇には備わっている。
が、軌道の延長線上にそういったものが何も無いようであれば、もはや望みは無い。食料が尽きて餓死するか、保温機能が止まり凍死するか、空気が尽きて窒息死するか、そしてたいていの者が選ぶ結末であるが、自らの頭を銃で撃ち抜くか、そのどれかしか無くなる。
広大な宇宙で出鱈目な方向に漂流して、誰かに助けてもらえる場所にたどり着く可能性など、百分の1%も無いだろう。カイクハルドも一応、パワーをダウンさせる前に、今の軌道の延長線上に何かあるかを確認はしたが、一番最初の人工天体が通信圏内に入るのは、数万年後、という計算結果だった。十分な量の塵を捕集できるエリアも、軌道の先には見当たらない。
「まあ、とにかく、あと1時間は何もやる事はねえんだ。暇潰しに、最後に抱いた女の肌の味でも思い出していようか。」
「そうだなあ。なんにもできねえんだから、そんな感じで、のんびり過ごすとするか。」
プラタープ・カフウッドが軍勢を率いて、1時間以内にここに乗り込んでこなければ、悲劇的な局面を迎える、というのにカイクハルドは、シートベルトを外して大きく伸びをし、無重力の中を漂い始めるくつろぎっぷりだ。表情には、危機感も恐怖も、まるで現れてはいない。
「じゃあ、俺は」
そう話し始めたカビルも、無重力の中をふわふわ泳いでいるのが、声で分かる。「この前、何とかって軍閥直系の集落管理者から、刈り取って来た御令嬢かな。あれは上玉だったぜ。」
「ああ、あれか。お前は相変わらず、権力者の箱入り娘、っていうのに目がねえんだな。」
「当たり前だ。惚れ抜いた女を権力者に奪われ、慰みものにされる苦渋を、若き日の俺が何べん味わったか知ってるか?だから、『ファング』に入って以来、権力者の箱入り娘を奪い取って来て抱くのが、俺の何よりの楽しみなんだ。権力者の厚い庇護の下で、大切に丁寧に育てられて来た箱入り娘が垂れ流す汁の、甘い事といったらねえんだぜ。」
「へっへへへっ、そうだったな。この前の女と言えば、管理者として送り込まれた集落で、搾取の限りを尽くしてた奴の、一人娘だからな。軍閥の権威を笠に着て、集落の住民を私益の為に酷使したりも、しまくってやがった。何十人と死んだそうだぜ。それで蓄えた財で、良いもん食って、良いもん纏って、贅沢三昧を寿いで来た一家の娘なんだ。その肌も肉も、さぞかし柔らかかった事だろうな。」
下品な会話だが、彼等は盗賊兼傭兵だ。こんな感じでこそ、自然というものだ。権力者から力づくで奪った女を抱く事ほど、盗賊冥利に尽きる事は無い。
「ああ、そうさ。プライドも人格もズタボロになるまで、徹適的に貪り食ってやったさ。」
「集落の住民の犠牲の上に、豪勢な生活をして来た女には、お似合いの姿ってところかな。まあ、そう言う俺達も、襲って殺して奪って犯して、その果てに、こうして“悪魔の軌道”に片足突っ込んでるんだから、様ぁねえがな。」
「あっはははあっ、違えねえ。どっちもどっちだ。だが、あの甘い柔らかい肌を思い出しながら死んで行けるんだ。悪くはねえ。」
愉快そうに声を張り上げたカビルは、ふと声を落して尋ねた。「かしらは例の、皇帝の側女でも思い出すのか?なんて言ったて、この『グレイガルディア』の、名目上とは言え最高権力者の伽役だ。良い味してるんだろうな。」
「馬鹿野郎。あれは、側女でも伽役でもねえよ。『マントゥロポ』星系から皇帝を落ち延びさせる為の、案内人だっただけだ。それにあの女は、まだ抱いてねえ。」
「はああああっ!? ・・だ、抱いてねえ、だとぉ?」
呆れ果てたような大声を、カビルがあげた。「何やってんだよ?かしら。もう、2年も前じゃねえか、あの女を、皇帝の御座船から奪って来たのは。まだ、抱いてねえって・・」
