第69話 「ヒルエジ」攻防戦
巨大な権力と財力の象徴である、目に映る人工の大自然は、カイクハルドに様々な思考を呼び起こしていた。
最高権力者の座に就くであろう、皇帝ムーザッファールや皇太子カジャは、それなりに慈悲も深慮も持ち合わせた男だった。その目に映る困窮者には、献身的に救いの手を差し伸べてやれる男達だ。だが、目の前にいる貴族と遠く離れて目にも映らない庶民を、同等に見据える慧眼は持ち合わせていそうにない。弁舌巧みな貴族達に踊らされ、貴族のみに都合の良い、庶民や「アウトサイダー」を蔑ろにした政策ばかりが、実施されてしまいそうだ。
皇帝にも皇太子にも、その点に関して釘は刺しておいたカイクハルドだが、だからこそ、彼らの統治者としての狭量を看破している。
(ムーザッファールよりは、カジャの方が、幾分はマシかな?)
「ピラツェルクバ」の領民達に心を砕いていた彼を思い出した。それでも、目に映る範囲の庶民に視野が限定されている様子ではあったが、貴族の横暴には、多少の歯止めはかけられるかもしれない。
(銀河連邦から政治顧問が派遣されて、上手く指導してくれれば、それがアジタなのかどうかは知らんが、カジャの後の代くらいの皇帝には、そこそこ行き届いた統治ができるようになっているかな?帝政を復活させれば、少しずつでもマシな国に、「グレイガルディア」は変わって行くのかな?)
そんな期待でも抱かねば、救いが無い。
足元の小川の清流に手を浸し、遠くを羽ばたく鳥の声を聞き、頭上10km先に広がる森を見下ろして、カイクハルドは想いに沈む。見る程に、聞く程に、感じる程に、こんな広大な人工の大自然を、暗黒に満ちた宇宙空間を漂う円筒内に造り出した技術の凄さに、驚きを禁じ得ない。
技術自体は銀河連邦由来のものだが、それを「グレイガルディア」に導入できたのは、皇帝一族の人脈や名声のおかげでもあり、貴族達の活躍もあったに違いない。彼等が、ある程度の栄華を手にするのも理解できる。だが、今の庶民と貴族の格差は余りに酷過ぎる。餓死や病死や過労死が続出する庶民の現実を無視して、こんな贅沢を恣にされたのでは、やっていられない。
自分達の戦いに、どれ程の意味があるのか。自分が死なせて来たパイロット達の命は、何をもたらすのか。この凄惨な殺し合いの果てに、何らかの救いはあるのか。自問しながらカイクハルドは、円筒形構造物の空気を吸い続けた。
上等な権力者の箱入り娘をゲットできたのは、カビルのホクホクした笑顔を見れば、言葉を交わさなくても分かった。パイロット達も皆、それぞれに満足そうな顔を浮かべている。特に新入り達が嬉しそうにしているのが、カイクハルドには有り難い。厳しい訓練に耐えてくれて、これから危険極まりない戦いを繰り広げて行く彼等だから、今は存分に楽しんで欲しかった。
「糧秣も、想像以上にたっぷり確保できたぜ。帝政貴族の強欲共は、こんなにも物資を溜め込んでいやがったんだな。明日食うものにも事欠く庶民から、よくこれだけ巻き上げて来られたものだと思うと、奴等の神経を疑うぜ。」
通信機を通してシヴァースが、報告と感想を述べて来た。
「ノヴゴラード」星系第6惑星の衛星軌道上では、かつての都市の残骸も多く周回していた。長い歴史の中で、何度か新しい建造物に乗り換える事を繰り返して、“帝都”は更新と拡大を成し遂げて来た。その旧都市の残骸に、「シックエブ」が糧秣を隠して保管している事を、「ファング」の情報網は掴んでいた。ビルキースの仲間が、貴族の妾などとして潜入を果たしているのが功を奏した。
直径5km程のリング状のものに始まり、今と同じくらいのサイズの円筒形のものまで、歴代の帝都を懐に抱き今は無人となっていた宙空建造物が、「シックエブ」の糧秣集積所とされていた。
