第62話 ラーニーの落涙
盗賊行為で共闘、と言っても、互いに顔を合わせる事も無ければ、名も素性も知らないまま、というケースも多い。ある徴税部隊の隊列の、先頭部分を「レドパイネ」部隊が襲い、後尾部分を「ファング」が襲ってそれぞれに掠奪や誘拐を繰り広げたが、連携も交流も一切無い、という活動などもあった。盗賊というのは、そのようなものだった。仲介の労をとった何者かも当然いるが、全ての関係者が必要最低限の者にしか素性を明かさない、というのも盗賊稼業にはありがちだった。
それでも、彼等が行って来た盗賊行為に「レドパイネ」と「ファング」の両方が参加している件がある事は、両者ともに十分に認識している。結果を見れば、「ファング」にしかあり得ないとか「レドパイネ」でなければ辻褄が合わない、という仕事ぶりというのがあり、ジャラールもカイクハルドも、互いの参加を認識していた。そんな盗賊案件が幾つもあった。
特に、名声が高く戦力も強大な軍閥を相手にした盗賊活動では、そんなケースが多かったはずだ。今は亡きムタズやトーペーやドゥンドゥーと越えて来た、幾つもの厳しく損害の激しかった戦いも、多くがレドパイネとの共闘だったはずだ。
「サンジャヤ殿がわしのもとを訪れたあの時点では、軍政に反乱の意志を感づかれるわけにはいかなかったからな。眼を付けられなかったおかげで、新鋭戦闘艇も買い付けられたし、周囲の『アウトサイダー』等を集めて訓練を施し、戦力とする事もできたわけだ。それにも関わらず、真意を明らかにせぬわしの名を、サンジャヤリストに載せてくれたおかげで、プラタープ殿の挙兵の後押しにもなれた。それを思えば、サンジャヤ殿の働きは見事なものだった、という評価になるな。勿論、その彼を、わしやその他の反乱の意志を持つ軍閥達のもとへと、次々と連れて行ったおぬしの働きも、それと同じくらい、有意義だった。」
「うるせえよ。あんな野郎と並べて評価するんじゃねえよ。虫唾が走るぜ。」
「わはは、相変わらずだな。あの頃から、散々、気に食わないの何のとサンジャヤ殿をこきおろしておきながら、彼の活動には死力を尽くした支援を惜しまんかったな、おぬしは。『グレイガルディア』中の各軍閥を、軍政の監視の目を掻い潜りながら巡るのは、おぬしにとっても、相当に危険の伴う困難な活動であったはずなのにな。」
「だから、金で雇われてただけだぜ、俺達は。傭兵なんだから、金貰って引き受けた仕事に命を賭けるのは、当たり前だろう。奴の活動を支援してるつもりなんぞ、全く無かったぜ。」
直接言葉を交わした経験など、片手でも余る程の回数のカイクハルドとジャラールなのだが、話し始めると旧友のような雰囲気だった。
「今こうして『シックエブ』攻略に命懸けで乗り出して来たのも、サンジャヤ殿の影響は無い、と言い張るのか?」
「当たり前だ。あんな奴がいてもいなくても、『ファング』が気に食わねえ権力者に命懸けで噛み付く活動は、昔から変わりはねえよ。そう言うあんたこそ、プラタープの旦那みたいに皇帝に心酔しているわけでもねえのに、帝政復活に、ずいぶん気合入れてんじゃねえか。」
「帝政に心酔はしておらんが、今の軍政よりは帝政の方がマシな統治をしてくれそうだからな。わしのファミリーや領民の暮らしを平穏なものにする為には、『グレイガルディア』の統治者に、この国の全ての人々に心を配った治政を、実現してもらう事が肝要だ。それに少しでも近付けそうな統治者を得る為に命を賭けるのは、ファミリーや領民の命を預かる軍閥棟梁として、当然の務めだ。それだけの事だ。」
この彼の言葉からも、彼のこれまでの生き様からも、カイクハルドはジャラールの性根というものを感じ取っていた。帝政や軍政に属さない「アウトサイダー」に対しても、想いを巡らせたり気を配ったりできるのが、ジャラールだった。軍閥棟梁の立場でありながら、所領を密かに飛び出して他の軍閥領の下層民や「アウトサイダー」の暮らし向きを実地に見分している、という彼の活動も、カイクハルドの耳には入っていた。この国の統治者が誰かを虐げたり蔑ろにしたのでは、自分の家族や自領の民衆の平穏も望み得ないと彼が認識している、ともカイクハルドは受け止めている。
