第71話 辺境の要塞「オンボート」
カイクハルドの報告は続いた。
「それと、『ヒルロウ』ファミリーのその後に関しても、情報が来てるぜ。」
「ほう?」
ジャラールが先を促す。
「あの時の戦闘の結果、棟梁になった弟を恨んでた兄が戦死して、兄に従っていた臣下達も鉾を収めて、棟梁への忠誠を誓ったそうだ。『ヒルエジ』攻略戦で醜態を曝しまくって、同族同士の戦闘での損傷も著しかったが、それらを越えてみたら、一族の結束が高まったって言うんだから、結果オーライって感じだな。」
雨という人類発祥の惑星にあった自然現象を知らない彼等には、“雨降って地固まる”などという言葉は思いつくはずもないが、知っていれば、そう表現したくなったに違いない。「ヒルロウ」ファミリーも、一族団結して軍政打倒に全力を尽くす事を、「レドパイネ」に約束するに至った。
「今回の『ヒルエジ』攻略の惨敗を受けて、軍政側から離反して帝政側に流れて来る軍閥は、引きも切らない情勢だぜ。彼我の兵力も、もうすでに逆転しているかもしれねえ。もう一度『シックエブ』を攻めれば、事を決してしまえるのではないか、とも思えるんだけどな。」
「いや、甘いぜ、シヴァース。まだ、やめておいた方が良いな、『シックエブ』の本格的な攻略戦は。」
「なぜだ?」
問い返したシヴァースは不満気だ。
「軍政の中でも最も強大な中枢軍閥が、いよいよ出征を命じられたらしい。いま『シックエブ』を攻めたら、そいつらに背後を突かれる格好になりかねねえぜ。」
「要塞攻略に前掛かりになっている時に、背後を突かれたりしたら、かなりまずいな。相手が中枢の大規模軍閥となれば、ひとたまりも無く決定的な打撃を受けるかもしれん。」
ジャラールの反応は、息子と違って落ち着いたものだ。
「しかし、その大規模軍閥に『シックエブ』の戦力と合流されてしまうのも、まずいのじゃないか。せっかく相手の戦力を削り、こちらの戦力を高めて来たんだ。一か八かで、中枢軍閥到来までに『シックエブ』を陥落させる策に打って出るべきじゃ。」
「馬鹿を言え。」
息子を窘めたジャラール。「その気になって急いで駆け抜ければ、『エッジャウス』から20日と経たずにたどり着けるのだぞ。専用の恒久型タキオントンネルだって整備されているのだからな、『エッジャウス』と『シックエブ』の間には。」
「そうか。間に合いっこないか、援軍が来る前の攻略は。」
「うむ。距離を保った位置からのテトラピークフォーメーションで包囲しておく、くらいに留めるべきだな、今は。前回、陣を構えた辺りの位置が良いだろう。まだ敵は、観測体制を再構築できておらぬから、その位置くらいまでならば簡単に軍を進められるはずだ。それに向けて、早速手配を始めてもらうぞ、シヴァースよ。」
「なんだか歯痒い気もするが、そうするしかねえのか、親父。まだ、一気にケリは付けられねえんだな。包囲した上で、送られて来る中枢軍閥の様子をじっくり見る、なんてまだるっこしい活動を、やらなきゃなんねえんだな。」
「それに」
カイクハルドが、親子の顔を交互に見て付け加えた。「送られて来た中枢軍閥の全戦力が、すんなり『シックエブ』の防衛に付くようじゃ、そもそもこの軍政打倒はダメだったって事だ。」
「どういうことだ?」
シヴァースは怪訝な顔だ。
「つまり」
息子とは違い、父ジャラールは納得顔だ。「これまでの我等の闘い振りや軍政打倒の機運の盛り上がり等で、中枢軍閥の中からも離反者を出させられないようなら、そもそも軍事政権を倒す、などという大業は無理だったという事だな。」
