第76話 名門貴族の敵前逃亡
マッカリの本隊が、続々と設営途上の拠点に着陣し始めた頃には、「ファング」の集落支援もより深化していた。パイロット達の幾人かも、軌道上のあちこちの施設に散って行って、それぞれに何らかの活動に参加していた。貧しい集落出身のパイロットには他人事とは思えないようで、支援活動も自然に熱を帯びる。
万を超える大兵力が周囲に満ちている状態になったので、百人百隻程度の戦闘艇団など、戦力と言う意味では取るに足らない存在になる。「ファング」パイロット達も戦闘艇に乗る必要を感じなくなり、工作用の宇宙艇を乗り回す方が、やりがいを感じられる局面だ。
長楕円軌道を飛ぶ資源採取用人工衛星からの資源の抜き取りや、リング状宙空建造物の建設作業などで、「ファング」パイロット達の操る工作用宇宙艇は大車輪の活躍を見せた。
「盗賊や傭兵として活躍している時より、皆さん、活き活きしておられるのではありませんか?殺したり奪ったりするより、ああいった建設的な活動の方が、あの方たちには似合っていると思います。」
「そうか?」
ラーニーの問いかけに、ニヤリとしてカイクハルドが応じる。「権力者の箱入り娘をゲットした時のカビルは、あれの百倍くらい活き活きしてやがるぜ。」
パイロット達の活動は時々目にする機会のあったラーニーだが、ヴァルダナを目にする機会は無かった。カイクハルドが会わせないように気を使っている事もあったが、ヴァルダナは、少し離れた宙域での戦闘訓練に費やす時間が多かった為でもあった。
彼は、単位リーダーとしての訓練にも勤しんでいるようだ。リーダー未経験のパイロット数人で幾つかの即席単位を作り、順番交代でリーダー役を務めながらの模擬戦闘を実施したり、実戦の記録に残る各リーダーの戦術を模倣したり、という形で経験を積んでいる。いずれは「ファング」を率いてやろう、との決意の深まりを、カイクハルドはヴァルダナから感じ取っていた。ヴァルダナに心酔する気配を見せる若いパイロットも、少なからずいるらしい。
そのカイクハルドは、集められて来る敵情の分析にも意識を払わねばならなかった。トゥグルクと話し込む時間も多くなる
「軍政側は、死に物狂いで『グレイガルディア』中の軍閥に召集を掛け、『シックエブ』の防衛力を高めようとしている。が、集まって来る軍閥の多くが、『シックエブ』を目前に方向転換して、『レドパイネ』のもとに馳せ参じてしまっているぜ。」
「皇帝直轄軍の着陣が、大きくモノを言ってるんだな。」
トゥグルクの報に、大きく頷くカイクハルド。「軍勢の規模や士気の高さを見ても、勝ち馬に乗りたけりゃ皇帝側に付いた方が良い、と判断するのが自然だ。軍政側は、召集をかければかけるほど敵軍の方が膨らんでしまう、ってジレンマに陥ってるな。」
「一旦『シックエブ』の側に付いた軍閥からも、『レドパイネ』陣営や皇帝直轄軍に寝返って来る軍閥が続出しているそうだ。『シックエブ』の防衛戦力は、縮小の一途を辿っているぜ。」
「だが逆に、それでも軍政側に残っている軍閥は、相当に軍政への忠誠が篤く、覚悟や気合も筋金入りの連中だ。強力な戦力になる奴等が最後に立ちはだかる、と見るべきだぜ。そいつらの粘りや奮戦が、別の流れを生じるかもしれねえし、一個の局所的な勝敗が、今とは逆方向のうねりを巻き起こす可能性だってある。まだまだ、侮れねえ。兵の数だけじゃ、戦力は計れねえからな。」
自身を引き締めるように、カイクハルドは呟いた。
「兵の数と言えば、皇太子カジャとプーラナ・ミドホル卿の戦力も、こちらへ進軍を開始したらしい。『シックエブ』に直接攻撃を仕掛ける意志は無いらしいが、敵を包囲する兵力は、更に激増する事になるぞ。それぞれ、10万くらいの兵力に膨らんでいるらしいからな。」