そんな軍閥棟梁は「グレイガルディア」には極めて少ない。いや、ジャラール・レドパイネ以外には、いないかもしれない。ほとんどは自身や自家の、目先の利益のみを考え、「アウトサイダー」などはどれだけ虐げようと蔑ろにしようと構わない、と考える権力者ばかりだ。それが、長い目で見れば恨みや怨嗟を買い、自家の衰退や滅亡にも繋がるかも知れないとは少し考えれば分かるはずだが、そこに考えの及ぶ者は少ない。
プラタープ・カフウッドといえど、積極的に「アウトサイダー」を虐げる行動はとらないものの、皇帝への心酔や自家の領民の利益を最優先に考える、という行動原則に留まっている、とカイクハルドは思っていた。長い目で見れば、「アウトサイダー」を含めた「グレイガルディア」の全ての民の幸福を実現してこそ、彼の領民にも平穏が訪れる、と理屈では理解しているみたいだが、そこまで長い目で考えるゆとりなど、今のこの国の現実と弱小軍閥でしかない自身の立場を想えば、ないと考えているらしい。
確かにそれも、一理ある。領民から搾取の限りを尽くすような領主と比べれば、プラタープは遥かに善良な棟梁といえるだろう。だが、やはり「アウトサイダー」を含めた全ての人々の幸福、という事にもっと多くの、権力の座にある者に気を配ってもらわないと、「グレイガルディア」の状況は改善して行かない、とカイクハルドは思っていた。
この国では、「アウトサイダー」が余りにも虐げられ蔑ろにされているから、その恨みや反発が、常に国全体の不安定要素として存在し続け、権力者を含めたこの国の全ての人々の暮らしを脅かす要因になる。誰かを蔑ろにする社会の中では、それを構成する中の誰一人としても、本当の安寧は享受し得ない。全ての人を思いやれる社会であってこそ、それを構成する全ての1人1人も、安寧を享受し得る。
カイクハルドはそう思うのだが、「グレイガルディア」には、そんな考えで行動する権力者は少数だ。だからこそ彼は、「アウトサイダー」の立場として気に食わない権力者に噛み付く活動を展開してる。「アウトサイダー」は虐げても蔑ろにしても構わない、と思っている権力者には、命と引き換えにしてでも痛い思いをさせる。そんな活動を通して、「アウトサイダー」にも心を砕く精神を、「グレイガルディア」に醸成しようとしている。それが、正しい活動なのか、的を射た行動なのか、絶対的な確信は無いが、盗賊として生を受けた彼には、こんな事しかできないのだ。そんな想いで、彼は戦い続けている。
そして、戦えば戦う程、「アウトサイダー」が虐げられ蔑ろにされている現状を思い知らされる。戦っても戦っても、その現状を変えて行けていない気もしている。「ファング」は最強で、向かうところ敵無しで、盗賊行為もほとんどが成功し、傭兵としての戦いでもたいてい潤沢な報酬に有り付くのだが、「アウトサイダー」が虐げられ蔑ろにされる現実に、変化は見られない。
「ファング」のやり方は、間違っているのかもしれない。暴力的に噛み付く行為をいくら繰り返しても、現実は変わらないのかもしれない。カイクハルドはそう思う事もある。だが、その結論は、彼が死ぬまで戦い続けた後、別の誰かが下せば良い事だ、と彼は思っていた。間違いでも的外れでも、彼は「ファング」で、噛み付く活動を続けるつもりだった。たとえ無駄で無意味で無価値な人生に終わったとしても、盗賊の子として産まれた自分にはそれがふさわしい、との想いもあった。
何も変わらなくても、無駄に終わるとしても、「アウトサイダー」の誰かが権力者に噛み付きでもしなければ、彼等は忘れ去られてしまうかもしれない。誰の目にも止まらない存在に、誰にも、声すら届けられない存在に、成り果ててしまうかもしれない。だから噛み付く。命懸けで噛み付く。殺されようと、八つ裂きにされようと、噛み付き続ける。それが「ファング」なのだ、とカイクハルドは思っていた。
そんな彼にとって、ジャラール・レドパイネは特別な男だった。初めて目にする、真剣に「アウトサイダー」の事を想いやって活動している権力者だった。弱小とは言え、軍閥の棟梁の座にある者が、これほどに「アウトサイダー」に心を砕く様を、カイクハルドは初めて目の当たりにした。