それらを次々に襲撃した「ファング」は、「シックエブ」の防衛戦力になるはずだった物資を片っ端から、「レドパイネ」陣営に持ち去って行った。僅かな警護戦力を張り付けておいてくれたおかげで、新入り達の丁度良い練習台に利用できた。守っているのは貴族ではなく軍政側部隊なのだから、人命を尊重する必要もない。有意義ななぶり殺しを数多く繰り広げられて、カイクハルドは満足だった。
「これで、馳せ参じた軍閥を繋ぎ止めておくに十分な糧秣は、確保できたか?」
「そうだな。余程の劣勢に陥らない限りは、離反軍閥は出て来ないだろうぜ。」
余裕に満ちた気分で「シックエブ」包囲陣に駆け戻って行った「ファング」とシヴァース部隊だったが、そこで彼等は、“余程”の範疇に入るかどうかは分からないが、“劣勢”には直面する事になった。
テトラピークフォーメーションを構築し、4方向からゆっくりと前進して行った“寄せ手”の軍だったが、4つともに激しい反撃に出くわしていた。
消極的で、迎撃の押し付け合いさえ演じていた一回目の進軍時とは打って変わって、「シックエブ」の“守り手”は決死の突撃を敢行して来た。一方で「レドパイネ」陣営は、一回目の進撃における弱腰から、敵を甘く見る傾向が強く表出していた。戦力の増強が気の緩みを誘っていたのも否めない。
血眼になって闘う「シックエブ」陣営と油断しまくっている「レドパイネ」陣営が、二回目の進軍においては激突する形になった。
宇宙時代でも、戦争は気迫が重要だった。”守り手”は気迫満点で“寄せ手”は気が緩み切っているのだから、少々の戦力差は“寄せ手”に優勢をもたらさなかった。
“寄せ手”の艦列の、最も乱れている部分を的確に見つけ出した”守り手”が、命知らずの殴り込みに打って出る展開が続出したので、“寄せ手”が全く持ち堪えられずに潰走する事態が相次いだ。
「軍政危うしと見て、多くの軍閥がこちら側に馳せ参じたが、その分、軍政側に残った軍閥は、勇猛で忠誠心の高い連中ばかりになった。戦力が減った事で個々の責任意識も高まり、危機感と相まって絶大な戦意に結実していやがる。」
渋い面を曝して、ジャラール・レドパイネが零した。4方面の軍勢のどれもが、2回目の進撃を開始した場所よりも後ろに退いてしまっていた。
「だけど、それでも包囲攻撃の軍勢は、維持されているんだな。陣が崩壊して兵が雲散霧消、なんて事態にまで陥る気配はねえんだろ?」
「うむ。ゆっくり前進させておいてよかった。幾つかの軍閥が潰走に至っても、その他の軍閥は、慌てる必要が生じるほど深入りはしていなかった。おかげで、落ち着いて整然と後退できた。」
カイクハルドの問いに答えるジャラールの表情は、渋いながらも余裕があった。
「あの闘い振りからしても、軍政の感じている危機感は半端なものじゃねえ。『エッジャウス』にも増援を、矢のように催促してるだろう。軍政中枢に、何らかの大きな動きが出て来ても不思議じゃねえ。」
「そうだな。わしらの攻撃は、攻略より軍政中枢の動揺を誘うのが、目的だったな。」
やや悔しさを滲ませながらも、ジャラールは落ち着いている。無理に軍の前進を図ろうとはせず、情報収集などに力を入れていた。
その結果、「シックエブ」が繰り返し「エッジャウス」に増援を要請し、「エッジャウス」も遂に重い腰を上げて、要請に応じる構えを見せている事が分かった。カイクハルドも、ビルキースやアジタからの報告を受け、「シックエブ」がいよいよ中枢軍閥に出征の命を下した事を知った。
「一旦、軍を退こうか。『エッジャウス』から中枢軍閥を引っ張り出す、という当面の目的は達成したのだし、劣勢のまま無理に包囲を続ける事もあるまい。」
「そうだな。劣勢が決定的になって、軍が散ってしまうのが一番怖いな。ここらへんで『ヒルエジ』に退いて、態勢を立て直しつつ様子を見る、ってのも悪くはねえな。」