「マッカリの部隊も、近いうちに20万くらいの軍勢になるだろう。つまり、『レドパイネ』の軍勢が10万の兵力で取り囲むその外側から、マッカリとカジャとプーラナの部隊が、40万でもう一つの包囲を仕掛ける形勢になる。2重の包囲陣だ。」
「ああ。その包囲陣のおかげで『シックエブ』にたどり着けず、防衛戦に参加するつもりの軍閥も多くが、少し離れたところに集結して様子を見るしかない状態だ。いよいよ『シックエブ』の命運が尽きる時も近付いているぜ。」
トゥグルクは楽観的な意見を述べたが、それでも、そう簡単に「シックエブ」は陥落しない、とカイクハルドは見ている。用兵巧者の指揮のもとに立て籠って防衛に徹すれば、十倍の敵にでも相当長期に持ち堪え得るのが、要塞というものだ。プラタープ・カフウッドなど、千倍の敵を撃退したりしている。
そして戦いが長期に及べば、今皇帝側に傾いている戦いの流れも、いつ潮目が変わるか分からない。日和見の軍閥共など、ちょっとしたきっかけで直ぐに、あっちに付いたりこっちに寝返ったりするものだ。現状の兵力的な優勢など、砂上の楼閣と言って良い。
(まだまだ、油断はできねえぞ。軍政の中枢軍閥をこちらに引き込むまでは、こちらに決定的な勝利はねえし、長引けば、こちらにも不安材料が出て来る。)
と、カイクハルドは自分を戒めていたが、今日明日「ファング」が敵襲を受ける可能性は、全く考えていなかった。敵は、10万の「レドパイネ」軍勢に囲まれているし、「ファング」の近くには、にわか仕込みとはいっても既に実戦を経験した、2万近くの兵数を誇るマッカリ軍が集結しつつある。彼らに誰かが手を出して来る事態など、完全に想像の外側だった。
マッカリ自身が前衛拠点に着陣すると、その意識は尚一層強くなる。ジャラールがいよいよ本格攻勢に打って出て「シックエブ」攻略に結着を付けようとしたならば、「ファング」にも命懸けの戦いの時が来るが、それまではのんびりと構えていて問題ない、と思っていた。
それは、しかし、油断だった。
「2千程の部隊が、こっちに向かってるな。」
トゥグルクから報告を受けたが、カイクハルドは意に介していなかった。2万の軍勢が駐留している拠点に、2千程度の部隊が手も足も出せるはずがない、と思った。こちらに参陣するつもりの軍閥かも知れないし、敵だったとしても、偵察程度に様子を見に来ただけだろう、と。
「あれは、少し前に、ここの集落を占拠していた軍閥じゃないか?何をしに舞い戻って来たんだ?もう、何もできねえだろうに。2千と2万だぜ。」
首をかしげるトゥグルクと、眼光を鋭くしたカイクハルド。
「掠奪を目当てに『ルサーリア』領域をウロウロしていたが、どこにも掠奪できる集落が無かったんじゃねえか。」
皇帝側と軍政側の部隊が大量に集結している「ルサーリア」では、ある程度規模の大きい集落なら、どこに行っても先に駐留している部隊がいる、といった状態のはずだった。掠奪で十分な糧秣を手に入れられる集落は、もはや「ルサーリア」には、一つも無いかもしれない。
「掠奪だけが目当てで『ルサーリア』に来て、領域内を散々ウロウロしたが目的を果たし得ず、仕方なしにもと居た場所に戻って来たわけか?でも、ここにも、もうすでに2万の皇帝直轄軍が居るんだぜ。」
「ウロウロしている間に糧秣を食い潰し、破れかぶれになって戻って来たのかもな。もしそうなら、かなり死に物狂いで突っ込んで来る可能性もあるな。餓死寸前じゃ、見境も何も無くなってるかもしれん。」
そうは思っても、こちらには2万の部隊が駐留しているから、危機意識など湧いて来るわけが無かった。
2千の軍閥部隊はカイクハルドの見立て通り、破れかぶれの突撃を仕掛けて来た。マッカリ部隊の5千程の兵が対応の為に戦闘艦で出撃し、縦深的な布陣を敷いてその前に立ちはだかった。追い払えば良い局面だから、テトラピークフォーメーションで囲む事もしない。無闇に戦力を分散せず、敵の進路上のみに集中配置して待ち構えている。