時には、「アウトサイダー」に混じって、「アウトサイダー」と一緒に権力者に噛み付く活動にも、手を染めている。家族や自家の領民と過ごすのと、同じくらいの長い時間を、ジャラールは「アウトサイダー」の中で過ごして来たらしい。「アウトサイダー」の生活実態を、軍閥棟梁ともあろう者がその身で味わっているらしい。
「あんたが『アウトサイダー』の中に入り込んで集めて来た兵も、ずいぶん役に立ったようだな。何年も時間を掛けて、『アウトサイダー』をここまでの戦力に鍛えたんだから、大したもんだ。『シックエブ』のすぐ近くに拠点を構えるところにまで、漕ぎ付けたんだからな。」
「ここで満足する気など、わしには無いぞ。軍政打倒を達成せねば、何にもならんからな。その為には、『シックエブ』に有効な突きを入れねばならん。それを成し得てこそ、わしの仕立てた軍勢も、本物だったという事になる。」
「そういう事だな。じゃあ、せいぜい、有効な突きを入れられる要塞攻撃の作戦を、検討しようじゃねえか。」
「親父」
いよいよ話が本題に入ると見て、黙っていた息子が声を発した。「切り込み隊長は、俺に任せてくれよな。『ピラツェルクバ』や『シェルデフカ』の戦いで、戦術には相当磨きをかけて来たんだ。その成果を、親父に見せつけてやる。」
二十歳を過ぎたばかりのシヴァースには、父親に認められたい欲求が抑えられない。
「戦術よりお前には、カジャ様を抑える役目を期待していたが、それもどうにかやり遂げたようだな。」
「ああ、本当に、ギリギリのところだったがな。俺達『ファング』が力を貸さなきゃ、カジャは何回、死んでいた事か。」
「か・・カジャ様を抑えるのは、誰がやったって苦心惨憺だぞ。取りあえず生きておられるのだから、それで良いだろう。」
厳しい指摘を父の面前で受け、慌てた様子で釈明するシヴァース。
「わははは。まあ、心配せんでも、お前を先鋒から外す選択肢は無いわ。4つの先行部隊に、通常航行で、行けるところまで肉薄させる策で行くつもりだが、その1隊をお前に任せよう。」
軍政の拠点要塞である「シックエブ」のすぐ間近まで、タキオントンネルで突撃するのは無謀だ。要塞周辺は当然、敵の警戒も極めて厳重で、途方もない数の無人探査機が散りばめられているはずだからだ。タキオントンネルを形成しようとしても、タキオン粒子が生成する以前の前兆現象の段階で敵に察知され、待ち伏せ攻撃を受ける事になるだろう。
数時間に及ぶ前兆現象を確認した上での待ち伏せだから、送り込んだ部隊は間違いなく全滅させられる。すぐ近くへのタキオントンネルでの突入に対して敵は、襲撃部隊を全滅させるに十分な戦力を、余裕を持って配置しておける。
それ程までの密な監視体制を敷いている領域が、どれくらいの範囲に及んでいるのかについては、事前に確たる情報を得る術は無い。スパイなどを使って色々な情報は入手していても、絶対的な確信は持てない。得た情報は過去の警戒状態に過ぎず、その情報の時点から警戒範囲が変化している可能性もあるし、偽情報を掴まされている可能性だって常にある。
遠距離からの観測で可能な限りのデーターはとってあるが、この時代の無人探査機は人の拳くらいの大きさだから、数十億kmもの彼方からの観測で捕えられるわけもなく、事実上、「シックエブ」の警戒態勢の詳細など分からない。
どれくらいの範囲において、タキオントンネルでの突撃が、敵に、確実に察知されるのかは、実際に探査機か何かをタキオントンネルで送り込んでみる事でしか、確かめようは無い。タキオントンネルを使って送り込んだ無人探査機が、直ぐに撃破されてみて初めて、その宙域の敵の警戒が密である、と結論付けられる。
色々な距離で送り込んでみて、撃破されなかった探査機のなかで最も敵に近いものを使って索敵を実施しつつ、その位置にタキオントンネルで有人の戦闘部隊を送り込む、というのが現実的に可能な接近法だ。そこからは通常航行で、敵に近づいて行くしかない。
ジャラールは4つの部隊を、無人探査機で安全が確認できた宙域に送り込み、そこから通常航行で、できる限り肉薄させる策をとる、という事だ。その部隊は、あくまで少数のものにして、敵の出方を見る。