「そ、そうか。弱小軍閥が幾つ蜂起しようと、大規模軍閥の参加が無ければ事は成せないのか。大規模軍閥が全て『シックエブ』の側に付いてしまったら、戦力が合流しようがしまいが、やはり、俺達には勝ち目がないのか。」
悔し気なシヴァースではあるが、それは、受け入れざるを得ない事実だ。一軍閥で数万単位の軍勢を催す実力をも有するのが、大規模軍閥だ。数々の戦いを経て「レドパイネ」が掻き集めて来た兵力と同等以上のものを彼等は、一声で集められる。当然、部隊の練度、連携水準等は、寄せ集めの「レドパイネ」陣営とはわけが違う。正面から同戦力でぶつかれば、百回やっても百回、大規模軍閥が勝つだろう。
「今、『エッジャウス』が送り出そうとしている部隊から、軍政打倒に寝返ってくれる軍閥が出て来なければ、我等の命運は尽きるという事か。そうなると、少し自信が無くなる。『シックエブ』に一撃を入れ、カジャ様やプーラナ様の名声という後ろ盾もあるが、中枢軍閥を寝返らせるほどのものかと問われると、分からないな。」
「こっちは一番の切り札が、未だ出てねえだろ。自信云々は、切り札を出してから考えても遅くはねえぜ。」
心配顔のシヴァースに、カイクハルドが告げる。
「一番の切り札?」
「そうだな、一番の切り札を、切れるのであれば切るタイミングは、今しかないな。」
息子より呑み込みの早い父親が、グイとカイクハルドににじり寄る。「切れるのであろうな、切り札を、今このタイミングで。」
「その手筈で、動いている。脱出までは直ぐにでもできる。だが、存分にその神通力を発揮してもらう環境に持ち込むには、もしかしたら、『ファング』もひと暴れしねえといけねえかもな。」
「何の話だ?何なんだ、切り札とは?」
「鈍いのう。我が息子としては、情けないぞ。我等は、皇帝親政の復活の為に戦っておるのだぞ。その我等の最後の切り札と言えば、決まっておるではないか。」
「そ、そうか!ムーザッファール皇帝陛下・・・陛下を『ニジン』星系より救出し奉るのか。か、可能なのか?警備はさぞ厳重だと思われるぞ?」
「かぁっ、鈍いのうっ!」
もどかしさに思わず己が額をピシャリとやったジャラール。「陛下を『ニジン』での蟄居に向かわせしめたのは、『ファング』だろう。そこなら、こやつらの意志で、いつでも陛下に復帰頂ける、という事だ。」
「そ、そうなのか!『ファング』は陛下を、いつでもお救い奉る事が、できるのか。」
「ああ。」
面倒臭そうに頷くと、話を続けるカイクハルド。「あの星系を含む『スヒニジ』領域にも『ファング』の根拠地はあり、ほとんどの領民集落と懇意にしている。軍政の監視の目はあるが、それをすり抜けて助け出すのは、わけない。もしかしたら、今頃は脱出には成功しているかもしれねえが、当然軍政は、皇帝を取り返す為の部隊を差し向けるだろう。それを撃退するには、もしかしたら、俺達が助太刀しなきゃいけねえかもしれねえ。」
「転戦するのか?『ファング』は、『スヒニジ』領域に」
「あり得る。」
ジャラールが身を乗り出して問い、カイクハルドは短く答えた。「こっちは、しばらく膠着状態になるだろう。援軍が向かっているからには、『シックエブ』もそれが到着するまでは目立った動きはしないはずだ。こっちから攻勢を掛けない限り、戦況は動かねえ。『スヒニジ』の方から俺達に助っ人の要請が来れば、そっちに転戦した方が良さそうだ。」
「しかし、中枢軍閥は20日あれば、ここに来られるんだろ?『ファング』が転戦して留守の間に来る可能性があるという事だ。それも、まずいんじゃ・・・」