両軍は激突した。密集隊形で突進する軍閥部隊を、マッカリ部隊は艦と艦の距離をたっぷりと開いて、広く散らばって迎え撃っている。時代が時代なら、鶴翼の防衛陣に魚鱗の攻撃軍が喰い込んで行った、とでも言いたいところだが、三次元の戦場だからそういう印象にはならない。
スカスカのスポンジに、ラグビーボールのような形状のものがズブズブとめり込んで行く、と表現するほうがふさわしいだろうか。スカスカだから、途中までは簡単にめり込むが、そこから先は一挙に速度が落ちる。進んでも進んでも敵を突き抜ける事が無く、いつまでも前方から圧力を受け続ける。
敵の進行方向に対して長さのある、懐の深い布陣が、マッカリ軍の構成した縦深陣形だから、突き刺さるまでは簡単でも突き抜けるのは困難だ。定石通り、散開弾の応酬から戦いは始まったが、濃密な金属片群の壁があらゆる方向から軍閥部隊を包み込み、爆圧弾による防御が追いつかない。
軍閥部隊の散開弾は、周囲に広がるように撃ち出されるので、密度はそれほど高くならない。マッカリ側は防御が簡単だった。もともとの数の違いに加えて、1点に向かって集中して行く攻撃と周囲へ広がって行く攻撃の違いもあって、彼我の散開弾攻撃の効果は大きく違った。
散開弾の応酬しか行われていないので、撃破にまで至る艦は双方ともに出なかったが、軍閥部隊の方は表面構造物がことごとく叩き潰され、半数以上の艦が索敵も攻撃もできない状態となったらしい。もともと薄かった攻撃の圧力が、更に、見る見ると減退して行った。
途中で突撃を断念した敵が離脱軌道を取り始めると、マッカリ軍もそれ以上の攻撃は控えた。追い払えれば良いマッカリ軍としては、当然の判断と言えた。マッカリ軍の、余裕綽々の完勝、と言える形で戦いは終わった。
それで撤退して行くかと思った敵だったが、少し離れたところで損傷艦の応急修理をし、態勢を立て直すと、数日後にはまた性懲りも無く突撃を仕掛けて来た。
「勝ち目がねえのが、分かんねえのかな?馬鹿な奴だ。」
「シュヴァルツヴァール」の航宙指揮室でトゥグルクが批判したが、カイクハルドは違った見解だ。
「もう糧秣が底を付いて、自暴自棄になってるんだろう。次の突撃では、全滅するまで猛進し続けるだろうな。ここで糧秣を強奪できなければ、どの道全員餓死するしかねえんだからよお。」
「掠奪目当てで出陣して来た挙句に、餓死か敗戦で全滅するしか無くなるなんてな、間抜けな話だぜ。愚かとしか言いようのない連中だな。集落から連れ去って行った若者も、道ずれにしての全滅だから、なおさらタチが悪いぜ。罪もねえ集落の若者達は、飢餓にもつき合わされただろうし、無謀な突撃にも同行しなきゃいけねえし、最悪だな。」
トゥグルクも、呆れるしかないという表情だ。
マッカリ軍が、前回よりも多い1万の部隊で出撃して縦深的防衛布陣を敷こうとしているのを見届けると、カイクハルド達はこの軍閥への関心を失って行った。「レドパイネ」の「シックエブ」攻略に関して、集められた情報を検討する作業へと没頭したのだった。
「うん?何だ・・・こ・・こいつは・・」
しばらくして、ディスプレイの1つを何気に見やったトゥグルクが、動揺した声を上げる。
「何だ?」
カイクハルドも同じディスプレイを眺めた。「おいおい、どこへ行くんだ?マッカリ部隊は。突撃して来る軍閥部隊と、正反対の方向に全艦で急進してやがるじゃねえかよ。どういうつもりだ?おい、トゥグルク、マッカリの奴に通信を繋げられるか?」
トゥグルクの幾つかの試みも虚しく、マッカリに連絡を付ける事はできなかった。代わりに1つの分隊の隊長に連絡が付く。