こちらの部隊がたどり着いた宙域に関しては逆に、敵の方がタキオントンネルでの部隊の急派ができなくなるので、こちらは増援を容易に送り込める。要するに、制宙権を確保した状態になる。ジャラールはこちらに制宙権のある領域を、少数部隊で、できるだけ敵に近付けようとする作戦をとったわけだ。
「こちらから打って出る前に、軍政の側から『ヒルエジ』に攻め寄せて来る可能性はねえのか?」
「そう思って、警戒していたのだがな」
カイクハルドの問いに、真顔になったジャラールが答える。「ここに到着して20日程経ったが、その気配はない。」
「それだけ、『シックエブ』の戦力も余裕が無くなって来ている、と考えて良いだろうな。」
と、シヴァースが父の言葉に続いた。
「うむ、ここに来るまでにも、多くの部隊を撃破したり撃退したりしたから、今『シックエブ』は新たに近隣軍閥への召集を掛け、戦力の立て直しを図っているのだろう。だが、どれくらいの軍閥が召集に応じ、『シックエブ』が実際にどれくらいの規模の迎撃戦力を用意できるかは、皆目見当がつかん。攻めて来ない所を見ると敵は、限られた戦力を有効に使う為に、できるだけ我等をあちら側に引き付けて迎え撃とうとしている、と見て間違いないとは思うのだがな。」
「そこで、少数の部隊をそれぞれ違う方向から接近させて、敵がどのくらいの距離でどれ程の規模の迎撃部隊を差し向けて来るか、その様子を見た上で、敵の戦力を推測しよう、って魂胆だな。」
カイクハルドの解釈に、ジャラールが大きく頷いて肯定の意を示した。
戦力に余裕が無ければ無い程、敵はより近くまで引き付けてから迎撃しようとするはずだ。少ない先行部隊でどこまで近づけるか、が敵戦力を見極める材料になる。
できるだけ近づきたい「レドパイネ」が、どこまで引き付けるか分からない「シックエブ」に接近を図るという作戦だから、先行部隊の危険は当然の如く絶大だ。敵がその気になれば、圧倒的に上回る戦力を繰り出して包囲する事は、いつでもできる。
「どれくらいのスピードでどこまで踏み込むか、の判断は各部隊の指揮官に任せる。難しい判断になるぞ。危なくなったら、できる限りの援護はするが、やはり、命の保証のない役目だ。やれるか、シヴァースよ。」
「やるさ。」
ニヤリ、として見せたシヴァースの目に、恐れなど微塵も無い。それどころか、この作戦が楽しみで仕方が無い、と言いたげな眼の色だ。カジャを抑えながら地味な後方攪乱に徹していたこれまでと違い、自分の判断だけで思う存分暴れる事ができる戦いだ。危険ですら、楽しみをより高める要素でしかないだろう。
ジャラールとの会談を終えると、「シュヴァルツヴァール」は一旦、第6惑星の衛星軌道上にある「レドパイネ」の拠点から離れ、一つ内側の軌道を回る第5惑星によって形成された、L5-ラグランジュ点に向かった。第5惑星そのものは、第6惑星とは星系の反対側に近い位置に離れていたが、第5惑星によって形成されているL5-ラグランジュ点は、それほど離れていなかった。タキオントンネルを使えば1時間もかからない。
そこに、「ルサーリア」領域の「ファング」根拠地があった。長旅を終え、激戦を控えた彼等には、根拠地への寄港が必要だった。
「まだ、泣いていやがるのか。そんなに泣き通しで過ごされたら、部屋のムードが辛気臭くなっちまうじゃねえか。」
悪態のように聞こえるカイクハルドの言葉だが、表情はこの上も無く穏やかだ。微かに浮かぶ笑みも、苦笑いのように見せかけた、心底からの喜びの表出にも見える。根拠地から「シュヴァルツヴァール」に戻って来て2時間程が経ってからの、彼の自室でのやり取りだ。
「どんな言われ方をしようとも、涙を止める事ができません。あなたには、分からないでしょうけど。」
言い返すラーニーの声にも、まるで棘は感じられない。「クトゥヌッティを始めとした家宰達も、領民の皆様も、私にとっては生まれてからずっと一緒に過ごして来た、大切な人達なのです。家宰が領民に憎悪されているという状況が、私にとって、どれだけ苦しかったか、あなたなんかに・・・」