「馬鹿野郎。そんな、万単位の軍勢のぶつかり合いに、『ファング』を当てにしてくれてんじゃねえ。百隻だけの戦闘艇団だぞ。先の『ヒルエジ』攻防でもそうだったが、ここまでの大規模な軍勢の決戦には、俺達の出る幕は少ねえ。」
その言葉には、シヴァースもジャラールも納得の行った顔はしていない。「ファング」の情報力が無ければ、「ヒルエジ」攻防戦はあれほど簡単ではなかったはずだ。だが、
「俺達にも軍閥としての意地がある。『ファング』抜きで、ここの戦況は維持して見せる。中枢軍閥が参戦して来ても、易々と『ヒルエジ』からは退かぬ。遠慮なく、行きたいところに行って、暴れたいだけ暴れて来い、カイクハルドよ。」
父が胸を張って見せると、息子もつられて胸を張った。この親子の命懸けの遠征と突撃が、「シックエブ」を追い詰めつつあるのだ。ここからの戦況を彼等に託すのに、何も迷う理由は無かった。
円筒形宙空建造物は、「グレイガルディア」では極めて希少で、一握りの特権的な者のみがその恩恵にあずかれる。「ノヴゴラード」星系第5惑星の軌道上に5基が周回しているそれらは、皇帝の権威と財力によって建造が実現したもので、皇帝一族や帝政貴族のみが、その中での快適な生活を楽しんでいる。
「銀河連邦グレイガルディア第1支部」は、銀河連邦の経済支援によって建造された。運良くエージェントに保護された「グレイガルディア」下層民は、ここで暮らすというう選択肢を与えられる場合もあるが、めったに訪れる事のない奇跡と言えた。
その円筒形宙空建造物が、「レベジン」領域という、この国の誰もが辺境と信じて疑わない宙域の、「バラクレヤ」などという名前を知るものも珍しい星系のオールトの雲に浮遊しているなんて、想像できる者は稀だろう。
直径十km余りを誇る巨体は、同じ位の直径のリング状建造物とは比べ物にならない程に、広い面積の居住エリアを現出する。高木の林立や鳥類の乱舞も可能とする、開放的な頭上空間さえも確保している。快適性や住民の心のゆとりという面でも、圧倒的に上等だ。のびのびできて空気が美味しく、動植物と触れ合う機会もたっぷりだ。
「レベジン」領域という辺境に封ぜられている、「カームネー」という弱小軍閥がこんなものを持ち得たのは、「グレイガルディア」外部の国々との交易のおかげだ。所領内でも「バラクレイヤ」のみが比較的にも“肥えた星系”で、その他は“痩せた星系”ばかりだから、普通の所領経営にだけ専念していたのでは、弱小の上に貧乏な軍閥で終わっていたはずだ。交易によって、「カームネー」ファミリーは貧乏軍閥から脱していた。
本来は軍事政権の監修のもと、それなりに上納金を収めて成さねばならぬ交易を、彼は無断で気付かれぬように実施する事で、収益性を大幅に高めた。つまりは、密貿易だ。
それによる莫大な利益が、弱小軍閥「カームネー」をして、皇帝しか持ち得ぬはずの円筒形宙空建造物の保有を可能たらしめた。皇帝が「ノヴゴラード」第5惑星の軌道上に5基を保有しているのと比べれば、1基だけの「カームネー」は、やはり皇帝には及ばないのだが、弱小軍閥としては身に余る贅沢と言って間違いない。
この弱小軍閥の棟梁、ギヤス・カームネーに密貿易の手ほどきをしたのは、ジャールナガラだった。彼のような、既に「グレイガルディア」外の銀河連邦加盟の国々との貿易をして来た実績を持つ者の手ほどきが無くては、このような利益を上げるのは不可能だったはずだ。「グレイガルディア」から遥かに離れた、往復するだけで1年以上かかる国々と、人や物資をやり取りしなければならないのだから、当然だ。