ジャラールの相談にカイクハルドが同意を示すと、たちまち撤退の命が全軍に行き渡った。進むよりも、退く時の思い切りや迅速さにこそ、将の器が試される。退くべき時に退けない軍は、勝てない。
ジャラールの退き際は、カイクハルドも舌を巻く程鮮やかだった。せっかく苦労して切り取り制宙権を確保した宙域でも、一切の未練を見せる事無く放棄してのけた。4万を超える軍勢が、3日の後には、「ヒルエジ」星系第6惑星の周辺に居場所を定めていた。
「ヒルエジ」に引き上げて以降でも、「レドパイネ」のもとに馳せ参じて来る軍閥は、後を断たなかった。「アウトサイダー」の盗賊や傭兵の中にも、次々に軍政打倒への参陣を表明する者が続出する。似非支部も類に漏れずだ。軍は膨らむ一方だ。
「こちらは撤退したにも関わらず、不思議と軍政打倒陣営の方が優勢だと考える連中が、多いのだな。」
「ヒルエジ」の拠点にある、重力の無い戦闘指揮室で、ふわふわと漂いながらシヴァースが首を傾げた。
「軍政側の防衛戦力の闘い振りは果敢なものだったが、その必死さこそが、軍事政権の危うさを印象付けてしまったのかもしれん。権威とは、泰然自若に構えていなければ、保てぬものなのだな。」
感慨を込めて、ジャラールが息子に応じた。
「索敵を含めて、情報収集にはありったけの力を注ぎ込めよ。ここからは、情報力がモノをいうぜ。」
カイクハルドは、声を厳しくして親子に割って入る。
「そうなのか?こっちの軍は膨らむ一方なのだから。ある程度膨らんだところで力押ししてやったら、勝てるものだと思っていたぜ。」
「馬鹿言ってやがるぜ。」
シヴァースの意見を切って捨てたカイクハルド。「事ここに及んで、ようやく『シックエブ』の召集に応じる軍閥も続出するはずだ。軍政は好かねえが潰れてもらっては困る、って奴等も少なからずいるもんなんだ。」
「うむ。それに、こちらに寄った兵にも、あちらに寄った兵にも、態度を決め切れずに迷っている日和見な奴等は多いだろうな。」
「そうか。分かったぜ、親父。ちょっとしたきっかけで、こっちの兵があっちに行ったり、あっちの兵がこっちに来たり、って事があり得るってわけなんだな。彼我の戦力がどう推移するか、全く分からない局面になるよな。そりゃあ、情報が大事になるのも納得だぜ。」
カイクハルドと父親の応酬に、シヴァースも納得を示した。
「糧秣をタップリ確保した効果が、ここで発揮されるな。飢える心配がないって理由だけで、こちらに留まる兵も少なくねえはずだ。逆に『シックエブ』の方は、隠し持っていた糧秣を俺達に奪われちまって、慌てているだろうな。召集に応じてはるばるやって来た兵を、食わせてもやれねえんだ。面目も何も、あったもんじゃねえ。」
「逆に、それでも『シックエブ』に付いてる兵ってのは、相当な覚悟って事だぜ。油断はできねえ。」
「そうか。色んな要素を、考えなきゃいけねえんだな。いよいよ、情報力がモノをいうわけだな。」
ジャラールとカイクハルドに、交互に目をやるシヴァース。その後は続々と持ち込まれる様々な情報の精査に、彼等は謀殺された。
「驚いたぜ、親父!」
戦闘指揮室で、シヴァースがまぬけな声を上げていた。「下北東星団区域や上南西星団区域なんていう遠い場所からも、こんなに沢山の軍閥が参戦してきてるんだな。百光年近く遠征してきているヤツもいるんじゃねえか?本当に、『グレイガルディア』全域を巻き込む規模に拡大しちまったんだな、この戦役は。」
口をあんぐりさせてモニターを覗き込む愛息に、父親が応じる。
「遠くの軍閥ってのは、軍事政権によって旧来の本領を取り上げられ、辺境にある未開の所領を押し付けられたってヤツが多いからな。ずっと腸は煮えくり返っていたんだ。とはいえ、そんな長距離の遠征は簡単にはできぬからな、今までは黙っているしかなかったのだ。」