「全艦退避の命令が出たのだ。今、突撃を仕掛けて来る部隊が、余りにも死に物狂いの様相なので、戦えばこちらにも損傷が出そうだと判断されたマッカリ様が、全艦の一時退却を御下令なされた。皇帝陛下の直轄部隊を、あんな下賤な軍閥の部隊に傷つけさせるわけには行かぬ、というお考えらしい。」
「は?・・はあああ?・・何だ、それ・・」
ポカーン、と口を開けてしまったカイクハルド。トゥグルクも禿げ散らかった頭をぐしゃぐしゃと掻き回して喚く。
「戦争する為に部隊を進出させたんだから、敵との遭遇で傷を受けるのは当たり前だろ?そんな事、覚悟できていて当たり前じゃねえか?何であんな弱小軍閥からの被害ごときを、今更、恐れやがるんだ?2千対2万だぜ、確実に勝てるはずだし、傷を受けるとしても軽微なものに決まってる。逃げるなんて選択肢があるか?」
口をパクパクしてトゥグルクの叫びを聞いていたカイクハルドは、ようやく考えをまとめたように通信機に怒鳴り付けた。
「おい、何とかマッカリを呼び出してくれよ。直談判させろ。」
「それは、無理だ。」
件の隊長が、困惑気味に応じる。「マッカリ様は、敵との1回目の戦闘の直後に、既に後方の宙域に向けて移動を遂げられておられる。部隊の誰にも知られずに、僅かな身の回りの者だけを連れて、御座乗の一艦のみで移動して行かれた。」
「・・つまり、味方を全て置き去りにして、最高司令官が自分だけで、さっさと逃げ出しちまったっていうことか。あんな弱小軍閥の突撃ごときにビビって・・。何ちゅう、みっともないマネを・・・」
呟きながらカイクハルドは、「レベジン」領域で戦った時のマッカリを思い起こした。出撃に前のめりになり、好戦的とも見える態度を曝していた。その様子からは、この逃亡は予想も付かないものだ。
トゥグルクも、同じ考えのようだ。
「そんな臆病さは、これまで微塵も感じさせなかったじゃねえか、あの高級貴族は。なんで、そんな急に、ビビり出したんだ・・?」
「・・・!そ、そうか」
カイクハルドは、何かに思い当たった様子だ。「皇帝から、離れたからだ。皇帝と何十光年も離れた宙域に来てしまったものだから、急に、怖くなったんだ。理由もない漠然とした不安を、覚え始めやがったんだろうぜ。帝政貴族共は、特に皇帝のすぐ近くに長年侍って来た高等貴族は、皇帝の神通力あってこそ自分達がやる事も上手く行く、と信じ込んでいる。頭や理屈で何を考えても、深層心理や本能的なところで、皇帝の神通力に縋る意識が、骨身に染み付いていやがるんだ。皇帝から離れた事で、それが表面化した。」
「なんだそれ?つまり、近くに皇帝が居ないとなったら、急に何をやるのも不安になって、怖くなって、絶対に勝てるはずの敵からも逃げちまった、っていうのか?・・・子供か?」
「子供だな。高級貴族の皇帝への依存心は、幼子の親に対するそれと同類だ。傍に居ないと、不安で不安で仕方が無い。何をやるのも怖くて仕方が無い。しかも、離れてみるまでは、そんな自覚は無い。離れる前までは強気で好戦的だったのが、離れた途端に、どうしようもねえ程の臆病者になっちまった、ってわけだな。こりゃ、参ったぜ。こんな事態は、全く想像できなかった。」
理解はできても、全く納得できない理由だが、それでも無理矢理自信を納得させてみると、カイクハルド達は深刻な現実に直面する。
「で、俺達はあの2千の軍閥部隊の前に、たった百人百隻の戦闘艇団だけで置き去りにされたわけか。勝てそうか?」
「勝てるかよ。」
答を熟知した上でのトゥグルクの問いに、溜め息混じりに応じる。「パイロット達は『ソコル』星系第4惑星軌道上の各施設に、散り散りになっちまってんだぜ。呼び戻すだけでも、敵の襲来には、間に合わねえよ。間に合ったところで、全戦力で向かったとしたって、2千の敵に勝てるわけがねえしな。」
「・・・終わったか。」
「終わったな。」
清々しい笑顔と共に、カイクハルドは通信機に取り付いた。「おい、俺だ、全パイロット聞こえるか?」