2時間泣き通して真っ赤に晴れた眼で、ラーニーはカイクハルドを睨み返した。睨む、と表現するには、柔らかすぎる眼差しではあったが。
「恨むのは当然だろう。家宰連中の暴虐で、家族や友人を殺されたり、どこかに売り飛ばされたりした領民は、何百人にも上るんだぜ。それを許してやって、和解が成立したなんて、信じられねえよ。何ちゅうお人好しで寛大な連中なんだろうな、お前の所の領民っていうのは。」
ラーニーの視線を受け止めながら、カイクハルドは応えた。湯気によって、少し揺らめいている。2人の間には、ラーニーがべそをかきながら作った、出来たてのラザニアが置かれていたから。
「ええ、信じられない程、お心の広い方々だったのです。我が領民の皆様を、私は誇りに思います。過去のものとなったとしても、あの方々の領主であったわが身を、心から幸せに思います。」
「それで、何が理由だったんだ?あそこまで暴虐に振る舞った家宰を、領民連中が許してやったっていうのは。」
「サンジャヤ兄様です。サンジャヤ兄様が、死して尚、『ハロフィルド』ファミリーが滅んで尚、家宰や領民の幸福や心の平穏の為に、力をお貸し下さったのです。」
「はぁ?何じゃそりゃ。」
馬鹿にしたような言い草、と表すには、彼の眼は柔和に過ぎる。「死んじまった野郎が、どうやって和解に貢献するってんだ?」
さっきから、ラザニアを口に運ぶタイミングを伺っているカイクハルドだが、会話の流れが、なかなかそれを許してくれない。フォークが口と皿の間を、行きつ戻りつしている。
「クトゥヌッティ達は兄様から、領民の皆様への兄様の想いを記録したデーターチップを、受け取っておりました。軍政打倒に奔走し領民を顧みる余裕のない事を、申し訳なく思う兄様の気持ちが詰め込まれたデーターチップです。それを兄様の形見の品として、クトゥヌッティ達はずっと大切に持っていたそうです。そして、偶然元領民の方々とこの『ルサーリア』領域の根拠地で再会する機会に恵まれた折に、クトゥヌッティはそれを、領民の皆様に手渡そうとしました。領民の方々も、恨み募る家宰達からの贈り物とはいっても、サンジャヤ兄様への敬慕は変わっておられなかったので、データーチップだけは受け取ったそうです。」
「で、受け取って、はいサヨウナラ、ってならなかったのか?」
「もちろん、領民の皆様も、初めはそのつもりだったそうですが、クトゥヌッティ達が、許して欲しいとは言わないが、データーチップは時々見せて欲しい、と申したそうです。それを見て兄様を偲び、兄様を弔い、兄様の想いを胸に刻み直す機会を、これからも与えて欲しい、と。コピーが不可能な仕様のチップでしたので、領民の皆様に貸してもらうしか、クトゥヌッティ達にはそれを見る術がなかったそうです。」
「そんなもん、領民に対する、見え透いた機嫌取りとしか思えねえんじゃ、ねえのか?」
「領民の皆様も、そう思ったそうですけども、それを断る気にも、なれなかったそうです。それで、月に一度くらいのペースで、家宰達と領民の皆様で共に、データーチップの中身を見ながら兄様を弔う場を設けたそうですけど、そこでクトゥヌッティ達は、データーチップの膨大な量の内容を、全て暗唱するまでになっている様を見せたそうです。それほどに、今までそのデーターチップを繰り返し見て、兄様を弔って来たという事です。そこに、自分達の悪行に対する深い反省と、サンジャヤ兄様への衰える事の無い敬愛の念を感じ取り、領民の皆様の方から、和解を提案するに至ったそうです。」
ラーニーの発言の終わるのも待たず、カイクハルドは手で額をピシャリと叩き、苛立たし気な声を上げた。いや、苛立たし気を装った楽し気な声、かもしれない。
「あっちゃぁーっ、何ともまぁー、阿呆臭い程に、お人好しな話だなぁ。暗記力だけで、許してやったのか。」
「そうではないでしょう。データーチップの中身を見ている時の、クトゥヌッティ達の態度や表情も含め様々な様相を見た上で、領民の皆様は判断なされたのでしょう。家宰達も領民の皆様も、共にサンジャヤ兄様への敬愛の念だけは変わらずに持っていて、それが皆様の和解への鍵になったのですわ。まるで、今でもサンジャヤ兄様が生きておられて、仲裁の労をとって下さったかのように、私には思えます。これが泣かずになど、居られましょうか。」