「そいつらは、俺達が『シックエブ』に一撃を入れたのを知って、ここがチャンスと見て一門の命運を賭けた勝負に打って出たわけだな、親父。あの戦いで、そんなにも遠くで不満を膨らませていた連中を、味方としてはるばる呼び寄せられたんだな。」
「そいつらは、士気は高いだろうが」
カイクハルドも、親子に割って入る。「装備の方は貧弱だぜ。使い方には工夫が必要だ。逆に、こっちの下南星団区域から来ている軍閥は、装備はしっかりしてるが気迫に欠ける感じだ。この2つにペアを組ませるってのも、良いかもしれないな。」
ビルキース経由の情報を何食わぬ顔で織り交ぜながら、ジャラールの戦術プランを補強した。
最新情報だけでなく、何年も前にビルキースからもらっていた情報を、今になって引っ張り出す場面なども出て来たりする。
「なあ、トゥグルク。最近こっちの陣営に馳せ参じたこの軍閥って、何か情報をもらってなかったか?この軍閥が開いた大規模な催しものに、ビルキース達が呼ばれたって報告が、あったような・・」
「・・おお、そう言われれば、そうだな。『ライラクラフ』・・か、確かに、聞き覚えがあるぞ。よく覚えていたな、かしら。」
情報の管理も任されているトゥグルクが、「シュヴァルツヴァール」の航宙指揮室から通信で応じて来る。見付け出された情報も、すぐさま後を追うように送信されて来た。
「やっぱりだ。」
満足気に口角を上げるカイクハルド。「大規模な催しに呼ばれた際に、ビルキースの仲間が多くの幹部の寝室に連れ込まれて、棟梁の人物像などを聞き出していやがったぜ。それによると、ファミリーの存続に殊の外神経を使うタイプで、あれこれ策を弄するのが一族の昔からの性向だ、って判断ができそうだな。」
「信用して良いのか?その、ビルキースの仲間の眼力は。」
データーを紐解いてのカイクハルドの言葉に、ジャラールが問いかけた。
「もちろんさ。できる、なんてもんじゃねえぜ。あいつを信じて後悔した事は、一度もねえ。俺はあいつを、死んでも疑わねえ。」
「ほう。で、利用する手立てを、思い付いたのか?その『ライラクラフ』を。」
「多分な。呼び出せるか?『ライラクラフ』の棟梁を。」
ジャラールの手が、コンソールを操った。部下に指示を出したのだろう。数分後、通信用ディスプレイに精悍な顔つきの若者が映った。
「私は、棟梁ではないのだが、参陣した部隊の指揮を預かっているものだ。『ライラクラフ』棟梁の嫡男、と思ってもらって良い。」
「つまり、棟梁は『シックエブ』の側に付いている、って解釈して良いよな?」
「ほう、そうなのか?」
ジャラールの眉が釣り上がる。
「う・・そ、それは・・なぜ、それを・・?」
『ライラクラフ』の嫡男は、返事に窮する。「なぜ・・しって・・」
「知ってるわけじゃねえさ。そんなところだろう、と推測したまでだ。まあ、良くある事さ。ファミリーを分けて両陣営に参陣させる事で、確実にどちらかが勝ち馬に乗りファミリーを存続させる、って算段だ。軍閥の存続に心を砕く奴は、大きな戦役に直面した場合には、そんな策を講じるものさ。卑怯だ、などとぬかす奴もいるだろうが、領民の生活を背負った軍閥においちゃ、なかなか責任感のある態度だ、とも言えるぜ。」
「うむ。ファミリーの半分を犠牲にする覚悟で、領民の安泰を確保しようとしたのか。天晴な領主だな。その殊勝なファミリーを上手く利用してやろうなんて考える奴は、とんでもなく灰汁どいのだろうがな。」
「ああ、そうさ。盗賊兼傭兵なんだ、灰汁どいに決まってるぜ。」
ニヤリとジャラールを睨んだ後、カイクハルドはモニターに視線を戻した。「で、あっちに参陣している棟梁と、あっちに気付かれねえように連絡は取れるか?」