全てのパイロットが、腕に装着している端末から、彼の声を聞いているはずだ。離れていても、連絡だけは直ぐに付く。肌身離さずにおくことが義務付けられている端末から、強制的に彼の通信が伝えられる。
たっぷりと間を取って、彼は先を続けた。その間が、これから語る話の深刻さを、パイロット達に悟らせただろう。
「マッカリ部隊が逃げちまったのに、気付いている奴は気付いてるだろ?で、2千の敵の前に『ファング』は突如置き去りにされて、なす術が無くなっちまった。悪いが、俺達はここで、全滅する。万に一つも、勝ち目はねえ。敵の到着まで、後2時間くらいあるから、お前ら思い残す事のねえように楽しく過ごせ。敵が来たら、俺は、勝てねえまでも精一杯暴れるつもりだ。それに付き合う奴は、間に合うように『シュヴァルツヴァール』に戻って来い。付き合いたくねえ奴は、好きにすれば良い。逃げるも良し、降伏するも良し、寝返るも良し。自殺するのも俺の首を取りに向かって来るのも自由だ。じゃあ、そんなわけで、今まで有難うな。あばよ。」
話し終えたカイクハルドの顔には、恐れも悲しみも後悔も、全く浮かんではいない。マッカリを恨む気持ちも見えなければ、仲間の死を憂う気配も感じられない。盗賊兼傭兵として好き放題して来たのだから、こうなるのは当然だ。むしろ、こうなるのが遅すぎたくらいだ。ようやく、下されるべき罰を下してもらえる時が来た。そんな安心感すら、胸中に秘めているようだ。
「で、重力が必要になるわけだな。適当に、加速させるか、『シュヴァルツヴァール』を。」
「応。勿論だ。もと貴族令嬢を相手に、最後の晩餐を楽しまねえとな。じゃあ、俺は行くわ。」
トゥグルクの最期の晩餐の食材は、常に航宙指揮室に侍っている。以前ほど脚の上に乗っている場面を見ることはなくなり、部屋の端に静かに控えて存在感を消している姿の方が目に付くようになっていた。ワンランク安定感の高い状態に、この2人は収まったのだろうか。が、最後の晩餐ともなれば、安定している場合ではなくなるはずだ。
アロハシャツ姿のトゥグルクが、最後の晩餐の獲物をグイッと引き寄せるのを横目に見ながら、カイクハルドは航宙指揮室を後にした。通路を飛翔している最中に突如警報が鳴り、その後間髪入れずに重力が発生したが、それしきで着地に失敗するなど有り得ない。生まれてからこれまでずっと、重力が生じたり無くなったりが目まぐるしく繰り返す生活を、送って来たのだから。
強い重力では無い。衛星軌道上には沢山の天体やデブリが周回しており、1Gになる程にまで加速すると「シュヴァルツヴァール」に色々な損傷や支障が生じる。
ポーン、ポーン、と足を撥ね上げながら床を踏み、彼は彼の自室の前に来た。扉が開く。ラーニーは全てを理解した顔で、扉のすぐ向うで待ち構えていた。
「ま、またかよ!何でまた、この、ややこしい結び目の服なんだ?何でこういう時には、必ずお前は、こんな嫌がらせみたいな服を着ているんだ?何なんだ!? お前は。」
「知りません。そんなつもりで、服を選ぶはずは無いでしょう?」
誘われるよりも先に、ラーニーは寝室へふわっと踏み出し、カイクハルドも後に続いた。弱い重力での移動が様になっているラーニーを、様にならないカイクハルドが追う。寝室のドアをくぐる時には、カイクハルドに肩を抱かれている必要のあるラーニーは、上手く歩幅を整えて彼に体重を預けた。
背後で閉まった扉にもたれかかるようにして、ラーニーはカイクハルドを見上げた。覆いかぶさるように、彼は彼女との距離を詰めた。“壁ドン”なんか、やるわけなかった。弱い重力でそんな事をしたら、後ろにすっ飛んで行くだけだ。
カイクハルドを見上げるラーニーの目にも、恐れの色は無い。「ファング」の終焉にも、これから始まる営みにも。