「熟成させてんだよ。一番いいタイミングで抱くためにな。」
「あははっ!? なんだよ?熟成って・・。どういう事だ?一番いいタイミングって。・・少しでも若い間に抱いた方が、良い味出すに決まってるだろう。」
「分かってねえな、カビル。若い時の方が良い味を出す女なんてもんは、3級品だぜ。ほんとにイイ女には、若さ以外の味ってもんがあるんだ。それが一番出てくる年頃ってものもある。それまではしっかり熟成させて、一番良いタイミングで抱くんだよ。」
「・・わけ分かんねえよ、かしら。そんな、熟成とか言ってて、ここで死んじまったら、抱けずじまいに、なっちまうじゃねえか。」
「そりゃ、リスクはあるさ。こんな、いつ死んでもおかしくねえ暮らしをしてんだからな。抱けずじまいのリスクを冒してでも、一番熟したタイミングをじっと待つんだ。俺はな。」
「なんだぁ?そりゃあ。俺は絶対、若いのが良い。権力者に、大事に大事に育てられた、若い体を奪って食う。それが一番だぜ。嗚呼、こないだの御令嬢、あれは良い女だったな。孕ませちまって、手放さざるを得なくなったのが、惜しまれるぜ。」
カビルは、思い出の中に引き篭もって行きつつあるようだ。
「じゃあ俺は、ウダイプリーだな。」
カイクハルドも最後に抱いた女の名を口にし、その顔を頭に浮かべようとした。だが、沈黙の時間が1分と経たない内に、彼の頭は、さっき話題に上がった女-ラーニー・ハロフィルドへと戻って行った。
2年前の出会い。落ち延びる皇帝の御座船を強襲し、乱入した時だ。完全武装の盗賊団十数人を前に、桃や橙が色鮮やかな薄衣をひらひらと舞わせた少女が、仁王立ちした。
恐れも見せぬ切れ長の瞳からは、矢のような眼光が射込まれ、力任せの男共を一瞬とはいえ、たじろがせた。当時17歳のあどけない頬に高揚を示す紅色を浮かべ、形良い曲線の顎を突き出すようにして、闖入者共を睥睨した。
「これを、皇帝陛下の御座船と知っての狼藉ですか!不敬も甚だしい。恥を知りなさい!」
カイクハルドの瞼の裏で、2年前のラーニーが咆哮した。
「マントゥロボ」星系の外縁を、球状に包むオールトの雲。直径約3光年にも及ぶ空間に数百兆の微小天体が漂い、隠れ家の設営を可能とする。たいていの星系には存在するのがオールトの雲だが、近隣星系との距離が近い「サフォノボ」星系などでは、複雑に絡み合う重力の作用でどこかに飛び散ってしまって、無かったりもする。
「マントゥロボ」星系においては保持されているオールトの雲の中を、皇帝の御座船が、静かに泳いでいた。真空の宇宙で“静かに”というのは、一切の電磁波の放出を封鎖している、という事だ。如何なる通信も行わず、誰にも見つからないように、密やかに航行している状態だ。レーダーも照射しないから、障害物も発見できない。岩塊等に衝突しても良いように、あまり速度も出せない。
2年前、軍事政権への翻意が露見した皇帝は、この「マントゥロポ」星系のオールトの雲の一角に立て籠もり、征伐に差し向けられた部隊への迎撃体勢を整えようとした。
オールトの雲に築かれた皇帝シンパの連邦支部を頼り、その施設の中に腰を据えて本拠地とすれば、反軍事政権勢力を糾合して、大軍を催せると踏んだのだ。「グレイガルディア」星団帝国の皇帝ムーザッファールは、それに賭けたのだ。
皇帝の思惑は、見事に外れた。いや、時間さえあれば、それなりの軍は成せたかも知れないが、軍事政権側の動きが早かった、というところか。
軍政の重要軍事拠点である、宇宙要塞「シックエブ」から精鋭の征伐部隊が送り込まれ、未だ十分な兵を集め切れておらぬ皇帝と連邦支部は、瞬く間に蹂躙された。皇帝の見通しは、甘かった。独裁者とは古今東西、甘い予測をしがちなものだ。