「あんなインチキでキザな野郎の、どこをそんなに、ケイアイするんだかなぁ。」
「うふふっ」
カイクハルドの兄に対する悪態は、ラーニーを怒らせるどころか、噴き出させてしまった。
「な・・何が、おかしいんだよ。」
「あなたはそのように、兄様を悪し様に評しておいでですが、領民や家宰の皆様は、あなたが兄様に成り替わり、家宰達の綱紀粛正を成し遂げ、私の保護もやってくれている、と解釈されておられますわ。」
「はああ!? 何だよ、その滅茶苦茶な解釈は?盗賊兼傭兵だぜ、俺は。『ハロフィルド』領の集落を『ファング』の拠点として利用して、『ハロフィルド』の令嬢を妾として囲ってるだけじゃねえか。そんな悲惨な地位に貶められておいて、綱紀粛正だ?保護だ?馬鹿じゃねえのか。」
「悲惨な地位かどうかは、皆様がお決めになる事ですわ。皆様の表情からも言葉からも、悲惨そうな様子は見えませんでした。皆様も私の表情を見て、同じ感想を持たれたようですわよ。」
「な・・何が、言いてえんだ。」
言い返すカイクハルドは、顔が赤らんで来ている。「お前はこれから、間違いなく悲惨な境遇になるんだからな。熟成が完成したら、覚えていやがれ、ぐうの音も出ねえくらいに、骨の髄までしゃぶりつくしてやるからな。」
「ええ、楽しみにしております。」
「だから、楽しくねえっつうの!お前も、お前の家宰や領民も、本当に何も見えね馬鹿野郎なんだな。」
「そうですかしら。皆様の感じ方には、もっと確かな根拠がおありの様ですわ。」
「根拠・・だとぉ?」
「ええ。この『ルサーリア』領域の根拠地には、サンジャヤ兄様の足跡が多く残っております。色々な記録がありますし、多くの方が兄様をご記憶下さっています。」
「ま・・まあ、あいつは、ここに来たからな。俺が最初にあいつに会ったのは、確かここの根拠地だった。イシュヴァラの奴が、ここで、あいつを俺に紹介しやがったんだ。押し付けやがった、って言った方が、良いかもしれねえがな。」
「そのようですね。そして、この根拠地には、帝政貴族出身で昔からサンジャヤ兄様と関わりのあった方がおられます。軍政軍閥出身の方の中にも、サンジャヤ兄様から軍政の実態を熱心に質問された方もおられます。だから、多くの住民の方が、兄様を記憶に留めて下さっていました。それに、あなたとサンジャヤ兄様が、ご一緒の場面を目撃された方も、沢山おいでになりますわ。そういった方々の話を聞いて家宰や領民達は、サンジャヤ兄様が『ハロフィルド』ファミリーの綱紀粛正や私の保護を、あなたに託したのだと考えるようになったそうですわ。」
「・・いったい、誰が、何を言いやがったんだ。俺は、何も託されてなんかねえし、あんなイケ好かねえ野郎に何か頼まれたとして、絶対に引き受けてなんかやらねえぜ。『ハロフィルド』領の集落も、自分達に都合の良いように利用するだけだし、お前だって、俺一人の満足の為に、徹底的に慰みものにしてやる所存なんだぜ。どんな根拠があろうが、誰が何を言おうが、お前らは盗賊兼傭兵の毒牙に掛かった、哀れで悲惨な犠牲者なんだ。それを忘れるな!」
「家宰達も領民の皆様も、『ファング』の毒牙に掛かる前より健康そうで、表情も明るいのですけど、そんな犠牲者も、いるものなのですね。それに、元は私の女官であった方々も、みなさん『ファング』パイロトに囲われたわけですけど、今では全員が母親になられて、苦労しながらも子育てを満喫しておいでの様子ですわ。」
「だから、それだって、うちのパイロット達に徹底的に慰みものにされて、無理矢理孕まされて、不本意に産まされたガキを、泣く泣く育てるハメになってんだろ?ざまーみろってところじゃねえか。」
「1人も、泣いている方はおられない、と聞かされましたわ。皆さん笑顔で、活き活きと子育てに奮闘なされている、と領民の皆様から教えて頂きました。」
「ちっ、そんなわけあるか。お前の機嫌を取るために、都合の良いウソを拵えただけだろ、そんなもん。孕んだタイミングによって、あっちこっちの根拠地に散り散りに放り出されたんだぜ、お前の女官だった連中は。この『ルサーリア』領域で降ろした女官が一番多かった、とは言え、女官達の詳細な情報なんぞ、お前の元領民が、手に入れているわけがねえんだ。」