そして、ジャールナガラが「カームネー」に密貿易を手ほどきし、莫大な財力を持たせた理由は、軍政打倒や皇帝親政復活の活動が本格化した場合の、皇帝の経済的後ろ盾を用意する為だった。
アジタやイシュヴァラやカイクハルドの意を受けて、ジャールナガラは、軍事政権打倒の時流が「グレイガルディア」を席巻した時には、可能な限りスムーズかつ速やかに体制転換が成されるように、こんな策動をした。「グレイガルディア」の帝政貴族出身の彼は、彼なりにこの国の将来を想って活動している。
そういったいきさつで、弱小軍閥である「カームネー」ファミリーは円筒形宙空建造物を保有しており、これを中核とした上にオールトの雲の微小天体群等も活用して、強力な軍事拠点を築き上げていた。宇宙要塞「オンボート」だった。
「まさか、このような辺境の宙域でこのような心地良い居場所を得られるなど、朕は思いも寄らなかったぞ。おぬし、ギヤス・カームネーとか申したか、この度の働き、まことに大義であった。」
青々とした深い森の一角を切り開いた、爽やかな静寂の漂う庭園を見下ろす城館の一室だった。木材という「グレイガルディア」では希少な素材も、樹木の林立する円筒形建造物の中では、入手は難しくない。木造の城館という情緒ある居場所でさえも、提供できてしまう。皇帝陛下の玉体を迎えるのに、ふさわしい場所だった。
「ははぁっ、皇帝陛下。もったいなきお言葉、身に余る光栄であります。」
直立した姿勢から深々と首を垂れて、ギヤス・カームネーは皇帝への礼節と忠誠を示した。膝を折って平伏する、という習慣は「グレイガルディア」には無い。ギヤス・カームネーの態度は、この国では最上級の敬意を表したものだ。
にんまり、とした笑顔で「ふむ、ふむ」と頷く皇帝に、ギヤスは更に話しかける。
「陛下には、ずいぶんご苦労の多き日々で御座いましたでしょう。『ニジン』星系での蟄居生活も難儀なものだったでしょうが、脱出過程も、さぞ危険かつ窮屈なものでおありでしたでしょう。」
「いや、なんの、なんの。蟄居の日々も、悪くはなかったぞ。彼の領域の住民達が、代わる代わるに馳走を振る舞ってくれたり、あれやこれやの催しものを企画してくれたり、快適で愉快な日々であったわ。脱出も、住民が上手く軍政の衛兵を連れ出している隙に、別の住民の案内するままに進んで行けば良かった。輸送船は、ちと狭くて貧相なものであったが、どうと言う事は無い。こうして無事に自由の身となれたのだ。それも全て、おぬしたちのおかげだ。礼を言うぞ。」
「なんと、もったいなきお言葉、不肖ギヤス・カームネー、痛み入ってございます。」
首を垂れたままのギヤス程には、恭しい振る舞いではないイシュヴァラが、淡白な顔で皇帝を見詰めて言った。
「御正室様や近衛隊長マッカリ・キロシード卿も、すっかり落ち着いて、ここでの暮らしにくつろいでおられます。ひとまず、我等の大役は果し終えた、と見て良いでしょうな。」
「うむ。イシュヴァラよ。おぬしたちの献身的な働きで自由を得たからには、おぬしたちの期待に応え、必ずや軍事政権の打倒を成し遂げて見せるぞ。さっそく周囲の軍閥や民衆に檄を飛ばし、兵を募ろう。装備の方は、ギヤスの方で用意してくれるのであろう?」
イシュヴァラから転じられた皇帝の視線を受け、またギヤスは首を低くした。
「お任せください。ご覧のように我が『カームネー』ファミリーは、軍政の目を盗んでの密貿易で財を成しております。」
チラリと窓外の風景に目をやったギヤスは、誇らし気に続ける。「当然この財は、私利私欲を満たす為のものでは無く、偏に皇帝陛下御挙兵の際の一助とならんが為であります。こうして玉体を我が領にお迎えしたからには、全財産を投げ打ってでも陛下にお力添えさせて頂きます。」