軍事政権の征伐も素早かったが、皇帝の逃げ足も速かった。首尾よく脱出し得た皇帝は、御座船に揺られてオールトの雲に姿を消した。
軍政側の討伐部隊は、必死で探した。が、「ファング」が先に見つけた。当然だ。連邦支部が密かに設置していたタキオントンネルのターミナルの正確な座標を、「ファング」の卓越した情報網が捕えていたから。軍政側の精鋭部隊を差し置いて、彼らだけが御座船の向かう先を知っていたのだ。
「皇帝の名を出せば、怯むとでも想ったのか?」
宇宙服のヘルメットを取り外しながら、カイクハルドは問い返した。ラーニーが射込む矢と化した眼光を、男達の中でただ一人、やんわりと受け止め、落ち着いた笑みで口を開いた。
逃げ足だけは早くても、武装もほとんど無い御座船に僅かな側近や近衛兵だけしか、皇帝は連れていなかった。皇帝を含めた男共は船の奥に引き篭もり、案内役の女達だけが、御座船のエアロックの近くに対応に出て来ていた。
戦闘艇を横付けし、強引に乗り込んで来た「ファング」を、そこで迎えたのだ。エアロックの内側の、宇宙服無しでも過ごせる与圧された空間だが、ラーニーの薄衣より男達の宇宙服の方が馴染む、金属質で無粋な空間だ。
震えるばかりの年増女達十数人を差し置いて、最年少とも思える少女が1人、「ファング」の前に進み出ていた。案内役としての女ばかりが、この船に同乗しているらしい。要塞からの脱出に関しては、そうする方が、成功確率が高かったのだろう。
女ばかりが通信のモニターに映ったからといって、乗り込んで捜索することもなく船の通過を許す、などという冗談みたいな失態を、皇帝の拠点を取り囲んだ軍政側部隊は、本当にやらかしたようだ。
「あなたは、『マントゥロポ』星系の住人では無いのですか?住人以外が、こんなルートを知っているはずがない。こんな宙域に、姿を見せるはずもありません。」
皇帝の名に、ちっとも怯まぬ者に、しかしラーニーも、不審を感じはしても怯える様子は無かった。
「住人じゃねえが、住人とも懇意にしている。この宙域は熟知している。タキオントンネルターミナルへのルートもな。」
「住人と親しいのなら、皇帝陛下に対する敬意くらいは、学んでいるでしょう?」
諭しているような言葉だが、そうではない、とカイクハルドは思った。好奇心だ、と感じた。自分の常識が通じない相手を、怯えもせず、説得を試みる気も無く、ただ、興味を引かれ、もっとよく反応を見てみよう、と思ってのこの発言だ。カイクハルドはそう見立てた。
口の端に嘲笑を含んだまま、カイクハルドは応じた。
「軍事政権配下の軍閥以外では、この『グレイガルディア』の住民は皆、皇帝を敬愛し、尊崇の念を抱いている、なんて戯言を、まさか真に受けているんじゃあるまいな。世間知らずのお嬢様よ。」
「そう、学んで来ました。」
揺るぎない自信と共に、答えが返る。「皇帝陛下から統治権を簒奪した、軍事政権の側に立つ者達はともかく、そうでない『グレイガルディア』の民衆は皆、皇帝陛下あってこその自分達である事をわきまえ、それを喜び誇りにしている、と聞かされて来ました。」
信じて来た事実が否定される絶望、などは感じていない。未知の価値観との遭遇への高揚感、少女の瞳の奥には、それがあった。
「確かに、皇帝陛下への敬愛の篤い民衆は、少なくない。が、この『グレイガルディア』の3分の1ってとこだな。3分の1は軍政側の人間で、後の3分の1は『アウトサイダー』だ。貴族の御令嬢には、誰も教えてはくれなかっただろうがな。」
「3分の1ですって!? 」