「あなたは、根拠地どうしでの連携や情報共有を、甘く見ておいでですわ。『ファング』のかしらなのですから、もっと根拠地の実態を正確に理解された方が、良いのではありませんか?」
「うるせえよ。何でお前に、かしらのあり方まで説教されなきゃなんねえんだ。根拠地の運営は、俺の管轄外なんだよ。」
「とにかく、『ハロフィルド』ファミリーに関わっていた皆様は、家宰も、女官達も、領民も、みなさん健やかにお過ごしになられていて、その上に、家宰と領民も和解したのです。私も、この上も無く幸せな気持ちです。」
「お前なんぞの、そんな幸せ、すぐにでも木っ端微塵にしてやるぜ。」
「ええ、ですから、楽しみにしております。」
「たっ・・楽しみだとぉっ!ああっ、もうっ、何なんだよ。熟成もできねえくせに、口ばっかり達者な奴だな。」
「また、熟成の話ですか!」
穏やかだったラーニーの視線に、僅かに棘が生えた。「ですから、その熟成というのが何なのか、もっと具体的におっしゃっていただけませんか?」
「分かるだろう、そんなもん。」
「分かりません!何なのですか?あなたのおっしゃる、熟成というのは。」
「何で、分かんねえんだよ!お前だって女専用エリアで、他の女達と会って、見て、話してってのを、してるんだろ?だったら、一目瞭然だろ!? ああいうのが、熟成しているんだよ!」
「分かりません!あなたがその口で説明なさって下さい。皆さんと私と、何がどう違うのか。どこが、どう、熟成していないのか。」
「何言ってやがるんだ。説明の必要なんぞ、どこにあるんだ。ひと目見れば分かる事なのによう。あから様に、違うじゃねえか。全然、熟成してねえじゃねえか。」
「うなじの肌質の事を、言っているのですか!? 」
「ちがうわーっ!」
意に反して高まってしまった感情と、逸れてしまった話の軌道を、元に戻す為の沈黙が2分ほど立ち込めた。何度か繰り返している、口論のような声高な応酬だが、こんなやりとりの直後ほど2人の互いを見る視線が親し気であるとは、彼と彼女には、全く自覚がないのだった。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、 '19/4/6 です。
ラーニーの"出しろ"に関しては、執筆前に練り込んだものは全く無く、書き進めながらその都度考えよう、という方針で書いていて、一回目に最後まで書ききった段階では、ものすごく少なくなってしまいました。で、その後に、「もうちょっと増やそう」と考えて、元の文にねじ込む形で付け加えていったの、不自然に仕上がっていないかという不安が残ってしまいました。でも、人と人の関係とか、人の人への想いとかは、戦争などにまつわるプロットを一旦すべて書き切ってから、この場面でこの人はあの人をどう思っているかとか、この人たちはどんな関係性になっているか、と後付けで想像する方が、自分には合っているようにも感じました。こういった人間関係のプロットを、一回目の執筆から同時進行で書けるようになるべきか、後からねじ込むやり方を洗練していくか、今後の方針に関して迷っています。もちろん、物語の骨格になる部分では、事前に練りこんでから書くのですが、細かい部分ではどうしても、事前には想像しきれません。それに何より、登場人物たちの関係がどう展開していくかを、作者自身も楽しみにしながら書き進めたいという想いもあるのです。今後も、色々な書き方に挑戦していきたいと考えているので、お付き合い頂ける読者様がいらして下さると、ありがたいのだけどなぁ、と思っている次第です。というわけで、
次回 第63話 シヴァースの侵攻 です。
ようやく、「シックエブ」攻撃が始まりそうなタイトルになりました。カイクハルドとジャラールが話していた作戦の内容を、しっかりと念頭に置いて読んで頂けると助かります。やみくもに突き進むのではなく、相手の出方を注意深く見守りながらであることを、どうぞお忘れなく。そして、危険性の高い作戦であることも。