皇帝も窓の外に目をやる。巨大建造物内に生み出された、人工の大自然とも呼び得る森や川が、その目に映える。風の音や鳥の声も、大自然を実感させる清々しさだ。円筒形構造物の円弧を描く内壁に、それらは張り付いているから、頭上にも逆様の木々や家々が遠望できる。近くの川の潺を耳にしながら、遠くの川を真上から見下ろしたりもできる。ギヤスの財力を、まざまざと見せつける光景だった。
「うむ。実に頼もしく思うぞ。これだけの財力を得た軍閥が、朕の味方に付いてくれたと思うと千人力だ。朕の檄に呼応してくれた兵と合わせれば、軍事政権など、ものの数では無いわ。」
何度甘い見通しの故に痛い目に遭っても、こういう立場の人間は、学習というものをしない。
「恐れながら陛下」
イシュヴァラがさっそく窘める。「軍事政権を侮ってはなりません。あちらも陛下を再び捕えるべく、この辺りで兵を募っておりますが、恐らく陛下のもとに集まる兵より、あちらに馳せ参じる兵の方が、多いかと。」
「な、なんと。そうなのか?イシュヴァラよ。我が皇帝一族の権威は、それ程にも失墜してしまっておる、というのか。」
「百余年の統治を成して来た軍事政権の指揮命令系の網は、広く深く浸透しております。檄文一つで、簡単に断ち切れるものではありません。陛下の檄が多くの者に届き、人々がそれを信じ、軍政に歯向かう決意を固めるのには時間がかかります。それまでは、軍政に優位な状況が続きましょう。」
「そうか、時間・・か。朕の檄が民心を動かすより、軍事政権の命令系統が軍勢を組織する方が早い、という事か。軍政に歯向かうのは、民にも勇気の要る事だからのう。軍政に脅され、心ならずも朕に弓引く者も居るであろうな。朕の兵力が軍政のそれを凌駕するというのは、俄かに成し遂げられるわけではないのだな。」
「御明察、恐れ入ります、陛下。まずは、こちらにおりますギヤス・カームネーの手勢で、軍政より派遣された部隊を迎え撃たねばなりません。この付近のどれ程の軍閥が軍政の召集に応じ、どれくらいの兵力がここに向かって来るか、正確には予測できませんが、ギヤスの手勢より遥かに強大である事は間違いないでしょう。」
「うぬ・・そうか。そのような試練が、朕の前には立ちはだかっておるのか。しかれども、その件は、おぬし達を信じて託すよりあるまい。朕は、檄を飛ばし続けよう。間に合わぬでも、少しでも早く、1人でも多くの兵を募るに越した事は無いはずだ。」
「御意にございます。」
イシュヴァラは軽く、ギヤスは深々と頭を下げた。
2人が皇帝の御前を辞するのと、正室が皇帝のもとに歩み行くのが同時だった。軽く会釈をしてイシュヴァラは彼女をやり過ごしたが、ギヤスはこちらにも深々と首を垂れた。
「夫婦水入らずを満喫して頂けて、何よりだ。」
ギヤスの皇帝への敬慕は、本物のようだ。
「本当に、全財産を投げ打つおつもりですかな?」
「当然だ。」
イシュヴァラの問いに答える彼の眼は、澄んでいた。「国は一つにまとまらねば、豊かにも幸せにもならぬ。この国が一つにまとまるには、皇帝陛下に核となって頂く以外にはない。外の世界と交易をして来て、特にその想いは強くなった。民主制などという政体を実現しておる国も遠くにはあるが、我が『グレイガルディア』には当分は馴染むまい。陛下を中心に頂いた国造りを、今一度成さねばならぬ。」
面長な顔の下端に、おまけのように付いている唇を、ギヤスは引き締めた。一見、生真面目で気弱そうにも思える男が、大胆かつ悲壮な決意を固めている。イシュヴァラはそこに、皇帝権威の底堅さを感じた。