「そ、それは可能だが、敵の情報を引き出させて、こちらに提供させろ、というのは勘弁して欲しい。」
「心配するな。そんな危ない橋は、渡らせねえよ。」
嫡男を安心させて、カイクハルドは続ける。「空砲戦の用意をしておくように、伝えておいてくれ。それだけで良い。」
「空砲戦・・・だと?」
疑問の声を上げたのは、シヴァースだ。
「それが役に立つかどうかは、今は分からねえが、これからの展開次第では、有効になることもあると思うんだ。お前のところでも、同じ準備をしておくんだぜ、『ライラクラフ』の次期棟梁さんよ。」
「それくらいなら、大丈夫だ。間違いなく伝えておくし、我等も、空砲戦の準備をしておこう。」
通信はそれで閉じられた。疑問を張り付けたままの息子と興味深そうに笑う父親の顔を横目に、カイクハルドはもう一度「シュヴァルツヴァール」に通信を繋いだ。
「おい、トゥグルク。こっちの『ヒルロウ』って軍閥の情報もあったよな。確か、アジタのヤツが、ずっと前に伝えて来た情報だ。」
「うむ・・・不気味なほどの、記憶力だな、かしら・・・お・・おお、見つけたぞ。そっちに送るぜ。」
「こいつも呼び出すか?」
ジャラールが気を利かせて、コンソールに手を伸ばしかける。が、
「いや、コイツは良い。その代り、『ライラクラフ』と『ヒルロウ』の部隊を戦場で識別できるように、データーを取得しておいてくれ。」
カイクハルドの要請に、シヴァースはいよいよ疑問の色を、ジャラールはますます興味津々の色を、それぞれその顔に深めて行った。
「軍政側部隊に、攻勢の動き。『シックエブ』から出撃して、『ヒルエジ』に攻めかかって来る模様です。」
そんな情報がもたらされたのは、数日後だった。
「やはり来たか。」
「なるほど、そうなるか。」
したり顔のカイクハルドと納得顔のジャラールに比べ、シヴァースは驚きの表情だった。
「向うから、攻めて来るのか・・?俺が突撃した時には、あんなにも消極的だった軍政部隊が、『ヒルエジ』を襲撃して来るなんて・・。戦力も、あの頃より縮小しているはずなのに。」
「糧秣不足だからな、敵は。底を突く前に、一気に事を決してしまいたい事情があるのだろう。」
ジャラールのその見解に続いて、カイクハルドも付け加える。
「権威失墜も、このままにはしておけねえ所にまで、来ちまっているんだ。戦闘で華々しい勝利を上げて、軍事政権の実力を見せつけてえ、って思惑もあるだろうぜ。」
「索敵を密にしていたおかげで、敵の動静は詳細に把握できている。早めの迎撃に打って出る事もできる・・が、ここは、引き付けて叩いた方が、良さそうだな、カイクハルドよ。」
「・・・だな。かなり、気合と覚悟の高まった部隊だと見える。舐めてかかると、怪我をするぜ。」
両雄の意見が一致を見ると、「レドパイネ」陣営は戦力を「ヒルエジ」星系第6惑星の衛星軌道上に押し込めたまま、敵を待った。軍政側も4つに軍を分け、テトラピークフォーメーションを構築する態勢で向かって来ている事が、更なる索敵情報から知れた。タキオントンネルでの到来は危険となる距離の外側から、通常航行で接近して来るのも同じだった。十億kmほど離れたところから、数日間の航行を経て「ヒルエジ」に至る速度で進撃している。
「5から7組の軍閥が兵力1万前後の軍勢を成して、1つの頂点を受け持っているな。それらが4つ、異なる方向から迫って来る。」
戦闘が目前となり、多くのオペレーターがひしめき合いガヤガヤと賑やかな指令室内では、ジャラールやカイクハルドもやや力を込めて声を張り上げないと、言葉を伝える事ができない。
「こっちの兵力は、今のところ、どんなもんなんだ?」
「おい、今日のところは6万くらい、いたんだっけかな?」
手近なオペレーターに、怒鳴り付けるようにジャラールは尋ねた。
「はい。3時間前に確認した情報では、6万と少しでした。」