「お前は、適当なタイミングで降伏して良いんだからな。もと帝政貴族の身分を有効に使えば、殺されずに済む可能性も大きいし、自由の身になるのも期待して良いだろう。」
「そうします。イシュヴァラ様のところに行ける方法を、考えようと思っています。」
「そうか。・・・・で、この結び目ッ!」
「解けと言われれば、自分で解きますけども。」
「うるせえ。こういうと・・・」
「こういう時には、女はじっとして、されるがままになっていれば良いのですね。重々承知いたしております。是非、そうさせて頂きます。」
カイクハルドがこれまでに挑んだどれと比べても、遥かに困難な戦いが始まった。彼の繰り出すあらゆる戦略と戦術が、何一つ通用しない。結び目は、強靭な防御姿勢を僅かにも崩しはしない。頑張れば頑張る程、カッチカチだ。憎たらしいったら、ありゃしない。
「3回とも、同じ結び方をしているのですが、まだ解き方を学習されないのですね。」
「う・・うるせえな。こ、これを引っ張ったら・・?」
「・・以前も、そこをそういう風に引っ張って、こんな風に、固く結び付いてしまいましたわよ。」
「や・・やかましい。黙ってろ。」
「はい。」
格闘すること5分。ようやく解けた。解き終わるのにかかった時間も、3回ともほぼ同じだ。結び目が3つ出現する事態も、判で押したように出来した。進歩も成長も、この件に関しては、全く見られないカイクハルドだ。
「あの、放り投げるのは勘弁し・・・・」
遅かった。全裸に剥くところからの展開は、毎回、ラーニーの思考速度を遥かに上回る電光石火だった。全裸に剥かれたと認識する前に、ラーニーはまたしても、ベッドの上の空間に投擲されていた。剥ぎ取られた下着を追い抜く勢いで、それが包み隠していた秘宝も宙を進んで来た。
天井すれすれにまで至る大きな放物線を、それはそれはゆっくりと、たっぷり時間を掛けて、一糸まとわぬラーニーが描く。回転させられ、手足をばたつかせてしまい、取り繕いようも無い醜態となる。床も天井も四方の壁も、もし目があれば、彼女の全てを細部にまで渡って余すところなく鑑賞できただろう。唯一、彼女を見られる目を持つ男が、自身の脱衣にしかそれを向けていなかったのは、幸か不幸か。
「とうっ!」とカイクハルドが、無思慮に高々と飛び上がってしまう失態にも、改善は見られなかった。全裸での空中遊泳の余韻を色濃く残しつつベッドに横たわる全裸の女と、全裸でゆっくりと落下する男が、頬をヒクヒクさせながら、気の遠くなるほど長い時間、ただ見つめ合う。
「あの、この気まずいひと時を、何とかしよう、とは思いませんか?」
「・・・・・何ともならねえから、こうなってんだ!」
無限に思えるほど長く、発狂しそうなほど居心地の悪い落下が終わり、彼と彼女がベッドの上で重なった。ラーニー攻略へと、渾身の手管が繰り出される。
「どうか、されましたか?」
嫌な予感に歪む表情を、ラーニーは鋭く捕えた。
「・・ま、まさか、また、中断、なんて事は、ねえよな?」
「助かる可能性は、絶対に無いのでしょう?」
「ねえ・・はずだ。もう、助かる要素は、思い付かねえ。」
「全滅を免れそうな予感を、そんなに不吉に感じる事が、あるものなのですね。」
ラーニーの平静を保った声色の発言を、彼の手管がいささかも妨げていない事に苛立ったように、カイクハルドは叫ぶ。
「馬鹿野郎っ!心配しねえでも、俺達は絶対に助からねえ。間違いなく全滅するから、安心しろ!それと、しばらく黙ってろ!」
ブルブルと頭を振るカイクハルド。嫌な予感が頭から離れないようだ。それでも必死で、己をラーニー攻略に専心させようと努める。長年使いこなしたて来た技巧のプログラムを、指先へと懸命にインストールした。
が、その時、通信機が電子音を轟かせる。
「な・・なんだよ、まさか・・」