「百余年にわたり統治の座を離れて尚、皇帝一族には信望が集まっているのですな。」
「うむ。軍事政権が横暴な正体を露呈してくれたおかげで、より一層高まったと言っても良いだろう。少し前までは多少の善政を成し、軍政も信頼を得つつはあったが、やはり化けの皮は直ぐに剥がれた。英邁な総帥を輩出したとしても、それは一時の事で終わるのだ。やはり皇帝一族にしか、この国の統治者は務まらぬ。」
イシュヴァラの脳裏で、カイクハルドが悪態を突く。
「皇帝一族に統治が務まるんだったら、軍政に統治権を奪われたりしなかったはずじゃねえか。」
彼ならそう言うだろう、と思いながらも、今はカイクハルドも、帝政復活に命を賭けて戦っている事実にイシュヴァラの想いは至る。
(皇帝権威の限界と底力は、人知の及ぶものではないのかもしれない。)
絶大な財を築き、それを一息に皇帝の為にはたいてしまえる、とギヤス・カームネーは言う。彼程の男を心酔させる権威、それでもかつては軍政に統治権を奪われてしまった権威、貴族を統制し切れず不満や怨嗟を蔓延させた権威、にも関わらず未だ広く篤く敬慕される権威。
(得体が知れない。)
ギヤスカームネーやカイクハルドの命が、その得体の知れないものに費やされる現実に危惧を覚えるイシュヴァラだが、もう軍政打倒の戦いは、後戻りできない段階に来ている。
「寄せて来る討伐隊は、陛下の御心を煩わす事なく、我等だけで撃退せねばなならない。」
ギヤスの決意の言葉は、イシュヴァラの背筋を寒くさせるものでもあった。が、
「敵情の収集に関しては、私もお役に立てるでしょう。」
と、自信に満ちた顔をイシュヴァラは見せた。直接「ファング」に関わっているわけではないイシュヴァラだが、「ファング」の情報網はいつでも利用できる。根拠地が領民と良好な関係を保っている「スヒニジ」領域の動静は、彼には筒抜け同然だ。皇帝奪還の部隊は、ひとまず「スヒニジ」領域に集められるはずだから、部隊の状況も詳細に分かる。
木材で張られた床を踏みしめ、広い城館の廊下を2人はを並んで歩いていた。樹木を大量に育成できる広さを持つ居住施設など、ほとんど無い「グレイガルディア」だから、それだけでも極上の贅沢だ。窓外の広大な深緑で目を癒すのも、過ぎたる贅沢の一つだ。下層民の悲惨な生活を知るイシュヴァラは、こんな贅沢を堪能している自分に心苦しい気分にもなる。
こんな贅沢を「グレイガルディア」の民に広く行き渡らせる一歩に、彼らの戦いが成れば良のだが、との想いを巡らせながら、イシュヴァラはギヤスと並んで城館の一室に踏み入った。
「やあ、イシュヴァラ、久しいな。皇帝の救出、ご苦労だった。」
声の出所が瞬時には分からない程の低い位置から、気さくで陽気な挨拶が聞こえた。声の出所を見つける前にその主の見当をつけたイシュヴァラは、目を合わせる前に挨拶を返した。
「ああ、ジャールナガラか・・・おお、居た居た・・別に苦労など、無かったぞ。全て住民達が、上手くやってくれたからな。」
足音を聞きつけて、立ち上がって待っていたらしいジャールナガラだが、さほど長身でもないイシュヴァラにも少し戸惑いを与える程、彼の顔の位置は低かった。久しぶりに会うと、改めてギョッとさせられたイシュヴァラだった。
「関与した住民達の安全にも、抜かりはないだろうな、イシュヴァラよ。」
「ああ。皇帝脱出に手を貸した者の出身集落は、丸ごと隠し集落に避難した。軍政側が何らかの懲罰を加えようとしても、見つける事はできぬはずだ。」