少女の左の眉が、ピクンとつり上がった。「陛下を敬愛し奉る民が、たったの3分の1だと言うのですか?それに『アウトサイダー』が、同じ位もいるですって?『アウトサイダー』というのは、帝政にも軍政にも属さない、はぐれ者やならず者達の事ですわよね。」
「はぐれ者とならず者か。へっへへへ・・」
への字に曲げた口の端から、乾いた笑いを漏らしたカイクハルド。「まあ、俺達『ファング』はそんなもんだが、そうじゃない連中もいる。とにかく、皇帝の勢力下にはいねえし、軍事政権の傘の下にもいねえ、ってそんな連中が今、『グレイガルディア』のおよそ3分の1を占めている事は確かだ。」
言葉を紡ぐカイクハルドに少女は、依然として矢と化した視線を射込み続けている。話し手の心の奥底にある、真実を射抜こうとしているのか。返事を得た後も、じっと視線を固定したまま、直ぐには反応を見せない。
「・・・あなたの言葉を、全て鵜呑みにする気にはなれませんが、今ここで確かめる術もない事です。とにかくあなた方は、ここにおられるのが皇帝陛下と知って尚、狼藉を働こうというのですね。」
「狼藉かどうかは知らんが、皇帝陛下とその側近どもは、ひっ捕らえて軍政に差し出す。女共は俺達で頂いて、慰みものにする。」
頭を掠めた屈辱的な未来は、少女の瞳に、ほんの僅かな輪郭の変化をもたらしただけだった。
「後悔することに、なると思いますよ。」
屈辱の未来を薙ぎ払うべく、少女は渾身の戦いに挑みかかる。「間もなく皇帝陛下を慕って、多くの兵が集まって参ります。プラタープ・カフウッド殿も、『バーニークリフ』で蜂起なされたと聞きました。陛下やその傍にいる私どもに手荒な事をすれば、プラタープ殿を始めとした兵達に、どのような目に合わされるか、分かりませんわよ。」
容易には屈せぬ魂に、カイクハルドは内心で嘆息した。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は '18/3/3 です。
執筆の方は、ようやく、ゴールがはっきりと見えて来た・・かな?というところです。次の次くらいまでを2週に1回で、その次くらい、つまり3月後半くらいから、毎週投稿に移行できるか、どうか、というところです。確定ではありませんが。
執筆が終わらないうちに、投稿済みの本編の方が「バーニークリフ」攻防戦の終結に差し掛かろうとしている・・・。今回から、ラーニー・ハロフィルドが登場し、物語の核心や背景も語られ始めてしまった。変更の必要は生じないと思っていますが、この辺を語る前に、完成させておきたかった・・・ような。いずれにせよ、戦闘シーンを単純に楽しんで頂くだけでなく、ここからは背景や人間関係などを、把握したり記憶したりして頂く必要が生じて来ます。必要な時に思い出して頂き易い様な書き方を心掛けたつもりですが、作者の未熟と不注意で、読者様の記憶力に頼らざるを得ない場面もあるかもしれません。「ラーニー・ハロフィルド」は、今後頻繁に登場するので嫌でも覚えて頂けると考えていますが、「皇帝ムーザッファール」などは、意識的に記憶して頂けるとありがたいかも。まだまだ物語は、膨張し複雑化し多様化します。面倒かもしれませんが、国家の歴史を描く、という話の性質上、どうしてもそうなってしまう・・。そこに壮大さを感じてもらえれば、うれしいのですが。というわけで、
次回 第7話 戦う少女、ラーニー・ハロフィルド です。
作品の空気感を一変させる・・はず、のラーニー・ハロフィルドの活躍場面です。年齢設定に迷いました。ここの場面はこの年齢で良いけど、この後を考えると若過ぎるかなぁ、とか。「バーニークリフ」の時点で19歳という事を踏まえ、年齢設定の適否を、読者様にもお考え頂きたいです。