兵力も、時を追うごとに変化する。新たに馳せ参じて来る軍閥。病気や本拠地でのトラブルを理由に陣を離れる軍閥、兵力増強に成功したと申告して来る軍閥、装備の不調でしばらく戦えないと泣きついて来る軍閥、それらの情報をまとめて現有兵力を把握するだけでも一苦労だ。
これだけ軍が膨らむと、そういった情報を管理するだけでも専門のスタッフを数十人配置し、指令室にも担当のオペレーターを常駐させる必要が出て来る。少し前まで千に満たない戦力だけだったジャラールが、その業務をこなせるスタッフをちゃっかり確保している事も、彼の用意周到さや戦略眼の確かさを示している。
人が必要になってから人手不足を叫ぶような奴には、組織の長は務まらない。そんな組織に一番不足しているのは、人手ではなく組織の長の能力だ。人手不足を叫ぶ組織の大半において、本当に不足しているのは管理者の能力だ。能力のある長は、人手が必要になる前にその事を予測し、人の手配も育成も完了させておくものだ。大量の兵が馳せ参じる事態を何年も前から予測し、情報の管理を任せ得る人材をジャラールは育成していたのだ。
今ジャラールが質問をぶつけたオペレーターが、それを担っているらしい。
「で、その6万の兵を、『シックエブ』がやったように、小出しにして行くのか?」
「馬鹿を言うな。5万近くを、既に出陣させておる。敵が、我等の拠点から2億kmに迫った時点で、1億kmの距離を挟んで、敵の進路に立ちはだかる形で、1万数千ずつの兵に防衛面を構築させる手筈になっている。」
“戦線”とか“防衛線”という言葉は、宇宙の戦いでは出て来ない。3次元の宇宙での戦闘は、全て“面”の広がりを持つ衝突として展開する。“戦面”や“防衛面”という、時代が時代なら余り馴染みのない言葉が、当たり前に登場する。
「シヴァースみたいに、横をすり抜けて接近を続けるなんて事は、許さない布陣になってるんだろうな?」
「当たり前だ。というか、あんなことは4艦だけの小規模部隊だからできたのだ。百艦前後に及ぶ大部隊には、できるはずがない。」
ジャラールの言葉通り“寄せ手”側は、かなり手前から進行方向に向かってスラスターを噴射させ、速度を落として行く。逆に“守り手”の部隊は、「ヒルエジ」に向かって少し加速した。両者の相対速度は、一気に低下して行く。相対速度を落としながらの彼我の接近が、数時間に渡って続く。そして、
「A方面、戦端が開かれましたぁっ!」
オペレーターの1人が、突如大声を張り上げる。指令室の6方向の壁面に、それぞれ数人のオペレーターが張り付いてコンソールを操作したりディスプレイを眺めたりし、全員が口々に報告や連絡や相談を口にしている。そんな騒々しい指令室で、ジャラールへの直接の報告を受け持つオペレーターも、一番彼に近い席に配されているとはいえ、大声を張り上げなければ任務を果たせない。
「A方面、散開弾の応酬が、しばらく展開する模様ぉっ!」
4方向から来る敵を、便宜上A・B・C・D方面と、ジャラール陣営は命名している。防衛側の部隊に対しても、A・B・C・Dで呼ぶことになる。
「確かA方面に、『ライラクラフ』ファミリーがいるんだったよな。」
「ああ、敵側のA方面軍に『ライラクラフ』がいるのを、敵の出撃直後から察知していたからな、こちらにいる『ライラクラフ』もA方面に送り込んだ。お前の献策通りにな。」
カイクハルドの問いに、ジャラールは応じた。
「その内に敵陣では、『ライラクラフ』が突出する形成にもなるだろうから、それを見逃さないようにしてくれよ。」
「ああ、それは良いが、本当に上手く行くのか?」
ジャラールの疑問の声には、カイクハルドはニヤリと笑って見せるだけで、何も答えなかった。
「B方面でも、戦闘が開始されましたぁっ!」