「では、後は我々、軍政打倒陣営が勝利を収めれば、彼等は安泰だな。・・勝てれば、の話だが。」
「そうだな。我等が敗北すれば彼らを含め、多くの軍政打倒に関わった者には、悲劇が訪れる。もはや、敗北は許されぬところまで来ておるな。」
「その点では、差し当たっては、軍政が皇帝奪還の為に、というか皇帝を連れ去った者の討伐の為に差し向けた軍勢を、どう始末するか、だな。このギヤス・カームネーの戦力だけでは、荷が重いかもしれんぞ。」
イシュヴァラから転じて来たジャールナガラの視線を受け、ギヤスが反応する。
「わしも、自軍だけでは心もとないな。ジャールナガラ殿の手ほどきで財を蓄える事はできたが、兵はそれほど鍛えて来たわけでは無い。ジャラール・レドパイネ殿のような、『アウトサイダー』の兵を集めて組織化する、などという特殊な技能は、私は持ち合わせておらんからな。」
「ああ、あれは、あの御仁だからできた業だ。」
ジャールナガラは、ギヤスを慰めるような眼で語る。「おぬしは、兵より財を蓄える事に専念して来たのだ。皇帝に再起を期してもらうには、それも、どうあっても必要な事だったのだ。兵力の面で不十分な事は、おぬしの責任では無い。」
「とは言え、向かって来る敵は、何としても撃退せねばならぬ。まずは彼我に、どれくらいのタイミングで、どれくらいの兵が馳せ参じるか、だな。カイクハルドにも支援要請は出してあるのだろう?」
「ああ。だが、あいつらは『ヒルエジ』で目いっぱいの戦いを繰り広げておる。いつこっちに来られるかは分からんし、来たところでたった百隻の戦闘艇団だ。それほど大きな期待を掛けるのも無理があるぞ。」
ジャールナガラにそう言い返したイシュヴァラだったが、彼の眼にも、旧友に寄せる微かな期待が揺蕩っていた。百隻の戦闘艇団にはあり得ない奇跡など、何度も成し遂げて来た旧友なのだから。
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は '19/6/8 です。
イシュヴァラやジャールナガラはこれまで、たまにしか登場せず間があいてしまう傾向があったので、読者様に覚えて頂けているか心配になってしまうのですが、ここからは頻繁に登場するので、改めて記憶に入れ直して頂けると嬉しく思います。イシュヴァラは連邦のエージェントですが、ジャールナガラも「グレイガルディア」の帝政貴族から出ているとはいえ連邦の力を借りて貿易商人になっているので、どちらも銀河連邦を代表する存在と言っていいです。尚且つ、この物語が下敷きにしている古典には登場しない要素でもあり、物語の独自な展開や世界観を成立させているものでもあります。彼らがいなければ、ただのパクリになってしまう・・のか?「ファング」の物語は「銀河戦國史」という全銀河全人類の1万年に渡る物語の一部であり、銀河連邦が「ファング」を「銀河戦國史」に紐付けすることで、古典を下敷きにしつつも独創的でスケール感のある作品になっている、と作者は信じているので、読者様にも彼らには注意を払って頂きたいのです。作り手の身勝手でしかありませんが、なにとぞどうかよろしくお願いします。というわけで、
次回 第72話 「オンボート」の防衛態勢 です。
「ファング」の新たな戦いを、予感して頂けているでしょうか。しかし、その戦場は遠く、戦いに間に合わないかもしれないし、百人百隻の「ファング」など意味をなさない規模かもしれません。現状において戦いの場にいる面々も、どうも戦争はど素人みたいです。どうなるのでしょうか?想像してみて下さい。