左手では、必殺のはずの手管を炸裂させながら、カイクハルドは右手で通信機に発言を許した。
「おい、かしら、敵さん、回れ右して、逃げて行ってるぜ。」
「な・・何だと、トゥグルク?何だよ、それ?・・・・どうなってるんだ?」
報告する方も、された方も、信じられないという声だ。「本当に、間違いないのか?確かに敵は、逃げているのか?」
「あ・・ああ。こっちに接近するのとは全く違う方向に、全力の加速を実施している。逃げている、としか判断のしようがない。」
「ここを襲わなきゃ、餓死するしかねえはずの連中だぜ。2万の軍勢を相手にでも、突っ込むつもりだった奴等が、一体、何から逃げようとしてるんだ?」
「さあ・・わから・・うん?・・こ、これは。」
「何だ?何か、分かったのか?」
「し・・シヴァースだ。シヴァースの識別信号を発している部隊が、こっちに向かってる。10艦位の部隊を、率いていやがる。」
彼が10艦の部隊を率いているのは、理解できる。カジャからもらった、以前から率いていた部隊は「シックエブ」への突撃で半減したが、父のジャラールからいくらかの手勢を分け与えられていても、不思議では無い。
「だが、何であいつが、ここに?『シックエブ』攻略に、釘付けのはずじゃねえか。」
「そうだ。それに」
カイクハルドの疑問に、トゥグルクも疑問をかぶせる。「なぜ敵は、逃げたんだ?2万のマッカリ部隊にも向かって行くつもりだったんだから、たった10艦の部隊が現れたからって、逃げる選択はあり得ねえはずだ。敵は15か16艦だから、普通にやれば勝てるはずじゃねえか。」
全く不可解だった。理解不能な事が起こり、またしても「ファング」は全滅を免れた。
カイクハルドの、驚愕と猜疑と困惑に満ち溢れた眼差しが、ラーニーへと突き付けられた。
「どうなってるんだ?何で、お前を抱こうとしたら、毎回、こんなにも異様な事が起こるんだ。前回も、その前も、絶対全滅すると確信した状況から、予想外の異様な、あり得ねえような事態が持ち上がって、助かった。今回もそうだ。何で、こうなるんだ?何がどうなっているんだ?」
悪魔にでも出くわしたような、絞り出した呟き。「いったい、お前は、何なんだ!? 」
「知りません!」
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は、 '19/7/13 です。
またこのシーンか、と呆れ果てておられる読者様もおられるかもしれませんが、このシーンを3回登場させる、というのは構想のかなり初期段階から決めていたことでした。「結び目」の件とか「全裸宇宙遊泳」のくだりとかは、書きながら思いついたことですが、絶体絶命のピンチがラーニーを抱こうとしたら突如解消して抱き損なう、というのは3回必要だと、なぜかこだわってしまいました。別に笑いを取りに行く意図ではなく、重力の変化やラーニーとカイクハルドの距離感や「ファング」の危うさなどを表現するのに、手ごろなシーンだと考えたからです。自分としては上手くやったつもりでいるのですが、どんなもんでしょうか?無敵に見える「ファング」も危うい存在なんだとか、戦場では何が起こるかわからないもんだ、などと感じて頂いていれば、作者としては満足なのですが。間違っても、遊泳中のラーニーのリアルな想像に終始することはやめて下さい。そんなことをするのは、作者一人で十分です。というわけで、
次回 第77話 悲壮な決断 です。
窮地を脱したカイクハルド達ですが、そうなった理由に関しては、あれこれと読者様に思いを巡らして頂きたいです。と同時に、上記のサブタイトルにも。ピンチが去った後の「ファング」にサブタイトルのような状況は訪れそうにないでしょう。他に、誰が、そんな状況になりそうか、想像したり思い出したり、して頂きたい場面なのです。よろしくお願い致します。