「B方面には、『ヒルロウ』ファミリーがいたな。こっちは、わざと突出させろ。少しで良いぜ、他の部隊が支援できる程度に突出させるんだ。」
「うむ。それも良いが、カイクハルドよ、こっちも、本当に上手く行くのか?」
ジャラールは相変わらず疑問の色を浮かべているが、カイクハルドの献策には乗る事にしているようだ。B方面の“守り手”の部隊も、拠点に向かって移動しながら戦っている。戦術的な意味合いでの後退ではないが、戦闘宙域そのものが「ヒルエジ」に向かうベクトルを有している。
その状況で「ヒルロウ」を突出させるという事は、それ以外の軍閥が拠点への速度を上げ「ヒルロウ」を置き去りにする、という事になる。偶発的に起こり得る事では無く、かなり高度な統率を必要とする艦隊運用だ。“少しだけ”突出させる、といった加減までしなければならない、となると尚更だ。疑問を感じながらのそれの実現は、ジャラールの非凡な用兵能力のなせる業と言える。彼に鍛え抜かれたオペレーター達も、俄然忙しさと賑やかさをエスカレートさせた。
「D方面でも、散開弾の応酬が開始されましたぁっ!」
「C方面も、同じくっ!」
ジャラールの耳に届けられるのは必要最低限のものだが、指令室内はそれを千倍した言葉が飛び交っている。4方面に配置した各軍閥それぞれへの指示、そこへの補給物資の運搬、索敵情報の集約、等々が精力的に実施されているのが、カイクハルドにも分かった。
騒々しさの裏にある白熱していく激戦の気配も、ビリビリと彼の心底に轟いて来ていた。
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は '19/5/25 です。
一つ、お詫びと訂正をさせて下さい。「グレイガルディア」を9つの星団区域に分けて、それぞれに名称が付いています。そして"下"とつく名称のルビに"ダウン"と記したものを第9話に出してしまっていますが、"ダウン(down)"より"ロワー(lower)"の方が適切なようなので、今後はそれで表記したいと思います。"ダウン"では"下の"ではなく"下へ"になってしまうので・・。第9話では"下南"を"ダウンサウス"としていたのですが、本来は"ロワーサウス"です。一度投稿してしまったものは基本的に修正しないことにしているので、ここにお詫びと訂正を記すことにします。申し訳ありませんでした。阿呆な間違いをしてしまいましたが、東西南北に上下を加えた3方向の軸を使って宇宙における場所を指定するやり方は、自分では必須のものと考えています。「グレイガルディア」が3次元の広がりを持つ国であり、その全域が戦乱に巻き込まれているのだというイメージを、是非読者の皆様に想い描いて頂きたいのです。といっても、細かい位置関係までは必要ありません。「カウスナ」や「シェルデフカ」や「ルサーリア」は中西星団区域ですが、記憶に留めておくほどのものではありません。あくまで、3次元の広がりを印象付けたいだけなのです。というわけで、
次回 第70話 4局の激戦 です。
散々3次元を強調しましたが、「ヒルエジ」にある「レドパイネ」の拠点への攻撃も3次元であることを、是非、念頭においてほしいです。3方向からでは平面状になってしまうので、3次元で攻撃するには4つ以上の方向から攻めなければいけない、というのもご理解頂いているでしょうか?兵力分散を最小限にして3元で攻めるには、4つの方向から囲む陣形しかない、つまり"テトラピークフォーメーション"が必然である、ということも。太陽と地球の距離がおよそ1億5千kmであることなども考慮しつつ、いかに大規模な"テトラピークフォーメーション"が「ヒルエジ」星系第6惑星を中心に形成され、攻防戦が展開されようとしているか、イメージして頂ければ幸せに思います。




